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 照明を落とした子ども部屋に歌が流れていた。子どもの眠りを妨げない静かな歌声だが、その歌詞は明瞭に聞き取れる。思いやりがこもった優しい口調である。
「おやすみ 愛し子よ この腕の中で いつまでも 変わらずに 見守り続けてる」
 毎晩、寝床に入った娘の彰子の傍らで、繰り返されている歌だった。初めてその歌を聞いたとき、父親の淳平は驚きもし、納得もした。歌っているのは、この家でエミリアと名付けられた家事・育児ロボットである。作曲の創造性はないらしく、そのメロディはフランツ・リスト作曲の「愛の夢」である。ただし、オリジナルの歌詞ではない。彼女は過去に学習した、この場に相応しい言葉を選んで、そのメロディに乗せているのである。それは作詞とも言えない。つづられた言葉を吟味すれば、言葉の裏に隠れた比喩はなく、単純な言葉と単純な意味を並べて、プログラムに組み込まれた彼女の役割を語っているに過ぎないのである。ただ、その綴られた言葉の素直さ故に、子を思う母の清廉な心情を連想させた。机の上の写真立てがあり、ベッドの方を向いている。その写真に写った母親の笑顔は、姿をエミリアに変えて娘を見守っているようだった。淳平がそっと部屋を出ようとしたとき、写真立ての前のティッシュに乗せてあった物に、手が掃くように触れた。
 
 コンッ

 堅く無機質な物が床で跳ねる音が響いた。薄明かりの中、音を頼りに目をこらして拾い上げると、抜け落ちた子どもの歯が一つ。淳平は娘が食事のたびに頬に指を当てて顔をしかめていたのを思い出した。淳平は微笑んだ。ぐらついていた乳歯がやっと抜けて、娘はこの歯の痛みから解放されたと言うことだろう。この歯は娘が成長しているという証と言える。その娘の柔らかく暖かな生命感と、この歯が立てた固い音が父親の心に残った。
 もう一度ベッドを振り返ると、心地よさそうに寝息を立てる娘の傍らのエミリアが見えた。彼女の全身は白いABS樹脂で、触れれば堅く冷たい。その頭部はアーモンド型のランプが2つ、人間の目に当たる位置に付いている。視覚情報は彼女の両肩の付け根にあるカメラから得ていて、彼女の頭部の目はただのランプに過ぎない。そのランプは今は淡い緑色で、メロディに合わせてゆっくりと明滅する様は、彼女が傍らの幼子に何かを語りかけて居るようにも見えるのである。
 ただ、淳平はあえて心の中でその感情を押し殺し、ドアをそっと閉じて書斎に戻った。まだ、今夜中にこなさなくてはならない仕事が残っていた。


 夜半まで仕事をこなした淳平は、窓から指す朝日に閉じた目を射られても夜明けには気づかなかった。
「父さん、また仕事なの? エミリアが朝食ができましたって」
 娘の彰子がそんな声をかけて、書斎のソファで夜を明かした父を朝食に誘った。仕事に没頭する父に向ける視線と声の調子が冷たい。日射しの眩しさに淳平は黙って目を細めた。繰り返されるテロの予告の都度、彼の仕事は停滞し、現場の作業管理をする淳平はその作業スケジュール調整に苦労しているのである。
 洗面所で顔を洗い終わった淳平が気づいてみると、ずっと傍らにいた娘は父のためにタオルを差し出した。彰子はふと鏡に気づいて、顔を拭く父親の体越しに、前歯をむき出した顔を角度を変えながら鏡に映し出していた。歯が抜けた顔を気にしているのである。
(大丈夫、抜けた歯は奥歯だから、かわいい顔は変わらないよ)
 笑顔を娘に注いだ父親は、そう思っただけで、言葉を口にしなかった。エミリアが呼んでいる。それを理由にするように、彰子は父の手を引いて台所に導いた。ただ、繋ぐ手はぎごちなく、今の父と娘の関係を物語っているようだった。
「父さん……」
「何だ?」
 娘に答える返事として愛情がこもらない事務的な返事だったかもしれない。娘は戸惑うように問うた。
「今度、家に信子ちゃんと健太君を呼んでもいい?」
「信子ちゃんと健太君?」
「うん、新しい友達なの」
 そんな娘の言葉に、淳平はやや返事を躊躇した。五年生に進級した娘が、まもなく六月になろうとする時期に、新しい友達を二人得たということである。娘が学校のことや友達のことを話して、親子の会話を求めているのは感づいてはいても、淳平にはどう応じていいのか、戸惑いを隠せないのである。幼児から少女へと変貌する娘を理解しようとする努力を、自分の無口な性格や、仕事の忙しさに理由を求めて、避けているのではないか。冷静な技術者としての淳平は、自分自身をそう分析してもいる。
 娘は言葉を続けた。
「学校で、父さんの仕事について調べる宿題が出ているの」
「知ってるだろ。父さんは、使えなくなった発電所を解体する仕事をしている」
 淳平自身は、廃炉というような難しい言葉を使わずに、娘にわかりやすく説明する配慮をしたつもりである。彰子はそれに満足せずに質問を重ねた。
「もっと詳しく」
「父さんの仕事は秘密にしなければいけないことがあるからね。詳しくは話せないんだ」
 事実である。仕事の性質上、テロリストに漏れてはならない事項もあった。ただ、心の奥底に、娘の質問の意図をくみ取る愛情も残っていた。仕事に没頭して家庭を顧みない父親に、娘は父親のことを知りたいと、触れあうきっかけを求めているのである。
「父さん、先生からの連絡のメールは読んでくれた?」
 しつこく会話を求める娘に、睡眠不足や疲労でぼんやりした淳平の心は、父としての愛情を腹立たしさが覆って、本音を吐いた。
「じゃあ、また今度に。父さんは仕事で疲れてるんだ」
 そうやって会話を打ち切る父親の後ろ姿を、彰子は薄暗い廊下で無言で眺めた。カーテンを開け豊かな陽光が射す食堂にいるエミリアの姿が父親の肩越しに見えていた。

「お粥は飽きたところだったの」
 彰子は朝食を眺めてそういった。食堂のテーブルには、焼き上がったトーストがあり、その傍らにマーガリンやマーマレードの容器が置いてある。朝食を準備するエミリアの手は、トーストにマーガリンを塗るほど器用にはできていない。電子レンジで加熱した目玉焼きとベーコンに、市販のカット野菜を添えるのがエミリアの手料理である。料理ともいえないおかずだが、目玉焼きは食べる者の好みを反映して、娘のはやや固め、父親にはとろりと黄身がとろけ出すほどの半熟に仕上げられている。
 ただ、淳平は娘の朝食が、粥からトーストに代わったことに気づいていない。ぐらつく歯の痛みを訴える彰子のために、エミリアは昨日までは朝食に粥を準備していた。歯の痛みから解放された彰子は、今朝から父と同じ固形食ということである。エミリアは淳平のカップには濃いコーヒーをブラックで注いだ。その傍らで彰子は笑顔で言った。
「ありがとう。美味しいわ」
 パンを頬張る彰子の言葉に、エミリアは目を淡い黄緑色に点滅させて答えた。
「褒めてもらうと、嬉しいわ」
 淳平はそんな娘をやや眉を顰めて眺めた。育児ロボットを所有する家庭は珍しくない。ただ、普通は家庭の主婦の補助的な役割を果たすに過ぎない。しかし、彰子は物心が付く前に母親を失っていて、エミリアに育てられたようなものだった。コップに冷たいミルクを注ぐエミリアの腕に添えた彰子の柔らかく優しい指先。彰子がエミリアに向けた作り物ではない柔らかな笑顔。彰子はエミリアという機械に、人間の母親に感じるような思慕を抱いているようだ。淳平は彰子から父親としての存在を無視される都度、彼女の幼い心の正常な育成が阻害されているのではないかと危惧するのである。ただ、娘がこの機械を慕う原因が、自分が親として娘にかまってやれないことだというおぼろげな罪悪感も持っていた。
「彰子、エミリアのことなんだが」
 淳平がそう言いかけたとたん、娘はその先の言葉を予想して、父の提案を拒絶した。
「嫌よ、そんなの考えられない」
「でもなぁ、今はもっと性能の良い家事ロボットがいっぱいあるんだ」
 父が娘にしようとしたのは、古くなったエミリアを下取りに出して、新たな家事ロボットを購入しようと言うことである。大きな出費だが、エミリアが居なくなれば、彰子はロボットを機械として認識するようになるだろう。 
「だめっ」
「こいつも出始めに買って、拡張性もないから」
  エミリアはアニー16αという初期型の家事ロボットで、本体以外にロボットの用途に合わせて子守や料理や掃除をこなすオプションパーツを装備していた。当時、メーカーは更なるハード面の高機能化と用途の多様化をセールスポイントにしていた。将来発売される新たな装備を購入した時に、今の古い人工知能が対処しきれ無くなるかもしれない。今の古い人工知能を、その高機能の装備に対応しうる人工知能に換装する仕様である。
 人工知能を換装するというのは、購入時に搭載されたコンピューターの限られた処理能力と記憶容量を補うための効果的な手段だと考えられたのである。ところが、初期型製品にありがちな事で、世の中のハード面の機能が予想を超えて急速に進歩したために、古いエミリアの体に新たなオプションパーツと、それに対応する新たな人工知能を転送したところで、その機能は最新のメカニックと人工知能を兼ね備えた家事ロボットに遙かに及ばないのである。
「今はハードもインターフェースも進歩して」
 ロボットを買い換える説明を続ける父親を無視して、彰子はエミリアに語りかけた。
「今日は校外学習だから、いつもより早く帰るわ」
「おやつは何が良い?」
「まかせるわ」
「では、期待していて」
 その母と子のような会話を聞いて、淳平は家事ロボットを買い換えようと決めた。最新型ロボットの便利さに慣れてしまえば、彰子も何も言わなくなるだろう。そんな父親の心を読むように、スクールバス乗り場へ駆けだす前の彰子は念を押すように言い残した。
「父さん。もし、勝手なことをしたら、許さないんだから。エミリアは私のママなんだからね」
(それが困るんだ)
 淳平は肩をすくめてそう言いかけたが、娘は元気の良い足音を残して外にかけだした後である。その登校の足音の明るさと積極的な雰囲気に、淳平は娘が学校に馴染んでいる様子を感じ取って安堵している。その淳平を見守るようなタイミングで、エミリアが声をかけた。
「コーヒーのお代わりをお注ぎしましょうか」
「たのむ。熱いのを」
「今日から現場作業が再開ですね。タービンの搬出が順調にいくよう願っています」
 エミリアが言うのは、原子炉建屋に隣接する建屋から巨大な発電用タービンを解体して運び出す作業のことである。エミリアはこの家の主人と会話をするために、家族の思考や性格以外に、淳平の作業について基本的知識を持っており、会話の中で作業のノウハウに近い部分までメモリーにとどめていたのである。

「仕事が一段落したら、俺が出かける前に、車に乗っていてくれ」
 淳平はエミリアにそう命じた。心が重い。その理由が、娘に対するものか、エミリアに対するものか、自分でもよく分からないで居た。エミリアは瞬きでもするように、目を淡い緑で点滅させているのみである。

 

 淳平はエミリアを車に乗せて仕事場に向かった。仕事帰りに販売店に立ち寄って、エミリアを下取りに出して新型の家事ロボットを購入して乗せて帰る。そういう心づもりである。下取りとはいえ、エミリアは型も古く機能も制限されている。新たな購入者が現れる可能性は無く、エミリアは解体されて廃棄されるだろう。
 後部座席で無言を保ち続けるエミリアに、罪悪感を感じて何か声をかけたくもなったが、何を話しても言い訳じみた言葉になるようで、淳平は黙りこくり、エミリアも言葉を発しなかった。
 ただ、淳平はその沈黙に耐えかねた。彼は独り言でも言う雰囲気を装って、エミリアに語りかけた。
「彰子も少しは学校に馴染んだろうか」
 淳平が気にかけているのは、娘の転校の事である。独り言か質問か、エミリアの人工知能には区別がつかないようで、返事がない。淳平は思い出を悔いるように言葉を続けた。
「幼稚園の時の引っ越しでは可哀想なことをしたから」
 男手一つで育てた娘が土地や人々に馴染み、周囲の子供たちと人生最初の親友と言える関係を作りあげた頃、淳平は仕事の都合で娘を連れて引っ越した。当時担当していた原発の解体の担当作業が済んで、新たな解体現場へと仕事場を移したのである。あの時の娘の涙は今でも覚えている。
 この時期、廃炉になった原発の解体処理に8年の年月を要すると言われている。その8年の工程のうち、淳平たちは最初の約5年間、施設の調査、解体の工程表作成、そして、施設を廃棄物別に分別し解体を行っているのである。その後、放射性廃棄物処理の専門業者に処理を引き継いで、次の解体現場に移るということを繰り返している。
 彰子は幼稚園の時に、やっとできた友達からも離れ、最初の転校をした。新たな地で、彰子は小学校に入学を果たし、5年生までその地で過ごす予定だった。しかし、淳平が昇進とともに新たな現場の責任者の地位に就いたのが、今から1年半前のことである。淳平たち原発解体に携わる技術者の数は少ない。淳平たち技術者は数多くの解体現場を引っ張り回され、その家族もまたそれにつきあわされているのである
 彰子の立場で見れば親しい友人ができる頃になると、父親の仕事につきあわされて引っ越していると言うことである。彰子が文句を言ったことはないが、親しい友達との別れを何度か繰り返して、これからも、父親と生活するためには友達との別れを繰り返さざるを得ないことも悟っているだろう。
 そんな娘にかまってやれない自覚と罪悪感を持ってはいた。しかし、彰子の身の回りの具体的な出来事を挙げて、父親としての怠慢ぶりを振り返ることはできない。日々の生活や学校での悩み事の相談など、エミリア任せにしていたのである。淳平は言い訳でもするように言った。
「だけど、誰かがこの仕事をしなきゃならないんだ」
 安価で安定したエネルギー源。人々がそんなメリットを享受したのは過去のこと。淳平たちの世代は、過去を振り返って原発が是か非かということを語ることに意味はない。ただ、この時代では負の遺産として重くのしかかっているのである。
「あの子は素直に育ってくれた」
 結局、エミリアは淳平の言葉に耳を傾けるのみで言葉を発しなかった。もちろん、感情を持たない機械に過ぎないが、淳平には父親としての自分の力の無さを、亡くなった妻に告白して詫びているようにも見えた。事実、もやもやした思いを吐き出して、少し気が晴れていた。

 自宅から約30分。陽は里山の樹木に遮られて薄暗く、木々の葉を嬲る風はないようで、道路の上に細長く切り取られた青い空の雲に動きはなかった。地面を縫うように蛇行する道路の先に海が見え始めると、突然に視界が開けて明るくなる。海岸縁に見える施設が、淳平たちのこの先三年間の仕事場である。
 もともと稼働時から警備の目の行き届いた施設だったが、ここ数年、更に警備が厳しくなっている。中国では高濃度プルトニウムを含む核廃棄物がテロリストとみられる一味に奪取されるという事件も起きていた。当局の捜査にもかかわらず、テロリストは逮捕されてはいない。回収されていない核廃棄物も、容器ごとテロリストの手から手に移って、既に国外に持ち出されたのではないかともみられていた。このような事件は、その後の各地でこの種の施設に向かう車への警備が厳重にするという影響を与えていた。

 淳平は峠に新たに設けられていた検問に車を止められた。淳平はエミリアを乗せてきたことを後悔した。電源を落としたエミリアを機械として扱って、車のトランクに乗せることも可能だったし、それが自然だったかもしれない。しかし、助手席、いわば運転手の妻の位置にこのロボットを乗せた。もちろん、旧式なロボットに危険があるはずはなく、型通りの調査の後、通過が許可された。アクセルを踏み、後方に遠ざかる検問所の様子をサイドミラーで確認すると、普段は厳格な面持ちで職務に励んでいる警備員が、この時は淳平の車を指さして、首をかしげたり笑ったりしていた。
 施設の入り口のゲートにもう一カ所検問がある。助手席のエミリアに気づいて怪訝な顔をするゲートの警備員に、淳平はエミリアの肩を抱いて、理由を説明した。
「今日は仕事帰りにこの古女房とデートするんだ。作業が終わるまで、駐車場で待たせても良いだろ?」
 このロボットを仕事帰りまでタービン建屋裏にある職員用駐車場で保管して良いかと許可を求めているのである。警備員の目から見てただの旧式な家事ロボットである。ただ、そのロボットのうつむき加減の頭部で淡く点滅する目のランプが、古女房という言葉に応じて恥じらいを見せているようにも見えた。警備員たちは、手際よく乗用車周りと、この旧式なロボットに危険物が無いことを確認して、立ち入りの許可を出した。
「待たせすぎて、その可愛い奥さんに文句を言われないようにした方が良いですよ」
「ああ、そうするつもりだ」
 淳平は警備員にそんな返事をしてアクセルを踏み、駐車場に向けてハンドルを切った。車外側面に目立つものがある。
『原発解体断固阻止!! 行政と企業は己の責任を自覚せよ。 原発解体反対同盟』
 また一つ、看板が増えていた。フェンスの外から中に向けて設置された看板は、職員や作業員に向けられたメッセージである。眉をひそめる淳平に、部下からの連絡が車載無線に入った。
「浅井リーダー。重機が到着しました」
「他の作業準備は整ったか?」
「作業は予定通り進行しています」
 エミリアは瞬きもせず、そんなやりとりを静かに聞いていた。
 駐車場で淳平は何も言わずに車を降りた。新しい指示を与えなければ、淳平が仕事を終えて戻ってくるまでじっとしているだろう。エミリアは省電モードに入っていて、彼女の目はいつもの光がない。自分が不要とされていることを悟っているようにもみえた。


「全く。文句は建設した連中に言え」
 原発解体の作業再開に合わせて現れたデモ隊を眺めて、淳平は同僚にそう言った。文句も言いたくなる。事実、過去の負債を背負わされたのは、順平たちもあのデモ隊の人々と同じである。
  二十一世紀初頭、日本は福島での原発事故を経験したものの、有効な代替えエネルギーを開発することもできないまま、停止させた原発の再稼働を行った。当時の人々には、原子力発電所の建設や再稼働に様々な思惑があり、もちろん、恩恵を受けることもあったに違いない。ただ、22世紀を終わろうとするこの時期は、初期に建設された原発は次々に寿命を迎えている。もはや、人々に恩恵をもたらす事はない。放置することもかなわず、解体と撤去にも様々な困難が待っている。過去の世代の人々が残した大きな負の遺産を背負わされているのである。
 淳平たちの役割はそんな施設を安全に解体・撤去することにある。社会にとって避けて通れない作業だが、解体の危険を危惧する人々の怨嗟も淳平たちに向けられる。社会にとって必要不可欠だが、技術者本人にもその家族にも割の合わない職業と言えるかもしれない。
「あの連中には、過去ではなく、現在の敵が必要なんでしょう」
「それでもいいが、俺たちの見えないところでやって欲しいもんだな」
「もう一つ、付け加えて言えば、反解体活動は平和的に願いたいですね」
 部下の言葉に淳平は頷いた。
「その通りだな」
 解体作業中の放射能漏れを危惧する数多くの人々がいる。当然の危惧ともいえる。使用済み核燃料を保管したプールや原子炉そのものを処理すれば、今は安全に閉じこめられている放射能を拡散させる危険が生じるということである。ただ、今は放射能を封じ込めている原発炉格納容器や建屋もいずれは古くなり、機能を失うこともあるだろう。この時代の原発解体は、大きな社会問題となっているのである。絶対安全な解体技術が確立するまで解体を先送りすべきだという意見があり、一方では、施設の老朽化と廃炉が増え続ける中、絶対に安全な解体技術の確立を待ってはいられないとの意見もあった。決着のつかない不毛な論争を生じているのである。
  どちらの意見も尊重したいと思いつつ、淳平たちの職業は原発の解体である。解体反対派を敵だと見なす気はないが、文句を言う相手を間違えているだろうという不満があった。
 ただ、やっかいな事は、この問題の社会的な注目度や混乱に乗じて、賛成派・反対派とは異なる立場で、問題につけ込む反社会的な勢力も居る。中にはテロを宣言する過激な連中も生じていた。爆破予告で作業を中断させるのだが、狂信的な連中、言い換えれば環境テロリストの中には、実際に放射能漏れを起こさせて、解体は危険だという意識を盛り上げようとする連中が居るかも知れない。
 再三の中止にもかかわらず、熟練した部下のおかげで作業は順調に進んでいて、原子炉建屋に隣接するタービン建屋は、外観こそそのままだが、僅かに残した監視カメラやドアの開閉、原子炉の状態をモニターする機能を除けば、ダクトやケーブル、配管の類はバラバラに切断されて運び出され、放射能のチェックを受けた後に廃棄されている。タービン建屋の内部は、タービン本体など巨大設備を除けば空っぽと言っていい。今のところ原子炉格納器はもちろん、隣接する原子炉建屋にも全く手をつけていないから、放射能漏れの危険はない。そういう手順を踏んで、安全に解体するために、この時代の淳平たち技術者が居るわけだった。誰かが背負わなくてはならない。時に罵声を浴びつつ仕事をする彼らに共通する誇りでもある。
「我々の立場も理解してもらいたいもんです」
「俺たちの立場も理解してもらいたいもんだ」
 部下の上司は同じ意味のことを同時に口にして笑いあった。
 この時、デモ隊の進入を阻んでいた警備隊の列に隙間が生じ、黒い乗用車を先頭に、二台の大型バスが敷地に入ってきた。淳平たち現場技術者はそんなものを手配した覚えはない。現場作業員の注目を浴びる中、バスの中から出てきたのは大勢の小学生たちである。
「お父さん」
 淳平に聞き覚えのある声が響いた。父親の姿を見つけて手を振るのは彰子である。
「どうして、あいつが?」
 淳平の疑問に答えるように、乗用車から、淳平の上司が姿を現して歩み寄ってきた。淳平は静かな怒りを込めて尋ねた。
「現場に相談もなく、どういう事ですか?」
「お前に話せば、反対するに決まっている。今日一日のことだ。黙っていろ」
「作業が大幅に遅れています」
「作業スケジュールも大事だが、我が社にも社会的立場があるということだ」
 原発の解体を本格化させる中、推進する政治家や行政、そして、解体に関わる企業は、人々にこの作業の安全性をアピールする必要があるわけだった。そんな連中にとって、子どもたちが見学に訪れたというのは、絶好な安全の宣伝材料になる。乗用車から降りてきた政治家と役人はそんな立場の人々に違いない。
「また現場を無視ですか」
 部下が淳平に怒りをぶつけたが、何より淳平自身が上司からこのようなスケジュールは聞かされていないのである。ただ、現在の作業段階で放射能汚染の心配は考えられなかった。不満を抱えながら、政治的宣伝だと言われれは上司に反対する理由はない。何よりも、淳平は娘に対して後ろめたいのである。小学校で校外学習があるとすれば、行き先やスケジュールは、あらかじめ児童の親に知らされるだろう。思い起こせば、学校から新たなお知らせのメールを受け取っていた記憶はあるのだが、その内容を確認していなかったのである。仕事にかまけて、娘への愛情が欠けていたと言われてもやむを得ないだろと思った。
 淳平は娘に対する罪悪感をそらすように苦々しげに建屋の脇に停車したクレーン車を眺めた。タービンの搬出作業のために準備したものである。搭載されたコンピューターによって作業員の指示に従って動く新型だった。作業延期で無駄になるリース料も馬鹿にならないのである。
 上司に文句を言いかけた淳平だが、突然のトラブルの報告が届いた。施設内の監視カメラの電源が落ちたというのである。マスコミの目を意識しながら、子どもたちを引率して施設に入ってゆく役人や政治家たちを見送って、淳平は見送って新たなトラブルに向き合わざるを得ない。

 淳平たち作業者が監視カメラのトラブルと向き合っている頃、彰子たち小学生は10人ほどのグループに分かれ、係員に引率されて見学者用通路を歩いていた。彰子は少し首をかしげた。生徒たちの案内役としてバスに同乗した三人組の男女に、父親と同じ会社に勤める人々かと、やや親近感を抱いていたのだが、その男女は施設に入るやどこへともなく姿を消していたのである。
 三階の高さに位置する階段から広い空間の床を見下ろすと、今日から運び出す予定だったタービンが見えたが、子どもたちはその機械の仕組みも用途もよく知らない。引率の係員が説明をした。
「石炭や石油で発電する火力発電の仕組みは知ってるかい?」
「蒸気で発電機を動かすんだよね。」
「ほら、下に見えているのが、タービンと言って、蒸気で発電機を回す設備なんだ。火力発電所にあるのと同じだね」
「ここは原子力発電所の跡でしょ? ここでも同じ機械を使ってるの」
「原子力発電も基本は同じなんだ。ここでは、石油など燃料を燃やす代わりに、原子炉で作った蒸気で発電機を動かすんだよ」
 係員の説明は子供たちにわかりやすく配慮されているばかりではなく、火力発電と同一視させることで危険性の説明を避けているのである。ただ、こういう場合、たいていは勘の良い子供がいる。この時は、彰子の右隣にいた信子が、係員に素直な疑問をぶつけた。
「でも、原発っていうのは、火力発電と違って、放射能が危ないんでしょ?」
 係員は苦笑いをしながら、壁に掲示されていた原子力発電の構造図で、原子炉と熱交換機を指さした。
「燃料や原子炉は、安全のために、隣の建物にあるんだ。原子炉で作った蒸気を使って、この熱交換機という設備で、放射能を含まない蒸気を作るんだ。その安全な蒸気でこの建物の発電機を動かしていたんだね。」
「じゃあ、放射能で危ない蒸気もあるということ?」
 こんどは、秋子の左にいた健太が質問をし、その素朴な疑問に、係員は危険性に触れないように答えた。
「ほら、あそこの壁にあいてる穴が、安全な蒸気が通っていたパイプの跡だよ。今はこの部屋の蒸気のパイプは切断して運び出してしまったけどね」
 係員の努力にもかかわらず、子どもたちの興味は原発の危険性に向いているらしい。今度は別の男の子が問うた。
「残った燃料は大丈夫?」
「よく知っているね。原子力発電所で使っているウラン燃料からは放射能が出ています。その放射能が出ていることで、ウランは互いに刺激しあうみたいに分裂して別の原子に代わるんだ。その時に熱も発生するんだよ」
「別の原子って、プルトニウムでしょ。使った後の燃料はもっと危ないんだよね」
 係員にとってあまり触れられたくない部分だろう。子供たちは生真面目で、社会見学の前にちゃんと下調べもしているらしい。
「使用済みの燃料は危険なので、ちゃんと安全に保管してるんだよ」
 彰子は係員がとまどう様子にくすりと笑った。
「あれは?」
 一人の子がタービン区画の端に置かれていた機械を指さして問うた。平べったい円筒形の下にキャタピラが付いており、あの物体が移動する事を示唆している。胴の両脇からマニピュレーターを伸ばしており、胴の上にはレンズが光って目のように見えるカメラが二つ付いていた。腕や目が付いているためロボットだと想像は付く。ただ、その姿は人型ではなく、何のロボットかと子供たちの好奇心をそそるのだろう。
 子どもたちの興味が、原発の危険性から逸れたことに気づいた係員は喜んで説明した。
「原発を悪い人たちから守るのに、この建物のどこに、どんな広さの部屋があって、その部屋にどんな機械があるかは秘密だったんだね。でも、それが災いして建てたときの図面が無くなっていたり、建物を改築した時に、古い図面と違ってしまったりするんだ。だから、おじさんたちは、施設を解体する前に、この建物の正確な図面を書く所から仕事を始めるんだ。あのロボットはその図面を書くために使ったんだよ」
 係員の説明は丁寧でわかりやすいが、あのロボットが高濃度の放射能下でも使用できるよう、その電子機器を放射能を遮蔽する胴体で覆った特殊な物だと言うことには触れていない。人に代わってロボットが作業しなければならない施設の危険性を想像させることは避けているのである。
「変な形」
「いろいろな装置が付いてるからね。テレビカメラや、部屋の大きさや形を計るレーザー、壁の中の電気のケーブルを調べる音響装置、部屋の温度を測ったりもできるんだ、それから」
 係員はこの種のロボットなら備えているべき、放射能の濃度を測定する装置も持っていることに触れかけて、慌てて話題を変えた。
「いまは図面を書き終わって用がないから、この一番広い部屋の端っこに置いてあるのさ」

 この時に、彰子は何やらコンテナを下げて建屋の階段を登る三人組の男女に気づいた。スーツを施設の作業員の衣服に着替えてはいるが、子供たちを案内する原発の職員として学校に現れ、彰子たちに付き添うようにバスに同乗して施設の中に入ってきた人物たちである。しかし、彰子たちは施設に到着するや、待ち受けていた係員に付き添われて見学している。引率者であるべき人物たちはその役割を果たさずに、子どもたちと別に行動しているのである。それは、彼らの目的が別にあることを示唆している。
 彰子の目を引いたのは、三人組の一人が立ち入り禁止区画に入る時に、周囲を伺った後、ほかの仲間にした目配せが何やら不審な感じがしたのと、残りの仲間が普通の作業員の目を避けるかのように荷を運んでいたことである。設置されている監視カメラの一つは彼らの方向にレンズを向けてはいるが電源は切れている。もちろん、施設を見学する人々はそんな異変には気づいていない。
 ただ、この時の彰子は挙動不審な彼らより、施設の隅々に興味がある。関係者以外立ち入り禁止。三人組に無視されたプレートは、この施設が稼働していたときの物で、解体中の現在は無用の物かもしれないと判断したのである。俊子は同級生たちを振り返って眺めた。一階のタービンが見渡せる位置に移動して、係員の説明を受けている。あの様子ではしばらくここにとどまるに違いない。
「彰子ちゃん」
 彰子が集団を離れるのに気づいた同級生の信子が声をかけた。彰子は伸ばした人差し指を唇に当てて、黙っていてくれと指示をして、友人にだけ聞こえるような小声で言った。
「お父さんがここでどんな風に仕事をしてるか知りたいの。すぐに戻るから」
 父親が娘に仕事の話をすることはなかった。ただ、エミリアに愚痴をこぼすように語る仕事の話から察すれば、図面を広げてほかの人たちと相談をしながら仕事をしているだろうと推測が付く。このただっ広いタービンの空間にそんな部屋があるようには思えず、あるとすればこの上の階だろう。その階段も見えていた。
 
 子どもたちが施設に入って、タービン建屋を一巡してその広さを感じ取っている頃、淳平は部下から結論を聞いていた。
「一台や二台ならともかく、カメラが一斉に停止するなんてあり得ません。人為的な要素でなければ」
 今日の作業は、解体したタービンの搬出で、作業は半ば屋外になる。淳平はタービン建屋外の仮設の指揮所で、建屋内の状況を指揮所のモニターに施設内の情報を表示させ、大型クレーンでのタービンの搬出を指揮する予定だった。そのいくつもの監視カメラから送られてくる映像が一斉に途絶えているのである。そして、事態はさらに悪化した。監視カメラの映像ばかりではなく、それ以外の情報まで全て途絶えたのである。
「至急調べてみろ。通信ケーブル、建屋の電源、原発システム、すべてだ」
 作業に熟練した部下たちの手際は良い。異変に気づいた時点で調べに駆けだしていた部下が慌てて戻ってきて報告した。
「浅井リーダー。通信ケーブルが建屋入り口の箇所で、破断しています」
「破断?」
 光ケーブルを頑丈な素材で幾重にも保護したもので、手でき引きちぎるどころか、大型のハンティングナイフがあっても切断することは無理だろう。そんなケーブルが切断されているというのである。意図的でしかあり得ず、意味する物は犯罪性である。誰かが何かの目的で停止させたに違いない。
「子どもたちの見学は中止だ。施設の外に出すぞ」
「部長や役人たちが渋い顔をしますよ」
「かまわない。ここの責任者は俺だ」
 淳平は携帯無線を取り上げて、部長を呼び出して現状の判断を告げた。
「部長。見学は中止してください。何かが起きています」
 淳平がそう言った時、建屋内からブザーが鳴り響いた。
「あれは?」
 現場で実際に聞くのは初めてだが、よく知っている。建屋内で放射能を検知をしたという緊急警報である。
「まさか、あり得ない」
 淳平たちは原子炉には全く手をつけて居らず、頑丈な原子炉容器を通して放射能が漏れ出すなどあり得ないのである。しかし、淳平たちはそんな常識に拘ることなく緊急時の対処に追われた。彼らがまずすべきことは、隣接する原子炉建屋の原子炉の異常の有無である。
 不思議なことに原子炉建屋から警報は聞こえず、放射能を感知して自動で警報を響かせたのは隣接するタービン建屋である。映像と別系統で送られてきていたセンサーの信号もケーブルの破断とともに途絶えた。施設の外にいた淳平たちは施設の環境システムからも切り離されて内部の状況を把握する手段を失う中で、あの警報が単純な電気トラブルか何かに起因する誤報ではないかと祈るように思った。しかし、監視カメラの一斉停止と合わせて考えれば、犯罪者の関与が伺えた。
 出入り口から子どもたちが脱出してくるのが見えた。やや腹立たしいのは、子どもたちより先に、自らの安全を図った役人や政治家どもが出てきたことである。教師が子どもたちの点呼をしているのを見ながら、淳平たちは現在の疑問に結論を出せない混乱状態で居た。そんな、淳平たちに警備主任から連絡が入った。
「浅井リーダー。そちらの様子は?」
「見学者はすべて建物から退去の指示を出した」
「こちらは不審人物を拘束した。おそらく、このトラブルに関係があるだろう。至急、所員駐車場まで」
 淳平にもその理由が理解できた。子供たちの見学に付き添って、報道関係者が施設の敷地内に居る。警備主任は報道関係者に断片的な情報が漏れてパニックが起きることを防ごうと、関係者しかいないタービン建屋裏の駐車場に淳平を呼んだのである。
 駐車場に駆けつけた淳平に、自家用車とエミリアが見えた。エミリアは施設に入ったときのまま職員用駐車場の車の中で静かに制止していた。頭部の目のランプは暗く、無駄な電気の消耗を防ぐために、最小限の機能を除いて機能を停止しているのである。そんな駐車場の一角に警備主任がおり、駆け付けた淳平に、施設の裏口を指さした。警備員が拘束した不審者を連れて出てきたのである。三人の不審者はわめいていた。その一人の声が耳に届いた。
「子どもが居るなんて知らなかったんだ」
「馬鹿なことを言うな。お前たちが子供たちのバスに同乗してきたことはすでに分かっている」
「我々は記者会見を要求する」
「なに?」
「報道関係者を集めろ。そこで全てを話す用意がある」
「何をやらかしてくれたんだ?」
「話すのは記者会見席上だ。それまでは話せない」
 そんな男たちと警備員の会話に割り込んで、淳平が念を押すように問うた。
「汚い爆弾だな?」
 淳平の言葉を否定せず、リーダー格の男は言った。
「我々は人民のために、核施設解体の危険を知らしめるのである」
 警備主任が何かを悟ったように怒鳴った
「お前たち、中国で奪われた核廃棄物を持ち込んだな」
 そんな怒号にも、彼らはにやにやと笑って虚勢の混じった優越感を現すのみだが、淳平たちは状況を理解した。放射能関知の警報の前、爆発の兆候は無かった。つまり、この連中は、空気に漂う微細な粉塵に砕いた放射性物質を、プロパンか二酸化炭素か何の分散媒に乗せて噴霧したのである。高濃度放射性物質の欠片を爆発物で飛散させる手口に比べれば、製造に高度な設備や技術を要するに違いない。この連中にそのような経験があるようには見えず、ただの実行犯に過ぎないのだろう。
 ただ、施設に侵入し、施設内部のモニターを遮断し、核汚染を生じさせる手口は訓練されたかのように手際が良い。現在の淳平たちは、施設内の状況を把握する手段を失っているのである。手段を考えれば、噴霧した核物質を遮るもののない広い空間に散布するだろう。運び出す予定だったタービンの区画である。タービンの搬出のために大きく開いていた開口部は既にシャッターで閉じられていた。普段、開けっ放しにできるドアや窓はなく、放射性物質が建物の外にまで拡散する心配はない。
 残る心配は建物内の職員や解体作業者、何より見学に入った子供たちが無事に避難したかどうかである。淳平は車載無線で部下に確認した。
「避難確認は終わったか?」
 あらかじめ定められたマニュアルを淳平は記憶していた。避難指示を出した後、建屋に取り残された者が居ないかどうか確認をするのである。
「職員は全人員、待避を確認しました。警備員は脱出時に残留人員が居ないことを確認しています。念のために学校関係者に生徒の照会をしています」
 警備員が脱出しながら各区画を調べ無人を確認したというのである。教師や生徒たちは少人数のグループごとに職員が引率しているから、その職員が責任を持って待避させているだろう。
 今は噴霧された核物質の拡散が局所的になることを祈るのみである。このとき、淳平が車の中を冷静に眺めていれば、エミリアの目のランプが淡い緑に点滅して、彼女が目覚めたことに気づいただろう。
 この時は淳平の車の車載無線に緊急連絡が入った。
「特殊レスキュー隊の石原です。いま、施設内に子どもが一人取り残されているらしいとの情報が。至急、施設内の見取り図を提供していただきたい」
「子どもが?」
「浅井彰子。11歳の少女です」
 レスキュー隊隊長が口にした名に、淳平が信じられないように問い返した。
「私の娘です。彰子が、どうして?」
 淳平の疑問に、小学生らしい少女の涙声が届いた。彰子のクラスメートの信子である。「彰ちゃんは、お父さんの仕事場をじっくり見たいと言って」
「俺の仕事を?」
 緊急脱出マニュアルでは、部屋に取り残された人物がいないかどうか確認することになっている。ただ、施設に紛れ込んだ小柄な子どもが、突然の警報や職員の足音に驚いて、ロッカーの隅にでも身を隠してしまえば、見落とすこともあるだろう。淳平は彰子が身を隠した部屋に放射性物質が拡散する様子を想像して、額に流れる冷や汗を手の甲でぬぐった。
 無線の音声が漏れ聞こえていた。エミリアの目が緑から黄色に変わって明滅した。

 淳平たちは慌てて建屋正面に駆けつけた。既に地元のレスキューチームが放射能防護服に身を固めて待機しているが、放射能の拡大エリアが特定できず、高濃度の放射能で汚染された区画を、一人の少女を捜して当てもなく彷徨う愚を避けて、現在は情報収集に努めている段階である。
「あれは?」
 その見慣れた白い体はエミリアに違いなかった。旧式なロボットの歩みは遅いが、とことこ着実に歩みを進め、混乱する人々の間を自然にすり抜けて防護シャッターの前まで移動していたのである。
「エミリア。どうして」
 淳平がその疑問の結論を下す前に、エミリアの姿は正面の作業員用出入り口のドアから建屋内部に消えた。その存在を忘れていたため意外ではあったが、淳平は同時に「しめた」とも思った。エミリアが肩のカメラで送信している情報をキャッチすれば、内部の映像が得られるに違いない。
 実際、淳平が起動した携帯型コンピューターのモニターにエミリアが眺めている映像が映し出された。映像からは蒸気とも細かな粉塵とも区別のつかない霧が淡く部屋に満ちているように見えた。噴霧された微細な粒子を霧のように目視確認したという事は、粒子がよほど多量で、拡散した濃度が濃いと言うことである。ただ、放射能測定機能のないエミリアでは、その粒子がどの程度汚染されているかどうかの判別ができない。
「エミリア。そのまま奥に進んで階段を上がれ」
 淳平は映像に向かってそう叫んだが、その指示をエミリアに伝える手段はない。今のエミリアは子どもを危険から守るというプログラムに従って自立的に動いていた。ただ、送られてきた映像は、淳平の指示通りになった。淳平と仕事に関する世間話をするために、エミリアは仕事に関する基本的な知識を学んでいた。その中に解体中の建屋の構造も含まれていたのである。エミリアは自らの知識と判断で階段を登っていた。彰子の性格から判断すれば、父親の仕事が知りたいと考えた彰子は、広い空間を避けて、人の雰囲気を感じ取れる建屋上部に移動するだろう。
 旧式なエミリアの歩みは、映像を見ている者にとってイライラするほど遅い。腕時計を眺めれば施設の中をさまようように移動し始めて一時間が経過していた。エミリアは肩のカメラを常に左右に振り、得られた映像が時折拡大されて詳細に処理される。必死になって彰子の姿を探し求めているようだった。タービンのある巨大空間を隅々まで眺め回し、左右を注意深く確認しながら、広いタービン区画に誰もいないことを確認し、通路を移動して階段を上った。ただ、その映像に乱れが生じていた。淳平たちにはその理由が分かっていた。高濃度の放射線でエミリアの電子機器に不具合が生じているのである。映像のみではなく、動きにもぎくしゃくした動作が見られる。突然にエミリアは動きを止めた。そして、再び動き出したときに淳平たちは送られてきた映像に叫んだ。
「エミリア、違う。先に進むんだ」
 少しでも内部の情報を知りたいと考えたのだが、エミリアは元来たルートを戻り始めたのである。淳平たちは人工知能にまで支障を来したのだろうと思った。エミリアは先ほど登った階段に到達したものの、力尽きたように階段から転げ落ち、そのまま機能を失ったように映像が途絶えた。

「えっ」
 モニターに見入る人々は驚きの声を上げた。映像が途絶えて間もなく、信じられないほど鮮明な映像が回復した。階段の近く、タービン室の端からの光景である。しかし、その視野が床に近い。映し出された場所と、映像の端に映し出されたマニピュレーターで事態が判明した。この施設を調査し、図面を書き起こすために使った測量ロボットが送ってきた映像である。外部から操作しようとしても手応えがない。測量ロボットは自立的に動いていた。
「誰があれを起動したんだ?」
 淳平の部下が発した言葉に応えることができる者が居なかった。測量ロボットは本来の役割を終えスイッチを切って搬出を待っていたはずだった。誰がという疑問の回答であるかのように、エミリアの白い姿が映し出された。階段を転げ落ちて脚部や腕が外れた酷い姿である。
「エミリアか」
 淳平がこの状況を理解する名を叫んだ。エミリアは初期型に属するだけに、新たな人工知能が開発されたときに置き換えることが出来る仕様である。それは逆も意味した。エミリアは自らの人工知能を探査ロボットのメモリーに転送する機能も有していたのである。機能を喪失した体から、自らの知能を転送して、今の彼女は測量ロボットの姿をしているのである。エミリアが廊下を戻ったのは、タービン区画の端に見つけていたこのロボットの体なら、放射能の遮蔽機能もあり、建屋内を自由に動き回れると判断したのだろう。淳平たちにとってありがたいのは、装備している放射能や温度センサーから情報が情報が得られることである。ただ、この広い施設の中から、姿を見せない一人の少女を探し当てるセンサーがあるはずもないのである。

 淳平たちは新たな体のエミリアが送ってくる映像と、放射能濃度に恐怖した。エミリアの最初の体が二時間ばかりの間に機能を失った理由が頷けた。おそらく、彼女の白い体が受けたのは60Svを超える被爆量だったに違いない。もちろん、人を短時間の被爆で死に至らしめるのに十分すぎる濃度である。
「どこへ行くんだ」
 行く先はロボット任せだが、情報は送られてきていて、淳平のパソコンの建屋の見取り図に表示されている。通路を通じて放射能は広がりを見せているが、その汚染区画に彰子の姿は無い。残っているのは、建屋4階の中央制御室と、5階とその上の最上階である。5階は作業員の更衣室、保守点検室、廃気フィルタ室などいくつもの部屋があって、壁やドアで仕切られていた。ここなら放射能の拡大は最小限に抑えられる。いまは彰子がこの部屋の一つで、じっと救出を待っていることを望むばかりである。レスキューチームは、少女の居場所を確認次第突入の準備を整えていた。

 送られてきた映像を見れば、エミリアが高濃度の汚染区画をぬけてたどり着いたのは、中央制御室である。探査ロボットはここで役割を終えたように静かに停止した。まだ、彰子の姿は捉えられていない。次の変化を求める切迫した雰囲気が淳平たちを包んだ。
「また、放射能障害か?」
 そう考えた淳平たちに、突然に、エミリアの声がスピーカーで建屋内外に響き渡った。
「彰子。そこにいたのね」
 エミリアの言葉に応じる彰子の声もスピーカーから響いた。
「エミリア、どこ? 私が見えるの?」
「見えないけれど、音で分かります。心配しないで。私が見守っています」
 その「音」というキーワードで淳平たちは察した。連絡用に建屋内部の壁面のあちこちに埋め込まれたスピーカーは、司令室からの指示や警報を電気信号から音に変えるだけではなく、逆に音声や足音の振動を微弱な電気信号に変えてもいる。エミリアはスピーカーをマイク代わりに建屋各所の音を拾って、彰子の居場所を探り当てたのである。何より驚かされたのは、エミリアが測量ロボットの姿を捨てて、原発の環境システムに乗り移っていたことである。今のエミリアは原発と一体、原発の姿を身に纏っていると言っていい。
 もちろん、原発の運転システムには幾重にも厳重なプロテクトがかかっていて、エミリアに原発の操作ができるわけではない。ただ、施設の空調や通話などの機能は、システムのプロテクトの有無にかかわらず使用可能と言うことである。
 人々は少女が生きていたという安堵感とともに、次の運命を考えて緊張もした。今は無事なようだが、高濃度の放射能を発し続ける放射性物質の粒子は、建屋内に拡散しつつあり、少女の被爆の恐れは去っていない。救出のためには少女の居場所を把握しなければならないが、人々にはまだその情報が掴めない。施設を見守り、少女の無事を祈る全ての人々の注意がスピーカーに向き、スピーカーからは彰子とエミリアの会話が響き続けていた。
「私、父さんの仕事を知りたかっただけ。父さん、自分のこと、何も話してくれないから」
「分かってるわ。でも、今は私の言うことを聞いて」
「うんっ」
「では、その部屋を出て通路を右に、それから、突き当たりを左に折れて、階段を下って」
 エミリアの指示がスピーカーから彰子と建屋外部の人々に伝わった。建屋の汚染状況と照らし合わせれば、エミリアは彰子を清浄区域をたどって移動させている。ただ、周囲の通路や部屋は汚染が広がって、彼女がいる空間を包囲して、安全に外部へ抜けるルートはない。絶望的な状況に眉を顰める人々だが、彰子がたどり着いた行き止まりに見える空間で、エミリアの新たな指示が出た。
「彰子、壁に丸い穴があるわね。そこに入って、反対側に抜けなさい」
 エミリアが指示した、脱出先にレスキュー隊隊長が首をかしげた。
「丸い穴?」
「二次蒸気配管だ」
 作業員の一人がそう叫び、淳平も頷いて同意した。建屋の解体の準備作業で、ダクトや配管の大半は切断し、搬出済みである。エミリアが穴と分かりやすく表現したのはタービンに蒸気を送る配管の切断部である。淳平たちにとっては配管の切断部に過ぎないが、内径が60センチ近い配管で、子どもなら通ることのできるトンネルになる。放射能の遮蔽はされているから、汚染区画を安全に、清浄な区画に抜けられるだろう。
「この穴ね。真っ暗だわ」
 彰子の声を聞いていた、エミリアは励ましの声をかけた。
「大丈夫」
「うん。エミリアを信じてる」
 伝わってくるロボットと子どもの会話に、作業員の一人が新たな危険に気づいた。
「しかし、このままでは蒸気配管の開口部から放射能が進入してくるぞ」
 施設の空間を拡散中の放射性物質がこのトンネルを通って広がるというのである。当然のことと言えた。そんな人々の危惧を他所に、彰子とエミリアの会話の声が届いた。
「エミリア、前から風が吹いてくるわ」
「大丈夫、あなたを守るためよ」
 密閉された建屋内で風が吹くと言うことはあり得ない。淳平はエミリアの意図を察した。エミリアは建屋内の空調を制御して、彰子が居る区画の圧力を高めて、背後からの放射性物質の侵入を防いでいるのである。
 エミリアはついに彰子を建物の最上階に導いたのである。この時に、サイレンを鳴らした救急車が施設に入ってきた。
「救急車だけじゃない。至急、ヘリの用意を」
 エミリアが彰子をタービン建屋屋上に導くつもりだという意図を悟ったレスキュー隊隊長は部下にそんな指示を出した。要請した覚えはない救急車ではなく、今は屋上の少女を救出するためのヘリコプターが必要だろう。しかし、淳平はクレーンを指さしてそれを制止した。タービンを搬出するのに使う予定だったクレーン車が動き出したのに気づいたのである。運転台に作業者の姿はなかった。搭載されているコンピューターで自動運転されているのである。クレーン車はアームの先端のフックに、建屋の外壁を確認するときに作業員が乗るゴンドラを引っかけた。
 この時、少女が建屋の屋上に姿を見せた。少女は淳平たちが居る場所からでも分かるほど朗らかな笑顔を浮かべ、遠くを眺める目つきをして、空の雲をつかむように両腕を空に向けて伸ばした。閉鎖された空間にいた少女にとって、屋上から遮る物のない海が見えたのは感激だったのだろう。
「ああっ、海が見える」
 そんな叫びを上げているだろうとも想像が付く。確かにあの高さから、美しい海と空が広がっているのが見えるはずだった。少女の髪が風になびいた。同じ風を地面の上で順平も浴びていた。夏の到来を予感させる風は、父と娘の間のわだかまりを吹き払うように澄んでいて涼やかで心地よかった。
 クレーンのアームが上向きに伸びて、ゴンドラは建屋の屋上の彰子に届いた。ゴンドラに乗り込んだ彰子が地上に降ろされるのを見届けた人々から、喜びの拍手が起き、その拍手は敷地の全ての人に広がった。
「エミリア。ありがとう」
 淳平はクレーン車に姿を変えたエミリアにそう語りかけた。そして、妙にタイミング良く到着した救急車から出てきた救急救命士に彰子を託し、部下の方を向いていった。
「後は頼む」
 今日の予定は中止で、後片付けが残っているだけだから、部下に任せても良い。
「その子の、父親です」
 淳平はその関係を明らかにして、彰子と共に救急車に乗った。ストレッチャーに横たえられた彰子が抗議した。
「私、どこも悪くない」
「それは、病院でお医者さんが判断する」
 淳平はそう言って口ごもるように、続く言葉をとぎれさせた。父親として考えることが山ほどあった。父親が黙りこくったことが、自分に向けた怒りだと感じたのかも知れない。そう感じたのか、彰子がぽつりと言った。
「父さん。心配かけて、ごめんなさい」
 そんな娘の言葉に、淳平は返事に困った。今日、ここにエミリアを連れてきた理由。娘の愛情が自分よりロボットに向けられる嫉妬。様々な出来事を、事態が落ち着いた段階で娘に正直に告白して詫びようと思った。
「いや、今までのことは、全部、お前のことを考えてやれなかった父さんが悪かった」
 現場技術者で言葉を飾ることが苦手な性格だが、自分の手を握った父の手のぬくもりで、娘は父の性格を良く理解して言葉を受け入れた。二人の隙間を埋めるには十分だった。
「エミリアはどうなったの」
 娘の言葉に淳平は首をかしげた。クレーン車に礼を言うという他人から見ればばかげたことをしたが、クレーン車の姿のエミリアから返事はなかったのである。
 救急車の中の照明が落ちた。電気の不具合かと考えた父と娘を、静かな歌が包んだ。

 おやすみ 愛し子よ この腕の中で いつまでも 変わらずに 見守り続けてる

 苦しみの時 悲しみの時 ずっと ずっと あなたに 寄り添い続けている

 たった いま この瞬間に あなたの そばにいられること

 いつまでも このままで いられますように

 幸せの時 満ち足りた時 あなたとともにいられるしあわせを

 エミリアの歌である。なるほどと、淳平はレスキュー隊員が呟いたことを思い出した。
「救急車を手配した覚えはないんだが」と、
 原発の姿をまとっていたエミリアは、彰子のために救急車を手配し、いまは、クレーン車からこの車の救命システムの中に移り住んで居たのである。
「おかえりなさい、エミリア」
 父と娘はどちらとも無くそう言った。二人を結びつけた家族が戻ってきたのである。父と娘の表情から、家族としてのぎごちなさが消え、エミリアの歌に包まれながら握る二人の手に優しく力がこもった。


 この事件で、エミリアは後世に興味深い技術的影響を残した。エミリアの子守ロボットとしての姿は、放射能によって機能を失った。ただ、その姿を測量ロボットや原子力発電所、さらにはクレーンから救急車の救命システムに姿を変えながら、彼女は人を補助するロボットとしての機能を保ち続けた。家族とともに生活してその性格や仕事を熟知していたこと、突然のトラブルの中で、与えられた責務を果たすために、学び取っていた記憶や機能を最大限発揮する必要にがあったという偶然の産物である。
 これ以降、ロボットは特定の姿を失って、思考そのものに特化した。状況に応じて様々な姿をとるのが便利だということである。ロボットは主人の身近にいてその性格や知識を吸収して成長する。思考とハードを結ぶインタフェースは規格化され、ロボットその用途に応じて適した体を取るようになった。この種の特定の体の無いロボットは エミリア型としてその名を語り継がれるのである。

                                     了


あとがき

星新一賞に応募した作品を補足改稿しました。改稿にあわせて文字を大きく読みやすくして、電子書籍も作り替えました。

20150302

 

 この作品でエミリア型と称されるようになったロボットの形式はやがて発展して、現代から約250年先には、(特定の体を持たない)思考ロボットと呼ばれるようになります。

 次の作品は、そんな思考ロボットが主人公を助けて活躍します。よろしければお読みください。

 

短編。火星の小さな町で、地球に故郷を思う老人と火星で生まれ育った少年の交流を描きます。

「アスカ物語 ~夢のかけら~ 」

http://p.booklog.jp/book/75892/read

長編。無謀だと笑われながら火星市民たちが宇宙船の開発に挑む話です。

「アスカ物語 ~アスカ誕生~」

http://p.booklog.jp/book/74823/read



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