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入賞作品紹介



《大賞1作品》
獲得☆4.059
『ラスト・スタンディング』
http://text-poi.net/vote/51/9/
著:晴海まどか

サークルのみんなで、海に行くはずだった。
なのに、目覚めたのは小さな住宅街。私たちの他には、誰もいない。街の人も、誰も。
先に目覚めていた一人が言った。「俺たち、なんか死んだみたいなんだよね」
細切れに届く事故のニュースと、不意に始まる殺戮……彼らは本当に死んでいるのか?
巧みな構成で先を予測させない青春バッドエンド作品が、てきすとぽい杯2人目の連覇を達成しました!




 

《入賞3作品》
獲得☆4.000
『夏の終わりの汚れたブルー』
http://text-poi.net/vote/51/6/
著:犬子蓮木

二年前の、夏。僕は海で溺れ、そして、助けられた。明るくて、とても綺麗な人に。
それから何度か二人で会い、やがて彼女は僕の恋人になった。ハッピーエンド。……表向きには。
心の奥に秘めた本音と、失われるはずだった命の重さと。その狭間で静かにのたうつ、
ハッピーエンドの裏側の物語が、高い評価を獲得しました。果たして二人の結末は――。
獲得☆3.933
『寄り道』
http://text-poi.net/vote/51/5/
著:塩中 吉里

この物語に登場するのは、むしろ目立たない、小さな料理屋です。
毎日通る道なのに、いつからそこにあったか分からない。でも、一度看板を目にしてしまったら、
気になってその場を離れられない。そんな店にある日、一人のサラリーマンが足を踏み入れ――。
繰り返される違和感が否応にもバッドエンドを予感させる、悪い夢に酔っているかのような作品でした。
獲得☆3.875
『みんなの笑顔のために』
http://text-poi.net/vote/51/2/
著:茶屋

誰かの役に立つこと。誰かの笑顔を守ること。ヒーローに憧れ、ただそれだけを心がけているはずが、
何をしても空回りし、何をやっても裏目に出てしまう日々。
けれどある時、たった一つ、守ることのできた少女の笑顔が、青年を思わぬ運命へと導いてゆく――。
一行ごと、一段落ごとに、バッドエンドを積み重ねていくかのような、アンチ・ヒーロー物語です。




 

《特別賞》
《お題の追加オーダー賞》
『人類の永遠の戦い』
http://text-poi.net/vote/51/8/
著:るぞ

「バッドエンド」では足らず、お題メーカーにて「草」「リボン」の二題を追加し、執筆された作品でした。
《大雪の夏賞》
『夏の終わりの汚れたブルー』
http://text-poi.net/vote/51/6/
著:犬子蓮木

記録的な大雪に見舞われた執筆オフ会場で、真逆の季節「夏」を主題に描かれた作品でした。
第14回入賞とのダブル受賞となります! 
《執筆オフ・ルポタージュ賞》
『バッドエンドについて』
http://text-poi.net/vote/51/11/
著:ayamarido

東京都知事選の前日でもあった執筆オフ前後の体験を、お題に絡めて軽妙に描いた作品でした。
(後日談もお楽しみください:http://p.booklog.jp/book/3746/page/2105406





――受賞された皆さま、おめでとうございます!
素晴らしい作品をありがとうございました。

(次のページから、作品が始まります。)

『ラスト・スタンディング』 晴海まどか

投稿時刻 : 2014.02.08 19:17
最終更新 : 2014.02.08 19:20
総文字数 : 2512字
獲得☆4.059
 電車に揺られていた。
 車窓越しにのどかな田園風景が果てしなく続き、流れていく。どこまでも見覚えのない風景。以前もこの近くを通ったはずなのに。電車と車では、同じ景色でもこうも見た目が異なるのだろうか。
 面白いくらい人のいない車両の一番端っこの席で、静かに窓にもたれかかる。ガラス窓に寄せた頬が冷たい。

          ◇

 私を揺り起したのは、阪峰くんだった。私が目を覚ますと、心底ほっとしたように笑みを向けてくれる。何かにつけて私にはもったいない彼氏である。おかげで若干の混乱しかそのときは感じなかった。
 私はなぜかアスファルトの上に倒れていた。小さな住宅街の中。首をめぐらすと、阪峰くんをはじめとした見覚えのある面々。ミナちゃん、橋本くん、堂下くん。阪峰くんと私も含め、みんな同じ英会話サークルの仲間だ。
 なんだか頭がぽうっとしている。そうだ、みんなで堂下くんの運転で、海に行く予定だったんだ。水着だって新調した。あれ、私のバッグはどこ?
「俺たちさ」
 口を開いたのは橋本くんだった。ミナちゃんにずっとアプローチをかけているけど、見事なまでに相手にされていないかわいそうな橋本くん。
「なんか、死んだみたいなんだよね」

          ◇

 電車は単線で、駅に到着するたびに通過待ちがあった。ドアが開いて、少し冷涼な空気が流れ込んでくる。
 ここに一人で来ることになるなんて。
 こみあげそうになる涙をのみ込んだ。私が泣く資格なんてない。

          ◇

 私以外の四人は、先に目覚めていたらしい。先に目覚めていた、ということからもわかるとおり、彼らも私と同様意識を失っていて、気づいたらこの街にいたそうだ。みんなで乗っていたはずの車や荷物は見つからず、着の身着のまま小さな街にいたのだという。
 わけがわからない。
「誰かいないの?」
 私の言葉に皆は顔を見合せ、首を振った。
「誰もいないんだ」
 いつも冷静な堂下くんは、こんな状況でもやっぱり淡々としていた。私は堂下くんの言葉に眉間にしわを寄せた。
「誰もいない?」
 と、そのとき、ズボンのポケットに入れていたスマホが震えたのに気がついた。誰かのスマホがメールを受信した音が聞こえる。
「さっきまで電波もなかったのに……」
 そうスマホを取り出したミナちゃんが短く悲鳴を上げた。ミナちゃんが先に悲鳴を上げていなかったら、私も上げていたかもしれない。
 見たことがないニュースサイトが表示されていた。
『大学生グループ、旅行の途中で交通事故 四名が死亡』
 見覚えのある大学名。そして、死亡した四名の身元は確認中との記載。事故現場は、まさに私たちが向かおうとしていた観光地。
「……今ここにいるの、何人?」
 ミナちゃんの言葉に空気が凍りついた。

          ◇

 電車が再び動き出した。なんとなく、両手を見る。
 あのとき、最初に動いたのは橋本くんだった。
 どこにそんなものを持っていたんだろう、突然ナイフを振りかざした橋本くんは、いきなりミナちゃんの首を切りつけた。円弧を描いて飛び散った赤いものは、私の両手に飛び散った。
 悲鳴など上げる間もなく、ミナちゃんが倒れた。
 静寂を破るように、再びスマートフォンが震えた。誰かの呑気な着信メロディが流れた。
「……やっぱりだ」
 突然の凶行に走った橋本くんは、一人スマホを取り出して笑んだ。
「ここは、死後の世界なんだよ」
 ニュースサイトが更新されていた。
『死亡者の身元が判明』
 ミナちゃんの名前が掲載されていた。
 血だまりの中に横たわるミナちゃんに視線を釘づけにしていた私の手を引いたのは阪峰くんだった。
 逃げるぞ、だかなんだか言われたような気がしたがよくわからない。
 手を引かれるがままに走って、でも街の出口は見つからなかった。
「ここ、本当に死後の世界なのかな?」
「……だったら、もう全員死んでるってことだろ」
 いつの間にか、私たちの後ろに堂下くんがいた。
「生と死の世界のはざまってところだろ」

          ◇

 目的の駅に到着した。自宅から、三時間もかかった。車だともっと近かったのかもしれない。
 網棚の上に置いていた大きな花束を手に、電車を降りる。
 潮の匂いが強い。海の近い田舎町だった。
 私たちが閉じ込められていたその世界はあまりに狭かった。すぐに追いかけてきた橋本くんに見つかって、阪峰くんと橋本くんが掴み合いになった。阪峰くんはなぜか拳銃を持っていた。橋本くんが額から血を流して倒れた。
「……すごいな」
 重みのありそうな黒い鉄の塊を手にした阪峰くんは、それを私と堂下くんの方に向けた。
「ほしいと思ったら、武器が出てくるんだ」
 阪峰くんがまっすぐにこちらに銃口を向けた直後、銃声が響き渡った。
 堂下くんまで拳銃を構えていた。阪峰くんが倒れる。
 今度は悲鳴が出た。肺にある限りの空気を絞り出した。いまだ状況を飲み込み切れていなかった頭が、ようやく回り出したのかもしれない。
 何、何、何、なんなのこれ。
 拳銃片手に、堂下くんはスマホを取り出した。例のニュースサイトを見ているのだろう。身元不明者はあと一人? 一体どんなひどい事故だったんだろう。
「……俺さ」
 何を考えているのかよくわからない、なんて評されることが多い堂下くんの笑みを、私は初めてみたような気がした。
「お前のこと、わりと好きだったんだよね」

          ◇

 花束を両手で抱え、ゆっくりと歩く。
 来たことがあるはずの場所なのに、どうしてこんなにも覚えていないんだろう。
 堂下くんが自分のこめかみを撃ち抜いたその瞬間、視界がブラックアウトした。気がつくと、病院の一室に私はいた。
 私は、事故での唯一の生存者になった。
 潮の香りがどんどん強くなる。さびれた観光地。みんなと来たはずなのにどうしてこんなに――
 ――覚えていないのかって?
 ふいに、聞き覚えのある声が脳裏に響いた。
「……ミナちゃん?」
 ――ニュースサイト、よく見てみなよ。
 記事にはリンクが貼ってあった。ひとつ前の記事。
 ――君はさ、まち合わせに間に合わなかったんだよ。あの日、僕たちに合流する前に……
 今度は阪峰くんの声だった。
『女子大生、電車のホームから転落』
 潮の香りが急に遠のいた。目の前に、あの住宅街が広がっている。
 橋本くんの声がすぐ後ろでした。
 ――やっぱりここは、死後の世界だったんだよ。
 振り返る。そこには、懐かしい彼らが揃っていた。


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。

『夏の終わりの汚れたブルー』 犬子蓮木

投稿時刻 : 2014.02.08 19:06
総文字数 : 2455字
獲得☆4.000


《入賞作品》
《特別賞・大雪の夏賞》
夏の終わりの汚れたブルー
犬子蓮木


 夏。海。僕は溺れて、そして助けられた。助けてもらった人と縁ができて、僕はその人と付き合うことになった。その人は綺麗な人で、僕みたいな何にも才能もなく、容姿も悪いような人間からすれば、もったいないぐらいな人だ。
 それなのに、僕の心の中には、わだかまり、もっと言えば違和感のようなものがある。
 僕はその人のことを嫌いなのかもしれない。
 なんどか会って、それから告白されて、それで返事をした。助けて貰った人に対して、断るなんていう選択肢が選べなかったのだと自分でわかっている。
 その人は僕のことを褒めてくれる。
「やさしいね」とか「ひどいことを言わないから」とか。それはいいのだけど、褒める言葉は僕を束縛するのだと僕は思っている。
 褒められたならそうしなければならないと、僕は貰った言葉を大切にしまい込んで、心の中で繰り返して、そうして、ほんとうの僕からずれていくことを我慢しなければならない。
 僕の中にはやさしくない一面がある。
 僕の中にはひどい言葉を発する一面だってある。

 XXX! XXX!

 そんな僕の我慢は命を救ってもらったという恩だけを重みとしていつまでも海の底へとゆっくりと沈んでいく。光の届かないプレッシャーばかり増えて行く海の中へと、深々と、暗く暗く。助けてもらったから。

 二年後の夏。蝉がじんじんと鳴き、汗が顔をつたって落ちていく日中に、僕とその人は駅前の喫茶店にいた。僕の実家に行って、両親に挨拶をしてきたところだった。
「緊張したね」
「そう?」僕は言う。
「それはするよ」
「あんまりそうは見えなかった」
 その人はいつも明るく。まぶしくて、どんな人ともすぐに仲良くなれる。僕の両親もすぐに気に入ったみたいで、僕になんてもったいがないと笑っていた。
「僕になんてもったいがないよね、ほんと」
「そんなことないよ」
 その人は、ほがらかに笑う。
「明日は海にいこう」
「なんで急に?」僕はたずねた。
「忘れたの? 記念日じゃない」
「僕が溺れた記念の日」
「そう。だから会えたでしょ」
 その人は、あの日のことを笑って話す。僕が死にそうになったときのことを。助かったから笑い話。それはそうなのかもしれない。僕も笑って話すことはある。だけど、そういう気分じゃないときだってある。でも、僕は笑っている。
 やさしく。
「はじめて私を見たとき、どう思った?」
「覚えてないよ、大変だったんだから」
 溺れて砂浜にあげられて、それからやっと目をあけたときにたぶんその人の顔を見たとは思う。
「天使みたいとかないの? そのとき好きになっちゃったとか」
「ないね。でもそのあとお礼に行ったときは綺麗な人だなと思ったよ」
 そういうとその人はまた笑ってくれる。いつものことだ。
 僕の頬から汗が落ちる。ふいに聞いてみたくなった。
「もし僕が嫌いだって言ったらどうする?」
「なにを?」
 僕は声に出さず。その人を見つめる。いつもみたいな笑顔がくずれて壊れそうになる。
「なんでそんなこと言うの?」
「ごめん。ただもしいつかそうなったときどうなるのかなって。未来は保証できないし、結婚は墓場だなんて言うでしょ」
「マリッジブルー?」
 またその人は笑顔を取り戻した。
 僕が不安になったら、僕を助けるのがその人の役目だって、思い込んでいるんだ。僕は僕だけで生きていけるのに、ほんとうは助けがいるのは自分のほうなのに。きっかけがあったから、役割が決まった。性格という表面的なものがあるから、周りから期待されて、束縛される。
「大丈夫だよ。私たちはそんなことにはならない」
「うん」
 僕は笑顔を作った。精一杯に笑った。それが僕がしてあげられる唯一のことだから。僕はあのとき助けられたから、消えてしまうはずだった残りの人生の使い道を目の前の人に委ねることになったのだ。
「じゃあ、明日は海ね」
「うん」

 海。都内からすぐに行ける海は基本的にきたない。黒くて、ゴミが浮いていて、それでも大勢の人が我慢して楽しんでいる。
 僕もその人もデートになんかふさわしくなく泳いでいた。僕はあの日、助けられたけど、実際のところ泳ぐのは得意だった。あのときは足がつって溺れたけど、普通に泳げば負けたりはしない。
 もし、今、隣にいる僕の結婚相手が溺れたら、僕は全力で助けるだろう。そうすれば僕と相手をつなげる重く苦しい鎖の束縛は消えてなくなるかもしれない。
 どちらが優位でというわけではなく。
 対等に。
 はじめて向き合えるかもしれない。
 そんな切なる願いも当然、叶うこともなく、僕らは砂浜にあがった。
 眩しい太陽が綺麗なその人を照らす。プロモーションのポスターみたいに美しい人間が真夏の海で輝いている。僕はそんな眩しい人を映すカメラで、記録する媒体だった。
 いつかその人が明るい過去を思い出したくなったときに僕というデバイスを動かして、「どう思った?」なんて僕のスイッチをいれる。
 そうして、僕はゆっくりと、美しい歴史の語り部となる。
 僕の人生はそのために存在している。
 僕が助けられたとき、そう決まった。
 恩がある。だから僕はそれで良いと思っている。ただ、僕はその人のことを好きではないのに、僕も好きだと錯覚したままなのは失礼じゃないかという葛藤があるだけだ。
 それでいいのかはわからない。
 たぶん近いうちに崩壊の瞬間が訪れるのかもしれない。
 そうであればいいなと思い、そうなってほしくないとも思う。
「あついなあ」僕は思わず声をこぼした。
「もういっかい行こうか」
「うん」
 僕らはまた海に向かって、僕はひとり内緒のお願いを神様にする。叶う確率はほとんどない。体にまとわりつく水分は海の水と罪悪感からの汗だろう。暑いからだなんて嘘は、内心でもつきたくはない。一番大事なところで嘘つきなくせに。
 海に走ってはいって、深くなったところで泳ぎ出す。僕はその人を追い抜いて、海の中で、汚い水に包まれて、孤独を感じる。ゴールにしていたブイに辿り着いて追いつて来たその人のまばゆい笑顔を見る。
 だから来月、夏の終わりに、僕らは契りを結ぶのだ。
 やっぱり僕は、その人のことを、好きではないままなのだけど。      <了>

『寄り道』 塩中 吉里

投稿時刻 : 2014.02.08 19:02
最終更新 : 2014.02.08 19:13
総文字数 : 2297字
獲得☆3.933


《入賞作品》
寄り道
塩中 吉里


 会社を出るときは必ずタイムカードを切る。最寄り駅まで歩くのにかかる時間も、下り電車がやってくる時間も、把握している。
 だから腕時計を見ずとも、帰りの途上で今が何時なのか分かる。あの時間に会社を出たのだから、このドラッグストアの前を通るときは、九時二十五分を少し過ぎた頃だろう、といった具合だ。普段なら、帰宅中の現在時刻など、あまり気にしない。最寄りのスーパーの閉店時間? それは自炊を行う者だけが気にしていればいい。どうせ夜食は二十四時間営業のコンビニエンスストアで買うのだし。
 私が、寒風吹きすさぶ中、わざわざ足を止め、手袋とコートの隙間に埋まっていた腕時計を、そでをまくってまで見直したのは、繁華街に軒を並べているくだんのドラッグストアを通り過ぎたところで、少し意識に引っかかる看板を見かけたからだ。
 お食事処。
 どんぐり亭。
 午後九時から十時。
 左矢印。
 看板には、そう書いてある。矢印の先を見ると、民家と見まごうような、背の低い平屋の一軒家が、両隣のドラッグストアと雑居ビルに押しつぶされるような格好で建っている。入り口は木の引き戸のようで、幅が狭く、それがまた民家らしさを助長している。だがそんな見た目の情報はわりとどうでもいいことで、私の気を引いたのは、一時間しかない営業時間の短さと、常日頃から通勤路として使用していた経路にこのような店があったのかという、純粋な驚きの二つだったのだ。
 手首が冷たかった。
 腕が冷えることと引き換えに、腕時計は正確な時間を教えてくれた。九時二十七分。
 寒い。
 辺りには良い匂いがただよっている。
 肉じゃがに似ている。
 寒いな。
 二十七分なら、まだ大丈夫そうだ。
 大丈夫そうだって、なにが?
 寒さは思考を断片化させる。ぼんやりした自分自身に問いを投げかけて、ようやく私は、この良い匂いの出所と思われるどんぐり亭に入ろうとしているおのれを自覚した。
 引き戸には擦りガラスが入っており、中の、明るいだいだいの色味が強い光を透かし見せている。
 私は手袋も脱がずに戸を引き開けた。
 途端に、中からふきだした、むっとする熱気が顔に当たる。店の中は外観の通りに狭く、手前がカウンター席で、客は三人いて、私はほんの少し安堵して、後ろ手に戸を閉めた。
 カウンターの内側には店員が二人いた。あたたかな湯気の出どころは、しかしカウンターの中ではなかった。カウンターの奥にカーテンが引かれており、その向こうから、熱気はふきだしてくるようだ。火を扱うときは、奥の厨房に引っ込むのだろうか。一通り店内を見渡して、私の目は二人の店員のところに戻ってきた。
 そういえばいらっしゃいませの一言もかけられていない。
 そういう、店なのだろうか。
 そのとき、とんとん、という音がした。音はカウンター席の一番奥から聞こえてきた。客の一人が、指でカウンターを叩いていた。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
 指が合図だったのだと言われても信じてしまいそうだった。突然、私のほうに向き直り、声をそろえて挨拶をしてきた店員に、少し辟易する。厭な店だと感じた。なぜこんな店に入ってしまったのだろう。
 あの、食事を。
「メニューはこちらになります」右の店員が言う。
 では、その。カレーライスを。
「かしこまりました」左の店員が言う。
 心にもないことを言ってしまった、と思った。カレーなど食べたくなかった。だが、早くこの店から出たかった。カレーならば作り置きをしているだろう、すぐに食事が出てくるだろう、という打算の結果の注文だった。
「カレーライス!」左の店員が、奥の厨房に声をかける。奥にも誰かがいるらしい。
 カウンター席の、空いている席は二つで、私は入り口に一番近い席を選んだ。
 他の客は、肉じゃがみたいなものを、たぶん肉じゃがなのだろうが、その肉じゃがをぼそぼそと口に運んでいた。ときおり、カウンターを指でとんとんと鳴らす客がいる。その意図は分からなかった。店員は、反応することもあれば、無視することもあった。しばらくすると、奥の厨房から、白い湯気がただよい出てきた。
 その間私はおとなしく待っていた。
 気づまりな空気の中、カレーが出来上がるのを待っていた。
 しゃべることもはばかられる、厭な気分だけが増してくる時間だった。
 そうこうしているうちに、いつの間にか、腕時計は九時五十五分を指していた。もう閉店時間も近いというのに、カウンターの中にいる二人の店員は、奥の厨房を急かす様子もなく、ただ突っ立っている。
 すでに他の客は、皆、出されていた皿を空にしていた。だというのに誰も帰らない。カウンター席に座ったまま、立ち上がらない。ただ、思い出したかのように、ときおり指でカウンターを叩くだけだ。
 あの。
 私がとうとう声を出したのは、いよいよ時計の針が九時五十九分を回ったときだった。
 もう帰ります。
 そう言って、席を立った。気は急いていたのに、足は痺れていた。痺れがおさまるのを、私は半ば焦りながら待った。
 ようやく動けるようになって、カウンターに背中を向けて、引き戸に手をかける。戸の隙間から冷気を感じる。外は寒いだろうが、そんなことはどうでもよかった。力を込めて戸を引くと、手ごたえが返ってきた。
 開かない。
 戸は開かなかった。
 腕時計の針は十時を回っていた。営業時間は終っていた。
 とんとん、と音がした。
 とんとん。
 とんとん。
 振り返ると、二人の店員が、三人の客が、皆が私を見ていた。皆がカウンターを指で叩いていた。
 とんとんとんとん。
 だんだんと音がそろってくる。同調するように、奥の厨房から漂い出ていた白い湯気の勢いが強まる。
 とんとんとんとん。
 間仕切りしているカーテンがゆらめいた。

『みんなの笑顔のために』 茶屋

投稿時刻 : 2014.02.08 18:48
総文字数 : 1598字
獲得☆3.875
 誰かの役に立ちたい。
 誰かのために何かがしたい、そう思って生きてきました。
 たぶん子供のころ見たアニメか特撮の影響だと思います。
 つまりは皆の笑顔を守るヒーローになりたかったんです。
 でもまあ所詮ヒーローになるなんてのは夢物語ですよね。
 だから、諦めました。諦めたといって全部が全部を諦めたわけじゃないんです。
 ヒーローにならなくてもいい。皆の笑顔じゃなくてもいい。
 目の前の、誰かの笑顔を守る。
 身近なところからやっていけばいい。
 けど、それが難しいんですよね。意外と。
 急な階段を上る老人を手伝ってあげようと荷物を持ってあげると泥棒と勘違いされたようで荷物の掴み合いになり、勢い余って老人が階段を転げ落ちて行ってしまったこともありました。すぐに老人を助け起こそうとしましたが、もう息がありません。
 また別の時には貯水槽の周りで遊んでいる子供がいたので注意することにしました。ちょっと声をかけるだけじゃ効き目がありませんので大きな声でしっかり怒ります。すると子供は驚いてしまったようで、その拍子に用水路の中に落ちてしまいました。
 はじめから大それたことをやるからいけないのです。もっと小さなことから始めなければいけなかったのです。
 街の掃除から始めてみました。空き缶やら何やらを拾って一か所に集めます。すると集めたところに自転車に乗った高校生が突っ込んできて、そのまま前のめりに車道に飛び出し、そこへ車がやってきました。
 またある時は、迷惑駐輪を整理しました。まあよくあることですが、自転車と自転車のあいだが狭いので、自転車にぶつかってドミノ倒しというのがあるわけです。それが倒れていった先にまあ、ね。
 そんなわけでやることなすこと裏目に出てばかり。一向に誰かの笑顔を守ることはできていません。
 そんな私にも転機が訪れました。
 ふと夜道を歩いていると、一人の少女が息を切らして走ってくるではありませんか。
 さらにその後ろから数人の男が後を追ってきます。
 少女は私を見た瞬間助けを求めるわけです。
 私はその瞬間、奮い立ちました。
 これこそ子供のころの夢。
 ヒーローになれる瞬間ではありませんか。
 私は体中に力が沸き立つのを感じました。
 もう相手が屈強な男だろうが、銃を持っていようが関係ありません。
 たちまちのうちに黒服の男たちを叩きのめすと、少女のほうを振り返ります。
 笑顔です。念願の笑顔です。純粋で、可憐で、優しさのこもった笑顔。
 いえ、どんな笑顔でも良かったというのが、間違いだったのです。
 守りたかったのは、この笑顔だったのだと、確信しました。
 このかけがえのない笑顔を守っていかなければならない。そう強く感じました。
 その後も、彼女を追うものたちは現われましたが、私は政府の人間だろうが軍の戦闘兵器だろうがどんな強敵が現われても負けませんでした。
 彼女の笑顔を守って見せる。
 たとえ、どんなことがあろうとも。
 まさにヒーローです。
 笑顔を守るヒーローになったのです。

 でも、彼女の笑顔を守ることはできませんでした。

 結局、誰の笑顔も守ることはできませんでした。
 みんな、みんな。
 死んでしまいました。
 誰も笑ってはくれません。
 私が守った彼女の笑顔。
 私が守った彼女自身が、すべての元凶でした。
 彼女はウイルスのキャリアーだったのです。彼女の体液に接触した人間は皆ゾンビになってしまい。ゾンビの体液に接触した人間は皆ゾンビになってしまいます。
 彼女は症状が出るのが遅かったようですが結局ゾンビになってしまいました。
 もう笑ってはくれません。
 皆、皆、ゾンビになってしまいました。
 もう誰も笑いません。
 生き残ったのは、何故かウイルスに耐性のあった私だけ。
 耐性といってもゾンビにならないだけで影響は受けています。
 今思えば銃弾で死ななかったのも、異様な力を発揮できたのもウイルスのせいなのでしょう。
 私一人だけが生き残り、誰も笑ってくれないこの世界で、
 私は、ゾンビを殺し続けています。


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