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4 ある日の出来事

領地の、ファントレイユの友達に6つも年上の、アロンズが居た。

彼は執事の息子で、暗い栗毛の青い瞳の、大理石のような白い肌のとても利発そうな子供で、彼らよりようんと背が高く、大人びていた。
いつも地味な身なりはしていたが、とても綺麗な、神話の若く凛々しい神様のような顔をしていて、ファントレイユは彼がいつも優しいので、とても懐いている様子だった。

 彼の年の離れた妹はファントレイユ達より2つ年下で、いつもアロンズにまとわりついてた。

あまり顔立ちのいい女の子じゃなくて、赤毛でそばかすだらけで、神秘的な美男の兄と同じ血が流れてると思えなかったが、ファントレイユもアロンズもとても彼女を大事にしていた。

彼女は二人に優しくされると途端、無邪気に微笑む。
その笑顔が素晴らしく愛らしくて、二人が彼女を大切にする理由がレイファスにも解った。
だがアロンズは毎度、レイファスのとても可憐な美しさに見とれてた。

アロンズはそろそろ異性を意識する年頃だったし、実際女の子にモテていた。
だがどの女の子よりもそれは可愛らしく可憐なレイファスの一際人目を引く美貌には、男の子だと解っていても、必ず頬を染めて見とれる。

レイファスは気づいていて、それはにっこり微笑んでみせたりするから、ファントレイユはレイファスが何か企んでいて、アロンズに愛想を振りまいているな。と感づいた。

 レイファスが、尋ねる。
「アロンズはもう大きいから、一人で村に買い出しに行く事も、出来るって本当?」
妹のサイシャに聞いたんだな。と、アロンズは笑った。
「でも、本当に伝言くらいだ。
支払いとかの、お金は持たせて貰えないんだ」
ファントレイユもレイファスも、セフィリアにそれはきつく、領地の外出を禁止されていた。
でも領地内はそれ程広く無かったし、セフィリアや召使いに見られず暴れ回るには、それは、苦労した。

 彼らを探す召使いの姿が見えると途端、二人とも騎士ごっこの木の枝を引っ込めて隠さなければならなかったので。
外れの小川や大木の辺りに長く居ると決まって誰かが、二人の姿を探しにやって来る。
レイファスはもう、その監視体制の厳しさにうんざりの様子で、領地の外へ冒険しに出かけたくてうずうずしていたし、ファントレイユにもそれは良く解ってた。

 ある朝とうとうレイファスがセフィリアに尋ねる。
「アロンズは今日も、領地の外に出かけるの?」
セフィリアは微笑んで頷く。
「ええ。使いを頼んだわ」
この所二人がアロンズとその妹サイシャと過ごしている様で、セフィリアにはそれが嬉しかった。アロンズは彼女も認める、息子の友達としては及第点を遙かに超えた、優等生だったので。
レイファスはセフィリアの返答に
「そう」
と頷き、会話を終わらせる。
セフィリアはアロンズが出かけるので、この後は遊べない。とレイファスが納得したと思ったが、ファントレイユは違ってた。
チラ。とレイファスの、その表情に微塵も出さない思惑を、読み取ろうとする。

相変わらず、ファントレイユの父親不在の朝食だった。
彼の父は身分もそう高く無い、笑顔の可愛い人好きのするハンサムで、ファントレイユの髪も瞳も、父親譲りだった。

なかなかの美男子で、それは美人の彼の母親と結婚したが喋のような男で、ひらひらとご婦人の間を渡り歩いて、家に戻らない事しばしばで、実はレイファスは彼の父親と、殆ど会った事も話した事も無かった。
ファントレイユに言わせれば彼の母親が、夫があんまりしつこくじゃれてくるのでうっとおしくなって、余所で遊んで来いと言った所、その通りになったそうだ……。

 この話を聞いた時、レイファスは何も言えなかったが、ファントレイユもそれで話を終わらせた。
ファントレイユはレイファスを始終伺ったが、レイファスはすました顔で朝食を終えた。

「…何か、考えてる?」

ファントレイユにそっと聞かれ、レイファスは途端、にっこり全開で笑う。
彼がファントレイユに見せるそのとても可愛らしい笑顔は
『悪巧みを実行するぞ』
と言う合図で、ファントレイユは一瞬身が震った。

 朝食後、レイファスは領地の外へと出かける支度をしているアロンズの側にまとわりつく。
アロンズは小さな荷台を馬に繋いでいた。
レイファスはそっと横に付くと、覗き込んで尋ねる。
「…出かけて、荷物を載せて、ただ帰って来るだけ?」
アロンズは尋ねるレイファスに振り向き、優しく笑った。
「それも、うんと近くの農家だよ?」
「村じゃないの?」
レイファスの喰い付きに、ファントレイユの嫌な予感がますます高まる。
「村と言えば…村かな?
農家が五軒くらい集まってて、ちょっとした小さな雑貨屋があるし…。
そこで自分の買い物を、してもいい事になってるんだ」
「何を買うの?」
「砂糖菓子とか…。火打ち石とか。ペン軸とか…。
雑貨だよ」
アロンズは荷台の上に、丈夫な布を掛けた。布の下には空の籠や樽が乗っていて、レイファスが確認していたのをファントレイユは知っていた。

「もう、行くから…」
アロンズがレイファスに微笑み、レイファスはにっこりと頷く。
アロンズが馬に跨る隙に、レイファスはさっと荷台へと回り、乗り込むと布の下へと、一気に潜り込む。
ファントレイユはあっと言う間に姿の見えなくなるレイファスを、呆れて見た。
レイファスが、布の下から手招きしてる。ファントレイユはそれは躊躇したが、もうアロンズは馬に拍車を入れていた。
ガタン…!
荷台の車輪が音を鳴らす。
じき、動き出す。
レイファスがまだぐずってるファントレイユに向かって、来い!と合図を送り、ファントレイユは荷台がゆっくり動き出すのを見、慌てて乗り込む。
アロンズが、ふ、と視線を荷台に送った。
その小さな台を見たが、布が僅かに揺れているだけだった。
風かな?
アロンズは思ったが、そのまま馬車を走らせた。

 小さな荷台の中は樽が邪魔してはいたものの、空の籠の上に乗っていればファントレイユとレイファスくらいの小さな子供にとって、丁度良い空間だった。
「…レイファス!絶対まずいよ!」
ファントレイユが小声で言うが、レイファスはにっこり笑うだけで、ファントレイユはますます焦って顔を寄せ、ささやく。
「アロンズには、絶対にバレる!」
「…そりゃ、バラすよ?」
「…だってアロンズは、僕達を連れて行くなんて、一言も……」
しっ!とレイファスが唇に指を当て、門を通るのだ。とファントレイユは気づく。
門番のじいやがアロンズに気安く、門を開けて通す。
小さな荷台を引いた馬車は、ごろごろとまた、道を転がり始めた。

 レイファスはもう、わくわくしているみたいだった。
が、ファントレイユは、もしバレたらアロンズがひどく叱られる。と思うと、気が気じゃなかった。
レイファスはファントレイユの心配が解ってるみたいに、物知り顔でつぶやく。
「近くの農村ならそんなに危険だって、無いはずだろう?」
「でも………」
ファントレイユの領地の周辺はあまり警備が厳重で無く、盗賊達が時々ここより少し離れた森によく身を隠し、それで余計ファントレイユの外出を、セフィリアは阻んでいた。
「…でもごろつきが良くうろついてるって。時々、がらの悪い男も出入りしてるって聞いた」
だがレイファスは頷きながらつぶやく。
「セフィリアがそれだけ気を配ってるんだ。アロンズだってまだ11だろ?
そんな危険な所に一人で行かせる許可なんか、セフィリアは出したりしないよ」
「それは…。
そうかもしれないけれど……」
ファントレイユの心配そうな表情に、レイファスは微笑んだ。
「そんなに長い時間じゃないし、大丈夫さ!」

 ファントレイユはため息を、付いた。
確かにレイファスは、今迄上手くやって来てる事は解ってる。
だけど………。
言いつけを、破った事どころか荷台に隠れて門の外へ出る。
だなんて、ファントレイユにとって一度だってした事は無かったし考えた事すら、無かった。
が、二人が乗って暫くだった。
荷台が止まり、レイファスは、だろ?とファントレイユを見る。
その場所は門の前の道を少し左に入った辺りで、木々をかき分け進むと領地の周囲を取り巻く石塀が見えるんじゃないか。
と言う位、近かった。
布の間から覗くと、アロンズが農家の納屋に入って行くのが見える。
「…荷物を積むのかな?」
暫くしてアロンズが、籠の上に果物をいっぱい乗せて戻って来た。
農家の女将さんが微笑んで彼に、おみやげも持って行って。と笑い、アロンズは頷いて荷物を、荷台に乗せる為近寄って来た。
アロンズが籠を置いて布を取り払う前に、レイファスが布の下から姿を現す。
ファントレイユはあんなにびっくりしたアロンズの顔を、見た事が無かった。
まるで天地がひっくり返ったような驚きようで、レイファスがとてもしょげた表情でアロンズに謝罪する。
「…ごめんなさい………」
アロンズはまだ、口がきけなかった。
ファントレイユはどうしていいのか解らなかったが、彼もレイファス同様布を払って立ち上がる。
「…ファントレイユ……君迄?」
ファントレイユはとてもすまない。といった表情で、やはりアロンズに謝罪した。
「…ごめんなさい」
アロンズは暫く、どうしていいのか解らないようだった。
が、レイファスは上目使いにアロンズを見、つぶやく。
「ファントレイユを誘ったのは、僕なんだ。僕の領地でやっぱりアロンズ位の子が農家にお遣いに行く時、良く荷馬車に乗せて貰っていて…。
なんだか懐かしくて、つい、乗っちゃったんだ」
ファントレイユはレイファスを見た。
勿論レイファスの嘘だ。
彼の所だって領地から出たりしたらそれは、怒られる筈だった。
でも全部嘘じゃないのは、その子供とレイファスは内緒の取引をしていて、レイファスはこっそり領地からしょっ中、抜け出している。という事だ。

 アロンズはそれは大きな、ため息を付いた。そっとレイファスに屈み、つぶやく。
「もう少し、隠れていてくれる?」
レイファスは、こくん。と頷く。
「君達みたいに目立つ、綺麗な子供が一緒だって解ったら直ぐ奥様に解ってしまう」
レイファスはつぶやいた。
「君の困るような事は、しない…」
その、とても素直な様子に、アロンズは優しく頷いた。
レイファスはファントレイユを促すと一緒に荷台に屈み、アロンズから受け取った果物籠を、荷台の隅に置いた。

 そうして、三軒目の農家を訪れた時だった。少し手前でアロンズは馬を止めると、その隅の大木の下に、居てくれと二人に頼んだ。
「…樽を入れ替えるから、君達が乗っていたら農家の旦那に見つかってしまう。
これを、食べてていいから」
アロンズはさっきの農家で貰った干しりんごを二人に渡し、大木の隅に居る彼らを振り向き、微笑みを送る。

 風がさやさやと頬を撫で、気持ちのいい緑に囲まれた場所で、とてものどかだった。
「美味しいね」
レイファスが笑うと、ファントレイユもつい、微笑んで頷く。
干しリンゴは少し甘酸っぱく、木の葉のさざめく音を聞き、爽やかな風に吹かれながら食べていると、屋敷の庭で食べるより何倍も、美味しく感じられた。
がさっ!
音に、振り返ると少し離れた、生い茂る木々や丈の長い草むらの向こうに、一人の青年が遠ざかる姿が見え、振り向くその顔に、ファントレイユは見覚えがあった。
農家から、良く卵だとか焼きたてのパンだとかを届けていたフレディと呼ばれる、アロンズよりは少し年上の、黒髪で色黒の少年で、でもいつの間にかセフィリアに、出入り禁止を喰らった子だった。

 ファントレイユが見ると、フレディは振り向いたまま、大木の下に居るファントレイユを、じっと見つめている。
年の割に体格が良く、黒に近い焦げ茶の巻き毛と浅黒い肌をしていて、黒に近いグレーの瞳をしていた。
まるでファントレイユがそこに居るのを、さっきから知っていたように暫く、じっと見つめ続けている。
レイファスがフレディのそんな様子につい、不安になって、隣に並ぶファントレイユにそっと、耳打ちする。
「…ガラの悪い知り合いだね?」
ファントレイユはそう告げるレイファスを見る。
「以前、屋敷に出入りしてた。
アロンズも知ってる子だよ」
アロンズと一緒だから、大丈夫。と、ファントレイユは言ったつもりだったが、レイファスは彼がアロンズより年上で、その上体格もいい様子に少し眉を寄せ、不安げな表情を見せた。
「君も何度か、顔を合わせた事があるの?」
ファントレイユは頷く。
「初めは、他の子達と一緒に少し遊んだけど…。
でももう遊び友達にしてはいけない。って、セフィリアに言われた」
レイファスは、頷いた。
「年上過ぎるから?」
ファントレイユは首を横に振る。
「そうじゃなくて…。
少し、乱暴な所があるからって」
「君に、乱暴な事をした?」
ファントレイユは、レイファスを見た。
どうしてそんなに聞くのか、不思議だったが答えた。
「そうでも、無いけど…。
溝に落ちそうになった時、でも助けてくれた」
「セフィリアはそれを見ていたの?」
ファントレイユは頷く。
「…君を助けたのに、どうして遊び友達から外すんだろう?」
ファントレイユはその時の事を思い返す。
「…落っこちないよう抱きしめられたけど…その後暫く僕を離さなくて、セフィリアはそれが気に触ったみたいだ。
フレディが言うには、自分はあんまり清潔じゃないから僕に触るのをセフィリアは嫌がるんだ。って。
…けど」
ファントレイユがふ…と、思い出したように口にし、レイファスは彼を覗き込んで尋ねる。
「けど?」
ファントレイユは躊躇ったが、口を開く。
「…セフィリアは僕と遊ばせる子は、大抵お風呂に入れて綺麗にした後遊ばせる。何日もお風呂に入ってないデッロだって、僕と遊ぶ時はまずお風呂に入れられたって」
レイファスは眉間を寄せると、覗うような秘やかな声音で尋ねる。
「…その時フレディは君に何か、ヘンな事をしなかった?」
「ヘンって?」
「君、だって女の子みたいだし」
ファントレイユはもの凄く、むっとした。
「僕もそうかもしれないけど。
けど君の方がうんと女の子に、見えると思うな!」
レイファスは、そんな事はとっくに知ってる。と肩を、すくめる。
ファントレイユがそれは怒ってるみたいで、レイファスはもう口を開かなかった。
が直ぐにアロンズは戻って来る。
二人は揃って荷台に乗り込んだ。
樽は中味がいっぱいになっていて、たっぷん、たっぷんと音を立てた。

 村の真ん中の、広場に面した場所に雑貨屋があり、アロンズは布の下の二人にささやく。
「もう少し待っていて」
二人はこっくり頷いた。
アロンズは直ぐ戻り、荷台はまた動き始める。
けど暫く行くと、止まった。
足音がし、布を少し上げてアロンズが、二人に向かって微笑みを見せる。
「もういいよ。少しここで休もうか?」
レイファスは嬉しそうに微笑った。

 片側が木の立ち並ぶ森で、目前には草原が広がっていた。
風が吹き渡り、花々のいい香りがする。
アロンズは布を敷いて、二人をその上に座らせた。
なのにアロンズは布の上で無く草の上に腰掛けるのを見て、レイファスは不思議に思って尋ねる。
「アロンズは布に座らないの?」
「…だって君達の服は、汚す訳にいかないだろう?」
とても優しくそう言われ、レイファスは潔癖なセフィリアの事を思い出すと、少し項垂れてそうだね。と頷いた。

 三人の前にはミルク壺とコップ。それにいちごのパイ。ハムと野菜がサンドされたバーンズが並んだ。
「わぁ…!」
レイファスが、はしゃいだ声を立てる。
「でもあんまり食べて昼食が入らないと困るから、少しにしてね?」
レイファスは思い切り頷く。
ファントレイユも頬を紅潮させた。
確かに、そんな気持ちのいい場所での内緒の食事は、いつもより倍以上美味しかった。
それに、凄い開放感があった。
言いつけに縛られてない。その事がこんなに違うのか。と思う程。
ファントレイユはレイファスがどうしていつもそんな危ないマネをして抜け出すのか、解った気がした。
「男の子なのに、冒険も無いなんて!」
レイファスはいつも言っていた。
女の子みたいと言われる顔立ちと躾けのせいなのか、彼は折角自分が男の子で産まれたんだから、男の子に出来る事を全部、したいと思ってるみたいだった。
だけど…。
冒険を、ファントレイユも気に入った。
それはとてもわくわくした。

 食事の後、アロンズは後かたづけをし始め、二人はその辺を歩き回った。
レイファスは苺の実を見つけて夢中になる。
夜食のおやつにしよう。と、少しずつ場所を変えては草の中のそこら中に姿を見せる、赤く熟れた実を次々と摘み始めた。
ファントレイユはレイファスの様子を見ていたけど、つい気をそらすと近くのうっそうと茂った森の木立の下に、フレディの姿を見つけた。
手招き、してる。
ファントレイユは誘われるように彼の方へと歩を進めた。
フレディはファントレイユが側に来ると肩を抱いて、皆から見えないよう木立の影に隠す。
「久しぶり」
フレディが言うので、ファントレイユはどうして彼がそんなにこそこそしてるのか解らなかったが、返した。
「どうしてたの?」
フレディはそっと立木の影からアロンズやレイファスの様子を伺い、つぶやく。
「アロンズに見つかるとあいつ、奥様に怒られる」
「どうして?」
「俺と話しちゃいけないって、あんたの母親に言いつけられてるからさ。
もっと奥へ行こう」
フレディが強引に手首を引っ張るので、ファントレイユは少し不安になった。
手を、振りほどこうかとも思った。
が小声でフレディにささやく。
「レイファスが心配する」
フレディは振り向くと、請け合う。
「大丈夫。遠くに行かないから」

 少し奥まった辺りに小さく粗末な小屋が見え、小屋の後ろに回り込むと、木で出来たみすぼらしい長椅子があった。
「ここなら、誰にも見られない」
フレディがファントレイユを腰掛けさせ、その横に掛けた。が、ファントレイユは一度も二人切りになった事の無い相手と一緒に居る事に、不安を覚え始めた。
がフレディは彼を見て、笑う。
「…遠く、無いだろう?」
ファントレイユは頷く。
フレディは気さくに話しかける。
「よく、あの奥様が出してくれたね?」
ファントレイユが途端、俯く。
「…アロンズがまさか、こっそり出してくれたの?
あいつ、絶対しないと思ったのに」
ファントレイユは顔を上げる。
「アロンズは、絶対しない」
フレディは笑った。
「じゃ、勝手に出てきたのか?」
ファントレイユはしょんぼりするように、こくん。と頷いた。
顔を下げていると、フレディの視線が食い込むみたいに感じ、顔を上げてフレディを見る。
殆ど黒に見えるけど、少し光に透けるような濃いグレーの瞳がじっと見つめていて、つい尋ねる。
「…顔に何か、ついてる?」
フレディは首を横に、振った。
そして何か…言いたげだった。
途端、だった。
フレディが被さったと思った瞬間、唇を塞がれたのは。
ファントレイユは訳が解らず抗ったが、直ぐに椅子に押し倒され、背を、木の板に押しつけられて頭を掴まれてのし掛かられ
る。
フレディの体はアロンズよりもずっと大きく、優しい感じのアロンズとさえ、こんなに近くに密着した事なんて無かったのに良く知らないフレディの、大人に成りかけた青年の体の下敷きにされ、ファントレイユは恐怖を覚えた。
唇に、ねっとりとしたフレディの唇の感触がして、ぞっとして身もがくが、フレディの体はファントレイユよりもずっと大きくて、逃げ場なんか全然無い。
唇が、いつ離れるかとファントレイユは震えながら待ったが、フレディは口づけたまま、手を衣服に潜り込ませ探り始める。途端ファントレイユの脳裏に、服を脱がそうとしていたセフィリアの友達の、息子達の姿が蘇える。
フレディも、自分が本当に男の子かどうか確かめたいんだろうか?
その時恐怖が消え去り、怒りが沸いてきた。
だったらどうして。
自分に聞いたりせずに、こんな乱暴を働くんだろう?
フレディの唇が、離れたら言ってやろうと思った。
が、フレディの手が衣服をはだけて素肌に滑り込むと、なぜるように触ってきて、その感触にファントレイユはぞっと総毛立った。
彼が、思ってるのとフレディの考えは違うような気がして。
でもフレディがどうしてそんな事をするのかさえファントレイユには解らず、ただ込み上げる恐怖と不快感につい、身が震った。そして思わず…。
がっ!
フレディの体が少し浮いたのを機に、ファントレイユは膝を曲げ、フレディの体を思い切り蹴り上げた。その隙に逃げ出そうとしたが、咄嗟に手首を掴まれ、引かれてまた抱き寄せられ、今度はフレディは乱暴にもっときつく、抱きしめてきた。
ファントレイユはその時本当に、実はフレディは野獣なんじゃないか。と思った。
チラと目に映ったその顔は、怒りに歪んでから。
「いや…!」
ファントレイユが大声で叫ぶ。途端、フレディの手が口を塞ぐ。ファントレイユは必死で身もがいた。
が足を掛けられ、殆ど転ぶようにして地べたに叩き付けられ、押し倒され上からのし掛かられて髪を掴まれ、また唇を、唇で塞がれた時は、恐怖にぞっ。と鳥肌が立った。
直ぐそこにレイファスが、いる筈だった。
レイファスはさっきの声に気づいてくれるだろうか?
でもそうじゃなかったら…!
髪を掴まれ、首を振ろうとする度引っ張られて痛くて、顔にのしかかられて唇を、ずっと塞がれている。
ファントレイユはもう、息が苦しくなっていた。
身動き取れないくらいにきつく唇を押しつけられ、ファントレイユは呼吸出来なくて必死でフレディの大きな体の下で、身もがいた。
なのに…フレディは、止める様子を見せずに逆にもっと、押さえつけてくる…!
殺す気なんだろうか…?
ファントレイユが本当に、息が苦しくて怖くて、体ががたがた震え始めた頃、ざっ!と音がして突然フレディが体の上からどいた。
顔の横に立ち上がったフレディの足が見え、そして頭上で、殴り合う音がする。
がつん!
「大丈夫?」
気配に振り返ると、心配そうなレイファスが覗き込んでいた。
ファントレイユは二度、咳き込む。
レイファスが背を、抱え起こしてくれた。
目前で、アロンズとフレディは殴り合っていた。
レイファスをそっと見ると、彼はファントレイユの背を支えたまま、アロンズの様子を食い入るように見つめてる。
ファントレイユはそっ、とそちらに振り向く。どう見てもアロンズの方が背も低くて体格も劣り、不利だった。
ファントレイユは少年達が、真剣に殴り合う様を初めて見た。

がっ!
拳を握りしめたフレディが、アロンズの顎を思い切り殴り、アロンズは顔を歪ませ吹っ飛ぶ。
レイファスはじっと静かにそれを見つめ、ファントレイユにささやく。
「一人でも、大丈夫?」
ファントレイユは軽く頷く。
がっ!
また、アロンズが殴られていた。
そして腹を蹴られ、蹌踉めいていると襟首をフレディに、乱暴に掴まれる。
ファントレイユは身を屈めたレイファスが、近くにあった木の太い枝をそっと掴むのを見た。
襟首を掴まれたアロンズは、そのままなぶられるようにフレディの拳を二発、顔に喰らう。
三発目をフレディが喰らわそうとした時、レイファスは後ろから咄嗟にフレディの背中に思い切り、木の枝を振り入れた。
がっ!
フレディは背を激しく叩かて振り返ったが、その小さな邪魔者に凄まじい目を向け、木の枝を掴むとそれを持つレイファス毎、思い切り振り払った。
軽いレイファスが、吹っ飛んで地面に叩き付けられる。
でもそれを見たアロンズが、猛烈に怒った顔でフレディの腹を思い切り蹴った。
一発。二発。そして三発目を蹴り入れようとした時、フレディは蹌踉けながら慌てて、その場を逃げ出し始めた。
アロンズは威嚇するように足で蹴る仕草をし、フレディは一度振り向いたがそのまま、森の奥へと駆け去って行った。

 アロンズは直ぐに、レイファスの側に寄った。
レイファスは顔を歪めていたが、被さり様子を伺うアロンズにそれでも
「大丈夫」と言い
「それよりファントレイユを見てあげて」と、つぶやく。
アロンズが、ファントレイユの横に座る。
ファントレイユは半身を起こしていたが、アロンズの優しい気配に一気に緊張がほぐれ、気づくと彼の胸に突っ伏して、しがみついていた。
アロンズは労るように暫くそうしてくれたけど、やがて抱え上げて馬車の荷台迄運んでくれた。

 荷台にアロンズは、今度は布を、掛けなかった。
ファントレイユは隣に座るレイファスを見た。目の横に、擦りむいた傷を作っていたが、レイファスはじっとしていた。ファントレイユが見つめているのに気づくとそっ、とレイファスの手が動いて、はだけた胸元を直してくれた。
レイファスは全然口を、利かなかったけど、ずっと労るようにファントレイユにその身を、寄せてくれていた。
まるでローダーの時の、返礼だと言うかのように。

 屋敷に戻ると大騒ぎで、セフィリアは暫くファントレイユを、抱きしめて離さなかった。
ファントレイユが呆然としていて口をきかないので、レイファスは『休ませてあげて』と、セフィリアに頼み、ファントレイユは自室に連れて行かれ、レイファスも暫く一緒に無言で横に、たたずんで居てくれた。
が、レイファスはファントレイユが、ローダーの時してくれたようには自分に出来ないと解ったのか、直ぐに彼を置いて、部屋を出ていった。

 ファントレイユは何が起こったのか良く解らなかった。が、その暫く後セフィリアがやって来て、もう何も心配はいらないわ。と言い、額に口づけ、スープを飲ませ
「もし眠れるなら少しお休みなさい」
と掠れた声で耳元でささやく。
そして、側に居て欲しいなら…と言ったので、ファントレイユは一人でも大丈夫。と告げた。
もし、もっと幼い時みたいに、セフィリアに付いて貰ったりしたらレイファスに“赤ちゃん"とからかわれる気が、したからだ。

 ファントレイユは寝台に潜り込んだが、自分に何が起こったのか、やっぱり解らなかった。けれど、唇に感じたあの不快感だけは取れず、直ぐに体を起こしてはごしごしと唇を拭う。
レイファスが疲れた顔をして部屋に戻り、ファントレイユが唇を、拭っているのを見た。
ファントレイユは慌ててそれを止めた。
レイファスは寝台に腰掛けると、ファントレイユに尋ねる。
「気色悪い?」
尋ねられて、ファントレイユはどう答えていいのか、それは戸惑った。
が、黙って俯く。
レイファスはそれを見て、頷いた。
「気色、悪いんだな?」
ファントレイユは自分の心をレイファスに読まれ、つい頬を、赤く染めた。


5 男の子


 朝ファントレイユはやっぱり、洗ったと言うのにまだ唇が不快な気がして、唇を袖で拭っていた。
朝食の席に行く時庭でアロンズの姿を見つけ、ファントレイユは駆け寄った。
「アロンズ…!」
アロンズは少し青冷めていたけど、やっぱり優しい瞳を向ける。
「大丈夫?いっぱい、怪我をしたんでしょう?」
ファントレイユが聞くと、後ろにいたレイファスが言った。
「男の子はどれだけ痛くても、殴り合った後は痛いだなんて、絶対言わないんだ」
アロンズは一層微笑むと、レイファスを見た。
「君も、そうかい?
でもひどく地面に叩き付けられたんだろう?
背中がうんと、痛かったんじゃないか?」
ファントレイユは不安げにレイファスを覗う。
いつも一緒の寝台で休んでるけど、夕べは先に眠ってしまった。
「…でも名誉の負傷は例えどんなに痛くても、痛くないんだ」
そう言ったレイファスは本当に男の子に見えて、ファントレイユはつい彼をまじまじと見つめた。
アロンズは笑って、レイファスの髪を撫でる。
レイファスはまるで同志からの賞賛を受けるように、少し誇らしげだった。
「でも、ファントレイユは深刻なんだ」
レイファスがそう言うと、アロンズが肩を落とし、少し悲しげな表情をファントレイユに向ける。
ファントレイユはどうしてもアロンズの顔を見る時、その形の綺麗な引き締まって優しげな口元に視線が、吸い付いて困った。
自分がどうしてそんな場所が気になるのか解らず、ついアロンズに見つめ返され目をそらす。
けどレイファスにはその理由が、解ってるみたいだった。
「…とてもまずいお菓子を食べた後って、気分が最悪だけど、その後美味しいお菓子を食べると良くなるよね?」
アロンズはレイファスが何を言い出すのかと、目を丸くした。
ファントレイユには途端、レイファスの言った意味が解った。
フレディでうんと気持ちが不快だった。
…だから…アロンズの口元がとても気になるのは、大好きなアロンズに口づけてもらったら、不快な気分が直るんじゃないか。
そう、ぼんやり考えていたし、レイファスにもその事を知られてしまった。と気づいたからだ。
レイファスに、聞きたかった。自分はそんな風に、アロンズの事を見つめてたのかって。

 レイファスはフレディだけで無くアロンズも同様、ファントレイユの事を凄く綺麗な子供だと思っているのを知っていた。
それでレイファスは続ける。
「アロンズも、見たろう?
ファントレイユはフレディに口づけられて、凄く気分が最悪に不快なんだ。でももし、アロンズが………」
アロンズはレイファスの言ってる意味を察し、途端飛び上がりそうに声を跳ね上げる。
「僕が………?だって、僕は………」
そしてファントレイユの視線に気づき、そっと彼を見る。
アロンズに驚かれ、ファントレイユは凄く恥ずかしくて頬を赤く染め、俯いてしまった。
いつも…年の離れた親友同士のような付き合いだった。
だから…幾らフレディが変な事をしたからって、同じ事をその親友に頼むだなんて、きっとうんと…アロンズはびっくりしたろうな……。
ファントレイユは俯いたまま、もうアロンズの口元を見るのは止めよう…。そう固く思った。
が、レイファスは尚も言う。
「…でもアロンズに口づけられたりしたらきっと、美味しいお菓子を食べた時のように、ファントレイユの凄く不快な気分が直ると思うんだ」
「じゃあ、レイファスは僕がファントレイユにとっての、美味しいお菓子だと思うの?
…でも…」
アロンズはチラ…。と俯くファントレイユの、とても綺麗で人形のような顔を見つめ、そっと慌てて小声でささやく。
「…ファントレイユはそう、思ってないと思う」
ファントレイユはそれを聞いてますます真っ赤に成る。
が隣のレイファスに肘でつつかれ、か細い声でつぶやく。
「…とっても、呆れてると思うけど…。
レイファスの、言った通りなんだ」
それだけを、やっとの思いで吐き出す。
けど途端アロンズの声が、とても気の毒そうに、心配そうに成った。
「そんなに不快だったの?」
レイファスが後を継ぐ。
「ずっと、唇を袖で拭ってるんだ。うんとすすいだのに」
ファントレイユはもっとうんと、下を向いた。
あんまり恥ずかしくて、顔がアロンズから、そっくり隠れるように。
アロンズのため息が、また、頭上で聞こえる。
ファントレイユはアロンズがもの凄く呆れていて、二度と親友に戻れないんじゃないか。と、真っ赤になってうなだれた。
だが、アロンズの手が、顎にそっと触れる。
そして顔を、上げさせられた。
その時、ファントレイユがいつも、神話の美しい神様みたいだ。と思っているアロンズの顔が間近に瞳に映り、ゆっくりとその顔が寄せられるのを、うっとりとした気分で見つめた。
そしてその唇が押し当てられた途端、その初々しくて優しい感触に
『レイファスの言った、美味しいお菓子だ』
…そう、アロンズの事を感じた。

 まるで夢見心地で、うっとりとした気分になって、昨日の不快な出来事が魔法のように消えた気がした。
彼の、暖かな唇が離れると、ファントレイユは残念な気がした。
滅多に食べられない手作りのチョコレートの、残りの粒が二粒になった時の、落胆に似ていた。
アロンズが、顔を上げる。そして心配そうな表情を向けてつぶやく。
「気分、直った?」
レイファスは、ファントレイユの顔に書いてある。と言いたげな表情を見せ、ファントレイユに顎をしゃくる。
アロンズはファントレイユの、少しうっとりした表情を見て頷いた。
そしてファントレイユに、屈んで尋ねる。
「もう、唇を拭わないね?
あんまり擦ると、真っ赤になってその内ひりひりして、飲み物を飲んだりすると、きっと痛むよ?」
ファントレイユは素直にこくん。と頷いた。
「もう、拭わない」
アロンズはそれはにっこりと笑った。
けれどファントレイユがあんまり、アロンズの事をうっとりと眺め続けるのでとうとうアロンズの方も顔を赤らめ、用があるから。とその場を、そそくさと去って行った。
レイファスが、つぶやいた。
「君、自分の事女の子みたいだって言われると怒るけど…」
ファントレイユはいきなり正気に戻ると、レイファスに
『何を言い出すんだ?』とばかり、直ぐ様言い返す。
「そりゃ、怒るよ」
「アロンズは君に見つめられて真っ赤だった。
女の子にあんなに熱い瞳で見つめられても、そうならないのに」
ファントレイユはレイファスを、見る。
何を言いたいのか、さっぱりだった。
「だから?」
レイファスは解っていないファントレイユの様子に肩をすくめた。
こまっしゃくれて、女の子より可愛いレイファスにそんな事を言われるなんて、凄く心外だ。
…そう、ファントレイユの顔に書いてあったので。

 でも、レイファスの言った事はじきに、ファントレイユにも解るように、なった。
アロンズはそれ以来ファントレイユを、避け出したので。
ファントレイユの姿を見ると少し頬を赤らめ、彼のやって来る反対の方向へと、姿を消してしまう。
ファントレイユがアロンズの背を見送り、それは気を落とす様子を、レイファスは見て肩をすくめた。

 昼食後だった。ファントレイユはアロンズの姿を見つけ声を掛けようとした。が、アロンズはその視線を、避けた。
レイファスが隣で見守る中、ファントレイユは何か言いたげにそれでもアロンズの横顔を、じっと見つめ続けた。
アロンズは振り向くが、ファントレイユの視線を受けると悲しげに眉を寄せ、俯き、何も言わずその場を立ち去る。
ファントレイユが声も無く落胆する様子につい、レイファスは声も掛けられなかった。
が自分から逃げるように背を向け去って行ったアロンズの後を、ファントレイユがそっと追うのに、レイファスは付いて行った。

 アロンズは屋敷の裏庭で、時々頼まれ物を屋敷に届ける農家の女の子と、会っていた。
彼女が何か告げ、二人は話し込んでいたが暫く見ていると、アロンズは悲しげな表情の彼女の頬に手を掛け、そっ、と、ファントレイユにした時みたいに、その女の子に口付けた。
ファントレイユは暫く、呆然とその様子を見つめていた。
アロンズは顔を上げると彼女に微笑み、恥じらって嬉しそうな彼女の肩を抱いて、その場を歩き去って行った。
ファントレイユが、言葉も掛けられないくらいに消沈している様子が、レイファスにも解った。
まるで自分を失くしたみたいに、人形のように無表情で静かに部屋に、戻る。
「…ファントレイユ」
レイファスが声を掛けても、彼は聞こえてない様だった。
大好きなアロンズに、助けて貰って、不快な気分を直して貰って、素直な彼は凄く嬉しかったのに、その後ずっと避けられ続けたのは随分悲しい事のようだった。
いつも自分を抑える事に馴れているファントレイユが、どうして自分を避けるのか、アロンズを捕まえて問い正したりしなかったから彼の心の傷は余計、大きく成って行った事も、レイファスには解っていた。

 レイファスが暫く席を外し、部屋に戻った時だった。
人形のような表情の無い彼の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ、頬に滴っていた。
レイファスはそっ、と彼の、横に付いた。
そして、尋ねる。
「どうして泣いているのか、聞いていい?」
ファントレイユはいつもならきっと、慌てて涙を、拭って隠したろうに、その時はしなかった。
まるで、涙が流れてる事なんか気づいて無いように俯いたままつぶやく。
「…僕にとって、アロンズは美味しいお菓子だったけど、アロンズには、違ってた。
僕がまずいお菓子で…あの女の子が、彼にとっての美味しいお菓子なんだ」
レイファスは言葉を無くした。でつい、何か言おうと口を開ける。がその言葉を自分が言ったところで、ファントレイユは納得しないに違いない。そう思い、止めてその場を、後にした。

 レイファスはアロンズの姿を見つけると、その背に怒鳴るように叫ぶ。
「ファントレイユは貴方に嫌われていると思って、泣いている!」
アロンズはびっくりして、慌ててそう言うレイファスの横に来た。
「…どうして………?泣いている?ファントレイユが?」
レイファスは頷いた。
「僕が言ってもどうせ何も聞こえないんだ。だから貴方が言わないと。
ファントレイユは自分の事が貴方から見たら、フレディと同じ毛虫のように嫌な奴なんだと思い込んでいる」
アロンズは心底びっくりした表情で戸惑うようにレイファスの顔を、覗った。
「毛虫…?どうして?!」
「貴方にとって自分がまずいお菓子で、さっき裏庭で会っていた女の子が美味しいお菓子だって。
親友だった貴方に、自分がフレディみたいな嫌な奴だと思われてるのが凄いショックみたいだ」
「…自分の事、そんな風に思ってるの?どうして?」
「だって貴方に、避けられたから」
レイファスが言うと、アロンズは顔を揺らす。
「…避ける気持ちも、解るけど。
僕がどれだけ貴方は悪く無いって言っても、セフィリアは聞かない。第一ファントレイユがフレディの側に寄りさえしなければ、抜け出した事、バレたりしなかった」
アロンズは青冷めてつぶやく。
「…ファントレイユの事を恨んで、避けてたんじゃないのに…」
「でも、ファントレイユはその事を知らない。
僕もセフィリアに、貴方が去る迄ファントレイユに言わないって口止めされた。でも貴方は口止めされてないんでしょう?だってセフィリアは
『お別れを、言っていいわ。貴方方はとても、仲良しだったから』
そう言った。
このまま姿を消しちゃうの?
ファントレイユに、何も言わないまま?」
アロンズはとても真剣な瞳でレイファスを見つめた。
「ファントレイユは、どこに居るの?」
レイファスは、付いて来い。と言うように、先を歩いてアロンズを促した。

「…ファントレイユ」
アロンズが姿を現すと、ファントレイユは途端、俯いた。
涙がまた、頬に滴った。壊れてるみたいで、自分でもどうしようも無かった。
アロンズはそっ…と、ファントレイユの横に来た。
「…自分の事、まずいお菓子だと思ったの?」
アロンズに優しく言われて、ファントレイユは俯いたまま顔を揺らす。
アロンズの、ため息が聞こえた。
「君は一生の内一度食べられたらいいと言う位の、高級なお菓子だと思う」
ファントレイユが、その言葉にびっくりして思わず顔を上げる。
アロンズがまだ頬に涙を伝わせるファントレイユを見つめ、つぶやく。
「僕みたいな庶民は、そんなお菓子を食べられるだなんて夢を見るのは辛い事なんだ。
いつでも食べられる、食べ馴れたお菓子の方が安心なんだ」
レイファスは見守ったが、ファントレイユにはてんで意味が、解って無いようだった。
戸惑うように、言葉を絞り出す。
「…だっ…て、僕なら高級なお菓子が食べられたりしたら、きっと…とても嬉しい」
アロンズは頷いた。
「でも、また食べたくなったら?もっとずっといっぱい、食べたくてもそれは本当に滅多に、食べられないんだ」
ファントレイユにはようやく少し意味が、解った気がした。親戚のマグールおばさんの手作りチョコは、一年に一度しか食べられないし、それが猛烈に食べたくなっても我慢しなくちゃならなかったから。
でも………。
「…僕……は、どうして高級なの?だってアロンズとは仲がいいし、アロンズが食べたくなっても、僕は嫌だなんて決して思わないのに?」
アロンズが、とても切なげに眉を寄せる。
「ファントレイユ。君は貴族のお坊ちゃんで僕は使用人なんだ」
でも、ファントレイユには解らなかった。気持ちの間にどうして身分が入り込むのか、理解出来ないようだった。
「…もう、きっと会えなくなるから。君ももう少し大きくなったら直解ると思う」
ファントレイユが突然アロンズに顔を向け、怒鳴る。
「それ……どういう意味?!」
レイファスもびっくりしたがアロンズもそうだった。が、アロンズは言葉を続ける。
「…このお屋敷を、出るんだ。ランツ様のお屋敷で執事見習いをする」
ファントレイユの、涙がいきなり止まった。
「だって!アロンズはこの屋敷の執事になるんじゃないか!
どうして余所へ行くの?!」
ファントレイユは怒鳴り、そして涙でぼやけた頭が突然鮮明になった。
「…セフィリアが、そう言ったの?アロンズは悪くないのに!僕を庇って怪我をしたのに?!」
「…でもきっと僕がここに居たら、僕は君達に甘いから奥様の言いつけより君達の言葉を聞いて…君は又、危ない目に合うかもしれない」
ファントレイユが、きっ、と顔を引き締めた。
「だってそれは全然間違ってる!」
そしていきなり手を床について立ち上がると、ファントレイユはそのまま駆け出して行った。
レイファスとアロンズはあまりの彼の突然の行動に、暫くお互いの、目を見交わし合って沈黙した。

「セフィリア!」
ファントレイユは室内に入るなり、彼女のドレスにしがみついて叫ぶ。
「アロンズを、屋敷から出さないと言って!
僕が悪いんだ!彼は全然悪く無い!」
セフィリアは小さな息子に屈むと、彼の頬を両手で挟み、その綺麗な小さな顔を見つめ、優しくささやいた。
「レイファスもそう言ったわ。でもファントレイユ。そういう事じゃないの。
彼はとても優しいから、もし又あなた方に頼まれたら嫌と言えないでしょう?」
「僕はもう絶対、アロンズを困らせない!そう約束したらアロンズを出さない?」
彼女の小さな息子がこの間友達の息子に怪我をさせた時、セフィリアはようやくファントレイユが少しずつ男の子らしくなってきているのを知った。が、今回幼い彼が襲われた事を、どうしても無視する訳には行かない。
「貴方を、護る為なのよ……。私がどれ程大切に貴方の事を思ってるか、アロンズだって知ってるからこそ承知してくれたのよ?」
だがファントレイユはきっぱりと言った。
「セフィリアは間違ってる。アロンズは護ってくれた。自分が、怪我して迄。
そんな人を追い出そうとするだなんて、絶対違ってる!」
セフィリアはそれでも、愛する息子を見つめ、ささやく。
「もう、決まった事なの。相手のお屋敷も彼の受け容れを待ってるわ」
ファントレイユはいきなり表情を歪めるとセフィリアの腕を払い退け、机の上のペーパーナイフを、咄嗟に掴む。
「…ファントレイユ!」
セフィリアの、叫ぶ声がした。

 レイファスとアロンズが室内に入った時、ファントレイユは自分の喉に、その細い銀細工のナイフを押し当てていた。
「…何やってるんだ?!」
レイファスも我を忘れ、ファントレイユに怒鳴る。
が、ファントレイユは真っ直ぐ母親を見つめ叫ぶ。
「セフィリア。アロンズに悪い事をしたのは、僕だ!
何も悪く無いアロンズが咎めを受けるんなら、僕は自分を、もっとひどく罰しなくちゃいけない!」
セフィリアは震えていた。
「…冗談でしょう?ナイフを引いたり、しないわね?」
だがファントレイユは両手でナイフを、自分の喉に押し当てたまま叫ぶ。
「セフィリア。取り消して!」
ファントレイユは主張を、引っ込めなかった。
セフィリアは青ざめたまま、だがそっとファントレイユに近寄ってささやく。
「ともかく、ナイフを離して……。
話合いをしましょう。お願いよ。ファントレイユ」
だが、ファントレイユには解っていた。
セフィリアは僕が本気で自分を傷つけるなんて思ってはいず、ただの脅しでちゃんと話せば今まで通り、大人しくて聞き分けの言い彼女の息子は絶対、自分の意見に従うだろう。
そう思っている様子が。
レイファスは一瞬、ファントレイユのブルー・グレーの瞳が真剣に煌めくのを見た。
そして慌てて叫ぶ。
「駄目だセフィリア!お願いだ!
ファントレイユは本気だ!
本気で……誰か、止めて!!」
レイファスの、悲鳴のような声が室内に響き渡った。
ファントレイユが、ナイフを自分の喉に押し当てたままさっと引きかけたその時、アロンズの手がその腕を、飛びかかって捕まえた。
セフィリアは両手を口に当て、アロンズからナイフを取り上げられたファントレイユの首に赤い血が、滴るのを見た。
アロンズに抑えられてもまだ、ファントレイユは叫んだ。
「アロンズを出すんなら、僕はこの先いつだって自分を罰するから!!」
セフィリアの瞳に、涙が浮かんだ。
そして震える手で口元を押さえ、涙声で叫ぶ。
「出さない…出さないから……。お願いよファントレイユ。お願い。自分を、傷つけないで……!」
ファントレイユはまだ、何か言いたげだった。
レイファスの、真剣な青紫の瞳が自分に向けられてようやく、自分が最愛の母に投げかける言葉がどんなに残酷か、思い当たって口を閉ざす。
…でも貴方は、僕が自分を傷つけなきゃならないような事を無慈悲にも決断したんだ。
貴方が僕を、傷つけるも同然の事を…………。
そんな事を、言うつもりだった。
いつも大切に護り、慈しみ、どんな危険からもくるむように抱え守りながら愛してきた母親にとってそれは、とてもひどい言葉だろう………。
ファントレイユを傷つける気なんて、毛頭無いセフィリアにとっては。

 セフィリアはもう、泣いて、アロンズは止血しようと、ハンケチを取り出し、レイファスは誰か!と大声で叫んでいた。
召使い達が駆けつけ、ファントレイユの首の傷を看た。幸い、深く傷ついてはいなかった。が、傷を抑える薬草を付け、布で首をぐるぐる巻きにされた。
ファントレイユはでも、まだ痛みを感じる様子無く、きっ。とした表情を崩さない。
レイファスが、そっと言った。
「君の、勝ちだ」
ファントレイユはその言葉に気づき、レイファスを見る。
そしてようやく、自分のした事を、見回した。

 アロンズは泣きそうだったし、レイファスは疲労したように力が抜けた様子で、セフィリアはハンケチを使用人に差し出され、床に、泣き崩れていた。
ファントレイユはそっ、とセフィリアの横に付くと、抱きしめてくる彼女の腕にくるまれる。彼女は顔を上げ、布の巻かれた小さな首を見つめた。
「…本気だったの?本気で………」
彼女はその傷を見、唇をひどく震わせる。
がファントレイユは少し、笑った。
「だって、セフィリアはいつも言ってたじゃないか。
本気で誰かに物を言う時は、どれだけ本気かちゃんと、相手に教えないといけないって」
だがそれを聞いて、セフィリアはもっと泣いた。
ファントレイユは彼女のそんな様子に、困ったようにレイファスを見た。
が、女、特に母親の気持ちの解っていないファントレイユのまずい言い回しに、レイファスは思い切り、肩をすくめて駄目出しをした。


6 男親

 アロンズは屋敷を去らなくて良くなったが、近所の屋敷へ執事見習いに通う事に成った。
一緒に居る時間を、減らそうというセフィリアの思惑で、ファントレイユはそれには何も言えなかった。
ファントレイユはでも、アロンズの姿を見かけると微笑んで声を掛けようとしたが、アロンズは行った先の屋敷で女中見習いをしている女の子を良く、連れて帰って一緒に過ごしている様子だった。

 いつもの昼食後の晴れた庭で、アロンズが女の子と一緒に彼の部屋へと引き上げる背を見送って、ファントレイユがそれはがっかりする様子にでも、レイファスはアロンズがとっても気の毒だ。と言うため息を付いたが、ファントレイユがそれに気づく風も無い。
以前のようにアロンズと、一緒の時間を過ごせなくなってとてもがっかりしてるファントレイユを見、レイファスは諭すようにささやく。
「解ってないと思うけど。君、アロンズの事、どんなふうに好き?」
ファントレイユは顔を上げて、レイファスのその可憐な可愛らしい顔立ちを見つめる。
鮮やかな栗毛が午後の爽やかな風になぶられ、ほつれ毛を飛ばしてた。
でもその意志の強そうな青紫のくっきりとした大きな瞳で見つめられ、ファントレイユは戸惑うようにささやき返す。
「どんなふうに…?
だってずっと一緒に遊んだり、話をしたりしていたのに。
第一君は女の子はライバルだって言ってたのに、アロンズが女の子と居ても、知らんぷりだよね?」
ファントレイユがむくれたようにそう言うと、レイファスは笑った。
「だって僕は男の子だし。可愛いって憧れてくれたって、どうにもならないじゃないか。第一アロンズはいい奴だから、楽しそうに女の子と付き合ってたって、邪魔する理由は、無いだろ?」
ファントレイユは少し、肩を落として溜息を吐く。
「でも、僕らと居る時間をもう、作ってくれないみたいだ」
「…それって、凄く寂しい?」
ファントレイユはレイファスの顔を見ると、こくん。と頷いた。
「口づけされて、凄く嬉しかった?」
ファントレイユは途端思い出し、頬を紅潮させてつぶやく。
「君の言った通り、美味しいお菓子だった!」
レイファスは、困ったように少し背の高い彼を見上げる。
「ファントレイユ。君、自分が男の子だって、ちゃんと解ってる?」
ファントレイユはいきなり現実に引き戻されて即答した。
「当たり前だ。どうして?」
「だって普通口づけって、男女がするもんだろう?」
ファントレイユの眉が、いきなり寄った。
「…じゃ、フレディはやっぱり、僕の事を女の子だと思ってたの?」
レイファスは、知らない。と肩をすくめた。
「…それをアロンズに頼んだりしたから、アロンズは僕に呆れ返って、もう付き合いはよそうと思ったのかな?」
「でもアロンズはきっと君が男の子だと解ってても、凄く君の事が好きみたいだ」
ファントレイユはますます、眉を寄せた。
「だってそれは、おかしいじゃないか…。
好きなら、もっと一緒に居たいと思わないの?
アロンズはどう見ても僕の事避けてる。絶対、僕に呆れて嫌いになったんだ!」
レイファスはもう一つ、ため息を付いた。
「ただでさえ身分違いなのに、その上男の子を好きになんてなったらお先真っ暗だ」
ファントレイユが、目を見開いて尋ねる。
「お先、真っ暗って?」
「終わってるって事」
ファントレイユの眉間に、更に深い皺が刻まれた。
「つまり、僕の事が好きだと終わってるって事?
どうして?だって今までは好きだったろう?
避けてるのは嫌になったからなんじゃ、ないの?」
ファントレイユのいかにも混乱する様子に、レイファスはとうとう処置無し。というように肩をすくめた。

「いょう!べっぴんさん!」
ふざけた声が後ろからし、ファントレイユだけでなくレイファスも同時に振り向いた。
午後の穏やかな陽の中、木立の下の垂れ下がる枝を払いながら笑みを浮かべる、滅多に見ないファントレイユの父親が、そこに居た。
「おや。べっぴんさんが二人だったか!」
ファントレイユは途端に微笑むと、背の高い父親の腿に抱きつく。
その人好きのする美男は陽気に笑って息子の背を抱きしめた。髪の色は二人共がそっくりだった。
彼はファントレイユに屈み込むと、言った。
「顔を、良く見せてくれ。ああ、ますますセフィリアに似てきたな?」
レイファスが見ていると、確かにファントレイユはその髪と瞳で人外の者に見える程神秘的だったが、父親はどう見ても普通の、人間に見えた。
だがファントレイユの形のすっとしてとても綺麗な鼻筋は、父親そっくりだった。
その通った鼻筋が、彼の父親をとても品良く見せている。口を、きかなかったらの話だけど。
突然現れた父親はレイファスをじっと見つめると
「そりゃ、大人になったらぞっとするな?
軍だけには、入っちゃ駄目だぞ?
男達の気が、それは迷うからな!」
と言った。
レイファスは、いきなりとても失礼な言動を陽気に叩き出す男を見つめ、どう対処しようか、迷った。
隙を見つけ、恥をかかせて仕返ししたかったが、何と言ってもファントレイユの父親だ。
ファントレイユが無邪気に尋ねる。
「それ、どういう意味?」
「男はべっぴんに、大層弱いって意味さ!」
言ってその男は息子の髪を、くしゃっ!と掻き混ぜた。
ファントレイユは彼が好きらしかったが、父親は
「セフィリアは?」と聞き、そのまま、行ってしまった。
レイファスは、久しぶりの父親の背中を、もっと構って欲しそうに眺めるファントレイユにつぶやいた。
「僕の所もそうだけど。君のお父さんも自分の奥さんに夢中なんだな?」
ファントレイユはレイファスに、そっと振り向く。
「君も父親に、あんまり遊んでもらえない?」
レイファスは頷く。
ファントレイユも途端、大きなため息を付いた。
レイファスが、言った。
「…だからいつも母親の意見が僕らの行動を、縛るんだ」
ファントレイユが、相づちを打つように大きく、頷いた。

「ゼイブン………」
セフィリアは目を丸くした。
彼は名を呼ばれて微笑むと、愛妻セフィリアを抱きしめる。
「会いたかった」
「そう思われるんなら、もっと頻繁に帰ってらしたらいいのに」
午後のお茶の支度を、真っ白なテーブルクロスの上にしている女中頭に嫌味を言われても、彼は怯む様子を見せなかった。
「どちらに、行っていらしたの?」
セフィリアに聞かれ、ゼイブンは彼女に微笑む。
「君の兄上は家の事情を良く、知ってらしてね。
今度は南領地ノンアクタルだった。いつも必ず一番遠い場所に飛ばされる」
「私が頼んでる訳じゃないわ」
セフィリアが素っ気なく言うと、ゼイブンは笑った。
それでつい、セフィリアは夫に嫌味を投げかける。
「で?南にはエキゾチックな美女が、さぞかし多いんでしょうね?」
ゼイブンはそれはにっこり、微笑むとささやく。
「でも、君が一番だ………」
セフィリアはそう言って顔を寄せてくる夫に、冷たい視線を送った。

 ファントレイユとレイファスは、テラスでお茶をしている母親と乱入する父親の姿を、庭の大木の影で、腰掛けて見つめていた。
会話は筒抜けだった。
「君のお父さん、『神聖神殿隊』付き連隊だっけ?」
レイファスが聞くと、ファントレイユは頷いた。
「なら、アイリス叔父さんの、部下なんだな?」
ファントレイユは頷いて言う。
「セフィリアが、実家は大貴族なのに父さんは違うって。本当は随分、兄上の前じゃ恥ずかしいって…。
どうして、恥ずかしいのかな?」
「セフィリアが、ブラザー・コンプレックスだからさ。兄さんのアイリスがあんまり立派で、君の父さんが見劣りするんだ」
「ブラ………?」
「セフィリアの兄さんのアイリスが、君の父さんよりうんと格好いいって事!」
「…………………」
ファントレイユはつい、俯いて黙り込んだ。
が顔を上げる。
「アイリス叔父さんに、会った事ってある?」
レイファスは頷いた。
「家に来た時、一度。
でもアリシャ(母親)に慌てて部屋から、追い出された」
「僕は大きな背中とか…家に入るのを二階の窓からしか、見てない。
どうして紹介してくれないの?って聞いたら、セフィリアは、もっと大人に成ったら。って」
レイファスは事情を、父親のカレアスから聞いて知っていたが、ファントレイユは知らないみたいだった。
「…一度、ゼイブンと並んで出かけるのを見かけたけど、ゼイブンよりも背が高くって、セフィリアそっくりの顔でうんと恰好良くって、とっても綺麗な男性だった」
レイファスは、頷き口を開く。
「…社交界でも、とてもモテてるって」
ファントレイユはそっ…。と、そう言うレイファスを見た。
「…だから…セフィリアはゼイブンよりアイリスが良いのかな?
僕がゼイブンの息子だから…アイリスより見劣りするから、セフィリアはアイリスと、会わせたく無いのかな?」
自分の事が、みっとも無くて恥ずかしい。と、セフィリアに思われてるんじゃないか。と疑問を抱くファントレイユに
『それは違う』
そう言うつもりだった。
がその時、セフィリアの低く激昂した声が響く。
「…ファントレイユが襲われたのよ!貴方、父親としての自覚が全然無いのね!」
ゼイブンはセフィリアを見つめて尋ねる。
「襲われた?
だって君が領地の外に出さないだろう?
屋敷に押し入られたのか?」
「…レイファスと一緒に、抜け出したのよ!
それで…素行が悪くて出入り禁止した、フレディって使用人があの子を………」
セフィリアは思い出すのもぞっとする、という様に体を震わせる。
ゼイブンは、再会の口づけはお預けだな。と言わんばかりにタメ息を付くと、彼女の元を離れ、木陰に座るファントレイユの横に腰掛けた。
「フレディに、襲われたって?」
ファントレイユはまた、暫く離れても忘れないように、という表情で、父親の顔をそれはじっ。と見つめていた。
「…女の子と間違われて、口づけされたんだ」
途端、ゼイブンはくっ!と笑う。
レイファスはそのふざけた父親に途端、ムキになった。
「笑い事じゃ、ないと思う!」
だがゼイブンは聞く気無く、ファントレイユに尋ねる。
「で?大人しくしてたのか?」
ファントレイユは素直に俯く。
「お腹を蹴って逃げたけど、直ぐ捕まった」
「体の、でかい奴か?」
ファントレイユは甘えるように、可愛らしい顔を上げる。
「うんと」
「それで?」
ファントレイユは再び下を向く。
「足を掛けられて転ばされて、のし掛かられてまた、口づけされた」
ファントレイユは、ムカムカしてるみたいだった。
自分の、敗戦報告が気に入らない様子で。
レイファスもそれに気づいたが、ゼイブンも知ってるみたいだった。
「で?どうしてそんな奴にそんな事されたのか、解ってるか?」
レイファスは、あんな野蛮な奴がどういう気だなんて、解るもんか!と言いたかったが、ファントレイユにはその問いの答え方が解っているようで、俯いた。
「…手招きされて、付いて行ったからだ」
ゼイブンは頭を揺らし、たっぷり頷いた。
「随分、間抜けだな?」
ファントレイユは途端、俯く顔を揺らす。
がゼイブンは容赦無く言葉を続けた。
「なあファントレイユ。
セフィリアは女だから、男に守ってもらえる。だが同じ顔でもお前は男だ。どうする?セフィリアみたいに、守ってくれる男でも作るか?」
最低に失礼なその男に、レイファスはむかっ腹立ったが、ファントレイユは俯き呻く。
「…だから、アロンズは逃げたの?僕から」
「アロンズ?」
「守ってくれて、フレディと殴り合ったんだ」
ゼイブンはまた、くっ、と笑う。
「そうか。凛々しかったか?」
ファントレイユは少し頬を染め、こくん。と頷く。
だがこの時初めて、その父親は焦った。
「…まさかそのアロンズの事をうんと、好きじゃ無いよな?」
ファントレイユは顔を上げたが、父親がどうしてそんな聞き方をするのか、解らないようにつぶやく。
「とても、好きだよ?」
ゼイブンがいきなりレイファスを、見る。
「君から見て、どう思う?」
五歳の相手にこう聞くか?とレイファスは思ったが、応えてやった。
「ファントレイユは解ってない。とても素直にアロンズに、懐いてる」
「…懐いてる、だけか…」
途端、ゼイブンは胸を撫で下ろす。が、レイファスはここが好機とばかり独り言のようにつぶやく。
「ファントレイユの方からねだって、口づけして貰って、彼は凄く、嬉しかったみたいだ」
ゼイブンがまた、ぎょっとして小さな息子を見た。
ファントレイユはどうして彼がそんなに驚くのか解らない。といった表情で、あどけない顔で見つめ返す。
レイファスは、ゼイブンの慌てふためく様子に喉の溜飲がすっと下がり、とっても爽やかな気分になってにっこり、微笑んだ。
「…口づけ、して貰ったのか?」
ファントレイユが、レイファスを見る。
「レイファスも言っていたけど。まずいお菓子の後は美味しいお菓子を食べるといいって。
フレディのはまずいお菓子で、アロンズは美味しいお菓子だった」
ゼイブンはますます青冷めた。
「アロンズに口づけられて、嬉しかったって?!」
ファントレイユは素直にその疑問に答える。
「…気分の悪かったのが、無くなった」
「…………………………。
ファントレイユ。お前、自分が男だって解ってるか?」
ファントレイユは途端、うんざりした表情で呻く。
「レイファスと同じ事を聞くの?
解ってるに、決まってるのに!」
ゼイブンは突然レイファスを、見た。
どうやらもう彼の事を“べっぴん"だなんて、呼ぶ余裕すら無いようだった。
レイファスは止めを刺すように、口を開く。
「………ファントレイユは好きな相手なら男でも、構わないみたいだ。口付けされても」
ゼイブンは思い切り、顔を下げて沈黙した。
が、直ぐ顔を上げる。思い直したようだった。もしここで自分が引き下がったら、真っ当な男としての息子の未来は無くなると思ったらしく。
「…ファントレイユ。女の子で好きな子は、居ないのか?」
ファントレイユはとても困った。領地内に居る女の子は大抵、うんと年上か年下で、年下の女の子はまるっきり子供だ。
「………みんな好きだけど」
「だけど?」
「やっぱりアロンズが、一番好きだ」
ゼイブンが、がっくりと首を、落とした。
レイファスが、それとバレないよう意地悪く言う。
「父親と遊んで貰えないから、年上の男の子に憧れてるんだろう?」
ファントレイユは意地悪じゃなく、素直につぶやく。
「それは…そうかな。だっていつも、大人の女の人ばかりだもの。世話をしてくれるのは」
ゼイブンがますますがっくりと項垂れたのは、言う迄も無い。
レイファスは心の中でつぶやく。
このまま父親を放棄し続けたら、ファントレイユは絶対!男にヨロめくぞ。と。
その素質は有りすぎたし、相手も彼を、放っては置かないだろう。
まるでレイファスの心の声が、聞こえたようにゼイブンは言った。
「君に、剣や喧嘩の為の家庭教師を付けるとしよう」
それを聞いたファントレイユは、レイファスに全開の笑顔を見せる。
これでもう、騎士ごっこをしている途中見咎められても、木の枝の剣を隠さなくてもいいんだ。と。

 が、夕食の席で、ゼイブンが口を開く。
「ファントレイユ。お前、セフィリアの言いつけを自分の喉にナイフ突きつけて、変えさせたのか?」
ファントレイユはフォークを持つ手を止め、顔を上げた。
「そうだよ?」
ゼイブンは途端、それはにっこり笑う。
「良くやった!
女みたいに不甲斐ない奴でなくて、俺は本当にほっとした!」
ファントレイユは父親の誉め言葉に、それは嬉しそうに笑う。
彼の無神経はこの父親譲りか。とレイファスは、フォークを置いて余所を向く。がゼイブンはその無神経の、報いを受けた。彼の横に座っていた愛しのセフィリアに、思い切り睨まれたのだった。
「私があの時どれだけの悲しい想いをしたのか、解っていらっしゃらないのね!」
彼女にそっぽ向かれ、ゼイブンは途端おろおろと機嫌を取ろうとし、レイファスはそれを見、また爽やかな気分でにっこりと全開で笑った。

 レイファスは、ゼイブンを散々利用した。
セフィリアの言いつけ通りファントレイユがこのまま従ってたら、きっとこの先母親と同じように男を作る羽目に成るだろう。と言ってやったのが、とても効いたのだろう。
ゼイブンは二人を領地の外へと、頻繁に遊びに連れて行ってくれた。
ある日、厩で馬に鞍を掛け、出かける支度をしている時ゼイブンが横に突っ立つ、ファントレイユに尋ねた。
「あの子が、アロンズか?」
庭を小走りで駆け抜ける、それは使い走りのムーラスだった。
「違うよ?」
レイファスが気づいて、見習いの屋敷に出かけようと玄関前で馬に跨る、アロンズを指して言った。
「彼だよ。アロンズは」
焦げ茶の髪の、とても整った顔立ちの、品すら感じさせるその次期執事を見、ゼイブンはファントレイユに屈んで尋ねる。
「お前、面食いか?」
ファントレイユは意味が解らなかった。
レイファスが通訳する。
「アロンズはとても綺麗だって意味」
ファントレイユは途端微笑んで頷いた。
「横顔が凄く、綺麗なんだ。彫刻みたいで」
ファントレイユが頬を染めてそう言うので、ゼイブンは困ったように黙り込む。
「…でも」
ファントレイユが、しょげたようにつぶやく。
ゼイブンが、小さな息子を見降ろす。
人形のようにとても綺麗な彼は、悲しそうに言った。
「アロンズは別に好きな女の子が居て、最近はその子とずっと一緒なんだ……」
ゼイブンは、合点がいった。と頷く。
「だからアロンズは自分から逃げた。と思ってるのか?」
ファントレイユは、項垂れきった。

だがアロンズは、屋敷の主人に見つめられてる事が解ったのか、挨拶しようとゼイブンの前に、馬で進み出る。
「こんな高い場所からご挨拶して、申し訳ありません」
とても行儀良く、性格も良く、利発そうなその美少年を、ゼイブンは少し、威嚇するように睨んだ。
だがアロンズはそれに気づく前、ファントレイユに見つめられてそちらに視線を振る。
ファントレイユはアロンズに見つめられ、それは嬉しそうだったがアロンズは、その真っ直ぐな視線を意識したように少し頬を染めたので、ゼイブンはもの凄くむっ。としたようだった。
レイファスはそれを、面白そうに見た。
アロンズは、ファントレイユにつぶやく。
「最近は話せないけど」
ファントレイユは途端、がっかりするように俯いた。
「いつも、忙しそうだ」
アロンズは頭を揺らし、頷く。
「…初めてのお屋敷で、色々覚えなくちゃいけない事がたくさんあるんだ。
でもとっても勉強になるから」
ファントレイユは、項垂れるようにもっと深く俯く。
彼のその様子が少女のように瞳に映り、ゼイブンが唸り出しそうで、レイファスは慌ててアロンズを促した。
「もう、行かなくていいの?遅れるよ?」
アロンズは気づいたように、屋敷の主人に失礼します。と挨拶をし、馬に拍車を掛けた。
ゼイブンはその爽やかな感じ良さも、気に入らないみたいだった。
「…花嫁の父親って、こんな風かな」
駆け去る馬の駒音を耳にしながら、レイファスがぼそりとつぶやくと、ゼイブンはきっ。と彼の息子よりもっと小さなレイファスを睨んだ。
「ファントレイユ。アロンズは彼女が居るって?」
ゼイブンがそう言うと、ファントレイユは途端、がっかりと両肩落とす。
ゼイブンがその小さな息子に身を屈め、顔を寄せて更に言う。
「お前、彼女に勝てると思ってるのか?!」
ファントレイユがますます落ち込むのが解ったレイファスは、そっとつぶやく。
「でもアロンズは、ファントレイユの方が本当はもっと、好きみたいだ。
セフィリアに睨まれるし使用人だから、きっと控えてるんだ」
ゼイブンはそう言うレイファスを、更に思い切り睨んだが、ファントレイユは顔を上げて嬉しそうにレイファスに微笑む。
レイファスはそんな笑顔を消そうとするだなんて。と非難を込めてゼイブンを、見てやった。
ゼイブンは不満そうだったが、ともかく馬の鞍に小さな息子を抱き上げて乗せ、レイファスを、少しためらったが同じように乗せて、二人の後ろに跨った。

 ゼイブンの連れている二人の子供はそれは、人目を引き、ゼイブンは改めて自分の息子の綺羅綺羅しい容姿が気になったようだった。
宿屋で昼食を取った時も
「そんな綺麗で可愛らしい子供を、二人も連れていたら盗賊に襲われて、さらわれてしまうよ」
と、宿屋の親父さんに気の毒そうに釘を刺されていた。
ゼイブンはファントレイユをまじまじとみつめる事しばしばで、その度に彼をどうやって一人前の男に育てるか、思案し続けてるようだった。
だが、会った時からそれは失礼な男がおろおろする様子は、レイファスをとっても満足させた。

 ゼイブンは領地の外に出る時、絶対自分の側から離れるな。と二人に散々言った。
「またあんな目に、合いたいんならそこらをウロついてもいいぞ!」
ゼイブンは大抵、突き放すいい方をした。
ファントレイユの自覚を促したのは確かだけど、レイファスからしたらそれは脅しで、人が居たりすると途端、ファントレイユは青冷めてゼイブンの、上着の裾を握って離れなかった。
それにゼイブンは、こうも言った。
「…俺は今、お前の父親だから一応護ってやるが、お前が大人になったら自分で何とかしない限り、またアロンズのような奴を探す羽目になる」
アロンズに逃げられたファントレイユは、やっぱり青く成っていた。
レイファスはこの、セフィリアとは正反対の、投げやりに近い暴言を平気で息子に吐く父親に呆れた。
が、行き詰まる女の世界から抜け出す事が出来たのは取りあえず有り難い事だったので、黙っていた。

 ゼイブンは大抵、近所の農家だとか、宿屋に連れていってくれた。彼は女性にそれは愛想良く、その辺りの女性はとても感じのいい、陽気な美男の事を覚えていて、彼が姿を見せるとこぞって声を掛ける。
彼は女性の荷物を持ったり、髪型を誉めたりして女性の気を、上手に引いていた。
だからつまり、レイファスは彼相手に地を出すものかどうかそれは迷ったが、彼の視界にあるのは女性だけだったので猫撫で声を出す必要も演技する必要も、無かった。
楽な男と言えば確かに楽な男だ。
ファントレイユもセフィリアといる時よりうんと解放されたように、しょっ中微笑んでみせる。
池のボートに乗せてくれたり、一緒に木登りして、木の実をもいで食べたり、そこらの道ばたで買い食いしたりした。
どれも、セフィリアが知ったら目くじら立てるような事ばかりだった。

 小舟で池を渡る時だった。水の上でしか拝めない景色に、ファントレイユがため息を付く。
周囲が、全部、水だった。
圧倒されたように見るファントレイユに、ゼイブンが両手でオールを漕ぎながら尋ねる。
「…まだ、水が駄目なのか?」
ファントレイユがためらうようにレイファスを見、レイファスが言った。
「この間セフィリアに内緒で水遊びをしたけど、平気だった」
ゼイブンは笑った。
「その奥に、小さな滝がある」
レイファスは途端、全開で微笑んだ。

 岸辺に小舟を付けるとその茂みの奥に、ゼイブンの背丈と変わらない高さから流れてる、確かに小さな滝に辿り着く。
でも、ファントレイユとレイファスは夢中になった。
どれだけ長く冷たい水の、滝の下に居られるかを競ったのだ。
ゼイブンは自分も、上着と靴を脱いで一緒に遊んだ。
子供みたいな人で、水を掛けると倍、返ってくる。
「手加減、なしか?」
レイファスが掛け返すと、ゼイブンはレイファスの倍ある大きな手で水をいっぱい掬い、レイファスの頭の上から、たっぷりと水を降らせる。
とうとうレイファスとファントレイユは共謀して、ゼイブンの足を掴み、腕を引き、ズボンをはいていた彼を水中に転ばした。
どっぷん!と音がし、ゼイブンはやれやれと、水の中に腰を降ろした自分の状態に、肩をすくめる。
濡れた前髪を掻き上げていると、とても青年っぽくて男らしくて、美男だったからさすがにいい男に見えた。
レイファスが見てると、ゼイブンはそう思われてるのを、知ってるみたいに笑った。
「いい男だと思われるのは、女だけでいいぞ!」
レイファスはしゃくに触って、思い切り水を掛けた。
屈託の無い笑顔で、背が高くて、陽気でぶっきら棒で、でも楽しい男だった。

 その後、濡れた体を乾かす為に農家の納屋を借り、藁の中で休んだ。
レイファスもファントレイユも、青臭い臭いのする藁にくるまってあちこちがちくちくして、くすくす笑った。
こっそり農家の若い女将さんがやって来て、仰向けて目を閉じているゼイブンに突然のし掛かると、口づける。
ゼイブンはびっくりしたが、女将さんはどうやら全然その気の様子だった。
ゼイブンが真っ先に見たのは、近くの藁の中に居る子供達。
案の定、こっちをじっ。と、二人揃って見つめていた。
彼女をやんわり、でもきっぱり押し上げて言う。
「今回は凄く、まずい」
「どうして?」
ゼイブンの視線の先に、藁の中から顔を出し、興味津々に見ている二人の子供の顔が見え、彼女は落胆の、ため息を付いて彼の上からどいた。
「でも、まだ暫くこの辺りに居るんでしょう?」
彼女が言い、ゼイブンはレイファスが、にやっと笑うのを見、ぞっと背筋を震わせる。
ゼイブンは、無神経だったが鈍感な男じゃ無かったようだ。

 乾き掛けだった。
ゼイブンは夕食に遅れる。と、さっさと馬の方へと歩いたが、レイファスは尋ねる。
「さっきの彼女とは随分、長いの?」
そう言う、五歳の子供の意味ありげな表情を、彼はたっぷり見つめつぶやく。
「レイファス。君とは男同志で少し、話をしなくちゃならないようだな?」
レイファスは、それはにっこり微笑んだ。
どう見ても可憐そのもので可愛らしくて、ゼイブンはつい、彼の将来を思うとぞっとした。

 だがその帰り道の、途中だった。
相手は三人で騎乗していて、その外れの田舎道で彼らを、馬で取り囲んだ。
ファントレイユとレイファスは、逃がさないよう周囲を囲むそのごつくて汚いごろつき達に不安に成って、後ろに跨るゼイブンを、振り向いてじっ。と見つめた。
ゼイブンは半乾きの上着を肩に引っかけたまま、俯いてため息を吐く。
「…用件を言え。女の苦情か?
…子供を寄越せと言うんなら、断るぞ」
三人はにやにや笑うと、言った。
「両方だ」
ゼイブンは、俯いたまま首を横に、振る。
「ミネア…。アレルシーア…。サリネ……」
一人が怒ったように怒鳴る。
「レアネンアだ!」
ゼイブンは頷く。
「…金髪の、胸の谷間の深い女か……」
別の男も怒鳴った。
「呆れた奴だ!俺達が斬り殺したら、どれだけの男に感謝される事か!」
ファントレイユとレイファスはゼイブンを、見た。ゼイブンは俯いたままだったが、思い立ったように顔を上げる。
「…お前ら、この辺りでは少しは知られた男共か?」
髭面の男が顔を上げた。
「おうよ!ネーデ兄弟と言や、ちっとは通った名だぜ?」
ゼイブンは三人を見た。
ひょろりと背の高い男。でっぷりと、低い男。そしてがっしりと逞しい男。だが皆そろって髭面だった。
「…怪しいもんだな。自己申告ほど、あてにならないものは無い。が………。
子供をさらってどうする?この辺で買い手が、見つかるのか?」
「商売人が居るのさ。勿論奴らはアースルーリンドじゃ鯖かねぇ…。
欲しがってるのは、余所の国の大貴族共だ。ちゃんと売り先の宛はある」
でぶっちょが言うと、ひょろひょろも言った。嬉しげに。
「大金に、なるんだ」
ゼイブンは笑った。
「幾らくらいになるんだ?」
ひょろひょろは聞いて驚くな。と含みのある目付きで、その笑う色男を睨めた。
「…5000万ゲンだ」

ゼイブンはそれを聞き、前に跨り揃って振り向いてる小さなファントレイユとレイファスを見た。
ずっとじっとゼイブンを見つめていた二人は、ゼイブンをもっと、見つめた。
「お前ら、どう思う?」
聞かれて解る筈も無い彼らはゼイブンをまだ、見守った。
ひょろひょろは苛立ちながら唸る。
「二人でじゃない。一人に付きだ!」
だがそれでもゼイブンは男が期待する反応を、示さなかった。
「…なあ…。お前らには大金でも、こいつらがちゃんと価値が解ったらそりゃ、怒る値段だぞ?
安すぎる!とな!」
そして無駄足を踏んだと言うように、一気に拍車を掛け、阻む二頭の隙間を駆け抜けた。

二頭は突進して来る馬に驚き、いなないて道を開ける。
そのまま駆ける去るゼイブンの後を、盗賊達は慌てて馬を回し、追いかけ始める。
ファントレイユが馬を走らせるゼイブンに振り向こうとし、途端怒鳴られた。
「絶対、落ちるな!落ちた間抜けはたった5000万ゲンで奴らに売られるぞ!」
ファントレイユもレイファスも、慌てて馬の背にしがみつく。
しかし相手は三人居るし、こちらは…子供とはいえ全部で三人乗っている。

背後に二頭の駒音が迫り、一頭が、斜め後ろに姿を見せた。
その馬が横に並ぶやいなや、途端どかっ!とゼイブンは無造作に横に足を突き出し、蹴り付ける。
乗り手のひょろひょろは横腹を思い切り蹴られ、慌てて落ちまいとバランスを取り、だが結局馬から、落ちた音が背後でした。
どさっ!

ビュン!という風を切る音でゼイブンがチラと振り返ると、後ろのでっぷりとした髭面は、ロープを持って狙っていた。
「…しがみついてろ!」
言うなりゼイブンは拍車を駆け、斜め前に立つ木の横、ぎりぎりをすり抜ける。
木に阻まれ、ロープが投げられず男は舌打つ。
ゼイブンは目前に木を見つける度、木に思い切り馬を寄せロープを阻み続けた。
レイファスはチラ…!と背後を見る。
ふとっちょ髭面の悪党はゼイブンの馬が木の横を擦り抜ける度にまた、振り上げたロープを、舌打って降ろす。
右。左。
木を見つける度、ゼイブンは滑らかに馬を促し、馬は蛇行しながらも木々の横を凄い速度ですり抜けて行く。
そんな風に無駄道喰ったら、追いつかれるんじゃないか。
でもそんな心配を余所に、ゼイブンの馬は速度を落とすことなくしなやかに、木々の横を駆け抜けて行った。

木々が途切れると男は途端、ロープで狙いを付け始める。
レイファスは急いでささやく。
「…縄を投げるよ?!」
ファントレイユも、馬の鬣にしがみついたまま不安そうにつぶやく。
「…掴まっちゃう?」
「…黙ってろ!舌を噛むぞ!」
ゼイブンはポケットを探る。
そして…思い当たる物を、見つけたようにポケットの中で拳を、握り込む。
ふ…と後ろに振り向くと、いきなり握った拳をポケットの中から出し、中の物を無造作に後ろに放る。
ふとっちょは見開いた目にいきなり飛び込んで来る砂の粒に、痛みに顔をしかめて目を覆った。
「ぅ…がっ!」
「おい…避けろ!」
仲間の叫びにふとっちょは目を開きかけ、が遅く、目前に真横に突き出す木の枝を、馬は首を下げてすり抜けて行き、がふとっちょは思い切り突進して腹を枝に叩き着けられ、走り去る馬の背からふっ飛んで地に、転がり落ちた。
「やった!」
レイファスが嬉しそうに叫ぶ。
がまだ一頭…。
一番逞しい男の馬が、付いて来ていた。
レイファスもファントレイユもゼイブンを見るが、彼は顔色を変える様子が無い。

馬は石垣をすり抜け、大きな石の転がる荒れ地を走り、そして茂みを幾つも滑るようにすり抜けていく。
が、後ろの男はその障害物の数々にもめげず、少し遅れてそれでもまだ、追って来ていた。
大木を見つけるなりゼイブンは馬に更に、拍車を掛ける。
「必死で木に登れ!
大人が乗れない、先の細い枝迄登るんだぞ!」
レイファスが叫んだ。
「解った!」
ゼイブンは頷くと、大木の枝の前で馬をいきなり止める。
派手に前足を蹴り上げいななく馬の手綱を取りながら、レイファスが枝に腕を伸ばし、ゼイブンはその尻を押し助ける。
レイファスが枝に捕まり登ると、ファントレイユに手を差し出す。
ファントレイユはその小さな手を見、けど咄嗟に、ゼイブンに振り向いた。
その、自分と同じブルー・グレーの瞳が心配そうで、ゼイブンが屈託無く笑う。
「俺が、くたばると思ってんのか?」
彼の笑顔を見て、ファントレイユは安堵したようにレイファスの手を借りる。
ゼイブンの腕がやはり、ファントレイユの尻を押し上げた。

二人が木を、登り始めた頃だった。
男はゼイブンに追いつき、馬を止めて笑う。
「いい考えだ。お前はそのまま、消えろ」
ゼイブンも笑う。
「それもいいが。大軍を連れて戻っても、いいんだな?」
髭の逞しい男も、笑い返す。
「その間に餓鬼を、連れて逃げる」
ゼイブンは頷く。
「お前が登って、枝が折れなきゃの話だろう?」

男はとうとう、その口の減らない色男を睨んだ。
そして剣をすらり…と抜く。
長い銀色の刃が、陽を弾いてきらり。と光る。
ぞっとする、金属の冷たい光を目にして、ファントレイユは高い枝上からゼイブンを喰い入るように見つめた。
がゼイブンはそれを見、刃から視線を逸らさぬままゆっくり、馬を降りる。
ファントレイユはますますゼイブンを、心配げに見つめた。
レイファスもつい、こんな緊迫した場面は初めてで遙か枝の下、二人の対決に見入った。

髭の男も剣を抜いたまま、馬を降りる。
地に足を着ける髭面の男を見据え、が、ゼイブンはまだ腰に下げた剣を抜かない。
髭面の男は、威嚇するように唸る。
「…斬り殺してやる」
その背はゼイブンより幾分か、高かった。
ゼイブンは男に笑いかける。
「なあ…。レアネンアはそこ迄いい女か?」

ファントレイユがそっとレイファスにささやく。
「…助っ人、しなくていいのかな?」
レイファスは呆けて、そう言う彼を見た。
「…それで逆に捕まったら、ゼイブンに絶対『間抜け!』って怒鳴られると思う」
ファントレイユはレイファスを見、その通りだと俯いた。

「お前を切り殺しゃ…女も金も俺の物だ!」
髭面の男が怒鳴り、ゼイブンも言い返す。
「…でも俺に斬り殺されたら、命が無いぞ」
髭の男はどう見ても使い手とは程遠い、すらり。とした色男を見つめ、せせら笑った。
「俺を、殺すって?やれるならやって見ろ!」
ゼイブンは仕方無さそうに剣の柄に手を掛け、一気に抜く。
「俺がもう少し使い手なら…子供の前だ。殺さずに済むんだが。
剣の苦手な俺の前で、剣を抜くお前が悪い」
髭男は、大笑いした。
「大ぼら吹きめ!女の前でも自分はどの男よりも上手いとほらを吹いたろう!」
が、髭面がそう吠えた途端、ゼイブンの顔がいきなり青冷めて冷ややかに成り、厳しく引き締まった。
そして、小声で呻くようにつぶやく。
「…女が、そう言ったのか?俺が、良くなかったと」
男はゼイブンのその様子に、にやついきながら言う。
「レアネンアはそう言ったぜ!見目はなかなかいい男だったが、あっちの方は反吐が出る程最悪に下手で、全く良く無かったと!」
「…………そうか…」
瞬間、ゼイブンの下げた左腕が動く。
ひゅっ!
短剣が、いきなり飛んで男の肩に突き刺さる。
「ぅがっ!」
髭の男が刺さった肩を下げ、短剣を抜く間も無くゼイブンは一気に間合いを詰め、斜めに剣を振り下ろした。
ずばっ!
「ぎゃっ!」
髭面はふいを突かれ、首と胸元を一気に斬られ、血を吹き出し前へと、倒れ伏す。
どさっ!
地の上で死間近の痙攣をし…そしてがっくりと事切れ、顔を地に伏す男を見、ゼイブンはちっ!と舌打った。
咄嗟に見上げ木の上の子供達と思い切り目が合ったが、それでも怒鳴る。
「…見るな!」
レイファスは、どうしろって言うんだ?とファントレイユに向かって肩をすくめる。
ゼイブンは遅かったか。とため息を付き、倒れた男を靴先で揺らすが、完全に、死んでいた。
が、死体にゼイブンは怒鳴りつける。
「…金髪女が自分の身可愛さに俺が『良くなかった』とお前の前で嘘を付いたとしても!
それで俺を侮辱していいって事には、成らないんだぞ!」

「………もう、死んでる?」
ファントレイユが声を掛け、ゼイブンは彼を見ぬまま怒鳴った。
「ああ!きっちりな!」
「…なら話しかけても、返事出来ないね…」
ファントレイユにそう言われ、ゼイブンはようやく彼を見上げた。
レイファスも、ファントレイユの言う通りだ。とゼイブンを見つめていた。

ゼイブンは降りて来いと手で招き、促されるまま二人は枝を降り始める。
ゼイブンはまだ苦虫噛んだような顔をしていた。
が、彼らが地面に着く足音を聞き、つぶやく。
「しょうがないだろう?お前らに見るな!怒鳴り……ああその前に、侮辱するなと奴に言うべきだったかな?
ともかく、猛烈にアタマに来ちまってたから………」
「殺したの?」
レイファスに言われ、ゼイブンは小さな彼を見つめた。
「…いいから、馬に乗れ!」

レイファスとファントレイユが、自力では乗れない位高い馬の背を見上げ、それでも果敢に飛び乗ろうと馬にしがみつく間、ゼイブンは剣の血を草で拭い、馬の腹にしがみつく二人のチビを見つめ、その脇に手を差し入れ、一人ずつ順に、馬の背に無事、降ろした。
「…コーネルは気が優しいから、お前らにしがみつかれても暴れないが、他の馬に迂闊にしがみつくと振り落とされるぞ!」
二人は揃って、馬上から横に立ちそう怒鳴るゼイブンを、見た。
ゼイブンは二人のじっ。と見つめる視線に、ああ、俺が悪かった。と言う様に両手を振る。
そして、二人の後ろに不機嫌に跨り乗ると、拍車を掛けた。


本当は、ファントレイユは聞きたかった。が、ゼイブンが沈黙しているので黙っていた。
が、レイファスは口を開く。
「手順を間違えたから、機嫌が悪いの?」
「…それもあるが…。
もっと上手いやり様があった筈だ。侮辱を聞いてアタマに来て殺してお終いだなんて、芸が無さ過ぎる」
レイファスも同感だ。と頷く。
「ちゃんとゼイブンの方が上手いって、相手に思い知らせないと」
ゼイブンの眉がその言葉に思い切り、寄った。
「…レイファス。上手いとかヘタとかって、解るのか?」
小さなレイファスは振り向いた。
「事実がどうかなんて、解る訳無いだろ?
でも何でも、上手いヘタがある事くらいは解る。ゼイブンが、下手なやり様をしたのが自分で気に入らないのも。
でも短剣が使えるんなら、殺さずに済んだんじゃないの?」
「俺は意気地無しだから、短剣で絶対喉や心臓は狙えない。
だが剣が下手くそだから、剣を振るうと殺す羽目になる」

ファントレイユが後ろを振り向いて、レイファスと顔を見合わせた。
ファントレイユが口を開く。
「短剣で肩を突いたら、もう剣で斬らなくていいんじゃないの?」
ゼイブンはため息を付いた。
「ヘタに傷つけると、余計獰猛になる相手も居る」
「じゃ、さっきの相手は獰猛に、成るの?」
ゼイブンは、知るか。と首を横に振った。
「…それが解る前に、殺しちまった」
ファントレイユも、一緒に項垂れてため息を付いた。

「…どうして剣が苦手だと殺しちゃうのか、聞いていい?」
レイファスが訊ねると、ゼイブンが返す。
「上手な奴だと、相手を中途半端に傷つけても、さばけるだろう?
俺はヘタだから、面倒な事にならない内に一撃で倒さないと。こっちが怪我をする」
レイファスとファントレイユはまた、顔を見合わせた。
そしてファントレイユが訊ねる。
「一撃で倒せるのは、上手じゃないの?」
ゼイブンはファントレイユをじっ。と見つめ、唸る。
「お前らも剣の稽古を始めたら解るが。
苦手な奴にとって、色々な型を覚えたり戦い方を覚えたりしてどれもロクに身につかないよりは、たった一つの事だけ練習して身に付ける事の方がいい」
「…じゃ、ゼイブンはあれ以外は出来ないの?」
レイファスの問いに、ゼイブンはそれで充分だろう?と見つめ返す。
「敵を一撃で殺せたらもう、かかって来ないじゃないか。それ以上戦う必要が無い。
俺の教師は俺に剣の素質が無いし、だが騎士へ進むしか道が無いからあの戦法を教えてくれた。
『生き残りたかったら、これだけは絶対出来るようになれ』
そう言って。実際、あれで身は護れてる。
だが俺はあれしか出来ないから相手の事なんて、考えてられるか?」
ごもっとも。と、レイファスは頷いた。
ファントレイユはそれでも腑に落ちなかった。
「どうして意気地無しだと、短剣で心臓が狙えないの?」
ゼイブンは振り向く息子の顔を、まじまじと見つめた。
「短剣は小さく扱いやすい。
あんまり身について、間違えて投げて相手の心臓に当たったら、それで死んじまうんだぞ?」
「…つまり、事故が起こりやすいの?」
レイファスが聞くと、ゼイブンは頷いた。
「俺は素質が無いから、練習だけは欠かさない。死にたく無いからな。
それで無造作に投げて……放って置いても勝手に当たる迄腕を磨いた。
だが心臓に当てる癖なんか付けたら……。
怖いだろう?間違って殺しちまう事だって起こりうる。
第一、殺さなくて済むんならそれに超した事は無い。戦場ではそうも言ってられないが。
そうじゃない場合は身内が報復に来るしな」
レイファスがつぶやいた。
「じゃ、馬から落ちた二人が報復に来る?」
「その前にアイリスに頼んで、警備隊を寄越して貰おう。なんせ、お前らをさらおうとした極悪人だ。
セフィリアが直ぐ、何とかしろとねじ込むだろうしな」
ファントレイユがほっとしたようにつぶやいた。
「じゃ、報復に来ない?」
「無理だろう」

 領地の門が、見え始めた。
ファントレイユが、ふ…と思い立ってゼイブンに振り向く。
「5000万ゲンって、どのくらい?」
「お前ら、二人合わせて使用人付きでこの領地が丸ごと買える値段だ。
…安いだろう?」
また、ファントレイユとレイファスが顔を見合わせる。
「…この領地、そんなに安いの?」
ファントレイユがゼイブンに振り向いて、あどけない表情で素直にそう問う。
ゼイブンはとても彼が愛しいという表情を瞬間、甲斐間見せた。
そして小声で呻く。
「お前ら一人の値段は、せめて王族の住む城より高くないとな」
ファントレイユは暫くの間ゼイブンをじっと、見つめた。
ゼイブンの表情が苦笑いになり、それでファントレイユは慌てて目を逸らし、レイファスに振り向く。
レイファスは肩をすくめる。
「セフィリアに、叱られるのが怖いんじゃなくて?」
ファントレイユはレイファスの問いの、ゼイブンの返答を聞こうと再び父親に振り向く。
ゼイブンはぶっきら棒につぶやいた。
「それとはまた、別だ」
ファントレイユはレイファスを、見る。
がレイファスはやっぱり、肩をすくめた。そして思い立ったようにつぶやく。
「ミネア…。アレルシーア…。サリネ…レアネンア………」
ゼイブンの肩が、途端びくっ!と跳ね上がる。
そしてまだ五歳の、可憐な少女のような美少年を、とんでもない脅迫者のように見つめ、呻く。
「………レイファス………」
レイファスは振り向くと、全開で微笑んだ。
「男同志の話はやっぱり、必要だよね?」
ゼイブンの眉が思い切り寄り、そしてレイファスの可憐な微笑みに肩をがっくりと落とし、深い、タメ息を、付いて同意した。
「………その、ようだ………」


7 駆け引き

 帰って来たゼイブンが極悪人の話をし、セフィリアはファントレイユを抱きしめ、ゼイブンは腕を組みそっぽを向いていたが衣服がまだ湿っている理由を説明する必要も、無かった。
結局セフィリアは直ぐに使者を送り、ファントレイユを気にかけ、レイファスをも抱きしめ、何事も無くて良かったと、彼らを保護した立て役者のゼイブンをずっと、無視した。
が、ゼイブンは奴らが追って来た理由の一旦が、彼の関係した女性にあったので、事情を詳しく、セフィリアに話す機会も無く、心からほっとした。

 夕食後、ゼイブンがレイファスと別室で話す様子を、ファントレイユは窓の外から覗く。
珍しくゼイブンは、レイファスと二人切りで話をするからと彼をはばにした。
それでファントレイユはそっとベランダを伝い、部屋の外から二人の話を伺った。

ゼイブンがレイファスに告げる。
「君が五歳とは、とても思えない」
ファントレイユより小柄で、どう見ても幼い彼に、ゼイブンは皮肉を込めてそう言ったが、レイファスは言い返す。
「別にそんな事はどうだっていい。
ファントレイユがアロンズの事を、自分では恋人のように好きだなんて自覚も全然無く、ただ純粋に彼の事が好きだって事なんだけど。
確かに将来は大丈夫かって、思うかもしれないけれど、あれだけセフィリアにきつい管理でいい子にしていて身動き取れずに女の子扱いされてるんだから、男の 子相手に惚れ込んでも仕方ないと思う。今は解って無いけど、こんな風に女親の価値観をずっと植え付けられてたら、きっと直に心が本当に女の子になっちゃっ て、男の子相手に今度はちゃんと解って、惚れ込むんじゃないの?」

レイファスの、演技の無い姿にゼイブンは解った。と頷いた。
「君、セフィリアの前じゃ随分いい子ちゃんのようだな?」
レイファスは言った。
「大抵の大人は相手が小さくて幼いと、侮るんだ」
ゼイブンは怯まず、頷いた。
「それで?大人のような口をきき、君が何処まで大人のように考えられるか、話を聞こうか?」
レイファスは呆れた。
自分は成りだけ大きい、子供の癖に。

「ファントレイユは凄く気持ちが素直なんだ。
セフィリアはそれを息詰まらせるし、あんたは脅す。
もうちょっと、大事にしてやろうとかは、思ってないんだろう?どうせ」
ゼイブンは、唸った。
「俺が遊び歩いて家に寄りつかない事を非難してるのか?」
「父親の役割を放棄してるのを非難してる。
僕の父親も妻可愛いいのロクデナシだと思ってたけど、もっとひどい」
ゼイブンは、手の上に、顎を、乗せた。
「それで?」
「もっと冒険させて、男の子だって事を思い出させてやろうとか、思ってないんだ」
ゼイブンは、俯いてつぶやく。
「ファントレイユはセフィリアの命だから、危険に関わる事に口出しすると、彼女にそれは嫌われる」
レイファスは思い切り、ため息を付いた。
「じゃあ息子が将来、嫁じゃなくて男を連れてきても文句無しなんだな?」
ゼイブンは俯いた。
「君から見て、正直どうなんだ?
この間喧嘩をして年上の子供を三人、怪我させたと聞いたが」
「…だって僕が言ってやった。自分が男の子だと思うんなら、がつんとやり返せって」

ゼイブンは途端、嬉しそうに微笑む。
「いい事を、言うな」
レイファスは拍子抜けした。
誰もこの男を決して、心の底から憎めないんじゃないかと思うような笑顔だった。
「ちゃんと、ファントレイユが可愛いんだ」
「そりゃ、そうだ」
「じゃ、セフィリアのお人形にされていて、気の毒だとか思わないの?」
「最近、思うようになった」
レイファスは、頷いた。
「大人の、付き添い付きで週に二回は領地の外へ出かける事と、水遊びも解禁してくれ。
それに木登りも」
ゼイブンは、軽く頷いた。
「だが保証は出来ないぞ?
俺は不肖の夫で、父親だからな」
「本気を出さないなら、農家の女将さんやその他の事をセフィリアにバラす。
幾ら遊んでもいいって言われていても、自分の膝元にバラバラ愛人が居たら、セフィリアだっていい気はしないと思う」
ゼイブンが、血相変えて手の上から顔を上げる。
「ここで、出すか?それを!」
レイファスは少しも淀み無く言い放つ。
「ここで出さないで、どこで出すんだ。
あんたは行き詰まるセフィリアの管理から次の任務でひらひら飛び去って行けるけど、ファントレイユと僕はそうは行かない!
フレディや今度の事で、あんたが居なくなった後どれだけ締め付けられると思ってるんだ?
息が、詰まっちゃうよ!」

ゼイブンは本気のレイファスの、真剣な青紫の瞳を見つめた。
「いいだろう…。本気を出して確約すればいいんだな?!」
はっとして、ゼイブンは“確約”と言う言葉をレイファスが、知っているかどうか伺ったが、レイファスはとっくに承知と頷く。
ゼイブンはその彼の、知能の高さに舌を巻いた。
「…俺は君にこの先かかわる奴らを、気の毒に思うね」
「前から思ってたけど」
レイファスが言い、ゼイブンは彼を、見た。
「あんただって大人の癖に、負けないくらい性もないと思う」
ゼイブンは肩をすくめる。
「性のない大人が多いから、俺でもやっていける。
覚えとけ」
レイファスは解った。と頷いた。
がその部屋を出る時、つい漏らしたゼイブンの
「末恐ろしいぜ………」
というつぶやきをつい耳にし、レイファスは思い切り、肩をすくめた。

 警備隊は極悪人兄弟の残り二人を逮捕して中央警備連隊に引き渡し、ゼイブンは任務の呼び出しを告げに来た使者を迎え、それはほっとしていた。
彼が屋敷を旅立つ時、ファントレイユはそれは別れを惜しんでくれてゼイブンの胸が詰まった。
セフィリアを見たが、別れ馴れてる彼女は普通で、ファントレイユの半分でいいから想ってくれるといいのに、とゼイブンはがっくり肩を、落とした。
レイファスは彼のそんな丸解りの様子をつい、観察し思った。
ゼイブンはファントレイユを息子としてとても愛しているものの、彼の最愛のセフィリアが一番愛してるのは紛れもない、息子で、彼女にとっては息子が居れば、夫が不在でも全然構わないようだった。
彼にとってファントレイユは恋敵同然で、自分がそんな複雑な立場に居るから大好きな父親と長く居られないんだと、ファントレイユは気づいているんだろうか?と、レイファスはいぶかった。

だがレイファスはゼイブンが、浮気をバラされる怖さに本気を出し、父親の権威を発揮し、彼の条件を全部飲んでセフィリアにきつく、いい含めた事に心の中で拍手した。
彼らはもう、領地の中をどれだけ暴れ回っても咎められない。
ゼイブンは、それはにっこりと全開の笑顔で自分を見送るレイファスに、視線を投げた。
そうして馬の手綱を握るゼイブンは随分男っぽくて格好良かったが、中味はレイファスが、本当に約束を護るのかどうか、はらはらだった。
チラと視線を、脅すようにレイファスに、投げる。
レイファスが、請け負うように微笑みを返す。

彼の馬が見えなくなって、ファントレイユはレイファスにそっと尋ねた。
「…ゼイブンを、脅したの?」
レイファスがファントレイユを、呆けて見た。
「…聞いていたの?」
ファントレイユは頷く。
レイファスはファントレイユが、ゼイブンがどうして他の女の人と仲良くするとセフィリアが気を悪くするのか。とか、自分が将来、嫁の代わりに男を連れてくるってどういう事だ?とか、素朴に質問して来そうな気配を感じ、慌てて言った。
「…でもとにかく、もう思い切り暴れてもセフィリアは怒らない。
だってゼイブンが、約束していったから」
ファントレイユはそう言うレイファスを見つめ、とても、にっこりと笑った。
レイファスはその笑顔に尚も口を開く。
「君だってもう、熱なんか出さないだろう?
僕の居る間、あんな事の後でも出さなかった」
レイファスが言うと、ファントレイユは頷いた。
「秘訣を、覚えたんだ」
レイファスは尋ねるように彼を、見る。

「まずいお菓子のまんまだと、その後最悪に気分が悪くて、我慢してると熱が出るんだ。
でもその後美味しいお菓子を食べれば、大丈夫なんだろ?」
レイファスはたっぷり呆れてファントレイユを見た。
「………それで熱を、出さなかったの?」
ファントレイユは、にっこり笑って頷いた。
「それに、我慢しないで相手にがつんとやると、熱が出ない」
レイファスはそれを聞いて、思い切り俯いた。

 ファントレイユはきっちりキレて、自分より体の大きな子供三人に思い知らせたし、ゼイブンはアタマに来て相手を殺してしまった。
レイファスはもう、あんまり人形に見えない、性格が実は父親似の彼を、心配そうにそっと伺う。
もしかして自分は………触っちゃいけない封印を破って、とんでも無い魔物を、出してしまったんじゃないかと、一瞬背筋が寒くなって。


          END


この本の内容は以上です。


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