閉じる


<<最初から読む

195 / 202ページ

194

玲音の長話を聴くと、疲れてしまう。それは僕だけかと思っていたが、「悪いな、長い
話を聴くと疲れんだよ」と玲音に言うと、リードが横から人差し指で僕をつついた。
リードは声をひそめて、「それはお前だけじゃないよ。俺だってそうさ。レインが支離滅裂な
話をしてるだけなんだよ。一応聴いてるふりしなよ」
と言って、ため息をついた。

長話を聞くと、すぐ疲れてしまう。玲音のせいもあるが、僕のせいでもあるだろう。
目薬をさすときみたいに、無理矢理目を病気に向けられる。見たくもないものを
見せられる。
知りたくもないのに、自分が病気である事を知らなければならない。それは何て勇気の
いる事なんだろう。

今日は、ブッチャーもレノも機嫌が悪いようで、戸を凄い勢いで閉めたり、落ち着かない
日だ。退院が明日に決まっている僕に、嫉妬しているかもしれないな。僕も夢と現実と
の境にいるような気がしてきた。家にいたのが夢なのか、ここに入院しているのが
長い夢だったのか。

ここに来る時は、頭が完全に逝っちゃってて、荷物の事など考える事ができず、全部
母さんがやってくれた。でも今荷物を詰め、明日の準備をしていると、自分が非常に
落ち着いた状態にある事に気付いた。今ならなんとか荷物を整理できそうだよ。


195

入院は、これで最初の最後にしよう。もう入院なんかしない。
病気を悪くさせないために、ストレスを処理し、薬を飲み、規則正しい生活を
身につけるつもりだ。
解放で過ごした、儚い恋の思い出。
閉鎖で過ごした、家畜としての生きざま。
どちらも今までに無いような、素晴らしい貴重な体験だった。
でももう2度とやりたくないね。僕は病気に勝てる、強さを身につけたと思う。
自立して生きていくための強さを。
もう僕は観賞用でも家畜でもない。リュウが教えてくれた。
誰かを守れる強い人間だ。

(水の月27日)

扉の向こうに広がるおだやかな青を見つめている。僕は頬杖をついて考えこんでいる。
このカフェテリアの、朝食が済んで人のいなくなったテーブルで。
もう数時間で、この旅も終わりだ。
家に帰って、咳も叫び声もない所で、ゆっくり休みたいな。
いろいろ後悔もするけど、それは取り返しのつかないものではない、と信じたい。
まだ、僕には未来があるはずなんだ。


196

「ジュナン、待ってくれ」
椅子に手をついて振り向くと、カフェテリアにいつの間にかリードと玲音がいた。
「ジュナン、今日で退院しちゃうんだね。僕・・・僕・・・」玲音は下を向いて悲しそうに言った。
「ずっと謝りたかったの。ごめんね。『人殺し』なんて最低だよね。ごめんね、ごめんね・・・」
涙が次々と溢れだしてきて、止まらない。僕は慰めようとしたが、
「もういいんだ。俺はこいつを守るよ。いつまでいるかわからないけど、俺がいる限り、
俺はこいつを守る」リードの具合は、初めて会った頃より大分良くなっていた。クスリが
効きはじめたのだろう。「話してみりゃ、かわいい奴じゃん。でもひとつだけ、不安がある」

リードはジュナンの耳のそばで、小声で言った。
「お前がいなくなったら、ここに普通に会話できる奴がいなくなるんだよ。これから
どうして暮らしていけばいい」リードの目が、また曇りはじめていた。
「どうしてって・・・」
そのとき看守が来て、作り笑顔(僕にはそう見えた)で言った。「ジュナンさん、お迎え
が来てますよ」


197

(ちっ、思ったより早くお迎えが来たな・・・)僕は思った。(10時だと聞いていたのに)
時計を見る。9時46分。僕は病棟の方に走って行った。
重い三つのバッグと洗面器、コップを抱え廊下を通る僕。「ジュナン、ジュナン・・・!」
カフェテリアの方から声がする。
「さよなら・・・」

久しぶりに病棟の重い扉の鍵が開き、僕は外に出た。重い三つのバッグと洗面器とコップを
抱えて、いい意味で途方に暮れる。これが、外の世界。外の空気・・・!
そのとき、「ミャア、ミャーア」と懐かしい鳴き声がした。しまぞう。
しまぞうとももうさよならだ。
僕は重い荷物を下に降ろして、しまぞうを抱き上げた。
「ん?お前、少し大きくなったんじゃないか」解放で会ったときは、もう少し小さめの
猫だったような・・・?
「大きくなった。よかったな、しまぞう。僕にも身長わけてくれよ。
僕は発育不良なんだよ」
しまぞうは「フギャア」と変わった鳴き方をして、僕の顔をひっかいた。
「いてっ」
しまぞう、お前もか・・・!

しまぞうを逃がしたら、しまぞうは駐車場の車の下に入っていってしまった。
そのとき、通路を歩いてきたモコモコのパーカを着た、懐かしい女性。


198

はやみん。
少し具合がよくなったのか、髪はどこまでも美しく繊細で、メイクなどしていなくても、
十分に美しい格好をしていた。
僕は気付かないふりをして、あえて目をあわせず、荷物を抱え歩き出した。
「ジュナン、待って」
「・・・何だ」
「あたしも連れていって。君と一緒にいたいの。君の世界へ連れていって」
僕は少し泣きそうになって、耐えた。そして首を振った。「できないんだ。どうしても」
「なぜ!?」はやみんは抱えていたコップを落とした。
「君はあたしの事が好きなんでしょう?」
「それでもできないんだ。僕には、・・・僕には、別に恋人がいるから」
はやみんはとても苦く、辛そうな表情をした。「別に恋人さんがいたんだね。
じゃあ、あのキスは何だったの?」
はやみんの、歌声にも似た甘い声が、かすれている。
「ここでお別れだ、もう最後だよって言いたかったんだ。あれは。
誤解を与えてしまってたらごめんね」

「そうか・・・」はやみんは通路を少し走って、こっちを向いて、大声で叫んだ。
「大っ嫌い。あんたなんか大っっ嫌い!!!」
僕は耳を塞いで、でも耳を塞ぐと荷物が持てない事に気付き、荷物を持って
早足で歩いた。
わずか数週間の悲恋。
ベイビー、グッバイ。



読者登録

あめのこやみ(おけちよ)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について