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「いいから聞け!」僕は怒鳴り声に近い声で言った。怒鳴り声に近い、ありったけの優しさ
をこめた声で。「お前は愛されるだろう。お前は大切にされるだろう。でも今のままじゃ
無理だ。病気のせいだけじゃない。お前が・・・」
玲音が僕の腕をすごい勢いで払いのけた。「黙れ、人殺し!!!!僕はちゃんと知ってんだぞ、
おまえがどうやってお母ちゃんを殺したか・・・」
「説明できるものなら、してみるんだな」僕は負けじと言い放った。
「やめろ!!」少しかすれた声。後ろから聞こえた。
「リード・・・」大声を出すのもやっと、という感じの、弱ったリード。戸のところに手をつき、
何とか立っている。
「もう何でもいいだろ。そのくらいにしておけ。まだわからないのか。ジュナンはそんな
事、決してしない」
「リード・・・わかったよ」玲音が頭を抱えて、床にうずくまった。「じゃあお母ちゃんは、
何で死んだの・・・?」
「それはお前しか知らないはずだ。お前は何も言わなかったから」リードは真ん中の
ベッドに倒れるように寝た。

「可哀想に、こいつは裏切られてばかりきたんだな」
リードのベッドの横で、僕は子守唄でも歌うように言った。
リードはぐったりしていた。話などあまり聞いていないようだった。
玲音は泣きじゃくって、「ごめんね、ジュナン、ごめんね」と繰り返していた。
「裏切られて、騙されて、また裏切られて。それで人をとことん疑うようになったんじゃない
かな。僕の勝手な推測だけど」
水色のカーテンから入ってくるやわらかい光が心地良い。

 


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今日はレノの様子が夜になってから変だ。
突然部屋の連中に自己紹介をしてきたり、よくわからない。
「俺、レノ。よろしくっす」
玲音の件で疲れ果てていた僕は、よく眠れた。

(一日後)

今日は買い物があったが、牛乳一本しか買わなかった。
どのみち冷蔵庫は無いし、牛乳が恋しいから買っただけ。小さい頃に捨ててて
本当にごめん。
あと何日も残っていないから、別にお菓子はいらない。

今日カフェテリアで会って、美貌の貴公子にびっくりした。
リード。ヒゲを剃っただけじゃなくて、いつものただのグレーのパジャマから、細身の
ジーンズに着替えていた。虚ろな目もなんとなく、いつもよりは力があるように思えた。
あとから玲音も来た。よく見ると、リードと腕を組んでいた。うらやましいな。
いつの間にそんなに仲良くなったんだ?
「病気はだいぶ良くなったみたいだな、リード」
「おお、ジュナンじゃないか。おはよう」リードが微笑んだ。
「ジュナン、おはよう」玲音も昨日の妄想はどこへやら、元気になっていた。

閉鎖だから虚ろというわけじゃないんだな。
閉鎖にもまだ諦めない人達がいっぱいいて、それぞれに個性があって、ケンカも
するけど、毎日を不自由ながらもなんとかして楽しもうとしてる。雑草だな。
水路の。水かさが増えると簡単に水没するような、雑草。でも生きようとしてる。壊れて
しまった毎日をなんとか組み立てようとする人々。たくましいな。力強いな。


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そういえば、最近僕の心の中の声が何も言わなくなったな。以前はよく僕を
殺そうとして善の声と闘い、僕の頭の中をぐちゃぐちゃにしていたのに、そういう
事は自然となくなった。順調に回復してきているのか。実感はないけど。

トイレの守り神様が話しかけてくるけど、何を言っているかまるでわからない。
どう答えたらいいのだろう。
内容じゃなく、滑舌が悪くて何を言っているかわからないお年寄りが多い。
古い抗精神病薬を使っていたせいかな。それとも僕もいずれそうなるのか?
でも、内容が分かっても怖いだけかもしれないけれど。

僕のベッドはエアコンに一番近く、暑い。我慢しなきゃな。
他の人は丁度良いと言っているから、僕一人の都合で温度は変えられない。
僕はもう24歳なんだ!自分の都合だけ主張していればいい時代は終わったんだよ。

とかいって暖房に耐えていたら、具合が悪くなってしまった。
熱があるかと思って、体温計をナースステーションに借りにきた。
「ようジュナン、大丈夫か」玲音といつも一緒にいるようになってから、リードの目には
力がいくぶん戻ってきていた。
部屋の人に暖房を切ってもいいかと尋ねたところ、OKだったので切ってもらったが、
8時過ぎにいつの間にか入っていた。看守、裏切り者・・・

 


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「お前なんか、嫌いっす」レノに嫌われた。キッカケは書くのも馬鹿馬鹿しいような事だった。
別に僕にはどっちでも良かった。僕はどうせすぐ退院するのだから。
今は、事務的に彼に接するようにしている。
誰に嫌われてもいいや。僕はもう透明人間じゃない。竜牙が夢の中で教えてくれた。
僕は、誰かを守る事のできる人間だ。

エルが言うようには、「この部屋で一番まともなのは、ジュナンだと思う」という事だった。
きっとレノがいかれてるんだな。僕は正気みたいだ。
エルは新入りだが、わりと冷静に観察していたようだ。

レノがまた住所を教えて欲しいだの、馬鹿馬鹿しい事を言ってきた。僕は犬のしつけ
みたいに、「ダメ」と言って断った。もうこれ以上、お前のワガママには付き合ってやれ
ないんだよ。僕は何かに依存するとか、振り回されるとか、そんなの嫌なんだ。


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ついに、退院の日の一日前。
午前中は塗り絵と書道をやった。コーヒーを飲み忘れて寝ぼけていた僕は、机の上に
伏せて寝てしまった。
午後、これではいけないと思い、すぐUCCのインスタントコーヒーを飲んだ。カフェイン中毒だな、
これは。
鍵を預けていたので、もらいに行ったら、看守に「お前が勝手に失くしたんじゃないか」と言われ、
部屋中を捜索された。無論、鍵は出てこなかった。鍵は看守が違う場所にかけ間違えて
いたのだから!ろくに調べもせず、患者を疑う看守。最悪だ。

ブラックコーヒーってただ苦い味がするだけなんだけど、そのクリアで切ない味がするのがいいんだよ。
何も牛乳で濁らす必要なんか無いんだ。
ん、外でしまぞうの声がする。僕は、真昼間から寝ているレノやエルに見つからないように、
そおっと水色のカーテンを開けた。窓のコンクリートの塀の上に、なんとしまぞうがいる。
こんなにそばにいるのに手を伸ばすことさえできないのが切ないけど。会いに来てくれたんだな、
僕が退院するのを知って。
しまぞうは「ミャア」と鳴いて塀を下りて行った。僕は窓の外をいつまでも見ていた。



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