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「レイン、お前の部屋か」
「うん」だからあのとき、最初に握手したのは・・・
「リードが今にも倒れそうだから、支えて連れていってあげてくれないか」
リードの息遣いが荒くなる。ソファにもたれ、息ができないようだ。
パニック発作だろう。だから死ぬ事はないはずなのだが。
「ジュナンも一緒に来てよ」玲音が僕の裾を引っ張った。

僕は特別に、玲音の部屋に入れてもらった。
玲音は自分の3人部屋の真ん中のベッドにリードを横たえると、掛け布団を
かぶせた。リードがはあはあ、と荒い息をするのが聞こえる。
「僕もよく前は起こしたけど、これはたぶんパニック発作だ。看守に言わなくても
問題ない」
「リスパダール、もらったほうがいいかな、どうしよう」玲音は判断しかねている様子だった。
「自分で取りに行かないと、出してもらえないだろう。看守はそういう奴らだ。
少し落ち着いたら、僕がリードを支えて、連れていく」
「じゃ僕も行く」

こんな時、自分だったら一番してもらいたかった事は・・・
あの時、母さんがしてくれたように。
僕は、リードの右手を強く握った。握って、放さなかった。
リードは、疲れ切ったような目で、僕を見た。
「あ、りが・・・とな」
その悲しそうな表情が、未だに僕には忘れられない。


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ブッチャーは一人っ子と自分で言っていたが、本当に一人っ子らしく、わがままで
お坊ちゃまだ。ああ言えばこう言う。言い訳ばかりして、欲しいものが人のものなら
必ず奪う。努力しようともしないで、いつも嘆いている。僕はああいう風にはなりたく
ないな。

気がつけば、自分の部屋の戸のところにリードと玲音がいた。
「たまにああなるのさ、俺は。気を遣ってくれてありがとうな」
「だいぶ良くなったみたい。あとは僕がなんとかするから、ジュナンは心配しないで」
レイン・・・
お前、強くなったな。殴り合いのケンカして、竜牙にくっついて守られて、
泣き叫んで・・・ずっとそんなだったのに。玲音が人を守るなんて、
いつの間に成長したんだ、お前・・・
「ちゃんと一緒にリスパダールももらってきたし。ねえ」
「あっ、忘れてた」僕は赤面した。
リードの顔が暗いながらも、少しほころんだ。

「ところでリード、そろそろジュナンが退院するんだって、知ってた?」
「マジかよ」リードはそれしか言葉がなかった。「せっかくこれから色々話そうと思って
たのに」
僕らには、もう時間がないんだ。

 


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閉鎖の看守って、何でこうもキレ気味な人ばかりなんだろう?話しかけるとたいてい
「はあ?何ですか?」と返ってくる。キレ気味な人ばかりだ。結構怒る時の声がデカいし。

竜牙が退院してから、部屋にエルという30代後半くらいのおっさんが入ってきた。
気がつくと僕はここのベテランになっていたので、色々と説明した。関わってはいけない
連中の事とか。

缶コーヒーの匂い。いい香りだ。鼻を近づけてそのほろ苦い香りにきゅんとなる。
僕のコーヒーちゃん。3時のおやつで何か食べようと思ったら、待ちきれずに
結局コーヒーを買ってしまった。ブラックの小さめの缶のやつだ。
冷たい缶が僕の心を不思議と温めてくれる。恋の魔法だね。とか言っちゃったりして。
コーヒーの飲める所ならどこでも暮らしていけるような気さえもする。

今日はカラオケをやった。エルレのSpace Sonicを歌った。歌い終わったら
玲音やリードが拍手してくれた。名前も知らないみんなも。そんなに上手かった
とも思えないのだが。
B'zの曲を歌ったおっさんがとてもたくましく、みんな大爆笑してた。
そのうち別の一人がエアギターを始めた。
みんな笑ってた、久しぶりにいいな、この雰囲気。


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待ちに待ったあの日が近づいてくる。水の月27日。
僕の誕生日。偶然、その日が退院の日になった。
ここともそろそろお別れだ。

僕は家に帰るんじゃない、新たな場所に旅立つんだ。
とかカッコいい事を言っておいて、僕は少し寂しい思いでいる。
家に置いてきたものがいっぱいある。父さん、母さん、連絡のとれない姉さん、
僕の部屋、積み重なったアルバム、小さい頃からの思い出・・・
でもここに置いていくものもまた、たくさんある。解放と閉鎖のみんな、叫び声、
閉じ込められた生活、その苦い思い出。
苦い思い出も、思い出は思い出として帰りの車に持ち込めたらいいのに。
できないんだよ。

叫び声が聞こえて、誰かが「すみませんでした!」と怒鳴る!幻聴か?
怖いけど、誰も僕を傷つけようとする人なんかいない。そう信じて少し早いが寝る
事にしよう。就寝薬はもちろんもらうけど。その時は君が起こしてよ。

 


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月日が何事もなく過ぎてゆく。今日の朝は何もないのでヒマだ。
ここの人々の生活は、規則正しいが、どこか狂っている。
病室の戸を蹴る人。床に寝転がる人。独り言をぶつぶつと言って自分の世界に入って
しまってる人。突然奇妙な声で大爆笑しだす人。廊下に全部の荷物を置いてずっと
座ってる人。キ○ガイばかりだ。

唯一マシなのはリードだけに思えた。リードが青ざめた顔で言ってた。
「どうにかしてくれよ。前に俺がいた病院には鬱の奴もいっぱいいたのに、ここの病院は
まともに会話通じるのがお前しかいないんだよ。どうにかしてくれよな」
つまり、彼は「怖い」と言いたかったのだろう。年下に向かっては言いにくいようだった。
だから前からいたジュナンに救いと癒しを求めにきたようだ。
「前の病院はこんなんじゃなかったさ。病棟に鍵がかけられるなんて、そんなの」
「家畜、だな」僕はもはや余裕で返した。僕の表情はきっと、微笑んでさえいただろう。
「それに・・・レイン。あいつも可哀想な奴だよな。唯一の親族にも見捨てられてんだろ」
「レインか」僕は話題を変えた。「前お前のカフェテリアで座ってる席には、竜牙っていう
男が座ってたんだ。その話は聞いたか」
「そういえば、あいつリュウがいなくて何とかって言ってたな。そのリュウの事か」
「そうだ。そのリュウは、なぜレインが2年もここから出られないかを正確に見抜いてた」
「なぜ?」
「レインは被害妄想も強いけど、それ以上に繊細で、そしてもう一つ・・・」

 



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