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今日は2回も水をかけられた。
一回は、みそ汁をこぼしてトレーナーがびしょびしょになってしまった。
2回目は、人とぶつかってクスリのコップが揺れ、水が着替えた服にこぼれて
服がますます寒くなってしまった。部屋に帰るまで凍えていた。

玲音はいつも竜牙と向かい合って食事している。僕はいつも竜牙の隣の
席で食べるのだが、もうそろそろ竜牙の席は空になるのか、と思うと虚しい。
今日は、玲音が「英会話をやりたい・・・通ってみたい」と言うので、僕は
「いいんじゃないか」と言って励ましたつもりだったのが、
「!」玲音が目を見開いて言った。「ジュナンは僕にお金を使わせようと
してるんだな、よくも・・・」

僕は、もう玲音を見捨てる事にした。竜牙を挟んで、玲音と反対側のソファに
座った。あいつなんか嫌いだよ。だってろくに会話もできないじゃん。そんな恨みにも
似た思いが僕の中で渦巻くようになった。髪はぼさぼさで、不潔で、人をすぐに疑い、
自分ひとりがみじめだと思ってる。誰が救ってやるものか!
「ねえリュウ、・・・」
「何だ?・・・」
何か二人だけで会話しているのが、余計に惨めで辛かった。


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竜牙はきっと、朝に出ていくだろうから、実質、今日が最後の一日。
朝方は、竜牙は眠そうで、髪の毛はファッションもあると思うのだが、いつもに
増して立っていた。
僕は玲音になんか負けるつもりは無かった。熱いものを両手にかかえ、目をこする
ベッドに半分体を起こした竜牙に手渡した。「おっ、コーヒーか。気がきくな。ありがとよっ」
コーヒーを意外にもちびちびと飲む竜牙。僕は彼は猫舌なのかな、と思った。もっと
一気飲みのイメージがあるのだが。

「なあ、リュウ」僕は後ろ手に紙とペンを用意していた。「住所、教えてくれないか。
何か出すかはわからないけど」
「ごめん」竜牙はうつむいて、悲しげに目を閉じた。「それはできないんだ」
「家に押しかけたり、なんてしない」誓ってもいい。
「申し訳ない。でも、それだけはできないんだ。本当にごめん」

そうか、竜牙・・・

「でも俺は、お前と出会えた事、二度と忘れないぜ。年取って、ハゲて、ボケ老人に
なっても。それだけは、誓える」
ははは。竜牙はそういって笑った。僕も笑った。
笑いすぎて、涙が出てきた。
「僕もお前と出会った事、忘れられそうにないよ。残念だけど、どんなに脳がやられ
ちまっても。インパクトがすごかったから」
「インパクトって何だ」
「さあな」笑いは消え、あとに流れる涙だけが残った。


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涙をグレーのトレーナーの袖で拭いて、僕は言った。
「誰もいないな」
「そうだな」
今はブッチャーはどうせいつもの公衆電話の前にいるだろうし、レノは
どこかわからないが、ベッドにはいなかった。
外は快晴。美しい朝。

「リュウ、ひとつ、僕の願いを叶えてくれ」
「おい、何だ何だ?」その少しかしこまった態度に、竜牙はいつもと違うものを
感じたようだった。
「リュウ」僕は両手を20cmくらい広げた。「僕とハグしてくれないか」
「何だ、そんな事か。俺の力は強ぇぜ。いいんだな」
先に竜牙を抱きしめたのは、僕。竜牙の大きなてが後から僕をしっかり
抱いた。「お前、ちょっと今日ヘンだよな。何だ、そんな事だったのか。
泣いたりして」
竜牙の腕の中は、痛くも何ともなくて、むしろ暖かく、どこまでも優しかった。
目から次々と、伝えたかった事があふれ出して、止まらない。
僕の頭は、竜牙の胸くらいまでしかない。それが、居心地のいい原因かもしれなかった。

「あと、玲音が言ってたぜ」
「何て?」僕は少し正気に戻った。
「数日前はごめん、って」


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実はな、まだ他人に話した事はないんだ。お前だから言うんだが」
「話してみろよ」
「俺は某市で包丁を振り回してたんだぜ、昔」
「それはやべえな、本当か」今の落ち着いた竜牙からは想像できない、過去の姿。
「よく訳の分からない、得体の知れないものに襲われる気がしてな。必死で包丁で
そこら中を切りつけて、パトカーのサイレンがそのうち聞こえて・・・」
「すごい過去だな、それは」

「いや」竜牙は言った。「それはレインだけじゃないって事さ。今あいつはたまたま
そういう状態にいるけど、俺も昔はそうだったんだ。お前なんて軽症すぎるから
逆にわかんねんだよ。
それでもレインを見捨てられるか?あいつは俺の過去の姿そのままなんだ。
訳のわかんねえものにいつも怯えてる。でも治れば違うんだよ、あいつはいい奴
なんだよ!」
僕はまた涙が出そうになって、必死で抵抗した。玲音と竜牙が通じ合ったのは、
結局二人とも、同じような過去だったからなのだ。竜牙が一方的に救おうとしていたの
ではなくて。
竜牙がやっとコーヒーを全部口に入れ、微笑んだ。
白い太陽の光に照らされて。


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レクで習字をやった。昔習っていたが、かなり腕が落ちていた。小さい
文字が綺麗に書けなかった。残念だな。

今日の午後は、ハードスケジュールだった。竜牙の退院の事を考えている暇もなくて、
こんな生活してたら一生治らないんじゃないかと思った。
夕食の時になって、鍵が閉められて、ようやく少し時間ができた。

玲音はクスリの副作用で変な方向に曲がってしまった黒目をなんとか
竜牙に向けて、寂しそうな表情をしていた。僕は竜牙の隣で黙々と夕飯を
食べた。誰も、何も言わなかった。僕らを繋いでいるのは言葉なんかじゃなくて。
玲音は突然立ち上がって「ジュナン、ごめん。本当にごめん」と言って
自分の頭を叩き始めた。竜牙はその腕をつかんで、
「お前は何も悪い事してないよ。病気のせいさ。
それに、もう過ぎちまった事だろ」もう最後になるかもしれない、笑みを浮かべた。

その日は早めにベッドに入った。まだ消灯までに30分近くあったけど、竜牙がどうも
頭が痛そうにしているので、そっとしておこうと思った。

もう永遠に、会えなくなるんだな。
どんな顔して、別れたらいいだろう。どんな顔しても、泣いてしまうのは分かっていた。



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