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もっと学んで、見て、聴いて、肌で感じて、そして知ってくれよ!こんな怖ろしい病気が
ある事を。ずっと差別され続けてきた歴史を。
統合失調症が理解され、治る病気として世間に認知されれば、こんなクソ入院
なんて少なくなるだろう。本当にクソだな。

いつも救命救急士の卵達とこんな会話をする。
「ジュナンさんって、病気に見えないですよね。どこが悪いんですか」
「頭が悪いんだよ」僕は自分のプリン頭を指差す。
「そんな」その20歳の女の子はびっくりしていた。「頭に病気があるようになんて
全然見えないです。驚きました」
「イカれてるからだよ」僕は今日のごはんを聞かれたのと同じように、平然と
答えた。
「えっ、どこがイカれてるの・・・?スタッフさんかと思いました」
「統合失調症さ」
「へえ~見えないです」
見えなくても僕の頭はイカれてんだよ。それが、現実。
ただし僕の目は典型的なクスリ飲んでる人の目じゃなくて、普通らしい。
目の焦点が、あってきたのだろうか。なぜかわからないけど、
誰にも指摘されなくなった。


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今日は2回も水をかけられた。
一回は、みそ汁をこぼしてトレーナーがびしょびしょになってしまった。
2回目は、人とぶつかってクスリのコップが揺れ、水が着替えた服にこぼれて
服がますます寒くなってしまった。部屋に帰るまで凍えていた。

玲音はいつも竜牙と向かい合って食事している。僕はいつも竜牙の隣の
席で食べるのだが、もうそろそろ竜牙の席は空になるのか、と思うと虚しい。
今日は、玲音が「英会話をやりたい・・・通ってみたい」と言うので、僕は
「いいんじゃないか」と言って励ましたつもりだったのが、
「!」玲音が目を見開いて言った。「ジュナンは僕にお金を使わせようと
してるんだな、よくも・・・」

僕は、もう玲音を見捨てる事にした。竜牙を挟んで、玲音と反対側のソファに
座った。あいつなんか嫌いだよ。だってろくに会話もできないじゃん。そんな恨みにも
似た思いが僕の中で渦巻くようになった。髪はぼさぼさで、不潔で、人をすぐに疑い、
自分ひとりがみじめだと思ってる。誰が救ってやるものか!
「ねえリュウ、・・・」
「何だ?・・・」
何か二人だけで会話しているのが、余計に惨めで辛かった。


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竜牙はきっと、朝に出ていくだろうから、実質、今日が最後の一日。
朝方は、竜牙は眠そうで、髪の毛はファッションもあると思うのだが、いつもに
増して立っていた。
僕は玲音になんか負けるつもりは無かった。熱いものを両手にかかえ、目をこする
ベッドに半分体を起こした竜牙に手渡した。「おっ、コーヒーか。気がきくな。ありがとよっ」
コーヒーを意外にもちびちびと飲む竜牙。僕は彼は猫舌なのかな、と思った。もっと
一気飲みのイメージがあるのだが。

「なあ、リュウ」僕は後ろ手に紙とペンを用意していた。「住所、教えてくれないか。
何か出すかはわからないけど」
「ごめん」竜牙はうつむいて、悲しげに目を閉じた。「それはできないんだ」
「家に押しかけたり、なんてしない」誓ってもいい。
「申し訳ない。でも、それだけはできないんだ。本当にごめん」

そうか、竜牙・・・

「でも俺は、お前と出会えた事、二度と忘れないぜ。年取って、ハゲて、ボケ老人に
なっても。それだけは、誓える」
ははは。竜牙はそういって笑った。僕も笑った。
笑いすぎて、涙が出てきた。
「僕もお前と出会った事、忘れられそうにないよ。残念だけど、どんなに脳がやられ
ちまっても。インパクトがすごかったから」
「インパクトって何だ」
「さあな」笑いは消え、あとに流れる涙だけが残った。


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涙をグレーのトレーナーの袖で拭いて、僕は言った。
「誰もいないな」
「そうだな」
今はブッチャーはどうせいつもの公衆電話の前にいるだろうし、レノは
どこかわからないが、ベッドにはいなかった。
外は快晴。美しい朝。

「リュウ、ひとつ、僕の願いを叶えてくれ」
「おい、何だ何だ?」その少しかしこまった態度に、竜牙はいつもと違うものを
感じたようだった。
「リュウ」僕は両手を20cmくらい広げた。「僕とハグしてくれないか」
「何だ、そんな事か。俺の力は強ぇぜ。いいんだな」
先に竜牙を抱きしめたのは、僕。竜牙の大きなてが後から僕をしっかり
抱いた。「お前、ちょっと今日ヘンだよな。何だ、そんな事だったのか。
泣いたりして」
竜牙の腕の中は、痛くも何ともなくて、むしろ暖かく、どこまでも優しかった。
目から次々と、伝えたかった事があふれ出して、止まらない。
僕の頭は、竜牙の胸くらいまでしかない。それが、居心地のいい原因かもしれなかった。

「あと、玲音が言ってたぜ」
「何て?」僕は少し正気に戻った。
「数日前はごめん、って」


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実はな、まだ他人に話した事はないんだ。お前だから言うんだが」
「話してみろよ」
「俺は某市で包丁を振り回してたんだぜ、昔」
「それはやべえな、本当か」今の落ち着いた竜牙からは想像できない、過去の姿。
「よく訳の分からない、得体の知れないものに襲われる気がしてな。必死で包丁で
そこら中を切りつけて、パトカーのサイレンがそのうち聞こえて・・・」
「すごい過去だな、それは」

「いや」竜牙は言った。「それはレインだけじゃないって事さ。今あいつはたまたま
そういう状態にいるけど、俺も昔はそうだったんだ。お前なんて軽症すぎるから
逆にわかんねんだよ。
それでもレインを見捨てられるか?あいつは俺の過去の姿そのままなんだ。
訳のわかんねえものにいつも怯えてる。でも治れば違うんだよ、あいつはいい奴
なんだよ!」
僕はまた涙が出そうになって、必死で抵抗した。玲音と竜牙が通じ合ったのは、
結局二人とも、同じような過去だったからなのだ。竜牙が一方的に救おうとしていたの
ではなくて。
竜牙がやっとコーヒーを全部口に入れ、微笑んだ。
白い太陽の光に照らされて。



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