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「あいつはずっと、俺達じゃ考えられない程の孤独に耐えてきたんだ。わからねえよ、
どうしてあいつだけがあんな目に遭ってるんだ?俺には『希望をもて』なんてとても
言えねえ。無責任すぎるからさ」
竜牙の目に、何か光るものが動いたようだった。「だから、あいつは守ってくれる
誰かを必要としてるんだ。一人で生きていけないから」
僕はベッドサイドに移動してその独り言のような話を聴いていた。
「なあ、僕じゃダメか」
「ジュナン、とんでもないぜ。お前が必要なんだ」竜牙の大きな両手が伸びてきて、
僕の小さな手のひらを包んだ。
「レインに伝えてくれ。あいつは物事を客観的に見れてねえんだよ。自分が
公衆の面前でケツ出してても、分からねえんだ。自分がどう見られてるかって事を。
そのまま言うんじゃ、繊細なあいつを傷つけちまう。オブラートに包んでな」

鍵のかかったホールの中で、僕は玲音を見つけた。確かに、彼は床に座る時
股上の浅いジーンズを履いていて、尻が丸出しになっている。そしてその事に
気付いている様子がまるでない。
「レイン・・・ちょっといいか」僕は手に汗をかきながら尋ねた。
「何?」
「その、後ろが・・・丸出しになってる」
「!」玲音は、事に気付いたようだった。そして・・・
看護師の元へ大声を出しながら走って行った。
「看護師さーん!いじめです!ジュナンが僕をいじめてきます!!」
「・・・」僕はあっけにとられて、何も言えなかった。

 


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「そうか、やっぱりダメか・・・」竜牙が険しい顔をした。
「被害妄想が強すぎて、俺らがどんな思いでレインを守ろうとしてるか、
まるで分かってねえ。肩を落としなさんなよ。俺でもきっと同じようにしか
言えなかったはずだ」
竜牙の優しさは、今僕のささやかな癒しになっていた。リュウのベッドの脇に
座っている時が、僕の一番幸せな時間。
「寝ますので、静かにしてくださいっす」レノが無表情な声で言った。
「あ、俺も寝るわ」僕は自分のベッドに帰った。消灯時間が近い。

(一日後)

朝食を終えた僕は、なんだか妙に寂しくなってしまった。
誰かに、抱かれたい。あるいは、抱きたい。でもそんな事してくれる人は
どこにもいなくて、温もりに飢えていた。
部屋の戸の外で、守り神様が何か汚い事を叫んでいる。食事中に便の話など
止めてほしいものだ。でもそれ以外には何の音も無い。無音。息が詰まるような
気さえもする。


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朝一にブラックコーヒーを飲んで、頭がスッキリした。何か生きてる事をしよう。
何でもいいや、生きてると感じられる事なら何でも。

竜牙の退院まで、あと3日となった。僕にはまだ、やり残した事がある。
竜牙が受け入れてくれるかどうか、わからないけど。最高のプレゼントだ。
竜牙がいなかったら、閉鎖でやっていく事などとてもできなかったはずだから。

リハビリ室で塗り絵をやった。思い切り変な色使いにしてやった。
僕を生かしてくれるものは、死んだり消え失せたりすることがある。
でもまた現れるんだ、別に。生かしてくれるものがずっと、失せたままでいたことは、
ない。タイラーの次に竜牙と出逢えたように。
それは、友人だったり、趣味だったり、コーヒーだったり、何でもそうだ。
死んでも、再生するんだよ。

今日のヨガと準備体操を部屋でやっていたら、ブッチャーに大爆笑された。
僕には意外と向いているようだった。
ここに来てから2週間が経った。大抵誰がいい人で誰が関わっちゃいけない怖い人か
分かるようになった。怖い人なんて、世間にはどこにでもいるようだ。それもいい人の
顔をして。それに、いいと悪いの中間の人もいるようだ。

 


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今日の夜、ナースステーション前で同室のレノが泣いていた。彼は遠いところから
この病院へ連れてこられたらしい。
「おかしいっすよ。絶対おかしい。不平等っすよ。
天罰すか。俺は悪い事何もやってないっすよ。
どうして誰も面会にすら来てくれないんすか。俺なんかいらないんすか。
おかしいっすよ」
かなり取り乱していた。それにしてもまだ面会は一度もないらしい。
遠い県から来ているから、そう簡単に来れないのだろう。
僕も少し切なくなってしまった。面会があるとはいえ、父さんや母さんや
姉さんと暮らしていた小さい頃を思い出してしまう。

あの頃は自分が幸せなのだと、恵まれているのだと思った事も無かった。どん底を
通り抜けてこないと、光のありがたさは分からないようだ。
北海道に旅行に行って、牛の乳を搾ったり、馬に乗ったり、カヌーを姉さんと漕いだり・・・
姉さん、本当はどこにいるんだ?返事してくれよ。
窓のところにいたのは、幻だったのか・・・?

 


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今日は防災訓練があった。グラウンドで並んでいる時、遠くにタイラーの懐かしい顔が
見えた。たぶん、第三病棟の列だろう。
声をかけようとしたが、タイラーは全く僕の事など気付いていないようだった。そのまま
看守に言われるままに、閉鎖病棟に帰されてしまって、鍵をかけられ、結局何も
言えなかった。
野田は?ケヴィンは?どうなったんだろう。僕の知らない事が、知らない間に過ぎて
ゆく。

ここは救急救命士になるための学ぶ場所にもなっているようで、僕より4つくらい下の
学生さん達が学びにきている。精神障害者とはどのような存在なのかを。
解剖で使われるカエルみたいなものか。学校の大きめの水槽に土を入れて飼う
カブトムシ?とにかく僕らは彼ら、彼女らの実験台なのだ。
まあ、もっとも統合失調症は差別の残る病気だから、若い子達が学んでくれるなら
僕はカエルやカブトムシである事を誇りに思わなければな。

 



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