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竜牙は、ベッドにうずくまっていて、掛け布団で顔をかくしていて動かない。
「おい、起きろよ・・・夕食の時間だよ」僕は恐る恐る声をかけた「大丈夫か?」
竜牙は突然ぬっと顔をあげて、「もうそんな時間かよ」といって伸びをした。
「いや、頭痛はもういいんだけどよ、手が・・・」
左手を左側にいる僕に差し出す。「震えて止まんねえんだ、さっきからずっと」
確かに竜牙の大きな手は、見て明らかにわかるほどガタガタ震えていた。
「何だろ?クスリの副作用かな」僕は考えてみたが、副作用くらいしか原因が
思いつかない。「今度の診察で言ってみたらどうだ」
「ああ、そうする」そう言う間にも、竜牙の手は白いシーツの上でずっと震えていた。

「太陽が昇って、朝日が来る事。貴重だよねえ」ブッチャーがため息交じりに
つぶやく。「どうせここじゃそんなに見れないけどな」僕が返す。
過ぎていく時間ほど貴重で、残酷なものはないよ。
でも、時間ほど美しいものを見たこともない。
きらめきは一瞬だから綺麗なんだよ。流れ星が毎日毎日流れて、空に四六時中
オーロラが出てたなら、誰も夜空を見る人などいなくなるだろう。

「空より美しいもの、なーんだ」僕は玲音に尋ねてみた。夕食は終わっても、全員が
クスリを飲み終わるまでは、病棟への鍵が開かない。ホールに閉じこめられて、
竜牙と僕と玲音がベンチに並んで座っている時のことだ。
「なんだろう・・・音楽とか」玲音は答えたが、僕は人の作った音楽が空を越えられる
とは思わなかった。
「知らね。頭痛てーよ」珍しく竜牙は非協力的だった。「早くベッドで寝たい」
「正解は、ないんだ。特に答えはないんだけど、僕が考えたのは」

時間。

「レインは音楽って言ったろ。でもその気持ちを高ぶらせていく、あるいは癒して
いく美しい時間がなければ、音楽は成り立たない。静寂も、音楽にとってなくては
ならないもの。それを作り出すのは、時間」

そして、この世でもっとも残酷なもの。

 


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風邪が流行ってるようだから、みんな気をつけて!
ではおやすみ。

(一日後)

インスタントのUCCは、まずまずな味だ。しかし金の微糖には遠く及ばない。
将来の話をブッチャーや竜牙として、ますます暗くなってしまった。夢?希望?
そんなのどこにもない。あるのは将来も精神病院の中、という現実。
「将来の話するのはもうやめようぜ。希望がなくて、ますます暗くなっちゃうから」
僕はそう切り出した。「希望はあるよ」ブッチャーが答えた。
「そんなものないよ。どこにもない!」
僕はそう叫んで、床にうずくまり泣き出していた。手と手で覆った顔。指の隙間から
次々と涙が溢れてくる。
父さん、母さん、姉さん、きらら・・・こんな大人になってごめんな、ごめん・・・
ブッチャーが立ち上がって、部屋の戸を開けた。「希望はあるよ。必ずね」
と言い残して廊下の方へ歩いて行った。

 


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ブッチャーがまた泣いていた。僕はまた慰めようとして、「どうした?」
と聞いた。彼は父親が「汚いやり方ばかりする最低な奴」と言っていた。原因の詳しい
ことはその話ではわからなかったが、「聴いてくれてありがとう」と言ってくれた。
そうだな、相手が理解しているか不明でも、話を聴いてくれたら嬉しいもんな。

面会があって、カフェで母と話した。面会の時だけ、病棟の外に出る事が許される。
コーヒーフロートを飲んだ。ブラックはここのが一番美味しいな、と思った。
マックのもおいしいけど、自販機の前飲んだやつは物足りなかった。それにアイスが
乗ってる。誰が考えたんだろう?大発明だね。
母は、自分の話はあまりしなくて、僕が自分のブタ箱での生活を一方的に話すという
感じだった。少しろれつが回らなくて、話しにくかったが、だいたいの意味は伝わったと
思う。「家畜」「看守」という言い方には引いたようだった。でも本当にそうなんだよ。
逃げないように、小屋に鍵かけられて、閉じ込められるなんて人間じゃない、豚だ。
二重の金属扉があるんだよ、閉じ込めるために。


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いじめに遭っている(と本人が言っている)いつも虚ろで寂しげな玲音を最近、
守ってやろうと思うようになった。僕はお人よしなのか・・・今月洗ったのかもわからない
ぼさぼさの髪、ガサガサの肌、目はクスリの副作用でおかしな方向に黒目が動いて
しまっている。いじめに遭わない方がどうかしている、とでも言いたくなる。
でも、竜牙はそろそろいなくなるんだ・・・玲音は、見た目こそあれだけど、本当は
優しい奴なんだろう。竜牙がいなくなったら、誰が玲音を慰める?誰が玲音を
かばってやれる?僕しかいないはずだ。新しく誰かが入ってくるまでは・・・
いつも何かに怯えているような顔をしている。過去に何か辛い事があったのだろう。
僕に誰かを助け、守るような力はあるだろうか。

いつも男子トイレ前に座っているボケ老人がいて、時にはどこのトイレを使うかを
指示してくる。初め来た時にはうっとうしいと思っていたが、今は僕は彼が自分を
トイレの守り神様だと思っているのだと確信している。
彼はここのトイレを守りたいのだろう、いつも入り口のところに立っている。
本当にいつもいつも、点呼の時と真夜中以外はいるので、何だか哀れになってしまう。
通る時に水をかけたり、殴ったりする人もいるという。僕は前は殴ったが、何だか
可哀想で今は無視するだけだ。


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今日、トイレに行った時、入り口でかがんでいたトイレの守り神様が立ち上がり、
なんと、いきなり僕の首を絞めてきた。「う・・・うわ・・・ゲホ、ゲホ」僕は全身の
力を使って意外と強いその両手を払うと、守り神様に対する憐れみよりも、怒りが
こみあげてきた。この男には理性がないのだ。
僕は思い切り右手で守り神様の頬をはり倒した。守り神様は衝撃で少し吹っ飛び、
汚れた壁に頭をぶつけてうずくまった。僕はもう許せなかった。さらに腹を2、3発
蹴った。看守に見つかると悪いので、さっさと用を足し、逃げた。どうせあいつなら
僕から受けた被害を看守に伝える事もできないだろう。
守り神様に、同情などいらない。僕はそう思った。

僕は将来、あのボケ老人のようになるのか?ボケるってどんな気持ちなんだろう?
わからないが僕はそうなったらおしまいだ。あんな風になりたくないよ。

もし僕がボケたら、守り神様のようになったら、殺してくれ・・・死んだ方がマシだ。
精神病院に幽閉され、治る見込みもないのにクスリを飲まされ、いじめられて、
叩かれて、蹴られて、首を絞めて・・・なんて寂しい人生なんだろう。

 

 



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