閉じる


<<最初から読む

149 / 202ページ

148

薬剤師と面談があり、長い時間かけて失ったものを再構築するために、
筋力が落ちているだろうから少しずつ運動を始めろと言われた。
なるほど、僕は筋力がないので、列に並んでいても座り込んでしまう。
それを何年もかけてまた作れというらしい。アホか。
やる気の失せるありがたーいお言葉だったわけだ。

部屋にいた時だ。しまぞうが外から鳴いてる。高いコンクリートの塀があり、どの
猫かまではわからないが、あれはしまぞうに違いない。
しまぞう、もう僕はそこには行けないんだって。ここは閉鎖病棟。外へは出れない。
お別れなんだよ。二度とおまえに会う事はできないんだ。ここは開かない窓の中
だから。本当に悲しいね、残酷だね。

水色のカーテンを開ける。ブッチャーやレノがタバコの時間でいないので、思い切り開けた。
塀の向こう側は見えないが、しまぞうは今日もどこかで鳴いている。
もう一度お前を抱き上げたいよ。でも、できないんだ。


149

エルレのSalamanderはいつ聴くのが一番いいかと思ったら、夜聴くと一番しっくり来る気が
した。朝とか明るい時間帯にはあまり向かないようだ。
Salamanderを聴いて一日が終わる。今日はいろいろあったけど、楽しい事もあったな。全体的に
生きてる感じがあった。ただ寝てるだけじゃ、生きてる実感なんてないよ。色々と
不愉快な事も含めて起こるから、それが僕を目覚めさせ、やる気にさせてくれる。
明日も充実した日になるといいな。

神様から与えられた宿題なんてさ、やればいいんだよ。
赤点でもいいんだよ。ただ最後までやらないと。
僕はこういう、ごく当たり前の事に今まで気付かずにきた。
投げ出して逃げることばかり考えてたさ。でも逃げられなくなってようやく
気付いたんだよ。認めて乗り超えなければならない宿題がたまってるって。
完璧にできなくてもいいから、逃げちゃいけないんだよ。

ブッチャー、レノ、竜牙の3人が、タバコから帰ってきた。
「お前、何聴いてんだ」竜牙が言った。
「エルレだよ、ELLEGARDEN」
「それって有名なの?」ブッチャーがまばたきした。レノは「なんとなく知ってるかもしんないっす」
竜牙は「もしかしてお前、洋楽ロックとか好きな方?」
「ああ、洋楽も聴くな」
「俺、リンキンパークとかグリーンデイ好きだぜ」竜牙がフフッと笑った。
「僕もリンキンパーク好きだ。Numbとか」
「おお、それカラオケで歌った事ある」竜牙が目を輝かせて言った。
「I become so numb! あとなんだっけ」竜牙が笑うと、僕も楽しい。
「続き忘れたけどな」
「いろいろ知ってるっすね。ウォークマン見せてくれっす」レノが覗きこんだ。
「うわぁ・・・洋楽ばっかり、こんなにたくさん」ブッチャーも仰天していた。
「すげえっす。ある意味尊敬するっす。何曲になるんすか」
「容量いっぱいまで入ってるよ」
「紙に書いてメモっとくから、いいバンド教えてよ」
ブッチャーたち三人は紙に何かメモしたようだった。

竜牙・・・
ほんとにあと数日で、いなくなっちゃうんだな。
こんな夜は永遠に続きそうに感じるのに。
いつの間にか別れの朝が来て・・・

まだ、僕にはやり残した事がある。

 


150

今日は同室のブッチャーと竜牙の調子が悪いようで、ブッチャーは何か
必死に質問をしてしがみついてくるのだが、まるで意味がわからないし、
竜牙は頭が痛いといって朝からずっと寝ている。休日なので、遊ぶ相手も
いないし、朝からずっとヨガでもやっていた。あんまり覚えてないけど、
他のみんなもそうだろう。
あとはストレッチ。言われた通りに、徐々に筋力を取り戻していこうと思う。

一番年長のブッチャーがさっきから布団に伏せて泣いているのだが、
どうすればいいのだろう。僕みたいなガキが軽々しく慰めたところで、怒られる
だけじゃないだろうか。

久し振りにコーヒーを飲まなかった。ミルクティーを買った。コーヒーを飲むように
なる前、子供の頃は自販機でミルクティーしか買わなかったほど、好きだった。
コーヒーの美味しい微糖のやつが閉鎖の自販機には無い。でもミルクティーが
美味しかったので、僕はコーヒーなしでもやっていけるのかな、と少しだけ思った。


151

竜牙は、ベッドにうずくまっていて、掛け布団で顔をかくしていて動かない。
「おい、起きろよ・・・夕食の時間だよ」僕は恐る恐る声をかけた「大丈夫か?」
竜牙は突然ぬっと顔をあげて、「もうそんな時間かよ」といって伸びをした。
「いや、頭痛はもういいんだけどよ、手が・・・」
左手を左側にいる僕に差し出す。「震えて止まんねえんだ、さっきからずっと」
確かに竜牙の大きな手は、見て明らかにわかるほどガタガタ震えていた。
「何だろ?クスリの副作用かな」僕は考えてみたが、副作用くらいしか原因が
思いつかない。「今度の診察で言ってみたらどうだ」
「ああ、そうする」そう言う間にも、竜牙の手は白いシーツの上でずっと震えていた。

「太陽が昇って、朝日が来る事。貴重だよねえ」ブッチャーがため息交じりに
つぶやく。「どうせここじゃそんなに見れないけどな」僕が返す。
過ぎていく時間ほど貴重で、残酷なものはないよ。
でも、時間ほど美しいものを見たこともない。
きらめきは一瞬だから綺麗なんだよ。流れ星が毎日毎日流れて、空に四六時中
オーロラが出てたなら、誰も夜空を見る人などいなくなるだろう。

「空より美しいもの、なーんだ」僕は玲音に尋ねてみた。夕食は終わっても、全員が
クスリを飲み終わるまでは、病棟への鍵が開かない。ホールに閉じこめられて、
竜牙と僕と玲音がベンチに並んで座っている時のことだ。
「なんだろう・・・音楽とか」玲音は答えたが、僕は人の作った音楽が空を越えられる
とは思わなかった。
「知らね。頭痛てーよ」珍しく竜牙は非協力的だった。「早くベッドで寝たい」
「正解は、ないんだ。特に答えはないんだけど、僕が考えたのは」

時間。

「レインは音楽って言ったろ。でもその気持ちを高ぶらせていく、あるいは癒して
いく美しい時間がなければ、音楽は成り立たない。静寂も、音楽にとってなくては
ならないもの。それを作り出すのは、時間」

そして、この世でもっとも残酷なもの。

 


152

風邪が流行ってるようだから、みんな気をつけて!
ではおやすみ。

(一日後)

インスタントのUCCは、まずまずな味だ。しかし金の微糖には遠く及ばない。
将来の話をブッチャーや竜牙として、ますます暗くなってしまった。夢?希望?
そんなのどこにもない。あるのは将来も精神病院の中、という現実。
「将来の話するのはもうやめようぜ。希望がなくて、ますます暗くなっちゃうから」
僕はそう切り出した。「希望はあるよ」ブッチャーが答えた。
「そんなものないよ。どこにもない!」
僕はそう叫んで、床にうずくまり泣き出していた。手と手で覆った顔。指の隙間から
次々と涙が溢れてくる。
父さん、母さん、姉さん、きらら・・・こんな大人になってごめんな、ごめん・・・
ブッチャーが立ち上がって、部屋の戸を開けた。「希望はあるよ。必ずね」
と言い残して廊下の方へ歩いて行った。

 



読者登録

あめのこやみ(おけちよ)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について