閉じる


<<最初から読む

143 / 202ページ

142

今日の午後は、中止になっていた運動会の残りがあった。
クイズで7問目まで生き残った。気分がいい。
というか僕はレノにずっとついていっただけなのだが。彼はなんとなく無表情だが
悟りすましているような超人的なところがあり、適当についていったら
なんと7問正解してしまった。ちなみに最後の最後でレノと違う方を選んだ
ら、外れた。レノは全問正解だった。もっと信用すればよかったな。

いつもはまるで見えない未来というものが、今日は青空のすぐ下あたりまで来ている
ように思えた。ひさしぶりに浴びた太陽のあたたかみ。もちろん看守の監視の
下だけど。僕は空に太陽がある事さえも忘れかけていた。
景品がいくつかもらえたけど、いつ僕の手元に来るのだろう。看守が箱に入れて
持って行ってしまった。

「おやつ、くださいっす」
いつものレノは決まってこれだ。なのに今日のクイズでは人格が変わったようだった。
おやつをねだる以外は、おとなしい無口な青年なのだが。

 


143

日のリハビリ室での勉強会では、幻聴や妄想について話し合った。眠かったけど、頑張って
発言した。自分の心の中の声が幻聴に近いものである事を聞けてよかった。
疲れてトイレに入ろうとしたとき、「トイレの守り神様」に服をつかまれた。
そんなに強い勢いでひっぱられたら、お気に入りのセーターが伸びてしまう。はじめ、
「やめて、やめてください」と言っていた僕も、ついに堪忍袋の緒が切れた。
僕は体術を習ったことがないので回し蹴りなんかはできないが、守り神様を両手で
つき飛ばし、更に繰り返し蹴った。手をグーにして殴った。「こいつになら勝てる」
という勝算があった。
守り神様をボコボコにしたところで、ようやくトイレに行く事ができた。

疲れて、しかもボケ老人にしがみつかれてヘトヘトな状態の僕だけど、僕は
何かしらの夢を見つけられるような気がしている。
閉鎖病棟。そんな所にも光は少ないながらも届き、僕はなんとか生きてるよ、
きらら、はやみん、G,アゲハ・・・!


144

まだ若い、経験のない僕は入院すればすべて楽になって、穏やかに療養できるのだと
思っていた。ところが全然違うんだよ。

こうも休めないうるさい環境で、怒鳴り声と罵声、奇声ばかりの環境で、何が療養
だよ。ノイローゼになりそうだよ。クスリは僕に合ったけど、それだけ。家に帰りたい・・・

あの雷の日から、外は快晴のときも、どんよりした曇り空のときも、僕は夕方になると
透明な窓の前のベンチに座って、外を眺めるようになった。あれは、姉さんだったんだ。
姉さんだったんだ・・・!僕を忘れないでいてくれたんだ!
立ち上がって窓の外を見回すが、今日も誰もいない、日が沈み、辺りは少し暗くなりかけて
きていた。
林がざわめいて、音は聞こえないが、冷たい風が吹いている事は容易に想像できる。
こんな寒いところを、しかし解放病棟の人はたまに上着を着て通るのだった。
顔見知りもいたが、タイラーにはまだ一度も会えていない。会いたいな・・・

タイラーとずっと、このまま退院までいられると思ってた。しかし、入院はそんなに甘くなかった。
タイラー、寂しいよ・・・
窓の外は群青色になって、ほぼ誰も見えなくなった。夕食のアナウンスが入ったので、
トイレへ行って鍵の中に閉じ込められよう。夕食の時間だ。


145

おはよう、朝だよ・・・こんな僕の所にも日が昇る。
夜明けとかは無論、見えない。カーテンをブッチャーたちが閉め切ってしまっている。
一人部屋のようにはいかないんだ。
朝は平等だな・・・外で見上げて空気を吸い込むなんてできないけど。

ラジオ体操をおバカな小学生よりずっと真剣にやった。
僕は真面目にやるのが好きで、かっこつけた中学生がたらたらやってるのを
見るのが嫌いだ。みっともないな。

話題変わるけど、何か一つを選ぶ事ってすごく勇気のいる事でないかい?
健常者のフリを捨てて、入院する事。世間の目を捨てて、障害者になる事。
凄く勇気の要る事を僕はすべて乗り越えてきた。そのかわりに得られたものも大きいし、
捨てたものについて後悔はしてないよ。僕はたくさんのものを捨てて、別のものを手に入れた。
まだ入院の途中だけど、なんとかなりそうだ。

昼食の頃、玲音がまた泣き叫んでいた。正直、自分の部屋にいても聞こえた。
何事があったのかと思って、玲音の部屋まで行ったが、他人の部屋には勝手に
入ってはいけない事になっている。それが、規則。
ベッドの上にうずくまる玲音を見ていた。「ジュナン、来てくれたの・・・?」
玲音は大声を出しつくして枯れた声で答えた。

竜牙にあとでその話をすると、「あいつ、実はな、障害年金もらってねんだよ・・・
大声ではいえないけどな。兄さんがいなきゃ本当に強制退院になるぜ。
申請が手遅れなのか、頭がやられててやり方が分からないのか、どっちかだな。
不公平だよな。あいつの方が障害重いのに。
せめて、両親がいりゃなんとかなったのにな・・・」

 


146

あの障害の重さで、年金をもらっていない・・・!ジュナンには想像がつかなかった。
両親もいない。兄と連絡がとれない。こんな小汚いブタ箱の中で苦しそうな息を
して生きてる。本当なんだ、たまにシューッっていう苦しそうな息の音が聞こえる・・・
まともに喋る事もできない。聴いているだけで、健康な人の頭が混乱してくる
ような喋り方しかできないのだ。

嗚咽の止まらない玲音の肩に手をまわして、何も言わない竜牙。本当に心が
通じ合っているのだろう。僕はあんな風にはなれない。玲音のぼさぼさの茶色い
髪の毛とガサガサの肌を「汚い」と思ってしまう僕がどこかにいて、でも「助けて
あげたい」と思う心も一方でどこかにあって、せめぎ合っている。
竜牙の退院日が決まったらしい。後に残された僕は、本当に玲音を守れるのか?
僕が誰かを守る?そんな事ができるのだろうか。

さて、今日はお金の事ばかり考えていたから、お金の幻聴が聞こえるように
なってしまった。「おい、金出せ」みたいな。
事務所に金を振り込む手続きもあって、相当疲れてしまった。
そんな事イカれた奴にできるわけないだろ!早く寝るね。



読者登録

あめのこやみ(おけちよ)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について