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§ 6 (1)

 調べれば調べるほど、興味深いっちゃあ興味深い。例のミュージシャンのことだ。
 ファンによる地裁での公判のレポートを読むと、彼女は心を入れ替えて一旦音楽活動を休止し、しばらく福祉活動に従事した後、実家の仕事の手伝いをすると述べたらしい。人気はあったのでしばらくマスコミも彼女の動向をウォッチしていたようだが、真面目にやっていてネタがなかったからかあまり報道はされていない。実家は輸入雑貨の店をいくつか経営していて、彼女は事務とか雑用とかをやっているようだ。さすがに雑貨の買い付けに国外へ出ることはないようだが、国内出張ならなくもないだろう。
 そこから意外な結び付きを見せるのが、これまでずっと俺が集めてた情報だ。最初に男に会った時から依頼されていた情報収集の中身というのは、世界中の珍しい小物とか、人気の輸入雑貨店の口コミとか、彼女の仕事の内容にかなり近いのだ。これだけで判断するのは危険だが、もしかすると、男と例のミュージシャンは本当に何かしら関係があるのかもしれない。
 顔を上げると、男は俺の正面でまだメモ帳を読みふけっていた。コーヒーは一口啜っただけで冷めてしまっている。俺は自分のコーヒーのおかわりだけを頼み、窓の外を眺めた。空は珍しく曇っていた。
「今はどう思ってるんだ?」
 男はメモ帳を置いて俺に尋ねた。
「なんのことだよ」
「きのう俺が言ったことだよ。俺が例のミュージシャンだってこと」
「そんなもん、お前のクソつまんねえ冗談だろうが」
「正直に言っていいから」
「正直に言ってるよ」
「正直に言ってくれれば、ウェイトレスにメニュー持ってきてもらうぜ相棒」
「マジでか」
 ついうっかり口を滑らせ、慌てて首を振った。俺は正直に言っている。正直に言っている。
「なんでそんなに隠すんだ。どうせお前の考えてることなんて筒抜けなのに」
「そうなのか?」
「俺が集めるように依頼してた情報が、例のミュージシャンの実家の仕事に関係している。そうだろ?」
「お前はエスパーか? それともほんとに吹き出しが?」
 俺は頭上で手を振り回した。手は何も触れず、ただ空を切った。男はため息をついた。
「バカには見えない吹き出しだよ」
「またバカバカ言いやがって」
「でな、お前の考えてる通り、関係してる。もう一度言うが、俺が本人なんだよ」
「意味がわからん」
「お前の知ってる俺の性別って、そんなに確かなものかよ?」
「だから意味がわからんって。それより正直に言ったんだからメニュー」
「俺が当てただけだからダメだ」
 なんだか俺は男の手のひらで踊らされてるだけのような気がする。そして男の言っていることが本気でわからん。性別を詐称してるってことか? そんなことできるのか?
「相棒、俺は――ここで言う俺ってのは彼女じゃなくて俺なんだが――彼女のちょっとしたファンだったよ。だから彼女を見かけたときは嬉しかった。実家の手伝いをしてるって知って応援もしてた。でもな、思っちまったんだ。彼女も一応は前科者だ。それでもファンは大勢いるし、仕事もして平和に暮らしてる。音楽活動を再開できるのかどうかは知らないけど、どっちにしてもそこまで不幸じゃないさ。でも俺は何の罪も犯してないしずっと真面目に生きてきたのに、いつまで経ってもただのバイトだし友達もいないし、そんなに根性の曲がったこと言いたいわけじゃないけどやっぱ何がこの差を生むんだろうとは考えちまうよ。ちゃんと働いてるのに店長はなんで俺ばっかいびるんだよ。俺よりミスってるやつはいっぱいいるし、俺はサボってもいねえのに。だから彼女がここで『会計を忘れた』ときに魔が差したのは俺だけが悪いんじゃねえんだ」
 男はいつもと違って暗く落ち込んだ口調で語っている。俺はじっと聞いているが、前回以上にどうリアクションすべきかわかりかねる。思わず口を挟んだ。
「お話し中悪いんだけど」
「ああ」
「俺にも理解できる話と理解できない話ってあってな。今のお前の話は残念ながら、理解できない側の世界から発信されてるようだぞ」
「そうかよ。まあバカだから仕方ないな」
「身も蓋もねえな」
「そうだ。彼女風に言うとバカなんだよお前は。まあこの場合に限っては、バカって言う方がバカってのは当たってるのかもな」
「すみません。また意味がわかりません」
「諦めろ」
「なあ、お前があのミュージシャンなら、彼女ってのはお前のことだろ。えーと、お前が彼女を見かけたってのはお前がお前を見かけたんであって、つまりそこには鏡があって」
「好きなだけ考えろ。どうせわかんねえよ」


§ 6 (2)

 律儀に筋道立てて考えようとするが、男の言うとおりどうせわかんねえような気がする。ひょっとすると、俺を混乱させて楽しむためにでたらめを言ってるだけかもしれないし。こいつは根性が曲がってるからな。だとしたら考えるだけ無駄だ。どっちにしろ事実なんてのはたいていつまらないんだ。男の頭が変になってるのだとしても、それもつまらない。俺が頭の変な男のためにあくせく情報を集めてるんだとしても、それがどうした。つまらん。俺が考えるのもつまらん結果のためのつまらん作業であって、まったくもってナンセンスだ。俺の存在意義がなんだ? 男から自由になったらどうなるかなんてのも、知ったら知ったでつまらないのに、じゃあどうして俺は存在していなきゃならねえんだってのもわからねえ上に、どうせわかってもつまんねえんだろちくしょう!
「そう悲観的になるなよ相棒」
「うるせえ」
「俺のネガティブさが移っちまったのかな。言っとくが、お前はそんなに不自由じゃねえよ」
「鎖に繋がれたアワレな番犬だよ」
「どこか行きたい所はあるのか?」
「このファミレス以外だったらどこへでも」
「じゃあ行こうぜ」
 男はそう言うと立ち上がり、俺にも起立を促した。俺は戸惑いながらノソノソと腰を上げ、男の後について店の入口へ歩いていった。いつも男が現れ消えていくあの入口だ。
 まさかの急展開に心の準備ができていなかったが、入口が近づくにつれ、自分の世界がジワジワと拡張していくのを実感した。それは身震いするような興奮だった。その先に何があるのか、それはつまらない事実だったとしても、そこに到る度に俺の世界は少し変わるんじゃないかという期待もあり、それを求めるのも悪くないなという気がした。
 入口を抜けると長い廊下に出た。ファミレスの入口と同じように、廊下に沿っていろんな店の入口が並んでいた。ハンバーガー屋、定食屋、居酒屋、バーなどの看板が見えた。どれも基本的に飲食店だった。
「相棒、どれがいいんだよ」
「おお、そうだな……」
 俺は右へ左へ目移りしながら品定めをしていった。そもそもどれも未体験ゾーンなので、欲を言えば全部入りたい。謙虚に言えばどれでもいい。
「すまん、俺には選べねえよ」
「しょうがねえな。じゃあそこにするか」
 男はファミレスの隣のきらびやかな店に入っていった。男の後ろにくっついて入口をくぐると、薄暗い店内にはソファが所狭しと並べられており、天井にはくす球みたいなミラーボールが吊り下げられて壁や床を細かく色鮮やかな光で照らしていた。
「なんだよここ」
「キャバクラだな」
 俺らはいちばん奥のL字型の席に、お互い九十度の位置で座った。
「相棒、俺は金がないからお姉ちゃんは呼べないし、ドリンクも水だけだ」
「構わねえよ。ただ俺の乏しい知識で言わせてもらうと、こういう店って時間制で全部込みの料金なんじゃないのか。入るだけならタダってことあるのか」
「本来ならそうだな。ここは特別なんだよ」
 男前のウェイターが水を持ってきてテーブルに置いた。店内には俺ら以外の客はいなかった。もちろんスポーツ新聞を読む土方のおっさんも、延々としゃべり続ける若奥様方もいない。お金のかかるお姉ちゃんもいないのでしんと静まり返っている。賑々しい内装が対比となって一層寂しさを増している。これならファミレスのほうがよかったな、とちょっと思った。
「こんなもんだよ事実ってのは」
 男はため息と同時にそうこぼした。
「金があれば別なんだろ?」
「だから、金がないとこんなもんだって言ってるんだよ」
 俺は水を一口飲んだ。キンキンに冷えていてうまかった。金がないと寂しいが、金がなくても水はうまい。男に金がないとファミレスで俺らが会うこともままならないが、男に金があろうとなかろうと俺は好きなことを考えていることができる。金ってのは不思議なもんだ。金でできることとできないことって、どこでどうやって決められてるんだろう。
「なあ、相棒」
 男が俺に話しかけてきた。俺は耳を傾けたが、男はそのまま黙り込んでしまった。俺は次の言葉を待った。辛抱強く待った。
「俺は金が必要なんだ」
 男は搾り出すようにその言葉を吐いた。
「ああ、だから働いてるんだろ。出張に行ったりして。大変だな」
「それは俺じゃないが、まあ俺ではあるけど、それ以上にもっと金が必要なんだよ」
「よくわからんがそうか。しかし俺じゃ金に関しては役に立てねえよ。俺は情報を集めるだけだ。すまんな」
「わかってる」
 男はまた黙り込んでしまった。どうも今日はしんみりしてしまう。俺は水をもう一口飲んだ。男は一気に一杯飲み干してから言った。
「相棒、お前は俺から自由になりたいんだな。俺の自由とお前の自由は根本的に違うんだが、俺の場合、自由には金が必要なんだ」
「厳しい世の中だな」
「お前は情報を集める以外にも、俺のために役立てることがあるんだよ、実は」
「そうなのか。だったらなんなりと言ってくれ」
「お前は最高の相棒だ」
「照れるぜ」
「じゃあ、着ているもんを全部脱いでくれ。そのアホみたいなアフロヘアーもだ」

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§ 7

 数時間後、また俺はキャバクラの奥まった席に座っていた。水をゴクゴクと飲む。うまい。ただ相変わらず他に客もいないしお姉ちゃんもいないので、暇を潰すのが困難だった。そういえばここには窓がないのか? 壁を見ると一箇所だけ暗幕のかかった窓があった。他に客もいないことだし開けてもいいかとウェイターに尋ねると、快くOKしてくれた。
 暗幕が開かれて太陽の光が店内一杯に広がると、猥雑で妖しげな雰囲気がこそげ落とされ、部屋中を舞うほこりが悲しいまでに浮き彫りになった。艶っぽかった絨毯もミラーボールも色あせて見えた。窓の外にはいつもファミレスで見ていた青いだけの空と白いだけの雲が見えた。男が来たらファミレスに戻りたいと言おう。あっちの生ぬるさのほうがはるかにいい。
 店の入口の重々しい扉が開いて男が現れた。俺が手を挙げると男は俺の前まで来たが、ソファに座らず棒立ちになっていた。
「なにしてんだよ、座れよ」
 俺は席を勧めたが、男は棒立ちのまま呟いた。
「なんだよこれ」
「なんだよって、何がだよ」
「どこなんだよここは」
「キャバクラだろうが」
「何でお前……裸なんだよ」
 野暮なこと言うもんだ、自分で裸にしといて。さすがの俺もパンツ一丁で心中穏やかというわけにはいかないが、人様の役に立つためには己の羞恥心さえかなぐり捨てるこの心意気。そもそも全部こいつに買ってもらったものだから強く言える立場ではないのだが。
「服、どこやったんだよ」
 こいつ自分のしたことを忘れたのか? 頭が変だとは思ったけどボケちまったのか。いちいち説明するのも面倒くさい。
「お前が全部持っていったんだろうが」
「いつだよ」
「数時間前」
「んなわけねえだろ! どうなってんだよ!」
 男はウェイターを捕まえ、管理人を呼べと詰め寄っている。呆然とそれを眺めていると、すぐさま入口から執事っぽい雰囲気の老人が入ってきて男のそばに駆け寄ってきた。
「どうしました、お客様?」
「相棒の服が盗まれたんだよ!」
「ただいまお調べいたします。少々お待ちください」
 老人は手帳を取り出すとページをめくって何かを調べ始めた。
「お客様が最後に来店されたのはいつでしょうか?」
「おととい」
「昨日および四時間ほど前に来店の記録がございますが、いらしていないということで間違いありませんか?」
「いらしてないよ!」
「ここに直近一ヶ月の来店記録がございます。ご確認いただけますか?」
 男は老人から手帳を引ったくり、ページをあちこちめくって内容を確認している。
「なんだこれ、この日は残業で忙しくて来てないんだけど、来たことになってる」
「ログには何か残っていらっしゃいますか?」
「ログ? そんなのあんの?」
「いつもテーブルに置いてあるメモ帳です」
 老人にそう問われて男はテーブルからメモ帳を拾い上げ、ガシガシとページをめくった。
「その日だけなんにも書いてない」
「その前後で何か変わったことはございましたか?」
「あ、その日よりあと、久しぶりに来たときに相棒がウィルスに感染してた!」
「普段はどちらから来店されていました?」
「職場のパソコン」
「なるほど」
 老人は男から手帳を返してもらってなにやら書き込みながら、現時点でわかる状況を説明し始めた。
「アカウント情報が盗まれて何者かが『成りすまし』を行っていた可能性があります。不正アクセスされていた残業の日のログはウィルスによって抹消されたのかもしれません。近頃、ガム状のウィルスが流行しているんですよ」
「ちょっと待って、最近何人かの友達が個人情報流出したかもって言ってたんだけど」
「断定はできませんが、アドレス帳から抜き取られた恐れはありますね」
「意味わかんない!」
 男は怒りのやり場に困ったのか、今度は俺のほうに突っかかってきた。
「相棒、あんたニセモノに全然気付いてなかったわけ?」
「なんだよニセモノって。俺はお前としか会ってねえだろうが」
「ああもう、なんで平気でニセモノに気を許してんの? 心底バカなの? ねえ、バカなの?」
 男に理不尽にまくし立てられて俺は狼狽するほかなかった。見かねた老人が間に割って入った。
「お客様、『相棒』はアカウント情報でしかお客様を認識することはできないのです。『相棒』にとって向こう側に誰がいようと同一人物なんですよ。責めるのは酷です」
「じゃあなに、管理人のあんたは何してくれんの? あたしは相棒の服とかカツラとかに結構お金かけてんだけど。全部返してよ」
「申し訳ございません。『相棒サービス』においてお客様のアカウントで行われたことはお客様自身がなさったこととみなし、当方では一切補償いたしかねます」
「ふざけないでよ!」
 男と老人の会話の内容はいまいちよくわからなかったが、俺は男がこんなに激しく怒って乱れているのが新鮮でおかしかった。手に持ったライムキャンディを床に叩きつけたりしている。確かに普段から生意気だが、リミッターが外れるとこんなことになるんだな。
「なあ」
「なによ?」
「何でお前、そんな女みたいなしゃべり方なんだよ」
「ちょっと黙っててよ!」
「落ち着けって、ほら、窓の外見てみろよ。さっき思ったんだけどあの雲さ、グラマラスなギャルが反復横飛びで足を滑らせてシリモチをついた瞬間を上下逆さまにした姿に見えないか?」
 男はもはや俺の言葉を完全に無視し、老人に対してもう二度と使わないだとか退会処理がどうとか口うるさく喚いた挙句、俺に一言もなしに店から出て行ってしまった。老人もいなくなり、店内には俺とウェイターだけが取り残された。
 なんとなくだが、これでもうあの男とは会うことはない気がする。つまり今後一切あの男に縛られることはない。突然のことでこれからどうなるかわからないが、自由になることへの期待もあり不安もある。ただ、事実は案外つまらないものなのだろうという予感だけは確信に近いものがあった。

End

この本の内容は以上です。


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