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§ 3

 翌日も俺は窓の外を見ていた。空は青いし、雲は白かった。雲の形は、グラマラスなギャルが反復横飛びで足を滑らせてシリモチをついた瞬間を上下逆さまにした姿に見えなくもない。このことも報告に含めようか。五日かける予定だったから今日はあんまり情報集まってないし。俺って気が利くよなあ。
 そう、本来なら今日はファミレスに来る予定はなかったのだが、俺はここにいる。そして土方のおっさんも氷を噛み砕いてるし、マダムたちは甲高い笑い声をホールに響き渡らせている。まったく不思議なことだ。言っておくが不思議なのは俺がここにいることじゃない。俺がここにいる理由はただひとつ、あの男に会うためだ。不思議なのは、なんで今日呼び出されたのかということだ。
 何気なく店の入口に目をやると、男が突っ立っていた。男はあちこちウロウロしてから俺のテーブルにやってきて、俺の向かい側に腰を下ろした。
「待たせたな、相棒」
「構わねえよ。しかし今日もまた会うことになるとはな」
 男はそれには答えず、テーブルの上のメモ帳を開いて読み始めた。メモ帳にはこれまでの二人の会話が一字一句違わず記録されている。男と会った後に書き留めておくのが俺の義務なのだ。面倒くさいっちゃあ面倒くさいが、思い出し笑いをしながら書くのも案外悪くない。
 俺は男が読み終えるのを黙って待った。俺は気が利くからだ。読み終えてメモ帳を閉じた男は、ぼそっと呟いた。
「汚い字だな」
 余計なお世話だ。そんなことより俺には聞きたいことがある。唯一にして最大の疑問を直球でぶつけてみることにした。
「というかお前、出張じゃなかったのか?」
 数秒の間があった後、男は不機嫌そうに答えた。
「ああ……急にキャンセルになったんだ。やってらんねえよ」
「なんで」
「そりゃ仕事がなくなったからだ」
「どこに行く予定だったんだよ」
「言ってわかるか知らんが、カトマンズだ」
「ネパールかよ! マジ半端ねえな!」
「嘘だよ」
「なんだ嘘か」
「どうでもいいが、そのアフロ似合いすぎだな。全盛期のたいやきの人みたいだ。そっちのほうが半端ねえよ」
「よせよ、照れるだろ」
 たいやきの人がピンと来ないので照れた振りをして誤魔化した。それよりも結局この男がいるのは出張がなくなったからで、俺が抱えていた不思議はあっさり片付いてしまった。
 事実なんてのはたいていつまらないものだ。俺が男に頼まれて集めている情報も、本当のことを言うと何が面白いのかさっぱりわからない。男にとっては価値があっても俺にはなく、俺が知りたいのは男が何を考えて何を欲しているかということだけだ。人間観察が趣味とか言いつつ、興味の対象は実のところこの男のみだ。そのためだけに俺はここに存在している。のだと思う。なにせ俺の仕事は、男が欲しがってる情報を集めて報告することだし。さあ仕事するか。
「悪いけど、昨日の今日だからほとんどネタないぜ」
「そうか。残念だな」
「あ、でも、例のミュージシャンのことなら少しあるんだけど、聞くか?」
「あるんじゃねえか。早く聞かせろよ」
「まあ焦るなって。あのミュージシャン、四年前に大麻所持でお縄になって活動停止してるな。きのうの曲が最後に出したシングルなんだな」
「きのうの曲ってなんだっけ?」
「なんだっけってお前、目覚まし代わりにしてるんだから忘れるところじゃねえだろ」
「つっこみが冴えてるな、相棒」
「でもあれだ、鼻歌なら歌えるぞ。一度聴いて覚えちまったよ」
 俺はそう言って、男がぐっとくると褒めていたベースラインを口ずさんだ。特徴的なスラップベースを完璧に再現して見せた。
「上手いけどそれベースだろ。確かにぐっとくるとは言ったけどなんでそこなんだよ。普通は歌のメロディーだろうが」
「気を利かせたつもりなんだけどな。あとは、そうだ、さっき窓から空を見てたんだけどさ」
「もう情報はいいよ。それよりさ、お前に預けてたアドレス帳見せてくれ。そろそろ残暑見舞い書かないといけないからな」
「割と律儀なんだな。ほれ」
 話を途中で止められたのは不満だったが、いらないと言われたらどうしようもない。それが俺の立場だ。懐から薄っぺらなアドレス帳を取り出して男に手渡した。男はその場で中身を写し取り、俺に放って返した。
「サンキュー。じゃあ俺もう行くけど、置き土産にこれやるよ」
 何をくれるのかと期待したらガム一枚だった。俺はその場で口に放り込んだ。強烈なミントの香りが鼻を抜けた。
「きついなこれ」
「うまいだろ。じゃあ、次に会うのはたぶん四日後だな」
 男は立ち上がりながらそう言うと、伝票を取って帰っていった。その後姿を見送りつつ、俺はガムのミントパワーで頭が異様にすっきりしていくのを感じていた。

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§ 4

「熱でもあるのか相棒?」
 男が心配している。ここ数日どうも調子が悪い。夏風邪だろうか。ウェイトレスの横顔にときめかないばかりか、男と話してる間も上の空になりがちだ。
「ちょっとだるいだけだ。問題ない」
「だったらボケッとしてんなよ。まあいいや、コーヒーでもおかわりするか。おーい姉ちゃん」
 男は自分の分と俺の分のコーヒーのおかわりを頼んだ。ん、いつの間に一杯飲み終わったんだ。時間の感覚がどうもつかみづらい。今日は確か……あれだ、この男が出張から帰ってきたんだ。
「それで出張はどうだったんだよ」
「だから行ってねえって。さっきから何回言わせる気だ」
「そうだっけか」
「ああ。先方の都合で中止になって、新規出店準備のヘルプに回されて毎日深夜まで残業して、結局出張したのと変わんねえくらい忙しかったっつーの。帰って寝るだけだからここにも来れないし。マジでやってられん」
「ご苦労様ですこと。しかしまあ額に汗して社会に奉仕するのが男の本懐……ん、おお、いつの間にか俺の爪が黒くなってるぞ」
「気付くのが遅い。目が腐ってんじゃねえのか」
「かもしれん」
「俺が塗ってやったんだ、感謝しろよ相棒」
「すげえな。ますます俺が毒々しくなっていくな。次は一体どうなっちまうんだ」
「それは追々考えておくさ。ところであのミュージシャンの情報は集まったのか?」
「もちろん、やることはやってるわけよ」
 俺は得意げに一枚のリストを差し出した。この数日で必死にかき集めた、例のミュージシャンに似た音楽をやるやつらの一覧だ。新旧問わず国境をも越えてリストアップした渾身の大仕事だ。これで文句が出るようなら俺の首を差し出してもいいってもんだ。
 男は時間を掛けて念入りにリストを読み込んでいる。そりゃ俺の苦労に見合うくらいじっくり味わってもらわないと。そしてついに男はリストを置いて口を開いた。
「相棒、やっぱ熱あるだろ」
「は?」
 男は俺のことを褒めちぎるどころか、内容に触れずに改めて俺を病人扱いしている。意味がわからず呆けていると、男はリストを俺に突きつけてきた。
「このリストのどこが似たような曲なんだよ。リストの上半分が演歌と軍歌で、下のほうはマレーシア歌謡とかポーランド民謡とか言われてもピンと来ねえし、最後は『とっさの英会話フレーズ集・リストラ編』ってお前、音楽ですらねえじゃねえか」
「何言ってんだよ。どれもお前が目覚まし代わりにしてシャキっと起きられるような感じだろ」
「こんなんで起きたら一日ブルーになるわ。相棒、この前聴いた曲覚えてるか?」
「忘れるわけがございませんよ。よし、いっちょ俺の美声で忠実に再現してやろう。鼻歌でな」
 頭が少しふらふらするが、他の客に構わず悠々と鼻歌でベースラインを奏でた。にぎやかでファンキーな、特徴的なスラップベースの……スラップベース? なんとなくバリトンの声を響かせたコーラスラインを歌ってるような気がするぞ。こんな朗々とした、合唱コンクールみたいなのだったか?
「もういいよ相棒。病院行ってこい」
 男の判断で俺はその場で病院送りにされた。
 診断の結果、どうもウイルス性の流行病だったらしい。そりゃ調子が悪いのも当然だ。俺はここ数日の調査がふいになったことを男に詫びた。それこそ土下座に迫る勢いだったが、男は稀に見る寛大さをもって不問に付した。あまつさえ無事に治ってよかったなと温かい声までかけてくれ、ほんの少しの不気味さとそれを数兆倍上回るありがたさで俺はむせた。男は笑った。
「相棒、似たような曲もいいが、例のミュージシャンに関する噂とか評判を重点的に集めてくれよ。世間でどう思われてるか知りたいんだ」
「断る理由はないな。謹んでお受けします」
「持つべきものは相棒だな。じゃあほれ」
 男はキャンディを一個、ぞんざいにテーブルに置いた。俺はサンキューと言ってすぐさま口に放り込んだ。甘いライムの香りが口の中に充満した。

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§ 5 (1)

 最近気になることがある。このファミレスにはどんなメニューがあるのかということだ。
 俺はここでコストパフォーマンスが最大の、おかわり自由なコーヒーしか注文したことがない。もちろんコーヒーはうまいし、毎回おかわりを注ぎに来てくれるウェイトレスは眼福となっている。しかしだ、向こうのテーブルの若奥様二人組がついばんでいるバベルの塔みたいな巨大パフェとか、一度は口にしてみたいではないか。きっと他にもいろいろあるんだろう。
 だがあの男は俺にコーヒーを飲むことしか許さない。金を一銭も持っていない俺の立場の弱さは絶望的だ。ちくしょう、俺が食えないバベルの塔なんて神の怒りに触れて瓦解しちまえ! ぶちまけられたアイスクリームとかコーンフレークとかマンゴーソースが、オーガニックコットンのワンピースにべっとり付着すればいいんだ。そんで奥様方の言葉も通じなくなって、哀れピーチクパーチクさえずることもできなくなってしまえ。
 改めて考えるに、この店での俺の不自由さには再考の余地がある。あの男がすべてを掌握し、俺はあいつが来る前からスタンバイしてないといけないし、あいつが帰っていくのを見守っていなければならない。忠犬のように。俺は猫になりたい。気の向くまま出入りして好きなときにあの男の前に現れて、普段はお気に入りの昼寝ポイントでぐうたらしていたい。
 それが叶ったとき、俺の心はどう変化するんだろう。好き勝手動き回っていても根本ではあの男に依存したまま、縛られたままだろうか。もしあの男から解放されたら、それは幸せなんだろうか。存在意義を失った俺はひょっとすると、そのまま煙のように消えていなくなってしまうんじゃないか? 存在と存在意義はイコールであって切り分けできるものじゃないような気がするぞ。
「お前さ、いつまで考え事してるわけ?」
「ぬおっ」
 いつからか知らないが男が目の前に座っていた。俺の目を盗んで席に着くとは恐れ入ったが、それ以上に俺が物思いにふけって油断していただけとも言える。俺は気が動転して言葉を発することができなかったので、とりあえずコーヒーカップを置いて男が何か言うのを待った。男は読んでいたメモ帳をおもむろに閉じて一言発した。
「だりいー」
 取り立てて言うことはなかったようだ。
「どうした、疲れてんのか?」
「疲れてるよ」
「仕事か?」
「仕事だよ」
 絵に描いたようなオウム返しだ。俺は面倒くさくなったのでそれ以上何も聞かないことにした。というか、話すこともないなら俺の思索の邪魔をしないでほしいものだ。俺はものごとを深く考えるのが得意な方じゃないし、一旦流れをぶった切られるともう何を考えていたか忘れてしまう。運よく波に乗った数少ないチャンスを無意味に台無しされたら、いくら温厚で名の通った俺でも、さすがに、
「怒ってんのか相棒」
「お……怒ってねえよ」
 まるで考えていることを見透かされていたかのように絶妙なタイミングでこの男は突っ込んでくる。気が抜けない。
「つーかさ、お前の考えてることは全部、頭の上の吹き出しに表示されてるんだよ」
「なんだと」
 俺は鳩のような俊敏さで頭上を見上げた。視線の先にはのっぺりとした白い天井があった。他には何もない。俺は己のうかつさを悔いた。
「そんなもんあるわけないのに、何で見てしまうんだ」
「バカだからじゃねえの」
「返す言葉もねえ。だがバカって言う方がバカだっていう俗説もあるぜ」
「じゃあその根拠を論理的に説明してみろよ。そんなもん子供の口げんかの応酬モデルのひとつだろ。他人をバカって言えるのは知性で勝ってる人間の特権だ、覚えとけ」
「ちくしょう、何も言わなきゃよかった」
「そもそも返す言葉もねえって言っといて速攻返してんじゃねえよ」
「今日はやけにつっかかるな」
「別に」
「今日の情報でも聞いてクールダウンするか?」
「悪くねえな」
 虫の居所が悪い男の相手をするのは俺自身骨が折れるし、男にとってもいいことではない。だから俺はいつもの収集情報と例のミュージシャンの噂話を、風刺を利かせたり無駄に韻を踏んだりしながら面白おかしく語ってやった。少しでも楽しい気分にさせるために持てるスキルを存分に駆使した。こんな俺のかいがいしさを、この男が評価することはないだろうが。
「以上、報告終わり。ご清聴ありがとうございました」
「ご苦労。いいレポートだったよ」
「本当か? じゃあひとつお願いがあるんだが」
「俺にか?」
「ご褒美として、コーヒー以外にも何か注文させてくれよ」


§ 5 (2)

 ここぞとばかりに俺は嘆願した。
 男は機嫌がいいときに思いつきで土産をくれることはあっても、俺の要求を呑んだことは一度もない。だからこのお願いが却下されることは目に見えている。だがしかし、仕事の報酬がファミレスのコーヒーだけというのはどうなのか。足元を見られて労働力を買い叩かれて、正常なクライアントとサプライヤの関係と言えるのだろうか。
 逃げたりするんじゃなくて俺が正当に男から解放されるには、まず男と対等に交渉できる立場にならなきゃいけないだろう。だからこういった問題提起をして俺の価値を示してやる必要がある。男は数秒沈黙した。俺は期待をこめて待った。男が口を開いた。
「寝言は寝て言え」
 待った割にはずいぶんな言い様だった。俺は食い下がった。
「だけど俺の働きってコーヒー一杯程度のもんじゃないだろ。もっと役立ってるだろ?」
「コーヒーは無限に飲めるだろうが」
「そういう問題じゃねえ。俺の価値の話をしてんだよ。俺はお前の何なんだよ」
「うるせえな。恋人同士の会話かっつーの」
「真面目に答えろよ」
「お前は俺の大切な相棒だ。アリガトネー」
「じゃあ大切な相棒の働きを認めて、ウェイトレスにメニューを持ってこさせてくれよ」
「いやだね。お前が集めてる情報なんて別に、俺が自分で集めてもいいんだ。だけどお前に仕事をやらなかったら、お前は何のために存在することになるんだ? 俺にとっての価値というよりお前のためなんだよ。お前がお前であるためにお前は仕事をする。俺はそれを手助けしてやってる上にコーヒーまでおごってやってるんだ、感謝しろバカ」
「そうか。でも俺は……」
「つーかお前、コーヒー以外のこと知らねえだろ」
「いや、ほら見ろよあのパフェ、すごくないか」
「クソして寝ろ」
 取り付く島もないとはこのことか。
 男の言っていることが本音かどうかは俺にはわからない。俺にはそこまでの洞察力がない。でも言っている意味はわかる。悔しいがやっぱり俺は男がいないと生きていられないと考えるしかない。でもそのことはもういい。とりあえず、パフェをゲットするには機嫌がいいときを狙うのが賢明だってことは確かだ。
 男はさらに不機嫌さを増してしまったようで、一言も発しなくなってしまった。仕方なく俺は話を替えることにした。
「それにしてもあれだな、あのミュージシャンはすごいな」
「……何がだよ」
「いやさ、執行猶予が付いたとはいえ犯罪者だぜ。それでもこの四年間全くファンは離れてないし、それどころか増えてるし。歌詞はけっこう過激でひどいけど、それが逆にイイんだろうな」
「そうなのかもな」
「逮捕の後も、よく出演してたライブハウスに親しくしてたバンドが集まって、そのミュージシャンの曲だけをやるイベントを定期的にやってるらしいし」
「ふーん」
「お前、実は興味ねえだろ」
 男の口調から不機嫌さが抜ける気配はない。男にとってそのミュージシャンは心の中のかなり重要な部分を占めていると思っていたが、俺の思い過ごしだったのか。いや、単に情報に新鮮味がなかったから食い付きが悪いに違いない。俺が集めている情報は男自身も集められると言っていたが、こいつにも見つけられない情報を俺が見つければ、さすがに俺の価値を認めさせられるんじゃないか。それはいい考えのような気がする。俺がそのアイデアにひとりほくそ笑んでいると、男がぼそっと呟いた。
「あのさ」
「なんだよ」
「俺がさ」
「お前がなんだよ」
「俺がそのミュージシャンだって言ったらどうする?」
「は?」
 突然のカミングアウトに俺はのけぞった。
 こいつがその、例のミュージシャンだって?
 一瞬の空白のあと、俺は持てる情報を総動員して男とミュージシャンの共通点を分析しようとした。しかしすぐに挫折し、男の発言をどう処理すればいいのかわからず困惑した。冗談として笑って受け流すか、真面目な告白として正面から受け止めるか。正面から受け止めてもいいのだが、その場合、それはそれで様々な困難に直面する。もしかして俺は今試されているのか?
「何だよお前、信じないのか?」
 男は詰め寄ってきた。俺は態度を決めかねてしどろもどろになった。
「信じる信じないじゃなくてさ……」
「何が言いたいんだよ」
「だってよ」
「なんだよ」
「だってそのミュージシャンって……女じゃねえか」
 男は黙りこくってしまった。
 俺はつい一番ストレートな突っ込みをしてしまったが、何と答えるのが正解だったのだろうか。もし男が本気で言っていたのなら、頭がどうかしてしまったとしか結論付けられない。やっぱ笑い飛ばすのが正解だったのか。しまったな。
「そうだな」
 男は一言そう言うと、伝票を手に取って帰っていってしまった。

⇒ Next § 6

§ 6 (1)

 調べれば調べるほど、興味深いっちゃあ興味深い。例のミュージシャンのことだ。
 ファンによる地裁での公判のレポートを読むと、彼女は心を入れ替えて一旦音楽活動を休止し、しばらく福祉活動に従事した後、実家の仕事の手伝いをすると述べたらしい。人気はあったのでしばらくマスコミも彼女の動向をウォッチしていたようだが、真面目にやっていてネタがなかったからかあまり報道はされていない。実家は輸入雑貨の店をいくつか経営していて、彼女は事務とか雑用とかをやっているようだ。さすがに雑貨の買い付けに国外へ出ることはないようだが、国内出張ならなくもないだろう。
 そこから意外な結び付きを見せるのが、これまでずっと俺が集めてた情報だ。最初に男に会った時から依頼されていた情報収集の中身というのは、世界中の珍しい小物とか、人気の輸入雑貨店の口コミとか、彼女の仕事の内容にかなり近いのだ。これだけで判断するのは危険だが、もしかすると、男と例のミュージシャンは本当に何かしら関係があるのかもしれない。
 顔を上げると、男は俺の正面でまだメモ帳を読みふけっていた。コーヒーは一口啜っただけで冷めてしまっている。俺は自分のコーヒーのおかわりだけを頼み、窓の外を眺めた。空は珍しく曇っていた。
「今はどう思ってるんだ?」
 男はメモ帳を置いて俺に尋ねた。
「なんのことだよ」
「きのう俺が言ったことだよ。俺が例のミュージシャンだってこと」
「そんなもん、お前のクソつまんねえ冗談だろうが」
「正直に言っていいから」
「正直に言ってるよ」
「正直に言ってくれれば、ウェイトレスにメニュー持ってきてもらうぜ相棒」
「マジでか」
 ついうっかり口を滑らせ、慌てて首を振った。俺は正直に言っている。正直に言っている。
「なんでそんなに隠すんだ。どうせお前の考えてることなんて筒抜けなのに」
「そうなのか?」
「俺が集めるように依頼してた情報が、例のミュージシャンの実家の仕事に関係している。そうだろ?」
「お前はエスパーか? それともほんとに吹き出しが?」
 俺は頭上で手を振り回した。手は何も触れず、ただ空を切った。男はため息をついた。
「バカには見えない吹き出しだよ」
「またバカバカ言いやがって」
「でな、お前の考えてる通り、関係してる。もう一度言うが、俺が本人なんだよ」
「意味がわからん」
「お前の知ってる俺の性別って、そんなに確かなものかよ?」
「だから意味がわからんって。それより正直に言ったんだからメニュー」
「俺が当てただけだからダメだ」
 なんだか俺は男の手のひらで踊らされてるだけのような気がする。そして男の言っていることが本気でわからん。性別を詐称してるってことか? そんなことできるのか?
「相棒、俺は――ここで言う俺ってのは彼女じゃなくて俺なんだが――彼女のちょっとしたファンだったよ。だから彼女を見かけたときは嬉しかった。実家の手伝いをしてるって知って応援もしてた。でもな、思っちまったんだ。彼女も一応は前科者だ。それでもファンは大勢いるし、仕事もして平和に暮らしてる。音楽活動を再開できるのかどうかは知らないけど、どっちにしてもそこまで不幸じゃないさ。でも俺は何の罪も犯してないしずっと真面目に生きてきたのに、いつまで経ってもただのバイトだし友達もいないし、そんなに根性の曲がったこと言いたいわけじゃないけどやっぱ何がこの差を生むんだろうとは考えちまうよ。ちゃんと働いてるのに店長はなんで俺ばっかいびるんだよ。俺よりミスってるやつはいっぱいいるし、俺はサボってもいねえのに。だから彼女がここで『会計を忘れた』ときに魔が差したのは俺だけが悪いんじゃねえんだ」
 男はいつもと違って暗く落ち込んだ口調で語っている。俺はじっと聞いているが、前回以上にどうリアクションすべきかわかりかねる。思わず口を挟んだ。
「お話し中悪いんだけど」
「ああ」
「俺にも理解できる話と理解できない話ってあってな。今のお前の話は残念ながら、理解できない側の世界から発信されてるようだぞ」
「そうかよ。まあバカだから仕方ないな」
「身も蓋もねえな」
「そうだ。彼女風に言うとバカなんだよお前は。まあこの場合に限っては、バカって言う方がバカってのは当たってるのかもな」
「すみません。また意味がわかりません」
「諦めろ」
「なあ、お前があのミュージシャンなら、彼女ってのはお前のことだろ。えーと、お前が彼女を見かけたってのはお前がお前を見かけたんであって、つまりそこには鏡があって」
「好きなだけ考えろ。どうせわかんねえよ」



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