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§ 4

§ 4

「熱でもあるのか相棒?」
 男が心配している。ここ数日どうも調子が悪い。夏風邪だろうか。ウェイトレスの横顔にときめかないばかりか、男と話してる間も上の空になりがちだ。
「ちょっとだるいだけだ。問題ない」
「だったらボケッとしてんなよ。まあいいや、コーヒーでもおかわりするか。おーい姉ちゃん」
 男は自分の分と俺の分のコーヒーのおかわりを頼んだ。ん、いつの間に一杯飲み終わったんだ。時間の感覚がどうもつかみづらい。今日は確か……あれだ、この男が出張から帰ってきたんだ。
「それで出張はどうだったんだよ」
「だから行ってねえって。さっきから何回言わせる気だ」
「そうだっけか」
「ああ。先方の都合で中止になって、新規出店準備のヘルプに回されて毎日深夜まで残業して、結局出張したのと変わんねえくらい忙しかったっつーの。帰って寝るだけだからここにも来れないし。マジでやってられん」
「ご苦労様ですこと。しかしまあ額に汗して社会に奉仕するのが男の本懐……ん、おお、いつの間にか俺の爪が黒くなってるぞ」
「気付くのが遅い。目が腐ってんじゃねえのか」
「かもしれん」
「俺が塗ってやったんだ、感謝しろよ相棒」
「すげえな。ますます俺が毒々しくなっていくな。次は一体どうなっちまうんだ」
「それは追々考えておくさ。ところであのミュージシャンの情報は集まったのか?」
「もちろん、やることはやってるわけよ」
 俺は得意げに一枚のリストを差し出した。この数日で必死にかき集めた、例のミュージシャンに似た音楽をやるやつらの一覧だ。新旧問わず国境をも越えてリストアップした渾身の大仕事だ。これで文句が出るようなら俺の首を差し出してもいいってもんだ。
 男は時間を掛けて念入りにリストを読み込んでいる。そりゃ俺の苦労に見合うくらいじっくり味わってもらわないと。そしてついに男はリストを置いて口を開いた。
「相棒、やっぱ熱あるだろ」
「は?」
 男は俺のことを褒めちぎるどころか、内容に触れずに改めて俺を病人扱いしている。意味がわからず呆けていると、男はリストを俺に突きつけてきた。
「このリストのどこが似たような曲なんだよ。リストの上半分が演歌と軍歌で、下のほうはマレーシア歌謡とかポーランド民謡とか言われてもピンと来ねえし、最後は『とっさの英会話フレーズ集・リストラ編』ってお前、音楽ですらねえじゃねえか」
「何言ってんだよ。どれもお前が目覚まし代わりにしてシャキっと起きられるような感じだろ」
「こんなんで起きたら一日ブルーになるわ。相棒、この前聴いた曲覚えてるか?」
「忘れるわけがございませんよ。よし、いっちょ俺の美声で忠実に再現してやろう。鼻歌でな」
 頭が少しふらふらするが、他の客に構わず悠々と鼻歌でベースラインを奏でた。にぎやかでファンキーな、特徴的なスラップベースの……スラップベース? なんとなくバリトンの声を響かせたコーラスラインを歌ってるような気がするぞ。こんな朗々とした、合唱コンクールみたいなのだったか?
「もういいよ相棒。病院行ってこい」
 男の判断で俺はその場で病院送りにされた。
 診断の結果、どうもウイルス性の流行病だったらしい。そりゃ調子が悪いのも当然だ。俺はここ数日の調査がふいになったことを男に詫びた。それこそ土下座に迫る勢いだったが、男は稀に見る寛大さをもって不問に付した。あまつさえ無事に治ってよかったなと温かい声までかけてくれ、ほんの少しの不気味さとそれを数兆倍上回るありがたさで俺はむせた。男は笑った。
「相棒、似たような曲もいいが、例のミュージシャンに関する噂とか評判を重点的に集めてくれよ。世間でどう思われてるか知りたいんだ」
「断る理由はないな。謹んでお受けします」
「持つべきものは相棒だな。じゃあほれ」
 男はキャンディを一個、ぞんざいにテーブルに置いた。俺はサンキューと言ってすぐさま口に放り込んだ。甘いライムの香りが口の中に充満した。

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