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プロローグ —大事な届け物—

 

「やっべぇ!遅刻遅刻っ!」
 
 バンッ!!!
 
 勢いよく玄関の扉を開け、草の地を走り抜ける一人の青年。
 額の上に付けたゴーグルが朝日に照らされ輝く。艶のある深茶色の短髪。その後ろ側は、まっすぐな前髪と比べて斜めに伸びている。
 そんな寝癖も気にせず、慌てて向かう先は、彼の相棒がいる場所。
 
 
「おっす、相棒!起きてるか!?」
 
…グオォォォ!!!
 
 巨大な竜が、地響きにも似た声で彼の言葉に応える。
 一見、恐ろしくも見えるその姿とは異なり、大きな緑色の瞳は、そっと優しく主人を見つめた。
「今日も飛ばしていくぜ!よろしくな!!」
「グオォォォォ!!」
 声が終わると、青年はその竜に付けられた鎖を解き、手綱と鞍を取り付け、竜が羽ばたく場所へと共に歩く。
 ズン…ズン…。
 竜の一歩が小さな地震のように揺れ、地に留まる虫たちが振動と影を捉えて四方八方へ飛び出す。
 やがて大きな草原へ移動すると、その竜の鱗は太陽の光で更に輝きを増した。
 
「…しっかし毎度のことだけど…寮生活じゃないと、この通学が面倒臭くて困るぜ」
 手綱と鞍のコンディションを最終確認しながら、ため息を交えてぼやく青年に対し、竜は準備万端と言わんばかりに、鼻からプシューと息を出す。
「分かってるって相棒。…まぁ、こうしてお前と飛べるのは楽しいからな!」
 その言葉に気分を良くしたのか、竜は再び咆哮し、その背中にある大きな両羽をバサァッと開く。
 翼が起こしたその風は、朝露をキラキラと舞い上がらせ、木の葉が擦り合わさるサワサワとした音と共に、複数の白い鳥が一斉に飛び立つ。
…その朝の光景は、まるで天使が降り立ったかの様に、神秘的だった。
 
 
「さぁ、出発しようぜ!!」
…ピクッ。
 竜の動きが、突然止まる。
 さっきまで大空を見上げていたその大きな瞳が、急に森のふもとへ視線を注ぐ。
「グルルルルル…」
「おい、どうした相棒?何かあったのか?」
 竜は、その影に向かって低い唸り声をあげる。
 
 
「…はは、見つかっちゃったかな」
「???」
 少し木漏れ日が差す森の奥から、ガサガサと音が聞こえてくる。
 段々と音が大きくなり、それが近づいてくる…。
 
 
「久しぶりだね」
「あ…あぁ!!」
 風変わりなマントを翻しながら現れたのは、竜を相棒と呼んだ彼よりも、若干年上に見える青年。
 黒髪を後ろで束ねた姿。黄金色の瞳が目立つ精悍な顔立ちの彼は、爽やかな笑顔を向ける。
「先輩ッッ!!!」
 竜の手綱をパッと離し、先輩と呼んだ青年のもとへ駆け寄る。
 
「相変わらず元気そうで何よりだよ」
「先輩!なんでこんなところにいるんっすか!?会えてメッチャ嬉しいんっすけど…。あ!それより、あいつが心配してましたよ!先輩の事!!」
「あぁ、分かっている…。実は、ちょっと予想外の遠回りをしてしまってね」
「それならそうと、手紙の一つくらい…。まぁ、そのあたりが先輩らしいっすけど」
 半ば呆れ顔と、嬉しさに笑みをこぼす。
「それより、早くしないと遅刻なんじゃないか?またハンナから説教されても知らないよ」
「うおあぁっ!!忘れてた!!」
 
 その笑顔が、急に慌てふためいた表情へ一変した。
…が、何か閃いた様にハッとし、突如また笑顔へ戻る。
「先輩、どうせなら一緒に学院までどうっすか!?ひとっ飛びで送りますよ!」
 青年はその言葉を聞くと、少し寂しげな表情をする。
「いや…実は、まだ研究が終わっていなくててね…。残念だけど、すぐには行けないんだ。気遣ってくれてありがとう」
「そ、そうなんすかぁ…」
 学院に連れて行きたい気持ちはもちろんだが、遅刻の言い訳ができるかもしれない、と思いついた企みは、その一言であえなく撃沈した。
「その代わりと言ってはなんだけど…」
「え、なんっすか?」
「頼みごとを聞いてくれないかな?遅刻の言い訳くらいにはなると思うよ」
 フフッと笑う青年の爽やかな笑顔は、まるで彼の考えを全て見透かしたかのようだった…。
 
 

1
最終更新日 : 2014-02-08 21:05:24

1、魔法学院・マナリア

 

「ねぇ、聞いた?あの噂!」
「うん、知ってるー!隣のクラスの子が大騒ぎだったよ!」
「へぇー本当なのかなー。私もちょっと見てみたいかもなぁ…」
 白い長袖シャツに、胸下から腰まで締め付けた後に広がる、ストライプ模様のプリーツスカート姿の少女三人が、机を囲んで輪になって話している。
「そんなの、ただの噂だろー?それに、ココでそんなのいちいち気にしてたら、噂でくたばっちまうぜ?」
 隣で気だるそうに机にへばりつく青年が、横槍を入れてくる。白いシャツにネクタイ、少女たちのスカートと同じストライプ模様のズボン。
「そんなの分かってるわよ!そういうネタが面白いだけなんだから!水差さないでよッ!」
「はいはい、失礼しました、っと」
…ガチャッ。
「はーい、みんな☆席に着いてねーん♪」
 扉を笑顔で開けたのは、メガネをかけた淡い栗色の髪を三つ編みにした女性。豊満な胸と、スリットから見える薄い黒タイツの脚に、思わず目が止まる。
「今日も聖魔術の授業、どっかーんといくわよー☆」
 
 
 
—ここは《マナリア魔法学院》。
 魔法の知識と手練を集めた学び舎。
『魔術師の登竜門』と呼ばれるほど、実力のある多くの術師を排出する由緒正しき学院。
 
…かつての古い時代、人と神と魔が隔たれたばかりの頃。
 か弱き人に、魔族の操る術に対抗するすべを伝えたという焔天使の名前に由来する。
 
 現在、学生は人だけに留まらず、多くの種族がこの学院の門戸を叩く。
 
 その門を又ぐ資格は、その者の「心」で決められるという—
 
 
…ドッカーーン!!!!
 
 パラパラパラ……
 
「—ほっほっほ…ミラ先生。またやらかしましたねぇ」
 老人は、窓の外で学院の壁が吹っ飛ぶ光景を目撃しつつも、湯気の立つ紅茶をススっと口にしながら、穏やかな口調で呟いた。
 
 
 
 
「あーん、ごめんなさーい☆悪気はないんですぅ…」
「ほっほっほ。知っていますよ、ミラ先生。ですが教鞭を取る者として、もう少し術のコントロールを上手くして頂きたく…」
「いやーん☆ジル先生、もう補習はなしにしてーん!」
 埃を被ったミラと呼ばれる女性と、紅茶を口に運ぶジルと呼ばれる老人。
 老人から尖った気配は全くなく、まるで赤子をあやす祖父のように、穏やかな口調でミラを諭している。
「そうですねぇ。補習が効果があったようには見えないですからね…」
「で、でも前よりは、どっかーんの幅が狭くなりましたよぉ☆」
「まぁ、そうですねぇ。…では前回と同様、制服で補習を受けてもらいましょうかねぇ」
「や、やっぱりいやーん!」
 ジルの言葉にフォローを入れたつもりが、学生と一緒に制服姿で補習を受けるという、前回同様の恥ずかしい罰に身を置くことになりそうな状況に一変し、ミランダは慌てふためく。
「…おぉ、そうでした」
 急に何かが閃いた様子のジルに、ミランダはキョトンと視線を注ぐ。
「ミラ先生、今回は補習はなしでいいですよ」
「えっ!いいんですかぁ☆」
 ホッとした表情のミランダに、ジルは変わらず優しい口調を続ける。
「ですが代わりに、ある仕事を受けて頂きたいのです」
「仕事、ですかぁ?」
「そうです。ですが、この仕事を受けるか、補習を受けるか…最終決定はミラ先生にお任せしますよ」
 ミランダが補習という選択肢を絶対に選ばない事を知りつつも、ジルは始終柔らかな雰囲気で着実に話を進めていった。
 
 
 
 
「いやーん☆やっぱり夜は怖いわねー♪」
「ミラ先生、あんまり怖そうではないですけど…」
「そんな事ないですよー☆ハインライン先生♪」
 
 夜。満月の光が降り注ぐ、学院の庭園。
 陽光とはまた違った月光の下…この庭のもう一つの美しさが際立つ。
 
 昼は様々な薬草や花が、華やかな彩りで辺り一面に広がっているが、夜は繊細な種が淡色の自身を、月を向いて静かに花開かせる。
 その白い光に喜びを捧げるように、蒼く光る蝶が、魔力の蜜を求めて転々と羽ばたく…。
 
 そんな幻想的な光景を目の前に、二人の男女が小さな明かりを灯し、並んで歩いていた。
 
(ジル先生。仕事とは言え、感謝致します…。)
 黒い短髪、オールバックの前髪が、その端麗な顔立ちを強調させる。長身細身の体にフィットする茶色のジャケットを羽織り、アクセントに大きめの蝶ネクタイの姿。
 彼…ハインラインは、心の中でジルに深々と頭を下げていた。
(今夜こそ、今夜こそ…。)
 拳が、ミランダには見えない角度でワナワナと震えている。
(ミラ先生を食事にお誘いする大チャンス!!落ち着くんだ、ハインライン…)
 極度に緊張している様子が伺える。好意を抱いている女性を隣に、なんとか心を落ち着かせようと必死のようだ。
 そんなハインラインに全く気づく様子もなく、ミランダはマイペースで夜の庭園をキョロキョロする。
「噂のアレ、見つけたらどっかーん!しちゃいましょうねー☆」
「で、ですがミラ先生。それはただの下級な霊かもしれませんので…。勢いよく爆破するほどではないかも…」
「あ、ジル先生の補習が追加されちゃったら困りますもんねー☆」
「いや、そういう問題では…」
 相変わらず話が微妙に噛み合わないミランダに、話の活路を模索するハインライン。
 
「と、ところで、ミラ先生は、お休みはどうされているんで…」
「寝る時はもちろんパックとかしますよー♪今日みたいに夜遅い時は念入りにしっかりと♪ハインライン先生も健康と美容の為に、早く終わりにしましょうねー☆」
 
(負けるな、ハインライン…)
…意図的なのか、天然なのか。微妙な空振りに、心の中で彼は自分自身にエールを送った。
 
 
—最近、学園の中で不思議なモノを見かけるという噂が広がっていた。
 そのモノは、見た者によって形は様々で、ある者は青白く光るヴァンパイアの霊、ある者は白と緑色を繰り返す人の影、またある者は紅く光る塊が浮いていたという。
 ただ共通するのは、それを見た時刻が夜だった、という事だけ。
 その正体の調査が、今回ジルから二人が頼まれた仕事だった。
 現在まで特に被害を受けたという報告は無かった為、今回の一件は聖魔術のエキスパート・ミランダと、闇魔術のエキスパート・ハインラインがいれば大抵何とかなるだろう、というジルの判断だったのかもれない。
 
…だが、二人の能力を知らない者から見ると、成果はとても期待できそうにない雰囲気のコンビだった…。
 
「今日のアレは、どんな姿で現れるんでしょうねー☆」
「そ、そうですね。人によって見え方が違うって事は…恐らく魔力を源とした何かである可能性が高く、まだ具現化に至っていない中途半端な存在として彷徨ってるのではというのが私とジル先生の推測です。ただその魔力が聖寄りか闇寄りかは直接見てみないと何とも言い難く…」
 緊張の余り、早口で理論を語り始めるハインライン。
「…という仮説を立てると、魔力が高まる満月の夜が出現の可能性が大きくなり、まさにそれが今夜という事で…」
「あ!ってことはハインライン先生♪ きっとアレですねー☆」
「えっ?ミラ先生、あれとは何の事で…」
 ふとハインラインが目にすると…
 庭園の端まで進み、辺り一面に芝が広がる、その境界線の少し先。障害物のない広々とした場所に、月光に照らし出される、赤黒い霧。
 その影の中心に、青い灯りがユラユラと光り、それは瞬きを繰り返していた。
 
「!! あれは…!!」
—シュッ!!
 その不思議な物体を見るなり、ハインラインは手に白いグローブを着用する。
 ミランダも同じ場所に視線を向け、持っていた細い杖をエイッと振りかざす。と同時に、ミランダの杖に魔力が注がれるのを気づくハインライン。
「ミ、ミラ先生、待ってください!アレの正体を突き止めて…!!」
「だいじょーぶですよ☆ これは浄化の魔法ですからー♪」
 話が微妙に噛み合ってない事にやはり気づかないミランダだが、その会話の間に聖魔術の発動準備を完了させる。
「さぁ、いっけー☆」
 杖の先に集まった白い光が、ミランダの掛け声と共にシュンッ!と弧を描いて赤黒い霧へ飛び込む!
 ど派手な爆破を覚悟したハインラインは一瞬、腕で目を隠す—
 が、その予想に反して、その光は霧にぶつかると更に強烈な光となり、漏れた光の先は銀色の矢へ姿を変えて逆走し、その全てを包み込むように貫いた。
 
—サァァァァ……。
 
 雨の音にも、砂の音にも似た音で、赤黒い霧が少しずつ薄くなる。
 ミランダの放った光が消える頃、その場所には中心にあった青い灯りだけが残っていたが…数秒後には、フッと炎が消されるように、消えてなくなった。
「あら☆やっぱりハインライン先生の言うとおり、大したアレではなかったですねぇ♪」
「まぁ、そうですが…。ミ、ミラ先生、お怪我ありませんか」
「え?桶ですか?火傷ですか?そんなに火の粉が飛んじゃいましたぁ?」
「いや、そういう意味では…」
…ハインラインは心の中で涙を流しながら、自分自身へのエールを強めた。
 
「コホン…しかし噂の物体は見つけたものの、正体を知る事はできませんでしたね。また日を改めて再訪しましょうか…」
 その言葉に、ミランダは一瞬キョトンとした顔でハインラインを見つめる。
「先生♪もう正体は分かったじゃないですかー☆」
「え?それはどういう意味で…」
「あれ、先生は見えなかったんですかぁ?あの子の顔♪」
 
 

2
最終更新日 : 2014-02-08 21:05:24

2、答えを見つける途中

 

「ハンナせんぱぁぁぁい!!!!助けてくださいですー!!!!」
「ちょ…!!ルゥ!!廊下は走ってはいけませんわ!!…ってキャアァァ!!!」
 
 ドカッ!!ドサドサッ!!
 
…ピンク色の長い髪。キツネの尾に似た飾りを両側に垂らした青色帽子。
 その少女はハンナを見つけた途端に、一目散に突撃し、泣きながら彼女に飛びついてきた。
「おメメが、追っかけてくるですー!!!」
「イタタタ…それはいつもの事でしょう?今更…」
「違うですー!!おメメが本気を出してきたですーー!!」
「それはルゥが、日頃おメメに乱暴な事をしているからでしょう?」
「ギクゥッ!!そ、それは否定できないですー!!でもおメメ、今日は怖いですーー!!」
 やれやれ、という表情でルゥが走ってきた道をハンナが振り返ると…
 ビーチボールくらいの大きさの目玉が、横から生やした毛並みを紅く逆立て、真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。
 尖った耳に、茶色の長い髪。緑のベレー帽をかぶった少女ハンナは、はぁっとため息をひとつ吐いた後、考えを巡らす。
(さて、どうやって沈静化させましょうか…)
 その矢先…
 少し先の廊下で、十字路になっている箇所。
 一人の少女が、突然スッと現れて通路を横切る。
『あ¨。』
 それを見ていたルゥとハンナが同時に声をあげると—
 
 ドカァッ!!
 
…間もなく、その少女と目玉は、これでもかと勢いよく衝突していた。
 
 
「大丈夫ですかぁ?」
「ケガはございまして?」
 二人と一匹が、心配そうに少女を見つめる。
「あ…大丈夫よ。ありがとう」
 その少女はニコッと笑って、お礼を言った。
「巻き込んでしまって申し訳ありませんわ…。ルゥ、誠意を持って謝るのです!」
「はいですー。ごめんなさいですー!」
 大人しくなったおメメを抱え、頭をペコリと下げるルゥ。
 目玉も、無関係の者を巻き込んだ事を申し訳なさそうに、ルゥの腕の中に静かに収まっていた。
「こちらこそ、よそ見をしてしまっていて、ごめんなさいね」
「…全く、ルゥと一緒にいるとトラブルばかりですわ」
「ふふっ。でもハンナ、楽しそうね」
「なっ…!そんな事はございませんわ!生徒会長たる私の権限を持っても、この子の風紀を整えるのはいつも一苦労ですのよ!」
「ハンナは面倒見が人一倍いいから、これくらいが丁度良かったりして」
「もう!シェイラったら!!」
 顔を赤らめるハンナと、和気あいあいと話す少女。
「ありゃ? 二人はお友達なんですかぁー?」
 隣で見ていたルゥが不思議そうに呟く。
「あ、紹介が遅れましたわね。彼女は、私のクラスメイトのシェイラですわ」
「はじめまして。ハンナからいろいろ噂は聞いてるわ。よろしくね、ルゥちゃん」
 翡翠色の瞳に、金色に輝く少し長めのセミロングの髪。艶のあるストレートだが、毛先のウエーブが彼女の可愛らしさを引き立てる。
「ふわぁ…シェイラ先輩、よく見ると天使さんみたいですー」
「ふふふっ。お世辞上手なのね、ルゥちゃんは」
 改めてまじまじと見た少女に、ぽやーっと見惚れるルゥ。
「ルゥ、なかなか良い見解をしていますわ。なんせシェイラは…」
「あっ☆いたわーん♪」
 ハンナの言葉を遮るように、突然後ろからミランダが叫んできた。
「シェイラちゃーん☆ちょっといいかしらー♪」
 豊満な胸を揺らしながら、ミランダが駆け寄ってくる。廊下をすれ違う生徒の何人かが、男女問わずその胸に注目する。
「あ、ミラ先生!こんにちわですー!」
「あら♪ルゥちゃんもハンナちゃんも揃って…これは乙女の恋話中ってやつかしらー☆」
「いいえ、先生。特にそういうわけでは…」
「あら、そうなの☆ じゃあちょっとシェイラちゃんをお借りしてもいいかしらー♪」
 突然の指名に、少し動揺するシェイラ。
「?ミラ先生…何かありましたか?」
「ちょっと手伝ってほしい事があるのー☆ とりあえずジル先生のお部屋でお茶を頂きに行きましょー♪」
「?? …あ…はい。分かりました」
 手伝いとお茶がどう繋がっているのか全く分からない三人だったが、シェイラはとりあえずミランダの言う通り、付いて行く事にした。
「…じゃあ、また今度ね。ルゥちゃん。ハンナもがんばってね」
「はいですー!またですー!」
「いってらっしゃいませ、シェイラ」
 小動物を扱うようにルゥの頭を撫でた後、二人に別れを告げて去っていく。
 
「はわー。シェイラ先輩は優しさいっぱいですー」
 ルゥは甘い果実を口に含んだ時のように、目元と口元が緩んだまま、少女の笑顔の余韻に浸っていた。
「…あれれ?でも、シェイラ先輩って、ハンナ先輩と同級生なのに…ルゥと同い年くらいに見えますー。でもとても大人っぽいですー?」
「あらルゥ、今日は洞察が優れていますわね。おメメに追いかけられた反動かしら?」
 
 
 
 
「えっ!ミラ先生と、ですか?」
「そうよん☆ ちょっとの間だけ、一緒にお休みしましょっ♪」
 
—ミランダとハインラインがあの物体と出会った夜。
 ハインラインは、その不思議な物体は赤黒い霧に見えていたが…後から聞くとミランダの目には、このシェイラという生徒に何かが取り憑かれている姿に映ったという。
 ただ、ハインラインが見た中心の青い灯りのように、ミランダの聖魔術が消えると同時に、その姿もスッと消えてしまったそうだ。
 
 目撃証言のみで、証拠はない。
 かつ、それを見たのはミランダのみ。
 
 このまま闇雲に探すよりは、より可能性のある方法を選択しようという事で、ミランダにシェイラの監視役を少しの間担ってもらおうというのが、ジルの案だった。
 
 ただ、シェイラ本人にこの全てを話しても説得力はなく、逆に拒絶される可能性は否めない。かつ、生徒を疑うという行為が見て取れるため、教師の立場としても本来したくない話…。
 そこで、ミランダの補習の延長という理由を無理やり付けて、シェイラと一緒に夜を過ごすという案にとりあえず収めたのだった。
 
「ご迷惑おかけしてすみませんが、一週間だけお付き合い頂けたらと…」
「は、はい。私で良ければ、構いませんが…」
 シェイラは少し戸惑った表情を浮かべた。
「じゃあ、決定ねーん☆ パジャマパーティーよーん♪」
「ほっほっほ…。ミラ先生、本来の目的をお忘れなく…」
 ジルは優しく言葉を付け加えながら、こっそりとミランダに釘を刺した。
「ミラ先生はご存知のように、多少暴走しやすい傾向がありますが…これでも聖魔術のエキスパートです」
 シェイラの目の前にあるカップに、追加で紅茶を注ぐジル。軽く会釈するシェイラ。
「シェイラさん、もし仮に貴女が今『何か』に壁を感じているのであれば…」
—ピクッ。
 戸惑いを見せてたその顔が、一瞬固まる。
 老人はカップを見つめながら、そのまま言葉を続ける。
「…シェイラさんにとっても、ミラ先生と過ごす時間は有益になると思うのですがね。ほっほっほ」
「ジル先生…」
 少女の目が、ジルを見つめた後、視線を床に落として一瞬潤む。
「…そう…ですよね…」
 何かを思い詰めるように、シェイラは少しの間、沈黙する。
 
 数秒後。ふとまた顔を上げて、喉に詰まっていた言葉をはっきりと声に変えた。
「分かりました。ご一緒させてください。ミラ先生、よろしくお願いします」
 先ほどの戸惑いの表情とは一変し、今度はミランダに向かって柔らかく微笑んだ。
「先生、楽しみにしてるわー♪あ、ちなみにみんなには内緒よ☆ヤキモチ焼かれちゃうかもしれないから♪」
「あ、そうですよね。分かりました」
「ほっほっほ、交渉成立ですね」
 二人の笑顔を確認した後、紅茶のポットを横のテーブルにカタッと置いた。
「ところでシェイラさん。もう一つ、お伺いしたい事があるのですが…」
「はい、なんでしょうか」
「この機会にお聞きするのは、無粋と思うかもしれません…」
 ジルは立ち上がり、窓を向いて遠くを見つめた。
「『彼』は…連絡が取れましたかな」
 その言葉に、少女の表情はまた少し陰りを見せた。
「はい、一応…。ですが、まだ時間が掛かるとの事です。私の友達が彼からの手紙を預かってくれて、そこにそう書いてありました」
「そうでしたか…」
 少しだけ、顔がほころぶジル。
「いやいや、失礼。お二人の行く末を見守る…と言ってはおこがましいかも知れませんが…気になりまして。そろそろ『あの日』も近づいていますから…」
「…。」
 ジルの言葉に、また少しうつむくシェイラ。
「とは言え、彼のような誠実な青年に、このような心配は無用と解釈しておりますがね。ほっほっほ…」
「そう、ですよね…」
 少女は、また自身に言い聞かせるような口調で、言葉を紡ぐ。
「先生。いろいろとお気遣い、ありがとうございます。私、がんばります」
 ジルの言葉に励まされたか、皆の者に心配をかけまいとしたか…。
 シェイラはまた笑顔を戻し、感謝の言葉を述べた。
 

3
最終更新日 : 2014-02-08 21:21:50

3、言えない本音

 
「じゃあ、かんぱーい☆」
 ミランダが高々とグラスを掲げ、グラスがカチンと重なり合させる。
 ふふっと笑みをこぼすシェイラ。
 
—その日の夜、早速ミランダの部屋で相部屋が決定した。
 身支度を整え、指定した時間通りに訪れたシェイラ。
 その部屋からは…フリフリのパジャマ姿で現れたミランダ。テーブルの上には料理と飲み物が、女子会と言わんばかりに可愛くセッティングされている。
 そしてシェイラにも、早速パジャマに着替えるよう促す。
…ジルが懸念していた通りの展開に、事は順調に進んでいた…。
 
「シェイラちゃん、今日はお礼って事で、遠慮せずに食べて飲んでねー☆あ、もちろん飲み物はジュースだから心配無用よー♪」
「はい、ありがとうございます、ミラ先生」
 目の前の料理を前に、ミランダに言われた通り空腹で来て良かったと、胸を撫で下ろす。
 いただきまーす!という言葉と同時に二人は料理にフォークを伸ばした。
 会話の切り口は、シェイラの授業の調子から始まり、お互いの得意な魔術、苦手な魔術、クラスの様子や、学院の先生達の話題にまで話が盛り上がった。
 
「ねぇねぇ、私、シェイラちゃんに聞きたいことがあるのー☆」
「はい、何ですか?」
「先生ねー、『彼』との出会いとか、あんまり詳しく聞いたことがなかったから、聞いてみたいのー☆」
「出会い、ですか…??」
 顔は笑顔のままだが、ちょっと顔を赤らめてる姿が見て取れる。
「そんな話で、いいんですか?」
「先生、恋話も大好きよー♪」
「そ、そうですか…」
 ますます顔を赤らめるシェイラ。
「私から話したことはあまりないんですが…じ、じゃあ…」
 ミランダは、興味津々とばかりに、目を輝かせて聞き耳を立てた…。
 
 
 
「いやーーーーん☆なんて素敵なお話なのかしらー♪♪」
「そ、そうですか…?」
「いいわねー☆二人の愛の共同作業ー♪お互いを想い合った心の結晶が開花するのねー☆」
「そ、そうとも言いますね…」
 話の初めより、さらに頬を赤らめるシェイラ。
「で、でもまだまだ乗り越える事はたくさんあって…。私、まだ彼の期待に応えられてなくて…」
 そう言うと、シェイラはちょっと下にうつむく。
「先生だから正直に話しますが…」
 翡翠色の瞳が、急に潤み始めた。
「見れば分かると思いますが…上手くいっていない事の方が多すぎて…」
「シェイラちゃん…」
「まだまだ、全然足りないんです…。もしかしてジル先生は、それを察してミラ先生とこういう形でお時間を作ってくれたのかなって…。思い込みかもしれないんですが、今日この提案をされた時に、そんな風に、思っていたんです…」
 声が、少し震えていた。
 両手にギュッと、力が入る。
 瞳から大粒の涙が、今にもこぼれ落ちそうだ。
「だいじょーぶよっ!!シェイラちゃん☆」
「先生……わぷっ!」
 ミランダは手をシェイラの背中に回し、彼女をぎゅうっと抱きしめる。
「先生もその恋、バッチリ応援するわー♪悩みがあったら、いつでも相談してねんっ☆」
「せんせ…胸、苦しい…ですっ!」
「あらあら、先生つい勢いで…。ごめんねー☆」
 大きな胸に顔がうずくまるのを見て、シェイラを抱きしめていた両手をパッと離す。
「ぷはっ!ふぅ…いえ…、大丈夫です」
 シェイラは少し苦しそうだったが、大粒の涙はミランダの胸に落ちて消えていた。
「…先生の胸は、相変わらず羨ましいです」
「あら、けっこう重くて大変よー?」
「あ、そうですよね。でも…もし彼が望むなら、先生みたいになりたいなぁ」
「そしたら、またシェイラちゃんに恋しちゃうかもね☆」
 そう言うと、シェイラはまた顔を真っ赤にして、少し不自然な照れ笑いをミランダに向けた。
 
 
 
 
 
—森の泉は、美しかった。
 特に、朝日が差す景色が大好きで、その光景を見ると力が湧いてくる。
…もちろん、泉の持つ力が強い事も理由のひとつ。
 朝の散歩がいつの間にか習慣となって、毎日この時間にこの場所へ来るようになった。
 時に泉の水と戯れ、時に草花を愛で、時に朝日を眺め…。
 周りには、誰もいない。
 この一人の時間が好きだった。
 
…その日も変わらず、彼女はいつものように泉へ出かけて行った。
 森は、変わらず美しい景色で、彼女を迎えた。
 いつものように、気ままに散策を始める。背中の薄く青い羽が、陽に照らされキラキラと輝いていた。
 
—ガサッ。
 
 ビクッと、尖った耳を震わす。
 ちょうど後ろの森の奥で、聞こえてきた音。
…この泉には、邪悪なものは一切近づけない…。
 きっと、小動物だろう。
 そうして気持ちを落ち着けた矢先—
 
—ガサガサガサ…。
 
 音が、こちらに近づいてくる。
 翡翠色の目を音の方向に向けながら、体をそれとは反対方向に移動させ、後ずさりをする。
 緊張した面持ちで、その音を見つめる…。
 葉が、動く。その影が、見えて…。
 
—ガサッ。
 
 その影を、光が照らし出す。
 
…風変わりなマントに、黒髪を後ろで束ねた姿。精悍な顔立ちの青年。
見たことのない、人。
 
『…あ、あなたは…?』
 
「…?」
 
『どうして、ここに…?』
 
「僕は…」
 
 
「シェイラちゃーん☆ 朝よーん!!」
 
—景色が急にスゥっと消えてなくなり、一瞬の暗闇を通り抜け…。
 目を開けると、そこに再び光がこぼれてきた。
 眩しいその光に慣れると…横に誰かの姿がボヤッと見えてくる。
…その姿がミランダだと認識するまで、少し時間がかかった。
 
「あれ…?先生、なんでここに…?」
「シェイラちゃん、おはよー♪ほら、昨日から先生と一緒にお休みしていたじゃなーい☆」
「えっと…、ここは…。あ、そうか…」
ふと、我に返るシェイラ。
「そうよー♪さぁ、今日も一日、元気にいきましょー☆」
そう言うと、ミランダは奥の部屋へと姿を消した。
 
「…夢、だったのね…」
 先ほどの光景を、寝ぼけ眼で思い出す。
 
 夢でも変わらない、黒髪。
 黄金色の瞳、その精悍な顔立ち。
「…ロイル…」
 彼の名を、呼んでみる。
 返事がないのは、分かっていた。
「…元気かな…」
 夢の余韻に浸りながら、彼女はしばらく窓の朝日を眺め、微睡んでいた…。
 
 
 
 
「シェイラさんの状況は、いかがですかな?」
「はい♪いつもと変わらない感じで、仲良くしてますよー☆」
 6日目の朝。ジルはミランダとハインラインを部屋に呼び、状況を確認していた。
「ハインライン先生の方は、どうでしょう?」
「すみません、あれからあの物体を発見できていません…。ですが、他の生徒からの新たな目撃情報は耳にしています」
「そうですか…」
 しばらく沈黙するジル。
「この数日間、夜はずっと一緒でしたけど、変な感じは見当たりませんでしたよー☆」
「ジル先生、どうしましょうか。まだ何とも言えませんが、彼女との関係性が見えない事には…」
「そうですねぇ…」
 また少し、沈黙するジル。
「…もう少し様子を見たいところではありますが…。これ以上はシェイラさんにこちらの思惑を感ずかれてしまう可能性がありますね。補習の延長という理由を付けても不自然ですし…」
「では…」
「約束通り、明日の朝を持って終了としましょう」
「…わかりました」
「さて、ミラ先生。シェイラさんをお呼びしてもらっていいですか」
「はーい☆いってきまーす♪」
 
 
…コンコン。
「はい、どうぞ」
「し、失礼します」
 キィっと、ドアが空く。そこにはシェイラの姿。
 気のせいか顔が、少し赤らんでいるように見える。
 
 バンッ!!!!
 
「ジル先生、大ニュースですよー☆」
 後ろからドアを壊れそうなほど勢いよく開けて、笑顔のミランダが入ってくる。
「ほう、どうされましたかな、ミラ先生」
「私もさっき話を聞いたばかりなんですけどぉ、なんとなんと♪」
 そう言うとミランダはシェイラを見つめる。
「じ、実は…」
 照れ臭そうに、シェイラはミランダを見返す。
 ウインクして、話を催促するミランダ。
「彼が…ロイルが、学院に来るって連絡があったんです!」
 顔を赤らめながらも、満遍の笑みで言葉を放った。
「ほっほっほ…それは吉報ですね。それでは生徒会にもお知らせせねば…」
「あ、それならもう先にハンナに話したので大丈夫です!」
「そうでしたか。さすが行動がお早い。…そうそう、タイミングの良くご報告です。ミラ先生の補修を終了しますので、今日からご自由に行動なさってください。ご協力、感謝します」
「あ…はい、分かりました!ミラ先生、ありがとうございました。ジル先生も、機会をありがとうございました」
 シェイラは、二人に深々とお辞儀をし、感謝を表した。
「昨日教えた美容パックで、お肌ツルツルにして彼をビックリさせちゃってねー☆」
 シェイラは先程よりも更に顔を赤らめていた。
 
 
 二人が出て行った後、ジルは沸かしていたお湯をポットに注ぎ込む。
 茶葉がクルクルと回転しながら、湯の中を踊った。
「…元生徒会長にして、卒業後も名を轟かせる、学院随一のアルケミスト…」
 砂時計の底を逆にして置く。金色の砂がサラサラと、ガラスの細い道を通って落ちて行く。
 ふと窓の外を見つめ、不安気な表情を見せる。
「…この胸騒ぎ…。年寄りの勘違いであって欲しいものです…」
 
 

4
最終更新日 : 2014-02-08 21:31:06

4、約束は時を越えて

 
—彼は、人だった。
 人が、この場所に来る事は滅多にない。…むしろ、来れないから。

 ここは、妖精の庭。プリンセスが統治するこの場所は、清き心を持った者でないと、訪れることすら不可能。
…私も、母さん以外の「人」を見るのは、初めてだった。
 
 最初、泉で彼と出会った時は、とても驚いた。
 でも、話をしているうちに、次第に尊敬するようになった。
 彼はアルケミストで、様々な秘薬や錬金術の研究をしている事。その研究を病で倒れる人や、力なき者の為に活用したいという夢。
…何より、彼の純粋で澄んだ心に、惹かれていった。
 
 恋に落ちるのに、時間はかからなかった。
 彼と一緒に世界を歩んでみたいと、願いは日毎に強くなっていった。
 
…彼も、同じ気持ちだった事を打ち明けてくれた日は、今でも忘れない…。
 
 だけど、彼は人。私は、人から生まれたとは言え、妖精のはしくれ。
 私たち家族が、この庭に住む事を寛容に受け入れてくれたプリンセスとは言え、私の願いを話したらお怒りになるだろうか…。
 
 
「…シェイラ。そしてロイル。貴方達の絆の強さを、確かめさせて頂きたいのです」
 金色の、腰まで伸びる長い髪。神々しく、美しく透き通る、大きな羽を持ったプリンセス。
 その日、ついに私は彼女に謁見し、離郷の許可を求めた。
「まず、シェイラ。貴女がこの庭を離れてしまえば…今より小さく、幼い姿となってしまうでしょう。それでも世界を歩みたいと望むのならば、場の力を借りず、自身の魔力を頼りに生きれるようならなければなりません。ロイルが居たマナリア学院…その場所で、あなたが人の世界で、今の姿で有り続けられるよう、自身の力を強く鍛えるのです。…厳しい試練である事は、分かりますね」
「はい、プリンセス…。承知しています」
 その言葉を聞くと、姫は少しだけ寂しそうな笑顔を見せたが、目を閉じてすぐに表情を戻した。
「そして、ロイル。貴方には、アルケミストとしての力と、その心を試させて頂きます。1年に一度、あの泉の水をシェイラに届けるのです。泉の水は、それだけでシェイラに魔力を与える事ができますが…方法によっては魔力を増し、シェイラの成長に大きく貢献できるでしょう。時が過ぎてもこの場所が再訪可能な澄んだ心、シェイラが本来の姿を取り戻すまで研究を続ける強い意思。この二つを私に証明してください」
「…分かりました、プリンセス。必ず、貴女の期待に添えるよう全力を尽くします」
 
 
 
「シェイラ…。寂しくなりますね」
「はい、すみません…」
「あの泉で、良く遊びましたね。あの頃がとても懐かしい…」
「はい、私もです…」
「…シェイラ。私は…貴女も彼も、信じたいです」
「……」
「けれど、貴女の身を心配せずにはいられません。私にとっても、貴女は大切な…」
「……」
「これを、受け取ってもらえますか」
「…これは…?」
「お守りです。貴女が無事に成長できますように…」
「…綺麗な首飾り…。…ありがとうございます、プリンセス」
「…必ず、願いを叶えてくださいね」
「…はい。きっと、必ず…」
「……。ありがとう。シェイラ…」
 
 
 
 
—学院の中に、あの泉に似た場所があった。
 あの森ほど大きくないけど、木々に囲まれた小さな泉。
 朝の散歩は昔ほど多くないけど、今も良くここに来る。
 
 機会が減ったのは、友達が増えたから…かもしれない。
 
 故郷の泉と違うのは、焔天使の像がある事。
 最初はあまり気に留めていなかったけれど、いつしか摘んだ草花と併せて、祈りを捧げるようになった。
 願いが早く、叶いますようにと。その為だったら何でもします、と…。
 
 
 シェイラは、いつものように摘んだ草花と、いつもと違う赤い宝石を持って、泉に来ていた。
 そして奥の、天使の像へ進む。
 一度、周りをぐるっと見渡し、誰もいない事を確認して、天使の像の後方の茂みが濃い場所に手を伸ばす。手に掴んでいた卵くらいの大きさのその宝石は、離すと茂みの中を転がって、姿が見えなくなった。
 
 その後いつものように、摘んだ草花のプチブーケを天使の像の前に置き、首飾りを握りしめて、祈りを捧げた。
 祈りの内容は、いつもと違った。
 今日、うまくいきますように…。
 
 
「やっぱり、ここでしたのね」
 シェイラはハッとして、声がした方を振り返る。
 そこに立っていたのは、
「ハンナ…」
 彼女を、その場を動かず見つめた。
「以前も『あの日』はこの場所にいたから、今日もここにいるかと思って…」
「うん…」
 歩み寄る、ハンナ。目線を、少しだけ下げるシェイラ。
「…不安、ですわよね」
 ハンナの言葉に、少し戸惑いの表情を浮かべた後、彼女の瞳を見つめた。
 そして、また少しうつむく。
「…うん。信じてるけど、少しだけ…」
 そう言うと、二人は少しの間、沈黙する。
 
「シェイラ、私は…」
 ハンナは、うつむいたシェイラを見つめながら話す。
「貴女が無事成長できることを、心から願っていますわ…」
「…ハンナ……」
 彼女の言葉と、プリンセスの言葉が、ふと重なる。
 …その瞬間、両目から涙がポロポロとこぼれ落ちていた…。
 
 ハンナは取り出したハンカチを、涙で濡れたシェイラの手と一緒に握りしめ、片方の手で少女の震える背中を、心をなだめるように優しくさすった。
「…大丈夫ですわ。シェイラなら、絶対できますわ…」
「…うん。…うん…。ありがとう、本当に…。ありがとう、ハンナ…」
 しばらくの間、そうして二人は寄り添った。
 その姿を見守るように、朝露に濡れた天使の像が、陽の光に反射してキラキラと輝いていた…。
 
 

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最終更新日 : 2014-02-08 21:33:07


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