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『オタクな俺のコミュニケーションスキルがこんなに低レベルなはずがない』 碧

投稿時刻 : 2014.01.18 23:30
最終更新 : 2014.01.18 23:40
総文字数 : 2671字
獲得☆3.818
 ある朝、気がかりな夢から目覚めると、グレゴール・ザムザは自分が中肉中背の異邦人になっている事に気がついた。いや、もしかすると、目覚めてはいなかったのかもしれない。夕べ、寝る前に7seedsという人気少女マンガを一気に全巻読破したのだ。それは、宇宙船から、地球人の使っている通信の回線をハックして読んだキンドル書籍で、主人公の少女がコールドスリープから目覚めると地球が天変地異で激変しているというあらすじだった。ザムザはそのドラマティックな展開にひどく興奮し、劇的な人生を歩むヒロインにとても憧れながら眠りについた。もしかすると、これはそれに影響を受けた夢なのかもしれないし、夢ではないのかもしれない。だがそもそも、これが夢であるかどうかを定義することに意味などあるのだろうか? いけない、ついハルキ・ムラカミ節っぽく独白してしまった。とにもかくにも、今、グレゴール・ザムザは、2日前にコンプした男子高校生(建前上、18歳以上という設定である)が主人公のエロゲに出てきた、平均的日本の高校生の自室のような場所で、目を覚ました。
 ザムザは宇宙空間を長いこと漂っているが、最近見つけた太陽系第3惑星の中でも、とりわけ日本という国の知的生命体が生産しているサブカルというものが大好きで、しばしば回線をハックして電子書籍をダウンロードしたり、ウィニーで割れ厨が流した新作エロゲを落としたり、ニコニコで放送されているアニメを視聴している。それゆえに日本語を読むことはできるが、話すことは未だにできない。必要性がなかったからだ。だが今、自分は目覚めていきなり憧れの日本にやってきたようだ。是非とも、あのようなすばらしい文化を生み出した日本人と交流がしたい。ザムザは念力を使って、再び日本人の使う回線に勝手にログインした。外国人向けの日本語会話初級のテキストブックがヒットした。

課題1.外国語会話を身につける第一歩はとにもかくにも喋ること!まずは、3人のヒトと会話をしてみよう!

 その課題を読み終えるのとほぼ同時、部屋のドアががちゃりと大きな音を立てて開いた。
「お兄ちゃ~ん!!!!!」
 甲高いアニメ声が響く。ザムザが目を見開くと、夢にまで見た、愛らしいツインテールの典型的な妹キャラな少女が、突然ベッドに横たわる彼に突進してくるところだった。
「ぐえっ」
「もぉ~寝ぼすけなんだから、起きて起きて起きて~!」
 ザムザに飛び乗るとその少女はそう言いながら彼の体を揺さぶる。これは、3日前に呼んだエロ同人誌の展開そのものではないか! この、絵から飛び出てきたような妹と、交流を深めるチャンスである。ザムザはテキストブックから簡単に発話できそうな日本語のフレーズを探し出した。
「これは、ペンです」
「えっ?」
 ザムザの発言に、布団の中にもぐりこもうとしていた妹は動きを止めた。何か、通じるものがあったらしい、と思ったザムザは、更に別のフレーズを検索し、発話した。
「トムはしばしば、テニスをします」
「お、お兄ちゃん、大丈夫まだ寝ぼけてるの? 私遅刻しちゃうから先に行くね……」

 この家は一軒家であるようなのに、妹とザムザの憑依している体の主である男子高校生との二人暮らしであるようだった。この前ツイッターで、キノの作者さんが、ラノベの主人公に親ポジのキャラは不要と発言していたから、そういうことなのだろう。妹キャラと会話ができたザムザのテンションはとても上がっていた。制服に着替え道を歩いていると、突然物陰から何かが飛び出してきた。
「わ~、遅刻遅刻~!」
 そして、ザムザとパンを加えた少女は激突した。二人目の日本人だ。ザムザは、先ほどよりも少し難度の高いフレーズを検索した。ザムザは紳士らしい仕草を心がけながら、少女が口からこぼした食パンを拾って、手渡した。
「これは、ペンですか?」
 疑問文である! イントネーションも完璧に発話できたはずだ。ザムザはドヤ顔で相手の反応を待った。
「えっ?」
 どうやら通じたらしい。ザムザは気分がよくなって、もうひとつ、更に少しレベルの高そうな疑問文を探した。
「トムは毎週土曜日に、テニスをしますか?」
「あの……私、急いでるんで……」

 街角で食パンを加えた少女が、学校に来たら転校生だったという展開がいつか自分に訪れる可能性を、いつまで信じていたかなんてどうでもいい話だが、それでもグレゴール・ザムザがいつまでそういう奇跡を信じていたかと言うと、これは確信を持って言えるが、今の今までとても強く信じていたので、現在は絶望的な気分だった。
 先ほどの食パン少女は同じ学校の生徒ではなかった。しかし、教壇には一人の美少女が立っている。転校生らしい。新たな日本人の少女だ。次の日本語会話の練習相手は彼女にしよう。そう思った瞬間、その少女は驚きの発言をした。
「この中に、異世界人、未来人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上!」
 クラスがしんと静まり返る中、グレゴール・ザムザはその瞬間、なにを考える間もなく立ち上がった。そして、なにを考える間もなく、その日本語は発せられた。
「宇宙人! 何故その台詞の中に宇宙人は入っていないんですかあああああああ」
 その悲痛な叫びは狭い教室の中に響き渡り、激しくエコーした。ザムザは数瞬してから、なにを考える間もなく、高度で滑らかな日本語のフレーズが紡がれたことに、ザムザは状況を忘れて感動していた。その瞬間、グランドに眩い光が満ち、目がくらんだ。
「息子よ……」
「と、父さん!」
 それは、父であるジョージ・アダムスキーの声だった。
「息子よ……よくやった。私はお前に、そのように、テキストやマニュアルに頼らないごく自然な形で、異星人語を習得してほしくて、お前をあえていきなり地球に送り込んだのだ……」
 気付くと、ザムザは元いた宇宙船の中で、父であるジョージ・アダムスキーと二人、向き合っていた。やはり、今まで見ていたものは夢だったのだろうか。いや、シミュレーションだろうか? もしくは、シミレーションであるともいえるし、シュミレーションであるとも言える。そもそもそんなカタカナ語の正誤などどうでもよかった。
「父さん! どうして! どうしてあのタイミングで僕を現実に連れ戻したんだ! もう少しで、もう少しで夢のような萌えライフを堪能することができたのに!」
「いや……それはさすがに無理っぽくねぇかな……息子よ……」
 ごく普通の男子高校生が、実妹や転校生や破天荒な同級生にモテモテモテまくるのには、かなりハイレベルな言語能力とコミュニケーション能力が必要なのだ。

『記憶屋』 犬子蓮木

投稿時刻 : 2014.01.18 23:32
総文字数 : 2831字
獲得☆3.800


《入賞作品》
記憶屋
犬子蓮木


 記憶売ります。
 そんな看板を表に掲げているおかしなお店でわたしは働いていた。都会の地下の一室、このお店には従業員を含めて三名までしか入ることが許されていない。案内係のわたし、お客様、そして記憶を売っているわたしの雇い主。
 大学を卒業したのに就職ができずにいたわたしは、ひょんなことからここで働くことになった。今も目の前で記憶が売られているのを立ってみている。タキシードを着ての案内係だ。
 つくづくおかしなお店だと思うけれどしかたがない。お給料ももらえるし、食事もつくってくれる。詐欺ではないことはじぶんで確かめたので、ここで働くしかないのだ。
「どのような記憶をお望みでしょうか」雇い主が話す。
 彼女はわたしよりもいくらか年上で、だけどわたしよりは元のできがよく美人である。やっていることのあやしさからか、それとももって生まれたあやしさなのか妖艶で商売にあった雰囲気をかもしだしている。名前は知らない。この部屋には多くて三人までしか入らず、ルールとしてお客様の名前を聞くこともない。そしてお客様がいなければ誰が誰に話しているのかがわかる。つまり、この空間で名前を呼ぶ必要がないのだ。もっとも雇い主の彼女にわたしは名前を握られているのだけど。
 ここでは便宜上雇い主をミストレスと呼ぶことにしよう。
「わたしが今までがんばってきたという記憶がほしいんです」
 お客さまである女性がテーブルをはさんで向かいに座るミストレスに泣きつくようにしてせまった。
 彼女はこれからも大変な目に合うらしい。だから、それを乗り越える誇りとして、努力の記憶を欲しているのだ。これだけがんばったのだから、きっとやれる、と自らを奮い立たせるために。
「それが嘘の記憶でも問題はありませんか?」
 ミストレスの言葉にお客様は一瞬驚いてから、うなずいた。
「では両手をテーブルの上に出し、組んでください」
 お客様は言われるがまま手を祈るように握り、置いた。
 そしてその手を包むようにミストレスが両手をお客様の手の上に置いた。お客様はわずかに体をふるわせる。
「目を閉じてください。ゆっくりと息をしてください。なにも考えなくてもいいですし、なにかを考えてもかまいません」
 わたしは少しだけ笑いそうになる。そして息を飲んだ。
「結構です」
 ミストレスが手を離した。
「帰って寝ましょう。起きたときには記憶が望むように上書きされています。そしてここに来たことも忘れて、あなたは偽りの記憶を真実として生きることになります」
 それだけ言って微笑むとミストレスは黙ってしまった。
「お代頂けますでしょうか」
「……あ、あの」
 ほんとうにそうなったのか明らかに疑っている。当然だろう。今はなにも変化が起きていない。せめて何か光を発するぐらいすればいいのにと思うけど、そういったこともない。漫画だったら、地味過ぎて設定変更を求められるだろう。
「もしここに来たこと覚えているままでしたら、明日にでもお金を取りにいらしてください。そのときはお返し致します」
 お客様はそれでも疑っている表情で、だけど仕方がないとばかりにお金を出して帰って行った。これで今日の仕事は終わり。
 ミストレスの能力は本物だ。
 少なくともわたしはそう信じているし、お金を取り返しに来たお客もいない。いったいなんでこんな不可思議な能力を持っているのかはわからない。だけど、仕方がないから、わたしはここでアシスタントとして働き続けているのだ。
 それに楽しくないわけでもない。
 こんな人間が近くにいたのなら、いろいろもっと知りたくもなるものだ。

   §

「どのような記憶をお望みでしょうか」
 ミストレスが、中年の男性のお客様を相手にしていた。お客様が言うには、過去の犯罪の記憶を消して欲しいとのことだった。もう二十年以上も昔の話。警察に捕まることもなく、時効を迎え、だけど歳をとって罪の念だけが膨れているとのことだった。
 わたしはいつもどおりの表情で、そばに立って業務に徹していたが、それでも内心の驚きは隠せなかった。こんな人のよさそうなおじさんが、人を殺したことがあるだなんて。
 ミストレスに対する懺悔のような言葉が続く。
 恋人を奪われた怒りで、恋人と奪った男を殺したのだという。なかなか手の込んだトリックで、ついに警察を騙し通したとのことだった。
 男が最後まで話し終えたのか泣き崩れた。
 言葉を発さずに、黙って話を聞いていたミストレスは、そんな男を見下すように確認するといつものように手をテーブルの上に出すように言った。
「それが嘘の記憶でも問題はありませんか?」
 男は顔をあげ、力強く首を縦にふった。
 あとはもう簡単である。ミストレスの能力により、記憶を書き換える種が男の中に与えられて、一晩寝れば生まれ変わるというわけだ。偽りの真実として生きるように。
 男が帰っていった後で、わたしはミストレスと紅茶を飲んでいた。雰囲気からするとすごい高そうだが、コンビニで買ってきた午後ティーをカップに移してレンジでチンしただけである。煎れてすらいない。
「どんな記憶を与えたのですか?」
「警察に捕まって、刑に服し、そして出所した記憶。あの人はそれを望んでいた」
「周りとの整合性は大丈夫ですか?」
 いつもながらにそこが心配になる。出所したという話を周りにしてしまえば、そこに齟齬が生まれるのでは、と思えた。
「捕まらなかったことで、罪の意識を終えるための儀式があの人にはなかった。捕まって罪を償った記憶があれば、その記憶も事件の記憶もすぐに忘れていく。あのお客さんは忘れるための記憶を買いに来たというわけ。だいたいそうだけどね」
 ミストレスが紅茶を飲み干した。
 わたしはそんな彼女を見つめていた。
 明日でこの仕事が最後だったから。

   §

「では、明日からお願いします」新しくやってきた人に言葉をかけた。
「厳密には、今日からですね」新しい案内係はわたしとは違うほがらかな笑顔で言った。
 どうしてこんなに明るそうな人がここで働くことになったのだろうか、と思う。だけどそんな考えはすぐにやめた。事情なんて、おもてに出やすい人もいれば、じっと隠して明るくふるまう人だっている、といろいろなお客様を見てきてわかった。
 わたしは、いつもお客様がいたはずの席に座っている。目の前にはミストレス。普段、わたしが立っていた場所には新しいアシスタントが今までわたしが着ていたタキシードを着て立っていた。彼女は今日からわたしの代わりに働くのだ。引き継ぎなんて存在しない。働くための記憶はミストレスが書き換えてしまうのだから。
 わたしもそうしてここで仕事をしてきて、今日、去って行く。
 記憶を書き換えられて。
 今日のお客はわたしなのだ。
 わたしはわたしが抱え込んでいた辛い記憶を書き換えてもらうことを条件にここで働いていた。そして期日が来たので、今、こうして、ミストレスの前に座っている。
 ミストレスの小さく息を吸い込むのがわかった。
 彼女はきっとこう言うだろう。
「どのような記憶をお望みでしょうか」

『箸先のメテオラ』 雨森

投稿時刻 : 2014.01.18 23:41
総文字数 : 2222字
獲得☆3.700
 布施さんはいつもの朝に、また良い匂いを漂わせて僕の元へやってきた。
 正直、僕はもう少し暖かなダウンジャケットの山に包まれて眠っていたかったが、僕の鼻腔へと漂着したその香りは一瞬で僕の意識を現実世界へと呼び戻してしまった。
「……朝から牛肉ッスか?」
 口の端にこびりついた涎の跡をこすりながら僕が起き上がると、布施さんは人のよい顔を更に崩した。
「匂いで分かるの、木内くん? これ国産のA5サーロイン」
 プラスチックの包材からは厚切り肉が放つ湯気がもうもうと立っている。僕は布施さんに断りもなく手を伸すと肉の真ん中の一切れをつまみ上げ、口の中へと放り込んだ。
「……あー真ん中とっちゃうのね、遠慮なく」
 恨みっぽい事をぼやきながら布施さんも一切れつまんでしゃぶりついた。
 僕の口の中のサーロインは芳醇な香りを放ちながら僕に一時の幸福を齎していた。ああ、なんて幸せ。噛めば噛むほど柔らかく、解けてゆくような食感。この時ばかりは僕達の境遇すらどこかに吹っ飛んでしまっている。未練たらたらでA5サーロインを喉の底へと追いやっているうち、布施さんの姿は消えていた。
「ねえ、布施さん。陣原くんはー?」
 まだ近くにいるのだろうと大声を上げた。
「たぶん鮮魚コーナーだよ」
 布施さんの声は思いのほか近くから聴こえた。どうやら、ワゴンから手頃なパンツを探しているようだった。
「じゃ、僕ちょっと行ってきます」
 僕は裾の長いダウンジャケットを一枚選んで肩にひっかけていた。
「はい。いってらっしゃい」
 まるで息子を見送る父親のような顔で布施さんが手を振った。
 つい三日ほどまえ、季節外れの暴風雪が僕らの町へとやってきた。その被害は甚大で、町はすぐに都市機能をマヒさせ、ちょうど現代詩サークルの会合の帰りだった僕達五人は命からがら、このスーパーマーケットに避難していた。
 携帯もネットも繋がらず、途方に暮れてはいたが、常時ポジティブ思考の布施さんをはじめサークルのメンバーは意外にもこの境遇を受け入れていた。
 サークルのうちでは若手に入る陣原くんはやはり鮮魚コーナーにいた。僕は冷凍ケースの隙間から厨房に入ると陣原くんの背後へと回りこんだ。陣原くんの横顔は削ったみたいに痩せているが、避難生活に入ってから逆に太ったようにも思える。
「どうも」
 挨拶だけはしたが、僕へはまったく目もくれずに陣原くんは出刃包丁を研いでいる。
「まさか、これで僕を――」
 そこまで僕が言うと陣原くんはいやに真面目くさった顔で、
「ええ、実はそろそろ木内さんには死んで頂こうかと思いまして」
 そう言って、御免! と包丁を突き出した。
 当然ながら、ただの冗談だ。陣原くんは突き出した包丁をおもむろに引っ込めると再び砥石に乗せた。ここにもう一人、戸田さんや江頭くんが居ると少しは笑えるのだが、僕と陣原くんではどうにも盛り上がらない。
「で、今から何するの?」
 厨房の奥には業務用の巨大な冷蔵庫がメタリックに輝いていた。ここは鮮魚コーナーだから無論、魚しか置いていない。
「そろそろマグロに手をつけようかと思いまして」
 さっきと同じトーンで陣原くんは言った。
「ほう……」
 食う専門で、料理など何もできない僕はただそう言うしかできなかった。つい昨日聞いたばかりだが、陣原くんは父親の趣味が釣りとかで幼い頃から魚の捌き方を学んだのだという。
「――ほう。これはついにマグロカツ登場ですね!」
 江頭くんが足音を消して僕達に忍び寄っていたのは薄々知っていたので僕は驚かなかった。
「いや、カツはどうかと思うけど」
 そう冷ややかに答えたのは陣原くんだ。そういえば彼が肉や油物が苦手だった事を僕は思い出していた。
「なんで? マグロカツとか最高じゃん!」
 相変わらずテンションの変動が読めない江頭くんは仰々しく体をクネクネ揺らす。
「カツなんて豚肉とか鶏肉とかで作ればいいじゃない。なんでわざわざマグロを揚げなきゃいけないのか僕には理解できないんだけど」
「そこは『考えるな、感じろ!』でしょうが!」
「意味がわかんない」
 陣原くんと江頭くんが押し問答をやっているうちに、隣の惣菜コーナーからなんとも良い香りが漂ってきた。僕は二人をそのままにして惣菜コーナーへと移動した。
 冷凍庫から取り出したマグロがどうなるのか興味が尽きない所ではあったが、今現在鼻腔を擽る香りには負ける。
 惣菜コーナーでは避難した五人の中で紅一点の戸田さんが深鍋で野菜を煮込んでいた。戸田さんがエプロン姿で料理に勤しむ姿を見るなど始めての事なので僕は少しぽーっとした。
「戸田さんは何作ってんの?」
「あ、木内さん。丁度いいとこに来た」
 僕の感動など無視して戸田さんは僕をパシリに使った。オーダーはコンソメの素とベイリーフだ。
「カートはそこに置いてるから、よろしく」
 まるで最初から誰かをパシリにする予定だったかのように彼女はしれっとそう頼んだ。
 ここはスーパーだ、パシリ上等、と僕はカートを全力で押して疾走した。途中で衣料品コーナーから戻ってきた布施さんを見かけたが、声などかけなかった。僕は戸田さんの作る深鍋の行方が気がかりだった。さっきまで陣原くんのマグロの運命を気にしていたが我ながら浮気者だと笑いが出てくる。
 なんて楽しいんだろう、この三日間。もう雪など解けなきゃいいのに、と酷い事を考える。僕は布施さんが皆に隠れて家族と連絡を取っているのを知っている。携帯もネットももう復旧しているのに、まだ僕達は救助も呼ばずにこうしている。

『クマちゃん』 小伏史央(旧・丁史ウイナ)

投稿時刻 : 2014.01.18 23:44
総文字数 : 2784字
獲得☆3.700
 秒速二〇〇メートルの強風の前では、うずくまるだけでやっとだった。うずくまることができただけでも、ぼくにとっては御の字だったけれど、それはこの星の大気が地球よりも薄いせいなんだろう。ぼくは風に押しつぶされたり、吹き飛ばされたりしないように、司令官お手製の鉄器付きワイヤーを地面に突き立てた。
 ぼくは風に逆らいながら、ワイヤーを綱に少しずつ前進する。火星の土は公園の砂場のようで、歩きやすいものではなかったけれど、我慢するより仕方なかった。ただ、ワイヤーの先端に取り付けられている鉄の突起が、そのやわらかい砂に押し出されて、ぼくの体ごと吹きとばされてしまわないか、そればかりが心配だ。
 でも、その心配は、このあとすぐに霧散していった。それは、また新たな、そしてより大きな不安が、ぼくにのしかかってきたからだ。
 徐々に徐々に進んでいった先に、その火星の地上に、ぽつりと、ひとつの小屋が建っていたんだ。

 彼らは、まるでぼくとは異質な姿をしていた。でも、人間と異なった姿をしている、というわけではないんだ。いや、なんだか難しい感覚だけれど、ぼくみたいな太ったやつとは違うけれど、司令官みたいな器用で繊細で、細っちょろい体をした人みたいではある、みたいな。
 言葉は通じなかった。小屋にいた人たちは、全部で四人で、そのどれもがぼくには同じ顔に見えた。そのうちのひとりが、ぼくに手を差し伸べる。なにか言葉を言っているようだけれど、ぼくには理解できない。理解できないことを伝えるすべも、ぼくには思いつかなった。訓練のやり直しだ。
 手を差し伸べたその人は、他の三人を振り返って、またなにか言う。三人のうち白銀色の毛を頭部から生やしている人が、ぼくに絡まっているワイヤーを、取り外してくれた。それを横目に見ながら、他の人より肌が黄色い人が、通信機でどこかと連絡をとっている。通信機はぼくが知っているものと同じようなもので、だからぼくは彼らが使っているものは言葉以外、ほとんど把握することができた。さきほど手を差し伸べていた人は、またぼくに手を差し伸べながら残りの一人になにか言っている。その言葉を受けて、金色の毛を垂らした、特に肌の白い人が、どこかにせわしなく駆けていく。その様子を見てやっと、目の前の人は手を差し伸べているのではなくて、ぼくに指を指しているのだと分かった。ぼくはワイヤーから自由になった体で、彼らに向かって感謝の意を伝えようとしてみた。でも、火星での活動に、異星人とのコンタクトの予定はなかった。だからぼくには意思を伝えるための準備はなにも持ち合わせていなくて、もどかしいんだ。それに、彼らは別に、異星人ってわけでもないんだしさ。

 ぼくは、小屋のなかの小屋に入ることになった。黄色人種の人が勧めてくれたんだ。小屋のなかの小屋、といっても、マトリョーシカのような構造になっているわけではなくて、それはいわゆる身を癒すための、カプセルのようなものだった。いや、でも、強風のなかで見た小屋というものも、カプセル状の形をしていたのだから、結局はマトリョーシカのようなものなのかもしれない。ぼくはそこで体を休めることにした。予定にない休息だけれど、休むことは、とても大切なことだ。
 特に肌の白い人が、ぼくになにか話しかけてきた。言葉が通じないことは知っているはずなのに、その人は構わないように一方的に話しかけてきた。ぼくは、言葉が全世界で共通であればいいのになとこのとき思った。それは、地球のなかだけに限らなくて、ここのような火星でも同じことだ。すべての生命体がわかりあえる言葉があればいいのに。でも、そんな難しいことはわからなかった。相手は楽しげに話し続けている。ぼくは、なにか答えたくて、通じないとわかっている声を発話した。相手は少し驚いたようだったけれど、司令官が趣味のサバイバルナイフを研ぎあげたときのような表情をして、またぼくに話しかけた。ぼくはもう発話しないことにした。
 ぼくに指をさしていたリーダーらしき人が、共通認識型の拡張視野をコネクトしていた。それは言葉だけではなくて、身振りや表情、背景といった情報を同時に伝達するときに、活用される通信機だった。拡張視野に立体映像が映し出される。通信相手の姿が現れる。
 それは司令官だった。迷彩柄の服ではなくて、黒いスーツを身に纏っていた。それを見た瞬間、ぼくの脳内は、びびっとはじけて、光がはじけて、一転した。
「ええ、知能指数の向上は、驚くべきものです。これは大成功ですよ」
 リーダーらしき人が、司令官に向かって微笑んでいる。
 そうだ。この表情は「微笑む」というんだった。
「ただし、一定以上の衝撃が加わると、連絡媒体に不具合が生じるようです。本体自体は正常に動いていても、こちらとのリンクに齟齬が生じると。特に今日のような風の強い日には、厄介モノですな」
「でも、火星っていつも風強いじゃない」
 リーダーの言葉に、そう反駁したのは、さっきぼくに話しかけてくれていた金色の毛の――そうだ、これのことを「金髪」と言うんだった――女性だった。その発言に、黄色い肌の男の人が、小さく微笑を洩らす。
「そうね。機械の増強が必要、と」
 立体映像の司令官が、地球にいる司令官が、拡張視野にメモ書きをする。
〈ねえ、司令官。この人たちは、司令官のお友達なの? 言葉が通じないんだ〉
 ぼくは今更になって、思いついて司令官に向かって連絡を試みた。
「いいや。機械に不具合があって通じなかっただけで、ほら、いまは言葉も分かるんだよ」
 白銀色の髪をした人が、ここぞとばかりに、ぼくにそう言う。
〈ほんとだ。言葉が分かるよ〉
「とにかく、このプロジェクトは軌道に乗ったと見ていいわね。火星支局のみなさん、ご協力ありがとう。クマちゃんもおつかれさま。火星での活動はあまり向いていないようだから、予定を変更して、ひとまず地球に帰ってきて。ご馳走の苔をたくさん用意して待ってるから」
 司令官が、そう言って、通信は終了した。

「じゃあね、ばいばい」
 背中にガス噴射機を載せてくれた金髪の人が、ぼくにそう話しかけてくれる。カプセルで休んでいたとき、この人はなんて言っていたんだろう。気になったけれど、時間がもったいないから、聞くのはやめた。
 ぼくは、八つの脚を火星のやわらかい砂のうえでふんばって、噴射機のスイッチを入れる。
(……彼らは、まるでぼくとは異質な姿をしていた。でも、人間と異なった姿をしている、というわけではないんだ)
 ふと、小屋の彼らを最初に見たとき、ぼくが感じた印象を思い起こした。そりゃあ、そうだよね。彼らは司令官と同じ人間だけれど、ぼくが人間じゃあないんだから。
 ――巨大クマムシのクマちゃん、いま、帰還します。
 宇宙服がなくてもへっちゃらで生きていられるぼくは、噴射機に押されながら地球を目指した。

『ルビー』 大沢愛

投稿時刻 : 2014.01.18 23:24
最終更新 : 2014.01.18 23:40
総文字数 : 4057字
獲得☆3.667
 私は宝石のなかでルビーがいちばん好き。
 ママがタケルおじさんを好きなのと同じくらいに。

 金曜日の夜、ママのバスタイムはいつもの倍くらいになる。パパがいなくなってからは週末になるといつもタケルおじさんがやって来るんだ。バスから上がって、身体にバスタオルを巻いたままチェストのそばで髪を乾かす。スツールはあるけれど、ママは座らない。以前、スツールに座って髪からメイクまでを整えてタケルおじさんを迎えたとき、お尻にスツールの継ぎ目跡が赤く残っていたから。焦ってバスタオルを敷いてみたけれど、今度はパイル地の形がお尻に移っただけだった。スツールから立ち上がって二時間近く経っていたのに。ママはそれ以来、ドライヤーは立ったまま、メイクは中腰でするようになった。
 タケルおじさんは美容室帰りの髪のにおいが好きじゃない。ママはいつも木曜日に美容室に行く。前日にパーマをかけたばかりの髪は、乾かしながらブラシで起こすだけでスタイルが決まる。
 カチューシャで前髪を起こしてフェイスメイクにとりかかる。ママのメイクは大学時代に馴染んだパターンがベースになっている。鏡の前ではみんな、ひとりぼっちだ。鏡面に顔を近づけて肌理を整えても、生え際に散らばる白髪は目に入らない。大学時代の自分と同い年の女の子が鏡の中に入って来ても、自分の顔だけを見つめ続ける。
 ママの顔ができあがる。きれいだ、と思う。そう言ってくれないと壊れてしまいそうな美しさだった。だからいつもママはタケルおじさんの胸に抱き締めて欲しいんだ。ハート型の瓶から指先にしずくを載せて、耳の下、胸元、腋につけてゆく。最後に脚の付け根に触れて、終わり。うっとりするほどいい匂いになったママがベッドのそばにやって来る。でもこれは私のためじゃない。
「メグ、そろそろおやすみ」
 おやすみのキスもどこか上の空だ。はやく寝て欲しいのがわかる。メグのベッドをパパの部屋へ置けばよかったのに。パパのにおいがうつるのが我慢できなかったんだ。パパは週に一度、布団を干してくれて、掃除機もかけてくれたのに。オードトワレをつけるとまず抱き締めてくるのも、私を自分のにおいにしておきたいから。でもね、ママは時間が経つと脂っぽい臭いが滲み出てくるけど、私はそんな臭いはさせていないもん。バスのあとでもほんの少し、耳孔から漏れる臭いをタケルおじさんに気付かれないとでも思っているの? パパよりもちょっと、鈍感なふりをするのが上手なタケルおじさんに。

 ベッドルームの電気が消える。ダイニングからママの嬌声が聞こえる。いつもより甲高いぶん、語尾が掠れて、なんだか嗄れているみたいだよ。私はこっそりとベッドから下りて、ドアの隙間から窺う。イブニングドレスのママがタケルおじさんに抱き付いている。いつもの笑顔で、髪のウエーブをそっと撫でる。ママがおじさんの胸元に顔を埋めると、頭の上におじさんの顎が載ったかたちになる。
 ねえママ、タケルおじさんが今どんな顔してると思う?

 テーブルの上にワイングラスが並んでいる。ワインの開栓はタケルおじさんの役目だ。コルクが抜ける瞬間に、ママはいつも大袈裟に声を上げてみせる。ペンダントライトの下で、グラスにワインが注がれる。波打つ赤ワインはルビーの色だ。うっとりと眺める。どんな味なんだろう。もちろん、ママは飲ませてくれない。本物のルビーを口に入れたら同じ味がするのかな。メグの息遣いが聞こえそうだ。ママのグラスの縁にルージュがついている。タケルおじさんのグラスはきれいなままだ。もしひと口だけもらえるとしたら、タケルおじさんの方がいいな。ママはすこし早口になっている。タケルおじさんはわざとゆっくり話す。ふたりきりのときに早口で喋られるとなんだかいらいらする。パパに向かってそう言ったのはママだったんだよ。タケルおじさんはママを見つめたまま、笑みを絶やさない。本当に満足そうに見える。もうすこしぞんざいな態度でもママは平気だけれど、穏やかな口調はママをますますうっとりさせる。でも、たったひとつ、テーブルの下で組んだ足先が小刻みに震えている。ママの足が伸びて、おじさんの足を挟み込む。震えはすぐに静まり、足の甲を優しく撫でる。ママが小瓶を取り出した。蓋を取ってワイングラスに一振りずつ入れる。注ぎ足したワイングラスを宙で合わせて、ひと息に飲み干す。「幸せになる薬」って、おじさんは言ってた。もっと言えば「自分たちだけ幸せになる薬」。だから見つからないように、こっそりと飲まなければならないんだよね。

 薬が効き始めると、ママはおじさんに絡みついてくる。息遣いが太くなり、声は低くなる。ベッドルームのドアが開き、天井の明かりが灯る。ベッドのなかでいい子に戻った私は布団の襟に鼻を隠す。布団が跳ねる。ママの身体は羽毛布団の中にうずもれて見えない。タケルおじさんの後ろ頭と背中が、サイドフレームの向こうに見える。ママの息遣いは悲鳴みたいだ。夕方からいままで、ママが整えて来たものを全部かなぐり捨てている。途中でタケルおじさんは上体を起こす。そのとき、私と目が合った。逸らさない。そのまま動き続ける。顔を顰めてベッドに崩れ落ちるまで、おじさんは私を見続けていた。

 「幸せになる薬」はママにしか効かなかったんだ。幸せになったひとを目の前にすると、いろんなものが見えてしまう。油断したママは幸せになるたびに我を忘れていた。仰向けになってもぽこんと突き出した下腹も、重力に引っ張られて横長になる顔も、肩から肘にかけてげっそりと落ちた筋肉も、汗をかくと蘇る本来の体臭も。鏡から外れたママの顔は熟睡中のそれに近づいていた。そんなママを前にして、薬の効いていないタケルおじさんはすこしずつ、キスを手のひらや指先へと置き換えていった。そして、ママがうとうとし始めると、そっと起き上がって床に降りた。素足の足音が近づいてくる。ママよりも二歳年下のタケルおじさんの身体は浅黒かったけれども、光を受けてつやつやしていた。天井の明かりを覆う位置まで来ると、私の顔を見下ろす。目を閉じるのも忘れて、そのまま見上げる。おじさんの指先が唇に触れる。おずおずとした触り方が可愛かった。ハート型の瓶のにおいがする指で、耳朶から髪の毛を撫でる。初めて女の子に触れたときにはこんなふうだったのかもしれない。布団がめくられる。ボタンにメグの大好きな模造ルビーをあしらった、お気に入りのパジャマだった。そのまま、横たわった私を見つめる。タケルおじさんの視線が往復するたびに目を瞑ってしまいそうになる。不意に、左手の甲を撫でられる。手首の手前ですっと離れる。パジャマ越しに手のひらがそっとなぞってゆく。
 タケルおじさんの息遣いは苦しそうだった。我慢しなくていいのに、と思う。本当に我慢しなきゃならなかったのは、もっとずうっと前でしょ、おじさん?
 視野の端で動くものが見えた。目を細めるふりをして横目を使う。
 ママだ。
 布団の上で横向きになったまま、こちらを睨んでいる。白目がはっきりと見えた。身体が動かなくなる。タケルおじさんの手がパジャマの下に潜り込みそうになったとき、ママは大きな唸り声を挙げた。手が引込められる。おじさんの身体が離れ、天井の明かりが顔を照らす。ベッドの上のママは寝返りを打って、布団の中に見えなくなっていた。

 一週間が経った。
 金曜日の夜、暗いベッドルームにはドアの隙間からダイニングの明かりが漏れている。私は壁際に両足を投げ出したまま座っている。タケルおじさんはいつものようにやって来て、さっきまでママとワインを楽しんでいた。
 でもね、ママ。タケルおじさんが本当に好きなのは私なんだよ。私の身体中のどこを比べても、ママは勝てっこないんだから。髪も、顔も、肌も。もっとずうっと敏感なところだって、私ならいつでも差し出すことができるよ。美容師さんにクレームをつけて、いろんなひとに当たり散らしても、鏡の中でしか通用しないママとは大違い。
 このまま、鏡の中で自分をごまかしながら、タケルおじさんに好かれているって錯覚していくつもりなの? ママの視線を外れたときのタケルおじさんの顔を知らないくせに。そんなの、惨めでしょ。
 今日も、「幸せになる薬」、使ったんでしょ。あれね、すり替えておいたの。あのあと、ママにさんざんぶたれて叩きつけられたあとに。足は折れたし、肘も動かなくなったけれど、なんとかなったよ。すこぅしずつ、見えないくらいの動きを重ねて、ね。
 でも、そっくりだったな、パパとメグに飲ませた薬と。パパにとっては久し振りにみんなで囲むテーブルだったし、メグなんか本当に喜んでたんだよ、ルビーみたいだって。苦いのに我慢して笑って。あれって、ママが「自分が幸せになる薬」だったんでしょ? ワイングラスに入れて、ワインを注いで。ひと口飲んだだけで、ママはきっと、あのときのパパやメグと同じになる。でもね、タケルおじさんは違うよね。パパをひとりで担げるほど力持ちなんだもんね。メグを抱えるのが精一杯だったママと違って。あの薬だって効かなかったし、きっと立ち上がってくれるよね。
 ああ、痛いよぅ。膝のボルトが折れちゃってる。肘の芯材が外れて変な形になったし。ひどい格好だなぁ。でも、安心して。髪のおかげで顔は無事だったんだよ。タケルおじさんが大好きなパジャマの下なんて、傷ひとつついていないんだから。ママ以外の誰も知らないところ。もう睨んでくるママもいないし、心配しないで。ちいさな男の子みたいにおずおずとでいいから、ちゃんと触って。この間みたいに、もう途中でやめたりしないでね。
 私は宝石のなかでルビーがいちばん好き。
 でも、タケルおじさんはもっと好き。
 
 ベッドルームの暗がりから、そっと身を起こす。あらぬ向きに揺れながら、帯状の光に向かってそろそろと歩き始める。ボタンのルビーがひとつひとつ光を宿している。一瞬だけかすめた帯が、シリコンの表面を浮かび上がらせた。

            (了)


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