閉じる


中表紙

 

 

よく当たる占いと

 

占い師の価値観


占いは危険?

 今日は「占い」について、原則を知らずに行うと危険である、という話をしたいと思います。

 雲黒斎さんのブログ「あの世に聞いたこの世のしくみ」を読んだ方から、先日ちょっと鋭い指摘がありました。「これは事実っぽいものが書かれているけども、でもこの著者の主張がなんなのか、この人が何が言いたいかがわからない。」と言うんですね。だからこそ、この人の文章を受け入れる人が多いとも言えるし、こういう表現方法は「技」でもありますね。

 この技は、故意に書いていないことがあったりして、批判されづらいようになっているんです。そのテクニックのひとつが、まず事実だけを知らせてそれを認めさせておいて、「それを知ったら何がしたくなるか」を隠しておく、というやり方です。これは良からぬ団体も実はよく使うんですよ。説得力を持たせるためにね。ブログの文章で「自分が何をしたいのか」という思いの部分をはっきり言っていないけれど、読んだ人が「うん、それ合ってるんじゃないか」と思わせるということは、かなり真理に近いからこそできることなのですが、このテクニックを知っていると、「部分的な真実を使った悪い暗示」もできちゃうんです。

 このブログを読んだ方の「事実っぽいけど何がいいたいかわからない」という小さな違和感は、とても大切な警戒心のサインです。これが占いの話に繋がっていきます。


 「鬼谷算命学」(きこくさんめいがく)という、とてもよく当たる占いがあります。あれは95%ぐらいの範囲を網羅しているというイメージを持ってます。でも、「当たることが人の救いになるか」と言うと、むしろ「当たることで永遠に救われなくなる」ということ、なんとなくわかりますか?

 たとえば、100%確実に当たる占い師から、「あなたは明日火事に遭う、その火事は絶対に避けられない」って言われたとしましょう。当たってもまったくうれしくないし、逆に火事を避けることができれば、占いが当たらなかったことになります。つまり、この占いにはまったく救いはないですよね。

 では、高度な占いの場合どうかというと、そんな直接的なことは扱いませんから、直接的ではない分、一見罪がないように見えるし、害がないように見えます。ですが、実はそうでもなかった例をお話します。

 脳腫瘍の持病を持っていたA子さんという人が、占い師から「あなたは、まぁとりあえずそのまま行けばいいんじゃない?」と言われました。これだけなら直接的な内容でもなく、罪もなさそうに見えますね。でも実はこれ、本人が思っている以上に、「深い諦め的暗示」にかかっていたんです。

 

 占いの暗示の解き方は、概ね3種類あります。一つ目は、「直接なんと言われたのか」ということがわかっているケースで、「その内容のどこが暗示なのか」を分析して解除する方法です。これは非常に難しい作業です。
 二つ目、ほとんどのプロがやっているのが、暗示の上書きです。過去の暗示の範囲を上回る暗示をかけることで、なんとか解除する、逆洗脳とも言います。つまり上書き洗脳です。
 もうひとつは、「洗脳ってこうしてかけるんだよ」という事を、「丹田、眉間、みぞおち」にわかるように(頭で理解できるように、心で感じるように、しっかり腑に落ちるように)教えて、すべての洗脳の仕方をバラすんです。そうすると過去の洗脳も解けます。これは僕が、今までたくさんの人を揉んできた中で副産物としてできたもので、今では暗示を解くテキストとして用意しています。この方法で、かろうじて暗示は解けるんですが、そもそもなんで暗示にかかったのかまでは解明できないんです、これだと。だから再発防止にはならない場合もあります。
それでも、なにもしないよりはいいという、防御的なものとして生まれました。ただ適用範囲は広いです。

 さて、脳腫瘍のA子さんの話に戻ります。もともとの暗示の内容や、どこで深い諦めの洗脳にかかったのか、なかなかわかりませんでしたが、いろいろと話をしているうちに、少しずつ判明してきました。ある時、A子さんと同じ腫瘍の持病を持ったB子さんと、鬼谷算命学の話をしたんです。「すごく当たるんですよ、人生読まれている!と思えるほど!本当は私の友達に情報を聞いたんでしょ?と言いたくなるくらい当たるんです」と。
 占いに頼ってしまう人というのは、テクニックで生きて行こうとする傾向があります。「私は〇〇なタイプの人間だから、〇〇なことに喜びを感じやすく、〇〇にだけ注意して生きていけばいい」みたいな、穏便な方法を教わると、それを忠実に受入れて行動しようとします。自身のパートナーについても「〇〇なことが苦手な人だから、受け入れていくしかないですね」というように、「まぁこれでいいんじゃないですか」、みたいな占い結果を聞かされるわけですね。

 よくある占いというのは、お客さんに、「〇〇の時はこうすればいい、〇〇の場合にははこうすればいい」という風に、対処的な方法を伝えます。つまり、自分を成長させる方法を教えるものではなく、自分のタイプをカテゴライズし、テクニックで生きる方法を伝えるものなんですね。それも生きていく上で便利な時もあります。ただ、自分のタイプを決めつけてしまうことで、自分を成長させることや、乗り越える事をみんな諦めてしまうことにもなってしまいますよね。なぜ自分を成長させようよしないのか、なぜ乗り越えようとしないのか、僕は不思議に思っていたのですが、B子さんと占いの話をしていて、気付いたことがありました。
 B子さんは、「占いで、〇〇した方がいい」という言い方をされるのはいやだと言います。「〇〇した場合こういう結果になります、△△した場合はこういう方向になります。あなたはどちらを選びますか」という言い方なら、その選択肢から自分がどうするかを選ぶことができるので、そういう言い方をして欲しいと。つまり、「 〇〇した方がいい」という言い方だけでは目的や方向がはっきりしない。「何か行動を起こすことで、こういう結果が出ますよ」、という方向とその選択肢までが示されていなければ、そこに本人の意思が反映されない、ということに気付いたんですね。

 あらためてA子さんの話に戻りますが、「あなたは、まぁとりあえずそのまま行けばいいんじゃない?」とだけ言われていたわけです。その「いい」がくせ者ですね。
 鬼谷算命学で占ってもらうと、「この時期に人とぶつかり合いがある」とか「この時期はテンションが上がるor下がる」とか、そういう細かいしるしが出てきます。鬼谷算命学という学問全体が(本人の考えや占い師の考え方もありますが)「人と折り合いをつけ、流れに乗って、ぶつからずに協調し、小市民的にやっていって、寿命で死ぬ、これがいい生き方なんではないか」、という哲学が背景にあるわけです。
 ということは、A子さんの言われた「いい」とは、「この生き方と死に方でいいんじゃない?」という意味にとれるわけです。でも、本来どんな生き方がいいのか、どんな死に方がいいのか、なんてひとつじゃないですよね。「運命に抗って成長しようとしたり、衝突しようとしても構わずに何かを目指して行った方がいい」と思う人もいるかもしれません。そういう考え、人生哲学を持っている人にとっては、「当たり障りなく、お金がそこそこあって、愛情に恵まれて、仲間がいて、争いを避け、苦しみを避け、平穏な人生がいいですよね」と占い師に自動決定されると、違和感アリアリなわけです。だから占い師の考える「いい人生とはこういうもの、いい死に方とはこういうこと」というのと、近い考え方を抱いていた人にとっては問題はないんですよ。人生の価値観が同じだから。
 だけど僕みたいに、「自分のタイプを超えて、全員が究極まで理想を成長させていきたい、簡単に諦めて死ぬのはイヤだし、少しくらいお金があって幸せならいい、みたいなのを乗り越えて、自分の望む本当の目的を達成したい」と思っている人間にとっては、占い師の言う「いい」は全然よくないんですね。価値観がまったく違いますよね。
 でも、占い師は価値観を「押し付けている」認識は持っていないでしょう。この価値観ともっとも相性がよかったのは主婦です。「当たり障りなく、お金がそこそこあって、愛情に恵まれて、仲間がいて、争いを避け、苦しみを避け、平穏な人生がいい」と思っている人が多いことは想像できますよね。この価値観は、自分を成長させて、自分のタイプを乗り越えたり、パートナーとの愛情の結晶をもっと乗り越えて、それ以上の答えを目指す事を目標としていない。だから、 鬼谷算命学は「成長」についてはわざと占っていないのではないか、と最近では思っています。どういう場面で成長し、どれぐらいの幅で成長して、どれぐらいまでなら成長しやすいか、というところまで読まれてしまったら、人はきっと心を閉ざしちゃうよね。

 もうひとつ、異常に成長しない人や、非常に不安定なタイプの人がいますよね。それは異常監視という形で現れていると思っているんだけど、いわゆるトラブルメーカーなどと呼ばれる人も、人を育てるための役割を持って生まれた人であったりします。不安定に見える人というのは、運命の流れを変える可能性を持っているんですね。そういう人との縁の組み合わせで状況がガラッと変わるかも、というところまで、占いにもし反映させていたら、(もうそこまでくれば占う意味もないかもしれませんが)鬼谷算命学は95%までは書いてあると思うので、そこから先を書いて欲しかったなと思っています。

 過去の占いでこれに似ているものは、四柱推命とか、普通の算命学、さらにはヨーロッパではカバラの算命学もあります。あれらもやはり占い師によっては7〜8割当たります。
 しかし、たとえば単なる風水でも、何度も引越をせざるを得ない状況に追い込まれてしまう人もいますし、泣くまで「身内が死ぬ」と責めたてたり、「2年以内に名前を変えなければ死ぬ」というような占いもあるようですし、質が悪いものもたくさんあります。悪い占いほど当たると思ってください。
 だから、占いが好きな人が気をつけるポイントは、まず「思い込みの激しい占い業者の戯れ言」に耳を貸さないことです。例えば、占いで「彼とは別れるでしょう」と言われたら、人はその「違和感」を抱え続けることで本当に別れてしまうんですね。悪い占いを当てるのは簡単なんです。暗示にかかれば終わり。
 いい方に自分のタイプを理解するのもいいけれど、それ以上乗り越える方に持って行くと「占いは当たっていない」という結論になりますね。タイプも当たっていない、運命も当たらない、しかしそれは「当たらない占いの方が、人の救いになっている」ということにもなります。
 だから占い師が「◯◯した方がいいですよ」というのは、「こういう生き方と死に方がいいですよ」と言われているのと同じだと思ってください。占い師の人生哲学においてはそれでいいのかもしれないけれど、自分の人生哲学と同じなのかどうか、見極めてから判断してください。
 つまり、脳腫瘍のA子さんの、「あなたは、まぁとりあえずそのまま行けばいいんじゃない?」を読み解けば、「そのまま小市民で生きて死ねばいいんじゃない?」と言われたということです、簡単に言うと。勝手に人の生き方と死に方を決めないで欲しいと僕は思うんですがね。

 

 


中表紙2

 

 

何かを教わる時、

教える時に

知っておいた方がいい話


プロローグ

はじめに…

 森のトトロは揉み師です。もともと薬屋を営んでいたのですが、
調子のよくない人には薬だけでなく、足裏の揉みが効果があるということから揉みを始め、
様々な状況や出会いの中で、足裏のみならず様々な療法を研究しています。

 トトロの弟子になりたいと意思表示をした人に対して、最初にお話していることがあります。
それは、誰かが誰かに何かを教えようとする時に、知っておいた方がいいことなのですが、
組織(学校から会社、また趣味のサークルまで含め)の中で、
人と関わる時にもとても役に立つお話なので、ぜひ最後まで読んでみてください。


まず最初に3つの要点の話をします。


「新しいことを習う時には一度ゼロになる」
「カッコ悪く覚える」
「自分の身体を把握して出てくる自然な言葉で」
 
トトロに弟子入りする前にこの話を聞いておくと、
後々教わった技を忘れてしまったとしても、現場で健全に本能で対処しやすくなります。
言われたことを頭で覚えていなかったとしても、身体がちゃんと反応するので大丈夫になっていくのですが、
この話を最初にしていなかった時代に弟子になった人もいて、
そういう人はこの原則がわかっておらず、苦労しているケースもあります。

ちょっと長い話になりますので、
「新しいことを習う時には一度ゼロになる」
のお話は次の記事で。


ゼロになる

 さて最初の要点、
「新しいことを習う時には一度ゼロになる」

 何か新しいことを習う時に、これまで習ってきたことが邪魔をする場合があるので、
一度頭の中をゼロにしてちょっと眠らせておいてください、というお話です。

似たようなものを習う時、例えば空手を習っていた人が、新しく少林寺拳法を習ったりすると、
もともとちゃんとできていたはずの空手までおかしくなることがあるんです。
どちらもうまくいかなくなってやめてしまいたくなります。
でも、どうしてもどちらもやめられないような立場や状況に置かれている人は
「資格や免状をとる」ことを目的にがんばってしまうのですが、
それでは実際何も身に付いていないことが多いんです。
別の例で言えば、
クラシックバレエを習った人が別なダンスを習ってみたけれど、
今まで習ったものとまったく違うために、最初に習ったものを守ろうとしてしまう。
それで新しい技術も身に付かず、形ばかり真似した中途半端なものになってしまう。
またもともと覚えていたものまでが、うまくできなくなったりするので、
こわくなってやめてしまうということもあります。

どうしたらいいのかというと、一度眠らせておくんです。
そうすると、新しい技術の要点が発見された時点で、眠らせていたものもよみがえってくるんです。

人は、今まで自分が習ってきたものを否定されたように感じると、
防御的反応をしてしまうんですね。
その時にどう処理したらいいかということをあらかじめ言われていないと
「捨てろ」と言われたように感じてしまうことが多いんです。
その防御反応が邪魔をして、前に習ったものとの共通点だけを学ぼうとしてしまうので、
小さなことしか学べないんです。

いい例をお話すると、野球をやっていた人がトトロの揉みを教わった場合、
野球について彼が既に学んだ技術が、
揉みの要点が身に付いた後に野球の要点と結びついて、
野球肘の対処がトトロより上手になったりするんです。
そうすれば今度はトトロがその発見について教えてもらうこともできる。

だから新しいことを習う時には、覚えたものを一旦眠らせておいて、
後から新しく習ったものを怖れずに取り入れて欲しいのです。
すると眠らせておいたものの要点は捨てたわけではないので、
新しい技術の要点が身に付いた時に、うまく結びついて発見があることが多いんです。
その発見を今度はトトロが教えてもらうことで、お互いに技術が向上していきます。
(栗木補足:生徒の方が先生の知らない技術を発見した時に、
それを素直に受け取って、互いの向上を喜べる先生は少ないです。
また生徒も自分の方ができると思ったら、その技術を還元することなく去っていくのが普通ですね。)

人は、何かを習う時に、今まで覚えた技術を眠らせるのでなく、
捨てようとしたり、共通点だけを覚えようとしたりしやすいんです。
一度眠らせて下さい、一度ゼロになってくださいというと、毎回真っ白になる人も多いです。
仕事が忙しくて予習も復習もできない、
前回教わったはずのことも覚えていなくて、頭真っ白、何も覚えていません、みたいな。
それでいいんです。
ここでは、頭に教えているのではなく、身体に教えているんですから。



読者登録

栗気んでぃさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について