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抜文
「三人とも孤独だった。興味深いのは、それを埋めるための行動はそれぞれ違っていたということだ。佐伯は異性と付き合うことでそれを埋めようとした。春日は憧れに思いをはせることで埋めようとした。仲村は向こう側へ行くことで埋めようとした。(略) 光だった佐伯は春日に町に止まることを訴えた。闇だった中村は町から出ることを訴えた。闇は進む力がある」



って欲しいバンドを語ってくれない音楽雑誌やライターに我々、は反旗をひるがえそう!
これは、神聖かまってちゃん評である。そ、ニートの。。。
音楽の文脈を知っている音楽ライターが書かないから、
20代のks底辺が違った角度から「神聖かまってちゃん」評を紹介します。

今回は、押見修造の『惡の華』を軸に、神聖かまってちゃんのパワーについて語っていきます。


タイトル

【 惡の華 と 神聖かまってちゃん 】


心に惡の華をもつすべての同士に




あらすじ

内容をざっと紹介する。

 

ボードレールに陶酔し、文学を読みあさりながらも友人と平凡な日々を過ごす中学二年生「春日(かすが)」。

 

忘れ物を取りに戻っただれもいない教室で、密かに思いを寄せる「佐伯(さえき)」の体操着の入った袋が目に留まる。気がつくと、手を伸ばして、持ってかえってしまう。

クラスのなかでも浮いている女子「仲村」に体操着を盗んだところを見られていた。佐伯に罪を告白して謝罪するといいつつ実行できない春日を、中村は「変態」と罵る。体操着のことを黙っている代わりに、春日の心の奥にあるドロドロした感情を引きずり出すことを決めた中村はそれを「契約」と呼び、春日は仲村に翻弄されていく。ふとしたきっかけで春日は佐伯とデートすることになる。仲村は、春日に盗んだ佐伯の体操着を服の下に着てデートすることを強要する。


机の上にコミュニケーションのバリケード

この物語をドライブさせているのは「孤独」である。

主人公の春日は歴史に名を残す小説や誌集を愛していて、とくにボードレールの惡の華は教室でカバーもかけずに読んでしまう男の子だ。




ただ、ぼくの場合は高校時代、教室の片隅で文学や誌集ではなくロッキングオンジャパンなどを広げて、机の上にコミュニケーションのバリケードを築き「知ってるやつなら友達になってやってもいいよ?」と油断なくまわりをうかがっていた(その頃一生懸命人との接点を探していたはずだが、当時の日記を読むと早々にやけくそになっている。もう少しがんばれよ…)。



春日

春日は友達がいないわけではない。

休み時間しゃべったり一緒に帰る友達もいる。

なのに、強烈な孤独を感じている。

 

自分がハマっていることを語れないからだ。

それは、自分が自分でいられないということである。

それさえもまた自分なのだ、だとかを言う大人もいるが、ぼくの感覚だとそれはぜんぜん救済の言葉ではないし、その言葉で救われなかったことに対して、おれはどうやらかなりダメらしいと思い、さらに孤独を深めてしまう。

だれもいない空間に独りでいるより、大勢がコミュニケーションを交わしている中独りでいる方が辛い。だれにも共有してもらえない孤独。

言い変えるなら「大勢の中の孤独」といえる。

春日は孤独を持っていた。↓



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