閉じる


忘れてしまったほうがいいね。

  忘れてしまったほうがいいね。

 

 

 本当につらいことがあったり、なんだか気分がブルーだなと思うと、意識の内側から、普段は現れないような言葉がふいに汲み上げられたりする。
 静かな深い井戸の底から気泡がぽつんと、現れてくるみたいに。

 でも、そういう言葉がいったい何処から来て、何処に来ていくのか、誰も本当のところは分からない。

 僕はかろうじて、それが、僕の言葉ではなかった、というのを憶えているだけだ。

 僕がこれまで聞いた中で、一番の慰めの言葉は、どんな瞬間、どんなタイミングのものだったのかも分からないけれど、たった一言、


「忘れてしまったほうがいいね…」

 という、そんな奇妙な透明度を保った言葉だった。


 忘れてしまったほうがいいね…


 落ち込んだり、心が弱ると、お風呂の中とか、散歩の途中とかでふいに思い出して、口ずさんでしまう。
 猫様の名前の次によく使う魔法の言葉だ。

「本当に、凄くよいことがあったんだよ、こんなに素晴らしいことが…」

「でも、それは…忘れてしまったほうがいいね…」



 ……。


「そう、こんな辛いことがあったんだよ。どうしてこういうことがいつも起こってしまうのか…」

「でも、それは…本当に、…忘れてしまったほうがいいね…」


 どんなときにもこの言葉は、僕の人生ではいい塩梅で活躍してくれていた。
 楽しいことだけを覚えていては生きていけないし、悲しいことだけに耐えていては生きていけない。
 何もかも分かっていて、忘れることもきっと難しいのだろう、と分かっていて、あえて、忘れてしまったほうがいいね…と、そっと声をかける。

 これは、たぶん、誰かからもらった言葉なのだけれど、そのことを上手に思い出せない。でも、少なくとも、そういう人間関係を、僕はいつか何処かでは持っていて、そのことで、あるとき何かを乗り越えたのだと思う。
 それが一体何で、どんな脈絡で起こったのか、まるで記憶からは消えてしまっているのだけれど。


 心に本当に深い傷を負った人間がいつか立ち直ることができるのか?


 という問いに、いつか、自分が書き上げる物語で答えてみたい、という欲望が今よりずっと若い頃の僕にはあったのだけれど、その問いには答えるまでもない。
 あるのはただ、慰めだけで、


「忘れてしまったほうがいいね…」


 という言葉だけだ。
 塩水を与えられて、それから水を求めさせるような世の中で、とにかくどんなに回復を求めてもいたずらに傷を増やすだけだった気もする。

 儚くて、悲しくて、強烈な印象に、心が慣れてしまっている時には幸福を探すのは本当に難しい。
 幸福とはどういうことかを、もう一度、学び取れるといいのだけれど、それを失ってしまってから、取り戻せないまま生き続けている人が、僕を含めて本当にたくさんいるような気がする。

 学び取ろうとするのだけれど、どうしたらいいのか分からないまま、また立ち止まって同じ軌道をそれなりに一生懸命に生きている。

 それは、あるいは間違いなのかもしれないし、どんな慰めも届かないような生き方なのかも知れない。

 ただ、自分なりに生きるということは、いつも過ちとワンセットだ。

 誰にも理解されないものを抱えているからこそ、自分なりの生き方を生きていると言えるのかも知れない。


 誰かに求められたり、何かの規範に寄り添って生きることじゃなくて、本当に、自分の心のままに、求めるままに、自分らしく生きようとした時、人は必ず、あやまちを犯す。

 でも、そのあやまちこそが、生きた証だし、あやまたない人生など、人生ではない、といまは実感として思う。
 
 僕は先日、そのことを、画を描きながら発見した。

 だからこそ、こう、思う。




 もう、忘れてしまったほうがいいね…。



 そういうことが、冬は胸の中に幾つも蘇ってきてしまう。

 

 

 


ダメな男は、いつでも、ハードボイルド

 

 ダメな男は、いつでも、ハードボイルド

 

 

先日、久々にイセシンタロウに会って、チャリンコで走っていると妙に懐かしくなって、若松の岩屋の海水浴場まで一緒にチャリで走ろうか?という運びに相成った。

 よくない風向きだ。

 海に行きたいと言い出したのは僕の方で、僕はなるべく人の少ない遠見ヶ鼻の崖っぷちの海なんてのを考えていたのだけれど、

「どうせ行くなら、水着のお姉ちゃんが見たい!」

 という、欲望丸出しのイセシンタロウの発言に誘われて、僕もついつい頷いてしまったわけだ。


これも、次によくない風向きだった。


 当日、天気も晴れて、午後に待ち合わせをし、僕らの母校の近くのブックオフで待ち合わせをして、へうげものを立ち読みしていた僕の真横にイセシンタロウはメールの着信音を響かせながら現れた。心なしか、今日は格好が決まっている。きっと、気のせいだろう。気のせいであるはずだ。


 僕らは、逆風に向かって走りだし、永い永い坂を二つ超えて、田舎道をせっせと走り、ついに海にたどり着いた。
 普段、長時間乗り慣れていないせいで、僕は、お尻と腰がダブルで痛かったのだけれど、イセシンタロウは先年購入したばかりのほぼ新品のジャイアント製のクロスバイクに乗っていて、可能な限り性能の悪い僕のマウンテンバイクもどきとは比較にならないスムースな運転で海まで、ニコニコでやってきた。


 かくして、僕らは海にたどり着いた。

 正直に告白すると、僕は、イセシンタロウの目論見は失敗すると思っていた。
 イセシンタロウの目論見がこれまで、異性を関係させることで成功したことはほぼ一度もないし、海にいるのはおそらくイカツイ野郎かサーファーばかりで、目の保養になるような麗しい女性など良識があるのなら、たった一人さえ北九州の海にはいないものとたかを括っていた。


 けれども、最近の僕は、なんだか妙におかしくて、イセシンタロウほどではないしにても、僕の目算や考えも、ここ二週間くらいは不気味なくらいこの世界とすれ違ってしまっていたのだ。
 かくして、今回は、僕の目論見は、完璧に空振りし、イセシンタロウが乞い望んだ水着の麗しいお姉ちゃんが、おそろしいほど危険な白い肌を露出し、そこらここらに砂浜よりも眩しく林立していた。

 これはいったいどういうことなのだろう?

 世界は、人々の頭はどうにかなってしまったのだろうか?

 それとも俺の目がどうにかなってしまったのだろうか?


 僕らは、砂浜の近くのベンチに座して、僕は海を眺めて、イセシンタロウは無遠慮にお姉ちゃんを眺めた。たぶん、そんな感じだ。

 僕らは言葉もなくそこで、楽しそうにはしゃぐ若者を尻目に、ただただ、目前の景色を疑いながらも、なんとか受容し、ジリジリと半袖の上から肌を焼いた。

そこで、十数分がたったとき、僕は、もはや限界だ、と、
「おい、イセ、悪いけど、もう行こうか?」
と、立ち上がると、イセシンタロウも言葉少なに、僕について来て、砂浜から出るゆるい坂道を登った。


 僕らは、楽しそうにはしゃぐ綺麗なお姉ちゃんたちや筋肉自慢の上裸の若者を観て、もう、なんとも言葉に出来ない切なさを感じたのだ。

 こういうとき、日本には、こういう感情を言い表す便利な用語が流通していて、それはすなわち、

 リア充爆発しろ!!

 という、まさしくあの感覚なのだな、と使ったことさえない言葉を僕は、黙って思い浮かべた。

 リア充爆発しろ!

 僕らが感じていたのは、僕らがそこにうまく溶けこむことの出来ない引け目とそういう青春を味わったことのないきつい侘しさだった。
 別にそれがないから、僕らが不幸だってことじゃなくて、そういう、世界の何処かから閉めだされたような気持ちを、自分の中でうまくろ過できなくて、自分の存在がふいに分からなくなってしまったということなのだと思う。

 男には、勝利と敗北が確かにある。

 勝者はそれを人生の中で感じ取り気分の中でいつしか誇るようになるし、敗者は人生の中でいつしかそれに飲まれて自身の敗北を決して口にしないことでなんとか生きるためのプライドを保っていく。

 僕もイセシンタロウも、青春時代から、そういう華やかな世界とか普通の生き方とは無縁で泥臭く生きてきたから、眩しいものを観るのがそれなりにつらいなあと想う時が、時々ある。ひがみといわれればそれまでなんだけれど、でも、自分が実感として人生に対して感じていることを誤魔化す気もない。

 僕らは、なんだか白けた想いで海を後にして、泣き言を言うために情けない男二人、僕が先日、個展をやっていた喫茶店まで、猛スピードでチャリを疾走させた。

 宮川さんならこの話を聞いてくれるはずだ!

 北九州の知る人ぞ知る賢人、宮川マスターなら!


 僕らは、カフェの駐車場の脇に、チャリをとめて、珈琲を二杯注文し、カウンターで、
「宮川さん、やっぱり世界は残酷です・・・オイオイオイオイ・・・この世界は、ほとんど総てが、『ただしイケメンに限る!』なんですよ!!!!!!!!」
と、世にも情けないお話を二人して涙々と炸裂させていたら、北九州の賢人宮川さんは、静かに椅子の向きを変えて、やや爆笑しながら、

「いい顔…というのがあるんよなあ……」

という話を、ゆっくりと始めた。

「いいか、朝森くん、男にはね、いい顔というのがあるんよ。若いころは、イケメンでも年を取るにつれて駄目になる奴は多いし、イケメンなんぞ、女もバカじゃないからはっきりいって3日であきるんよ。そうじゃなくて、男のいい顔というのは、顔かたちじゃなくて、何をやっているかよ。まあ、それが、女性から観て良いかどうかは私は保証せんけど、なんかを一生懸命してきた男の顔というのは、いい顔なんよ。そういう男にならんといけんのではないかな?」

と、なんだか分かるような分からないような話をされて、でも、とりあえず、賢人宮川さんの仰られることなので、素直なダメンズボーイズ・イセand朝森はなんとなく頷いてみせた。

「そういう、いい顔の男じゃないと、女の子もついてきてくれんよ?もっとも、それを見る目があるほどの女の子が、今の現代にどれくらいおるのかは私にはわからんけれど…」

 僕らは、その場で、水戸黄門の印籠を拝見したかのように汗顔平伏しそうになったけれど、すんでのところでこらえて、お互いの間抜けな顔を見合わせた。
 穏やかではあるが、どうにも見栄えのいい顔ではない。
 だが、イセシンタロウの顔は今日、真夏の直射日光の中を必死に走りぬいた黒々とした眩しさで、光っていた。それは確かに悪くない顔だった。いろんなことを耐えて我慢してきて、穏やかさを心に保ってきた人間の顔だった。

 僕の顔はイセシンタロウにはどんなふうに映っていたのだろう?

 たぶん、そんなことイセシンタロウはほぼ何も考えたりしないだろうけれど、そこはかとなく訊いてみたい気もした。
 若いころは、僕も友人にいろんな慰めを受けた。

「朝森くんの良さを分かる人が、まだ周りが若すぎて、ガキすぎて出てこないだけよ。」

とか、

「朝森くん自体が特殊な人やから、朝森くんを分かる人の絶対数がこの世界に少ないんよ。」

 とか、まあ似たり寄ったりの話。
 だが、今年で、数えで30年を生きてみて、これまでを振り返ってみて、僕を真剣にコイツは!!と想ってくれる人が、現実には一人としていま此処にいないことを想うと、そうした言葉の全てがただの慰めで、友情の産物でしかなかったことを、もうほとんど痛切に、残酷に想ってしまう。

 要は全部、嘘だったのだ…。

 本当にとても悲しいことに。

 きっと、世界の価値観はそれだけではないのだろうけれど、少なくとも、僕の生きている世界の北九州の価値観、同世代の価値観は、僕には適合していなくて、はっきり申し上げれば、「ただしイケメンに限る!」
 世界の残酷な原理の現実的な表出をやっぱりそこに観てしまうのだ。
 ほぼ同世代のあのジャニーズの嵐のメンバーなら誰とでも付き合えるかも知れないし、北九州で言えばちょっと強面のやばそうな関係のお仕事をしているお兄さんなら、誰とでも付き合えるかも知れないが、水墨画家の男と付き合いたがる女の子なんて、僕はこの世界で一度も耳にしたことがない。
 僕は二十代では、たぶん唯一のプロの水墨画家の男だし、ポピュレーション1の世界を生きているのだ。
 そしてイケメンではなくて、僕はどうしようもなく普通な、その普通さからほとんど逃れられない泥臭い人間なのだと想う。

 30才前後の若者の生涯未婚率が40%を突破した社会では、恋愛のチャンスがないというのは本当に切実で、これまで考えられてきたことよりも、もっとずっと残酷なことだと想うのだ。
 だからこそ、こんな馬鹿みたいな言葉、「ただしイケメンに限る!」なんてのが流行るわけで、それはいわゆる恋愛格差をそのまま揶揄った現代の恥部をそのまま言い表したようなものなのだと想う。

 僕とイセシンタロウがあの海で感じていたことは、こういう言い方をすれば情けないだけじゃなくて(もちろん僕らは情けないのだけれど…)、そういう現代社会の如何ともし難い事情の末端に立っていたというような見方もできると想う。

 ただ、やはり、賢人宮川さんはそこでも、優しく微笑んだまま僕らに諭してくれる。
「君はね、朝森くん、自分がやっていることが、立派じゃないとか、お金にはならないって言うけれど、男の価値っていうのはそういうことじゃなくて、ひたむきさだと想うんよ。私だって、こんなに儲からない喫茶店とかいう地の果てで商うみたいな商売をして、邪馬台国の研究なんてたぶん何の役にもたたないことをして、古代の万葉仮名の読みとか発音を網羅したりとか、ほぼ誰にも認められないことをやっているけれど…」

「ええ!!あんな膨大な仮名の音を全部拾ったんですか!!!」

「ああ、まあね…。まあそれはいいんよ。でもそういうことじゃなくて、いい顔になるためには積み重ねないとね。それが大事なことなんよ。君はね、生涯かけてやる仕事があるんやからそれを捨てずにやり続けないかんよ」

と賢人宮川さんは、まるで子供をあやすように言われて僕らとしては、差し出された珈琲をズズズとやるしかなくなってしまった。
 BGMには、ちょうど、ビートルズのヘイ・ジュードが流れていた。


 果てして僕らに未来はあるのか?

 僕らは今、どんな顔をしているのか?

 僕らはこの埋めがたい恋愛格差を飛び越えて、誰かを愛することを取り戻せるのか?

 僕らは結局、賢人宮川さんのカフェを後にして、夕方の堀川沿いを進んだ。
 川沿いをゆっくり進んで、永い登り坂の橋をゆっくりと下って行くときに、ドブのようなほり川に映る夕日はあまりにも美しかった。
 濁っているからこそ、美しく見える世界があって、それが北九州の美しさだ。

 橋を降りて、し尿処理施設前の美しい並木道を並んで走っていると、僕らはもう走ること以外何も考えられなくなった。

 僕が数えの30を迎えて分かったことは、幸福であろうがなかろうが、重要なのは生きることで、どんな不平があろうがうまくいかないことがあろうが、とにかくなんとかやっていくしかない、ということだ。

 海に行って僕らが得たものは、この心地良い疲れで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 でもあの並木道で感じた一瞬は、僕らが走り続けたからこそ感じたことだったのだと思う。

 そして、一方で僕はこう思う。

「決然たる意志さえあれば、無価値のことを価値あらしめることさえ可能だ」
 と。

 僕がやろうとしていることも、シルクハットから鳩を取り出すようなほぼ奇跡に近い普通に考えれば、とんでもなく難しいことだ。
 そして、いい顔の男になっていくことも、今の僕には遠く、それが叶った頃には僕は何も手に入れていない老人になるのかもしれない。
 でも、男であるということは、結局は、そういうことなのだ、とチャリで走りながら僕はまた思った。

 ひどく無価値で、世界の何処にも必要とされていなくて、それどころか、どんな人からも邪魔者扱いされるかも知れない。
 けれども、そこでなんとか虚勢を張って、力強く噛み付いて、僅かなプライドを自分の信念で保ち続けることが、ほとんど無価値のものを光らせる唯一の手段なのかも知れない。

 たぶんそれが「いい顔になる」ということなのだろうと、チャリンコのペダルの回転数を上げながら思った。

 そういう誰からも理解されない生き方のほうが、出来合いの踊らされた価値観に浮ついて自分の頭では何も考えず世界に溺れきっている奴よりもはるかにマシだ!と、僕はたぶん昔も、どん詰まりの中、思っていたのだろう・・・。
 困った若者は、困った男にしかならなかったという…ただそれだけのことなのかも知れない。

 恋や愛の問題を解決するのは僕らの役目じゃない。
 それは女性に任せるしかない…と僕は、とりあえずまたそれを、世界そのものに丸投げすることに決めた。

 出来るもんなら幸せにしてみせろ!というようなやけっぱちの覚悟だ。

 イセシンタロウが何を思っていたのか、僕には分からないけれど、走るのが楽しいということを、なんだか口ごもるようにずっとつぶやいていた。

 向かい風だった逆風が、帰りには追い風になって、少しだけ背中を押してくれているような気がした。

 愛には届かない。
 幸せにはなれない。
 ダメな男は、いつでも、ハードボイルド・・・。

 

 


頭から記憶を取り出して、瓶の中に捨て去ることが出来たらどんなに幸せだろう

 

 

 頭から記憶を取り出して、瓶の中に捨て去ることが出来たらどんなに幸せだろう

 

 

 

 

『善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや』(歎異抄 親鸞)


 ふと心が弱った時、ふいに思い返して、少しだけ自分を温めてくれたり慰めてくれたりする言葉が、誰にだってあると思うのだけれど、僕にはこれがずっと本当にそういう言葉だった。

 善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや
(善人が当然のようにお釈迦様に救済されるのだ ましてどうして悪人が救われないことがあるだろうか?いや悪もまた救われる。それがお釈迦様の尊いとされるところなのだ)



 というような言葉なのだけれど、これはだからといって進んで悪を犯せ、といっている言葉ではなくて(そういうのを『本願ぼこり』という…)、人はどんな人も生きるために一生懸命でそしてただ運命に翻弄されている生き物なのだから深い思い遣りを持ちなさいね…といったような意味も多分にある言葉で、このことを専門的には、『兎の毛羊の毛論』と言ったりするのだけれど、そういう難しい解釈よりも、なんというかこの古語の『善人なおもて…』という響きに僕はふっと救われて生きてきたような気がする。




 僕がこの言葉を古本屋の本棚の隅から探しだしたのは、ずっと家に帰りたくなかった15歳の時で、僕は深く傷ついていたし、人を信じることにとんでもない戸惑いをいつも抱えていた。
 もっと有り体にいえば、僕は人を疑い続けて生きていた。



 そうやって疑って、疑って、生きていると人生というのはとっても苦しいもので、十代特有の閉鎖的な思考にはとっても危ないものだったような気がする。
 自分の存在はたぶん悪で、自分が知っている他の人も悪…それで完全に正しい人なんて誰もいなくて、本当に信じられるものも、もうほとんどない…というのが、僕が抱えていた(またそのあとずっと抱え続けてきた)僕の世界や世間のイメージだった。



 それは、現実の自分たちの暮らしや心のあり方をずっと見つめながら、自分がなんとなく感じていたことを元に、追い詰められて、行き場をなくした少年の幻想のようなものだったのだと思う。




 僕の子供時代の終わりというのは、たぶんその頃くらいだったと思うのだけれど、それから、いろんな芳しくないヘマを、あちらこちらでやらかす度に、僕はたんこぶだったり、切り傷だったり、時には致命傷にもなりかねない深い傷を心に作り上げていった。



 そうやって、心の傷が広がれば、広がるほど、深まれば、深まるほど、この言葉は何処か胸の奥にそっと染み渡ってきて、心の何処かをそっと掬ってくれる不思議な一文になっていった。



『善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや』




 当たり前だけれど、こういう言葉を甘受する少年の心というのは、決して幸せなものではないし、当時のことを考えても僕は全く幸せではなかったけれど、不思議なことに、僕は傷つけば傷つくほどに、人の心の動きや想いに敏感になって、そういうものを探求するのに躍起になって行ったような気がする。
臆病で小心で脆い人間だからこそそういうものを感じていられたのだと思う。


 人の心、感情、拭い去れない負の感情…そういうものをまるで空気のように胸いっぱいに吸い込んで生きていた十代というのは、きっと何かが欠けているし、完璧には程遠い人生なのだろうと思ったりもする。いや正直に言うと結構しばしば思っている。

 十代というのは本当はもっと輝かしくて、無鉄砲で、無責任で、そして野放図な時代なのだろうと思う。


 僕はたぶん、十代の頃にいろいろ色んな好ましくないものを見すぎてしまったんだろうね…。



 たとえば、少年時代に…もしくは、ひどく若い頃に、深く、とても深く傷ついた人の心が、長い時間をかけていつか本当に癒されたり、回復することがあるのか?というようなことに、僕はひどく興味がある。


 取り返しのつくものなどあるのか?とか、

 過去の一部が本当に今その瞬間に帰ってくることなどあるのか?とか、

 もっと仮の話をすれば、復讐そのものとかそういう過去の借りを返すことに本当に意味があるのか?とか……。


 今、現在の僕の考えは、たぶん、そういうことは、ほとんど不可能で、過去に失ったものを取り戻すことは出来ないし、人は心の底から回復していくことなどきっとできないだろうし、たぶん、本当の完璧な復讐なんて僕自身は出来たとしても気持ちは晴れないし、たぶん完璧な復讐なんて出来ないと思うけれど、そういう色んな過去や傷を抱えた人達が、なんとかそれをかばい合って、なんとかそれを悟られずに一生懸命に生きているのが、この世界で、人の人生みたいなものなんだろうなあと思うくらいには、僕自身も(やっと?)成長できたし、納得できてきたような気がする。


 救いだとか、人の幸せというのは、本当に難しい問題だと思う。


 いま僕が空想する本当の救いは、ただ単に自分が生きてきたその瞬間のすべてをもう一瞬たりとも『思い出さない』ことで、そういう過去と可能な限り手を切って生きていくことでしかないのだけれど、そういうものが本当に正しい…もしくは適当な生き方なのか、本当はよく分からない。


 ハリーポッターでダンブルドア先生がやっていたみたいに頭から記憶を取り出して、瓶の中に捨て去ることが出来たらどんなに幸せだろうとよく考えるけれど、僕が僕であるということは、そうした深い心の傷とワンセットで、それは別に僕じゃなくて皆がそういう場所に立っていて、忘れられないままに毎日をなんとか頑張って生きているのだと思うと何だかとても切ない気持ちになってしまう。


 そういう、なんというか、ああもう駄目だ!とか、もうこれ以上考えても、もう答えが出ない!と思うときに、この日記の表題の親鸞さんの言葉すごく深いところでほんのちょっとだけ心を癒してくれているような気がする。


 決して、完璧な人生などないんだよ、とか。

 傷ついても、どんな失敗をしても、きっと大丈夫だよ、ということが、押し付けがましい言葉じゃなくてすっと溶け込んでくるイメージだった。
 優しさとか強さとかいうものが、僕には本当の意味で正しいか正しくないかということはよく分からないけれど、親鸞さんがずっと心に溜め込んでいた優しさがにじみ出ているようで、この言葉は本当に魅力的だなあと思ってしまう。


 そういうぎりぎりの問をいつも胸に抱えていたということや、それだけ、ずっと真剣に悩んでいたということを、もう三十も手前のおっさんが語るべきではないのかも知れないけれど・・・時間が経っているからこそ、以前よりもずっと客観的に思えることもあるわけで、そういうチャンスを逃してしまうと、自分の経験が本当に無意味なものになってしまったような気がして、こういうときにはやはり書いて、書き残してしまう。


 まだまだ、本当は、語ったり、物語ったりする必要が、あとちょっとだけど僕自身にもあるんだろうなあと思ったりする。


食・快・感

 

      食・快・感

 

 

 集中して。



 それもありえないくらい集中して、好きなものをほんのわずかでも食べると、心の内側から、良いアイデアがポツンと浮かぶときがある。

 浜に遊びに行って、小石を持ち上げた裏側に、小さなあぶくがかくれたいたみたいに、はっとするような、小さな瞬間が、丸い可愛い泡沫と一緒に界面に上がってくる。


 快感は、創造の源泉で、そういう快感と一緒に現実を知覚出来る時、人は、たぶん凄く幸せを感じるのだと思う。


 集中すれば、バナナ一個でも、おまんじゅう一個でも、与えてくれる快感は大きい。


 音楽もそう。素敵な絵画もそう。


 アルバム一枚を漫然と聴いていてもその良さは掴めないかも知れない。

 美術館に行って、すべての絵をくまなく見ようと思ってもそれはたぶんほとんど無理だと思う。


 人の知覚の不完全さ、感覚の盲点を、ちゃんと意識して、とりあえず一つから快感を思い切り味わう。


 広さではなくて、深さで見えてくる世界もある、ということ。


 快感や、感動は、心という水槽の濁った水をいれかえるときのようなもの。

 いつもは必要ないかもしれないけれど、でも、それなりに適度には必要なこと。


 集中して、珈琲一杯を味わう。


 集中して、好きなものを食べる。


 その快感が与えてくれる『イメージを創りだすエネルギー』が、次の現実に必ず作用している。


 ものづくりをする人には、食べ物って凄い大事だなあと改めて思った。

 というか、誰にでも凄く大切^^



 今年の目標は美味しい物を『味わう』ことかも知れない。

 

 

 

 

 


めぐりあい

   めぐりあい

 

 

 

 

あなたにめぐりあえて

ほんとうに

よかった
ひとりでもいい
そういってくれるひとがあれば

            相田みつを


 この詩を見て、書を見て、人生の本当の喜びや嬉しさというのは何処にあるのだろう、とふいに思った。

 相田みつをさんの書や詩を、本当に落ち込んだときは(ということは、しばしばということなんだけれど)、よく見るのだけれど、その度に、彼の生業と自分の職業が似ているせいかどうしようもなく、そうだよなあ…とうなづいてしまう。

 最近、ふいに思うのは、この前、ふと呟いてしまったけれど、人生というのは、何のために誰のために、まさか、自分に返ってくるとは全く思えないような無私の行いを一つか二つするためにだけにあるんじゃないだろうか、と思った。

 それを誰かのために、見ず知らずの人のために、命をかけて行なって、まるまる十ヶ年を棒に振って、その結果すべてをなくしても、でも、案外そういう事の方が、人生の本質に近いのではないか?と思ったりする。

 見ず知らずの人のために、まさか、命まで賭けてしまうような愚行を犯す。

 そういう事の方が、なんというか、自分らしい生き方のような気さえしてしまう。

 あと、50年くらい生きてみて、

「ああやっぱり、なんでもない人生だった」

「報われない人生だった」

 と、想っても、その方が人生の本質であるのだから、不平など言うに及ばず、とたぶん僕は納得してしまうだろう。
 僕は本当に、そういう不毛な部分をたくさん持った人間だと思う。
 失うものが何もないというのは、まさしくそういうことだ。


 仕事は本来、「無償の奉仕」なのかも知れない、と、僕は最近、手紙を書いている時に、ふいに思ったりする。


 無償だからこそ、やりがいがあり、喜ぶ人達の顔が見えて、筆を持つ手に力が入る。
 もちろん、お金をいただくときは、命を賭けるが、ただ、自分は一生出会うことも無いかもしれない誰かに手紙を書き、もしくは、知っている人でも、自分と関わった人に親愛の情を込めて手紙を書くのは、それ自体が喜ばしいことだ。
 僕も誰かのために、祈っているということなのだろう。


 相田みつをさんは、「出逢い」ということに、こだわってたくさんの言葉を残されているようだ。

 一生懸命に生きて、筆一つで必死で生きて、その出逢いに祈りをたくして作品を生み出し続ける。

 どうしたらそんな強い生き方が出来るのか時々それを問いたくなる。教えて欲しくなる。


あなたにめぐりあえて
ほんとうに
よかった
ひとりでもいい
そういってくれるひとがあれば


 この言葉を前にして、本当に祈るように書きつけていたのだと、線を見て、筆意を見て、ただの字面を追うよりも本当に強く感じる。

 岡本太郎さんも同じようなことを言っていて、


 本当に自分と心の通じ合う人に出逢えたらそのために死んでもいい、


 みたいなことをきっぱりと言っていた。


 なぜ、そんなことを、これほど聡明な二人の作家がいうのか、僕もなんとなく、本当に積み重ねることで分かってきた。

 いま、僕も「だれかにめぐりあえたら」と、本当にそう思っている。


 いつも、顔も見えないたった一人の人のために、めぐり逢うことさえ出来ないかも知れない、たった一人の人のために、人生を振りかざしている。

 そういう人達の恵みと祈りを、僕らは当たり前のように、無償で見つめて生きているのだなあ、と、こういう優れたものに出逢うときに思う。

 世界がわずかに優しさに見ているのは、こういう人達のおかげだ。


 僕がまだ、ほんのわずかに明るくいられるのも。

 世界がまだわずかに、その温度を保っていられるのも。

 

 

 

 



読者登録

朝森 顕さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について