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あの日見た象の花子の名前を僕たちは知らない。

 私はマンゴーが大好きである。特に夏はそうだ。夏が私をそうさせるのか、マンゴーが私を狂わせるのか、それは永遠のミステリーなのだが、ここに困った事が一つある。
 あまりにマンゴーマンゴーし過ぎると、一種のセクシャルなハラスメントになるのでは無いかという疑念が私の小さな胸を渦巻くのだ。のだ!

 ここで一つ断っておきたいのだが、私はセクシャルなハラスメントを持って良しとするタイプである。だが、それはあくまで想像の中での話であり、ファンタジーの話であり、そういう種類の映像作品を見たり、そういうお店などにおもむき金銭を介してそういうプレイをするのが好きなのであって、普段の私はセクシャルはまだしも、ハラスメントを起こす気も無く(まぁ、腹は出てるけどね。ハハハ)人畜無害の人で在。にも関わらず、脂汗を流して「ま…ま…マンゴ……」などと言っているのは明らかに真夏のクレイジーボーイなんだけれどもそんな自分も大事にしたい、なぜかと言うとそんな自分も自分だから。パスタかピザかと聞かれたらパスタと即答する俺。そんな俺だけどピザも嫌いじゃないZE。的な☆的なウーメンとワイハ(ハワイ)でワイキキなビーチを望。でもそれはきっと叶わぬドリーム。世間知らずのブルース。いや、諦めちゃダメだ。諦めたらそこで試合は終。でも先生、僕はどちらかと言うとモノポリーがしたいです。(独占!)まぶいナオンのハートを独占(独占!)独占禁止法ラブ!(独占!)仲間幸恵主演!(ごくせん!)そんな瞳で見つめちゃ嫌だZE(困ります!)白線の内側までお下がり下さい。
「そんなこと言ってもお兄さん、「外側」か「内側」だなんてあくまで主観の話であって、電車の線路の方から見たら、線路側のほうが「白線の内側」になるんじゃなのか?」
「よーし分かった。お前はそこで渇いていけ!!」(イエッサーマム!)
 子供の体にいけないボディ。ちょっと危ないデカこと難波のウルフことピーターパンの右腕ことリーマンブラザーズの弟の方(もしくはツッコミの方でも可)こと船越君(後のリンカーンである)を探してます。見つけた方はコチラまで。
 そんな訳で初めまして。ジュディ・アボットです!!

※(アリス・ジェーン・チャンドラー・ウェブスター原作 『私のあしながおじさん』より)


お化け恐い

 お化けって恐いよね。夜、目が覚めた時にそこにお化けがいたりしたらすげー恐いよね。冷静に考えると、鉈を持った血まみれの老婆とか、ヒグマの方がよっぽど恐いけどね。 まぁ、目が覚めた時にそこにヒグマがいたら命を諦めるしかないけど、お化けってそんなんじゃない恐さがあるよね。あとさ、鉈を持った血まみれの老婆に関しては、どちらかと言ったらお化けよりだよね。お化けにカウントしてもいいよね。
 あとさ、女子。女子が集団になるとね、恐いよ。俺ね、小学二年生の時に、女子の集団になじられて泣いてしまったことがあってね。「男のクセに女子に泣かされて情けない」みたいな声もあったけどね、アレは恐いよ。本当に。よくさ、「御褒美です」みたいなコメントとかあるじゃん。分かってないなぁ~って思うね。繁華街に出没したヒグマを撃ったハンターに「熊が可哀想」みたいなことをいう輩くらいに分かってないなぁ~って思っちゃうね、俺なんかは。女子の集団の恐さを正しく認識した方がいいよ皆。正しく認識した上で「御褒美です」って言ってるなら、その人はもう真性だから、まぁ、なんていうか……まぁ……うん……

 その点、お化けが集団になるとさ、恐さは薄れるね。そんなんただのロッキーホラーショーじゃんってなるよね。実際にお化けの集団に襲われたことは無いけどさ、命の危険とかは感じるかもしれないよ? でもそれってスズメバチの群れとかでもいいわけじゃん。だからさ、お化けは常にピンじゃないとって思うんだよね。

 孤独であることの哀しさっていうのかな、そういうのがお化けの恐さに凄みを与えると思うんだよね。2人だとさ、なんかさ、デュエットとか歌いそうじゃん。3人以上だとさ、フォーメーションとか色々夢膨らむじゃん。4‐2‐3‐1で、トップ下は誰にしようとか、サイドバックは足が早い人が良いとか、夢膨らむじゃん。や、夢膨らむのは良いことなんだけど、幽霊に関しちゃそれNGじゃん。どんなに鋭いカーブ投げても、将来を期待されるようじゃ幽霊終わりじゃん。さっさとドラフトにかかんなさいよってなるじゃん。ドラフト一位で入団してさ、プロの壁とかにぶち当たるわけじゃん。そこから這い上がるのは一握りでさ、大抵は脱落してさ、飲み屋の店主とかになるわけじゃん。そこにさ、同級生とかくるとさ、なんかさ、合わす顔無いよね。ほんとさ。いや、恥ずかしいことじゃ無いけどさ、でもね、なんかさ、落ちぶれてる分さ、他人がキラキラして見えたりするわけじゃん、余計にさ。なんかさ、そういう時に会う同級生ってさ、恐いよね。


お婆ちゃんのエクスカリバー

 洗濯物を取り込んでいるときに、近所のお宅から子供を叱る母親の声が聞えてきた。
「こぼしたらどうするの? ……ねぇ……そう……拭くのよね。分かってるのになぜやらないの? 『こぼしちゃった~』じゃないの!!」
 私はこの言葉を聞いて衝撃を受けた。

 私の虹色の脳細胞(何らかの病気だと思われる) の推理によると、怒られた子供は何らかのモノ(おそらく液体であろう)をこぼしたものと推測できる。その際、彼、もしくは彼女がとった行動が、こぼしたモノを拭き取って目の前の問題を解決することではなく、『こぼしちゃった~』と宣言し、ただ現状を受け入れたのである。このことは私に衝撃を与え、衝撃を受けながら洗濯の物を取り込んだ。

 私は、時折ビールを敷きっぱなしの布団の上にこぼす。私は、その度に右往左往七転八倒の大騒ぎをするわけなのだが、その際に、落ち着いて、『こぼしちゃった~』といってみるのではどうか。気をつけの姿勢で、左右の手のひらを地面に向け腰につけ、腰を右か左にくいっと持ち上げ、口を半開き気味に『こぼしちゃった~』と高らかに宣言するのだ。きっと布団はビール臭くなり、最悪、虫がたかるであろう。

 このことは、色んな事に応用が利く 
 『寝坊しちゃった~』
 『二日酔いになっちゃった~』
 『バイトさぼっちゃった~』
 『無職になっちゃった~』
 『無一文になっちゃった~』
 『ガス・電気・水を止められちゃった~』
 『気がついたら一人になっちゃった~』
  
 そうして、私は路上に暮すサバイバーとなり、真冬の吹雪に凍えながら、どうしてこうなってしまったと、後悔と悲しみとせつなさと心強さと糸井重里を胸に抱きながら、声にならぬ声で嘆き、涙すら流すことも出来ず泣き続けるのだ!
 畜生! これもそれもこの世界に愛があるゆえだ!! もう愛などいらぬ!! ただ乳を揉ませてくれ!!!


カルマ

 洗濯し、洗濯物を干し、それを取り込み、たたみ、収納する。それら全ての工程を終えたとしても、数日後には、また洗濯をしなければならない。延々と終わることのない苦行。まるで賽の河原ではないか。

 人はどうして洗濯をするのであろう。まぁ、それは衣服が汚れるからであるが、ならばなぜ、洗濯という重い十字架を背負ってまで人は衣服を着るのか。本当に衣服は必要なのだろうか?
 では、アナタがスッポンポンで往来を行けばいい。人はそう言うかもしれない。だが、それは出来ない。怒られるからだ。何の因果か、今の社会では、スッポンポンで往来を行くと怒られるという仕組みになっている。
 だから仕方なく服を着ている。そういう人も多いのではないかと思う。その結果、待ち受けているのが洗濯という終わらないディステニーである。なんということであろう。省エネが求められる現代において、これはあまりにもあれではないか。

 想像してほしい。誰もが生まれたままの姿で歩き回っている世界を。そこにはお洒落さんもダサい人もいない。変な英文が書かれたTシャツも、変な漢字が書かれたTシャツもない。洗濯から解放された人々は朗らかで、堂々とチンチンブラブラ、マンマンモジャモジャしている。差別も紛争もなく、ポロリもなければパンチラもない。
 いや、ちょっと待って、パンチラは、パンチラだけは、なんとか残してやってくれないだろうか?僕はいいのだ、別にパンチラなどなくても。だが、パンチラがなくなると悲しむ人々は確実にいる。だから、その……せめてパンツとスカートだけでも穿いてはくれぬだろうか。いや、もっと言えばちゃんと衣服を着て欲しい。その方が、何かこう、色々と中身を想像できて良いではないか!!!

 そうして、衣服を着るということはつまり、洗濯をしなければならないと言うことである。洗濯をすることによって、パンチラという素晴らしいコンテンツが守られているのである。よし、洗濯をしよう。そうして、明日のロマンを守ろうではないか!!

 そんなことを、洗濯する前にいつも考える。そうこうする内に日が暮れていて、今日も洗濯するタイミングを失うのだ。


わが人生

 子供時代、通信簿の担任からの言葉の欄には、いつもいつも同じことが書かれていた。
  
 『セクシーにもほどがある』と……
 
 そんな小・中・高の12年間を送った私だから、世界中の悲しみを抱えながら踊る夜の回遊魚みたいな目をした少年だったことも、なんら不思議ではない。

 私はいつも一人だった。私のそばには親・兄弟や友達、学校の先生くらいしかいなかった。飢えた野犬や田舎のヤンキーなどは一人もいなかった。他には、たまに近くに住んでいる祖母がうちに来るくらいだった。だれもが口をそろえて言った。

 『セクシーにもほどがある』と……

 大人になった今、振り返って思う。いうほどセクシーだったかと……確かに、ワイシャツのボタンの上三つは閉めなかったし、ピッチリとしたラバーのパンツをいつも履いていた。もちろん、素足に革靴である。でも、だからといって、それだけのことで、セクシーの誹りを受けねばならなかったのか……私がセクシーだというのなら、木村君の方がよっぽどセクシーだったではないか!!

 思うに、セクシーさとは、服装や体系よりも、本人のうちからにじみ出る、パフュームのようなものなのだろう。確かに、木村君は、裸の上半身に、乳首がギリギリ隠れるくらいの細いサスペンダーという出で立ちで、フレディーマーキュリーのような胸毛を生やしていたのだが、だれも彼のことをセクシーと言わず、それどころか「体臭が欧米人のそれと近いものがある」と褒めたたえたのも、私と彼とのパフュームの差であったのだろう……

 まったく、好きでセクシーに生まれたのではないのに……望まないセクシーと言う名の業を背負って、私はこれからも、生きていかねばならぬのである。



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