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利休にたずねよ

2013年12月19日鑑賞
秀吉が愛し、嫉妬し、憎んだ、利休の「美」

珍しく、この作品は原作も読んでおりました。時間軸を遡ったり、思い切ってフッ飛ばしてみたり、よくこんな文章表現、プロットの構成が出来るものだなぁ,と感心しながら読みました。まあ、それぐらいのこと、朝飯前にやっちゃう山本兼一さんだからこそ、本作で直木賞受賞となった訳ですが。
さて,本作はその映画化作品。何ヶ月か前に映画館で、ふと、「利休にたずねよ」のポスターを見かけたときには
「ほんとに映画化するのか?!、いや、したのか?!」
そして市川海老蔵さんが千利休を主役として演じるって、「マジかよ?!」
と一人、映画館のロビーで突っ込みを入れていたのを思い出します。


ただでさえ、時代劇は金がかかる。正確な時代考証に基づく衣装やカツラ、もちろん当時の町並みの復元も必要になります。本作は並の時代劇ではまず、絶対にチャレンジしない「茶の湯」「千利休」を描こうというのです。これはとんでもない高いハードルです。
まず、役者さんが茶の湯の手前作法を習得してゆかねばならない。その上、使う茶道具の手配、さらには映画で登場する黄金の茶室や、侘びを極めた建築物と言える「待庵」どれもこれも、国宝級のものばかり。これをどう映画に撮るのか? 
実際、本作では、まあ、まず、あり得ないと思える、千利休さんが,本当に使ったお茶碗が登場したりします。
これ、国宝級ですよ。値段のつけようがない。
なんと言う贅沢な映画なんでしょうか。どれだけ、途方もない手間暇をかけた作品でしょうか。
これら、国宝級のお宝がスクリーンに映える本作。そんな中、僕が素晴らしいと着目したのは「光の効果」でした。
撮影、照明スタッフさん達がほんとにいい仕事してるんです。
惚れ惚れするぐらいの映像美を、キャメラに収める事に成功しています。
茶室は薄暗いものです。外からの自然光は、和紙を貼った障子から透けて入る仄かな光です。その光が、役者さんたちの顔半分を、ほんのり明るく照らす。反対側の顔半分は、ほとんど真っ暗なシルエット。だけど照明、撮影スタッフは、ここで頑張りましたね。
その暗い顔が判別できるか,出来ないか、ぎりぎりのところを見切ってキャメラに収めてるんです。
他にも、広間から外を見るショットでは、外の明るさ、室内の仄暗さ、人物に当たる光、それぞれの明かるさを、すべて細かに調整しながら映像化していますね。本当に素晴らしい仕事です。
さて、千利休という人物は、茶の湯だけにとどまらず、美意識、芸術の巨人である事は間違いないでしょう。この人への興味は尽きないですね。
時の絶対権力者、織田信長の茶頭となり、いわば芸術の総合プロデューサーとなる訳です。
 美しさとは何か? それは千利休が”美しい”と言えば、時代がそれに追随する訳ですね。自分が”美”の基準になる。さらに信長亡き後,千利休は豊臣秀吉に仕え、ここでも茶頭となります。派手好きの秀吉は利休に、有名な「黄金の茶室」を作らせます。さらに、これぞ秀吉の真骨頂といえる大イベント「北野の大茶会」
 皆さん、気がつきませんか? これって「茶の湯バブル」なんですよ。
もう、これ以上はない、というぐらい「茶の湯」は全盛期を迎えるんですね。かつて1980年代、バブリーな日本では、夜な夜な、ジュリアナなんて言うクラブで女の子が踊り、札束が巻き散らかされておりました。
茶の湯でもそれが起こった訳です。しかし、バブルは弾ける運命にあります。千利休の凄みは、その「茶の湯バブル」の次に来るものを予感していたような気配がある事です。
彼は、純粋に美しいものとは何か? 人をもてなすとはどういう事か?を追求し続けた人だと思います。


茶室では亭主と客の関係があるだけ。一期一会の出会い。
そこには天下人であろうが、武将であろうが、一人の人間になります。
肩書きや地位は何の意味も持ちません。裸の人間力、あるがままの美意識が試されている場所、それが茶室なのです。
利休の美意識が生んだ「待庵」では、武士といえども、刀を抜いて、にじり口と呼ばれる、低い入り口から入らねばなりません。
そこで客は「亭主」に対し、自然に「頭を下げる」ことになるのです。それを天下人にやらせてしまう、千利休の度胸と美意識への、揺るぎない自信。そして強靭な決意。それゆえ、勇猛な武将でも利休の前では、震え上がりました。
さて、秀吉は天下人です。自分より偉い人間は、この「日の本」にはいないと思いたいのです。
だからこそ、信長が愛した、日本一の茶人、千利休を自分の支配下、自分の所有物である、と世間に認めさせる事によって、自分の”威厳”を演出したかったのでしょう。
しかし、秀吉の最大の不幸は、利休の「美」を理解できる感性を持ち合わせてしまった事でした。
「なぜ、こんな美を、あの利休は生みだせるのだ?」
秀吉には、悔しいけど、その美を生み出せません。悔しい,悔しい!!本当に悔しい!
やがて天下人である秀吉は、千利休に嫉妬、憎しみ、恐怖さえ感じたのだと思いますね。
まさに、可愛さ余って,憎さ百倍。権力者が部下の才能に嫉妬したとき、それは実に醜悪きわまりないものとなります。
秀吉は千利休の「美」を屈服させようとしました。
「切腹を申し付ければ、あの利休と言えども、俺に頭を下げにくるヮ」
しかし,秀吉の読みは外れました。千利休は自分の「美」は誰にも支配する事は出来ない、と「死」を持って訴えたのです。
本作はまさに映画は芸術作品である、という事を改めて感じさせてくれます。絵画鑑賞のような気持ちで、亭主である利休さん、そして観客である、あなたとの一期一会の”一服”をお楽しみくださいませ。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆
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作品データ

監督   田中光敏
主演   市川海老蔵、中谷美紀、伊勢谷友介、大森南朋
製作   2013年 
上映時間 123分

予告編映像はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=rEsYGCsof9M


永遠の0

2013年12月23日鑑賞
ゼロ戦に見る日本人の「死」と「美」

今年の文藝春秋10月号に「赤とんぼ」による特攻という記事が載っていた。「赤とんぼ」とは旧日本軍の練習機の愛称である。
二人乗り複葉機(!?)で、エンジンは340馬力。最高時速210㎞/h
太平洋戦争末期、飛行機の調達に困った軍部は、この練習機に爆弾を抱かせて、敵艦に突っ込ませる事にした。250キロ爆弾を搭載すると「赤とんぼ」はたったの100㎞/h しかスピードが出ない。それこそ、ヨタヨタしながら敵艦に突っ込む訳である。
戦争末期、日本国土に残っていた”飛べる飛行機”は、ほとんど「赤とんぼ」しかなかったらしい。
当時、これに乗って敵艦に突っ込め、と言われた搭乗員たちは、どんな思いであったろうか?
こういう特攻もあったのである。これを美しいと思うかどうかは、あなたのご判断にお任せしたい。
戦争を進めるうち、日本の軍部、指導者層はすでに勝てる戦さではない事を知っていた。そこであろうことか、「潔く」「美しく」「散る」事を目的とした。
選ばれた若者たちが、零戦という美しい戦闘機に乗った。特攻という潔い美しい「死」が演出され、彼らは「軍神」と呼ばれた。
この映画の中で、ある若者が「特攻も自爆テロも同じじゃないか」「狂信的な愛国主義者の暴走だ」という言葉がある。
僕はあえて、それに異を唱えようとは思わない。そこにはまだ、戦争を第三者の目で見る事が出来る、平成の若者の姿勢があるからだ。
最も怖いのは、自分たちが、戦いのレールに載せられている事さえ気がつかない事だ。
原作者である百田尚樹氏が、本作を発表した2006年頃であれば、この作品はまだ、娯楽作品で済まされたであろう。
しかし、私は53年生きてきて、今の日本が、これほど”危ない”と思ったときはない。既に「引き返せないレールの上」を走っている列車に乗り合わせてしまった感じがする。その列車を選んだのは我々自身だという皮肉もある。そういう”ご時世での”「永遠の0」映画化である。戦争の美化、国策映画とするには、大変好都合にできている環境だ。「第三者」的な眼で見てそう感じる。


さて、本作は一つの娯楽映画作品として観た場合、とても良く出来た作品である。
監督は「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズを手がけた山崎貴氏。
CG,VFXを駆使した映画では見事な実績を持っている。本作ではその手腕が、リアルな零戦や、戦闘用艦艇の復元を可能にした。大きなスクリーンで観ても「ああ、CGだね」とは思うものの、何となく納得、妥協できる範囲で収まっている。
本作は、天才的な腕を持つ零戦パイロット、宮部久蔵が主人公だ。  
宮部の孫たち(吹石一恵、三浦春馬)は,実の祖父の人物像を知りたいと思った。おじいちゃんと同じ航空隊、特攻隊の生き残りの人々への取材を試みる。やがて、祖父は海軍一の臆病者と呼ばれていた事を知る。しかし,謎は深まるばかりだ。彼らの祖父は後に特攻隊に志願し、敵艦へ体当たりしたのだ。海軍一の臆病者であるはずの祖父が何故、特攻に志願したのか? その決断に至った謎に迫ってゆく……
 宮部久蔵を演じる、主演の岡田准一氏の熱演はとてもよかった。それ以上に印象的だったのは、妻役の井上真央が,大変落ち着いた、大人の演技を見せていることだ。女優として、着実な成長を見せているように思えた。これは本作の大きな見所と言える。また、宮部の部下のパイロット役に濱田岳。彼は小柄な体格で、何とも頼りなく、ひ弱なイメージがあるが、特攻パイロットの生に執着する姿を悲哀を持って演じた。これは彼ならではの演技であったと思う。また、同じパイロット役で新井浩文も、殺気立った,切れ味鋭い演技で、特攻隊員の心情の一面を描き出すのに成功している。
また、味わいのある演技と言えば、大御所、平幹二朗、それに舞踏家である、田中泯氏の凄みのある演技に注目したい。
このように、キャスティングはおおむね良好。成功していると言える。
演出面では前半と後半では別作品と呼んでいいぐらい違う。
前半部分、かなり,主観的なドラマ作りで、正直「ちょっと臭い演出だな」と思わせるような部分さえある。だが後半、物語も佳境を迎え、最も盛り上がるであろう部分で、意外にも山崎監督は、ちょっと突き放したような演出をあえて持ってきた。そこが本作の映画作品として、うまくバランスをとる事に成功した要因であろうと思われる。


この「永遠の0」という映画作品のレビューは、実に厄介だ。むつかしい。自分の言いたい事が百分の一も伝えられない,もどかしさがある。
ヒステリックに反戦、非戦を訴えるのは、同じようにヒステリックに”潔く美しい死”を訴える軍国主義者と何ら次元は変わらない。
太平洋戦争と零戦、そして日本人と零戦を語るとき、冷静ではいられない自分がいる。なまじっか戦争や零戦、そして、特攻に関する情報が多すぎるからである。零戦は海軍の厳しい要求を満たすため、極限ギリギリの軽量化が図られた。その結果、テスト飛行中に2回空中分解し、墜落している事はあまり知られていない。後に、アメリカ軍が戦闘機に戦車のような防弾を施したのに対し、ゼロ戦は終戦までほとんど防弾装備らしいものがない。そのため弾が翼の燃料タンクに当たれば、あっという間に火だるまとなり、空の藻屑と消える。それすら日本の桜のように、美しく散る姿とダブって見えない事もない。
なぜこの零戦という航空機は危険なまでに美しいのか? 設計者である堀越二郎氏は、自ら作り上げた、まぎれもない「殺人兵器」ゼロ戦をどう思っていたのか?
堀越二郎氏自身の著作を読んだ宮崎駿監督は
「この人は、本音を語らない人だと思いました」という。
かずかずの言葉にできない想いはあった事だろうが、堀越氏は墓の中まで秘密を抱えてゆく覚悟でゼロ戦を作り上げたのだろう。
いままた、戦さの時代に突入しつつ、いや、もしかしたらすでに突入してしまっているかもしれない2013年。宮崎駿監督は「風立ちぬ」で零戦の設計者、堀越二郎氏を描いたのは象徴的な事だ。
僕は本作「永遠の0」という映画作品を決してオススメはしない。好きであれば「どうぞ,ご自由に」というスタンスでいたいと思う。
ただ、「戦争」を捉えるのであれば、もっと他の映画もありますよ、とだけは言っておきたい。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   山崎貴
主演   岡田准一、三浦春馬、井上真央、濱田岳
製作   2013年 
上映時間 144分

予告編映像はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=6G1OHLyMY7U


奥付



映画に宛てたラブレター2014・1月号


http://p.booklog.jp/book/80371


著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


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