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洋画部門

キャプテン・フィリップス

2013年12月16日鑑賞
さあ、どうする、フィリップス船長?!

ソマリア沖で、コンテナ船が海賊に襲われる。ほとんどドキュメンタリー映画のようなタッチで描かれる本作。ハンパない迫力と緊迫感。それもそのはず。これ実話ベースのお話です。
ポール・グリーングラス監督の演出は見事でしたね。
コンテナ船の船長、リチャード・フィリップス役に名優トム・ハンクス。
若干太って見えるのは、体重わざと増やしたんですかね?


さて、フィリップス船長に、会社から連絡が。次の仕事が入った、コンテナ船に乗って、客先まで積み荷を届けてくれ、と。
彼は船に乗り込むため、妻と車で港へ向かいます。車中、彼は問わず語りに奥さんへ、息子のことや若い世代の事を話します。
「今の世の中、何もかも、安く、早くだ。俺たちの時代とは違うなぁ……これからの若者は大変だよな」
そんな、何気ない会話が、映画の後半に向けて、この作品に、ただの海洋パニック映画だけではない、人間ドラマの一面を描き出します。こういうさりげない演出、監督、上手いなぁと思います。
さて、巨大なコンテナ船は、まるで一つの巨大ビルが海に浮かんでいるかのようです。船内は複雑に区画され、まあ、私のような方向音痴では、とてもじゃないが、あっという間に迷子になります。そんな大きさです。
その大きなビルディングのような船が動く。船長とスタッフを乗せて……
途中、危険な海域を通るので、フィリップス船長は乗組員に訓練をやらせます。乗組員たちは、それなりにスキルは持っているんですが、あんまりやる気はなさそう。
そんな折、海上レーダーに小さな船が2艘映ります。ぐんぐん近づいてくる二つの船。
「海賊だ!!皆、配置に付け!これは訓練じゃない!!」
フィリップス船長と、乗組員たちはどうなるのか?
という訳で……
この作品、スケールがとてつもなくデカい。実際に救助にむかうアメリカ海軍の艦艇や、世界最強と呼ばれる特殊部隊のSEALsなどが協力しているようです。しかし、この映画の見所は、そういうミリタリー関係の趣味だけじゃないんですね。
最大の見所は、後に人質になってしまう、フィリップス船長と、海賊たちの心理戦なのです。


海賊たちは、皆、まだ若い。それに彼らは自分たちの海賊行為を「ビジネスだ」と言い張ります。そこには、彼らの”自分を惨めに見られたくない”という虚栄心も伺えるのです。
海賊たちの国、そこには、当たり前のように貧困があり、政治は安定せず、治安は最悪。じゃあ、なんで俺たちは、こんな貧しい国に生きてなきゃならないんだ、という憤りがある訳ですね、彼らには。
それに比べて、お前らコンテナ船に乗ってるような白人は、恵まれてるじゃないか? リッチじゃないか? その豊かさを、なんで俺たちは味わえないんだ? 
海賊たちのそんな声が聞こえてきそうなところが、この作品にはあります。なぜ、危険極まりない、命を落とすかもしれない、海賊なんて割の合わない事をやっているのか?
「君たちは金が目的だろう? ビジネスなんだろう? 人を殺すために海賊はやってないはずだ」
フィリップス船長は冷静に海賊をなだめていきます。
海賊たちをみて、フィリップス船長はふと思ったのでしょう。
「俺の息子と変わらない歳、格好だ。まだ若すぎるじゃないか」
やがて囚われた船長は、海賊たちと運命共同体となってゆきます。
この辺りは心理学でいう、ストックホルム症候群というやつなんでしょうか? 船長には、やや、海賊たちの心を読み取ろうとする姿勢と、若干のシンパシーが見て取れます。この辺りの微妙な”さじ加減”の効いた演技は、もう、さすが、トムハンクス! と唸ってしまうところですね。
緊迫の心理戦。じっくりと劇場でお楽しみくださいませ。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆☆☆
配役 ☆☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆
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作品データ

監督   ポール・グリーングラス
主演   トム・ハンクス、バーカッド・アブディ
製作   2013年 アメリカ
上映時間 134分

予告編映像はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=KRHJ2YEaJ4E


ゼロ・グラビティ

2013年12月17日鑑賞
途中退席を我慢しました。

いやぁ~、ひどかった!! 最近の予告編は、どれもこれも良く出来ているけれど、結局、本編を観てみると「予告編が一番良かったんじゃない?」と思う作品も多いです。本作もその一つ。
実は、この作品、かなり期待して観に行ったのです。それは上映時間91分という理由から。
実は上映時間というのは、よい作品を見分ける一つの目安でもあるのです。
3時間の超大作、と90分の作品どちらを選ぶか? と言われれば、僕は迷わず90分を選びます。なぜなら、それは贅肉を徹底的に削ぎ落とした、究極の作品を目指そうと、監督が頑張った結果だと思うからです。

たとえば最近では、2011年の映画賞を総ナメにしたフランス映画「アーティスト」
これは101分です。
89年、アカデミー賞の「ドライビングMissデイジー」は99分。
ジェシカ・タンディ、モーガン・フリーマン、もう、最高でしたねぇ。
さて本作では更に、宇宙空間を映画館で体験できる。おまけに3D。これは面白そうだ、と思った訳です。


ところが、いざ本編が始まったところで、いきなり出鼻をくじかれました。
なんという、みっともない地球。じつに雑な造形。最新のハリウッドVFXってこの程度なの? という失望感でいっぱい。
今ねぇ、観れるんですよね、一般人でも。
NASAの鮮明なハイビジョンが……
奇麗な,キレイな、瑠璃色に光り輝く、地球が。
大宇宙の中、水惑星である、我らが母なる地球。それは漆黒の宇宙空間にぽっかり浮かぶ、まさに命あふれる、宇宙のオアシス!!
テレビの宇宙関連の番組を観れば、そんな地球の姿、しょっちゅうお目にかかれる訳です。
わざわざ、映画館で高い料金払って、おまけに、かけ心地の悪い3D眼鏡をかけて、これが見る価値のある映像と自信を持って言えるでしょうか?
もうちょっと、まじめに仕事してよ! と言いたくなりますね。
さて、主演のサンドラ・ブロックは、まあいいとして、共演のジョージ・クルーニー。
僕の個人的趣味かもしれませんが、どうも自分と相性が合わないんですね。
以前観た「マイレージ・マイライフ」も、全然感心しなかった。
本作でも、二枚目の宇宙船のキャプテンで、キザな台詞を、もうそれは、うじゃうじゃと並べ立てる。それも自分が死に瀕するような危険な状況で。ありえないでしょう?
これはもう、ジョージ・クルーニーが悪い訳ではなく,脚本家と、それをOKしちゃった、監督に全責任があります。


まあ、ぶっちゃけて言えば、この作品の内容は、実は、たったの45分で、すべて見せられるはずです。それを映画作品として成立させるために、無駄なセリフ、無駄なシーンをいっぱい詰め込んで、映画作品としての体裁を取り繕ったいう、なんとも情けない作品なんです。
救いと言えば、ウザい、ジョージ・クルーニーが消えてくれて、サンドラ・ブロックの一人芝居になったあたりから、ようやく我慢して観る事ができます。
ああ、それにしても、90分がこれほど退屈で長い時間だったとは……
何度も途中退席をしようと思ったほどでした。
まあ、何百回も劇場で映画を見ていると、こういう”スカ作品”も、たまに掴まされる、ということですね。
でも、まぁ、これはあくまで僕の主観的な感想なんで……
なにより、ご自分が楽しめれば、それはそれであなたにとって、いい作品なんだとおもいますよ。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆
配役 ☆☆☆
演出 ☆☆
美術 ☆☆
音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   アルフォンソ・キュアロン
主演   サンド・ラブロック、ジョージ・クルーニー
製作   2013年 アメリカ
上映時間 91分

予告編映像はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=j683Bm67qis


ハンナ・アーレント

2013年12月30日鑑賞
考える人の尊厳、考えない人間の恐怖
  
第二次大戦中、ユダヤ人を強制収容所へ送り続けた指揮官、アドルフ・アイヒマン。本作は、人類に対する犯罪を裁く法廷をレポートした、哲学者ハンナ・アーレントを描こうとする。ハンナ自身もユダヤ系ドイツ人である。戦争中はフランスで収容所生活を送ったらしい。
物語は1960年、アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕されるところから始まる。彼はイスラエルに身柄を移され裁判にかけられる。忌まわしい、ユダヤ人大量殺戮の首謀者の一人アイヒマンが捉えられ、裁判という公の場に姿を現す。これは世界的な大ニュースとなった。当然、ユダヤ系の人々は憎っくきナチの残党,アイヒマンを叩きのめしたい、ユダヤ民族が受けた苦しみ、悲しみ、絶望を同じように味あわせたいと願った事だろう。
ここに一人の著名な哲学者がいた。大学で講義を持ち、その著作は多くの読者に影響を与えている。お抱えの秘書もいて、個人事務所は電話が鳴りっぱなし。それがハンナ・アーレント女史である。彼女はナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命。哲学の教授として成功を収めていた。


彼女はアイヒマンの裁判を是非傍聴したいとイスラエルへ飛ぶ。数百万人という膨大なユダヤ人を、組織的に虐殺し続けた人物とは、一体どのような人間なのか? 彼女自身がユダヤ系であるから、というよりも、アーレント先生は、人間がいかに残虐になり得るのか? 悪に染まるのか? という哲学的な関心を持ったようである。
さて、裁判で目の前にいる大量殺戮の実行者、アイヒマン。ハンナにとって、一番の驚きであったのは、それが何の取り柄もなさそうな、あまりに凡庸な人物であったことだ。
ちなみに、ヒトラーでさえ、実際にパレードや演説などで接した国民(当時はワイマール共和国民)の中には「さえない普通の人」「どこにでもいそうな人」という印象を持った人も多かったと言われている。
ごく普通の人をアイドルとして祭り上げ、組織を肥大化させ、民衆を熱狂により思考停止させる。これは今の日本でも、小規模ながら、実際に起こっている事に留意したい。
ひとときの熱狂や、あらがえない時代の流れはあるかもしれない。しかし、自分の頭で考えない、自分の魂で感じない事のツケは大きい。
やがてハンナは、裁判の傍聴を続けるうちに気がついた。
「アイヒマンには自己がない」ということだ。
アイヒマンの最も忌まわしく、罪深い事は、
「自分の頭で何も考えなかった事」である事に気がついたのだ。
ハンナはこの発見をもとに記事を書き、著名な雑誌に発表する。これに対し「一般大衆」は激怒した。大ブーイング!! ハンナに強烈なバッシングが起こる。
「裏切り者」「ナチの肩を持つ女」などと誹謗中傷され、あまりの反響の大きさに大学教授の職も危うくなる。
ハンナはアイヒマンを「思考停止、思考不能に陥った小役人にすぎない」と分析した。


ちょっと考えれば、これは実に恐るべき事なのである。身の回りに私自身を含め、このような人物が「どこにでもいる」ことが脅威なのである。
私事で恐縮だが、以前勤めていた会社での出来事。
私の直属の上司である係長が、ある日、私にぐちゃぐちゃと訓示を垂れていた。「ええか! お前、Aという事はBという事なんだぞ! ちゃんと心得ておけよ!」
それを聞いていた部長曰く。
「係長、それは違うぞ。Aという事はCという事だぞ」
その瞬間である。係長は部長に向かって直立不動の姿勢になった。
「部長! その通り!! さすがですヮ!! いやぁ~、ホンマその通りですヮ!!」
そして振り向きざま、私に向かい
「ええかっ!お前! Aという事はCという事なんだぞ!! しっかり肝に銘じておけ!! いやぁ~、さすが部長ですヮ。Aという事はCという事なんですヮ」
私は目の前で起こっている情景が,しばらく理解できなかった。
マンガ以上に滑稽な一コマであった。しかし、これは紛れもなく私が体験した事実なのである。係長は自分の主張を一瞬で「撤回」どころか、「全否定」したのである。しかも係長はそれによって自分の「全人格を否定」された事を、全く何の痛みも感じず、受け入れたのである。
係長は正に究極の「イエスマン」であった。
どんな職場でもそうだが、こういう愚劣極まりない上司を持った部下は、本当に苦労する。
また、かつて私はある女性とつきあったことがある。
彼女はすべての物事を占いで決めていた。
「わたしには自分がないの。私は借り物なの。何も決められないの」
それは病的でもあった。彼女はそのとき、つき合っていた男性と別れる寸前だった。
「家族も反対してるし、もう、大嫌いだから別れる」とさえ言っていた。
その言葉を聞いた数日後、彼女から電話があった。
「ヨリが戻りました。彼のところに行きます、さようなら」
彼女は強引な男に隷属する事に、安心感を求めたようであった。
自分の頭で考え、魂で感じる事は難儀な事であり、実にめんどくさい事である。自分なりの判断を下すまでには時間も労力もかかる。それに比べ、何も考えないこと、思考停止する事、楽な道を選んだ方が、皮肉にも一時的な成功をもたらす事もあるだろう。
反対に、自分の頭で考え続け、悩み続ける事は、いばらの道を裸足で歩き続ける事である。しかも、その先に決して成功や、自己実現が約束されている訳ではない。
人はどちらを選ぶのか? 人はどう生きたらいいのか?
まさに哲学的な問いかけをこの作品は我々に投げかけている。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   マルガレーテ・フォン・トロッタ
主演   バルバラ・スコヴァ、アクセル・ミルベルク
製作   2012年 ドイツ
上映時間 114分

予告編映像はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=WOZ1JglJL78