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コラム風なにか  レット・イット・ビー俺達

 人間は知性なんてものを獲得、発達させてしまったばっかりに、したい事をしたいようにやる、という動物らしい行動が出来なくなってしまっていて大変因果な生き物だと思う。彼等は、自らの内より沸き起こる原初的な欲求を一度理性の段階でストップさせ、自らの行為によって起こる周囲への影響、変化を推測、十分に吟味し、その審査に合格して初めてアクションとなる訳で、実にまどろっこしい。しかしながらこれというのは一人一人が平穏、平和に共存していくために欠かせない事なのであって、思いやりの心、人間味。いいじゃない。尊いじゃない。というのは、これ皆大人の人間の話である。

 子供というのはそういった社会的な常識やマナー、ルールといった類を学習していないから子供なのであって、必然的にそういったものの制約を受けない。また、大人のほうもそれを承知しているから、仮に子供が陰部を丸出しにして往来を駆けずり回っていても、まあ、丸出しだね。あっはっは、などと至って暢気である。ところがこれが大人であればそうはいかず、往来は怒声と悲鳴で阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、パトカー、救急車、消防車、ヘリコプターがそれぞれ40台ずつ出動し、翌日の朝刊の一面には、白昼の露出魔、陰部大解放、の文字が躍る事になる。これは大人になるという事がそのまま陰部を解放してはならぬという社会的制約を背負わされる事に直結している事に起因する。大人の方が若い内に遊んどけよ、などと仰るのはつまるところそういう事だ。

 子供が可能性に満ちた存在であると言うのはその部分、社会的な制約を受けていないという自由さを指すのである。なにせ子供の内はやりたい事をダイレクトに表現、行動、やりたいようにやれるのだから、大人から見れば多少非現実的な事でも実現可能だと真剣に信じる事が出来る。クラーク博士に言われるまでもなく、少年というのは基本的に大志を抱くようになっているのだ。問題は大人になってもその大志を持ち続けていられるかどうかである。

 だから我が家にやってきた親戚の子供が、マジックペンで部屋中に前衛アートを展開したとしても僕は決して憤激したりせず、オッケーオッケー、ナイス大志、などと言って彼のフリーダムを容認してやらねばならない。ならないのだけれども、ふざけやがって、という原初的な怒りを理性の段階でストップ出来なかった僕は、フリーダムに憤激。フリーダムに彼を張り倒し、彼のフリーダムを僕のフリーダムで粉砕した。今日も大人になれず。猛省。
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なんとかゴーズオン

 気分は少しばかりダーク。鬱屈した感情をトリップさせるために注入し始めたやっすいくっさい芋焼酎は、ダークの上塗りになるばかりで、10代の若造が無意味に世間を誹謗中傷するパンクロックを聴きながら俺はちょびっとだけ泣いた。意味は別に無い。
 酩酊した意識が、6畳間と深夜2時半の外界との境目を曖昧にしていく。俺の存在も地球の存在も同等に無価値だ。みたいな気分になる。体が熱い。このまま飲酒を続ければ体温はさらに上昇し、やがては沸点を超え、肉体も意識も蒸発してお空に上って行ってしまえばいいのに。と思って今まで何十何百回と限界まで飲酒を繰り返してきたけど成功したことは一度も無い。私は気体になりたい。期待はしてない。
 遠くからサイレンのような音が聞こえる。消防車かと思ったが、それにしては低音だ。アパートの玄関を出てみると、低音は小刻みなものに変わり、陰気な象が念仏を唱えているようだった。
 火照る体に冬の空気は心地よかった。手に持ってきたグラスを飲み干すまでこのまま外にいることに決めた。見上げると都会の濁った空に、濁った星が汚く輝いている。東京の空でも星が見えないわけじゃないんだな、と思ったがそれは俺の感想ではなくフジファブリックの歌詞にあった言葉だ。パクリじゃない、影響を受けたんだ、と思ったがそれはラーメンズのコントのセリフだ。俺の生み出すものにオリジナルはない。俺の中心は虚無。非生産的な虚無だけがある。象はまだブオブオ言っている。
 俺は家の中から開けたばかりの5合瓶をひっつかむと、念仏の方角に向かって歩き出した。俺の中心がそこにあるような気がした。などと言って虚しぶっている自分も何かのオマージュでまたむなしい。消え失せたいのに断固として形を保ち続ける肉体を引きずって、俺はてれてれ歩いた。焼酎をストレートでぐんぐん飲んだ。
 熱さと寒さが反復横とびのような慌しさで感覚を繰り返し、だんだんと意識が朦朧としてくる。星空と俺の距離が縮まって視界が濁り、融解した肉体が宇宙に溶けていく感じがして心地よい。でもそんなのは錯覚だ。固体の俺は電信柱にぶつかって地面にひっくり返る。その拍子で空になった酒瓶が割れた。念仏は激しさを増し、半狂乱のような金切り声をあげている。俺はよろけながら立ち上がり、その音だけを目指して盲目的に進んだ。
 俺の存在にも他の全ての存在にも何の意味も無い。とっくの昔から気付いている。そんなことはB.C.時代から同じだとエレファントカシマシが言っていた。それでも俺には同じ事を言い続けるしかなかった。だからバンドをやったし、ちゃらついた人間関係も築いた。わざとちゃらついた言動や行動も繰り返してハピネスを気取った。何にも変わらなかった。期待はしていなかった。
 いよいよ音が近づいてきた。川原に出て視界が開けると、浮浪者がテナーサックスを吹き散らかしていた。その横で加羅がいびつなステップで不様に踊っていた。
 何か言葉をかけようとしたがふさわしい言葉が見つからなかった。
 俺はその場にへたりこんで、2つの生命が無意味に猛るのをじっと見つめていた。夜はまだ明けない。手の甲にぽつりと水滴が当たったが、別に意味は無い。それでも俺は時々出会う、美しく感動的な錯覚の中で、ライフをなんとかゴーズオンしていた。俺の肉体が呼吸を続けていた。
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コラム風なにか  学生の本分は学業です。ピース。

 喜納昌吉は泣きなさい、笑いなさい、なんて事を言って自然な存在としての人間を喜び、尊び、唄いましたが、時は流れ21世紀の今日。人々はセックスピストルズを通過し、パンクを獲得、やたらと逆行、反発をするようになり、泣きなさい笑いなさいだあ? 絶対やだ。などと嘯いて、ひたすらに無表情、泣きも笑いもしない。ああ。喜納昌吉が見たら泣くよ。などと大学の講義室で授業を受けながら僕は思いました。

 しかしまあ、学友達が皆能面の様な顔面になっているのも無理は無い。なんとなれば教授という偉い人の喋っている有難いお話が残念な事に、まるでつまらないのであり、まるで笑えないしまるで泣けない。実際、僕も気がつけば能面だったのである。そもそも初手から講義が面白いものであれば僕も周囲が能面だろうが知ったこっちゃ無い、講義そのものに夢中になれるのであり、つまらない時に能面になるのはむしろその方が自然な事なので、今我々は自然体。自然と能面。いいじゃん。よかったね。とはならない。

 確かに能面は自然かもしれないが、しかしそれでは喜納昌吉の唄の本義、心の花を咲かそうじゃん、という部分が達成されないのだ。かと言って、教授に暴力で訴えるなどして、馬鹿野郎、面白い事をしないと殺す、と脅迫すればいいかと言うとそうではなく、そんな行為はただの社会的な自殺に他ならない。そりゃ教授は泣くかもしれないし我々は笑うかもしれないけど、喜納昌吉が言ってるのはそういう事ではなくむしろ真逆の事である。

 負けてたまるか。自分は意地でも心の花を咲かす、と自分は教授をがんがんに凝視し、話をがんがんに聞いたのだけれども、どういう訳かやればやるほど思考は関係の無い方向にフライアウェイしていき、自分の表情は先にも増して能面化。ゆっくりとその瞳を閉じ、とうとう机の上にだらしなく崩れ落ちて気絶した。

 再び気が付いた時にはもう講義は終了していて、だだっ広い教室の中に自分は一人取り残されていた。廊下を通り過ぎる学生達が誰もいない教室で一人ぼんやりしている僕を覗き込んで怪訝な顔をしている。はっはっは、いけないいけない、寝過ごしてしまったよ、と自分は照れ笑いをした。その笑いは、わりと自然に笑えた様に僕は思ったよ。
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奥付

『フリーダムジャズダンス』

じをかいたひと
たろちん  
          ブログ おちんちんbelong http://tarochinko.blog92.fc2.com/
          ツイッター           http://twitter.com/tarochinko

えをかいたひと
たろかの  



はつばいしたひにち

          平成二十二年三月十四日

ぱぶーでこうかいしたひにち

          平成二十二年十一月三日


この本の内容は以上です。

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