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フリーダムジャズダンス

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フリーダムジャズダンス

 暗闇が暗くて騒音が騒がしくて頭痛が痛いです。なぜならここはライブハウスで若者がロック音楽を演奏していて照明がダークネスだから。ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんどがしゃかどがしゃか、と無闇に爆音を鳴らすばかりでバンドとしての一体感、一つのビートをまるで生み出せていない若い演奏者達はステージの上で頭をぶんぶん振って悦に入っている。トランスしている。十数名の聴衆も同様に頭をぶんぶん振ったり、ステージ上によじ登って観客のほうへ飛び込んだり、場内には十分な広さがあるというのに何故か無理矢理一所へと集中しようとしておしくらまんじゅうを開催したりしている。皆、一様にハイテンション。皆、一様にオレがオレが。自意識と自己顕示欲が本能的に丸出し状態で場内は動物園より酷い事になっていた。
 浅ましい。と自分は思った。人間が人間としてこの21世紀に至るまで進化、進展してこれたのは他でもない、高度な知的向上心や理性によるのである。それをば。彼等と来たら理性という概念から4万光年くらい離れた所に行ってしまっているじゃない。いいの? 君達はそれで? 大体だね、こういう素人のやるロック音楽なんてのは傍目のそれっぽさばかりで芯が無くて、ハートも無ければエンターテイメント性の欠片も無くだね、などと言ってぽつねんと隅っこの方で小さくなっていた自分は大変孤独。大変ローテンション。場の空気から完全に取り残されて大変惨め。その心、千々に乱れて心中は大変な事になっていた。
 自分は猛烈に居辛かった。だってお兄系のおにいさんやギャル達がわんさか集って皆トランス状態になって有頂天で馬鹿騒ぎをしている。そんな中、一人シニカルな僕。僕は、僕の言ってる事、そんなに間違ってないと思う。でも、日出づる国ジャポンは21世紀初頭現在民主主義、多数決の世界、皆が馬鹿騒ぎをしているこのライブハウスという閉塞された世界に置いてむっつりしている自分というのは完全なマイノリティであって完全な悪なのである。っていうかそんなむっつりしてんならライブハウスなんか来んなよ、っていう話なんだけど、自分だってこんなとこ来たくて来た訳じゃない。斉藤がどうしても来いっていうからしょうがなく来たのである。
 前のバンドが出番を終え、しばらくすると斉藤のバンドがもさもさステージ上に現れた。斉藤はエレキギターをギターアンプに接続し、出鱈目にギターアンプのツマミをいじくるとマイクを持ち、開口一番、裏声で絶叫した。
「ファック!」
 で、ギターがぎゃーと弾かれ、ドラムがフィルインし、また先ほどと同様のぎゃんぎゃんどがしゃかが開始された。全てが滅茶苦茶だった。ベーシストはコード進行を無視し、ドラムスは意味不明のタイミングでシンバルをぶっ叩き、斉藤はギター演奏を途中で放棄、なにかしらを否定的に述べているらしき言葉で歌を絶唱していたが、時たまマザーファッカーと言っている以外は何にも解らなかった。聴衆は相変わらず暴れまわっていた。自分は開始2秒の時点から演奏が終わるまで、ずっと人生の意味について考えていた。
 30分後、斉藤はセンキュー、と裏声で絶叫しながら観客に向けて中指を立て、舞台を去っていった。場内に充満するハイテンションの余熱で息が苦しい。しばらくすると後片付けを終えた斉藤が自分たち観客のいるホールに降りてきて、周りをきょろきょろ見渡し、自分の姿を見つけるとこっちにやってきて、聞いた。
「どう。俺らのライブ」
 どうもくそもない、滅茶苦茶だ、と思ったがそれを口に出す度胸があれば、そもそも斉藤が自分にライブを観に来てくれと言った時点ではっきりノーと言っていて、自分は今ここにはいない。それに学生時代の同級ではあるがそれほど親しい仲でも無い斉藤が数年振りに連絡をよこして自分をライブに招いたのは、自分がそれなりに音楽に明るいという事を斉藤が知っていたからであるから、自分は音楽に明るい者としての面目を保ったコメントをせねばならず、だからと言ってゴミ以下だ、などとはっきりした事を言って斉藤に厳しい現実を突きつけると大変気まずい事になって僕はそれは嫌だと思うからそれは出来ないのであって大変困る。
「うん、まああれだよね、エネルギッシュ、って言うかな。ティーンエイジャーの抱える鬱屈した怒りの感情を生のまま放出させたっていうか、世の中全てを嘲笑するようなパフォーマンスはセックスピストルズのアティチュードを彷彿とさせるっていうか、まあ、そういう感じっていうかそういう感じだったね。うん」
 困じ果てて言った口から出任せだったのだけれども、斉藤は意味解ってんのか解ってないのか知らないが、だよなーやっぱなー、などと言ってハイテンションでへらへらしている。驚くべき事に斉藤は自分の演奏を結構よかった、かなりいけてた、と思っているのである。自己を客観視するという能力が完全に欠落しているのだ。蓋し愚かであると言える。
「じゃあな」
 言って斉藤はさっさと仲間の輪の中へ戻っていきさっさと猿化した。残された自分。また先ほどの様に佇んでいると、加羅君、と自分の名を呼ぶ声があった。振り返ると見覚えのある顔。話した事は無いが確か同級の男子生徒である。
「加羅君も斉藤に呼ばれたんだ」
「あ、うん。ええと、君も?」
「そう。俺だけじゃなくて小林とか山本とかもいるよ」
 名の知らぬ彼の指差した方向を見ると、猿の輪の中に何人か見覚えのあるやはり名の知らぬ顔があった。おそらく彼等が小林とか山本とかなのだろう。斉藤が学校で親しくしていたメンバーである。
「マジ今日は一段とパネェかったね」
「あ、うん」
「ガチでいいバンドだよな、ホモサピエンスペニス。はっきり言って俺もルナシーとかラルクとかかなり音楽聴き込んでっけど、ホモペニくれぇハイなバンドはいなかったよ」
「あ、うん」
「この後皆でマジ打ち上げやっけど、加羅君もマジ来るっしょ?」
「あ、うん」
 心を空洞にして返事をしていると、極めてややこしき会合に巻き込まれる選択をしてしまっていた。慌てて自分のミステイクを弁解しようとしたが、すぐさまトリップしたギャルやおにいさんの集団が肩を組んでキイキイ言いながら突進してきて、自分は成す術なく大衆居酒屋へと押しやられてしまったのである。キイ。

  ◆

 街頭の下、ぐだぐだになって地べたに平伏している自分。これは別に自分がホームを失った人であるのでは無くて、急激にアルコールを摂取したためその血中濃度が上がり泥酔、酩酊し、肉体が少々不自由な事になってしまっているだけなので全然問題無い。て訳は無く問題は大有りで、もしこのまま往来に突っ伏していた場合、凶悪かつ無軌道なティーンエイジャー、体中にピアスを突き刺しまくったようなのが現れて自分を発見。自分が身動き取れないと解るや否や、加虐に喜びを見出す邪心を全開にして自分に折檻の限りを尽くし、最終的には金品強奪、身包みを剥がされて自分が野垂れ死ぬ事は明白である。自分はただちに起き上がり速やかにゴーホームする必要がある。しかしながら身体は意思に反してぴくりとも動かず、自分は無策にコンクリートの上にうつ伏せで転がる生命無き物体であった。頬にひんやりした地面の感触を感じながら自分は、捨て鉢になって酒なんか飲むんじゃなかったな、と後悔していた。
 行きがかり上、総勢30人の大宴会に参加することになったものの、それは事実上のクラス会状態で、学生時代から友人のいない自分は居場所がない。唯一、自分がギターをやっていたのをきっかけに、幾度か言葉を交わした事のある斉藤は飲み会に参加していなかった。周囲の会話を聞くところによるとライブの後だけは何故か必ず一人で早々と帰宅してしまうらしい。しかたなく隅で黙して酒ばかり飲んでいると、それを見つけた一人が調子をこいて自分に一気飲みのコールをかけ始めた。なんでも面白くなっている猿軍団一行はたちまち怒号のような「なーんで持ってんの」を歌いだし、気弱な自分は全員の白い目線を浴びるのが恐ろしく、しぶしぶ残りのビールを飲み干して曖昧な笑顔を浮かべた。すると猿軍団は「ごちそうさまがー聞こえないー」などとのたまい、関取が使うようなラーメンどんぶりに日本酒をなみなみそそいで自分に手渡した。そうした事を数度繰り返した自分は盛大にマーライオンをやらかし、逆ギレした猿の手によって道ばたに捨てられた。自分はなんとか家に帰ろうとしたが、数歩歩いたところで気絶して、今ようやくウェイクアップに至った次第である。
 幸か不幸かへたばったのは人通りの極端に少ない路地の裏。立ち上がりたいが金縛りにあったように体が動かない。はは、しょうがない。寝よ。と、自分が全てを諦めた瞬間、突然肩をがっと掴まれて自分は無理矢理に引き起こされた。
 終わった。愉快な事、痛快な事とはあまり縁が無く、寂寥の中で陰気に続けられてきた自分の二十年ちょっとの一生が今、その幕を閉じようとしていた。アディオス、俺、と自分は自分に決別し、顔面や腹部を殴打され絶命するのを待った。
 1分後。そろそろ死んだかな、と思って自分が重い瞼を開くと、小汚い服装、伸びきった髭、日焼けして浅黒い肌という大変残念な風貌のおっさんが自分の事をじっと凝視していた。それはまさにモノホンのホームを失った人であり、モノホンの闇に隠れて生きる浮浪者の方であった。自分とおっさんはしばしの間、熱っぽく見つめ合っていた。2人の間に言葉はいらない。訳ない。おっさんが言った。
「生きてる?」
 自分はちょっと逡巡したがおっさんの掴んだ我が肩に現実の感じ、生きている感じがあったので一応まだ死んでないのかなと思った。
「わかんないけど、多分」
「歩ける?」
「無理だと思う」
 おっさんは、しょうがないな、と呟くと意外にも力強い調子で自分をおぶっててくてく歩き出した。密着したおっさんの体からがんがんに放たれる野生的な体臭で余計頭ががんがんした。自分がどこに行くの、と訊ねるとおっさんは俺の家だよ、と言った。おそらく橋の下の川原だな、と自分は思った。それ以降はもう思考が働かなくなって、自分は小汚いおっさんにしがみつくようにして死んだ様に眠ったのであった。

  ◆

 どさっと地面に落とされ、おっさんのついたよ、という声がした。目を開けるとそこは暗闇。自分の眼前に水が流れている。案の定、橋の下の川原であった。
 前方に川。後方に雑草やなんだかよく解らない花の群生する川原。その川原の草花の中にぽつんとおっさんの家があった。家と言ってもお定まりのダンボールとビニールシートを適当に貼り合わせただけのシンプル極まりないお宅であり、果て無き向上を続ける21世紀の住宅事情に真っ向から反抗していた。おっさんのお家には無駄が無い。なぜなら金が無いからだ。はは。涙。
 自分はやるせない気持ちで、だらだらと流れる川面をじっと見つめていた。
「ほれ、飲みな」
 家から出てきたおっさんが自分に何かを手渡した。ワンカップ大関だった。
「飲まないよ」
「あ、いやいや、コップ代わりに使ってるだけで中身は水だから」
「あ、いやいや、そうでしたか。ありがとう」
 切ないくらい常温で切ないくらい不味いその水を一息に飲み干してから、どこで調達した水なんだろうと思った。
「何があったか知らないけどさあ」
「はあ」
「若いんだからあんまり訳わかんなくなるような飲み方はしないほうがいいよ」
「はあ」
 満天の星空。虫の鳴き声響く川原の草の上、自分はホームレスに小言を言われていた。哀愁漂う枯れた家無しじじいの声はしかししっかりとした威厳ある大人のそれで、妙な温かさがあり、自分は少々当惑した。
「水、まだ飲む?」
「もういいっす」
 おっさんは、そうか、と言って手をこちらに差し出した。自分は空になったワンカップ大関の空き瓶をおっさんに手渡した。おっさんの硬くてばりばりの手が少しだけ触れた。
 おっさんは、日中、駅のゴミ箱などに捨てられている雑誌を拾い、それを道端で売って生活しているのだと言った。会社には随分長い事勤めたが3年前、例によってばっちりリストラされ、同時に今の生活が始まった。もう再就職をする気は初めから無かったのだそうだ。
「家族は?」
「いたよ。女房と娘が一人。借りてた家を出る最後の日に離婚の手続きをして、それ以来会ってない」
「そう」
「別に喧嘩別れした訳じゃないし、俺は今でも結構愛してるんだけどな。これくらいじじいになると愛だけじゃどうにもならん事が沢山あるんだよなあ」
 おっさんはあっけらかんと言って笑った。それは曇りの無いなんとも澄んだ笑い声で、それがかえって切なげだと自分は思った。
 自分とおっさんはしばらく黙って川原に座っていた。自分は数少ないまだ明かりの点いている家々の窓を眺めて、あの一つ一つに人がいて生活があるのだな、なんて歌があったっけな、などとぼんやり考えていた。と、唐突におっさんが言った。
「ところでさ、兄さんはやっぱジャズなんて興味無いのかな」
「え? なんで?」
 自分がぽかんとしていると、おっさんは照れた様なからかっている様な曖昧な笑みを浮かべながら自身のダンボールハウスに引っ込んでいった。しばらくして戻ってきたおっさんの手には随分と年季の入った一本のテナーサックスが抱えられていた。
「他の物は皆売っちまったけどこれだけは捨てられなくてね」
 言っておっさんはテナーサックスを吹いた。おっさんの体が一定の姿勢に固定されると同時に音が鳴った。なんとも綺麗な音のロングトーンだった。
「ジャズって音楽はさ、アドリブによって成り立ってるんだよ。アドリブにもちゃんと理論はあって、めちゃくちゃにやっていいって事じゃないぜ。けどもっと自由なものだ。もっともっと自由なものだと思うんだよ」
 おっさんはじっと自分の手を見つめていた。真夜中の川原に浮浪者ルックで佇むサックス吹きの男。そこには隠し切れない孤独があったが、生々しい生命力もまた感じた。
「おじさん、今って生きてて楽しいっすか?」
 言ってから失礼な事を聞いたと後悔したが、おっさんは他人事のように笑った。
「知るかよ」
 そうして闇夜に響き渡るおっさんの長い長いフリーソロが始まったのだ。おっさんのサックスは感情でもなければメッセージでもない。社会的敗北者のただひたすらに懸命で一途な魂のブロウであった。優しく、力強い、おっさんの存在そのものなのであった。おっさんは今、確かにこの場所に存在している。最高だと思うよ。僕は。
 自分は立ち上がり、おっさんのビートに乗って踊った。それは完全アドリブの自作自演。フリーダムの舞いを舞いに舞ったのである。

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