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目次

MUGA 第16号

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

 

『季節の詩』     rita

 

・短編小説

 

「例外者たちの宴4」 超人K

那智タケシ

 

 

◇エッセイ

 

連続エッセイ ぐるごっこ 

 

高橋ヒロヤス

 

第一回

 

◇評論

 

書評:余った傘はありません [単行本] 幻冬舎 (2012/7/19)  鳥居 みゆき (著)

 

高橋ヒロヤス


季節の詩     rita

   【・キノコ・】

 

山の暮らしというものは

こんなふうに朽ち葉をかぶって

生きていくものかな

 

自然の鼓動に我が身を委ねて

何の疑いも未練も持たず

老いてゆくまま朽ちていく

 

ぼろぼろキノコ

 

木漏れ日を浴びて喜んでいる

生命を受けた喜びをかみしめている

 

凛としてかっこいい

 

何が起ころうと動じない佇まい

人間の心ない指にも恐れず

運命をあまねく受け入れた

太い太い肝っ玉が

朽ち葉の間を突き出でる

 

ちょこんとくっついているようで

ドーンと生きている

山の小さな住人のなんと大きな姿だろう

 

不透明な1秒先なら

この1秒は透きとおる

冷気のように体を突き刺して止まない1秒毎に

気後れしながらぼくは山道を進んでいった

 

 

  【・薄・】

 

誰も気に留めない風にさえ

体は終始揺れ動いている

薄の心は震えている

 

駿馬のたてがみに似た金色の

なんと繊細なことでしょう

 

覗きこむように耳を澄ませるように

風が運んできて次々と押し寄せる1秒の

過ぎ行く美しさにそっと触れているの

 

行き先をたどってみると

すぐにはぐらかされてしまう

風の気まぐれには

うそ寒さを感じる季節となったみたいだけど

 

どんなに風が吹いているか

身を横たえて表現していることもあるよ

献身的に破滅的に

戻ってこない1秒を見送るひまもないほどに

 

 

  【・紅葉・】

 

あの娘はあんなにきれいなの

その娘もどの娘もきれいなの

 

ちまたの木々の装いは

錦の晴れ着に金のかんざし

みんな笑顔で袖を振っている

 

夏の太陽の灼熱と光束の

日々を過ごしたかつての友垣

 

紅葉の美しい彩色で

ねぎらいやもてなしを受けているような

晩秋の道をゆくと

 

日射しを雨粒を

過酷に降り注ぐ一切を謳歌した

証しとして唐紅に称えられている

彼女たちの姿が眩しかった

 

この娘に触れてこの手に落ちる

命の限り輝いた赤い着物は穴だらけ

 

そこから見える景色に

止まってしまった1秒のその先に

己の姿を省みるよ

 

ぼくが今終わったとしても

こんなにらんらんとならないでしょう

闇を潤ませることさえできないの

 

次に訪れる季節に怯える胸へ

凍えることを味わい尽くしてと

永遠の1秒が穴からぼくに囁いていた


例外者たちの宴4  那智タケシ

短編小説

 

 例外者たちの宴4                 那智タケシ

 

  超人K

 

 私がK君と遊んでいたのは、もう7、8年前のことになるだろうか。我々は無職の雀ゴロ(麻雀だけで暮らす人でなし)で、昼間っからいつもフリー雀荘に入り浸り、二人で打ち合っていたものだ。もちろん、お互いにつぶし合いは避けて、獲れるところからとっていたわけだが。

 

 当時のK君と私の境遇は、瓜二つと言ってよいほどのものだった。いや、外見から経歴、性格、容姿と何から何まで対照的なほどに違っていたのだが、世界観や、麻雀に対する心構えに対しては、他人とは思えないほど酷似していたのである。同じフリー雀荘で、自分と似たような人間と出会うとは思っていなかったので、私は彼に奇妙なシンパシーを感じていたし、向こうも同じだったと思う。もちろん、人として気が合うか合わないかといえば、それはまた別の問題で、お互いに敬意を持って接していたものの、学校で同じクラスにいたら友達にならないタイプだったろう。それでも、ある本質的な一点において、私と彼は同志であり、ライバルでもあったのだ。

 

 K君は180センチを超える長身で、ブルーカラー特有のいかつい体をしており、実際、麻雀で生活するだけではなく、日雇いで建築現場のアルバイトもしていた。水商売風の女性と付き合っていたので(時々、雀荘に顔を出した)、ひものようなものだったのかもしれないが、そのあたりはよくわからない。

 年齢は私と同じく30を出たばかりだったが、えらの張った面長の顔に小さい意志の強そうな目、口髭を生やした彼の容姿は、初対面の人間にとっては威圧感さえ覚えるものだっただろう。声は大きく、しゃべり方ははっきりしていて、動作も力に満ちみちた男らしいものだった。一方、私はといえば170ンチで痩せぎすの文学青年崩れで、軟弱にへらへら笑っているようなタイプだったから、同じ雀ゴロとはいえ好対照のタイプだったと言えるだろう。

 

 雀風は見た目どおり、K君が〝剛〟なら私は〝柔〟であった。彼はとにかく力強い麻雀を打ったが、私はスピードと動きの麻雀だった。結果的にどちらが強いかといえば、それは私の方だった。K君も私の麻雀は買っていて、「真似できない」といつも言っていたが、私も彼の汚さのない、正直な麻雀が好きであった。

 

 何から何まで対照的な二人が意気投合したのは、お互いに「瞑想」に取り組んでいることが判明したからであった。K君は、何でも、中国からやってきたという気功の先生と知り合いらしく、気のパワーを手に入れるために瞑想をしたり、独特な呼吸法を実践したり、立禅に取り組んだり、様々な修行をしていた。これは彼とたまたま飲みに行って、気を許した時に聞いた話で、普段はこういう話はしない。

 

 フリー雀荘というのは特殊な場所である。社長から学生、サラリーマン、チンピラ、金貸し、無職者から前科者、ありとあらゆる人種が同じ卓につき、初対面でも金を賭けあう。多少、親しくなってもお互いの仕事や身の上を話し合ったり、質問したりすることはまずない。わけありの人間もいるし、偽名を使っている者もいる。たとえ仕事がうまくいっていようが、美人の彼女ができようが、それを自慢することは〝粋〟ではないとされるのだ。

 

 雀荘で評価されるのは麻雀の打ち方と結果のみであり、それ以上のものではない。さらにいうならば、その場を楽しむキャラクターが評価されるだけで、雀荘の外にある価値は何一つ査定に値しない。しかし、だからこそ世間のありとあらゆる肩書きや、財力、地位、名誉が剥ぎ取られ、対等な人間同士の力勝負の場となる。そこにある種の人は自由と魅力を感じてやってくるのであるが、現代のネット社会では、生きた人間同士の勝負の場は、野暮とされる風潮があるらしく、何だか味気ないものだとつくづく思う。もちろん、ここでそんなありきたりの社会批判がしたいわけではない。

 

 二人が初めて意気投合したのは、とある晩秋の夜のことである。K君と私は、雀荘の裏にある飲み屋でこんな会話を交わしていた。

 

「やっぱり、メンタルがすべてだよね」と私は言った。「メンタルがだめな時は勝てないもん。技術じゃないよね、麻雀」

「N君、いつも勝ってるじゃん」とK君は笑って言った。

「それはね、メンタルの状態が良い時を選んで来ているからなんだよ。だめな時は来ないようにしてる」

「だめな時、何してるの?」

「散歩に行ったり、本を読んだり、瞑想したりしてる」

「瞑想?」

「そう、まじ座禅組んでる」私は笑った。「いっちゃってるでしょ? でも、そんくらいやらないと勝ち続けるのは難しいよ」

「おかしくはないよ」とK君は真面目な顔つきになって言った。ここから、K君が前述したような自分の修行遍歴を語りだしたのである。数年に亘るインドの一人旅や、様々なグルや新興宗教との関係等々…

「おれはね、超人になりたいんだ」とK君は告白するように言った。

「超人?」

「そう、一つの原理を身に着けることで、すべてを乗り越えることができるような存在になりたい。先生はそれに近いかもしれないけどね、おれはそれ以上を目指してる」

「一つの原理って?」

「この世界のすべてに通ずる生きた原理だよ。その原理を理解して、この肉体に宿すことができれば、人はみな超人になる。超人になることで、人は、すべての苦しみがなくなるんだ。自分のものだけではなく、他人の苦しみさえなくすことができるだろう」

「ああ、その感覚はすごいわかるよ」と私がさらりと言うと、K君は驚いたようにこちらを見た。

 

 実は、私もまったく似たようなことを考えていたのである。いや、考えていたというよりも、そうならなければ自分は生きていくことはできないと考えていたのだ。

 

 当時の私にとって麻雀と人間関係と芸術の完成は、同じ価値を持つものであった。どれも絶対的な答えがない、不可解な世界だからこそ、その不可解さを乗り越えるたった一つの真実、超越的原理のようなものがあるはずだと思っていた。自分が生きていくためには、その三つの不可解さをつなぎ、乗り越えるたった一つの原理が必要だった。その絶対的原理を感得するために、あのような放蕩生活に身を落とさなくてはならなかったのである。なぜなら、その原理なくして、ある種の人間は決して満たされることがないからである。そして私はある種の不幸な人間であり、真実を求めてさ迷うサニャーシであった。人並みの生活を楽しむためには、何か絶対的なピースが欠けていた。

 

 K君との違いは何かといえば、私は決して他者の内に真実を求めたことがなく、目立たぬように、常に独りで作業を続けていたことである。だから、誰も私をそのような求道者タイプの人間とは見ていなかったし、私自身もそのような人間に見られることを極力避けていた。軽薄な遊び人と見られる方が気楽だったし、性に合っていた。しかし、K君のような人物との会話はスリリングで楽しくもあった。私自身、孤独であることに倦いていたのかもしれない。むろんのこと、彼と知り合ったからと言って、私の中で何かが進むわけでもなかった。やはり、私は一人でいたかった。

 

 一度、K君の師匠にあたる気功の先生の下に連れて行かれたことがある。その先生は呼吸法を重視していたが、ぜんそく持ちの私にとって、呼吸をベースにした修行法は最初から論外だった。これはルサンチマンだったかもしれないが、私のようなハンディのある人間がその中に入れない方法というのは、不完全だと感じていた。呼吸法ができない私は、ここでは劣等生にすぎないだろう。何かが間違っているように感じていた。

 

 私には「見る」ことしかできなかった。他には何の武器もなかった。自分の暗闇を鷲掴みにして、直接的に見る。ただそれだけだった。そしてまなざしを上げれば光がある。ただそれだけだった。

 

 私たちの蜜月は半年ばかりで終わった。きっかけは、M田という闇金業者の社長であった。当時、M田はフリー雀荘の常連で、我々にも小金を貸したり、馬券の飲み屋をしたりしていた。私自身、手持ちの金がない時にM田から1万円だけ借りたことがあるが、特別に一ヶ月間無利子にしてもらったのを覚えている。銀縁眼鏡に目立たぬ顔、ひょろりとした体躯の彼は、一見、真面目なサラリーマンに見えたが、やっていることは相当に悪徳だと評判であった。闇金のM田ということで、あだ名は「M金(Mキン)」と呼ばれていた。ちなみに、M金の前歯はすべて差し歯ということであったが、これは殴られても金を渡さなかったからだと本人が自慢げに語っていた。もちろん、本当かどうかはわからない。

 

 私は別段、この男と仲が悪くなった。M金と、彼の中国人の愛人と三人で中山競馬場に行き、馬券を買うのを楽しんだことさえある。実を言えば、M金に競馬を教えたのは私であった。彼がすぐに飲み屋を始めるとは思いもしなかったのだ。

 

 飲み屋というのは、他人から頼まれた馬券を飲んでしまう(買わない)ことで、儲けるというふざけた商売である。頼む方は一割バック(1万円頼むと1000円返って来る)になるし、わざわざ買いに行かずにすむので、違法行為と知りながら、ついつい彼に頼んでしまう。私はM金と共に競馬場に行く度に、「この馬券来ると思う?」と聞かれ、「来ないと思うけど、万が一があるからやばいでしょ」などとアドバイスしたりしていた。しかし、彼の元で働くつもりはなかったし、こんなやつと本当につるんだら終わりだと思っていた。

 

 ところがある日、K君がM金のもとで働き出したとの噂を聞いた。実際、馬券を頼むためにいつもの携帯にかけるとK君が出た。経済的な理由もあるだろうから、私は追及もしなかったが、K君はどこかばつが悪そうにしていた。「いずれ、独立するつもりだから」などと夢を語ったりしていたが、そんな甘いものじゃないだろ、と思っていた。

 

 ほどなく、M金が私に声をかけてきた。雀荘の近くの喫茶店に行き、自分のもとで働かないか、と誘ってくる。電話一本でこれだけ儲かるよ、と言い、背広の内ポケットから、100万円の束をちらりと見せたりした。

 

「でも、取立てとか自分はできないですから」と私は断った。

「いろんな仕事があるんだよ」とM金は言った。「Kにやらしているようなのとは違ってね、仕事にはブレインが必要だから。君には月四十万出すよ」

 

 正直、心が揺れた。当時、競馬で負けが込んでいた私は、金欠に陥っていたのである。金がなくなると、人はどんなことでもするものだ。K君もきっとそうだったのだろう。しかし、M金のもとで働いていた人間がどんな末路を辿っていたか噂に聞いていたし(何か問題がある度に下っ端が切られ、刑務所に入っていた)、その頃、私は就職活動も始めていたので、答えは保留した。その晩、先日面接を受けた編集プロダクションから採用の連絡があったので、私はM金に断りの連絡を入れた。安月給でも、堅気の道に戻れということなのだろう。これは運命だと思った。

 

 それからしばらくしたある日、私は馬券を頼むためにK君に電話をかけた。しかし、何度かけても電話はつながらない。締め切り時刻寸前になっても電話に出ない彼に私は怒りさえ覚えたが、しばらくして、K君が警察に捕まったという話を耳にした。債務整理の土地の利権がらみで恫喝を繰り返していたM金が、現場で働かせていたK君にすべての責任を被せたのだ。ほどなく、M金は雀荘に出入りしなくなり、K君は刑務所に入ったという話を聞いた。

 

 K君が捕まる少し前のことである。私のアパートの近所に住んでいた彼が、彼女と歩いている姿を見たことがある。二人はしっかりと手を握り合い、お互いを絶対的に信頼した者同士の確かな足取りで歩いていた。単なる水商売の女とひもという関係ではなく、もっと確かな、魂で結ばれた者同士の関係がそこにはあった。K君が刑務所に入ったという話を聞いた時、あの彼女はどうしているんだろうな、と私はすぐに思った。

 

 当時、私は、手を握り合う女性は誰もいなかった。友人も、師匠も、仲間も、理解者も、共に歩く者は誰一人としていなかった。独りで、緑多き小道を歩くのが好きだった。緑のフィルターを通して濃縮され、とめどなく溢れ出てくるダイヤモンドのような光に目を細めながら、K君と私と、どちらが先に真実に辿り着くのかな、などと思っていた。もしかすると、インドに行ったり、様々なグルの下で特殊な修行をしている彼よりも、自分の方が真実に近いのかな、などと感じていた。

 

 降り注ぐ光の中に真実があり、本物の輝きがあった。そして光は、それ以上でも、それ以下でもなく、ただ光であり、真実そのものであった。人間の観念や言葉など入り込む余地がないほどに純粋で、だからこそ我々の中に物言わずに浸透し、時に、絶望せし人を優しく包み込んでくれる、愛の顕現そのものであった。


連続エッセイ ぐるごっこ 

連続エッセイ ぐるごっこ 

 

高橋ヒロヤス

 

第一回

 

~ ~ ~

 

「俺はいったい何をやっているのだろう。」

多感な10代の頃、人生の意味とか神の存在とかについて悩んだ。既存の宗教や哲学には答えを見いだせなかった。

 

あるとき、「自分というものがなくなる体験」をした。目の前が開けたような清々しい気分になった。精神世界の本を読み漁り、ブログを作って、その体験から得た「洞察」を毎日記事に書いた。読者がだんだん増えてきた。

 

そのうち、セミナーを始めようと考えた。スピリチュアル雑誌に広告を出した。見栄えのいいものにするために結構なお金を使った。

 

事務局も作った(知り合いに頼んで電話番になってもらっただけだが)。

 

第一回のセミナーには予想していたよりも人が集まった。俺自身の覚醒体験に基づいて、いまこの瞬間に生きることが大切、という話をする。

 

やがてセミナーに来たある人物から連絡があり、会社を作ろうともちかけられた。

講演だけでは物足りないという声に応えて、一対一の面談方式を取り入れる。

料金は・・・・・・」

 

と、ここまでメモを作ったところで、馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

「グルごっこ」という題名を思いついたので、スピリチュアル業界の実情を曝露するような短編小説でも書いてみようかと思い、創作メモを書き始めたのだが、考えてみればそんなに業界の実情を知っているわけでもない。小説を書き上げるだけの文才もない。

そこで小説は断念することにした。でも何か言いたい気持ちは残る。

 

~ ~ ~

僕は、いわゆる「霊能者」とか「霊的教師」と呼ばれる人と付き合ったことがけっこうある。その中には、よくテレビに出てくる著名人もいるし、知る人ぞ知る存在で一部では熱心に信奉されている人もいる。

 

暴露本は決して趣味ではないが、僕が知りえたかぎり、彼らは例外なくごく普通の悩みを抱えたごく普通の人間でしかなかった。

 

日本にもかつては少なくとも部分的には本物と呼ぶに値する人もいたようだ。それに匹敵するくらいの人が今の日本にいたら、会ってみたいとは思う。

 

しかし、中途半端なレベルの「霊能者」、まして「教師」や「グル」と名乗る存在など、百害あって一利なしである。

 

~ ~ ~

僕が大学の頃、日本人を教祖とする別々の二つの新興宗教教団が、多くの若い信者を獲得して、大手を振ってキャンパスを練り歩いていた。僕はこれらの団体を唾棄すべきものとして忌み嫌っていた。一方は当時盛んに選挙活動などしていた頃で、その奇妙な振る舞いが世間で話題となっていたが、なぜか彼らを評価するインテリ層がいて、大学の教師までもが教祖のAに興味を持って図書館に本を入れたり学園祭にAを呼んだりしていた。僕の大学のサークルの1年上の先輩がそこの「官房長官」で実質的なトップと言われている男と高校の同級生だったので、教祖に付き添って学園祭にやって来た彼を囲んで何時間も議論したことがあった。僕は彼らの掲げる出家主義(悟りを開くために俗世を離れて出家者で集団修行生活を送るという思想)にどうしても納得がいかず、人間の欲望(食欲、性欲、睡眠欲など)を修行によって次々に克服していったと語る彼の話を懐疑的に聞いていた。基本的に彼の主張には賛成できなかったが、不思議と彼からは真面目さというかある種の誠実さが伝わって来た。それだけにA教祖のような明らかに偽物としか思えない俗物に全てを委ねて盲目的に追従する彼をとても哀れに思った。その時点ではその後教団があそこまで暴走するとは思っていなかった。彼はあの事件で逮捕され、教団のすべてを知る首謀者と考えられていたが、なぜか比較的すぐに釈放されて今もどこかにいる。

 

一方の教団は、有名な作家や芸能人が信者になったりしてマスコミでも話題になっていたが、僕の知る限り、その信徒はまったく鼻もちならない歪んだエリート主義に毒されているように思われた。彼らは、大学の授業の前に、堂々と講壇に上ってきて、「来るべきO先生の講演会」について声高に告知するのだった。彼らがキャンパスの中で配布するパンフレットに「自利即他利」と大書されているのを知った時、その正体が見えた気がした。「他利即自利」ならまだよい。「自己の利益は即ち他の利益である」とは何たることか。霊性の名のもとにエゴの欲望を正当化するくらいなら、ベンチャー企業の社長の方がまだ誠実だ。まあ起業家の中にもスピリチュアルに入れ込んで社員を営利への奉仕へと洗脳するろくでもない連中はいるが、それを教義にして宗教化することは悪の所業に感じられた。やはりその当時流行っていた「チャネリング」で、銀河系のどこかの星の宇宙人が「自分がワクワクすることが正しい」というお告げを語っていると聞いた時も同じ匂いを感じた。

 

スピリチュアル・カウンセラーとして多数のテレビに出演し、大量の著書も出している某氏が今ほど有名になる前に何度か会ったことがある。それも別の霊能者を介しての出会いだったが、彼はその霊能者と後にケンカ別れし、互いにサイキック攻撃のようなことをし合っていたらしい。その霊能者によれば突然物が壊れたり金縛りにあったり車がぶつかってきたりしたのがそうだというのだが、僕にはよく分からない。個人的に彼からはとても繊細で感情の振れ幅の大きな人物という印象を受けた。当時マスコミに注目され始めていたことについて「連中は第二の○○を探しているだけだ」「用済みになれば使い捨てにされるだけだ」とニヒルに語っていた。まさかそのすぐ後にあんなにメディアの寵児になるとは思わなかった。いまだに「使い捨て」にはされていないことを見ると、よほど上手くやっているのだろうが、一時ほどの勢いはない。

 

~ ~ ~

新興宗教やスピリチュアル・カウンセラーが廃れた今、時代はだんだん「悟り系」に流れて来ている。2012年が終わるまでが最大の書き入れ時である「アセンション」騒ぎが一段落したら、「悟り」をビジネスにする人はこれからどんどん増えてくるだろう。

すでに欧米には「悟ったマスター」が何十人もいて、定期的に、ときには集団でセミナーを開いているらしい。

 

こういうものは「霊的進化」でもなんでもない、ただの人間精神の幼児化・退行化現象にすぎず、無我表現とは対極に位置するものだ、という感性を持つ人々が増え、発言力を持たない限り、「ぐるごっこ」を演じる人はこれからも後を絶たないだろう。

 

つづく


書評:余った傘はありません  鳥居みゆき

◇評論 

 

書評:余った傘はありません [単行本] 幻冬舎 (2012/7/19)  鳥居 みゆき (著)

 

高橋ヒロヤス

 

鳥居みゆきについてはいつか書かねばと思っていた。というのも、僕がこのメルマガに関わるようになったのは鳥居みゆきの存在を抜きにしては語れないからだ。

 

僕は、突発的に特定の芸能人(最近ではAKB48など)に夢中になる傾向があり、ブログを作ってその時々の思いのたけを綴った雑文を書き散らしていた(今でもそれは続いている)。2008年から2009年にかけては鳥居みゆきを「発見」して夢中になり、毎日のようにブログに鳥居みゆきについての記事を書いていた。たとえばこんな感じだ(鳥居みゆきがインターネット動画をきっかけに騒がれ出した頃に書いたもの)。

 

(以下転載開始)

 

鳥居みゆきという女芸人がいる。元々はアングラのカルト芸人だったが、ここ数年はお茶の間にもずいぶん露出するようになってきて、そこそこの知名度はあると思う。

 

で、得た結論は、この子はちょっとすごいな、というもの。

 

この子は特殊なキャラを作らなくても十分やっていける才能があると思う。まずルックスが抜群。狂気を秘めたミステリアスな美貌は人を引き付ける。

 

それから頭の回転が半端じゃない。語彙が豊富で、発想の飛び方などセンスも良い。「戸塚ヨットスクール」とか「アイドル御三家」とかほんとに20代か?というような言葉のチョイスもユニーク。

 

芸人とのフリートークをみると、タイミングの取り方など絶妙だ。ただ、相手がついて来れなくて空回りしている部分がある。

 

「短所は?」と聞かれて「私タン塩は食えないんです」とこんな調子でボケまくるのだが、相手がついていけず拾ってもらえないことが多く、消化不良気味だった。

 

ピンでいるのは、彼女についてこれるレベルの相方が見つからないからではないか。爆笑問題の田中のようなフォロー役と組んでやることができれば、女版太田光になれるくらいのポテンシャルはあるとみた。

 

「父親の故郷秋田県で生まれ、埼玉県行田市で育つ。両親はファッション関係の仕事。

友達もいなくて、いじめられっ子だった小学校5年生の時、特殊学級に入れられる。そのクラスでもしゃべってくれる人がおらず、一人でぶつぶつ言って、官能小説を書いていた。

 

中学2年のとき、コンビニの裏でぼんやりしていたら、浪人生に声をかけられ、そのまま初体験。それ以来、男を恋愛対象として見ることができず、少なくとも22歳まで彼氏はおらず、初恋もなかった。

 

高校在学中に、簿記、工業簿記、珠算の資格を取る。福祉関係の仕事に進もうかと思ったが、昭和のいるこいるの漫才に感銘を受け、お笑いの道に進もうと決める。書きためていたノートの発表の場を求めて、1年間劇団に通う。

 

精神安定剤セパゾンをはじめ4種類の薬を常用し、心の静寂を保っている。

「対人恐怖症、アンテナ過敏症。人の目が気になって、被害妄想になるんです」

 

お笑いデビュー後も、ストレスからリストカットを繰り返す日々もあった。

 

「笑ってなんだよって悩むんです。人間が嫌いなのに人間を笑わすって、いいのかよ。媚び売ってるのかって」

 

「声出して笑う笑って好きじゃないんです。そこで笑ってくれなくていい。」

 

「無になりたい。魂と鳥居みゆきが一致してない感じなんですよ。富士の樹海、ちょっといってみたい気もするんですよ」

 

こういう壮絶な話を聞いても、なお彼女の芸には爆笑せずにはおれない。間断なく発せられる捻りの効いたギャグやナンセンスな駄洒落、自虐や嘲笑を織り交ぜた暴走トークには、レッドゾーンを軽々と振り切る痛快さがある。

 

しかし同時に、本当に笑っていいのだろうかという背徳感のようなものも時折感じさせる。こんな感覚を与えてくれる人には初めて遭遇した。

 

中島みゆきの深夜ラジオと絶好調時の松本人志の不条理コントを同時に視聴しているような感覚だ。しかもとびきりの美女ときている。

 

ジョン・ランドーというアメリカのロック評論家は、ある若いミュージシャンのライブを目撃したあと、「僕はロックンロールの未来を見た。その名前はブルース・スプリングスティーンという」という有名なコラムを書いたが、同様の言葉を鳥居みゆきに捧げたいと思う。

 

小3のときにクリシュナムルティの本を読んで影響を受けたそうだ。

 

(転載終わり)

 

そんなある日、新宿の本屋で『悟り系で行こう』という妙な本に出会う。表紙が鳥居みゆきのイラストでかなりぶっとんでおり、中身もクリシュナムルティと鳥居みゆきを「悟り系」として並列に論じるとんでもないものだった。

 

にもかかわらず著者の主張は基本的に非常に硬派で、その本の中身に感心した僕は、著者の那智タケシ氏に、彼のブログにコメントするという形で連絡を取り、実際に会うことになったのだが、彼が上記の私のブログを読んでいたということが分かりさらに驚愕した。せいぜい読者数が日に数十名の、素人の乱暴な感想を書き散らしただけの文章を読んでくれていただけでなく、これから発刊するメールマガジンに原稿を書いてほしいとの申し出まで受けたことから、今に至るという次第。

 

僕自身の鳥居熱(鳥居ンフルエンザ)の症状はすでに終わっており、とりたてて彼女の動きをチェックすることもなくなっていたのだが、今回、彼女が初の長編小説を出版するとあって、久しぶりに鳥居みゆきについて書こうと決意した。

 

というわけでやっと本題である新刊の書評に入る。ネタバレを避けるために、内容については極力触れないで行こうと思う。

 

ところでいきなり脱線すると、これを読む前になんとなく気づいていたのだが、鳥居みゆきは実は「お笑い芸人」には向いていないんじゃないだろうか。

 

彼女の本来の才能が発揮されるのは文学の分野ではないか。

 

今更こんなことを言うのもなんだが、正直、僕は鳥居みゆきの芸を見て「笑った」ことはない。特に地上波のテレビ番組に出るようになってからは、いつもハラハラしながら見ていたし、痛々しさを感じることの方が多かった。

 

彼女の存在は、テレビという虚飾に満ちた明るい舞台の中ではあまりにも異物感がありすぎた。

 

インターネット放送などで彼女のネタやトークを見ると、笑うというより感心した。彼女はダジャレやなぞかけやしりとりのような言葉遊びを好み、一人コントのネタの中でも多用する。それを見聞きするたびに、へえ、すごいな、そんな発想するんだ、という驚きの方が笑いに優っていた。

 

発想の突飛さという点ではダウンタウンの松本や爆笑問題の太田に通じるものがあるのだが、鳥居みゆきの場合はなぜか笑いよりも感心や驚きが先に立ってしまう。

 

彼女は今では、朝の情報番組で芸能レポーターを務めるなど、すっかりお茶の間の「バラエティタレント」として安定的な地位を築いている。本人は以前のインタビューでよく「いつでもアングラに戻ってやる」と発言していたが、今の安定的な状態を敢えて壊すつもりもないように見える。

 

『余った傘はありません』には、コントの台本のような章もあれば、情緒的なショート・ショートもあり、実にバラエティに富んでいる。

 

今回、『余った傘はありません』に含まれているコントの台本のような章を読みながら、太宰治のユーモア小説を読んでいるような気分になった。太宰治の『駆け込み訴え』のパロディーのような文体が一部に使われていて迫力がある。ただ惜しむらくは、文章の中の「お笑い芸人癖」(ネタ帳のような文体)が小説としての普遍性を削いでいるような気がしないでもない。

 

太宰治は小説家としては100年に1度の天才だが、お笑い芸人には絶対になれない。鳥居みゆきは文章の才能もあるし自分で演じることもできるが故に、かえってどちらの分野でも突きぬけられない不幸があるのではないか、と読みながらふと思った。

 

鳥居みゆきのコントや一人芝居は、ギャグの密度が高すぎて一度見ただけではすべて理解できず消化不良感が残る。が、文章で読むと、笑いへの配慮が細かい部分まで行き届いているのがよく分かる。

 

常識を逆転させるのが笑いの基本だから、人を笑わせるには人一倍常識がなくてはいけない。この小説を読んでいると、鳥居みゆきはまぎれもない常識人であるということがよく分かる。

 

これは決して批判的な意味で言うのではないのだが、私はこの鳥居みゆきの小説を読んで、「これは無我表現というよりは、すべて計算し尽くされた究極の自我表現ではないか」と思った。

 

鳥居みゆきは、知的障害者や精神病患者のようなキャラを演じることで、自らの過剰なエゴを覆い隠そうとしているのではないか。何も考えていないように振る舞いながら、実は物凄く色々なことを考えている。

 

彼女の小説は、非常に抽象的な表現形式を取ってはいるが、自我の泥沼の葛藤を描いたものであるという点で近代日本文学の系譜の上にある。私小説だけが自我表現ではないとしても、彼女の小説は、抽象度の高い私小説だ。

 

好感が持てるのは、最終的な自我の救いを用意しないことだ。自我の行きつく先には絶望と苦痛しか存在しないことへの確かな洞察がある。

 

鳥居みゆきは、もはやライフワークと言ってもよい、年1回位のペースで行われる単独ライブで、単なるお笑いの域を超えた、お笑いと不条理劇をミックスしたような独自の世界を築き上げつつある。

 

結論。彼女は小説家として成功するだけの天分を確かに持っているが、鳥居みゆきの多彩な才能は、小説家だけにしておくのはやはりもったいないと思う。



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