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月の糸 一話 02

微かな違和感、眼が違った。誰でも少なからず眼に表情がある、楽しいだとか哀しい、つまらない、何かに気を取られている、しかし、三人の眼は鏡面のようにその感情を、もちろん、それがあるならばだが、その内に隠していた。ゆらりとかぬかが腰を浮かす。
滑るように男二人が突進する、なよを取り押さえようとしたのだ。腰を落とした男達の顔面をかぬかの利き足が薙ぐ。
ふわりと男達がその蹴りの微かに下を潜り込んだ。瞬間、かぬかは軸足を浮かし、不安定になりながらも振り返る。
座席には穴が開き、男二人の頭が胸まで陥没していた。
なよ姉さん、いない、慌ててかぬかが車内を見渡すと、なよが女の首に腕を絡め、にぃぃとかぬかに笑い掛けていた。
「席がふさがってしもうた、こっちが三人分空いておる、来い」
かぬかは状況が把握し切れないまま、その女を間に三人で座る、乗客達は無関心を装って、関わりにならぬよう、俯いたり、あらぬ方向を眺めている。
「楽しいのう、道行きが三人になったわ」
「なよ姉さん、危険ですよ」
「寿司でいうところの、わしがとろで、お前がシャリ。こやつはワサビじゃな。とろとシャリの旨みを引き立ててくれるわい。面白い話を聞かせてくれるかもしれんぞ」
なよはにぃぃと笑みを浮かべると、女の肩に腕を回した。
「のう、智里。今日は一日わし等につきあえ」
「智里って」
「心を読まれぬよう術で心を隠しているようじゃが、わしには効かぬわ。かぬか、智里のうなじに触れてみい」
かぬかがそっと智里のうなじに触れてみる、じっとりと濡れている、汗だ。微かに震えている、緊張しているんだ。
なよが智里の耳元で囁いた。
「わしは古今東西の術を心得ておる。なぁ、智里。その面倒臭い術を解除してやろう。瓦解式、第四五三七八式」
なよは笑みを消すと、智里の耳元で囁く。意味不明の唸りだ。微かに漏れ聞こえるなよの声に、かぬかはこれが白澤様の言っていた中間言語による呪文の詠唱だと気づいた。
ふっと、智里の顔に恐怖が現れた。叫び出そうとする口をなよが手でふさいだ。
「どうした、智里。ん」
なよは笑みを浮かべると智里に囁いた。
「なんと、美味そうな首じゃなぁ、がぶりと食いちぎりたいのう。そうじゃ、昼飯代りに少しだけ食わせてくれ。な、いいじゃろう」
智里が涙を流しながら首を横に振ろうとする、しかし、なよの両腕に頭をしっかり固定され、動けず呻くだけだ。
「喉も渇いたわい、お前の血は何型じゃ、わしはA型が好みなのじゃが。ふむ、そうか、A型か。それは良いのう」
「なよ姉さん。それくらいにしてあげてください」
かぬかがたまらず声を上げた。
「ん、お前はわしを拉致しようとした奴に情けをかけるのか」
「で、でも。なよ姉さん、辛いです」
なよが声を上げて笑った。
「冷徹になりきれぬお人よしじゃな。ま、わしも幸も、お前のそういうところ、存外、気に入っておるがな」
なよがあっさりと両手を智里から放した。涙をだくだく流しながら、智里が荒く息を繰り返した、目の周りが真っ赤だ。
なよは、にぃっと笑みを浮かべる、そして言った。
「ま、可愛い・・・、ような気もする妹の言うことじゃ。智里、今日一日つき合え、そうすれば開放してやるわい、多分な」
いつの間にか、終着駅だ。なよは何事もなかったように立ち上がる、ドアが開くと同時に出た。かぬかがすぐに後を追う。驚いたことに、息の荒いまま、膝の震えるまま、智里が後をついて、列車を出た。
男二人を列車に残したまま。

何を考えているのだろうと、かぬかは驚いていた。智里という女、列車から下りずにいれば、プラットホームを反対に走れば逃げることもできるだろうに。なよ姉さんの後、一歩、引いて歩いている。少し、腰が引けて、怯えている。そんなに怯えているくせに。

駅を出て、ビジネス街を少し越えたところに老舗のデパートがある。
「よし、百貨店じゃ。入るぞ」
にかっと、なよがかぬかに笑みを浮かべた。

良く分からない、かぬかは呆気に取られていた。貴金属のフロア。手前にこそ、結婚指輪、数十万円の商品が並べられているが、一歩、踏み入れば、一千 万円が基本の単位になっていて、億などざらだ。ただ、ガラスケースごしに眺めていても、かぬかには入り口の数十万の指輪との金額の違いがまったく理解でき なかった。
「かぬか。どれが気に入った、というても、わしは無一文。買ってはやれぬがな」
気楽に言う、なよの顔を見る。なよ姉さんの顔、スーパーで夕飯の材料を買う時と同じだ。
「何がなんだか。どれも同じように見えるし、別世界に来たみたいで」
ふふんとなよが笑った。
「値札を見るなよ、値札ではこいつらの面白さはわからん。お前が良いと思えば、お前にとってそれは良いモノなのじゃ」
「は、はぁ」
ゆるやかな歩調で店員がやって来た。
「いらっしゃいませ」
にこやかな笑顔で店員が挨拶をする。
「わしらは無一文。眼の保養に来ただけじゃ。勝手に眺めておるから、いんで、金持ちの客を相手せい」
なよがあっさりと答える。一瞬、むっとした表情を店員は浮かべたが、すぐに笑みを浮かべ直すと、猫なで声で言った。
「こちらの商品は一般の方には少しお高いかと・・・」
「高いのう。ちぃぃと、掛け過ぎじゃな。適正価格の三倍はとっておるな」
「は・・・、それは」
店員が強い声を発しかけた瞬間、マネージャが様子に気づき、駆け込んで来た。
「あとは私が対応させていただくから、君は下がっていなさい」
マネージャーの叱責ともとれる言葉に店員はいぶかしく思いながらも、持ち場へと戻る。
「こ、これはかぐやのなよ竹の姫様。店の者が失礼を働き、申し訳ありません」
「かまわんわい。人を怒らせるのはわしの趣味じゃ」
にかっと笑うと、かぬかに声をかけた。
「かぬか、こいつが支配人、比奈垣じゃ。絶対友達になってはならん悪人じゃな」
「悪人って、そんな面と向かって」
「どんなに清らかな値を入れても、演算子が悪ではどうしようもない。こいつはな、善人のような顔をしておるから、余計に始末が悪い、覚えておけよ」
比奈垣が、ぱたぱたと手を振った。
「かぐやのなよ竹の姫様、いつものことながら、お口が悪い。私ほど、清らかな心の持ち主は居りません。このダイヤのように清らかで、透き通ってございます」
右手で指し示す、ティアラには、どれほどあると言えば良いのだろう、巨大なダイヤを中心に無数のダイヤがそれを囲み、夜の空を巡る星々を髣髴させる。
「ふん、たくさんの怨念が篭っているではないか。剣呑、剣呑」
意味ありげに比奈垣が口端を歪ませ、笑みを浮かべた。
「高値で売れますが、必ず、また、この店に戻って参ります、ただ、同然で。余程、ここが居心地よいようでございます」
「個人が持つようなものではないな」
なよが言い終わると同時に管内放送が流れた。
「お客様に申し上げます」
若い女の緊張した声だ。
「最上階のフロアに爆薬を仕掛けたという通報が」
アナウンスが終わる間もなく、ふいに、なよは両肩を上げ、そして下ろす。首を回し、準備体操をするように。
「なるほど。で、比奈垣。わしをいくらで売った」
「私どもでは到底姫様を捕獲することは不可能。ですが、結果に限らず通報するだけでもなかなかの小遣い稼ぎとなります。哀しいかな、私も雇われの身でございまして、大きなお金に目がくらんでしまいました」
笑みを浮かべたまま、比奈垣が答えた。
「しもたのう、先に着物を見ておけばよかった、大島紬の良い色があると聞いておったに。ほんに、比奈垣、お前は期待を裏切らぬ男じゃ。しょうがない。では、ぼちぼち、退散するかな」
なよが比奈垣に背を向けた。慌てて、比奈垣が叫んだ。
「ひ、姫様。私は裏切り者ですぞ、お仕置きを。お願いします、お仕置きを」
なよがつまらなそうに振り返る。
「お前の趣味につき合うのものう」
「し、しかし、大恩ある姫様を裏切りました、ぜひとも、折檻をお願いいたします」
なよは、比奈垣の前に立つと、ぐっと睨んだ。
「歯を食いしばれ」
「はいっ」
悲鳴にも似た叫び声で、比奈垣は直立不動に立つと、ぐっと歯を食いしばった、喜色に口元が綻びそうになるのを必死に歯を食いしばる。
なよが軽く比奈垣の頬を触れるかのように叩く。
「これで満足か」
「姫様、殺生でございます。そんな、生殺しのような」
比奈垣が最後の言葉を言い切る瞬間、なよの拳が空間を駆け、比奈垣の顎を打ち砕いた。まるで、独楽のように比奈垣が空を飛び、展示ケースの硝子を砕き、宝石を散らばせながら堕ちた。
「な、ないすでございます、姫様・・・」
呟くと同時に比奈垣は失神した、幸せな笑顔のままに。


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最終更新日 : 2013-11-16 22:21:22

この本の内容は以上です。


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