閉じる


<<最初から読む

1 / 1ページ

月の糸 一話 01

「幸はお父さんが好き。お父さんは幸が大好き」
男の部屋、事務椅子に座る男の背もたれに手を添え言った。
「あれ、父さん、幸が好きだったかなぁ」
「ええっ、お父さん。お父さんは幸が好きだよね、ねえったら」
「ちょっと待ってくれよ、父さん、思い出すからな。父さんは幸が好きだったかな、どうだったかなぁ」
「思いだせ、お父さん、思い出せっ」
幸が男の後ろでぴょんぴょん跳ねながら歌う。ふと、男が顔を上げた。
「父さん、優しい人が好きだけど、幸は優しかったかなぁ」
「優しい、とっても優しいよ」
「そうだ、父さん、言葉の綺麗な人が好きだけど、幸はどうだったなぁ」
「幸はとても言葉遣いが美しゅうございますわ」
男がくすぐったそうに笑った。
「父さん、思い出したよ。父さんは、幸が、大、大、大好きだったよ」
「やったぁ」
幸は万遍に笑みを浮かべると、後から男に抱きついた。
「幸も、お父さんが、大、大、大好きです」

「何やっとるんじゃ、この父娘は」
部屋に入ってきたなよが呆れ顔で言った。にひひと幸は笑うと、なよに言った。
「なよ姉さんもやる」
「わしがか」
ふいっと、なよは男に抱きついて、大好きと頬を寄せている自分の姿を思い浮かべた。慌ててぱたぱたと手を振る。
「勘弁してくれ。わしは、そんなガキではないわ」

「もったいないなぁ、なよ姉さんは」
ふと幸は柱時計をを見た。
「お父さん。そろそろ、旅に戻るよ、あかねちゃんに叱られちゃう」
男が頷くと、幸は走って出て行った。
「繊細なのか、大胆なのか、見当のつかなぬ奴じゃ」
なよの言葉に男は笑うと、なよに椅子を勧めた。
なよが椅子に座ると、男が言った。
「相談があるんだろう、話してごらん」
「あのな。部屋が一つ欲しい」
「無駄に広い家だからね、空いている部屋、好きに使いなさい。そういえば、父さん以外、みんな、一つの部屋で寝ているし、不便なこともあるかもしれないね」
「いや、皆での雑魚寝は楽しい。というかのう、ふと目が覚めて、皆の寝息が聞こえるとほっとするのじゃ」
なよは幸せそうに少し笑うと、男に改めて言った。
「なんというかのう。実は機織りをやってみようかとな」
ふと男はなよがかぐやのなよ竹の姫と呼ばれていた頃、機織りの才に恵まれ、人気を博していたことを思い出した。刃帯儀も元は機織りから生まれた技だ。
「それはいいね。あ、でも道具とか揃えなきゃならないな」
「昔の屋敷の地下にある、先日、幸と確認したばかりじゃ」
「なら、黒達に運んでもらえばいいね。花魁道中の儀で」
「本来、高貴な者を運ぶ術が、すっかり引っ越しのトラックと同じになってしもうたわ」
なよが愉快に笑った。

かぬかは緊張していた。黒達は学校からまだ戻っていない。ならばと、なよはかぬかを連れて街へ向かったのだった。電車の長座席、隣同士になよと座る。一緒に生活をしてみて、なよへの恐怖心はいくらか薄れたが、いま、政府がかぐやのなよ竹の姫に掛けた懸賞金はうなぎ登りだ。懸賞金につられて、どんな賞金稼ぎが現れるかしれない。
なよといえば、OLが上司の命令で書類を届けに向かっていますというような、ありふれた単色のタイトスカートに白い飾り気のないシャツ、捲った袖口の高さが左右で違っている。姿はおしゃれなど気にもしない様子だが、その表情、ちょとした、手の仕草が、その高貴さを隠しえていない。
「かぬか。どうした、緊張しておるな。もっと、気楽に力を抜け」
「はい。ですが、周りの人達に賞金稼ぎが紛れ込んでいるかもしれないと思うと」
「ならばよい余興じゃ」
なよが微かに笑みを浮かべた。
「残念ながらこの車輛には乗っておらんようじゃの。久方ぶりに機織りをするからな。今の流行を調べに行く。呉服や貴金属、裏の世界に関わる奴もおろう、楽しいぞ」
「なよ姉さんは強い方ですが、好んでそのような場所に行かなくても」
なよが少し意地悪に笑みを浮かべた。
「ま、いろいろあるわい。それにな、何処の誰ともつかぬ奴のために我慢をするのは性に合わん。そんな人生はつまらんぞ。とにかく、終点まで行く。そして、繁華街をうろうろするのじゃ、なんといったかのう、ああ、ウィンドウショッピングじゃ」
なよは自分の言葉に得心したようにうなずいた。
列車が停車し、乗降する人、ふと、かぬかの視線が定まった。男性二人と女性の三人組。


1
最終更新日 : 2013-11-16 22:16:54

この本の内容は以上です。


読者登録

朽身揺歯(くちみゆるは)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について