目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第七幕 猫の手だって厭わない

 いつの間にか、少しうとうとしてしまったらしい。
 マオは慌てて顔をあげた。
 辺りは明るくなりはじめている。
 今、何時ぐらいだろうな。
 抱えた膝にぎゅっと力をこめた。
 隆二、心配しているかな、しているだろうな。イマイチ素直じゃないし、なんか冷たいし、ひとでなしだけど、隆二はいつだって心配してくれている。
 最初は、隆二が初めて自分のことを認識してくれる人だから一緒にいた。
 今は違う。隆二がそういう風に優しいこと知っていて、大好きだから一緒にいるのだ。
 一晩も隆二から離れていたなんて、初めてだから、寂しい。心細い。
 ペンダントをぎゅっと掴む。
 もうちょっと、もうちょっと待てば実体化がとける。そうすれば、隆二のところに帰れる。
 そう、思った時。
「花音」
 声が上から降ってきた。
 全身が冷水を浴びたように凍えた。
 恐る恐る上を見る。
 マオがもたれかかっているビルの屋上に、あの男がいた。
「やっと見つけた。すぐに行く。待っていなさい」
 そんな声が降ってくる。
 冗談じゃない。
 慌てて立ち上がると、ビルの隙間に体をつっこむ。
「花音」
 呆れたような声がする。
「花音じゃないしっ、しつこいし!」
 また何カ所か擦り傷を作ったけれども、気にしない。もうそんな細かいことはどうでもいい。
 あとちょっとなのに、なんなのっ。
 通りにでると、走り出す。なるべく家に近づくように。隆二の家に向かって走り出した。


 すっかり朝になって、通りは通勤通学の人々であふれはじめた。
 隆二は走りにくくなった通りに舌打ちする。
 エミリから一度連絡があったが、特にマオがかかわっていそうな事件事故はないらしい。それにひとまず胸を撫で下ろしたものの、だったら何故ここまで見つからないのかが不安になるところだ。
 人の間をすり抜けて、勢いよく走りながら、角を曲がったところで、
「わ」
「きゃっ」
 反対側から来た人影にぶつかりそうになった。慌てて立ち止まる。
「うわっ、びっくりした」
 角でぶつかりそうになったのは、例のコンビニのオカルトマニアな店員、菊だった。
「あ、お久しぶりですー、お元気でしたか? どうしたんですか血相をかえて、またヴァンパイア」
「こいつ、知らないかっ!?」
 なんだか無駄な話をはじめそうな菊を遮って、二つ折りのケータイを開く。待ち受けに設定された、マオの写真。それがまさかこんなところで、役に立つとは。
「わ、かわいー。どなたです? 恋人さん?」
「いいからっ」
「……んー、見たことないですね」
「そうか、ありがとう」
 ケータイを奪い返すと、再び走り出そうとした隆二に、
「あの」
 菊が躊躇いがちに声をかける。
「また人探しですか? 手伝いましょうか?」
「頼む」
 迷わなかった。その手を掴むことに。
「じゃあ、連絡先と、あとその写真いいですか? 皆に回します」
「……ごめん、やって」
 ケータイをそのまま渡す。写真いいですか? ってどういうことだよ。
 菊はきょとんとした顔をしてから、少し微笑むと、
「わかりました」
 うけとったそれを操作する。ああ、やっぱり若い子ってすげーな。
「できました」
 しばらくしてから、菊が隆二にケータイを返す。
「写真をまわして友達に見なかったか聞いてみます。なにかあったら、電話しますね」
「頼んだ」
 いつだったか、エミリを探し出してくれた彼女の情報網ならば、見つかるかもしれない。ならばそれにすがることに躊躇わない。
 手段は選ばない。差し出された手は拒まない。プライドや見栄なんてどうだっていい。自分だって成長するのだ。びびたるものだけど。
 菊に軽く頭をさげると、また走り出した。


 マオは先ほどとは違う路地裏の、駐車場の影隠れた。
 乱れた呼吸を整える。
 あと、ちょっと。
 体内の感覚でわかる。あと少しで実体化がとける。そうすれば、遠慮なく飛んで帰ればいい。隆二の家へ。
 それまで見つかりませんように。
 祈るようにペンダントを握りしめる。
「かのーん」
 男の声がする。思っていたよりも近くだ。
 あと少し。あと少しだから。
 ぎゅっと目をつぶる。
 声。足音。
 あっち行け。あっち行けあっち行け!
 体から体温が消えていくのがわかる。実体化がとける前兆。
 あとちょっとだ。
 ここまで来たら、あとはもう待つだけだ。
 少し視界が揺らぐ。
 耐えるように一度目を閉じる。
 ふわりと、体が浮くような感覚。浮遊感。
 目を開ける。
 目の前に手をかざすと、透けて地面が見えた。よかった、ようやく実体化がとけた。
 今なら逃げ出せる。
 そう思って動き出そうとしたとき、かしゃんっと何かの音がした。視線を落とすと、着ていた服と、ペンダントが転がっていた。
 それに一瞬、足が止まる。
 ペンダント。せっかく隆二がくれたペンダント。それをこの場所においておくことに、一瞬の躊躇いが生じた。
 それが、間違っていた。
「見つけた」
 すぐ後ろから声がして悲鳴をあげかけたときにはもう遅かった。
 腕を掴まれる。
 その白い手袋は、エミリがつけているものによく似ている。幽霊が触れるというあの手袋。
 そんな風に思った次の瞬間には、銃を突きつけられ、撃たれた。

 

 

 隆二はケータイを取り出し、時間を確認した。午前九時。マオの実体化がとける時間だ。
 今頃どこにいるのか。変なところで実体化がとけて、面倒なことになっていなければいいが。
 思ったところで、手の中のケータイが震えた。見知らぬ番号。慌てて出ると、
「もしもし。えっと、コンビニ店員の菊です」
「ああ。なにかわかったか?」
「カレシがこの写真に似た人を見たって。あと」
 そこで菊は一度躊躇うように口ごもってから、
「……このペンダントに似ているのと、なんか服が落ちているって」
 さすが、若者の情報網。
「場所は?」
 ペンダントや服が落ちていること事態は、危惧することではない。実体化がとけたからだろう。つまり、実体化がとけるまでマオは近くにいたことになる。
 近くにいたのに、なんで戻って来なかったのかはわからないが。
 菊から場所を聞くと、そこに向かって走り出した。

 件の場所に行ってみると、大学生ぐらいの青年がケータイ片手に立っていた。
「あの」
「あ、あなたが菊の知り合いの?」
 そう問われた言葉に頷く。
 こっちなんですけど、と案内された駐車場の影。そこにはペンダントと洋服、ポシェットが落ちていた。
「これ、そうですよね?」
 指差されたペンダントをそっと拾い上げる。マオのものに間違いない。
 辺りを見回すが、霊体に戻ったマオがいる様子はない。
 大事にするねと笑っていたこれが、こんなところに無造作に落ちているわけないのに。
 少し、期待していたのだ。町中で元に戻ってしまって、途方に暮れているんじゃないかって。だけれども、やっぱり、ここにも居ない。
 ついさっきまでは、ここにいたはずなのに。一体どこに行ったというんだ。もしかしたらここで会えるんじゃないかと思っていた。その分、失望の念を禁じえない。
「男に追いかけられているの見たんです」
 ペンダントを握ったまま何も言わない隆二をみて、青年がそう話はじめる。
「なんかヤバそうだなと思って、警察呼んだ方がいいか悩んで、一応あと追いかけてみて。見失ったと思ったらこれがあって」
 地面に散らばった衣服。ああ、どうみても事件性大だ。
「これ、ヤバいですよね? 警察にとどけますか?」
「……いや」
 それになんとか、首を横にふった。
「わけありなんだ。それはできない」
「そうですか」
 予想以上にすんなり頷かれた。
 それが意外で、青年に視線を向けると、彼は苦笑した。
「菊の紹介してくる人なんて多かれ少なかれそうですよ」
 どんな人付き合いしているんだ、あの小娘は。それに助けられた自分が言うべきことじゃないが。
「あ、あとこれ。その男がそのあと車に乗って立ち去るの見かけて」
 言いながら、青年が自分のケータイを操作する。
「一人だったんですけど。念のためナンバー写真とって」
 渡されたケータイには、確かに黒い車のナンバーがしっかり映っていた。それにしても、
「……なんでそんなことを」
 用意周到過ぎるだろ。
「子どもの頃から探偵に憧れ続けるとこうなっちゃいます」
「ああ」
 その言葉に苦笑する。なんとなくわかってしまって。マオみたいなものか。
 渡された写真にうつるナンバーを覚えると、電話をかけた。
「見つかりましたか?」
 電話の相手、エミリは出ると同時にそう言った。
「手がかりだけ。嬢ちゃん、車のナンバーから持ち主調べられるか?」
「わたしの権限外ですが……、父に頼めば、恐らく」
 訊いといてなんだができるのか。相変わらず嫌な組織だ。それでも、頼るしかない。研究所の力に。
「頼む」
 問題のナンバーと、軽く経緯を説明すると、
「わかりました。なるべく早めに連絡します」
 言って通話が切れた。
 地面に落ちているマオの衣服と鞄を拾い上げる。それらはぞんざいにまとめたが、ペンダントだけは無くさないように、そっと財布の中にしまった。ここが一番安全だろう。これはちゃんと、マオに渡さなくては。無くしたなんてことになったら、きっとあいつは怒るから。
「あの」
 青年が躊躇いがちに声をかけてくる。
「助かった。ありがとう」
 それに頭を下げた。
「あ、いえ。……あの?」
「このあとはこちらでどうにかするから大丈夫。万が一、またその車を見かけたら連絡ください。あのコンビニの子にもお礼を言っておいてください」
 早口で告げる。
 車の行方はエミリに任せるとして、隆二は隆二でマオを探すことをやめるわけにはいかない。立ち止まっているなんてできない。まだ、近くにいるかもしれないから。
 じっとなんてしていられない。止まっていることは怖いから。
「本当にありがとう」
 困惑の表情を浮かべる青年にもう一度そう言うと、足早にその場を後にした。


 残された菊のカレシ、志田葉平は立ち去った隆二の背中を見て首を傾げた。
 まったく、一体あの人はなんなのだろうか。ナンバー照会をどこかに依頼していたが。
 怪訝に思っていると、ケータイがなった。菊から電話だ。
「もしもし?」
「葉平、無事に常連さんに会えた?」
「会えたよ」
 とりあえず手がかりぐらいにはなったみたい、と続ける。
「っていうか、菊、あの人は何者?」
「バイト先のコンビニの常連さんで。んー、内緒って言われたんだけれども葉平にだけは教えちゃう」
 内緒って言われたなら内緒にしとけよ。
「内緒だよ、あのね、吸血鬼さんなの」
「……ああ、そう」
 気が抜けた返事をかえす。
 声をひそめて、さも重大なことのように言うから何かと思ったら、またそんな夢物語か。
 なんで俺のカノジョはこんなに夢見がちなんだろう。未だに探偵なんていうものに、僅かな憧れを抱いている自分が言えた義理じゃないけど。
 一つ、溜息をついた。

 

 

「ダディ、お願いがあるの」
 隆二との通話を終えると、エミリは足早にリビングに向かった。まだ自宅にいた父親に声をかける。
「どうした?」
「車のナンバーから持ち主を調べて欲しいの」
 言いながらナンバーをメモした紙を差し出す。和広が説明を求めるようにエミリを見る。
「マオさんが行方不明で」
 簡潔にここまでの出来事を説明すると、そうか、と和広は頷いた。
 それからリビングのパソコンの前に移動する。
「やってくれるの?」
「研究所の方針に反しない範囲では、神山さんたちの味方をしようと決めているからね」
 言いながら和広がパソコンを操作する。事後処理を担当している和広ならば、ナンバー照会のデータベースにログインすることもできる。
 和広の操作を、固唾を飲んで見守っていると、
「……駄目だ」
 和広が小さく呟いた。
 パソコンの画面には、赤い字で「error:000」の文字が出ている。
「……エラー?」
 エミリが呟くと、
「調べられない」
 和広が淡々とそう答えた。
「なんでっ。そもそもなんでエラーなの?!」
「エラーナンバー000は、研究所内部の人間情報だ」
「……じゃあ、マオさんをおいかけまわしていたっていうのは、研究所の人間なのっ?」
 そうか、でもそれならば、霊体に戻ったあとも姿が見えないことも説明がつく。研究所の人間ならば、見ることも触ることも出来る道具を持っているだろう。
「このエラー解除できないの?」
 できないことはないはずだ。研究所内部の人間の情報だから一応保護しているが、内部の情報が必要になることだってあるはずなのだから。
「できないこともないが」
「だったら」
「でも、できない」
 和広はエミリの目を見ると、しっかりとそう答えた。
「なんでっ」
 父なら引き受けてくれると思っていたのに。
「研究所の規定や意思に反することはできない」
「マオさんが危ないかもしれないのに?」
「それとこれとは話が別だ」
 そして、あろうことか和広は溜息をついた。呆れたように。
「わきまえなさい、恵美理。我々は、組織なのだから」
 冷静に吐かれた言葉に、頭を殴られたような気がした。目の前が真っ暗になる。
 今、この人はなんと言った?
 絶対に、父ならば助けてくれると思った。信じていた。だって、エミリが知っている和広は、いつだって隆二達の側に立って、彼らを守っていたから。今回だって、多少目をつぶって調べてくれると、何故だか信じていた。その彼が、こんな風に組織だから、なんて言うなんて。
「……恵美理、神山さん達に気を使うようになったのはいいが、勘違いしてはいけない。我々は研究所あってのものなのだから」
 研究所内部の人間がマオを連れ去ったかもしれないのに、研究所内部の人間だからわたしは真実にたどり着けない?
 今頃きっと、隆二はエミリからの連絡を待っているのに。
 ぐっと唇を噛むと、リビングを後にする。
「恵美理」
 我が侭な子どもをなだめるような父親の声がする。
 自分の部屋に戻ると、ベッドの下から手提げ金庫を取り出した。派遣執行官には一人一つ配給されているもの。本当はこんな風に使うものではないけれども、背に腹は代えられない。
 それを握るとリビングに戻る。和広は同じようにパソコンの前に座っていたが、エミリが持っているものを見ると、小さく眉をあげた。
 エミリはそれを、銃を、和広の頭に突きつけた。
「調べて」
 和広はそれをちらりと見ると、
「そんなことをしても無駄だよ、恵美理」
 子どものいたずらをたしなめるような口調で言われた。
 温度差を感じる。父親と、自分との間に。こんなこと、初めてだ。
「お前に引き金を引けないことはわかっている。人間を撃ったことなど、ないだろう」
 確かにそうだ。今までに人間を撃ったことはないし、ましてや父親だ。自他ともに認めるファザコンの自分に、そんなことができるわけがない。
 ならば。
「これなら?」
 銃口を自分のこめかみに押しあてた。
「……なんのつもりだい?」
 ほんの少し和広の顔色が変わる。しめたものだ。
 ためらうことなく引き金に指を引っかける。
「恵美理っ」
 和広が父親の顔をして、椅子から腰を浮かせた。
 それに少しだけ安心する。たった二人の家族だもの。その絆が研究所の規定なんていうものの前に負けていなくてよかった。ここで和広が顔色を変えなかったら。そんなこと考えるだけで、娘としてのエミリは辛いし悲しい。
「勘違いしないで」
 そんな父親に、エミリは小さく笑ってみせる。
「自分の命を人質にとっているんじゃない。娘の命が人質にとられているのだから、しぶしぶ調べても仕方ない、という口実をダディに与えているの」
 破天荒な娘を持って大変だ、と所内は元々和広に同情的だ。そこをつけば、上手く立ち回れる。そう判断した。
 和広の研究所内での立場を危うくすることはないはずだ。
 和広はしばらく、中腰のままエミリをみていたが、
「……わかった」
 うんざりしたように溜息をつくと、椅子に座り直した。
「……お前は本当、おばあちゃん似だな」
 パソコンを操作しながら、和広が小さく呟いた言葉に、思わず少し笑った。

 

 

 マオ探しを続けていた隆二は、ポケットのケータイが震えたことで足を止めた。
「わかりました」
 電話の相手、エミリは前置き無しでそう言った。
「車の持ち主は、一条稔」
「……一条?」
 偶然なんだろうが、嫌な名字だな。
「お知り合いですか?」
「いや、悪い、続けてくれ」
「一条は、研究所の事務担当の一人です」
「研究所か。そうか、それならマオが霊体に戻っても見えるし触れるな」
「はい。諸々のことから、一条がマオさんを攫った可能性が高いと考えられます。それで、その、諸々のこと、なのですが」
 そこで珍しく、エミリが一瞬口ごもった。
「一条には、一人娘が居たんです。名前は花音。三年前、十五歳の時に亡くなっているんですが。……その外見が似ているんです、マオさんと」
「は?」
 言われた意味がわからなくて問い返す。
「写真、あとでケータイに送ります。本当に似ているんです。髪や目の色が、マオさんとは違って漆黒なぐらいで、あとはまったく一緒です」
「……あいつら、マジな人霊を使ったってことか」
 Gナンバーは人工的に作られた幽霊。その原理についてエミリが以前色々言っていたが、研究班が嘘をついている可能性もある、とも言っていた。やはり嘘をついていて、本当に亡くなったというその一条の娘の魂を使って、マオを作ったというのか。死して必ず幽霊になるわけでもない。成仏するはずだったその魂を、現世に縛り付けたとでも?
「わかりません。それが本当だったとして、一条が実験に絡んでいるのかもわかりません。だけど、一条、娘の幽霊を見たって最近言っていたらしいんです。テレビで!」
 エミリの声が高く、大きくなった。
「テレビで?」
「父の、知人なんですっ。わたしがオカルトクエストのDVDを渡した!」
 マオのあの、浮かれた心霊写真が採用されたテレビ番組。
「それって、あの心霊写真ですよね? どうしよう、わたしが、送らなければっ。そしたら、一条がマオさんのことに気がつくこともなかったのに、わたしのせいでっ」
「落ち着け。嬢ちゃんのせいじゃない」
 確かに、その写真を見て娘の幽霊の存在に気がついたのかもしれない。だからといって、エミリのせいなわけじゃない。
「だけどっ! エクスカリバーもないんです、一つっ!」
 上擦った声に、一瞬思考回路がとまった。
「……エクスカリバーが?」
「さっき電話かかってきて。わたしが持ち出したと思われたみたいでっ」
 なんだそれ。マオが元々人間で? マオの父親がマオを攫って? そしてエクスカリバーを持っている? どういう状況だよ、これ。
 何も言えない隆二にかわって、電話の向こうのエミリは早口でまくしたてている。
「もうやだなんでっ! 研究班が隠し事しているのはわかっていたけど、まさかここまでっ! ダディもあんなだし、なんなのよっ!」
 それは素の彼女の言葉だった。普段冷静な彼女の、取り乱した声を聞いていたら逆に冷静になれた。
「嬢ちゃん」
「はい?」
 なんだか泣きそうな声に、
「頼む、助けてくれ」
 頼み込む。一人じゃ動けない。一条がどこに行ったのかもわからないようじゃ。
 エクスカリバーを持っているのならば、はやくしなければ。霊体に戻ったからといってマオが無事だとは限らない。
「でも、もうこれ以上は」
 電話の向こうの声はなんだか、慌てたようだった。
「ダディもあんなだし、研究所として動きようが……。研究班としては一条のことは隠したい出来事でしょうし、この後はきっと隠蔽合戦になって、わたしも動きようが……。これ以上動いたら確実に睨まれて」
「頼むよ」
 エミリのおろおろとした言葉を遮る。
 エミリに頼ってはいけない。エミリは研究所の人間だ。命令に背けということを、エミリに願ってはいけない。それは踏み込んではいけない領域だ。そんなこと、わかっている。
 わかっているけれども、頼むより他がないのだ。
「頼む、エミリ」
 強い口調で、しっかりと告げた。彼女の名前を呼んで。
「……ずるいです」
 一呼吸置いて、電話の向こうが絞り出すようにして言った。
「わかってる」
「なんで……、こんな時にはじめて、名前で呼んでくださるなんて」
 声が震えている。
「うん、ずるいんだ、俺」
 使えるものならなんだって使う。それが結果発生を阻止してくれるのならば、躊躇わない。例え、どんなに罵られても。非人道的でも構わない。マオを助けられるのならば。
「手伝って欲しい、エミリ」
 駄目押しのようにもう一度。
 電話の向こうではしばらく沈黙が続いていたが、
「……わかりました」
 次に聞こえた声は、どこかふっきれたように聞こえた。
「わたし一人で、どこまでお役にたてるかわかりませんが、マオさんのためですから」
「ありがとう」
「だけど、一つだけ、いいですか?」
「なに?」
 すぅっと息を吸う音が聞こえる。なんだ? と思っていると、
「このっ、ひとでなしっ!」
 大声で一言、罵られた。
「っ」
 慌ててケータイを耳から離す。不意の大音量に、耳が痛い。
「すっきりしました」
 落ち着いた声が聞こえて、また耳にあてる。
「今の……」
「ずっと言いたかったんです。それじゃあ、車の行く先など、わかったらまた連絡します」
 言ってぷつりと、ケータイが切れた。
 ひとでなし? 上等だ。
 唇を皮肉っぽく歪める。
 ひとじゃないんだ、ひとでなしだ。もう一人のひとでなしを連れて帰るためならば、そんな誹りいくらでも甘んじよう。
 だからマオ、
「もうちょっと待ってろよ」


第八幕 迷い仔猫の素性

 ゆっくりと、マオは目を覚ました。
 顔をあげる。
 知らない場所だった。
 正面には十字架。二列に並べられた長椅子。天井のステンドグラス。
 テレビやなんかで見たことがある。ここは、
『……教会?』
 ゆっくり体を起こす。動こうとしたが、右足が上手く動かなかった。何かに縛られているかのように。
 視線をやると、黒い鎖のようなものが右足に絡み付いていた。今、幽霊なのに。
 動かそうとするが、どうにもうまく動かない。
『なにこれっ』
「足枷の一種だよ」
 声がして、慌ててそちらを向く。
「おはよう、花音。手荒な真似して悪いが、逃げないようにつけさせてもらったよ。それは花音が研究所から逃げ出したときに反省して、研究班が作ったものらしいよ」
 あの男がそこに居た。
『誰、あなた?』
 ただの変な人じゃない。そんなことはもうわかっている。霊体に戻ったのに逃げられなかった。捕まった。
『研究所の、人?』
「そうだよ、花音」
 男が両手を広げて言う。
『花音じゃないっ』
「花音だよ。一条花音、わたしの娘」
 男、一条稔が微笑む。
『……何を、言っているの?』
 一条から距離をとろうと、少し後ろに下がる。少しでも、後ろに。
『娘? あたしが? あなたの? ありえない。だって』
 認めたくないけれども、こんなこと自分で言いたくないけれども。
『あたしは、実験体ナンバーG〇一六。人工的に作られた幽霊で、父親なんていない』
 覚えている。発生して最初のこと。記憶にあるのは、あの嫌な液体で満たされた水槽。
『あたしは、ただのひとでなしだもの』
 何を勘違いしているのか知らないが、わかったなら帰して欲しい。
「いいや、花音だよ」
『だからっ!』
「実験体ナンバーG〇一六の元になったのは、花音の魂だよ」
『……え?』
 意味がわからなくて、抗議のために開いた口をそのまま、ぽかんっと間抜けにあける。
『たましい?』
「そうだよ、花音」
 一条は手近な椅子に腰をおろした。
「やはり、忘れてしまったんだね」
 そうして、少し悲しそうな顔をする。
「花音が亡くなったのは、交通事故だった」
 そのまま、ゆっくりと話始めた。マオはただ黙ってそれを聞いていた。
「三年ほど、前だね。悲しむわたしの元に、研究班がやってきたんだ。新しい研究のために、花音の魂を献体として使わせてくれないか、と」
 そこで一条は、じっとマオを見た。マオは視線から自分の体を守るかのように、両腕で肩を抱いた。
「最初は渋ったが、研究所内のしがらみと、それから花音にもう一度会えるかもしれない、という言葉にそそのかされたんだ」
『……研究班は、その人の魂を使ってあたしを作ったの?』
「その人、じゃない。花音自身のだ」
 睨まれて口ごもる。
 だけど本当は大声で言いたかった。花音なんて人、知らない。あたしは、マオだ。
「だけれども、研究班からそれからしばらく音沙汰がなかった。一年ぐらいして届いた書類には失敗した、とあったよ。愕然としたね。わたしは」
 一条の声が震えた。何かを耐えるかのように。
「花音をまた失ってしまったんだっ」
 張り上げられた声が室内に響く。
「そのまま眠らせてあげるべきだったのに。花音の魂は消滅したという。わたしは完全に娘を失った!」
 荒げられた声に、ひっと息を呑む。怖い。
「それから二年、わたしはずっと抜け殻のようだった。何も考えられなくて、気づいたら妻とも離婚していた。そんなときだよ、テレビで花音を見たのは」
『……テレビ?』
「心霊写真としてだったが、笑顔の花音の写真を見たんだ」
『っ、オカルトクエスト!』
 テレビに映った自分の姿といえば、それしか考えられない。
 ああ、と一条は頷いた。
「そこから調べたよ。花音のことを。研究班の資料を勝手にね。実験は成功していたんだ。だけれども、わたしに花音を引渡すつもりがないから、研究班は失敗したことにしたんだ、とわかった。わたしのところに通知がきたときには、まだ実験の途中だったのに、失敗したことにした。それに腹がたったけれども、冷静に考えれば研究所ではよくあることだからね」
『……それで、あたしを?』
「そう。G〇一六という実験体ナンバーが花音なことも、U〇七八のところにいることも、全部調べた。肝心の、U〇七八の居場所がわからなくて、時間がかかってしまったがね」
 一条は立ち上がり、ゆっくりとマオに近づく。マオは少し後ろにさがった。
「待たせたね、花音。一緒に帰ろう」
 そんなマオを気にすることなく、一条はそう言った。そうして片手を差し出す。
「わたしたちの家に帰ろう、花音」
 畳み掛けるように言われる。
 差し出された手と、一条の顔を順番に見る。
『あなたが、……あたしの父親かもしれないっていうことは、わかりました』
 震える声で言葉を発する。
 一条の視線はどこか定まっていなくて怖い。
「ああ、そうだよ。まだ思い出せなくても、いつか思い出せるかもしれない。花音」
 一条が満足そうに頷く。
 この人が、悲しい思いをしたことはわかった。大事な娘を亡くして、一人になってしまって、色々後悔して、悲しくて、必死に娘を探していたことはわかった。それには同情するし、マオが娘だと知って嬉しかった気持ちを、期待を裏切るようなことは出来ればしたくなかった。一人が淋しいのは知っているから。
 だけど、
『あたしは、あなたとは一緒に行けない』
 それとこれとは話が別だ。
 一条の顔をじっと見つめる。
『あたしは帰らなくちゃいけない。それは、あなたのところじゃなくて、隆二のところに。だって、あたし、約束したんだもの。隆二と。ずっと一緒にいるって』
 だから貴方とは帰れない、と続ける。
 一条の表情は変わらない。僅かに微笑んだまま。それがまた、少し怖い。
 だけれども、思っていることはちゃんと言わないと。
『それに、あたしは、花音なんていう名前じゃない。ましてや、G〇一六でもない。あたしは、マオ』
 あの日、初めてあった日に隆二が名付けてくれてから、ずっとマオだ。この名前を大切にしてきた。それ以外の何者でもない。それ以外の名前ならば、例え本物であっても要らない。
『マオだから、あなたとは一緒に行けない』
 この手が掴むのは、隆二の手だけだ。
 ごめんなさい、と続ける。
 一条はしばらく何も言わなかった。
 沈黙に耐えながら、じっと一条の顔を見る。
 どれぐらいそうしていただろうか。一条がゆっくりと息を吐くと、手を下ろした。そうして、椅子の方に向かう。
「わかったよ、花音じゃない」
 背中を向けたまま、一条が言う。
 納得してくれたのだろうか?
 そう思って胸をなでおろしていると、一条が振り返った。
「花音はそんなことを言わない」
 その右手に握られているものに、視線が釘付けになる。
「花音の形をした紛いものに用はない」
 右手に握られているもの。見た目は小型の剣。だけれども、それがただの剣でないことを知っている。
 あの時見た。公園で京介と話した時に。
 あれは、
『エクスカリバーっ』
 霊体であるマオも、不死者である隆二や京介も、実験体である以上すべてを消し去る唯一のもの。
「わたしはまた、花音を失うことに耐えられない」
 マオの悲鳴に返事はせず、一条はエクスカリバーを片手にマオに近づく。
「同じぐらい、わたしが死んだあと花音の形をしたものが存在していることも耐えられない。花音でもないくせに」
 何を言っているのかわからない。だけれども、一つだけわかる。
 このままじゃ、絶体絶命だ。
 なんとか逃げられないかと身をよじるが、右足が上手く動かない。動けない。
 刃が光る。
「やっぱりこうするのが一番いいんだ。花音の形をしたものがいなくなってしまえば、わたしは安心して、死ねる!」
 エクスカリバーが振り上げられる。
 咄嗟に転がるようにして避けた。体は。
『やっ!』
 右腕が避け切れず、刃に触れた。
 何が起きたのか、最初わからなかった。
 刃に触れた先を見る。何もない。
『いやぁぁぁぁ!』
 理解すると同時に悲鳴をあげた。
 斬り落とされたように、刃が触れたよりも先、肘から先が無かった。
 痛みもなにも無いのに。
 左手を伸ばすけれども、やはり、ない。
「ああ、避けるから」
 眉根を寄せて一条が言った。
「花音の顔がそうやって歪むのは見ていられないんだ。頼むから、避けないでくれ」
『なにをっ!』
「エクスカリバーは突き刺した箇所から消える。突き刺さないで今みたいに斬っただけじゃ、そこから先が消えるだけで本体の抹消には繋がらないんだ」
 なんでもない口調で一条が言う。
 なにを言っているかわからない。
 なんで、そんな、なんでもないように言うのだろう。
 だって、消えるって、どういうことかわかっているんだろうか、この人は。
 逃げようともがくが、どうやっても動けない。
 一条がエクスカリバーを振り上げる。
 消える。
 消えてしまう。
 アレに刺されたら、消えてしまう。
 今度は腕だけじゃない。あたし自身が。
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 だって、約束したのだ。
 ずっと一緒に居るって。居なくならないって。約束したのだ。
 約束は、守らなくっちゃいけないんだ。
 約束したのに。一緒に居るって。
 一人にはしないって。
 違う。ずっと、一緒に居たいのは、あたしの方だ。隆二じゃなくって。
 あたしが、隆二と一緒に居たい。
 ずっと一緒に居たい。
『嫌だっ!』
 消えたくない消えたくない消えたくない消えたくないっ。
 刃が眼前で光る。
 嫌だ。助けてっ。
 助けてっ!
『隆二ぃぃっ!』
 一際大きな悲鳴が漏れたのと、ばりんっという音がしたのはほぼ同時だった。
 音は上からして、マオは思わず視線をそちらに向ける。一条も同じように一瞬視線を上に逸らした。
 屋根のステンドグラスが割られて、きらきらと光を浴びながら破片が降ってくる。綺麗に輝きながら。
 そして、
「マオっ!」
 一緒に落ちて来た黒い影が、彼女の名前を呼びながら、着地と同時に一条を蹴りとばす。蹴りとばされた一条は吹き飛ばされ、長椅子にぶつかった。
「マオっ、大丈夫かっ!」
 そのままふりかえり、マオに駆け寄って来たのは、
『りゅ、うじ』 
 神山隆二、その人だった。
 破片で切ったのか、頬から血を流しながら隆二はマオにかけより、
「怪我とかっ」
 そこまで言って、隆二は言葉をのんだ。
 マオの右腕を見て、言葉を失う。
 なんだかそれが恥ずかしくて、マオが左手でそれを隠そうとするのを、
「ごめんっ」
 ぐいっと手を引っ張られて妨げられる。代わりにぎゅっと抱きしめられる。
「ごめん、遅くなってっ」
 言われた言葉に、ぶわっと目元が熱くなる。気づいたらぽろぽろと涙がこぼれていた。
『りゅーじ』
 左手でぎゅぅっと彼にしがみつく。
『りゅーじ、りゅーじっ』
「ごめん。遅くなってごめん」
『ごめんなさいっ』
 あたしが勝手に外に出たから。言いつけを破って一人で外に出たから。だから隆二に心配をかけて、こんなことになってしまった。
「マオ」
 優しく名前を呼ばれる。それにあわせて、またぼろぼろと涙が出る。
 頭を撫でられる。いつもの隆二の手で。
「遅くなってごめん。だけど、よかった、また会えて」
 掠れた声で囁かれた言葉に、隆二にしがみついている左手に力をいれた。
『約束、したからっ』
 隆二のこんな声を聞くのはあの時以来だ。神野京介の一件があった時以来。
『ごめんなさい』
 泣かないで。あたしはここにいるから。まだいるから。
「……うん」
 隆二の手がマオの肩をそっと押した。隆二の顔が見えた。泣きそうに歪んでいたけれども、小さく微笑んでいた。
「一緒に帰ろう」

 

 

 一晩ぶりに見るマオの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。こんな風に泣かせてしまったことが心苦しい。
「……ごめん」
 隆二が右肩にそっと触れると、ぴくっとマオの肩が震えた。
 間に合わなかったことが、悔しい。
 マオが泣き顔のまま、ふるふると顔を横にふった。それでもまた、泣きそうになる。
 それを見ているのが耐えられなくって、マオの頭をそっと抱き寄せようとしたとき、
『隆二っ、後ろっ!』
 隆二の肩越しに何かを見たマオが悲鳴をあげた。慌てて視線を動かした隆二の目に映ったのは、エクスカリバーを片手に立ち上がる一条の姿だった。
 咄嗟に、マオの頭を抱え込む。守るように。これ以上、傷つけさせないために。
『りゅーじっ』
 そんなことよりも、迎撃した方がいいと気づいた時には、一条はもう真後ろまで来ていて、
『隆二っ!』
 マオの悲鳴をかき消すように、ばんっと大きな音がした。銃声。
「っ!」
 振り返ると、一条が、右手を押さえて呻いていた。
 からんっと持っていたエクスカリバーが落下し、隆二は慌ててそれを奪い取った。
 視線を音の方に向けると、真っ青な顔をしたエミリが、まだ硝煙のでる銃を片手に立っていた。
「それ以上、動かないでください」
 斬りつけるように一条に言いながら、銃を構えたままゆっくりと近づいてくる。
「両手をあげて!」
 エミリの声に、一条はしばらく悩むようなそぶりを見せたが、血の出る右手を押さえながら手をあげた。
「助かった。ありがとう、エミリ」
 マオを背後に庇うようにしながらも礼を言う。
「いえ、遅くなってすみません」
 一条から目を離さずにエミリが答えた。
「……どうしてここが」
 一条が苦々しい口調で言った。
「ここは花音との思い出の場所なのに。よく家族できた、思い出の……」
「知るかそんなこと」
 吐きすてるように隆二は答えた。だからなんだ。この場所がわかった理由なんて、ただ一つだ。
「人間の若者の情報網はすげーんだよ」
 菊や葉平といったなんでもない人間の若者のおかげだ。隆二が、一晩走り回ってもわからなかった手がかりをみつけてくれた。
 その情報を元に、エミリが車の行き先を探しだしてくれたのだ。だから厳密には、研究所の力もちょっと入っているが。
 郊外の古びた教会。その場所を聞いた瞬間、走りだしていた。
 入り口には、鍵がかかっていた。合鍵をエミリが手に入れてくると言っていたが、それを待っている余裕はなく、手っ取り早く天井のガラスをぶち破って入った。それだけのことだ。
 完全には間に合わなかったけれども、最悪は避けることができてよかった。
「一条稔。エクスカリバーをはじめとした道具を許可無く持ち出したことは重罪ですよ」
 エミリは銃口を向けたまま一条に近づくと、鞄から取り出した手錠を片手にかけた。一条は大人しくされるがままになっていたが、
「……進藤の娘。実験体に肩入れするお前も似たようなものだろう」
 負け惜しみのように呟いた。
「研究所から見たらそうかもしれませんね」
 吐き出された言葉をエミリは受け流した。
「でも、わたしからすれば全然違います。そのことをわたしは知っていますので」
 言いながら手錠の片方を長椅子に繋ぐ。手慣れた様子で身体検査をし、他に武器を持っていないことを確認すると、ようやく銃口を外し、隆二達の元に駆け寄った。
「マオさん、大丈夫ですか!」
 隆二の影に隠れているマオに声をかける。
『エミリさん……』
 泣きそうな顔をしたマオがエミリを見た。
 そうすると、隠れていた右腕も見えた。
「……それ」
 エミリが小さく呟くと、マオは慌てたように隆二の背中に隠れた。腕を隠すように。
『……ごめんなさいっ』
「マオ」
 涙声の謝罪に、隆二がその頭をそっと撫でる。
 それを見て、
「一条っ!」
 一声吠えると、エミリは再び銃口を一条に向けた。かっと激情に駆られたように。
 それを、
「エミリ」
 隆二は、名前を呼ぶことで止めた。
「だけど、神山さんっ」
 たしなめるように名前を呼ばれて、エミリが顔だけで振り返る。
「だって、こいつはっ」
 振り返ったエミリは怒ってもいたが、泣きそうな顔でもあった。
「あんたはその引き金を引くべきじゃない」
 まだ戻れるんだから。
「でもっ」
「やるなら俺がやる」
 その言葉に、エミリが小さく息を呑んだ。
 ゆっくりと立ち上がると、
「マオを頼む」
 エミリの肩をマオの方に押し、そっと前に出た。
『りゅーじっ』
 マオの声を背中に受けながら、ゆっくりと一条の前に立つ。
「U〇七八」
 隆二の視線を受けて、一条が呟いた。
「神山隆二だよ」
 今更実験体ナンバーで呼ばれることに、何か特別な感慨を抱くわけでもないが、そう訂正する。
「うちの居候猫が世話になったな」
「……わたしの娘だ」
「違う」
 座り込んだその胸倉を掴む。椅子に繋がった右手がひっぱられたのか、一条がうめき声をあげた。
 その耳元に顔を近づけると、低い声で小さく、一言告げた。一条だけに聞こえるように。
「俺のだ」
 そのまま返事は待たず、腹に一発拳をぶちこんだ。
 ぐっと呻いて、一条の体が崩れる。手を離すと、ぼたりと床に体が落ちた。
 手加減してやったのに。
 咳き込みながら、恨みがましい目でこちらを見てくる。
 たったこれだけのことで、そんな被害者面しやがって。自分がしたこと、わかってんのか?
 ドス黒い感情が足元から立ち上ってきた。呻いている一条を見下ろす。
 だってまだ、息の根がある。
 止めてしまえ。不愉快だから。
 倒れた体に、更に足を叩き込んだ。一発、二発、三発。
『りゅーじっ』
 怯えたようなマオの声がする。
 それで我に返った。
 久しぶりに黒い感情に支配されて動くところだった。
 足元の一条にまだ息があることを確認すると、一つ溜息をつく。
 本当はここで嬲り殺してもおつりがくるぐらい、この男が不愉快だが、そうするわけにもいくまい。エミリの立場もあるし、このまま殺してしまったら諸々のことが闇に葬られることになる。ここで一条を生かすことは、研究所に対して、一つ貸しぐらいになるはずだ。
 必死に自分に言い聞かせる。そうでもないと、本当に殺しかねない。
「エミリ」
「はい」
 背を向けたまま声をかけると、意外にもしっかりした声でエミリは返事をした。
「あと、頼んでいいか」
「はい。それがわたしの仕事ですので」
 深呼吸して、強張った顔を繕ってから振り返る。
 泣き顔のマオの肩を支えて、青い顔で、それでもしっかりとエミリが立っていた。
「ありがとう」
「いいえ」
 二人のところに近づくと、入れ替わるかのようにエミリが立ち上がった。一条の方に向かって行く。
「マオ」
 名前を呼ぶと、マオがすがるように左手を伸ばして来た。その手を掴み、そっと頭を撫でる。
「ごめんな」
 怖がらせて。
『ごめんなさいっ』
 何故だか謝るマオに、小さく微笑んでみせる。
「帰ろう。一緒に」
 その言葉に、マオは小さく頷いた。


第九幕 迷い仔猫の同居人

 一条の件はエミリに丸投げし、自宅に戻ったところで全てが元通りというわけにはいかなかった。
 研究班を締め上げてどうにかしろと脅しをかけたが、マオの右手は元には戻らないらしい。痛みはないから大丈夫、とマオは言っていたが、大丈夫なわけあるまい。
 見られるのが嫌なようで、あれ以来、隆二の右隣に居るようになった。すぐに隠すように動かすから、隆二はあまりそのことに触れないことにした。
 隆二に見られるのは嫌なようだが、隆二の傍から離れるのも極端に嫌がるようになった。今までも隆二についてまわっていたが、最近は本当にべったりだ。テレビをつけていても、それが四苦八苦久美子でも、テレビより隆二を優先する。コーヒーをいれるためにソファーから立ち上がるときでさえ、怯えたような顔をする。すぐそこなのに。ソファーからでも姿が見えるのに。
 寝ているときにはうなされているし、突然起きて泣き出すこともある。夜は怖くて眠れないと言い、元々幽霊のときは不規則だった睡眠時間が、めっきり昼間に集中するようになった。
 一晩追い回されて、自分の身の上を急に明らかにされて、斬られて、消されかけて。あれだけの目に遭ったのだから、一人になるのを恐れるのも、眠れないのも仕方が無いことだと思う。
 そして、何もできない自分は、ふがいない。出来るだけマオが安心できるように努めることしかできない。
 特に問題だと思うのが、ことあるごとにマオが呟く、ごめんなさいという言葉だ。思えばあのときから、ずっとごめんなさいと言っていた。
 約束を破って一人で出かけたから、こんなことになった。心霊写真を撮りたいと駄々をこねて、一条にバレることになった。隆二に心配をかけた。だから、ごめんなさい。そういうことらしい。
 確かに約束は破られたけれども、その約束の理由を説明しなかったのは隆二だ。説明していればマオだって、出かけたりしなかっただろう。だから、非は隆二にだってある。
 それ以外のことにかんして、マオに原因がある部分はない。心霊写真のことだって、出かけたことだって、誰がこんなことになると思えただろう。
 マオは悪くないから謝らなくていい。そう何度も言っているのに、今だって隣で眠っているマオは、寝言でごめんなさいと呟いている。
 まったく、どうしたものかね。
 上手い解決方法が欠片も思いつかない、自分のひとでなしさに呆れ返り、溜息をつく。
 眠っているマオの頭をそっと撫でる。歪められていた顔が、少しだけ和らいだように見えた。
 心の傷は時間が治してくれるかもしれない。今は待っていればいいのかもしれない。
 だけれども、待っていてくれないことだってある。
 ぴんぽーんっと、チャイムが鳴った。マオを起こさないようにそっと立ち上がると、玄関に向かう。
「こんにちは」
 ぺこりと頭を下げたのは、勿論赤い彼女だった。
「来てもらって悪いな、エミリ」
「いえ。マオさんは?」
「寝てる」
「そうですか」
 なんとなく小声で会話しながら、部屋の中に入る。二人分のコーヒーをいれると、ダイニングテーブルに向かいあった。
 エミリがソファーで眠るマオに視線を移す。
「……やはり、嫌がりますか?」
「ああ」
 今もっとも困っていて、問題視していることは、マオが食事をとりたがらないことだ。あれから半月経って、食事の日が来ても嫌がった。
「実体化するのが怖いっていうのは、わかるからなぁ」
 先月まではあんなに楽しみにしていたのに。実体化しているときは、普通の人間としてしか生活できないこと、つまり肉体の死が生じることを知ってしまった今、実体化したくないらしい。
 だからといって、このままでいいわけがない。このままじゃ、エネルギー不足で消えてしまうだけだ。
「食事と実体化が切り離せないところが問題ですよね」
「強引に与えようともしたんだけど、人に物喰わせるのと違って、本人に食べる意思がないとどうしようもないみたいだな」
「……そうですか」
「マオ本人も、このままじゃただ消えることになるのはわかっているみたいなんだけどな。エネルギーが不足してきているのは本人が一番わかっているだろうし」
 だけれども、どうしても勇気がでないのだと言う。こればっかりは、気長に待つ訳にもいかない。もたもたしていると本当にマオが消えてしまう。
「でしたら、これがマオさんに勇気を与えるきっかけになればいいんですけど」
 言いながら、エミリが鞄からクリアファイルを出してきた。
「お話ししていた件、研究所に飲ませることに成功しました」
「本当に!?」
 思わず声が大きくなる。慌ててマオの方を見るが、僅かに顔をしかめたものの、目は醒まさなかった。
 クリアファイルの中の書類を手に取る。ゆっくりと、それに目を通していく。
「……本当だ」
 今回のことの責任をとれ、と押し付けた要望書。無理難題をふっかけている自覚はあったので、こちらの条件が全て通るとは思っていなかった。それらが多少条件はついているものの、全て通っている。
「……大変だったんじゃないのか?」
 澄ました顔でコーヒーを飲むエミリを見る。
「半分は父のおかげです」
「……ああ」
 では、残り半分は?
 尋ねようとしたとき、
『りゅうじっ』
 マオの怯えたような声がして、慌てて立ち上がった。
 目を覚まして、ソファーで上体を起こしたマオの前に膝をつく。
「おはよう」
 軽く頭を撫でながらそう言うと、マオは小さく頷いた。
『あ、エミリさん』
 腰を浮かしかけたエミリに気づき、そう呟く。
「お邪魔しています」
 エミリはいつものように応えた。
「……お腹、空いてないか?」
 尋ねるとマオは戸惑ったように沈黙した。嘘がつけないマオのことだから、やはり空いているのだろう。
「話があるんだ、いいか?」
 マオは小さく首を傾げたが、嫌がったりはしなかった。
「席、外しましょうか?」
 エミリがそう声をかけてくる。
 別にいてもらっても構わないが、そう言いかけて、これから自分が口走ることを考えたら、
「あー、悪い」
 苦々しくそう呟くしか出来なかった。エミリに聞かれて困る話ではないのだが、エミリに聞かれたら恥ずかしいことを言うような気がする。
 エミリは一度小さく笑ってから、
「外に居ます。終わったら呼んでください」
 躊躇い無く外に出て行った。
『……隆二?』
 小さな声で尋ねてくるマオに、安心させるように微笑みかける。それから告げた。
「引っ越そう」
 突然の申し出に、マオがきょとんとした顔をする。最近怯えたような顔ばかり見ていたから、こんな顔でも表情が動くと安心する。
「行き先はマオが決めていい。どこでもいいよ、俺は」
『……え、なんで?』
「今回知り合いを増やし過ぎたから」
『……ごめんなさい』
 ああ、もう。だからなんで謝るかな、こいつは。
 一瞬、苛立ちが胸中に湧き起こり、慌てて深呼吸してそれを押し込めた。
「マオのせいじゃなくって。っていうか、そもそもコンビニの人に正体はバレてたんだけどさ」
 菊だけだったならば放っておいた。なんか、オカルトマニアだったし、実害がなさそうで。だけれども、緊急事態だったとはいえマオの写真をばらまいたし、柚香とも葉平ともしっかり面識が出来てしまった。さすがに、これは問題だと思う。
『……あ、柚香さんに、あたし連絡してない。急に消えたままだ』
「ああ、それはやっといたから大丈夫」
 まあ、一週間経ってからだけど。世話になったり心配をかけたりした人へ、無事だった報告をすることなんて、すっかり頭から抜けていた。仕方ない、ひとでなしなんだから、と自己弁護。
「とりあえず大丈夫だったって、連絡してある。……だけどさ、やっぱりこれ、あんまりいい状態じゃないと思うんだ」
 今はまだいい。だけれども、時が流れればいずれ不審に思われるだろう。容貌に変化がないことも、マオが半月ごとにしか姿を現さないことも、どこで不審に思われるかわからない。
 自分一人だったら、多少不審に思われても構わなかった。でも、今はマオがいる。不安の種は減らしておきたい。
「だから引っ越そう。どこでもいいけど、そうだな、どこか田舎でのんびり暮らせたら一番いいな」
 正直、今回頑張り過ぎて怠惰な生活が恋しい。
『……引っ越しって、でも平気なの? 急にそんな……』
「これ」
 クリアファイルから書類をだして、マオに見えるように床に並べる。
「今回のことの迷惑料ってことで、研究所にふっかけた」
 一条のことを隠蔽して、マオのことを見捨てようとしたことを、ちくりちくりとやりながら、マオになにかあったらここを壊滅させるぞ、と躊躇いなく脅した。一条を生かしてそちらに引渡したことも感謝しろよ、と半殺しにしておきながら偉そうに告げた。
 久しぶりにU〇七八であることを、存分に使った。死神のいない今、トラウマもなにもない研究所など何も恐れることがない。どさくさに紛れて、一条の持ち出したエクスカリバーも破壊したし。電話越しとはいえ、相手方の怯えるさまはなかなかに痛快だった。
「引っ越しも条件のひとつ」
 引っ越し費用は向こう持ち。新しい家も用意しろ。我ながらむちゃくちゃな要望だが、エミリと和広の協力があってねじ込めた。
「あとまあ、当面の生活費なんかももぎ取ったし。あー、定期検査無しには出来なかった。回数は減ったけど。ごめんな」
『……それは、うん。……行かなきゃいけないのは、わかってるから』
 語尾が震える言葉に、ぽんぽんっと頭を撫でる。
「まあ、俺も一緒に行くし」
『ん、ごめんなさい……』
「謝らなくていいから」
 だから何故謝る。
「一条のことは」
 その名を口にすると、びくっとマオの体が震えた。しかし、避けて通れない話題だ。
「あいつらに全部任せた。ただ、二度と俺たちに近づかせないことを誓わせた。居場所も教えるなって」
 次にその姿を見かけることがあったら、研究所もろともただじゃおかないぞ、と言っておいた。まあ、その前に、一条がまた隆二達の前に姿を現せるほど、元気になるかも疑問だが。身体的な意味で。というのは、マオには言わないでおく。
「だから一条のことは大丈夫」
 それからエミリに調べてもらったところ、一条稔は、あの一条と、茜の一条と親戚関係にあるらしいこともわかったが、まあそれは蛇足。一条花音が茜と親戚関係にある、それになんともいえない感慨を抱いたが、それはマオとは関係ないことだ。一条花音とマオは、何にも関係がないことだ。
 マオがこくりと小さく頷いた。
『ごめんなさい』
「謝らなくていいから。それから、あと、そうそう義手」
 この話をするのは嫌がるだろう。だけれども、言わないと先には進めない。
「右手」
 告げると、マオは身をよじるようにして右手を隠そうとした。
「元には戻らないけど、義手作るように頼んだから。実体化している時は勿論、霊体になってからも使えるもの。不便はあるだろうけれども、見た目は気にしなくていいはずだから」
『……本当?』
「ああ」
 マオが少し安心したように笑った。のも、束の間。
『ごめんなさい』
 また謝った。
 ぷちっとどこかで何かが切れる音が聞こえた気がした。
 あ、駄目だ。我慢の限界だ。半月我慢してきたのに、ここで限界だ。
 マオの頬を包むように、両手を伸ばす。
『……隆二?』
 不思議そうなマオ。
 寧ろ優しく微笑みかけると、
『ひゃぁっ、ちょっ』
 その頬をぐっと引っ張った。
『りゅーじっ』
「お前は本当に一体なんだってそうやっていちいち人の神経を逆撫でして俺を一体なんだと思ってるんだ」
 そこまで一息に言ってから手を離す。そのまま、また頬を包むように手を置いた。
「ひとでなしだぞ」
『……ええ?』
「お前はあれだけ普段人のことを、やれひとでなしだの、唐変木だの言っておいて、それでも気を使えというのか、この俺に」
 自分でも、なに駄目なこと自信満々に言っているんだろうなあ、という気はするが。
『え? ごめんなさ』
「だからそれ」
 また謝ろうとしたマオを遮る。
「今後、この話題について謝罪禁止。だって別にマオは悪くないだろ。悪くないのに謝罪されるほど不愉快なことはないだろう」
 マオの目が大きく見開かれる。驚いたように。
 さてはお前、自分が二言目には謝罪していたことにも気づいてなかったな。
「大変だったのも辛かったのも怖かったのもわかるよ。だから、無理に笑え、とは言わない。だけど、せめて謝るのはやめろよ」
 ああ、やっぱりエミリに席を外しておいてもらって正解だったな。そう思いながら、続きを口にする。
「俺はずっと、この一年、お前の無駄な明るさに救われてたんだよ」
 最初はただ振り回されて、面倒だなと思っていた。今だって、たまに面倒だなと思うけれども、面倒だなと思うこともひっくるめて楽しいと思っている。マオとの生活を。
 マオを拾ってすぐは、久しぶりの誰かと一緒の生活も悪くないものだな、と思っていた。今は、マオと一緒の生活じゃなければ意味がないと思っている。誰かじゃなくて、マオとの。
「調子が狂うんだよ、マオがそんなだと」
 マオの存在は、すっかり隆二の生活に組み込まれているのだから。
「無理に笑えとは言わない。時間がかかってもいい。それぐらいちゃんと待つ。俺だって、たまにはそういう努力をする。だけど、謝るのだけはやめてくれ。頼むから」
 怯えさせたくて、泣かせたくて、謝罪させたくて、傍に置いているわけではないのだ。
 マオは目を見開いたまま隆二の顔を見つめていたが、やがて、
『うん』
 頷いた。それから言葉を探すように少し沈黙して、
『……ありがとう』
 まだどこかぎこちなくだが、そう言って微笑んだ。
 それに安堵すると、ぽんぽんっと頭を撫でる。
「……マオ」
 左手をそっと繋ぐ。
「……食事、しよう。そろそろ、本当に」
 その途端、マオの顔がまたくしゃりと歪んだ。
「大丈夫。あんなこと、そうそうないから。今度はちゃんと、俺が傍にいるから。危ない目には遭わせないから」
 マオが今までよりも少し気を使って、隆二がちゃんと見ておけば、きっと平気なはずだから。
「それでもまだ、やっぱり、怖い?」
『……怖いよ』
 泣きそうな顔でマオが答える。
『だって、約束破っちゃうかもしれない』
「……ん?」
 それは想定と違う返答だった。約束?
『ずっとあたしが、傍にいるって言ったのに。一緒にいるって言ったのに、それを破っちゃうかもしれないの、すっごく怖い。隆二がまた、一人になっちゃう……』
 泣きそうな顔で、それでもはっきりとマオはそう言った。
 約束って、ああ、そうか。
「……お前は、本当にっ」
 繋いだ手をひっぱって、頭を抱き寄せる。
『わっ。……隆二?』
「怖いって、それかよ」
 声が掠れた。
「他にも色々あるだろうが。最初にでるのが、それかよ」
『……隆二、大丈夫?』
 腕の中のマオが心配そうに呟く。立場が逆転した。
 だって、そうだろ?
「なんで俺の心配なんだよ、お前」
『……なんでって』
 どうしてそんなことを訊くのかわからない、とでも言いたげな不思議そうな口調で、
『だって、約束したから』
 当たり前のようにそう続ける。
『一人じゃないから大丈夫だよ、って言ったの、あたしだもの。絶対に一人にしない、って言ったの、あたしだもの。だって』
 マオの左手がそっと背中にまわされる。
『泣いていたじゃない、あのとき、隆二』
「……京介の?」
『そう。あたしね、びっくりしたの。隆二は泣いたりしないって勝手に思ってたから』
「あー、うん」
 出来れば泣いていたことは忘れて欲しいんだが……。
『隆二が泣いているの見るの、なんだかとっても悲しいから。だから、もう二度と、隆二を泣かせないって決めたの。今また、泣かせたけど……』
「……泣いてない」
『うそ』
 ぎゅっとマオの額が胸に押し付けられる。
『声で、わかるよ』
 そっと囁かれた言葉に、ぐっと言葉につまる。まあ確かに、今少し泣きそうだったけれども、それは、
「……世の中にはうれし泣きっていう言葉があってだな」
『……うれし泣き?』
「……そのうち学んでくれ」
 心配してくれていたことが嬉しかったのだと、どうして自分の口から言えよう。
「ともかく」
 気を取り直して咳払い。
「俺のことでそんなに気に病まなくていいから」
 肩を押して体を離す。マオの眉間に寄った皺を指先でぐぐっと押した。
『ちょっ』
「大丈夫だから、俺は」
 抗議の声を無視して、指でぐいぐい押したまま続ける。
「マオが実体化してから、少しずつだけど、ちゃんと覚悟をしてきたから」
『……覚悟?』
「一人になること」
 微笑んでみせると、マオはまた泣きそうな顔をした。眉間から手を離し、マオの頬に手を移すとぐいっと唇を笑みの形にした。
『ちょっと』
「泣かれたら嫌なのは俺もなんだよ」
 早口でそう言うと、手を離す。
 マオはなんだか驚いたような顔をして、それから小さく頷いた。
 長い時間をかけて覚悟してきたのだと、茜が言っていた。それならば、きっと。
「一緒にいる時間は、いつかくる別れのための準備期間なんだ」
 それがいつのことかはわからない。でも、別れが避けられないのであるならば、せめて悔いなくその日まで過ごしたい。今は、そう思う。
「だから、その、残された俺のことは気にしなくていい」
『……でも』
「代わりに、今のことを気にしてくれ」
『……今?』
 そう、と一つ頷く。
「別れの時に悔いたりしないように。悲しいのは避けられないとしても、悔いがないように」
 ここまでの別れはずっと悔いばかりのこった。茜のことも、京介のことも。今度は、それを避けたい。
「出来るだけ楽しく、笑って過ごせたらいいな、と俺は思うわけだ」
 なんだかとっても恥ずかしいことを口にした気がしてきたので、
「あとだらだらしたいよな」
 照れ隠しにそう続ける。いや、本心だけど。
『……ん』
 マオが小さく頷いた。
「……だからマオ、食事をとろう」
 ここまで言っても、今ひとつ押しが足りないらしい。困惑の表情を浮かべる。
「お前さ、わかってるだろ。食事とらないと消えるんだぞ」
 さすがに苛立ってきた。人にここまで恥ずかしいこと言わせて、何を躊躇っているんだ。
『……そうだけど』
 マオの左手が、自身の右肩にそっと触れる。
「今のことを考えろ」
 その左手ごと、肩に触れる。
「悲しませたくないなど言ってもな、俺は」
 なんだかもう色々面倒になって、睨みつけた。マオが怯えたような顔をする。もう知るか。ひとでなしなのにここまでよく頑張った方だと自分でも思う。怯えようが結構。優しい言葉なんてこれ以上かけられるか。むず痒くて仕方ない。
「今、マオに消えられたら、悲しいし、困るんだよ! いつまでも甘えないでくれよ、困るんだよ、ひとでなしなんだから!」
 マオの目が大きく見開かれる。
 それを容赦なく見つめ返した。というか、睨み返した。
 マオはしばらく黙っていたが、ふいに唇を重ねてきた。咄嗟のことに目を閉じるのが遅れた。
 触れていた部分に熱があらわれる。
「いただきますぐらい言えよ」
 唇を離したマオにそう毒づいた。
 マオは一瞬、不満そうに唇を尖らせたあと、
「ごちそうさまでした」
 肉声をふるわせて、そう答えた。
 実体化した彼女の右手はやっぱりなくて、白い肩が痛々しかった。
「……痛みは?」
「平気」
 マオは少し微笑み頷いた。それから、
「……ねえ、隆二」
「ん?」
「さっきの、引っ越しの話。あたし、住みたい場所があるの」
 提示された場所はとっても意外な場所だった。

 

 

 とりあえず着替えて来い、とマオを隣の部屋に連れて行くと、次に玄関の扉をあけた。
「……あ、お話終わりました?」
 扉の横に寄りかかるようにして立ち。ケータイをいじっていたエミリに頷きかける。
「悪かったな」
「いえ」
 エミリは再び部屋の中に入りながら、
「どんな恥ずかしい言葉で、マオさんを説得されたんです?」
 悪戯っぽく笑った。
 見抜かれている。
「ほっとけ」
 苦々しく言葉を返した。
 またダイニングに戻ってくると、部屋着に着替えたマオも部屋から出て来た。首元にはしっかりとペンダントがついていて、それに少し微笑む。
「マオさん」
 エミリが立ち上がると、マオの目の前に立った。
「ごめんなさい」
 そこで頭を下げる。
「エミリさん?」
 マオが驚いたように声をかける。
「一条のこと知らなくって。研究所のことなのに、何も知らなくって。心霊写真のことも、知ってたら送らなかったのに。ごめんなさい」
 早口の謝罪に驚いたのは、隆二も一緒だった。エミリが気に病んでいたのはわかっていたが、まさかここまでとは。ずっと、この半月、どこで謝ろうか考えていたのだろう。
「え、待って。エミリさんが悪いんじゃないよっ」
「でもっ」
「エミリさんが助けてくれたの、知ってるもん。ありがとう」
「マオさん……」
 二人ともなんだか声が泣きそうになっている。おいおい大丈夫だろうな、と思っていると、
「本当、最悪の前に間に合って良かったです」
「うん、ありがとうっ」
 何故か二人して抱き合って号泣。
 なんでこうなった?
 感情の波に一人置いて行かれた隆二は、間抜けな顔をして、わんわん泣く少女達を見る。
 それにしても、緑の髪と赤い服。クリスマスみたいなやつらだなーと、どこまでもひとでなしなことを思った。

「……あー、そろそろいいか?」
 二人が思う存分泣き、落ち着いたところでそう声をかけた。
「はい、すみません」
 ハンカチで目元を拭きながら、エミリが頷く。マオはティッシュを探して彷徨いはじめた。
「あー、その引っ越しの件だが」
 置いてあったティッシュの箱をマオに渡しながら、本題を切り出す。
「決まりました? 場所」
「ああ。マオの希望で」
 その場所を告げると、エミリが驚いたような顔をした。
「いいか?」
「こちらは構いませんが……、神山さんはそれでいいんですか?」
 いいか悪いかで言われたら、正直微妙だけど、
「どこでもいいって言ったの俺だしなー」
 そう呟くと、マオがふふっと楽しそうに笑った。僅かなものではあるが久しぶりの笑みに、心の底で安堵する。
「わかりました」
 エミリも小さく微笑むと、
「それじゃあ、準備できたらご連絡しますね」


 その準備の連絡は意外とはやく、一週間後には、いつでも引っ越せますよ、などと言われた。それならば、マオが実体化しているうちに引っ越してしまおう、と連絡を受けた二日後には、新天地に向かっていた。
 どうせ荷物なんて、たいしてないし、面倒な手続は研究所任せだし。
 電車を乗り継ぎ、目的地につく。切符の購入も乗り継ぎの案内も、全部エミリに頼んだが。
 人の少ない駅で降り立つと、ちらほらと視線が向けられた。
「やっぱり目立つのかな」
 向けられる視線に、マオは右手を隆二にくっつけて隠そうとする。必然的に腕を組んだような形になって逆に目立つような気もした。
 研究班の寄越した義手をつけているから、ぱっと見はよくわからない。それでも、右手のことは気になるらしい。こればっかりは、慣れてもらうしかないな、と思っている。
「そんなことありません。うちの研究所はバカばかりですが、その腕は優秀ですから。わたしたちが可愛いのに神山さんがむっつりしてるからですよ」
 そういって微笑むエミリ。お前の服が真っ赤だから目立っているんだよ、と思うのはどうやら隆二だけらしい。
 とはいえ、赤は赤だが、エミリの服はいつもと違っていた。
 今までのエミリは、いつも同じような、赤いジャケットに、かろうじてオレンジ色っぽいスカート。赤いブーツ、赤いベレー帽と全身赤コーデだった。
 今日は白いブラウスに赤いカーディガン、赤いチェックのスカートで、靴は黒のパンプスだ。帽子も被っていない。
 赤は赤だが、いつもと違う。控えめだ。
 その理由を考えながらエミリを見ていると、
「なにか?」
 視線に気づいたエミリに、不思議そうな顔をされた。
「いや、別に?」
「そうですか」
 駅から先は隆二を先頭に歩いて行く。
 ところどころ、見慣れた景色がある。自然に、歩く速度がはやくなっていく。
「隆二、はやい」
 マオの抗議の声に、慌てて歩く速度を落とした。
 でも、もうすぐそこだ。
 その角を曲がれば……。
 角を曲がって、その場所を見た時、一瞬息を呑んだ。
 そこは昔と何もかわっていなかった。
 近代化にのりおくれたようにぽつんと家が立っていた。寂しげに。
 もうずっと来ていなかった場所。一条茜と過ごした場所。そして、これから住む場所。
「……ただいま」
 崩れかけた門扉を撫でながら小さく呟いた。
 感傷に浸る隆二の横を、すすっとマオが通り抜ける。
「へー、ここに住んでたんだ」
 言いながらマオが家に向かう。
「マオさん、鍵あけますね」
 それをエミリが慌てたように追う。
 まさかまた、ここに住むようになるとは思わなかった。未だ一条の持ち物だったらしいが、持て余していてすぐに購入できたらしい。一条稔が親戚筋だったことも関係しているらしい。ありがたくもない話だが。
「隆二ぃ、はやくぅー」
 家の方からはしゃいだマオの声がする。それに苦笑しながら返事をした。
「今行くー」
 部屋の中は、一通り掃除と修繕がしてあるようだった。
 ゆっくりと辺りを見回し、茜との日々を思い出そうと、
「お風呂が変!」
「ああ、五右衛門風呂だから」
「あ、知ってる! テレビで見た! 釜ゆでにされるのね」
「ああ、まあ……」
「ねぇねぇ、あれはー!」
 思い出そうとしたけれども、出来なかった。はしゃいだマオの声が色々と話かけてくる。
 それに答えながら、まあいいか、とも思った。今後一緒に住むのはマオだ。茜じゃない。茜のことを今、無理に思い出さなくても。
 大事なのは、今とこれからだから。

 

 

 一通り家の中を見たあと、居間に向かう。
 家具や食器類は予め運び込まれているので、コーヒーぐらいならば直ぐに飲むことができた。
 隆二が人数分のコーヒーを、運び込まれたダイニングテーブルの上に置いた。
 エミリはそれを受け取ると、自分の向かいでなにやら楽しそうに話す、隆二とマオを見る。
 そろそろ、あの話をしよう。
 きっと、隆二はなんらかのことを察しているだろうけれども。
「……あの」
 二人の会話が途切れたところを見計らって声をかける。
「お話が、あるんですけど」
「エミリさん、どうしたの?」
 一つ深呼吸してから、
「……わたし、研究所をやめることにしました」
「ええ!?」
 エミリの言葉に、マオは驚いたように声をあげたが、隆二は少し眉を動かしただけだった。やはりそれなりに察していたか。
「え、あれ、もしかして、あたしのせい? あたしのこと助けたから?」
 慌てたようにマオが言うが、
「いえ、自分で決めたことです」
 それはしっかり否定した。
 確かに直接のきっかけは、マオ達の側についたことだ。だけれども、マオ達の側につくことを選んだのは自分自身だ。研究所とはかりにかけて、マオ達を選んだ。
「正直、自分の人生において研究所よりも大きな存在ができるとは思っていませんでした」
 それぐらい、研究所の存在はエミリにとって大きいものだったから。
「でもだったら、辞めてもわたしはきっと平気だな、と思ったんです」
 研究所を辞めたら何もなくなってしまうと、昔は思っていた。今は違う。何もないかもしれないけれども、それは何かを掴めるということなのだと、知っている。
 辞める前に最後の我が侭だ、と今回の引っ越しのことなど全てをねじ込んだ。あれが自分の最後の仕事だ。最後にこの二人の役に立てたのならば、言うことはない。
「……おっちゃんは?」
「父は好きにしろと言っていましたから」
「ふーん、ならいいか」
 隆二は興味なさそうな顔をして、呟いた。
「……だから今日、ちょっと地味な格好なんだな」
 そのまま呟かれた言葉に苦笑する。見ていないようで、この人は意外とよく見ている。
「ええ、まあ。あれはなんとなく、制服みたいなものだったので」
 真っ赤な格好は研究所の人間として働くときの、制服のようなものだった。私服ではあるものの。戦闘服と言い換えてもいい。あれを着ると身が引き締まる気がしていた。
 今となっては、もうあれを着ることもないのだろう。そう思う。
「え、でも、辞めてどうするの?」
「イギリスに行きます」
 マオの言葉に小さく微笑み返す。
「わたし、高校も行ってませんし、どうしようかと思っていたんですけど、祖父の友人がこちらで勉強しないか、と言ってくれたんです。数年、向こうで勉強しようと思っています。自分がなにをやりたいか、を」
 それから小さく息を吸い込み、一番大切なことを告げた。
「ですから、しばらくお会い出来ません」
 エミリの言葉を聞き終わると、マオが横の隆二に訊いた。いつもわからないことを訊くのと同じ口調で。とても軽く。
「イギリスって遠いの?」
「遠いだろ。海越えるし」
「へー、いいな。あたしも行きたい!」
「パスポートないだろお前」
「実体化してない時にいけばいいじゃん」
「俺が無理。あんな鉄のかたまりが空飛ぶ何てありえない、絶対乗ったら落ちる」
「隆二おじいちゃんだもんねー」
 そうやって、ぽんぽんといつもとおりの会話をしていく。それなりに意を決しての発言だったのにいつもの会話を。
 そんな二人の会話に圧倒されて、エミリはぽかんっと間抜けな顔をした。
 そんなエミリのことは気にせず、
「まあ、帰って来たらまた遊びにきてね」
「どうせ俺たち暇してるから。いつでもいいからさ」
 二人は微笑んだ。
 それになんだか、きゅっと心臓が痛くなる。視界が歪む。
「……エミリさん?」
 マオの心配そうな声に慌てて深呼吸をすると、微笑んだ。
「ありがとうございます」
 もう二度と、会わないぐらいの心づもりだった。そちらの方が、彼らの負担にならないと思ったのだ。
 だけれども、来ていいと言ってくれるのならば、自分はまた彼らに会いたい。そして、彼らが社交辞令を言うなんて、そんなことが出来る人じゃないことをエミリはよく知っている。本心から、来ていいと思ってくれている。
 それは、とても、嬉しい。
「絶対にまた来ます」
 力強く言い切った。


 事務的な話を終えて、エミリを駅まで見送った。
 帰り道、のんびりと手を繋いで帰る。マオの左手と繋いだ隆二の右手には、あのブレスレットが巻かれていた。
「ところでさ」
 隆二は歩きながら、隣のマオに話かける。
「んー?」
「お前、なんであそこに住みたいって言ったわけ?」
「え、今?」
 驚いたようにマオが目を見開く。まあ、タイミング逃して、訊くのが遅くなってしまったことは否めないが。
 マオは、隆二らしいね、と小さく笑うと、
「隆二が住んでいたところに住んでみたかったんだよー」
 と、なんでもないように続けた。
「この前来たときはすぐ帰っちゃったし。じっくり見てみたかったの。隆二が住んでいたところ。隆二が見てたものとかも」
 そこまで言ってから、ちょっと困ったような顔をして、
「もしかして、嫌だった?」
 こちらの顔色を伺ってくる。
「……や、別に?」
 嫌ではないのだ。ただ、なんとなく微妙なだけで。現在と過去が交差する感じが、うまく言えないけれども、不思議な気分になるだけで。
「嫌ではないよ」
「そっか」
 よかった、とマオが笑う。
 さっきからよく笑っているな、とその顔を見て思う。楽しそうに笑っているのならば、まあ引っ越しも悪くなかった。
 角を曲がり、自宅が見えてくる。
 門のところで、一度マオが立ち止まった。つられて一緒に立ち止まる。
 マオは家全体を見回すと、
「ねぇ、隆二、ここは、あたしたちの家よね?」
 隆二の顔を見て首を傾げた。
「ん? ああ」
 なに当たり前のこと訊いているんだか。
「ふふーン! これでも居候なんて言わせないんだからねっ!」
 するとマオは、何故だかやたらと勝ち誇った声でそう言った。
「は?」
 予想外の展開にあっけにとられる。
「隆二の家に居たら居候だけど、隆二とあたしの家なら同居人でしょう?」
 そう言って楽しそうに笑うと、隆二の手から鍵を奪いとって、さっさと玄関の鍵をあける。
 居候? ああ、なんだ、そんなこと気にしていたのか。
 そう言えば、確かにいつまでも居候猫だと言っていたけれども、それは便宜上そう呼んでいただけで、隆二の中ではとっくの昔に居候から同居人ぐらいには格上げされていたのに。
 言ってくれればよかったのに。そんなに気にしているのならば、言ってくれればよかったのに。
 そう思いながら、同居猫の後ろ姿を見ていると、
「あ、あとさ」
 玄関を入ってすぐのところでマオが振り返った。
「ん?」
「あたし、決めたから」
「何を?」
「覚悟を」
 言ってマオは、悠然と微笑む。
 予想だにしない言葉に、思わず息を呑んだ。覚悟を、決めた? 何の?
「もしも死んでも、また幽霊になるから。絶対になるから。そう決めたの。元々幽霊なんだもの、またなるのなんて、簡単だよね、きっと。未練があればなるっていうし、未練たらたらだし? 猫に九生あり、って君子で言ってたしね!」
 なんだか悪戯っぽく笑って、歌うように続ける。
「隆二が泣いて喚いたって、一人になんかしないから」
 くすくすと笑うと、あっけにとられる隆二を残し、くるっとターンして家の中に入って行く。
 幽霊になる? 何を言っているんだ、こいつは。そんなこと、出来ると思っているのだろうか。
 でもそうか。幽霊になったら、また元に戻るだけなのか。それがもしも、可能ならば、それもありなのかもしれない。
 相変わらず想定の斜め上をいく。想定外の存在だ。想定外の存在だから、もしかしたら本当に幽霊になって、またまとわりついてくるのかもしれない。それならば、それでいいかもしれない。
 見ていて飽きない、と茜に言った。あれはやっぱりそのとおりだ。一緒にいて飽きない、退屈しない。いささか振り回されてはいるけれども。
 この同居人が何を考えているのか、まだまだわからないことだらけだ。
 まあ、ゆっくり知っていけばいいさ。時間はまだまだあるのだから。
 とりあえず今は。
「さって、テレビ見ようっと!」
 マオが、既に運び込まれていた赤いソファーにぽんっと飛び乗る。今までと同じように。
「マオ」
 そこに声をかけた。
「ん?」
「ただいま」
 言ってみる。ここは二人の家なのだから。
 マオは驚いたように目を見開き、
「おかえりなさい、隆二」
 ぱっと花が咲くように、笑った。 


奥付


ひとでなしの二人組


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サイト版:http://freedom.lolipop.jp/novels/cruel/index.html

著者 : 小高まあな
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