目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第一幕 居候猫の現状

「マオー、はやくしろー」
 隆二は、玄関で靴を履くと、部屋の中に呼びかけた。
「待ってー」
 ぱたぱたと軽い足音をたてて出てきたマオは、ピンクと白のジャケット二着を持っていた。
「ねー、どっちだと思う?」
 どっちでもかわんねーよ。
 喉まででかかった言葉を飲み込む。そんなこと言ったら、よりいっそう面倒なことになるのを、経験で知っている。既に何回かなったし。
「ピンク」
「あ、やっぱり?」
 今回は当たりを選んだらしい。マオは満足そうに頷くと、白いジャケットはダイニングの椅子にかけて、ピンクのジャケットに袖を通した。
 これが外れを選ぶと、「えーそうかなー、あたしはこっちがいいと思うんだけどなー」とか言われて無駄な時間を使うのだ。自分の中で決まっているなら、俺に聞くなよ。
「帰ってきたらちゃんと片付けろよ」
 放置された選ばれなかった上着を指差すと、
「わかってるよぉー」
 と頬をふくらませてマオが返事した。
 わかってないだろ。放りっぱなしだろ、お前いつも。
 マオは茶色いパンプスを履くと、同じ色のスカートのひだを軽く直した。上には白いフリルのブラウスを着ている。肩からかけた小さな鞄の中には、何が入っていることやら。
 隆二に命じて玄関に設置させた姿見で、自分の姿をじっと確認すると、
「うん! おまたせ!」
 満足したのか、隆二に顔を向けると笑った。
「じゃあ、行くか」
 玄関をしめると隆二は、マオの右手を掴んで歩き出した。

 マオが実体化してから数ヶ月が過ぎた。
 実体化の原因については、研究班が調べたがなんだかよくわからなかった。色々説明はされたが、専門用語過ぎて隆二がついていけなかったのもある。
「つまり、想定外の行動をしたから、想定外のことが起きたんですよ、きっと」
 と、エミリがあっさりまとめて、隆二もそれに乗っかることにした。大事なのは原因ではないのだ。
 これから、どうなるか、だ。
 あれ以来、二人の生活はがらり、と変わった。
 まず、マオが人の精気を必要としなくなった。厳密にいうと、摂取できなくなった。あの時、隆二の精気、のようななにかを摂取して以来、体の構造が精気のような何かに対応できるように変化してしまったらしい。現在、マオの食事は隆二の精気だ。それしかとれない。
 それが、隆二の限定なのか、不死者であるのならば他の誰かでもいいのか、は不明だが。
 そうして、人の精気よりもエネルギー量があるらしく、月一回の食事で、原則として存在が保持できるようになった。少ない回数ですんでいるので、隆二としては助かっている。
 いや、精気を与えること自体に別段不服はないのだが、唇をあわせるという方法に不服がある。それは食事だとわかっていても、釈然としない。
 そしてこれが一番、大きな違いだ。
 食事の後、二週間、マオは実体化する。
 これは数ヶ月の経験と、研究所の調べによって確定した。月の後半の二週間、マオは実体化する。つまり、月の前半は今までどおりの幽霊状態だ。
 半月ごとに、二人の生活は変化する。月の前半、霊体のときには今までどおりで何の問題もない。
 問題は月の後半だ。実体化したところで、マオはマオだ。中身はあのまま、隆二を振り回す。
 衣服や生活用品については、研究所から研究に協力した謝礼として現金をうけとり、それを使っている。謝礼として現金をうけとることに、抵抗があったが、マオのための衣服等が必要なことには間違いがなく、隆二にさして貯金がないこともまた、事実なのだった。
「受け取っておけばいいんです。利用できるものは利用してください」
 謝礼金を支払うように動いてくれたというエミリが、笑いながらそう言った。それに背中を押された。
 今回の一件では、なにからなにまで彼女に頼っている。
 その謝礼金を使って、マオがいくつか服を買い込んできた。テレビっこの彼女は、幽霊であるころからそれなりに勉強してきたらしい。最初はちぐはぐだったが、今ではヘアスタイルもメイクも、きちんと決まっている。
 テレビがない方の部屋を、今までは本を置く部屋として使っていた。一応貰い物のベッドはあるが使っていなかった。そのベッド周りは、今ではマオの私物であふれかえっている。片付けろって言っているのに、片付けやしない。
 実体化している間は、普通の人としての食事を必要とするため、コンビニで食事を買ったり、簡単なものなら隆二が作ったりしている。
 朝起きて、どの服を着るか毎朝悩んで、出かける時には化粧をして、髪型を整えて、二人で食卓を囲んで。
 なんというか、そう、普通の同居生活をしている。困ったことに。
 それでも、マオはこの生活を楽しんでいるようだから、隆二は何も言わない。そう、決めている。

 

 

 水族館の大水槽のような大きな硝子。その硝子の向こうで、マオが不安そうな顔をしながら白衣の説明を聞いている。ちらりとマオがこちらを見てくるから、軽く片手をあげてみせると、ほっと安堵したような顔をした。
 ここは研究所。今は、あれ以来恒例となった定期検査の最中だ。目の届かないところには行かせない、という隆二の主張のもと、硝子で隔てられた部屋でそれは行われている。強化硝子らしいが、こんなもの、隆二にとってはあってないようなものだ。いざとなれば。
 カルテのようなものを持った白衣の言葉に、マオが首を傾げながら何かを答えている。
 机に頬杖をついてそれを見ていると、
「どうぞ」
 紙コップに入ったコーヒーが机に置かれた。
 視界の右端に赤い色。
「ども」
 素直に受け取り、一口啜りながら、右隣に腰を下ろしたエミリを見る。
 エミリは自分の分のコーヒーを飲みながら、硝子の向こうのマオを見る。それから小さく溜息をついた。
「そろそろこの定期検査なくなればいいんですけどね。……やはりいい気分しないでしょうし」
 その言葉に、やっぱりまだ不安そうな顔をしているマオに視線を移す。
 まあ確かに、マオはここに来ることがあまり好きではないようだ。自分が生み出されたこの研究所。いい思い出がないのはわかっている。
 それでも、
「この前みたいに、急になにかなるよりは、まあこっちのほうが、俺は安心だな」
 保険として、この定期検査に安心している隆二がいる。
「まあ、マオと違って、俺にとっての研究所ってここじゃないしな」
 隆二にとって嫌な思い出がある研究所は、別の場所にあった時代のものだ。
「あの頃はもっとこう、怪しい研究所感満載だったのに、こんな製薬所なんて」
 外見上、普通すぎて怪しさの欠片もない。
 無条件で怖がるマオの気持ちを、十分に慮ることは出来ていないかもしれない。
「薬も作っていますよ」
 しれっとエミリが答えた。
「あ、そうだ」
 そんなエミリと白衣を見ていたら、急に思い出したことがある。覚えていたら、言おうと思っていたこと。
「今更だけど、ありがとう」
「……何がです?」
 唐突な隆二の言葉に、エミリが怪訝そうな顔をする。
「この前、庇ってくれただろう」
 それだけ言うと、エミリはなんのことだか考えるかのように視線を宙にさまよわせる。
 この前、マオが消えかかった時に、白衣に銃を突きつけてまで庇ってくれた。隆二が使いものにならなくて、一人不安がるマオにずっとついていてくれた。そのことは、覚えていたら礼を言おうと思っていたのだ。
「……え、今?」
 ようやく答えに思い至ったらしい。エミリが珍しく間抜けな顔をして、呟いた。
「忘れてた」
「……らしいですね」
 悪びれない隆二の言葉に、呆れたようにひとつ笑う。
「ちょっと意外だった」
 あんな風に感情をあらわにしたエミリを見るのもはじめてだったし、冷静な彼女が白衣に銃口を向けるなんていう行動をとるなんて思いもしなかった。そんなことしたら、自分の研究所内での立場が危うくなるのに。
「わたしも色々考えているんです。これでも」
 小さく肩をすくめて、エミリが答える。
「ふーん」
 なんか前も似たようなことを聞いたよな、と思いながらも深くつっこむことはしない。面倒だから。
「まあ、正直、助かったし、嬉しかったよ」
 もう何も、神山さんから奪わせたりさせません。あの言葉は、色々な意味で心に突き刺さった。自分の元から消えていった様々なものを思い出す痛みもあったが、それよりも嬉しかった。あのときは、この感情の名前がわからなかったが、落ち着いた今ならわかる。あのとき自分は、嬉しかった。
 基本的には、一人でなんでも出来る。やろうと思えば、この研究所を壊滅させることだって出来る。それでも、誰かに心配してもらうとか、助けてもらうとか、誰かに自分のことを意識してもらうことが嬉しいことなのだと、改めて思った。
 それも、エミリという思いがけない方向からきた手助けに、一瞬、心が鷲掴みにされたのだ。
 そんなことを思っていると、右頬に突き刺さる戸惑いの視線。
「……何?」
 辛いものだと思って口にいれたら、甘かった。そんな顔をしているエミリを見ると、
「……いえ、ちょっと驚きました」
 言葉を選ぶようにして、エミリが答えた。
「何が」
「神山さんが、そんなこと言うなんて。なんていうか、だいぶ、丸くなられましたね」
 しみじみと呟かれた言葉に、今度はこちらが顔をしかめる番だ。
「……俺だって、色々考えてるんだよ」
 苦々しく、似たような言葉を返した。
 硝子の向こうの居候猫を見る。
 ずっと一人でいたのに、突然現れたアレに終始振り回されているのだ。それなりに性格だって変わる。
 それに、マオが来てから色々あった。
 ようやく茜に会いに行くことができたし、同族の一人を見送った。
 一人じゃない生活は自由がないけれども、やっぱり楽しい。あのソファーは一人には広過ぎる。
「マオさんのおかげですね」
 エミリの言葉に苦笑する。
 そのまとめ方は、心情的には不満なのだが、結局そのとおりだ。彼女のあの無駄な前向きさに、ひきずりあげられている自分がいる。
 だからこそ、最近、たまに思う。
「……俺でよかったのかねぇ」
 小さく呟く。
 隆二がここにいるのは偶然だ。
 先にマオに会っていたのが自分以外の誰かだったならば、今の隆二の位置にいるのは、そいつだったことだろう。
 もしかしたら、そいつの方がマオのことを可愛がって、優しくして、楽しい生活を与えて、今みたいなことも起きていなかったかもしれない。
「何がですか?」
 マオには絶対に言うなよ、と念押ししてから、
「例えば、颯太だったらもっと上手く動いていたんじゃないか、って思うんだよな」
 マオが見えて、同じような境遇という点では、隆二も颯太も同じだ。自分達、不死者の仲間うちで一番頭のいい彼ならば、もっといい方法を見出していたんじゃないだろうか。前回みたいなことには、ならなかったんじゃないだろうか。
 エミリは、弱音を吐く隆二を、意外そうに一瞥してから、
「わたしは神山さんでよかったと思っていますよ」
 小さく微笑んだ。
「確かに神崎さんは頭がいいですし、他の方法を選んだかもしれません。ですが、神崎さんの場合、そもそもマオさんを拾う、という選択をしなかったんじゃないかと思います」
 エミリの言葉をうけて少し考えると、
「あー、確かに」
 それもそうかもしれない。興味のないことにはとことん興味をしめさない。
 隆二のときみたいに、マオが落ちてきたって何の反応も示さなかった可能性の方が高い。
「気まぐれで拾ったところで、ちゃんと最後まで面倒をみたかどうか……。神坂さんに関しては言うまでもありませんしね」
「英輔、なー。それは同意する」
 力強く頷く。甘いもののためには世界を敵に回すことも厭わない隆二の同族は、知識の偏った純粋な幽霊の世話係に適さないことこの上ない。英輔のコピーが出来上がるかもしれない。恐ろしくて預けられない。
「それに」
 そこでエミリは何かに気づいたかのように口をつぐんだ。
「京介だとどうなわけ?」
 代わりにこちらから水を向けてみせる。
 気にしなくていい、と言っても、京介が消えたことについて責任を感じていることはわかっている。
 エミリはしばらく、躊躇うそぶりをみせてから、
「……神野さんは、スポイルし過ぎそうです」
 それから隆二の顔を見て、
「甘やかしそうってことです」
 言い直した。ご丁寧に、どうもありがとう。
「……確かに、あいつ、マオに甘いもんなー」
 ちゃんと外で会話していたし、テレビの話にも付き合っていたし。
「わたしは、マオさんのあの天真爛漫なところといいますか、割と自由なところは好きですが」
 これはまた、意外なこと言う。
 ちらりと隆二はエミリを見る。
 エミリは気づいていないようだ。あれだけ実験体を物としてしか扱っていなかった自分が、実験体を好きと評価したことに。
 確かに、彼女は変わったのかもしれない。
「さすがに、神野さんが世話をして、野放しにされたマオさんは好きになれたかどうか……」
「我が侭放題?」
「ええ」
「それは、……うざいな」
 そうでしょう? と言いたげにエミリが頷く。
「ですから、結局、神山さんが一番いいんですよ。ちゃんと面倒は見ているし、たまにものすごく甘やかしているように見えるときもありますが、トータル過度に甘やかしたりせず、適宜ほったらかしたり気分でかまったりするぐらいで」
「……微妙に棘がなかったか? 今」
「気のせいですよ」
 エミリは、呆れたように笑いながら隆二を見ると、
「しっかりしてください。マオさんには、神山さんが全てなんですから」
 力強く言った。
「……そうだな」
 自分がここでへたれたり弱気になったりしたら、マオに悪影響だ。それぐらいは、わかっている。
「ありがとう」
 素直に礼を言うと、エミリはまたちょっと驚いたような顔をした。
 だから礼を言ったぐらいで、いちいち驚くなっつーの、失礼だな。

 硝子の向こうでは、なにやら機械で数値の測定が始まっている。
 検査の結果は、一応毎回もらっている。
 それにしても、と手元の資料を捲った。前回までの検査結果がファイリングされている。
「どうしたもんかねー」
 少し苦々しく呟くと、
「……すみません」
 隣のエミリが呟いた。
「嬢ちゃんが謝ることじゃない」
 すぐに謝るのは殊によると彼女の悪い癖かもしれない。そう思いながら、苦笑を返した。
 資料に書かれている、実体化したマオについての調査結果。
 マオは気づいていないようだから、気づかせないようにしている。
 実体化した、ということは肉体という器に縛られることになるのだ。つまり、死というものが近くなる。肉体の死、が生じる。
 実体化したマオは、ほぼ普通の人間と一緒だ。怪我をすることもあるし、場合によっては死ぬことだってある。
 それを、マオは気づいていない。
 隆二だって、最初はそこまで頭が働いていなかった。
 最初に実体化したあの時、幽霊の時と同じようにぽんぽん身軽に動き回って、バカみたいにテーブルにぶつけて出来たアザが、霊体になっても残っているのを見るまでは。
 それに気づいたとき、ぞっとした。
 見えてしまった。また一人になる未来が。絶対に隆二を一人にしない、と言ったマオがいなくなる未来が見えてしまった。
 彼女のその言葉をなんの抵抗もなく受け入れて、信じていたのは彼女が幽霊だからだ。幽霊は死なない。ずっと一緒にいられる。そう思っていたからだ。
 その前提が消えた。
 そのことに気づいた時の気持ちは、あのときと一緒だった。はじめて、茜の発作を見たときと一緒。
 また、足首を掴まれた。恐怖に。
 以降、隆二は実体化したマオの生活に制限をかけた。
 一人では出かけないこと。火や包丁などは使わないこと。むやみやたらに跳ね回らないこと。
「だってお前、バカだから」
 いつもみたいにからかう口調で言ったら、マオはむくれた。真意から目をそらすことが出来た。それに安堵した。
 彼女が気づいていないのならば、無理に言いたくなかった。せっかく実体化できて、食事をとって、衣服を着替えて。そう言ったことを楽しんでいるマオの気持ちに、水をさしたくなかったのだ。
 幸いなことがあるとすれば、老化というものがないこと、だ。
 最初は、それも不安に思っていた。
 実体化している半月の間、老化がはじまるのではないかと。そうだとすれば、常人と同じペースではないものの、いつか老いて隆二の前から消えてしまうのではないかと、不安に思っていた。
 けれども、研究所の説明によれば、確かに実体化している二週間は、成長も老化もある。けれどもそれは、霊体に戻った時にリセットされる。だから、老化による身体への影響は考える必要はない。
 それは、不幸中の幸いだった。
 もっとも、霊体に戻った時にリセットされるのは、自然の流れでの成長、老化だけであり、怪我などは残ることになってしまうが。
 実際、最初のときについたアザは、霊体に戻っている間消えなかった。ただ、次に実体化したときには、人体の治癒力が働き、消えたが。
 気をつけるべきことは、実体化している時の怪我や病気だ。それは自然の治癒能力の範囲で治していくしかない。やっかいな部分があるとすれば、霊体に戻っている間はその治癒能力が働かないことだ。大きな怪我をしたまま治らずに霊体に戻ったとき、どういう影響がでるのか。それについては、実際になってみないとわからない。なら、わかりたくなかった。
 それでも、やはり、これは不幸中の幸いだ。
 どうしたもんかね、とは思うけど、最悪よりはだいぶいい。受け入れられる。
 あの時、あのGナンバーの事件の時、あのままなす術もなく、マオが消えてしまうことに比べたら、百倍マシだ。
 ちゃんと考えた。最善ではなくても最悪でもない。
 それに今回は、責任の一端は自分にあるのだ。恨んだりはしない。
 それでももし、最悪の事態になったら、また一人になってしまったら、そのときはあいつのところにいこう。
 そう決めている。
 あいつなら二つ返事で引き受けてくれる。自分が京介にやったよりも容易く。それには少し感謝している。
 大丈夫、今すぐではない。
 マオが消えてしまうのは、今すぐではない。
 今すぐにはさせない。
 覚悟は長い時間をかけてしていくものだと、彼女が言っていた。今すぐでないのならば、ちゃんと覚悟を決めていこう。
 その時に向けて。
 硝子の向こうでは、全ての検査が終わったらしい。マオが浮かれた顔でこちらに向かってくる。
「ちゃんと考えているよ」
 それを見ながら、小さく、あいつへ言い訳した。
「りゅーじ!」
 扉をあけて、こちらにきたマオに片手をあげる。
「エミリさん、こんにちは!」
「こんにちは。おつかれさまです」
 先ほどまでの話の気配は微塵も見せず、エミリも微笑む。
「おつかれ」
 あげた片手で、マオの頭を軽く撫でると、嬉しそうに微笑んだ。
 こういうところは、霊体の時と変わらない。
「帰り、お買い物行こう?」
「……一昨日も行ったよな?」
 弾んだマオの声に、呆れて笑いながらも、帰るために立ち上がった。


第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表

『きゃーっ!』
 ソファーでうたた寝していた隆二は、居候猫の悲鳴で目をさました。
「マオっ!?」
 慌てて体を起こし、声の方を見る。
 マオが口元を両手でおさえ、
『ひゃーっ!』
 また声をあげた。視線はテレビに釘付けだ。
 なんとなく状況が理解できて、立ち上がりかけた体を、またソファーにおろす。
 これはあれだ、悲鳴じゃなかった、黄色い歓声ってやつだ。
 幸いだったのは、今のマオが幽霊なことだ。これが実体化している時だったら、近所迷惑だったことだろう。
『採用されたっ!』
 テレビ画面に写っているのは、半分透けた状態で浮かれてピースサインしている、この幽霊の姿だった。
 見覚えのある写真。隆二がケータイを手にしたころ、マオに言われてとった写真。
 そういえば、例の心霊写真は、あの後エミリに頼んでテレビ番組に送ったのだった。それがどうやら、採用されたらしい。
『なんで、うちにはビデオないのっ! ケータイケータイっ!』
 マオは画面を見たまま、片手を伸ばし、テレビ脇の棚に置いてある自分のケータイに手を伸ばし、
『ああっ、あたし、今、幽霊の方だったっ!』
 空を切った手を恨めしく見る。
『隆二! とって!』
「諦めろ」
 もうカメラの起動の仕方なんて覚えていない。
『えー、もうっ!』
 言っている間に、マオの写真は消えて、別の話になった。
『あーあ、記念に写真とっときたかったのになぁー』
 ぷぅっと膨れる。
 写真がテレビに映っているのを写真にとりたい、とは一体どういうことなのか。隆二にはその感覚がよくわからない。
 むすっと膨れたまま、ごろんっと畳の上に倒れ込む。よっぽど残念だったらしい。
「……でもまあ、よかったな。採用されて」
 仕方なく、フォローの言葉をかけてみる。
『うーん』
 返事は煮え切らない。
「採用されると一万円だったか? 今ならそれ、自分でも使えるじゃないか。服でもなんでも、好きなものを買えばいい」
『……違うの』
 マオが顔だけこちらに向ける。むすっと、への字の唇。
「違う?」
『あのね、採用はされたんだけど、あたしが採用されたのは、お巫山戯心霊写真コーナーで、ちょっと違うの。格が』
「……格が?」
『ちょっと変わった、怖くない心霊写真が集まってるコーナーなの』
 まあ、幽霊がピースサインしていたら、そうなるわな。
『それだとね、記念品のボールペンだけで、賞金でないの』
 むすっと膨れている。
「あー、なるほど」
 採用されたことは嬉しい。テレビに映っていた自分を見ることは嬉しい。だけれども、目的の一つである賞金は手に入らない。それは悔しい。
 そういうことだろう。
『あーあ、なんか微妙っ!』
 呟いて、ごろりと寝返りをうつ。うつぶせになってしまったから、顔が見えない。
 さてはてどうしたものか。まあ、しばらく放っておけば、勝手に機嫌直すだろうけれども。
 ちょっと考えてから、
「マオ」
 名前を呼んでみる。
 僅かに顔を動かして、片目だけでこちらを見てくる。
「じゃあ、今度、写真撮ろう。実体化しているときに、一緒に」
 なにが、じゃあ、なんだか自分でもわからないが、悪くない提案だと思った。せっかくちゃんと写真にうつるようになったのだ。写真の一枚や二枚ぐらい、残しておいてもいいだろう。
『本当っ!?』
 がばっとマオが体を起こし、ぱぁぁっと明るい笑顔になる。
「ああ」
 単純な彼女に呆れて笑いながら頷くと、
『やったぁ!』
 マオが両手を叩いて喜んだ。
『嬉しい、ありがと!』 
 そのまま、ひょいっと跳ねるようにして、ソファーに座る隆二の隣にくる。
「ん」
 軽く頷いて、その頭を軽く撫でた。
『えへへ、早く、ご飯の日来ないかなー!』
 そうだなーなんて相槌をうちながら、またマオの一挙一足に肝を冷やす期間がくるのかと思うと、手放しでは喜べなかった。
 覚悟はまだまだ決まらない。
 突然、部屋にコミカルなメロディーが流れる。
『あ、ケータイ』
 テレビの前に置いた、マオのケータイが鳴っていた。奏でているのは、疑心暗鬼ミチコのテーマソングだ。ケータイを手に入れてそうそうに、マオが設定したのがこれだ。だからどんだけ好きなんだよ。
 このケータイも、隆二のと同じく研究所からの支給品だった。違うのは、
『りゅーじ、確認して』
「やだよ。お前の壊しそうで怖いから」
 指をさすマオに、苦い顔を返す。
 隆二とマオとの決定的な差。それは、ご老人向け機種と、スマートフォンの差だった。
『えー』
「無理無理。なんでそれ、ボタンがないのに動くのか、本当わからん」
 自他ともに認める機械音痴の隆二には、そんな未知の物体を触る勇気がない。
『えー、じゃあ、ご飯の日まで確認できないのぉ?』
 不満そうに唇を尖らせる。
「マオにメール送ってくるなんて、どうせ嬢ちゃんだろう。聞けばいいじゃないか」
 言いながら、ダイニングテーブルに上に放っておいたケータイをとってくる。まあ、聞けばいいじゃないか、ってその聞くのが大変なわけだが。
 未だになれない手つきで、メール作成画面を起動しようとしていると、
「うわっ」
 手の中でケータイが震えた。急に震えるなよ、驚くじゃないか。
 驚いて放り投げそうになったそれを、再びキャッチして、画面を確認する。
「あ、嬢ちゃんからだ」
『なにー?』
 マオが画面を覗き込んでくる。
『えっと、マオさんにメールしましたが、今は確認できませんね。すみません。えっと……』
「転送」
『てんそーするので、マオさんによろしくお伝えください』
 そこまで読んで、マオが隆二の顔を見て、嬉しそうに笑う。
『やさしーね、エミリさん。隆二に送ってくれて』
 それからまた、画面を見る。
『オカルトクエスト内の心霊写真探偵のコーナー、見ました』
「……嬢ちゃんも、そういう番組見るんだな」
 っていうか、そういうタイトルだったのか、あの番組。
『マオさんのあの写真、でていましたね。びっくりしました。メインの部分ではなかったのが少し残念ですが。送るのをお手伝いした身としては、嬉しかったです。咄嗟に画面を写真にとったので……』
「添付」
『てんぷ、しておきますね』
 更にスクロールすると、確かになにか添付ファイルがついているようだった。
「……どうするの、これ」
『そこクリックしてー、そう』
「あ、開いた」
 どうにか画面に呼び出した写真には、テレビに映る、居候猫の間抜けな心霊写真があった。
『きゃーっ!!』
「……耳元で叫ぶなよ、うるさいな」
 またあがった黄色い歓声に、右耳を押さえる。別に鼓膜を通して聞こえているわけではないのだが、気分として。
『もー、エミリさん、さっすがー! すてき! 大好き! 隆二とは違うなぁ!』
 嬉しそうに笑いながら、手を叩く。
「……よかったな」
 あまりのはしゃぎように呆れながら声をかけると、大きく頷かれた。
『りゅーじ、お礼のメール!』
「……俺がやるのか?」
『だって、あたし今メール打てないもん!』
「……だよなあ」
 しぶしぶ、返信メッセージを作成する。
「……マオがとっても喜んでいた、ありがとう。今度ちゃんと本人から返事させる。で、いいか?」
『……もっとこの感動を伝えて欲しいんだけど、隆二だから仕方ないね』
 一瞬、顔をしかめたものの、素直にマオが頷いた。マオの感動とやらを伝えるためのメールなんて、一日あっても完成するとは思えない。
 なんとかメールを打ち終えて、送信。
 やはり慣れない。疲れる。
 溜息をつきながら、ケータイをソファーに置いた。
『ありがと!』
 幾分、落ち着いたマオが、ぺこりと頭をさげる。
「どーいたしまして」
 苦笑しながら返事を返した。
『あ、写真もらったけど、二人の写真も撮ろうね!』
「はいはい」
 投げやりに返事をする。
 まあ、写真をとること自体に、反対すべき点がないし。
 と思っていたら、なんだかじっと見つめられる。
「……何」
 なんだか射抜かれそうな視線に、居心地の悪さを感じる。
『……隆二さ』
「うん?」
『何か最近、優しい』
「……は?」
 優しい?
『気味悪いんだけど。今だって、前だったら、写真手に入ったからもういいだろめんどくさい、とか言うところじゃない? っていうか、そもそも、一緒に写真撮ろうなんていう、ナイスな心遣いなんて出来なかった!』
「……一度、お前の中の神山隆二像を改める必要があるな」
 どれだけひとでなしだと思っているのか。
「別に、優しいならいいだろ」
 呆れて笑いながら言うと、
『何か、隠し事してない?』
 言葉で射抜かれた。
 一瞬、挙動がおかしくなりそうなのを、必死に耐える。
「はぁ?」
 普段どおりを意識して、呆れたように言葉を返す。
「何を根拠に」
『女の勘!』
 また、面倒なものを根拠にしたな。
 しかし、確かに以前よりもマオの要望を叶えようとしているのは事実だ。あのとき、どうして無視したのだろう、と後悔したくなくって。
 それは、確かに、不自然だったかもしれない。
『何か、疾しいことがあるんでしょうっ!』
 腰に手をあてて、挑むように言われる。浮気がバレたらこんな感じなんだろうか。
「例えば?」
 動揺を押し隠して、平静を装う。
『わかんないけど!』
 さっきと同じテンションで言われる。イマイチ迫力が足りない。
「なんだそれ」
 呆れたように笑ってみせる。
「そりゃあ、多少変わるだろ。マオが実体化するようになったら、生活様式が変わるんだからさ」
『だけどなんか怪しい!』
「あーそう、そんなに言うならわかった」
 わざとらしく、足を組み直して、告げる。
「もう、お前の言うことは何一つきかない」
 言った瞬間、マオの顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。
 そういう顔をされると、多少は胸が痛むのでやめて欲しい。
「写真もとらない」
『や!』
 短く叫んで、飛んでくると、隆二の顔をのぞき込むように床に座った。
『写真撮りたい!』
「優しいから気味が悪いんだろ」
『気味が悪くてもいいから、写真撮りたい!』
 気味が悪いは否定する気ないのかよ。
「隠し事してるから嫌なんじゃないか?」
『うう、してるような気がするけど、してないっていうことでいいから!』
 そこも妥協し切らないのかよ。
「ふーん?」
 ちらりと視線を向けたマオが、思ったよりも真剣な顔で、少し笑いそうになる。そんなに大事なことなのか、写真が。本当、何事にだって真っすぐに向き合っているな。
『ごめんなさいー。優しいのはいいことでした!』
「……まあ、わかったよ」
 ぽんぽんっと、その頭を軽く叩く。
 すると、途端にマオの顔が華やいだ。
『写真、とってくれる?』
「ああ」
『ありがと!』
 えへへ、っと笑う。
 その額を軽く指で弾いた。
「なんにも隠し事とかしてないから、気にするな」
『はーい』
 隠し事の件はもういいのか、マオが楽しそうに片手をあげて返事をした。
 よかった、うまくごまかせた。
 結局のところ、覚悟がまだ決まっていないから、マオに覚悟の内容を話すことができない。
 きっと、実体化にともなう弊害を聞いたら、マオはショックを受ける。それを一緒に受け止めてやるだけの覚悟が、まだ自分にはできていない。
 今はまだ、はしゃいでいるマオを見ていたい。
 だから、今後は多少、優しさに気をつけよう。

 

 

 毎月十五日。それが、マオの食事の日だ。
 実際は、多少食事の日がずれても、問題はないらしい。だが、一日でも遅れて、またマオが消えるようなことになっては困る。
 だから、毎月十五日をその日と決めていた。
『それでは』
 ソファーに座った隆二の前に立ったマオが両手をあわせる。
『いただきます』
 律儀にそう言うと、隆二の頬に手を伸ばした。
 だからこの食事方法、なんとかならないわけ?
 幾分、うんざりしながら瞳を閉じる。いや、閉じるのもどうかと思うけれども、あけておくのはもっとどうかと思うし。
 と、月に一回の謎の葛藤。
 触れていた唇と、頬に置かれた手に熱を感じる。
 同時に、それらが離れた。
「ごちそうさま、です」
 マオの言葉に目をあける。
 ちょっと困ったように笑いながら、実体化したマオが立っていた。
「おそまつさまで」
 言って、だらっとソファーに座り直す。
「んー、さすがに寒い」
 霊体の時と同じ、白いキャミワンピを着ているマオが肩をさする。
「着替えて来い」
「そーする」
 いいながら、隣の部屋に消えた。
 霊体の時のマオが身につけている、あのワンピースの構造も対外謎だ。実体化したときは、ワンピースも実体化する。脱ぎ着することができる。
 そして、不思議なことに、霊体に戻るとき、どんな服を着ていても、あのワンピース姿に戻るのだ。タンスに仕舞っていたはずのワンピースは消えている。
 マオの霊体を構成する一部。それが、研究班の認識だった。
「ねー」
 隣の部屋から声がとんでくる。
「んー」
「写真、とりにいこう!」
 弾んだ声。
「……写真?」
「もー、忘れたの? 約束したじゃない!」
「……ああ」
 そういえば、そうかもしれない。
 しかし、
「とりにいこう?」
 隆二としては、次に研究所に行った時にでも、エミリにとってもらうつもりだったのだが。
「そう」
 着替え終わったらしいマオが、ひょこっと顔をのぞかせると、
「あたしね、憧れてたの」
「なにに?」
「プリクラ!」
 にぱっと笑った。

   ゲームセンターというのものに、はじめて足を踏み入れた。
 霊体のころに何度も来ていたというマオに、ぐいぐい腕を引っ張られながら、奥に進んでいく。
 ところで、聞くタイミングを逃したのだが、プリクラとは一体なんなのか。
 それなりに、現代文化に溶け込もうと思っている不死者だが、頑張る気がないのでどうしても遅れがちだ。
「これ!」
 指されたなぞの機体。そこに描かれた写真。文字やハートマークなんかが描かれた写真。
 制服を着た女子高生二人が、小さい写真がたくさんついているシートを二つに切っていた。
 どこかで見たことある。
 考えて思い出す。タンスの奥にそっとしまい込んだ、京介のジッポ。あれに貼られていた写真シールがこれだ。
 なるほど。
 唇が皮肉っぽく歪む。
 というか、これを俺にやれというのか、こいつは。
 うんざりしながら、数体並ぶ機体を、どれにしようかな、で選んでいるマオを見る。
 何かの罰ゲームか。さすがにここまでのことは想定していなかった。
「りゅーじ」
 どれにするか決めたらしいマオに手招きされる。
 しぶしぶ近づくと、カーテンの中にひっぱりこまれた。
「なあ、マオ」
「んー」
 財布の中から、小銭を探しているマオに声をかける。
「お前、これ、やりかたわかってんのか?」
「雑誌で読んで勉強したから大丈夫」
「……ああ、そう」
 そういうとこだけは、本当、しっかりしているよな。
 小銭を投入し、機械音声の指示に従ってなにやら操作しているマオをぼんやりと眺める。
 なんか、もうなんでもいいから、はやく終わんないかな。
「それじゃあ、撮影するヨ!」
 機械音声。マオが隆二の腕をとって、ピースサインした。
 かしゃっと、一枚とられる。
「ちょっと」
 マオが隆二の横顔を睨みつけながら、
「なにその、直立不動の無表情」
 唇を尖らせる。
「ポーズとれとは言わないから、にっこり笑ったりできないのっ」
「……無茶言うなよ」
 うんざりしてマオを見る。
 見てから、思ったより近い顔に、距離をそっととった。
 実体化して、普通に立って並んではじめて気づいたが、マオの方が隆二よりわずかだが背が高い。普通に立って並ぶと、顔がとても近い。
「あのね!」
 マオがさらに膨れたところで、
「それじゃあ、とるヨ!」
 機械音声。三、二、一のかけ声で、かしゃっという音。
「えっ」
 慌ててマオが画面を見た時には、呆れたようにマオを見る隆二と、頬をふくらませたマオの姿があった。
「もー! 隆二のせいでとんでもないことになったじゃない!」
 ますます膨れる。
「……俺が悪いの?」
 などとやっている間にさらにシャッター音。
 結局、マオが無事に前を向いてうつっていたのは最初の一枚だけで、あとは隆二に向かって怒っていたり、シャッター音に慌てたりしている顔だった。
「もー!」
 落書きコーナーなる場所に移動しながら、マオが膨れる。
「こんなはずじゃなかったのに」
 いいながら、何か書き込んでいく。
 落書きできるという画面は二つあるが、万が一壊したら怖いので、隆二は触れない。触らない。
 その落書きも終わって、出て来たシートを見る。
「……字、ヘタだなぁー」
 最初の一枚に書かれた、「まお」と「りゅーじ」という字。ミミズが這ったようなその字をみながら呟くと、またマオが膨れた。というか、「ま」の丸のついている向きが逆だ。
「難しいんだもん! はじめたばっかりだもん!」
「はいはい。帰りに平仮名練習帳買ってやるから」
 言いながら、一応他の写真に目を通す。
 きらきらした星やらハートやらに紛れて、「このとーへんぼく!」なんて書いてある。怒ったマオと、呆れたような隆二の写真。
「本当、こんなはずじゃなかったのに」
 むすっと膨れるマオの頭を、軽くこづく。
「……俺はいいと思うよ」
「なにが」
「らしくて」
 言うと、マオにシートを手渡して、帰ろう、と歩き出す。
「あ、待ってよ」
 慌てて隣に並んだマオが、
「らしい?」
 首を傾げる。
「……お前らしいだろ、バカっぽくって」
 言うとまた一度膨れてから、
「でも、確かに隆二らしいね」
 ふふんっと勝ち誇ったように言った。
「隆二はいつも、こういう顔してるもんね」
 目の前にシートをかざし、眺めてから、満足そうに頷く。
「うん、日常の一コマって感じで、悪くないかも」
 とんだ日常だな。
 思いながらも、自分の感想と一緒だったので何も言わない。
 納得して機嫌を直したのか、マオはそれを鞄にしまう。
 変に固まって、笑顔を作っているよりも、さっきの写真の方がよっぽどいい。
「転ぶなよー」
 それを確認すると、空いた手を掴む。
 外を歩くとき、手を繋いでいないと少し不安だ。どこかに行ってしまいそうで。
「転ばないよ!」
 転ばないように手を繋ぐ、という隆二の言葉を信じているマオも満更ではないらしい。口ではなんだかんだいいながら、手を握ってきた。
「ねー、りゅーじ、カレー食べたい」
「カレー? おこちゃま用甘口カレーでいいか」
「よくなーい」
 マオの言葉に適当に言葉を返しながら、家路についた。


第三幕 猫には首輪を。

「マオ、買い物行くけど、どうする?」
 テレビの前に座ったマオに尋ねる。今は絶賛実体化中だ。
「んー、待ってるぅー」
 テレビから目を離さずにマオが言う。
 だと、思ったよ。
 今やっているのは、四苦八苦久美子、だ。疑心暗鬼ミチコと同じ美少女四字熟語シリーズでありながら、実写版は予算の都合で作成されず、アニメ版ではじめて作成された話だそうだ。
 まあ、当然のことながら、マオはそれに夢中だった。もう今更、それには何も言うまい。
 しかし、ウェディングドレス姿で戦う少女が四苦八苦とは。なんというか、皮肉っぽいよなあ。
「留守番しとけよ、勝手にでかけんなよ」
 一応釘を刺しておく。一人で出かけた先でなにかあったら困るから、一人での外出は禁じている。
「んー」
「マオ」
「はーい」
 片手をあげての返事に、逆に不安になりながらも、家を出る。
 マオが実体化して、隆二が助かっていることがあるとすれば、テレビの操作をマオ自身が行えるようになったということだ。前は、やれ電源いれろ、チャンネル変えろと寝ていようが本を読んでいようがおかまいなしにリモコン代わりに使われていたが。
 久美子が終わって次の番組がつまらなくても、適当にチャンネルまわして楽しい番組を見つけてくれるだろう。
 マオの相手は、テレビに任せておくことにする。まったく、優秀なベビーシッターだ。
 今日の夕飯は何にするか、考えながらスーパーに向かう。
 手を抜いてコンビニで買うことも多いが、やはり自炊の方が体にいいのではないか、と気づいてから、それなりに積極的に料理するように気をつけている。簡単なものしか作れないが。
 こんなことになるとわかっていたら、京介に料理でも習ったのになー。そんなことを思う自分に苦笑する。
 しかし、仮定の話、自分の心の中での話とはいえ、京介のことをこんな風に思い出すことができる。それに思い至ると、なんとも言えない気分になる。
 思い出すのが辛くて避ける時期は終わった。そのことを意識すると、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなくなる。
 そんなことをつらつら思いながら歩いていたからだろうか。
 前方に、なんだか見覚えのある黒髪が見えた。
 そろそろ切った方がいいんじゃないか、と思うぐらいの長さの黒髪。
 思わず、早足になってそちらに向かう。
 地面に座りこんだ、その体格は似ている。
 神野京介に。
「きょっ……」
 近づいて呼んだところで、その人物が顔をあげた。
 確かに似ている髪型で、体格だったけれども、見えた顔は女のものだった。
 違った。当たり前だ。
 やっぱりまだ、踏ん切りがついていない。
「……すまない、知り合いに似てて」
 怪訝そうな顔をする女にそう告げる。
「あら、昔の女にでも似てた?」
 言いながら女がくすくすと笑った。
「いや男」
 正直に答えると、
「うわっ、失礼な! 何か買いなさいよ」
 地面に座り込んで何をやっているのかと思ったら、路上でアクセサリーを販売しているらしい。
 まあ確かに、男に間違えるのは失礼だったな、いくら、よくいえばスレンダーな体格が似ているからといって。
 並べられた手作りアクセサリーとおぼしきそれらを眺めていく。
 まあしかし、眺めたところでどうしたらいいのか。適当になんか安いの買って逃げるか。
 そんなことを思っていると、視線が一点でとまった。
 猫のチャームがついた、ペンダント。猫の横にちょこんっと緑色の石がついている。
「それねー、キャッツアイ」
 隆二の視線を追って、女が言う。
「キャッツアイ?」
「そー、猫目石。光があたると、猫の眼っぽい筋がでるから」
「へー」
「えっとね、邪悪を祓うとか、そういう効果があるらしいよ」
 適当で投げやりな台詞。売る気あるのか。
「触っても?」
「どうぞ」
 それを手に取って、目の前まで掲げる。そっと値札を確認したが、お手頃価格だった。
 緑色、猫。おまけに邪悪を祓うとか。
 これはもう、ぴったりだろ。家でテレビを見ている、緑の瞳を持つ居候猫に。
「……じゃあ、これ」
「どーも」
 手渡すと、女が袋に入れてくれる。
「カノジョに?」
 金銭と引換に袋を受け取りながら、その質問に苦笑いを返す。
「いや? 猫に」
「猫?」
「そういえば、まだ首輪をつけていなかったんでね」

 

「ただいま」
 スーパーでの買い物を終えて、家に戻ると、
「おかえりなさーい」
 ぱたぱたとマオが玄関まで出て来た。
「走らない」
「走ってない!」
 うそつけ、走っていただろうが今。
 テレビはニュースを流している。ああ、飽きたんだな、さては。
「夜ご飯なにー?」
 スーパーの袋を覗き込んでくる。
「んー、シチュー。っていうか」
 野菜達と一緒にいれていた、ペンダントの袋を渡す。
「これやる」
「え? なになに?」
 小さな袋を受け取ったマオが、驚いたような顔をする。
「あけていい?」
「どーぞ」
 びりびりと、酷く乱暴に袋をあけたマオが、
「わー」
 出て来たペンダントを目の前にかざして、きらきらと顔を輝かせた。
「え、なに、どうしたの? どういう風のふきだまり?」
「強引に売りつけられた。あと、吹き回しな」
 また優しいから気味が悪い、とか言われないように言い訳する。浮かれたマオは、そんなこと聞いちゃいなかったが。
「えー、わー、嬉しい! 猫、可愛い! 緑お揃い!」
 えへへ、っとだらしなく頬を緩ませる。
 思っていた以上に喜んでくれたので、こちらも小さく唇を緩ませた。
「ね、つけて! つけて!」
 はいっと渡される。自分でつけろよ、とは思ったが、ここまで喜ぶのならば、多少サービスしてもいいかもしれない。
「後ろ向いて、髪じゃま」
 後ろ向いたマオが、髪の毛をひとまとめにする。ペンダントをそっととめた。
「はい」
「ありがとー! 大事にするね!」
 こちらを向いて、マオがまた、さらに笑う。首元の猫を指で弾く。
 かわいいねーなんてペンダントに向かって話かけていたが、
「そうだ!」
 ソファーに置いてあった自分のケータイをとってくる。
「写真撮って!」
 そしてそれを隆二に渡した。
 途端に、渋い顔になったのが自分でわかった。撮ってって、お前。
「もー、待って」
 それを見て、マオが呆れたような顔をしながら、ケータイを操作する。
「はい、これで大丈夫。あたしに向けて、そのカメラのマークそっと触ればいいから」
 ご丁寧にカメラを起動させてくれた。
 しぶしぶ、それを持ってマオに向ける。
 浮かれた顔をしたマオとペンダントが画面にはいるようにして、言われたとおりカメラのマークに触れた。
 かしゃっと音がする。
「撮れた?」
 横からひょいっとケータイを奪いとられた。
「あ、うん、撮れてる撮れてる。ほら」
 見せられた画面には、確かに浮かれたマオの写真があった。
 よかった、取り直しを要求されなくて。
「そうだ」
 隆二のズボンのポケットからひょいっと、隆二のケータイを抜き取った。
 今度は何を企んでいる。
「マオ」
 呆れて名前を呼ぶと、マオは手慣れた様子で隆二のと自分のケータイを操作しながら、
「これ、隆二のケータイの待ち受けにしてあげる!」
 とんでもない発言をした。
「ちょっ」
 慌てて取り返そうとすると、それよりもはやく、マオはひょいっとソファーに飛び乗った。
「跳ねない!」
「もー、あとちょっとなのー!」
 ソファーのうえに立ち上がり、隆二からケータイを庇うように背中を向ける。
「ちょっとじゃなくて、返せ」
 近づいて手を伸ばすと、マオはそれを避けるように身をよじった。ソファーの端っこでそんなことをするから、バランスを崩して倒れそうになる。片足がソファーから落ちる。
「ひゃっ」
「マオっ!」
 それほど高くないとはいえ、足を捻るぐらいはしかねない。慌てて手を伸ばし、その体を支えた。
「わ、びっくりしたー」
 無事着地したマオが、驚いたような顔をする。
 びっくりしたのはこちらの方だ。頼むから、むやみやたらに怪我するようなことをしないで欲しい。なんで家の中でまで、こんなに肝を冷やさなきゃいけないんだ。
「マオ! お前な」
「助けてくれて、ありがとー」
 小言の一つ二つ言ってやろうと口を開いたが、笑顔でそうお礼を言われて言葉につまる。わかっているのか、わかってないのか。
 マオはそんな隆二のことは気にせず、ケータイを操作し、
「あ、はい、できたよ」
 隆二にケータイを返した。
 受け取ってみると、確かに待ち受け画面がさっきの浮かれたマオの写真になっていた。
「勝手になにすんだよ!」
 直せないだろうがっ!
「それが嫌なら隆二が、自分でがんばって直せばいいんだよー」
 どうせ無理でしょう? と言いたげに勝ち誇って笑われる。実際無理なのだが。
 しばらくケータイを睨みつけていたが、
「……まあ、いいか」
 誰に見せるものでもないし。
 そう自分を納得させると、諦めてケータイをテーブルの上に置いた。
「……怒った?」
 ここにきて、急にマオがそう尋ねてくる。恐る恐る、隆二の顔色を伺うようにして。不安になるぐらいなら、最初からこういうことするなよ。
「呆れてるだけ」
 溜息まじりにそう言うと、片手でその頭をぞんざいに撫でた。それにマオが、安心したようにちょっとだけ笑う。
「あと、あんまり飛び跳ねたりしないように。危ないし、下の人に迷惑になるから」
「……危ないし、心配?」
 なんでそこでちょっと嬉しそうな顔をするんだ。
「下の人の迷惑になるから」
 後半の理由を強く推すと、
「……はぁーい」
 ちょっと頬をふくらませる。
「ほら、夕飯作るから」
 ちょっとどいてて、と言おうとすると、
「手伝う!」
 元気よく言われた。
 手伝う、ね。台所って刃物も火もあって危ないんだがなー、とは思いつつ、
「じゃあ、とりあえず買って来たものしまっといて」
 無難なところを頼む。
「はーい」
 マオは持っていたケータイをテーブルの上に置くと、代わりにスーパーの袋を手にとった。
 マオのケータイには、猫のぬいぐるみがついている。ストラップにしてはでかすぎだろ、とは思うが本人は気にしていないらしい。裏返しておかれたケータイ。そこには、この前とったプリクラが貼られていた。最初の、一番うまくとれたやつ。
 それを見て少しだけ微笑む。
 まあ、マオが楽しそうだし、いいか。
「りゅーじー!」
「はいはい」
 台所で手招きしているマオの方へと向かった。

 

 

 胸元で揺れる猫を、ぴんっと軽く弾く。
 ふふふっと、笑みがこぼれた。
 ソファーに横になりながら、マオは存分にペンダントを楽しんでいた。
 もうすぐ日付が変わるころ。お風呂に入るからと外していたそれを、つけ直したところだった。
 やっぱり、これ、可愛いなー。
「……お前、寝るならベッドいけよ」
 マオの足元の方、床に座った隆二がつまらなさそうに声をかけてくる。
「わかってるよー」
「あとちゃんと、髪の毛乾かせよ」
「わかってるってばぁー」
 今、ネックレスを愛でるので忙しいんだから、放っておいて欲しい。
 隆二は、マオを一瞥すると、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めた。
 まったく、隆二は本当、ちっともマオの気持ちをわかってくれない。すっごく嬉しいからこうしているのに。嬉しいっていう気持ち、ちゃんと伝わっているんだろうか。
 飄々と本を読んでいる隆二を見ていると不安になる。
 傍においていてくれることも、面倒をみてくれていることも、本当に嬉しいと思っているし、感謝しているし、こんなに大好きなのに隆二にはいまひとつ、伝わっていないんじゃないかなーと思うときがある。
 だってほら、ひとでなしだし。
 それに、マオも言葉で全部を伝えられるほど、賢くない。
 溜息まじりに起き上がると、タオルで濡れた髪を拭く。
「……ドライヤー使えよ。せっかく買ったんだから」
 やっぱり呆れたように言われる。
 本当、隆二は注文が多い。
「めんどうなんだもん」
 なんだか素直になれなくてそう言って唇を尖らせると、
「……やってやるから、もってこい」
 心底面倒くさそうだったが、思ってもないことを言われた。
「え、本当!?」
「嫌なら自分でやれ」
 言って隆二の視線がまた本に戻る。
「やじゃない!」
 慌ててそう言うと、立ち上がって洗面所にドライヤーをとりにいく。
 戻ってくると、隆二は読みかけの本を適当に床において、ソファーに腰掛けた。
「そこ」
「はーい」
 指差された隆二の足元、床に座る。
「……あ、これかスイッチ」
 背後からちょっぴり不安な声が聞こえるけれども、気にしない。もしかしたら、隆二がやると酷いことになるかもしれないけれども、気にしない。
 大事なのは結果じゃないのだ。隆二が髪を乾かしてくれる、と言い出したことなのだ。
 ぶぉぉぉっと、ドライヤーから出た温風が髪を揺らす。
 思っていたよりも手慣れた手つきだった。そっと触れる手と風が嬉しくて心地よくて、目を細める。
 機械の類いにはめっぽう弱いが、決して隆二は不器用じゃないのだ。機械さえなければ、なんでもそつなくこなしてしまう。
 料理だって、すっかり上手になったし。
「隆二はー」
 ドライヤーの音に負けないように声をはりあげる。
「なんでもできてすごいねー!」
 素直な感嘆の言葉に、
「お前がなんにもできなさすぎなんだよ」
 ちょっと笑いながら言われた。
 それはまあ、そうかもしれない。字も、練習しているけれども難しいし。なんにもできない。
 ちょっと落ち込んでしまうと、
「ばーか」
 くしゃくしゃっと髪の毛をかきまわされた。
「ちょっとぉー」
 振り返ると、隆二が笑っていた。楽しそうに。
 それになんだか嬉しくなる。最近の隆二は優しいし、前よりもいっぱい笑ってくれる。多分、本人は無自覚だから言わないけど。言ったら恥ずかしがって、もう笑ってくれないかもしれないし、また意地悪されるかもしれないから。
 ドライヤーを止めて、
「いいんだよ、ゆっくりで」
 隆二が優しく言った。
「零歳児なんだから」
 からかうような言い方だったけど、やっぱりいつもよりちょっと声が優しい。
「……もう、一年経つよ」
 発生してから。
 小声でそう訂正すると、
「あれ、そうだっけ」
 時間の感覚に乏しい隆二は軽く首を傾げた。
 隆二のところにきてからだって、一年経った。
「まあ、対して変わらないよな」
「隆二から見たらそうだろうね」
「だからまあ、ゆっくりでいいんだよ」
 ぽんぽんっと頭を軽く叩かれた。
「ん」
 それに素直に頷く。
 それを見て隆二は満足したのか、またドライヤーのスイッチをいれた。
「それに、ほら、あれだろ」
「んー?」
「ケータイは、お前の方が使いこなしてるだろ」
「それは、ねー?」
 だって、機械は隆二が不得意過ぎるから。
「それに」
 そこで隆二は、躊躇うようにちょっと間をおいてから、
「一緒に学んでいこうって言っただろ」
 なんだか早口で言った。
 それに思わず振り返りそうになるのを、
「前向いてろ」
 ぐっと頭を押さえつけられて、妨害される。
 多分、今、隆二はちょっと照れている。
 それに思い至ると、ふふっと笑みがこぼれた。
 隆二が約束をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。すぐに色々忘れちゃう人だから。
「はい、終わり」
「ありがとー」
 振り返ると、
「どういたしまして」
 いつもどおりの、ちょっとつまらなさそうな顔で隆二が答えた。
「ほら、そろそろ寝ろ」
「はーい」
 実体化している時に嫌だな、と思うのは、ちゃんと夜寝るように言われることだ。幽霊のときだったら、夜中どんなに起きていても何も言われないのに。
 でもやっぱり、幽霊のときよりも眠くなる。実体化していると動き回るからしかたない。
「寝る時それ、外して寝ろよ」
 首元を指差される。
「これ?」
 ペンダントをつまむと、頷かれた。
「お前、寝相悪いから寝ている間に首しまるかも」
 そっけなく言われる。
 バカにされて一瞬むっとしたけれども、よくよく考えてみれば心配されている気がしてきた。だから怒るのを一度ぐっと堪えて、
「わかったー」
 小さく頷くにとどめた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
 立ち上がる。
「うん、おやすみ」
 軽く片手を振った隆二は、また本の世界に戻っていた。
 隣の部屋のベッドに潜り込む。すっかりマオ専用となったスペースだ。
 ペンダントを外すと、ちょっと迷ってからタンスの上に置いた。
 何かお洒落な箱かなにかにいれておきたいな。幽霊に戻っている時に、万が一どっかにいってしまったら困るし。とりあえず、明日何か箱がないか隆二に訊いてみよう。
 思いながら目を閉じる。
 うつらうつらしながら、思う。
 何かお返しがしたいな、と。
 実体化したなら、なにかお礼の品を買いに行くこともできるじゃないか。言葉や態度だけじゃなくて、物をプレゼントできる。そうしたら、マオの気持ち、ちょっとはわかってくれるかもしれない。あの駄目駄目隆二でも。
 今月はもう、明後日には元に戻ってしまうから難しいけど、来月になったら隆二がいない隙をついて、買い物に行こう。一人ででかけるなとか言われているけど……。まあ、いいや。怒っている隆二も笑顔になるぐらいの、なにか素敵なものを探そう。
 自分の想像にふふっと笑みが溢れる。
 喜んでくれるもの、あるといいな。
 そんなことを思いながら、意識は落ちていった。


第四幕 少女の心は、今も猫の眼

「失礼します」
 出来るだけいつもと同じ、平坦な口調に聞こえるように気をつけてそう言うと、ドアを閉めた。
 進藤エミリは現在、端的に言うと干されていた。
 まわってくるのは、しょうもない事後処理ばかり。今提出してきた書類だって、逃げ出した人面犬を捕獲するというしょうもないもので、人面犬が逃げ出すのはエミリが知っているだけで二十六回目だ。もうわざと逃がしているんじゃないかと思うレベルだ。
 何故こんなに地味な仕事しかまわってこないのか。その理由はよくわかっていた。
 先日のGナンバーの一件で、隆二達の側に立ち、あまつさえ研究班に銃を向けたからだ。ただでさえ、自分は周りによく思われていない。仕事ができることだけが取り柄だったのに、京介の一件で自分の評判は地に落ちて、先日の件でマイナスだ。人が足りないから、首にならないだけマシなのだろう。
 周りのひそひそ話は不愉快だし、仕事がないのはつまらない。
 それでもエミリは後悔などしていなかった。自分は間違ったことはしていない。胸を張ってそう言える。
 確かにマオの永遠に手を加える結果になってしまったが、それでもやはり、あの時あのままマオが消えるに任せているよりもよっぽどいい結果だっただろう。もっと上手く動けたかもしれないが、それでもあの時銃をつきつけたことは、動いたことは、間違いだなんて思っていなかった。
 結果的に、マオをまた実験体に戻してしまったことは心苦しけれども。毎月毎月研究所に呼びつけて、申し訳ない。二人は気にしていないみたいだけれども、エミリは気にしているのだ。
 なんとか働きかけて、実験に協力してもらう報酬として金銭を支払うようにしたが、その解決方法も、あまり愉快なものではないな、とも思っている。
 小さく溜息。
 思ったようには動けない。エミリ個人で動ける範囲には限度がある。そしてエミリは、組織の枠から抜け出せない。
 自分にうんざりしながら、自宅に向かう。
 途中、鞄にいれていたケータイが震えた。
 見てみると、マオからのメールだった。実体化している時のマオは、やたらとたくさんメールを送ってくれる。他に送る相手がいないからかもしれないが、実のところ、エミリはそれが最近楽しみだった。
 今回霊体に戻るのは、明日だったっけな。
 カレンダーを思い描きながら、メールを確認する。
 その内容に小さく微笑むと、自宅へ向かう足を速めた。
「ただいまー」
「おかえり、エミリ」
 自宅には既に父がいた。
「ただいま、ダディ」
 いつものように軽く笑いかけてから、
「ね、わたしの子どものころのおもちゃって、どこにしまってあるっけ?」
 早口で尋ねた。
「おもちゃ?」
 和広は怪訝な顔をしてから、
「エミリの部屋の、クローゼットのうえ、かな」
「ありがとう」
 頷くと、足早に部屋に戻る。クローゼットのうえの方は、あまり気にしていなかった。椅子を持ってくると、クローゼットの上の棚を覗き込む。確かにダンボールがいくつかあった。
 おもちゃ、と書かれた箱を見つけると、ひっぱりだしてくる。
 色々と物をとっておいてくれる家でよかった。
 少し埃っぽいそれに軽く咳き込みながら、ダンボールを開ける。昔親しんでいたおもちゃがたくさんつまっていた。
 多分、あると思うのだが。
 人形やおままごとのセットをかきわけて、お目当てのものを探す。
「あ、あった」
 ピンク色の箱を取り出す。これならきっとぴったりだろう。
「ダディ」
 それを持ってリビングに戻る。
 和広は一度エミリを見てから、
「これはまた、懐かしいものを」
 目を細めた。
「これ、マオさんにあげてもいい?」
「それはエミリのものだから、好きにすればいいが」
「ありがとう」
 明日持って行こう。心に決める。
「しかし、なんでまた」
「お洒落な箱が欲しいっていうから」
「……最近は、すっかり仲がいいね」
 ほんの少し、和広が笑った。
 改めて言われると、なんだか照れくさい。
「おまえは、ずっと実験体と距離を置いて生きていくのかと思っていたよ」
「……わたしだって、色々考えて、変わるんだよ」
 いつだかも言ったようなことを言うと、
「そうか」
 微笑んだまま頷かれた。
 父はずっと、Uナンバーである隆二達を担当していた。彼らと普通の人間のように接する父のことを、変わっていると思ったこともあった。
 でも、今ならわかる。彼らはなにも変わらない。自分達と。
 父のことはずっと大好きだけれども、最近は特に誇りに思う。組織に流されず、自分の価値観を築いている父を。
「恵美理は今後、神山さんたちと敵対する命令がでたら、できなさそうだねぇ」
 巫山戯た調子で言われた。
 そんなこと、考えてみたこともなかった。彼らともう敵対するつもりなんて、エミリにはなかった。
 そんなことになったら自分はどうするのだろう?
 一瞬悩んだものの、
「そんなのダディ、決まってるよ」
 軽く肩を竦めて答えた。
「もうそういう命令はわたしのところに来ないよ」
 干されているんだから。
 言外に込めた意味に、和広も少し苦笑いをした。
「恵美理」
「なに?」
「やめるのならば、遠慮せずにやめなさい」
 真面目な顔で言われた言葉になんて返事をするべきか悩む。
 色々考えていることはあるけれども、干されている現状があるけれども、研究所をやめることはそんなにすぐには考えられなかった。だって、エミリから研究所をとったら何も残らない。そのことが自分でわかっているから。ここまでの人生、研究所を中心に生きてきた。今更、それなしでの生き方を考えられない。
「うん、考えとく」
 それだけいうと、真面目な父の視線から逃げるように、きびすを返し、
「あ、そうだ恵美理」
 引き止められた。
 振り返ると、父はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。安心して、そっと肩から力を抜いた。
「なんだったか、深夜にやっていたテレビ番組。心霊写真がどうたらとかいう」
「ああ、オカルトクエスト?」
 おおよそ父が言うとは思えないテレビ番組に、語尾が奇妙に跳ね上がった。
「ああそうそう。それ、ビデオとっていたよな?」
「うん、録画しているけど」
 マオに頼まれて写真を番組に送って以来、いつ採用されるか楽しみにして、こっそり録画していたのだ。なんだか恥ずかしいからこれは内緒だけれども。
「なんだか知り合いが見たいと言っていてな」
「そうなの? いつの? あんまり古いのだともう消しちゃったけど」
「今月のだとは思うんだが。もう一回確認しとく」
「うん。わかったらDVDに焼いておく」
 頼むよ、という父の言葉に頷きかけて、今度こそ自室に戻った。マオにメールの返事を打たなければ。

 

 

 その日は、朝からマオが目に見えてそわそわしていた。
 目の前をうろうろうろうろ行ったり来たりする居候猫を見ながら、隆二は一言。
「おすわり」
「犬じゃないよ!」
 すぐに怒ったような言葉が返って来た。
「とりあえず、座れ」
 ソファーの隣を軽く叩くと、大人しくマオは隣に座った。
「どうした」
 尋ねる。今日は、実体化がとける日だ。なにかやり残したことでもあるのだろうか。
 実体化は、食事をとった日の翌日から、十四日後の午前九時にとける。食事が何時であっても午前九時に。あと三十分ほどで、霊体に戻ることになる。
「んー」
 マオは片手にもったケータイと玄関のドアを何度か見比べながら、
「あのね、エミリさんがぁ」
「嬢ちゃん?」
 問い返したところで、ぴんぽーんっと玄関のチャイムがなった。
「きた!」
 ぴょんっと立ち上がると、マオが小走りで玄関に向かう。
「走らない! あと確認してからあける」
 注意を促すと、一応覗き穴から外を確認してから、ドアをあけていた。
「こんにちは。すみません、ぎりぎりでしたね」
「こんにちは! いらっしゃい」
 確かに入って来たのはエミリだった。
「どうした、嬢ちゃん」
 ソファーに座ったまま声をかける。
「エミリです。マオさんに用がありまして」
 そうしてエミリは、どうぞ、と片手に持っていた紙袋をマオに渡した。
「いい?」
「はい」
 マオがそれをあけて、中身を取り出す。
「わぁぁ」
 そうして嬉しそうに声をあげた。
 マオが取り出したのは、薄いピンクの箱だった。
「かわいい! 魔法っぽい!」
 プラスチック製のチープなつくり。蓋の部分には、金色で何か模様がついていた。よくみたら何かの花の形になっているようだ。ひまわり……?
 マオがそれを開ける。中はオルゴールになっていたようで、開けるとチープな音楽が途切れ切れ聞こえた。真ん中の部分は、蓋と同じような金色の模様に囲われ、ついでになんだか光っている。
「なにぶん、古いものなので、音質はあんまりよくないのですが」
 エミリが申し訳なさそうな顔をするが、箱に夢中なマオは聞いちゃいなかった。
「ここが、小物入れ?」
「はい」
 マオが指差したのは、赤いフェルトが敷いてあり、他の部分とは区切られた場所だった。
 マオは軽く頷き、つけていたペンダントを外すと、その部分にそっと置いた。
 ぱたん、と蓋を閉めると、
「うん」
 なんだか満足そうに大きく頷いた。
「お気に召しましたか?」
「とっても! ありがとう」
 満面の笑顔で嬉しそうに言うと、エミリも小さく微笑んだ。
「あー、悪い、説明してもらってもいいか」
 置いてきぼりになった隆二が声をかけると、
「もらったの!」
 嬉しそうにそのピンクの箱を胸に抱きながら、マオが言った。それは大体わかったんだが。
「わたしが説明しますから、マオさんはそろそろ準備なさった方がいいのでは」
 時計をちらりと見てエミリが言う
「あ、本当だ」
 あと九時まで、十分ほどしかない。
「それじゃあ、エミリさん」
「ええ」
 マオはぺこっと軽くエミリに頭をさげてから、大切そうに箱を抱いて、ベッドのある部屋に消えて行った。襖が閉まる。
 何度か実体化を経験して、元に戻るときのルールもできていた。
 霊体に戻る時には、いつものワンピースに着替えること。何を着ていても、霊体に戻ったときは、あのワンピース姿になる。ただ、その場合、元々着ていた洋服は、中身を失い床に落ちることになる。そうすると、隆二が片付けることになる。それが面倒なので、予め洋服を着替えておくことになった。
 それから、他の洋服や散らかしていた小物達もきちんと片付けておくこと。無くしたら困るものは、自分できちんとしまっておくこと。触れなくなってから隆二に片付けを頼んで、それで壊しただのなんだの言われては、隆二もたまったものじゃないからだ。
 今頃、部屋を片付けて、着替えているころだろう。
「えっと、それで?」
 とりあえず座れば? と片手でダイニングの椅子を勧めながら、エミリに尋ねる。
「昨日、マオさんからメールがありまして。神山さんにとっても素敵なペンダントをプレゼントされたのに」
 とっても素敵なペンダントを嫌に強調して言われて、むず痒くなる。わざわざそんなことメールしたのか。
「しまう場所がない。箱かなにかにいれておこうにも、いいものが家になかった。なにかないか、というものでした」
「それで、あれ?」
「はい」
 ピンクなプラスチック製の少しチープなオルゴール。
「おもちゃっぽかったけど」
「おもちゃなんですよ」
 そこでエミリが小さく微笑んだ。
「わたしが子どものころにやっていたアニメのおもちゃです。魔法のひまわりリーガルユカナっていうんですけれども。魔法の力で女の子が弁護士になる魔女っ子もので、大好きだったんです」
 途中ででてくるパワーアップアイテムで、なんて続ける。
「……嬢ちゃんも、そういうアニメ見たりしてたんだな」
 あとなんだ、その魔法の力で弁護士になるっていう微妙な設定は。
「エミリです。わたしも、普通の女の子ですから」
 普通の概念を一度問いただしたかったが、怒られるに決まっているのでやめておいた。
「それにでてくる魔法のオルゴールなんです。しまい込んであったんですけれども、マオさん、こういうのお好きだろうな、と思って」
「そりゃあ、大好きだろうな、ああいうの」
 疑心暗鬼ミチコと通じるなにかがある。
「でもいいのか、そんなものもらって。思い入れとかあるんだろう?」
「思い入れはありますが、今のわたしがおおっぴらに使うわけにもいきませんし。使っていただけるのならば、そちらのほうがいいです。それに、わたし、ああいうおもちゃは、まだまだたくさん持っているんですよ」
 一人娘で甘やかされていましたから、と続けた。
「ああ」
 苦笑する。
 彼女が小さい頃にも何度か会ったことがあるが、確かに見るたびに色々なものを買い与えられていた気がする。
「おっちゃん、元気?」
 なかなかに子煩悩な彼女の父親を思い出しながら問うと、
「ええ。おかげさまで。まったく何の問題もありません」
 しっかりと頷かれた。
「それはよかった」
 少し安心する。彼はまだ、いなくならない。
「しかし、物持ちいいねー」
「父が色々とっておいてくれたので」
 そんな会話をしていると、
『りゅーじ』
 ひょこんっと壁から顔が生えた。
「おかえり」
 片手をあげる。
『ただいま』
 霊体に戻ったマオが、するりと壁抜けをして、隆二の隣、ソファーに座った。
『エミリさん、オルゴール、ありがとう!』
「いいえ。気に入っていただけてよかったです」
『うん、大事にするね! 今度、エミリさんにもなにかお礼用意するね!』
「お気遣いなく」
 エミリは小さく微笑むと、
「それじゃあ、今日は失礼します」
 立ち上がった。
「ああ、悪い。忙しいのに」
 研究所からここまで距離がある。マオが霊体に戻る前に来ようと思ったら、結構早くから出て来たんじゃないだろうか。
「いえ」
 エミリは軽く首を横にふった。
『エミリさん、ありがとう』
「いいえ。それじゃあ、また」
「ああ、また」
『ばいばーい』
 エミリが軽く頭をさげて立ち去るのを、それをマオが大きく手を振って見送った。
 エミリを見送り、部屋のドアをしめる。
「よかったな、マオ」
『うん!』
 マオが大きく頷いた。
『隆二がくれたペンダントね、本当に気に入ったから、大事にしまっとくものが欲しかったの! エミリさんに相談してよかった! あのオルゴールもすっごく可愛いし、ぴったりだし、本当嬉しい!』
 見ているこっちまで思わず微笑んでしまいそうな笑顔でそう言う。
 そこまで気に入ってくれるならば、流れとはいえ買って良かったな。そう思った。
『隆二も、本当にありがとね!』
 それから、
『ところで、隆二! テレビつけて!』
 そのままのテンションで、なんの躊躇いもなく隆二をリモコン代わりに扱った。
「……はいはい」
 ほんの少し面倒だが、これから半月はマオの挙動にはらはらすることはない。そう思うと、リモコン代わりになることぐらいなんでもない。
 テレビをつけながら、安定の半月を思ってそっと息を吐いた。


第五幕 居候猫の恩返し

「ごちそうさまでした」
 唇を離したマオが、小さく呟いた。
「おそまつさまで」
 いつものようにだらけたように、隆二は言葉を返した。
 一カ月、はやいなぁ。
「着替えてくるー」
 隣の部屋に消えるマオを見送りながら、ぼんやりそんなことを思う。
 今日から半月、またマオは実体化していることになる。
 マオが消えてすぐに、隣の部屋から、途切れ途切れの音楽が聞こえて来た。これ、なんだっけな。
 見えるわけでもないのに、ソファーに座ったまま隣の部屋への壁を見る。しばらく考えて、エミリが持って来たオルゴールの音楽だと気づいた。
 実体化してすぐに、あのペンダントが入っているオルゴールを開けたのか。そのことに思い至ると、なんだかくすぐったい気分になる。
 ふっと唇が緩んで、慌てて片手で口元を押さえた。
「着替えたー」
 戻って来たマオは、ラフな部屋着姿だったが、首元にちゃんとあのペンダントをつけていた。そして、すとんっと隆二の隣に腰掛けた。
「コーヒー、飲むか?」
 なんとなく照れくさくて、マオと入れ替わるようにソファーから立ち上がる。
「牛乳ある?」
「買っといたよ、昨日」
「じゃあ、飲むー!」
 マオがはしゃいだ声をあげる。
 実体化してすぐに、コーヒーが飲みたいなどと言っていたマオだったが、中身と同じおこちゃま舌の彼女には、ブラックでコーヒーを飲むことなんてできなかった。それでも隆二とお茶がしたい、と主張する彼女のため、色々と調整した結果が、ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーだ。
 それ、もうコーヒーじゃないだろ。とは思うが。
 二人分のコーヒーを作って、ソファーまで戻る。マオは早速テレビをつけたところだった。
「はい」
「ありがとー!」
 マオ用に購入した猫の柄のコーヒーカップを手渡すと、嬉しそうに受け取った。
 ソファーの足によりかかるようにして、床に腰を下ろした。
「そうだ、検査、明後日な」
 さっきエミリからきたメールを思い出して言う。
「……はーい」
 露骨に下がったテンションでマオが返事をした。まあ、そうなるよな。
「帰り、買い物でもなんでも付き合うから」
 なだめるようにそう言うと、
「じゃあ、行く前に、なんかお菓子とか買いたいの」
「前に?」
「うん、エミリさんにこの前のお礼。オルゴールの」
「……ああ」
 小さく頷く。
「そうだな、色々世話になってるし」
 エミリが研究所内で隆二達の担当であるにしても、橋渡し役になってくれていることには感謝している。きっと、研究班と隆二達との間に挟まれて色々面倒な思いもしていることだろう。仕事としての領域を越えて、面倒を見てもらっている、という自覚はある。
「じゃあ、それ買ってからだな」
「うん!」
 嬉しそうにマオが大きく頷いた。

 検査の日、マオがテレビで見たというバームクーヘンを買ってから、研究所に赴いた。
「わざわざすみません、ありがとうございます」
「いや、いつもありがとう」
 隆二が素直に礼を言うと、エミリがなんだかまた微妙な顔をした。礼を言うたびにそういう顔をされるんじゃ、本当、割にあわない。
 硝子の向こうでは、今日もマオが白衣と何か話している。右手が胸元のペンダントを掴んでいるのを見て、小さく目を細めた。
「あ、そうだ」
 エミリもエミリで何かを思い出したのか、置いてあった鞄から小さな袋を差し出す。
「これ、一応渡しておきます」
「何これ」
 開けてみると、円盤状の何かが入っていた。
「先日の、マオさんの写真が採用されたテレビ番組の録画です。丁度同じ回を、父の知り合いが、知人のが採用されただったか、映っているだったかで見たがっていたので、一緒に焼いておきました」
「……なに、これ、どうすればいいの」
 中身とかよりもそこを説明して欲しい。
 エミリは一瞬軽く眉をひそめてから、
「DVDです。プレイヤーで再生して見て頂きたいのですが、そういえば神山さんの家にはありませんよね。マオさん、レコーダー欲しがっていましたし、今度購入されてはいかがですか?」
 言っていることの内容があまり理解できなかったが、ひとつだけよくわかったことがある。
「これ以上、うちに変な機械を増やせと」
「真っ当な機械です」
 思わず渋い顔になってそう言うと、真顔で訂正された。使い方がわからないものは、全部変な機械、だ。
「神山さんが使えなくても、マオさんが使えるでしょうから大丈夫ですよ。休みの日でしたら、買いに行くのも付き合いますよ」
「それは大変ありがたい申し出だがな」
「なにがご不満ですか?」
「すべてだよ」
 などと不毛なやりとりを繰り広げている間にも、無事検査は終わったらしい。マオが安心した顔でやってきた。
「おつかれ」
 片手をあげる。
「おつかれさまです。この前の、オカルトクエストの録画、DVDに焼いて神山さんに渡しておきましたので」
「え、本当!?」
 ぱぁぁっとマオの顔が明るくなった。
「あー、でもうちじゃ見られないのかー。隆二ー、プレイヤー買って帰ろう?」
「お前は……。さらっと変な機械を俺の家に増やそうとするんじゃない」
「変じゃないよー、普通の機械だよー」
 軽く唇を尖らせたマオが、エミリと同じようなことを言う。
「買い方わかんないし。知らないけど、色々あるんだろ、そういうの」
「うーん。さすがにあたしも、家電については調べてないんだよなぁ。……あ、エミリさんは?」
「わたしは、このあとちょっと用事がありますので」
「……そっか」
「今度、一緒に買いに行きましょう」
「うん、それじゃあ、約束!」
 はしゃいだ声で勝手に約束をする二人に、呆れてしまう。だから、誰の家に置くと思っているんだよ、それ。
 二人の間で勝手に話はまとまったらしく、メールしますね、なんて言っている。まあ、この二人が仲良くしているのを見るのは、割と楽しいからいいのだが。
「帰るぞー」
 呆れ半分で声をかけると、
「え、まって」
 慌ててマオがこっちにきた。
「じゃあね、エミリさん」
「はい、また」
「どーも」
 挨拶を交わして、研究所を後にする。
「ねー、りゅーじ! 電気屋さん行こう!」
「はぁ?」
「下見、下見!」
「やだよ」
 なんでそんな変な機械ばっかり売っているところに行かなきゃなんないんだ。
「普通の機械だからね!」
 心を読んだかのようにマオが言った。
「はいはい」
「もー」
 あっきれたーとマオが呟いた。誰にでも、向き不向きがあるのだ、仕方あるまい。
「……ねー」
 呆れたような顔をしていたマオだが、急に何かに気づいたかのように、隆二の顔を見た。伺うように。恐る恐る。
「何を企んでる?」
 そういう顔は、過去何度も見てきた。
「た、企んでなんかないよ!」
 どうだか。どうせまた、意味のわからないおねだりでもするつもりなんだろう。
「ちがくて! あたしばっかり欲しいもの言ってるけど、隆二は欲しいものとかないのかなーって思ったの!」
 なんだか怒った調子で言われる。
「欲しいもの?」
 考えたこともなかった。
 元々性根が怠惰なのだ。物欲だって錆び付いている。何かを欲するということが、あまりない。
「……ないなあ」
 コーヒーが飲めて、のんびり本が読めれば、それで満足だった。
「なんかないの!?」
 強い口調で言われる。何を怒っているんだか。
「ないよ」
「……ああ、そうっ!」
 ふぃっとマオがそっぽを向いた。おおかた、こちらが欲しいものを聞き出して、それにあわせて強引に自分の欲しいものでもねじ込んでくるつもりだったのだろう。
 苦笑する。
「別に俺欲しいものないし、マオが欲しいものがあるんだったら、まあ、相談ぐらいにはのるよ」
 変な機械が家にくることはいやだが、だからといって過度にマオに我慢を強いるつもりもない。マオに渡している金額分で足りなければ、ちっともない貯金を多少渡してもいいし。多少なら。
 そうやって譲歩したにもかかわらず、
「別にっ」
 マオの機嫌はなおらなかった。変なやつ。いつものことだけど。
 片手をあげて軽くマオの頭を叩く。ぽんぽんっと。既に一種の流れのようになっている。臍を曲げたマオの頭を撫でること。
 マオのへの字に曲げられた口元が、ほんの少しだけ緩んだのを視界の端で確認すると、
「電気屋、ちょっとだけだぞ」
 言って、彼女の片手を掴んだ。
「……はーい」
 不機嫌を装った返事は明るい。現金なやつ。小さく笑った。

 

 

「俺、買い物行くけどどうするー?」
 隆二が声をかけてくる。それに、きた! と思った。のは、なるべく見せないように頑張って、
「待ってるー!」
 テレビ画面を睨んだまま答えた。
 隆二が呆れたように笑ったのがわかった。
「ちゃんと留守番してろよー」
「……はーい」
 ちょっと後ろめたくて、一瞬言葉が遅れた。ばれたかな、と思ったけれども、隆二は別段気に留めなかったらしい。
「じゃあ、いってくる」
 靴をはいて、ドアが開く音。
「いってらっしゃーい」
 テレビを見たまま、告げる。
 がちゃり、とドアがしまった。
 しばらくそのままテレビを睨み続けて、
「よしっ」
 もういいだろう、と思ったところで立ち上がる。
 テレビの中では、四苦八苦久美子が戦っている。正直、すっごくいい場面だけれども、今日ばかりはしかたない。
 未練を断ち切るように電源を切ると、ベッドの上に置きっぱなしにした鞄を手に取る。
 鞄の奥の方で、眠っていた鍵をひっぱりだす。念のため、と渡されていたが、これまで使う機会のなかった合鍵。目の前に掲げて、ふふっと笑う。
 今日という今日は、探し出すんだ。隆二へのプレゼント。
 浮かれて口元がにやけてしまう。
 メモ帳に隆二に対するメッセージを残す。
 勝手にでかけたらきっと怒られちゃうだろうなー。でも、これでも実体化してだいぶたったのだ。そろそろ一人ででかけたって平気だ。大丈夫。
「ごめんね、りゅーじ」
 テーブルに置いたメモに向かって両手をあわせて謝る。それから、やっぱり、にへらっと笑って家を出た。
 一人で町中を歩くのは初めてだ。だけど、幽霊のころからずっとうろうろしていた町だから、どこになにがあるのかは熟知している。多分、隆二以上に。
「なにがいいかなー」
 歌うように呟いて、辺りに視線をさまよわせる。
 さりげなく隆二に欲しいものがないか探りをいれたところ、あっさりとない、と言われてしまった。
 まったく、隆二は本当、ひとでなしなんだから。
 思い出したら、ちょっとむかむかしてきた。小さく唇を尖らせる。
 一緒にでかけるたびに、さりげなく様子をうかがったものの、やっぱり隆二が欲しいものはわからなかった。
 そうこうしているうちに、今月の実体化期間も明日までになってしまった。
 これじゃあいけない、と今日こそは何がなんでもでかけることに決めたのだ。昨日見ていたドラマで、「贈物は選んでくれたという事実が嬉しいものよ」とか言っていたし。ドラマの人と違って、そういう事実に喜んでくれるような素直さが隆二にあるとも思えないけど。
 駅前に向かう。あの辺りが一番、お店がある。
 さて何にしよう。洋服? いつも同じようなのを着ているから、ちょっと違うものをプレゼントとか? 靴もいいかもしれない。こっそりサイズをチェックしていたのだ。あとはなんだろう? 本? でもたくさん持ってるしなー。機械式のものは論外。うーん、何かぴぴっとくるものあるかなー。
 駅前まで来ると、辺りを見回す。
 さて、どこのお店から見ようか。あんまり遅くなると、すっごく怒られそうだからなー。そんなことを考えながら辺りを見ていると、
「おじょーさん」
 軽薄な声が横からかけられた。
 そちらを見ると、若い男が二人。
「一人? 今ひま?」
「すっごく忙しいの」
 そうだ、誰だか知らないけど、
「ねぇ、隆二に何あげたらいいと思う?」
 訊いてみよう。
「は?」
「プレゼント。もらうんだったら、なにがいい?」
 男の人が欲しいもの訊いたら、何かヒントになるかもしれない。
「カレシに?」
「ちがうよー」
「ああ、好きな人?」
「……まあ」
 好きな人では、あるよなぁ?
「私をプレゼント! とかやればいいじゃん」
「おまえ、やめろよー」
「なんだよ」
 二人でなんだか楽しそうに笑う。答えてくれる気がないなら、もういい。
「自分で探す」
 くるっと背を向けて歩き出そうとしたところを、
「まあまあ、待ちなよ」
 右手を掴んで引き止められた。
 ぞわっと一気に鳥肌がたった。
 右手に感じる熱が不愉快だ、とても。
「離してっ」
 咄嗟に振り払おうとするが、相手の力が強くて振りほどけない。
「プレゼント? 一緒に探してあげるって」
「とりあえずお茶でも行こうよ」
 腕をひっぱられる。
「痛いっ」
 引っ張られる方に、軽くよろめく。
 なんだか凄く不愉快で、ちょっと怖くて泣きそうになる。
 隆二もたまに強引に手をひっぱることがあるけれども、こんな風に痛いと思ったことはない。ああ、手加減してくれていたのか、と今更ながらに気づいた。あの唐変木なひとでなしの優しさに。だってそうだ、隆二はひとじゃないのに。それなのにマオが嫌がったら振りほどけるぐらいの力でしか、手を握って来なかった。彼が本気を出したら、マオの腕なんて簡単にへし折れる。それでも隆二に手を握られることを、怖いと思ったことなんて一度もなかった。嫌だったこともない。
 今、このなんでもない人間に手を握られることが、こんなに不愉快なのに。
「離してっ!」
 一度息を吸い込んでから大声をだす。
 やっぱり隆二じゃなくちゃだめなんだ。わかっていたことだけど。例え実体化して、他の人に見えるようになっても、隆二じゃなくちゃ駄目だ。
 マオの大声に、二人は少し驚いたような顔をした。
「あたし、行かなくっちゃ」
 はやくプレゼントを買って帰らなくっちゃいけない。邪魔しないで欲しい。
 きっと二人を睨みつけると、男達は一瞬たじろいだような顔をした。それでも手は離さない。お互い、どうにも引っ込みがつかなくなり、睨み合っているところを、
「ちょっと」
 やる気のない声が横からかかった。
「嫌がってんじゃん、離してあげなよ」
 声の方を見る。
 黒髪をなんとなく伸ばした、スレンダーな女性がそこにいた。
「……きょーすけさん?」
 あまりに似ている姿に一瞬呟く。明らかに性別からして違うのだけれども。
 マオの呟きに、女性が小さく目を見開いた。
 男達は女性とマオとを見比べてから、
「ちょっと声かけただけじゃん」
 ぶつぶつ言いながら、マオの手を離すと足早に去って行った。
 なんだったんだろう、あの人達。
 その後ろ姿を見送っていると、
「大丈夫?」
 女性が声をかけてきて、慌てて頷く。
「ナンパのかわし方、もうちょい覚えた方がいいよ」
 やる気なさそうな言葉に、
「え?」
 素っ頓狂な声をあげる。
「……あれがナンパなんだ?」
 ドラマではよく見るが、ああいうものなんだ?
 マオの返答に、
「気づいてなかったの?」
 女性は楽しそうに笑う。それから、
「ね、それ」
 マオの首元を指差す。
「そのペンダント」
「あ、これ? もらったの」
 かわいいでしょう? と笑ってみせる。
「なんかさ、やる気のなさそうな男の人にもらった?」
「うん」
「私、誰か知り合いに似てるんでしょう? それも男」
「うん」
 なんでこんなこと訊くんだろう?
「やっぱりね」
 何に納得したのか、女性は満足そうに頷くと、
「それ作ったの、私」
「え?」
 女性とペンダントを交互に見比べる。
「これ、おねーさんが作ったの?」
「そうそう」
「へー! かわいいからお気に入りなの! ありがとう」
「どういたしまして。そこまで喜んでもらえるなら嬉しい」
 それからちょっと悪戯っぽく、彼女は笑った。
「じゃあ、貴方があの人のカノジョなんだ?」
 その言葉に、慌てて首を横にふった。そんなこと隆二が聞いたら怒るに決まっている。隆二にとってカノジョは茜だけだ。
「そんなんじゃないよ。あたしはただの居候」
 隆二に訊いたって、そう答えるだろう。あれはうちの居候猫、って。
 もう一年以上も一緒にいるのに、居候でしかない。
「……あたしは、いつまで居候なのかな」
 小さく呟いた。

 

 

「ただいま」
 スーパーの袋を片手に帰って来た隆二は、言いながらドアをあけた。
「……マオ?」
 いつもならとんでくる居候猫の姿がない。部屋も暗い。テレビもついていない。
「マオっ」
 急に不安になって、靴を脱ぐのももどかしく、片足は脱がないまま部屋にあがった。
 いつものソファーに居候猫の姿はない。
「マオっ」
 もう一度名前を呼んだところで、テーブルの上のメモに気づいた。慌ててそれに目を通す。
 マオのあの、へたくそな字で、「おかいものいってきます。ごはんにはかえってきます。ごめんなさい」なんて書いてあった。
「出かけるなつっただろうが、あのバカっ」
 舌打ちすると、ポケットからケータイをとりだす。慣れない手つきでマオの番号を呼び出すと、電話をかけた。
 ぷるるると呼び出し音はするが、マオは出ない。いらいらと指でテーブルを何度も叩く。
 落ち着け。何かがあったから出ないとは限らない。マオのことだ、約束を破ったことはわかっていて、怒られるのが嫌で電話を無視しているだけかもしれない。
 留守番電話サービスに接続される。
「怒ってないからこれ聞いたらすぐに電話しろ」
 吐きすてるようにそう言ってから、どう考えてもこの言い方は怒っているな、と考えを改めた。
「かけ直さないともっと怒るぞ、このバカ」
 早口で続けた。
 そのまま電話を切る。
 まったく、あのバカは。
 舌打ちを一つすると、いつでも出られるようにケータイをまたポケットにしまう。
 探しに行って入れ違いになるのも嫌だし、ご飯までに帰ると言っているのならば、ぼちぼち戻ってくるころだろう。出かけたから即、何があるわけでもない。落ち着け。
 自分に言い聞かせると、一つ深呼吸。
 とりあえず、少しだけ待ってみよう。
 そう決めると、履いたままだった靴を脱ぎ、買ったものを冷蔵庫にしまいはじめた。


「うげっ」
 留守電に残された隆二のメッセージを聞いて、マオは小さく悲鳴のような声をあげた。
「ん?」
 向かいの女が首を傾げる。
「……なんでもなぁーい」
 聞かなかったことにしよう。そう決めると、ケータイをテーブルの上に置いた。
 あの後、ナンパから助けてくれた女と少し会話し、なんだか意気投合した。
 柚香と名乗ったその女性は、自分で作ったアクセサリーを売って生計をたてているらしい。マオが隆二へのプレゼントを探している話を聞くと、アクセサリーを見立ててくれると言い出した。
 アクセサリーなんて隆二絶対買わないし、いいかもしれない! この人、隆二に合ったことがあるらしいし、このペンダントを作った人のアクセサリーなら申し分ないし!
 渡りに舟な申し出にマオも乗っかり、柚香の作品を見るために近くのファーストフードに入ったところだ。
 あとちょっとで終わるのだ。途中で連れ戻されたり、隆二に来られたりしたら意味がない。これが終わるまでは、留守電を聞かなかったことにしておこう。用事が終わったら、ちゃんと電話するから。自分にそう言い訳する。
「ならいいけど?」
 言いながら柚香は、片手に持っていた大きめの紙袋から、いくつかのアクセサリーをテーブルに並べていく。
「まあ、あの人アクセサリーとか頓着なさそうだったけど」
「隆二が興味あるのは本とコーヒーだけだよ」
 小さく唇を尖らせながらマオが言うと、そんな感じっぽいね、と柚香も笑った。
「だから、シンプルな方がいいよね」
 メンズはこれぐらいかなー、と並べられたアクセサリーを見ていく。
 うーん、そもそも何かを身につけている隆二が思い浮かばない。
「ピアスは?」
「あいてないよ」
「じゃあ、この辺は論外」
 ピアスが幾つか袋に戻される。
「ペンダント系か、ブレスレット系か」
「んー」
 それらを眺めながら、まだちょっと痛い右手を擦る。そうしながら、隆二と言えば、手だな、と思った。
 最初にした約束も、そういえばそのうちに頭を撫でてくれる、というものだった。
 いつも頭を撫でてくれる手。最初の時、逃げようと繋いだ手。最近は、普通に繋いでくれる手。
「……ブレスレットだなぁ」
 小さく呟くと、
「そう?」
 とペンダント系統が袋にしまわれる。
 いくつか残ったブレスレットを眺めて、
「……これ、いいかなぁ」
 つかみあげたのは、シンプルな革のブレスレットだった。茶色い一枚の革が編み込まれている。
「ああ、いいんじゃない? シンプルだし」
「……うん、これにする。これください」
「はい、毎度」
 柚香が笑って受け取ると、袋にいれてくれる。値札に書かれた金額を手渡し、商品を受け取った。
「ありがとう」
「いいえ。喜んでくれるといいけど」
「んー、隆二が喜んだりするところ、想像できないけど」
 それよりも先に怒られそうだし。
「それでもきっと、嫌がらないでつけてくれると思うから」
「じゃあ、また、どこかで見かけるの楽しみにしてる」
「うん」
 大きく頷いた。


 遅い。
 時計を見て、隆二は一つ舌打ちをした。
 ご飯までに帰ってくるって言ったのに、帰ってくる気配がない。あれから三回追加で電話をかけたがちっともでないし。
 苛立ちは段々不安に変わっていく。もう一度電話をかけて出なかったら、探しに行こう。
 そう決めて、電話をかけると、意外にも今度はかけはじめて直ぐに電話に出る音がした。
「マオっ」
 怒鳴りつけるように名前を呼ぶと、
「あー、もしもし?」
 返ってきたのは、マオの声じゃなかった。
「……誰だ」
 低い声で誰何。
「あー、あのおにーさん? この前ペンダント買ってくれた。私私、アクセサリー売りの」
 言われてみれば、そのやる気のなさそうな声には聞き覚えがあった。京介似のアクセサリー売りの女。
 それがなんで、マオの電話に?
「ええっと、話せば長くなるんだけど、マオちゃん? とは道であって。私のペンダントつけてくれてるから話してて。ちょっと一緒にお茶してて」
「……ああ」
 その言葉に、ちょっとだけ安堵する。おしゃべりに夢中になって、電話に気がつかなかったのか。ありそうなことだ。
「……あの、マオは?」
「それなんだけど」
 女はなんだか言いにくそうにした。それに収まっていた不安がまた暴れ出す。
「追加の飲み物をね、買いに行ってくれたの。……それから三十分ぐらい経つんだけど戻って来なくって。レジ一階だから見に行ったんだけどいなくって。ケータイはテーブルにおきっぱなしだし。そしたら、おにーさんからの電話があったから」
 言われた言葉に、目眩がする。
 いなくなった?
「今、どこに?」
 あげられたのは駅前のファーストフードの名前だった。そこならマオと二人で行ったことがあるから知っている。
 一階にレジがあって、二階が客席になっていた。駅前だからかいつも混んでいるが、そんな三十分も戻って来られないような混雑ではないし、ましてや行方をくらますスペースがあるわけがない。
「あんのバカっ」
 舌打ち。
 何があったというのだ。どうしてこうなるんだ。
 もっと早く探しに行けばよかった。
「今から行くんで待っていてください」
 一方的にそう言い切ると、電話の向こうの女の返事も待たずに通話を終えた。
 ひっかけるように靴を履くと、駅前に向かって容赦ないスピードで走り出した。



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