目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第六幕 猫の毛並みを確認すると。

 ここは、どこだろう?
 どこだかわからない。ただ暗い場所に隆二はいた。
 視線の先、僅かな光が見える。そちらに向かって歩き出す。
「……?」
 視界の先に、人影。目を凝らす。
 肩より少し長い綺麗な黒髪、線の細いシルエット。見覚えのある柄の、着物。
「茜っ」
 名前を呼ぶ。叫ぶ。
 人影は振り返る。隆二のよく知っている笑顔を浮かべて。
「茜っ」
 駆け出す。
 手を伸ばす。彼女の右手を掴み、
「あかねっ」
 その瞬間、彼女は白い骨となり、闇の中へと崩れ落ちた。
 喉の奥で悲鳴があがる。
『りゅーじ』
 背後から舌足らずな声で呼ばれて振り返る。
「マオっ」
 ふわりふわりと、居候猫が浮いていた。
 よかった、マオはまだ居た。
「マオ……」
 手を伸ばし、マオの右手を掴もうとすると、
『大丈夫だって言ったのに、嘘つき』
 淡々とマオが呟き、その姿が掻き消えた。
 掴み損ねた右手。
「っ、マオっ」
「帰って来るって言ったのに、嘘つき」
『大丈夫だって言ったのに、嘘つき』
「嘘つき」
『嘘つき』
 声が責め立ててくる。
 姿は見えないのに声だけが。
「だからちゃんと見とけって言ったのに」
 別の声がどこかで囁く。
「京介っ」
 声をあげても誰の姿も見えない。
「嘘つき」
『嘘つき』
「嘘つき」
 やめろ、やめてくれ。頼む……。
『隆二の、嘘つき』

 

 

「やめろっ!」
 叫んだ自分の声で、目が覚めた。
 跳ね起きる。
 体がなんだか重い。
 ああ、くそ。嫌な夢を見た。
 っていうか、ここはどこだ。
 辺りを見回すと、そこは知らない部屋だった。ベッドに寝かされていたらしい。
 意識を失うまでのことを思い返し、
「マオっ!」
 自分が何をしたのかを思い出し、慌ててベッドから出ようとする。
 そうだ、彼女は、無事なのだろうか。
 嘘つき、と夢の中で責め立てていた声が蘇る。
 違う違う違う。あれは夢で。
 いつになく重たい体を動かし、慌てて足を床につけたところで、
「りゅーじ!」
 名前を呼ばれる。顔をあげる。何かがドアを蹴破るような勢いであけると、部屋に飛び込んで来た。
「隆二!」
 そのままぴょんっと跳ねるようにして、隆二に抱きついてくる。
 慌ててそれを支えた。
「隆二! 隆二!」
 何度も名前を呼びながら、隆二の膝の上に向かいあうようにして座り、頬をすり寄せて来る。
「隆二! 隆二! ありがとう!」
 顔を離して微笑んだのは、まぎれも無くマオだった。
「マオっ、大丈夫か?」
 その肩をつかみ、問う。
「うん! ありがとう!」
 嬉しそうにマオは頷いて、隆二の首筋に両手を回すと、頬と頬をくっつける。
「そっか、よかった」
 安堵の吐息。
 無事でよかった。
 本当に。
 彼女の髪をくしゃりと撫でる。指先に絡み付く、柔らかい髪の毛の感触。
 頬に触れる柔らかい感触。
 ……感触?
「マオ?」
「んー?」
 名前を呼ぶと、どうしたの? とマオが頬を離し、首を傾げてくる。
 その頬を両手で掴み、引っ張る。
「い、いたい……」
 柔らかい。
 ……柔らかい?
 マオの体をじっと見る。いつもの白いワンピースだけが見える。その後ろにあるはずの、自分の足とか、床とかが見えない。
 ……見えない?
 そういえば、こいつ、ドアをあけて入ってこなかったか?
 もう一度マオの顔に視線を移すと、ふふふ、っとマオは何かを企むかのように笑った。
「お気づきですか?」
 その声は、鼓膜を通して聞こえてくる。
「……もしかして、実体化してる?」
 恐る恐る問うと、マオは大きく頷いた。それから耐え切れなくなったかのように、もう一度首筋に抱きついてくる。
「もうね、超嬉しい! 隆二大好き!」
「いや、まてこれは」
 説明を求めるがマオは聞く耳をもたず、
「……神山さんが精気を与えたからですよ」
 代わりに声がした。いつの間に来ていたのか、ドアの横に赤いシルエット。
「嬢ちゃん……」
「エミリです。不死者の神山さんが与えた、人間で言うところの精気にあたる何かが、なんらかの形でマオさんに作用して、そうなったようです。詳しいことは、まだ調べていますが」
 エミリが一つ、溜息をついた。
「まったく、とことん規格外ですね、あなた方は」
 溜息と一緒に吐き出された言葉。以前マオのことをイレギュラーだと評された時は不愉快に感じた。しかし今は、規格外の言葉を不快には思わなかった。その規格外の指し示す意味は、実験体レベルで規格外ではなく、存在として規格外だと受け取れた。だから不快には思わなかった。
「……返す言葉がない」
 だって、我ながら思う。予想外にも程がある、この展開は。
 くすくすとマオが笑う声が、耳をくすぐる。ちゃんと聴覚器官を使って。聞き慣れた声のはずなのに、なんだか違うものに感じる。
「ここは、研究所か?」
「はい、そうです。あのあと、神山さんも気を失われたので運んできました」
「ああ、すまん」
「いえ、運んだのはわたしではありませんので。せっかく来たのですから、力仕事ぐらいはしてもらわないと、本当の役立たずですからね」
 そこで一瞬、エミリの唇が皮肉っぽく歪んだ。ああ、運んだのはあの白衣達か。
「……研究バカにそんな力あったのか?」
「大の大人が三人もいるんですよ。それぐらいやってもらわないと。ひーひー言ってましたけどね」
 エミリが軽く肩をすくめるから、それに少し笑う。それは少し見たかったかもしれない。
「さて、色々と今後についてなどお話したいことがあるのですが」
 そこまで言って、珍しくエミリは口ごもった。
 隆二にぴったり抱きついて、頬をすり寄せているマオを見る。
「……あるのですが、あとにします」
 僅かに頬を赤くして、彼女は言った。
「……なんか、すまん」
 幽霊だったときはなんでもなかったのだが、いざ実体化されるとこうべだべたするのが恐ろしく恥ずかしい。人前でいちゃつく若者みたいだ。俺は何をやっているんだ。
「いえ。マオさんの気持ちが落ち着いたころにまた伺いますね。とりあえず、お二人でお話もあることでしょうし」
 エミリは小さく首を横に振ると、隆二をまっすぐ見つめて一言告げた。
「ご無事でなによりです」
 それから隆二の返事もまたずに、部屋をあとにした。
 赤が視界から消える。
 ぱたり、とドアがしまった。部屋には二人だけが残される。

「マオ、離れろ、とりあえず」
 エミリと話している間もひっついたままだったマオに声をかける。
「えー」
 なんだか不満げな声が返って来た。
「話がしたい。隣座れ」
 そう言うと、しぶしぶとマオは隆二から離れた。が、隣には座らず、なぜかベッドに倒れ込む。それからなんだか楽しそうに枕をベシベシ叩き出した。なんなの、こいつ。
 例え実体化していたところで、行動は変わらず意味不明なままだ。
 そんな隆二を気にすることなく、マオは、
「ねーねー、あたし、戻っちゃうのかなー。どう思う?」
 枕を叩きながら問いかけてくる。
「……さあ?」
 実体化していることすらも想定外なのだ。その後のことなんてわかるわけがない。
「戻っちゃうなら、それはそれでしょうがないかなーとは思うけど。でも、その前にコーヒー飲みたいな! 隆二いれてくれる?」
「ああ」
「やった、楽しみ!」
 マオの浮かれた声。枕を抱きかかえ、ころんっとベッドの上を転がる。
「マオ、本当に大丈夫なのか?」
「うん! なんか変な感じだけど、平気! もうお腹も空いてないし、眠くもないよ!」
 よいしょっと、と体を起こしながらマオが笑った。
「そうか」
 それに安堵の吐息を漏らす。色々イレギュラーな事態だが、とりあえず彼女が今もここにいてくれることに安心する。
「消えちゃうことはないって、言われた!」
「……研究班にか?」
「ん」
 そこでとまどったようにマオは頷く。
「大丈夫だったか? 調べたとか、言ってたけど」
 さっきの白衣の姿を見ただけで、取り乱したマオの姿を思い出す。自分の意識がしっかりしていれば、ついていてやれたのに。悔しく思っていると、
「ん、怖かったけど。でも、エミリさんがずっとついててくれたから」
 マオが意外なことを言い出した。
「嬢ちゃんが?」
「そう!」
 そこでふふっと嬉しそうに微笑む。
「エミリさんがね、言ってくれたの。わたしが一緒じゃない限り、マオさんには指一本触れさせません! って。あのね」
 そこで内緒話をするように声を潜める。
「嬉しかった。守ってくれたみたいで」
「そうか」
 さっきも庇ってもらったしな。今度改めてお礼を言おう。覚えていたら。
 あの少女は破天荒で、ファッションセンスは壊滅的だが、悪い子ではないのだ。
「りゅーじ!」
 言いながらマオが背後から抱きついてくる。
 いつものことといえばいつものことなのだが、実体化されると気まずいな、これ。ちゃんと感触や体温、というものがあって。
 そのまま髪の毛をくしゃくしゃっとなで回される。
「マオ」
 咎めるというよりも呆れて名前を呼ぶと、
「髪の毛!」
 なんだか楽しそうに言われる。それは知っている。
 そのまま手を下ろし、今度は隆二の頬に触れる。指先でつっつかれる。
「……お前、何がしたいの」
「触ったらどんななのかな! ってずっと思ってたの!」
 テンションの高い声で返される。
 それですとんっと、腑に落ちた。ああ、そうか、彼女にとって触覚というのは、初めての感覚器官なのか。
 そう思ったらそれ以上強くは止められず、掴まれた指先をそのままにする。指と指を絡めるように手を繋がれる。嬉しそうに笑う。
「隆二の家の赤いソファー、あれは触ったらどんななのかな、楽しみ!」
 そんなに楽しみにするようなものじゃない。もう古いものだし、傷んでいる。それでも彼女はあれに触れてみたいのだろう。
「じゃあ、帰ったら、コーヒーいれてやるから」
「うん!」
「ソファーに座って」
「テレビ見ようね!」
 お決まりの台詞は満面の笑顔のマオが引き取った。
「ああ」
 頷くと、その頭をくしゃりと撫でた。柔らかい髪の毛が指先に絡んだ。


第一幕 居候猫の現状

「マオー、はやくしろー」
 隆二は、玄関で靴を履くと、部屋の中に呼びかけた。
「待ってー」
 ぱたぱたと軽い足音をたてて出てきたマオは、ピンクと白のジャケット二着を持っていた。
「ねー、どっちだと思う?」
 どっちでもかわんねーよ。
 喉まででかかった言葉を飲み込む。そんなこと言ったら、よりいっそう面倒なことになるのを、経験で知っている。既に何回かなったし。
「ピンク」
「あ、やっぱり?」
 今回は当たりを選んだらしい。マオは満足そうに頷くと、白いジャケットはダイニングの椅子にかけて、ピンクのジャケットに袖を通した。
 これが外れを選ぶと、「えーそうかなー、あたしはこっちがいいと思うんだけどなー」とか言われて無駄な時間を使うのだ。自分の中で決まっているなら、俺に聞くなよ。
「帰ってきたらちゃんと片付けろよ」
 放置された選ばれなかった上着を指差すと、
「わかってるよぉー」
 と頬をふくらませてマオが返事した。
 わかってないだろ。放りっぱなしだろ、お前いつも。
 マオは茶色いパンプスを履くと、同じ色のスカートのひだを軽く直した。上には白いフリルのブラウスを着ている。肩からかけた小さな鞄の中には、何が入っていることやら。
 隆二に命じて玄関に設置させた姿見で、自分の姿をじっと確認すると、
「うん! おまたせ!」
 満足したのか、隆二に顔を向けると笑った。
「じゃあ、行くか」
 玄関をしめると隆二は、マオの右手を掴んで歩き出した。

 マオが実体化してから数ヶ月が過ぎた。
 実体化の原因については、研究班が調べたがなんだかよくわからなかった。色々説明はされたが、専門用語過ぎて隆二がついていけなかったのもある。
「つまり、想定外の行動をしたから、想定外のことが起きたんですよ、きっと」
 と、エミリがあっさりまとめて、隆二もそれに乗っかることにした。大事なのは原因ではないのだ。
 これから、どうなるか、だ。
 あれ以来、二人の生活はがらり、と変わった。
 まず、マオが人の精気を必要としなくなった。厳密にいうと、摂取できなくなった。あの時、隆二の精気、のようななにかを摂取して以来、体の構造が精気のような何かに対応できるように変化してしまったらしい。現在、マオの食事は隆二の精気だ。それしかとれない。
 それが、隆二の限定なのか、不死者であるのならば他の誰かでもいいのか、は不明だが。
 そうして、人の精気よりもエネルギー量があるらしく、月一回の食事で、原則として存在が保持できるようになった。少ない回数ですんでいるので、隆二としては助かっている。
 いや、精気を与えること自体に別段不服はないのだが、唇をあわせるという方法に不服がある。それは食事だとわかっていても、釈然としない。
 そしてこれが一番、大きな違いだ。
 食事の後、二週間、マオは実体化する。
 これは数ヶ月の経験と、研究所の調べによって確定した。月の後半の二週間、マオは実体化する。つまり、月の前半は今までどおりの幽霊状態だ。
 半月ごとに、二人の生活は変化する。月の前半、霊体のときには今までどおりで何の問題もない。
 問題は月の後半だ。実体化したところで、マオはマオだ。中身はあのまま、隆二を振り回す。
 衣服や生活用品については、研究所から研究に協力した謝礼として現金をうけとり、それを使っている。謝礼として現金をうけとることに、抵抗があったが、マオのための衣服等が必要なことには間違いがなく、隆二にさして貯金がないこともまた、事実なのだった。
「受け取っておけばいいんです。利用できるものは利用してください」
 謝礼金を支払うように動いてくれたというエミリが、笑いながらそう言った。それに背中を押された。
 今回の一件では、なにからなにまで彼女に頼っている。
 その謝礼金を使って、マオがいくつか服を買い込んできた。テレビっこの彼女は、幽霊であるころからそれなりに勉強してきたらしい。最初はちぐはぐだったが、今ではヘアスタイルもメイクも、きちんと決まっている。
 テレビがない方の部屋を、今までは本を置く部屋として使っていた。一応貰い物のベッドはあるが使っていなかった。そのベッド周りは、今ではマオの私物であふれかえっている。片付けろって言っているのに、片付けやしない。
 実体化している間は、普通の人としての食事を必要とするため、コンビニで食事を買ったり、簡単なものなら隆二が作ったりしている。
 朝起きて、どの服を着るか毎朝悩んで、出かける時には化粧をして、髪型を整えて、二人で食卓を囲んで。
 なんというか、そう、普通の同居生活をしている。困ったことに。
 それでも、マオはこの生活を楽しんでいるようだから、隆二は何も言わない。そう、決めている。

 

 

 水族館の大水槽のような大きな硝子。その硝子の向こうで、マオが不安そうな顔をしながら白衣の説明を聞いている。ちらりとマオがこちらを見てくるから、軽く片手をあげてみせると、ほっと安堵したような顔をした。
 ここは研究所。今は、あれ以来恒例となった定期検査の最中だ。目の届かないところには行かせない、という隆二の主張のもと、硝子で隔てられた部屋でそれは行われている。強化硝子らしいが、こんなもの、隆二にとってはあってないようなものだ。いざとなれば。
 カルテのようなものを持った白衣の言葉に、マオが首を傾げながら何かを答えている。
 机に頬杖をついてそれを見ていると、
「どうぞ」
 紙コップに入ったコーヒーが机に置かれた。
 視界の右端に赤い色。
「ども」
 素直に受け取り、一口啜りながら、右隣に腰を下ろしたエミリを見る。
 エミリは自分の分のコーヒーを飲みながら、硝子の向こうのマオを見る。それから小さく溜息をついた。
「そろそろこの定期検査なくなればいいんですけどね。……やはりいい気分しないでしょうし」
 その言葉に、やっぱりまだ不安そうな顔をしているマオに視線を移す。
 まあ確かに、マオはここに来ることがあまり好きではないようだ。自分が生み出されたこの研究所。いい思い出がないのはわかっている。
 それでも、
「この前みたいに、急になにかなるよりは、まあこっちのほうが、俺は安心だな」
 保険として、この定期検査に安心している隆二がいる。
「まあ、マオと違って、俺にとっての研究所ってここじゃないしな」
 隆二にとって嫌な思い出がある研究所は、別の場所にあった時代のものだ。
「あの頃はもっとこう、怪しい研究所感満載だったのに、こんな製薬所なんて」
 外見上、普通すぎて怪しさの欠片もない。
 無条件で怖がるマオの気持ちを、十分に慮ることは出来ていないかもしれない。
「薬も作っていますよ」
 しれっとエミリが答えた。
「あ、そうだ」
 そんなエミリと白衣を見ていたら、急に思い出したことがある。覚えていたら、言おうと思っていたこと。
「今更だけど、ありがとう」
「……何がです?」
 唐突な隆二の言葉に、エミリが怪訝そうな顔をする。
「この前、庇ってくれただろう」
 それだけ言うと、エミリはなんのことだか考えるかのように視線を宙にさまよわせる。
 この前、マオが消えかかった時に、白衣に銃を突きつけてまで庇ってくれた。隆二が使いものにならなくて、一人不安がるマオにずっとついていてくれた。そのことは、覚えていたら礼を言おうと思っていたのだ。
「……え、今?」
 ようやく答えに思い至ったらしい。エミリが珍しく間抜けな顔をして、呟いた。
「忘れてた」
「……らしいですね」
 悪びれない隆二の言葉に、呆れたようにひとつ笑う。
「ちょっと意外だった」
 あんな風に感情をあらわにしたエミリを見るのもはじめてだったし、冷静な彼女が白衣に銃口を向けるなんていう行動をとるなんて思いもしなかった。そんなことしたら、自分の研究所内での立場が危うくなるのに。
「わたしも色々考えているんです。これでも」
 小さく肩をすくめて、エミリが答える。
「ふーん」
 なんか前も似たようなことを聞いたよな、と思いながらも深くつっこむことはしない。面倒だから。
「まあ、正直、助かったし、嬉しかったよ」
 もう何も、神山さんから奪わせたりさせません。あの言葉は、色々な意味で心に突き刺さった。自分の元から消えていった様々なものを思い出す痛みもあったが、それよりも嬉しかった。あのときは、この感情の名前がわからなかったが、落ち着いた今ならわかる。あのとき自分は、嬉しかった。
 基本的には、一人でなんでも出来る。やろうと思えば、この研究所を壊滅させることだって出来る。それでも、誰かに心配してもらうとか、助けてもらうとか、誰かに自分のことを意識してもらうことが嬉しいことなのだと、改めて思った。
 それも、エミリという思いがけない方向からきた手助けに、一瞬、心が鷲掴みにされたのだ。
 そんなことを思っていると、右頬に突き刺さる戸惑いの視線。
「……何?」
 辛いものだと思って口にいれたら、甘かった。そんな顔をしているエミリを見ると、
「……いえ、ちょっと驚きました」
 言葉を選ぶようにして、エミリが答えた。
「何が」
「神山さんが、そんなこと言うなんて。なんていうか、だいぶ、丸くなられましたね」
 しみじみと呟かれた言葉に、今度はこちらが顔をしかめる番だ。
「……俺だって、色々考えてるんだよ」
 苦々しく、似たような言葉を返した。
 硝子の向こうの居候猫を見る。
 ずっと一人でいたのに、突然現れたアレに終始振り回されているのだ。それなりに性格だって変わる。
 それに、マオが来てから色々あった。
 ようやく茜に会いに行くことができたし、同族の一人を見送った。
 一人じゃない生活は自由がないけれども、やっぱり楽しい。あのソファーは一人には広過ぎる。
「マオさんのおかげですね」
 エミリの言葉に苦笑する。
 そのまとめ方は、心情的には不満なのだが、結局そのとおりだ。彼女のあの無駄な前向きさに、ひきずりあげられている自分がいる。
 だからこそ、最近、たまに思う。
「……俺でよかったのかねぇ」
 小さく呟く。
 隆二がここにいるのは偶然だ。
 先にマオに会っていたのが自分以外の誰かだったならば、今の隆二の位置にいるのは、そいつだったことだろう。
 もしかしたら、そいつの方がマオのことを可愛がって、優しくして、楽しい生活を与えて、今みたいなことも起きていなかったかもしれない。
「何がですか?」
 マオには絶対に言うなよ、と念押ししてから、
「例えば、颯太だったらもっと上手く動いていたんじゃないか、って思うんだよな」
 マオが見えて、同じような境遇という点では、隆二も颯太も同じだ。自分達、不死者の仲間うちで一番頭のいい彼ならば、もっといい方法を見出していたんじゃないだろうか。前回みたいなことには、ならなかったんじゃないだろうか。
 エミリは、弱音を吐く隆二を、意外そうに一瞥してから、
「わたしは神山さんでよかったと思っていますよ」
 小さく微笑んだ。
「確かに神崎さんは頭がいいですし、他の方法を選んだかもしれません。ですが、神崎さんの場合、そもそもマオさんを拾う、という選択をしなかったんじゃないかと思います」
 エミリの言葉をうけて少し考えると、
「あー、確かに」
 それもそうかもしれない。興味のないことにはとことん興味をしめさない。
 隆二のときみたいに、マオが落ちてきたって何の反応も示さなかった可能性の方が高い。
「気まぐれで拾ったところで、ちゃんと最後まで面倒をみたかどうか……。神坂さんに関しては言うまでもありませんしね」
「英輔、なー。それは同意する」
 力強く頷く。甘いもののためには世界を敵に回すことも厭わない隆二の同族は、知識の偏った純粋な幽霊の世話係に適さないことこの上ない。英輔のコピーが出来上がるかもしれない。恐ろしくて預けられない。
「それに」
 そこでエミリは何かに気づいたかのように口をつぐんだ。
「京介だとどうなわけ?」
 代わりにこちらから水を向けてみせる。
 気にしなくていい、と言っても、京介が消えたことについて責任を感じていることはわかっている。
 エミリはしばらく、躊躇うそぶりをみせてから、
「……神野さんは、スポイルし過ぎそうです」
 それから隆二の顔を見て、
「甘やかしそうってことです」
 言い直した。ご丁寧に、どうもありがとう。
「……確かに、あいつ、マオに甘いもんなー」
 ちゃんと外で会話していたし、テレビの話にも付き合っていたし。
「わたしは、マオさんのあの天真爛漫なところといいますか、割と自由なところは好きですが」
 これはまた、意外なこと言う。
 ちらりと隆二はエミリを見る。
 エミリは気づいていないようだ。あれだけ実験体を物としてしか扱っていなかった自分が、実験体を好きと評価したことに。
 確かに、彼女は変わったのかもしれない。
「さすがに、神野さんが世話をして、野放しにされたマオさんは好きになれたかどうか……」
「我が侭放題?」
「ええ」
「それは、……うざいな」
 そうでしょう? と言いたげにエミリが頷く。
「ですから、結局、神山さんが一番いいんですよ。ちゃんと面倒は見ているし、たまにものすごく甘やかしているように見えるときもありますが、トータル過度に甘やかしたりせず、適宜ほったらかしたり気分でかまったりするぐらいで」
「……微妙に棘がなかったか? 今」
「気のせいですよ」
 エミリは、呆れたように笑いながら隆二を見ると、
「しっかりしてください。マオさんには、神山さんが全てなんですから」
 力強く言った。
「……そうだな」
 自分がここでへたれたり弱気になったりしたら、マオに悪影響だ。それぐらいは、わかっている。
「ありがとう」
 素直に礼を言うと、エミリはまたちょっと驚いたような顔をした。
 だから礼を言ったぐらいで、いちいち驚くなっつーの、失礼だな。

 硝子の向こうでは、なにやら機械で数値の測定が始まっている。
 検査の結果は、一応毎回もらっている。
 それにしても、と手元の資料を捲った。前回までの検査結果がファイリングされている。
「どうしたもんかねー」
 少し苦々しく呟くと、
「……すみません」
 隣のエミリが呟いた。
「嬢ちゃんが謝ることじゃない」
 すぐに謝るのは殊によると彼女の悪い癖かもしれない。そう思いながら、苦笑を返した。
 資料に書かれている、実体化したマオについての調査結果。
 マオは気づいていないようだから、気づかせないようにしている。
 実体化した、ということは肉体という器に縛られることになるのだ。つまり、死というものが近くなる。肉体の死、が生じる。
 実体化したマオは、ほぼ普通の人間と一緒だ。怪我をすることもあるし、場合によっては死ぬことだってある。
 それを、マオは気づいていない。
 隆二だって、最初はそこまで頭が働いていなかった。
 最初に実体化したあの時、幽霊の時と同じようにぽんぽん身軽に動き回って、バカみたいにテーブルにぶつけて出来たアザが、霊体になっても残っているのを見るまでは。
 それに気づいたとき、ぞっとした。
 見えてしまった。また一人になる未来が。絶対に隆二を一人にしない、と言ったマオがいなくなる未来が見えてしまった。
 彼女のその言葉をなんの抵抗もなく受け入れて、信じていたのは彼女が幽霊だからだ。幽霊は死なない。ずっと一緒にいられる。そう思っていたからだ。
 その前提が消えた。
 そのことに気づいた時の気持ちは、あのときと一緒だった。はじめて、茜の発作を見たときと一緒。
 また、足首を掴まれた。恐怖に。
 以降、隆二は実体化したマオの生活に制限をかけた。
 一人では出かけないこと。火や包丁などは使わないこと。むやみやたらに跳ね回らないこと。
「だってお前、バカだから」
 いつもみたいにからかう口調で言ったら、マオはむくれた。真意から目をそらすことが出来た。それに安堵した。
 彼女が気づいていないのならば、無理に言いたくなかった。せっかく実体化できて、食事をとって、衣服を着替えて。そう言ったことを楽しんでいるマオの気持ちに、水をさしたくなかったのだ。
 幸いなことがあるとすれば、老化というものがないこと、だ。
 最初は、それも不安に思っていた。
 実体化している半月の間、老化がはじまるのではないかと。そうだとすれば、常人と同じペースではないものの、いつか老いて隆二の前から消えてしまうのではないかと、不安に思っていた。
 けれども、研究所の説明によれば、確かに実体化している二週間は、成長も老化もある。けれどもそれは、霊体に戻った時にリセットされる。だから、老化による身体への影響は考える必要はない。
 それは、不幸中の幸いだった。
 もっとも、霊体に戻った時にリセットされるのは、自然の流れでの成長、老化だけであり、怪我などは残ることになってしまうが。
 実際、最初のときについたアザは、霊体に戻っている間消えなかった。ただ、次に実体化したときには、人体の治癒力が働き、消えたが。
 気をつけるべきことは、実体化している時の怪我や病気だ。それは自然の治癒能力の範囲で治していくしかない。やっかいな部分があるとすれば、霊体に戻っている間はその治癒能力が働かないことだ。大きな怪我をしたまま治らずに霊体に戻ったとき、どういう影響がでるのか。それについては、実際になってみないとわからない。なら、わかりたくなかった。
 それでも、やはり、これは不幸中の幸いだ。
 どうしたもんかね、とは思うけど、最悪よりはだいぶいい。受け入れられる。
 あの時、あのGナンバーの事件の時、あのままなす術もなく、マオが消えてしまうことに比べたら、百倍マシだ。
 ちゃんと考えた。最善ではなくても最悪でもない。
 それに今回は、責任の一端は自分にあるのだ。恨んだりはしない。
 それでももし、最悪の事態になったら、また一人になってしまったら、そのときはあいつのところにいこう。
 そう決めている。
 あいつなら二つ返事で引き受けてくれる。自分が京介にやったよりも容易く。それには少し感謝している。
 大丈夫、今すぐではない。
 マオが消えてしまうのは、今すぐではない。
 今すぐにはさせない。
 覚悟は長い時間をかけてしていくものだと、彼女が言っていた。今すぐでないのならば、ちゃんと覚悟を決めていこう。
 その時に向けて。
 硝子の向こうでは、全ての検査が終わったらしい。マオが浮かれた顔でこちらに向かってくる。
「ちゃんと考えているよ」
 それを見ながら、小さく、あいつへ言い訳した。
「りゅーじ!」
 扉をあけて、こちらにきたマオに片手をあげる。
「エミリさん、こんにちは!」
「こんにちは。おつかれさまです」
 先ほどまでの話の気配は微塵も見せず、エミリも微笑む。
「おつかれ」
 あげた片手で、マオの頭を軽く撫でると、嬉しそうに微笑んだ。
 こういうところは、霊体の時と変わらない。
「帰り、お買い物行こう?」
「……一昨日も行ったよな?」
 弾んだマオの声に、呆れて笑いながらも、帰るために立ち上がった。


第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表

『きゃーっ!』
 ソファーでうたた寝していた隆二は、居候猫の悲鳴で目をさました。
「マオっ!?」
 慌てて体を起こし、声の方を見る。
 マオが口元を両手でおさえ、
『ひゃーっ!』
 また声をあげた。視線はテレビに釘付けだ。
 なんとなく状況が理解できて、立ち上がりかけた体を、またソファーにおろす。
 これはあれだ、悲鳴じゃなかった、黄色い歓声ってやつだ。
 幸いだったのは、今のマオが幽霊なことだ。これが実体化している時だったら、近所迷惑だったことだろう。
『採用されたっ!』
 テレビ画面に写っているのは、半分透けた状態で浮かれてピースサインしている、この幽霊の姿だった。
 見覚えのある写真。隆二がケータイを手にしたころ、マオに言われてとった写真。
 そういえば、例の心霊写真は、あの後エミリに頼んでテレビ番組に送ったのだった。それがどうやら、採用されたらしい。
『なんで、うちにはビデオないのっ! ケータイケータイっ!』
 マオは画面を見たまま、片手を伸ばし、テレビ脇の棚に置いてある自分のケータイに手を伸ばし、
『ああっ、あたし、今、幽霊の方だったっ!』
 空を切った手を恨めしく見る。
『隆二! とって!』
「諦めろ」
 もうカメラの起動の仕方なんて覚えていない。
『えー、もうっ!』
 言っている間に、マオの写真は消えて、別の話になった。
『あーあ、記念に写真とっときたかったのになぁー』
 ぷぅっと膨れる。
 写真がテレビに映っているのを写真にとりたい、とは一体どういうことなのか。隆二にはその感覚がよくわからない。
 むすっと膨れたまま、ごろんっと畳の上に倒れ込む。よっぽど残念だったらしい。
「……でもまあ、よかったな。採用されて」
 仕方なく、フォローの言葉をかけてみる。
『うーん』
 返事は煮え切らない。
「採用されると一万円だったか? 今ならそれ、自分でも使えるじゃないか。服でもなんでも、好きなものを買えばいい」
『……違うの』
 マオが顔だけこちらに向ける。むすっと、への字の唇。
「違う?」
『あのね、採用はされたんだけど、あたしが採用されたのは、お巫山戯心霊写真コーナーで、ちょっと違うの。格が』
「……格が?」
『ちょっと変わった、怖くない心霊写真が集まってるコーナーなの』
 まあ、幽霊がピースサインしていたら、そうなるわな。
『それだとね、記念品のボールペンだけで、賞金でないの』
 むすっと膨れている。
「あー、なるほど」
 採用されたことは嬉しい。テレビに映っていた自分を見ることは嬉しい。だけれども、目的の一つである賞金は手に入らない。それは悔しい。
 そういうことだろう。
『あーあ、なんか微妙っ!』
 呟いて、ごろりと寝返りをうつ。うつぶせになってしまったから、顔が見えない。
 さてはてどうしたものか。まあ、しばらく放っておけば、勝手に機嫌直すだろうけれども。
 ちょっと考えてから、
「マオ」
 名前を呼んでみる。
 僅かに顔を動かして、片目だけでこちらを見てくる。
「じゃあ、今度、写真撮ろう。実体化しているときに、一緒に」
 なにが、じゃあ、なんだか自分でもわからないが、悪くない提案だと思った。せっかくちゃんと写真にうつるようになったのだ。写真の一枚や二枚ぐらい、残しておいてもいいだろう。
『本当っ!?』
 がばっとマオが体を起こし、ぱぁぁっと明るい笑顔になる。
「ああ」
 単純な彼女に呆れて笑いながら頷くと、
『やったぁ!』
 マオが両手を叩いて喜んだ。
『嬉しい、ありがと!』 
 そのまま、ひょいっと跳ねるようにして、ソファーに座る隆二の隣にくる。
「ん」
 軽く頷いて、その頭を軽く撫でた。
『えへへ、早く、ご飯の日来ないかなー!』
 そうだなーなんて相槌をうちながら、またマオの一挙一足に肝を冷やす期間がくるのかと思うと、手放しでは喜べなかった。
 覚悟はまだまだ決まらない。
 突然、部屋にコミカルなメロディーが流れる。
『あ、ケータイ』
 テレビの前に置いた、マオのケータイが鳴っていた。奏でているのは、疑心暗鬼ミチコのテーマソングだ。ケータイを手に入れてそうそうに、マオが設定したのがこれだ。だからどんだけ好きなんだよ。
 このケータイも、隆二のと同じく研究所からの支給品だった。違うのは、
『りゅーじ、確認して』
「やだよ。お前の壊しそうで怖いから」
 指をさすマオに、苦い顔を返す。
 隆二とマオとの決定的な差。それは、ご老人向け機種と、スマートフォンの差だった。
『えー』
「無理無理。なんでそれ、ボタンがないのに動くのか、本当わからん」
 自他ともに認める機械音痴の隆二には、そんな未知の物体を触る勇気がない。
『えー、じゃあ、ご飯の日まで確認できないのぉ?』
 不満そうに唇を尖らせる。
「マオにメール送ってくるなんて、どうせ嬢ちゃんだろう。聞けばいいじゃないか」
 言いながら、ダイニングテーブルに上に放っておいたケータイをとってくる。まあ、聞けばいいじゃないか、ってその聞くのが大変なわけだが。
 未だになれない手つきで、メール作成画面を起動しようとしていると、
「うわっ」
 手の中でケータイが震えた。急に震えるなよ、驚くじゃないか。
 驚いて放り投げそうになったそれを、再びキャッチして、画面を確認する。
「あ、嬢ちゃんからだ」
『なにー?』
 マオが画面を覗き込んでくる。
『えっと、マオさんにメールしましたが、今は確認できませんね。すみません。えっと……』
「転送」
『てんそーするので、マオさんによろしくお伝えください』
 そこまで読んで、マオが隆二の顔を見て、嬉しそうに笑う。
『やさしーね、エミリさん。隆二に送ってくれて』
 それからまた、画面を見る。
『オカルトクエスト内の心霊写真探偵のコーナー、見ました』
「……嬢ちゃんも、そういう番組見るんだな」
 っていうか、そういうタイトルだったのか、あの番組。
『マオさんのあの写真、でていましたね。びっくりしました。メインの部分ではなかったのが少し残念ですが。送るのをお手伝いした身としては、嬉しかったです。咄嗟に画面を写真にとったので……』
「添付」
『てんぷ、しておきますね』
 更にスクロールすると、確かになにか添付ファイルがついているようだった。
「……どうするの、これ」
『そこクリックしてー、そう』
「あ、開いた」
 どうにか画面に呼び出した写真には、テレビに映る、居候猫の間抜けな心霊写真があった。
『きゃーっ!!』
「……耳元で叫ぶなよ、うるさいな」
 またあがった黄色い歓声に、右耳を押さえる。別に鼓膜を通して聞こえているわけではないのだが、気分として。
『もー、エミリさん、さっすがー! すてき! 大好き! 隆二とは違うなぁ!』
 嬉しそうに笑いながら、手を叩く。
「……よかったな」
 あまりのはしゃぎように呆れながら声をかけると、大きく頷かれた。
『りゅーじ、お礼のメール!』
「……俺がやるのか?」
『だって、あたし今メール打てないもん!』
「……だよなあ」
 しぶしぶ、返信メッセージを作成する。
「……マオがとっても喜んでいた、ありがとう。今度ちゃんと本人から返事させる。で、いいか?」
『……もっとこの感動を伝えて欲しいんだけど、隆二だから仕方ないね』
 一瞬、顔をしかめたものの、素直にマオが頷いた。マオの感動とやらを伝えるためのメールなんて、一日あっても完成するとは思えない。
 なんとかメールを打ち終えて、送信。
 やはり慣れない。疲れる。
 溜息をつきながら、ケータイをソファーに置いた。
『ありがと!』
 幾分、落ち着いたマオが、ぺこりと頭をさげる。
「どーいたしまして」
 苦笑しながら返事を返した。
『あ、写真もらったけど、二人の写真も撮ろうね!』
「はいはい」
 投げやりに返事をする。
 まあ、写真をとること自体に、反対すべき点がないし。
 と思っていたら、なんだかじっと見つめられる。
「……何」
 なんだか射抜かれそうな視線に、居心地の悪さを感じる。
『……隆二さ』
「うん?」
『何か最近、優しい』
「……は?」
 優しい?
『気味悪いんだけど。今だって、前だったら、写真手に入ったからもういいだろめんどくさい、とか言うところじゃない? っていうか、そもそも、一緒に写真撮ろうなんていう、ナイスな心遣いなんて出来なかった!』
「……一度、お前の中の神山隆二像を改める必要があるな」
 どれだけひとでなしだと思っているのか。
「別に、優しいならいいだろ」
 呆れて笑いながら言うと、
『何か、隠し事してない?』
 言葉で射抜かれた。
 一瞬、挙動がおかしくなりそうなのを、必死に耐える。
「はぁ?」
 普段どおりを意識して、呆れたように言葉を返す。
「何を根拠に」
『女の勘!』
 また、面倒なものを根拠にしたな。
 しかし、確かに以前よりもマオの要望を叶えようとしているのは事実だ。あのとき、どうして無視したのだろう、と後悔したくなくって。
 それは、確かに、不自然だったかもしれない。
『何か、疾しいことがあるんでしょうっ!』
 腰に手をあてて、挑むように言われる。浮気がバレたらこんな感じなんだろうか。
「例えば?」
 動揺を押し隠して、平静を装う。
『わかんないけど!』
 さっきと同じテンションで言われる。イマイチ迫力が足りない。
「なんだそれ」
 呆れたように笑ってみせる。
「そりゃあ、多少変わるだろ。マオが実体化するようになったら、生活様式が変わるんだからさ」
『だけどなんか怪しい!』
「あーそう、そんなに言うならわかった」
 わざとらしく、足を組み直して、告げる。
「もう、お前の言うことは何一つきかない」
 言った瞬間、マオの顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。
 そういう顔をされると、多少は胸が痛むのでやめて欲しい。
「写真もとらない」
『や!』
 短く叫んで、飛んでくると、隆二の顔をのぞき込むように床に座った。
『写真撮りたい!』
「優しいから気味が悪いんだろ」
『気味が悪くてもいいから、写真撮りたい!』
 気味が悪いは否定する気ないのかよ。
「隠し事してるから嫌なんじゃないか?」
『うう、してるような気がするけど、してないっていうことでいいから!』
 そこも妥協し切らないのかよ。
「ふーん?」
 ちらりと視線を向けたマオが、思ったよりも真剣な顔で、少し笑いそうになる。そんなに大事なことなのか、写真が。本当、何事にだって真っすぐに向き合っているな。
『ごめんなさいー。優しいのはいいことでした!』
「……まあ、わかったよ」
 ぽんぽんっと、その頭を軽く叩く。
 すると、途端にマオの顔が華やいだ。
『写真、とってくれる?』
「ああ」
『ありがと!』
 えへへ、っと笑う。
 その額を軽く指で弾いた。
「なんにも隠し事とかしてないから、気にするな」
『はーい』
 隠し事の件はもういいのか、マオが楽しそうに片手をあげて返事をした。
 よかった、うまくごまかせた。
 結局のところ、覚悟がまだ決まっていないから、マオに覚悟の内容を話すことができない。
 きっと、実体化にともなう弊害を聞いたら、マオはショックを受ける。それを一緒に受け止めてやるだけの覚悟が、まだ自分にはできていない。
 今はまだ、はしゃいでいるマオを見ていたい。
 だから、今後は多少、優しさに気をつけよう。

 

 

 毎月十五日。それが、マオの食事の日だ。
 実際は、多少食事の日がずれても、問題はないらしい。だが、一日でも遅れて、またマオが消えるようなことになっては困る。
 だから、毎月十五日をその日と決めていた。
『それでは』
 ソファーに座った隆二の前に立ったマオが両手をあわせる。
『いただきます』
 律儀にそう言うと、隆二の頬に手を伸ばした。
 だからこの食事方法、なんとかならないわけ?
 幾分、うんざりしながら瞳を閉じる。いや、閉じるのもどうかと思うけれども、あけておくのはもっとどうかと思うし。
 と、月に一回の謎の葛藤。
 触れていた唇と、頬に置かれた手に熱を感じる。
 同時に、それらが離れた。
「ごちそうさま、です」
 マオの言葉に目をあける。
 ちょっと困ったように笑いながら、実体化したマオが立っていた。
「おそまつさまで」
 言って、だらっとソファーに座り直す。
「んー、さすがに寒い」
 霊体の時と同じ、白いキャミワンピを着ているマオが肩をさする。
「着替えて来い」
「そーする」
 いいながら、隣の部屋に消えた。
 霊体の時のマオが身につけている、あのワンピースの構造も対外謎だ。実体化したときは、ワンピースも実体化する。脱ぎ着することができる。
 そして、不思議なことに、霊体に戻るとき、どんな服を着ていても、あのワンピース姿に戻るのだ。タンスに仕舞っていたはずのワンピースは消えている。
 マオの霊体を構成する一部。それが、研究班の認識だった。
「ねー」
 隣の部屋から声がとんでくる。
「んー」
「写真、とりにいこう!」
 弾んだ声。
「……写真?」
「もー、忘れたの? 約束したじゃない!」
「……ああ」
 そういえば、そうかもしれない。
 しかし、
「とりにいこう?」
 隆二としては、次に研究所に行った時にでも、エミリにとってもらうつもりだったのだが。
「そう」
 着替え終わったらしいマオが、ひょこっと顔をのぞかせると、
「あたしね、憧れてたの」
「なにに?」
「プリクラ!」
 にぱっと笑った。

   ゲームセンターというのものに、はじめて足を踏み入れた。
 霊体のころに何度も来ていたというマオに、ぐいぐい腕を引っ張られながら、奥に進んでいく。
 ところで、聞くタイミングを逃したのだが、プリクラとは一体なんなのか。
 それなりに、現代文化に溶け込もうと思っている不死者だが、頑張る気がないのでどうしても遅れがちだ。
「これ!」
 指されたなぞの機体。そこに描かれた写真。文字やハートマークなんかが描かれた写真。
 制服を着た女子高生二人が、小さい写真がたくさんついているシートを二つに切っていた。
 どこかで見たことある。
 考えて思い出す。タンスの奥にそっとしまい込んだ、京介のジッポ。あれに貼られていた写真シールがこれだ。
 なるほど。
 唇が皮肉っぽく歪む。
 というか、これを俺にやれというのか、こいつは。
 うんざりしながら、数体並ぶ機体を、どれにしようかな、で選んでいるマオを見る。
 何かの罰ゲームか。さすがにここまでのことは想定していなかった。
「りゅーじ」
 どれにするか決めたらしいマオに手招きされる。
 しぶしぶ近づくと、カーテンの中にひっぱりこまれた。
「なあ、マオ」
「んー」
 財布の中から、小銭を探しているマオに声をかける。
「お前、これ、やりかたわかってんのか?」
「雑誌で読んで勉強したから大丈夫」
「……ああ、そう」
 そういうとこだけは、本当、しっかりしているよな。
 小銭を投入し、機械音声の指示に従ってなにやら操作しているマオをぼんやりと眺める。
 なんか、もうなんでもいいから、はやく終わんないかな。
「それじゃあ、撮影するヨ!」
 機械音声。マオが隆二の腕をとって、ピースサインした。
 かしゃっと、一枚とられる。
「ちょっと」
 マオが隆二の横顔を睨みつけながら、
「なにその、直立不動の無表情」
 唇を尖らせる。
「ポーズとれとは言わないから、にっこり笑ったりできないのっ」
「……無茶言うなよ」
 うんざりしてマオを見る。
 見てから、思ったより近い顔に、距離をそっととった。
 実体化して、普通に立って並んではじめて気づいたが、マオの方が隆二よりわずかだが背が高い。普通に立って並ぶと、顔がとても近い。
「あのね!」
 マオがさらに膨れたところで、
「それじゃあ、とるヨ!」
 機械音声。三、二、一のかけ声で、かしゃっという音。
「えっ」
 慌ててマオが画面を見た時には、呆れたようにマオを見る隆二と、頬をふくらませたマオの姿があった。
「もー! 隆二のせいでとんでもないことになったじゃない!」
 ますます膨れる。
「……俺が悪いの?」
 などとやっている間にさらにシャッター音。
 結局、マオが無事に前を向いてうつっていたのは最初の一枚だけで、あとは隆二に向かって怒っていたり、シャッター音に慌てたりしている顔だった。
「もー!」
 落書きコーナーなる場所に移動しながら、マオが膨れる。
「こんなはずじゃなかったのに」
 いいながら、何か書き込んでいく。
 落書きできるという画面は二つあるが、万が一壊したら怖いので、隆二は触れない。触らない。
 その落書きも終わって、出て来たシートを見る。
「……字、ヘタだなぁー」
 最初の一枚に書かれた、「まお」と「りゅーじ」という字。ミミズが這ったようなその字をみながら呟くと、またマオが膨れた。というか、「ま」の丸のついている向きが逆だ。
「難しいんだもん! はじめたばっかりだもん!」
「はいはい。帰りに平仮名練習帳買ってやるから」
 言いながら、一応他の写真に目を通す。
 きらきらした星やらハートやらに紛れて、「このとーへんぼく!」なんて書いてある。怒ったマオと、呆れたような隆二の写真。
「本当、こんなはずじゃなかったのに」
 むすっと膨れるマオの頭を、軽くこづく。
「……俺はいいと思うよ」
「なにが」
「らしくて」
 言うと、マオにシートを手渡して、帰ろう、と歩き出す。
「あ、待ってよ」
 慌てて隣に並んだマオが、
「らしい?」
 首を傾げる。
「……お前らしいだろ、バカっぽくって」
 言うとまた一度膨れてから、
「でも、確かに隆二らしいね」
 ふふんっと勝ち誇ったように言った。
「隆二はいつも、こういう顔してるもんね」
 目の前にシートをかざし、眺めてから、満足そうに頷く。
「うん、日常の一コマって感じで、悪くないかも」
 とんだ日常だな。
 思いながらも、自分の感想と一緒だったので何も言わない。
 納得して機嫌を直したのか、マオはそれを鞄にしまう。
 変に固まって、笑顔を作っているよりも、さっきの写真の方がよっぽどいい。
「転ぶなよー」
 それを確認すると、空いた手を掴む。
 外を歩くとき、手を繋いでいないと少し不安だ。どこかに行ってしまいそうで。
「転ばないよ!」
 転ばないように手を繋ぐ、という隆二の言葉を信じているマオも満更ではないらしい。口ではなんだかんだいいながら、手を握ってきた。
「ねー、りゅーじ、カレー食べたい」
「カレー? おこちゃま用甘口カレーでいいか」
「よくなーい」
 マオの言葉に適当に言葉を返しながら、家路についた。


第三幕 猫には首輪を。

「マオ、買い物行くけど、どうする?」
 テレビの前に座ったマオに尋ねる。今は絶賛実体化中だ。
「んー、待ってるぅー」
 テレビから目を離さずにマオが言う。
 だと、思ったよ。
 今やっているのは、四苦八苦久美子、だ。疑心暗鬼ミチコと同じ美少女四字熟語シリーズでありながら、実写版は予算の都合で作成されず、アニメ版ではじめて作成された話だそうだ。
 まあ、当然のことながら、マオはそれに夢中だった。もう今更、それには何も言うまい。
 しかし、ウェディングドレス姿で戦う少女が四苦八苦とは。なんというか、皮肉っぽいよなあ。
「留守番しとけよ、勝手にでかけんなよ」
 一応釘を刺しておく。一人で出かけた先でなにかあったら困るから、一人での外出は禁じている。
「んー」
「マオ」
「はーい」
 片手をあげての返事に、逆に不安になりながらも、家を出る。
 マオが実体化して、隆二が助かっていることがあるとすれば、テレビの操作をマオ自身が行えるようになったということだ。前は、やれ電源いれろ、チャンネル変えろと寝ていようが本を読んでいようがおかまいなしにリモコン代わりに使われていたが。
 久美子が終わって次の番組がつまらなくても、適当にチャンネルまわして楽しい番組を見つけてくれるだろう。
 マオの相手は、テレビに任せておくことにする。まったく、優秀なベビーシッターだ。
 今日の夕飯は何にするか、考えながらスーパーに向かう。
 手を抜いてコンビニで買うことも多いが、やはり自炊の方が体にいいのではないか、と気づいてから、それなりに積極的に料理するように気をつけている。簡単なものしか作れないが。
 こんなことになるとわかっていたら、京介に料理でも習ったのになー。そんなことを思う自分に苦笑する。
 しかし、仮定の話、自分の心の中での話とはいえ、京介のことをこんな風に思い出すことができる。それに思い至ると、なんとも言えない気分になる。
 思い出すのが辛くて避ける時期は終わった。そのことを意識すると、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなくなる。
 そんなことをつらつら思いながら歩いていたからだろうか。
 前方に、なんだか見覚えのある黒髪が見えた。
 そろそろ切った方がいいんじゃないか、と思うぐらいの長さの黒髪。
 思わず、早足になってそちらに向かう。
 地面に座りこんだ、その体格は似ている。
 神野京介に。
「きょっ……」
 近づいて呼んだところで、その人物が顔をあげた。
 確かに似ている髪型で、体格だったけれども、見えた顔は女のものだった。
 違った。当たり前だ。
 やっぱりまだ、踏ん切りがついていない。
「……すまない、知り合いに似てて」
 怪訝そうな顔をする女にそう告げる。
「あら、昔の女にでも似てた?」
 言いながら女がくすくすと笑った。
「いや男」
 正直に答えると、
「うわっ、失礼な! 何か買いなさいよ」
 地面に座り込んで何をやっているのかと思ったら、路上でアクセサリーを販売しているらしい。
 まあ確かに、男に間違えるのは失礼だったな、いくら、よくいえばスレンダーな体格が似ているからといって。
 並べられた手作りアクセサリーとおぼしきそれらを眺めていく。
 まあしかし、眺めたところでどうしたらいいのか。適当になんか安いの買って逃げるか。
 そんなことを思っていると、視線が一点でとまった。
 猫のチャームがついた、ペンダント。猫の横にちょこんっと緑色の石がついている。
「それねー、キャッツアイ」
 隆二の視線を追って、女が言う。
「キャッツアイ?」
「そー、猫目石。光があたると、猫の眼っぽい筋がでるから」
「へー」
「えっとね、邪悪を祓うとか、そういう効果があるらしいよ」
 適当で投げやりな台詞。売る気あるのか。
「触っても?」
「どうぞ」
 それを手に取って、目の前まで掲げる。そっと値札を確認したが、お手頃価格だった。
 緑色、猫。おまけに邪悪を祓うとか。
 これはもう、ぴったりだろ。家でテレビを見ている、緑の瞳を持つ居候猫に。
「……じゃあ、これ」
「どーも」
 手渡すと、女が袋に入れてくれる。
「カノジョに?」
 金銭と引換に袋を受け取りながら、その質問に苦笑いを返す。
「いや? 猫に」
「猫?」
「そういえば、まだ首輪をつけていなかったんでね」

 

「ただいま」
 スーパーでの買い物を終えて、家に戻ると、
「おかえりなさーい」
 ぱたぱたとマオが玄関まで出て来た。
「走らない」
「走ってない!」
 うそつけ、走っていただろうが今。
 テレビはニュースを流している。ああ、飽きたんだな、さては。
「夜ご飯なにー?」
 スーパーの袋を覗き込んでくる。
「んー、シチュー。っていうか」
 野菜達と一緒にいれていた、ペンダントの袋を渡す。
「これやる」
「え? なになに?」
 小さな袋を受け取ったマオが、驚いたような顔をする。
「あけていい?」
「どーぞ」
 びりびりと、酷く乱暴に袋をあけたマオが、
「わー」
 出て来たペンダントを目の前にかざして、きらきらと顔を輝かせた。
「え、なに、どうしたの? どういう風のふきだまり?」
「強引に売りつけられた。あと、吹き回しな」
 また優しいから気味が悪い、とか言われないように言い訳する。浮かれたマオは、そんなこと聞いちゃいなかったが。
「えー、わー、嬉しい! 猫、可愛い! 緑お揃い!」
 えへへ、っとだらしなく頬を緩ませる。
 思っていた以上に喜んでくれたので、こちらも小さく唇を緩ませた。
「ね、つけて! つけて!」
 はいっと渡される。自分でつけろよ、とは思ったが、ここまで喜ぶのならば、多少サービスしてもいいかもしれない。
「後ろ向いて、髪じゃま」
 後ろ向いたマオが、髪の毛をひとまとめにする。ペンダントをそっととめた。
「はい」
「ありがとー! 大事にするね!」
 こちらを向いて、マオがまた、さらに笑う。首元の猫を指で弾く。
 かわいいねーなんてペンダントに向かって話かけていたが、
「そうだ!」
 ソファーに置いてあった自分のケータイをとってくる。
「写真撮って!」
 そしてそれを隆二に渡した。
 途端に、渋い顔になったのが自分でわかった。撮ってって、お前。
「もー、待って」
 それを見て、マオが呆れたような顔をしながら、ケータイを操作する。
「はい、これで大丈夫。あたしに向けて、そのカメラのマークそっと触ればいいから」
 ご丁寧にカメラを起動させてくれた。
 しぶしぶ、それを持ってマオに向ける。
 浮かれた顔をしたマオとペンダントが画面にはいるようにして、言われたとおりカメラのマークに触れた。
 かしゃっと音がする。
「撮れた?」
 横からひょいっとケータイを奪いとられた。
「あ、うん、撮れてる撮れてる。ほら」
 見せられた画面には、確かに浮かれたマオの写真があった。
 よかった、取り直しを要求されなくて。
「そうだ」
 隆二のズボンのポケットからひょいっと、隆二のケータイを抜き取った。
 今度は何を企んでいる。
「マオ」
 呆れて名前を呼ぶと、マオは手慣れた様子で隆二のと自分のケータイを操作しながら、
「これ、隆二のケータイの待ち受けにしてあげる!」
 とんでもない発言をした。
「ちょっ」
 慌てて取り返そうとすると、それよりもはやく、マオはひょいっとソファーに飛び乗った。
「跳ねない!」
「もー、あとちょっとなのー!」
 ソファーのうえに立ち上がり、隆二からケータイを庇うように背中を向ける。
「ちょっとじゃなくて、返せ」
 近づいて手を伸ばすと、マオはそれを避けるように身をよじった。ソファーの端っこでそんなことをするから、バランスを崩して倒れそうになる。片足がソファーから落ちる。
「ひゃっ」
「マオっ!」
 それほど高くないとはいえ、足を捻るぐらいはしかねない。慌てて手を伸ばし、その体を支えた。
「わ、びっくりしたー」
 無事着地したマオが、驚いたような顔をする。
 びっくりしたのはこちらの方だ。頼むから、むやみやたらに怪我するようなことをしないで欲しい。なんで家の中でまで、こんなに肝を冷やさなきゃいけないんだ。
「マオ! お前な」
「助けてくれて、ありがとー」
 小言の一つ二つ言ってやろうと口を開いたが、笑顔でそうお礼を言われて言葉につまる。わかっているのか、わかってないのか。
 マオはそんな隆二のことは気にせず、ケータイを操作し、
「あ、はい、できたよ」
 隆二にケータイを返した。
 受け取ってみると、確かに待ち受け画面がさっきの浮かれたマオの写真になっていた。
「勝手になにすんだよ!」
 直せないだろうがっ!
「それが嫌なら隆二が、自分でがんばって直せばいいんだよー」
 どうせ無理でしょう? と言いたげに勝ち誇って笑われる。実際無理なのだが。
 しばらくケータイを睨みつけていたが、
「……まあ、いいか」
 誰に見せるものでもないし。
 そう自分を納得させると、諦めてケータイをテーブルの上に置いた。
「……怒った?」
 ここにきて、急にマオがそう尋ねてくる。恐る恐る、隆二の顔色を伺うようにして。不安になるぐらいなら、最初からこういうことするなよ。
「呆れてるだけ」
 溜息まじりにそう言うと、片手でその頭をぞんざいに撫でた。それにマオが、安心したようにちょっとだけ笑う。
「あと、あんまり飛び跳ねたりしないように。危ないし、下の人に迷惑になるから」
「……危ないし、心配?」
 なんでそこでちょっと嬉しそうな顔をするんだ。
「下の人の迷惑になるから」
 後半の理由を強く推すと、
「……はぁーい」
 ちょっと頬をふくらませる。
「ほら、夕飯作るから」
 ちょっとどいてて、と言おうとすると、
「手伝う!」
 元気よく言われた。
 手伝う、ね。台所って刃物も火もあって危ないんだがなー、とは思いつつ、
「じゃあ、とりあえず買って来たものしまっといて」
 無難なところを頼む。
「はーい」
 マオは持っていたケータイをテーブルの上に置くと、代わりにスーパーの袋を手にとった。
 マオのケータイには、猫のぬいぐるみがついている。ストラップにしてはでかすぎだろ、とは思うが本人は気にしていないらしい。裏返しておかれたケータイ。そこには、この前とったプリクラが貼られていた。最初の、一番うまくとれたやつ。
 それを見て少しだけ微笑む。
 まあ、マオが楽しそうだし、いいか。
「りゅーじー!」
「はいはい」
 台所で手招きしているマオの方へと向かった。

 

 

 胸元で揺れる猫を、ぴんっと軽く弾く。
 ふふふっと、笑みがこぼれた。
 ソファーに横になりながら、マオは存分にペンダントを楽しんでいた。
 もうすぐ日付が変わるころ。お風呂に入るからと外していたそれを、つけ直したところだった。
 やっぱり、これ、可愛いなー。
「……お前、寝るならベッドいけよ」
 マオの足元の方、床に座った隆二がつまらなさそうに声をかけてくる。
「わかってるよー」
「あとちゃんと、髪の毛乾かせよ」
「わかってるってばぁー」
 今、ネックレスを愛でるので忙しいんだから、放っておいて欲しい。
 隆二は、マオを一瞥すると、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めた。
 まったく、隆二は本当、ちっともマオの気持ちをわかってくれない。すっごく嬉しいからこうしているのに。嬉しいっていう気持ち、ちゃんと伝わっているんだろうか。
 飄々と本を読んでいる隆二を見ていると不安になる。
 傍においていてくれることも、面倒をみてくれていることも、本当に嬉しいと思っているし、感謝しているし、こんなに大好きなのに隆二にはいまひとつ、伝わっていないんじゃないかなーと思うときがある。
 だってほら、ひとでなしだし。
 それに、マオも言葉で全部を伝えられるほど、賢くない。
 溜息まじりに起き上がると、タオルで濡れた髪を拭く。
「……ドライヤー使えよ。せっかく買ったんだから」
 やっぱり呆れたように言われる。
 本当、隆二は注文が多い。
「めんどうなんだもん」
 なんだか素直になれなくてそう言って唇を尖らせると、
「……やってやるから、もってこい」
 心底面倒くさそうだったが、思ってもないことを言われた。
「え、本当!?」
「嫌なら自分でやれ」
 言って隆二の視線がまた本に戻る。
「やじゃない!」
 慌ててそう言うと、立ち上がって洗面所にドライヤーをとりにいく。
 戻ってくると、隆二は読みかけの本を適当に床において、ソファーに腰掛けた。
「そこ」
「はーい」
 指差された隆二の足元、床に座る。
「……あ、これかスイッチ」
 背後からちょっぴり不安な声が聞こえるけれども、気にしない。もしかしたら、隆二がやると酷いことになるかもしれないけれども、気にしない。
 大事なのは結果じゃないのだ。隆二が髪を乾かしてくれる、と言い出したことなのだ。
 ぶぉぉぉっと、ドライヤーから出た温風が髪を揺らす。
 思っていたよりも手慣れた手つきだった。そっと触れる手と風が嬉しくて心地よくて、目を細める。
 機械の類いにはめっぽう弱いが、決して隆二は不器用じゃないのだ。機械さえなければ、なんでもそつなくこなしてしまう。
 料理だって、すっかり上手になったし。
「隆二はー」
 ドライヤーの音に負けないように声をはりあげる。
「なんでもできてすごいねー!」
 素直な感嘆の言葉に、
「お前がなんにもできなさすぎなんだよ」
 ちょっと笑いながら言われた。
 それはまあ、そうかもしれない。字も、練習しているけれども難しいし。なんにもできない。
 ちょっと落ち込んでしまうと、
「ばーか」
 くしゃくしゃっと髪の毛をかきまわされた。
「ちょっとぉー」
 振り返ると、隆二が笑っていた。楽しそうに。
 それになんだか嬉しくなる。最近の隆二は優しいし、前よりもいっぱい笑ってくれる。多分、本人は無自覚だから言わないけど。言ったら恥ずかしがって、もう笑ってくれないかもしれないし、また意地悪されるかもしれないから。
 ドライヤーを止めて、
「いいんだよ、ゆっくりで」
 隆二が優しく言った。
「零歳児なんだから」
 からかうような言い方だったけど、やっぱりいつもよりちょっと声が優しい。
「……もう、一年経つよ」
 発生してから。
 小声でそう訂正すると、
「あれ、そうだっけ」
 時間の感覚に乏しい隆二は軽く首を傾げた。
 隆二のところにきてからだって、一年経った。
「まあ、対して変わらないよな」
「隆二から見たらそうだろうね」
「だからまあ、ゆっくりでいいんだよ」
 ぽんぽんっと頭を軽く叩かれた。
「ん」
 それに素直に頷く。
 それを見て隆二は満足したのか、またドライヤーのスイッチをいれた。
「それに、ほら、あれだろ」
「んー?」
「ケータイは、お前の方が使いこなしてるだろ」
「それは、ねー?」
 だって、機械は隆二が不得意過ぎるから。
「それに」
 そこで隆二は、躊躇うようにちょっと間をおいてから、
「一緒に学んでいこうって言っただろ」
 なんだか早口で言った。
 それに思わず振り返りそうになるのを、
「前向いてろ」
 ぐっと頭を押さえつけられて、妨害される。
 多分、今、隆二はちょっと照れている。
 それに思い至ると、ふふっと笑みがこぼれた。
 隆二が約束をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。すぐに色々忘れちゃう人だから。
「はい、終わり」
「ありがとー」
 振り返ると、
「どういたしまして」
 いつもどおりの、ちょっとつまらなさそうな顔で隆二が答えた。
「ほら、そろそろ寝ろ」
「はーい」
 実体化している時に嫌だな、と思うのは、ちゃんと夜寝るように言われることだ。幽霊のときだったら、夜中どんなに起きていても何も言われないのに。
 でもやっぱり、幽霊のときよりも眠くなる。実体化していると動き回るからしかたない。
「寝る時それ、外して寝ろよ」
 首元を指差される。
「これ?」
 ペンダントをつまむと、頷かれた。
「お前、寝相悪いから寝ている間に首しまるかも」
 そっけなく言われる。
 バカにされて一瞬むっとしたけれども、よくよく考えてみれば心配されている気がしてきた。だから怒るのを一度ぐっと堪えて、
「わかったー」
 小さく頷くにとどめた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
 立ち上がる。
「うん、おやすみ」
 軽く片手を振った隆二は、また本の世界に戻っていた。
 隣の部屋のベッドに潜り込む。すっかりマオ専用となったスペースだ。
 ペンダントを外すと、ちょっと迷ってからタンスの上に置いた。
 何かお洒落な箱かなにかにいれておきたいな。幽霊に戻っている時に、万が一どっかにいってしまったら困るし。とりあえず、明日何か箱がないか隆二に訊いてみよう。
 思いながら目を閉じる。
 うつらうつらしながら、思う。
 何かお返しがしたいな、と。
 実体化したなら、なにかお礼の品を買いに行くこともできるじゃないか。言葉や態度だけじゃなくて、物をプレゼントできる。そうしたら、マオの気持ち、ちょっとはわかってくれるかもしれない。あの駄目駄目隆二でも。
 今月はもう、明後日には元に戻ってしまうから難しいけど、来月になったら隆二がいない隙をついて、買い物に行こう。一人ででかけるなとか言われているけど……。まあ、いいや。怒っている隆二も笑顔になるぐらいの、なにか素敵なものを探そう。
 自分の想像にふふっと笑みが溢れる。
 喜んでくれるもの、あるといいな。
 そんなことを思いながら、意識は落ちていった。



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