目次
迷い仔猫の居候
page 1
第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
page 1
第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
page 1
第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
page 1
第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
page 1
第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

19 / 44ページ

第五幕 猫叱るより猫を囲え

 京介は、駅の近くにあった公園で時間をつぶすことにした。ベンチに座り、一人のんびりとコンビニで買った団子を食べる。これがなかなかに美味しい。
 ちらほらと、乳幼児を連れた母親が公園にやってくる。それを目を細めながら眺める。
『京介さんっ』
 頭上からかけられた声に、少しのデジャヴを覚えながら京介は上を向いた。
「マオちゃんどうし……、どうしたのっ?」
 軽くかけた声が、思わず大きくなる。視線の先に居たのは、くしゃくしゃに泣いたマオだった。
 急に大声をだした京介に視線があつまる。さすがにそれが気になって、慌てて声を小さくし、
「どうしたの?」
 手招きすると、マオは隣に座った。ぼろぼろに泣いた彼女の頭を撫でる。
「隆二は?」
『茜さんのとこ』
「ああ、お墓見つかったんだ」
『違うっ』
 しゃくりあげながらマオが叫ぶ。
『違う違う違うっ、待ってたっ。あの人、本当に待ってたっ』
「待ってた? 茜ちゃんが?」
『幽霊になってまで、待ってたっ』
「……そっか」
 二人の絆は、まだ切れていなかったのか。茜はそこまで隆二のことを思っていたのか。あの二人は人間と化け物の壁を越えたのだろうか。それなら、自分は。
『あたしっ、居られなくなっちゃうっ』
「……え?」
 マオの叫びに、京介は思考を中断させる。
『あの人が幽霊なら、ずっと隆二と一緒に居られる。そしたら、あたしっ、あの家に居られない。もう居場所がないっ』
 そうしてマオは膝をかかえ、そこに顔を押し付けた。
「マオちゃん……。いくら隆二でも、マオちゃんを見捨てたりしないよ」
 いや、違う。
「隆二だからこそ、マオちゃんのこと追い出したりしないよ」
 同族の中で、一番情が深いのが彼なのだから。
『だけどっ』
 マオが顔をあげ、吠える。
『隆二が追い出さなくても、あたしっ、あんな顔する隆二と、あの人のところになんか居られないっ』
「……そっか」
 それもそうかもしれない。
『もうやだ。謝りに行こうなんて言わなきゃよかった』
「……マオちゃん」
『……嘘だよ。謝りに来たのは、よかったと思ってるよぉ』
 マオは、抱えた膝に顎をのせた。
『隆二、悲しそうだったから。辛そうだったから。自分のこと責めて。だから、謝りに行こうって言ったのは、後悔してないよ。だって隆二のこと、心配だったから。だけど。こうなるなんて、思ってなかったから』
「優しいね」
 マオの頭をそっと撫でる。
「隆二のこと、考えてここに来たんだもんね」
『優しくないよ。知ってるもん。本当に優しい人は、こういう時に、こうやって喚かないもん。本当に隆二のこと考えてたら、大事な人と一緒に居られるようになってよかったね、って言うんだよ。知ってるもん』
 だけどっ、と続けた声が、また一段と涙声になる。
『だけどっ、あたし、よかったねなんて言えない。あたしは、あたしが、隆二と一緒に居たい……』
 そのまま顔を膝に埋める。
『……こんな風に我が侭だから、駄目なんだよね、あたし。いつも隆二を困らせて、迷惑かけて。だから一緒に居られなくなっちゃう』
 くぐもった声。
 京介はしばらくそんなマオを黙って見ていたが、
「マオちゃん」
 その腕をそっと引く。マオの体が少し京介の方に傾く。マオが顔をあげる。
『……京介さん?』
 涙に濡れたその緑色の瞳を正面から捉えて、京介はいつになく真面目な顔で問いかけた。
「なら、俺と一緒に居る?」

 

 居候猫がいなくなった。
 最初は気を使ってどこか少し離れたところで待っているのかと思った。しかし土手周辺を探しても見つからず、隆二は慌てて来た道を戻った。こんな不慣れな土地で、一体どこに行ったというのか。
 最初はただの早足だったのが、気づいたら駆け出していた。不安が胸をかすめる。迷子になっていやしないだろうか。なにかあったんじゃないだろうか。
 駅近くまで戻ってくる。公園の横を抜けようとした時、公園を覆うように生えた木々の間から、ベンチに座る見知った後ろ姿を発見した。
「京介!」
 名前を呼ぶと、京介は不機嫌そうな顔で振り返る。
「マオ、知らないか?」
「……いるよ、ここに」
 不機嫌そうに吐き捨てられた。
「そっか……」
 それに安堵する。とりあえずいるならば、いい。
 京介は何故か眉を吊り上げ、
「はやくこっち来い」
 冷たく言うと、隆二にまた背を向けた。
「何怒ってるんだ?」
 小さくぼやきながらも、入り口にまわりベンチに駆け寄る。
「マオ!」
 ベンチの上、体を丸めるようにして横たわっているマオの姿に、少し焦る。なにか、あったのか。
「どうした?」
「大丈夫、眠っているだけだよ」
 近づくと、確かに眠っているようだった。マオの頭を撫でる。
「……泣いたのか?」
 頬に残る涙の後を見て、そう問いかけると、
「そんなに心配ならもっと大切にしてあげたらどうなんだ?」
 冷たく吐き捨てるように言われた。
「……お前、さっきから何怒ってるんだ?」
「そんなことも言われなきゃわかんないのかよ」
 睨みつけられる。
「茜ちゃん、会ったんだってな」
「ああ」
「お前のことだ、久しぶりに茜ちゃんに会って、会えて、マオちゃんのことなんかころっと忘れてただろ」
「……否定は、しない」
 だけど、お前だって俺の立場だったらそうしただろが。言い訳は、なんとか飲み込んだ。
「考えなかったわけ? 茜ちゃんが待ってるのみて、マオちゃんがどう思うかって」
 まあ無理だよな、とバカにするように笑われる。なんだっていうんだ、さっきから。
「居られなくなる」
「は?」
「茜ちゃんが幽霊になっているなら、隆二とずっと一緒にいられる。そうしたら、自分はもう隆二の家に居られなくなる。そう言って泣いてたよ、マオちゃん」
「……そんなこと、あるわけないだろうが」
 そんなバカなことで悩んでいたのか、この居候猫は。今更追い出すわけ、ないだろうが。
 もう一度、バカな居候猫の頭を撫でた。
「大体、幽霊だからって茜とずっと一緒にいられるわけないだろ」
 成仏した方がいいに決まっているのだから。
「マオちゃんにそんなこと、わかるわけないだろ」
「……そうかもしれないが」
「マオちゃん、泣いてたけど、こうも言っていた。それでも、謝りに行こうって言ったことは後悔してないって。隆二が辛そうだったから、ここに来たことは後悔してないって」
 何か言おうと口を開き、結局何も言えなかった。眠るマオを見る。
 そんなこと、思っていてくれたのか。でも、考えてみればいつもそうだったかもしれない。自分勝手で、自由気ままで、気分屋で。振り回されているけれども、彼女の思考はいつも神山隆二に向いていた。茜の話をするときだって、辛いなら話さなくていいと、言ってくれた。
「……ありがとう」
 小さく呟き、その頭をもう一度撫でた。
 未だに不機嫌そうな顔で京介が言葉を続ける。
「マオちゃんがあんまり泣くから、俺思わず言ったよね。なら俺と一緒に居ればいいって」
「お前なっ」
 簡単に言う京介に、かっとなった。
「なんで怒るんだよ」
「無責任にそういうこと言うなよっ」
「どっちが無責任だよ、俺は本気で言った!」
「茜からは手を引けってあんなに言ってたお前がかっ? ずっと、永遠に、マオの面倒見るつもりがあるっていうのかよっ」
「茜ちゃんとマオちゃんはまた別だろうがっ」
「何がっ」
「茜ちゃんは人間で、マオちゃんは幽霊だろ。前提条件が違うっ。俺は、マオちゃんならずっと一緒にいてもいいと思ってる」
「ふざけんな」
「ふざけてるのはお前の方だっ」
 一際大きな声で叫ばれ、指をつきつけられる。周りの視線が集まるが、もうお互い気にしていない。いられない。
「盗られたら困るなら、最初から盗られないようにしろよっ!」
「盗る盗らないってなんだよっ。そういう話してないだろっ」
「してるだろ。大体、マオちゃんに断られたつーの!」
 吐き捨てるように怒鳴られた。それに次の言葉を出そうとしていた口が止まる。京介はゆっくり息を吐き、落ち着きをいくらか取り戻してから、
「隆二じゃなきゃ、意味がないってさ」
 俺ってば超惨め、と続ける。
 隆二は再びマオに目をやる。今の騒ぎでも起きる気配はない。よほど、疲れているのか。
「隆二」
 名前を呼ばれて、京介に視線を移す。すっかり落ち着いた彼が、珍しく真剣な顔で言った。
「マオちゃんを茜ちゃんの代わりにするのはやめろ」
「代わりになんてしていない」
 心外だな、と続ける。心の底から。こいつがなにを考えているかわからない。マオが茜の代わり? バカを言うな。
「マオが茜の代わりになんかなれるわけないだろ」
「……そっちかよ」
 うんざりしたように京介がため息をつく。
「ナチュラルにひどいんだよ、お前は」
「大体なんで代わりなんていう発想がでてくるんだ? マオは幽霊なんだから茜とは違うだろ」
「だからそっちかよ本当お前はだめだなこの唐変木」
 先ほどとは違い声を荒げることはないが、妙に早口で苛立っているのが感じられる。
「何怒ってるんだよ。大体、マオが幽霊で茜とは違うって言ったのはそっちが先だろ」
「確かに言ったけどさ、そうじゃなくて。なんで言わないとわかんないんだよ。茜ちゃんもマオちゃんもこんなののどこがいいんだよ」
 あからさまなため息をついて、京介は両手で顔を覆った。そのままの姿でしばらく固まる。どうしたものかと隆二も黙ってそれを見ていた。
「いや、もういいや」
 小さく呟いて、京介が顔をあげる。
「うん、とにかく俺が言いたいのは、もうちょっとマオちゃんのこと考えてあげろよ、ってこと。それぐらい、お前にだって出来るだろ」
「なんかバカにしてないか」
「なんでバカにされないと思うんだ」
 本気でこいつ大丈夫か、とでも言いたげな顔で見られる。
「まあ、いいや。今日のところは」
 言いながら京介は立ち上がり、
「とにかく! 俺は先に帰るからな。ちゃんと仲直りしてから帰って来るんだぞ」
 そうして後ろを向く京介を、
「ちょっと待て」
 隆二は引き止めた。なにもいわず京介が振り返る。顔になんだよお前、と書いてある。
「金がない、貸して」
 その、なんだよお前という顔に右手を突きつけた。
「花買ったからあと千円しかない」
 それでは帰れないことぐらい、さすがの隆二でもわかる。
「はぁ? なんで遠出するってわかってるのにそれぐらいしかもってないんだよお前はッ! 貸してって言うのは返すあてがあるときだけにしろっ!」
「じゃあ頂戴」
「子供かッ!」
 言いながらも京介は、財布からお札を抜き出し、隆二に手渡した。
「新幹線の切符買えるか? 無理だよな。わかんなかったら駅員に聞け。それならできるよな?」
 じゃあな、と京介は振り返り、
「京介」
「まだなんかあるのかよ」
 うんざりと振り向く。
「鍵。もってないだろ」
 そこにポケットから出した鍵を投げた。
「家、入れないだろ」
 当たり前の事実を指摘しながら告げると、
「お前がいつまでたっても合鍵作らないからだろ!」
 苛立ったように一度足を踏み鳴らし、京介が怒鳴る。
「帰りが遅くなっても、起きて待ってるなんてしないからな! 外に居ろ! 寧ろ野たれ死ね! この唐変木っ!」
 とんでもない罵倒だった。あいつ何をあんなにかりかり怒ってるんだ? カルシウム足りないんじゃないか?
 ずんずんとやけに早足で遠ざかって行く背中を見ながら思う。まあ、心配してくれているんだろうな、と好意的に解釈し、隆二はベンチに腰を下ろした。
 丸まっているマオの頭を撫で、少し考えてからそっと自分の膝の上にその頭を載せた。まあ、これぐらいのことは、しても罰が当たらないだろう。
 真っ昼間から男二人が怒鳴り合っていたからか、公園の人影はめっきり減っている。遊んでいた子どもには悪いことをしたな、とちょっとだけ反省した。

 

「なら、俺と一緒に居る?」
 真面目な顔で京介に言われて、マオは面食らった。
『へ?』
「隆二と一緒に居られないなら。俺と一緒に居る?」
 言われた言葉をゆっくりと吟味する。
 確かに京介はマオのことが見えて、マオに触れる。隆二と同じだ。それに、隆二より優しいし、隆二と違って外で話しかけても怒らないし、疑心暗鬼ミチコのことも詳しいから話していて楽しい。
 だけど、
『……でも、隆二じゃなきゃ嫌だ』
 いつも冷たくて話しかけてもあんまり構ってくれないし、ましてや外で話しかけると無視するし、すぐにバカにしてくるけど、
『隆二の方がいい』
 違う。
『隆二じゃなきゃ、意味がない』
「……だよね」
 京介は困ったように笑い、マオの頭を軽く撫でた。
「そうかなとは思ったけど」
『ごめんなさい』
 せっかく、優しくしてくれたのに。
「ううん。マオちゃんが隆二のこと好きなのは、知ってるから」
『うん』
 そうだ。マオにとって隆二は特別なのだ。特別に大切な人で、ずっと一緒に居たい。隆二じゃなきゃ駄目だから、一緒に居られないかもしれないことが、こんなにも悲しい。
『……帰りたいな』
 居候猫でいいから、またあの家に置いていて欲しい。
 目を閉じる。感情がぐるぐると回っていて気持ち悪い。さっきみたいな顔をマオに向けてくれなくてもいい。構ってくれなくてもいい。本当はもうちょっと構って欲しいけど。でも、構ってくれなくてもいい。困らせないように頑張る。だから、また、一緒に暮らしたい。
 ぐるぐる回った感情と一緒に、気づいたら眠ってしまっていたらしい。目を開けると、空が見えた。それから、
「おはよ」
 つまらなさそうに呟く隆二の顔。
 よく見たら、膝枕されていた。
『ふぇっ』
 奇声をあげて飛び起きた。


 勢い良く飛び起き、距離をとる居候猫を見て、少し胸が痛んだ。そんな怯えんでも。
『りゅ、りゅ、隆二?』
 声が裏返っている。
『な、なんで。あれ、京介さんは?』
 事態が理解できないとでも言いたげに、きょろきょろ視線をさまよわす。
「帰った」
『え、あ、そうなの?』
「とりあえず、落ち着け」
 言って隣を指さすと、マオは恐る恐る隣に腰掛けた。いつもより、隆二との距離があいている。
『隆二。……あの人は?』
「いったよ」
 できるだけ何事もないように答える。
『え?』
「成仏ってやつ」
『え、だって、一緒に居無くていいの?』
「幽霊は成仏した方が良いだろう」
 言って、マオを見て少しだけ笑う。
「お前は違うけど。マオは、俺と同じだろ?」
『……そう、同じ穴の狢なの』
 少しの沈黙のあと、マオがそう呟いた。
「心配しなくても、マオのこと放り出したりしないよ」
 軽く手の甲で頭を叩くと、
『なっ、なんか、京介さんから、聞いたのっ!』
 真っ赤になって慌て出した。ああ、秘密にしておいて欲しいことだったのか。
「いや、別に。心配してんのかなーと思って」
『してないしっ! 別に平気だし!』
 体の横で握りこぶしを作って叫ぶ。叫んでから、
『……ちょっと寂しかっただけだし』
 小声で付け足した。それに少し笑みがこぼれる。
『なんで笑うのっ』
 見咎められた。
「別に」
 言いながら頭を撫でる。マオは小さくなんか言っていたものの、手をふり払ったりしなかった。
「マオ」
『ん?』
「今日は、ついて来てくれてありがとな」
『……ん』
 マオが小さく頷く。
「おかげですっきりした」
『……それはよかった』
 マオの返答は、まだちょっとひねくれたような言い方だったが、顔は少し笑っていたからきっともう平気だろう。拗ねたフリをしているけれども、隠し事の出来ない彼女のことだ。少し笑っているその顔が、今の心境の正解だ。
「……なあ、マオ、一つだけ、聞いてもいいか?」
 撫でていた手を離して尋ねる。
『な、なに。あたし別に泣きわめいたりしてないからねっ』
 聞いてないのにあっさり自白する。ほら、嘘がつけない。
「泣きわめいた?」
 ちょっとからかってみると、
『例えばの話ですっ!』
 怒鳴られた。
 茜に言った、可愛いし見ていて飽きないというのは本当だ。茜も対外感情が顔に出るタイプだったが、その比ではない。感情が顔に駄々漏れで、隆二には予測不可能なことばかりする。マオが来てから、毎日が本当に刺激的で楽しい。
 でも今は、からかって遊んでいる場合じゃない。
「まあ、マオが泣きわめいたかどうかはともかく」
『泣いてないからっ!』
「マオは、俺の過去の名前、気にならないのか?」
 いつか、京介が来た日にした会話を思い出しながら問いかける。
 泣いてないっと怒鳴った顔のまま、次の抗議のため身構えていたマオは、投げかけられた質問が理解出来なかったのか、きょとんっとした顔をした。
『へ?』
「だから、名前。京介が来た時に話しただろう。神山隆二になったきっかけ」
 マオは少し考えるような沈黙の後、
『ならないよぉ?』
 当然のような顔をして笑った。
『だって隆二は隆二だもん。あたしにとって隆二は出会った時から隆二で、今でも隆二だもん』
 それからちょっと眉をひそめて、
『……隆二にとっても、あたしはマオだよね?』
 伺うように尋ねてくる。その意味をしばらく考えて、
「ああ。マオはマオだよ」
 一つ頷いた。G016なんていう番号は知らない。マオはマオだ。きっと、そういうことだろう。
 マオは満足そうに一つ頷き、
『ん! だから隆二も隆二!』
 そう、断言する。
「……うん、ありがとう」
 酷い質問だと、思わなくもない。ここに京介がいたら、罵倒されたことだろう。だけど、これからもマオといるためには必要な質問だと思った。マオと一緒にいても、茜との約束を破らないと、今度こそ破らないという確信が欲しかった。
『あたしは隆二と居られればそれでいいの』
 機嫌を直したのか、自分の中でなにか折り合いをつけたのか、マオはいつもより少し広くとっていた距離をつめ、隆二に抱きついた。
 それを素直に受け止め、隆二はマオに笑いかけた。
「帰ろう、うちに」
 茜への罪の意識が完全になくなったとは言えない。でも軽くなった今なら、以前よりも素直に帰ろうと言える。今なら、マオとちゃんと向き合える。マオと二人の暮らしを、ちゃんと考えていける。
「そうしてまた、あの赤いソファーに座って、二人でだらだらとテレビでも見よう」
 あの赤いソファーは、やっぱり一人には大き過ぎるから。
 マオはぱぁっと満面の笑みを浮かべると、
『うんっ』
 大きく頷いた。


第一幕 居候猫と新たなる居候の現状

 てれっててーと軽快なメロディが部屋に流れる。テレビ画面に流れるスタッフロール。
『はー、今日も君子かっこよかったぁ』
 興奮のあまり浮かし気味になっていた腰をすとん、っとおろしながらマオが呟いた。
 ダイニングテーブルに頬杖をつきながら、隆二はそれを見ていた。
 三十分間のマオのお楽しみタイム、七転びヤオ君子が終わり、
『高嶋くんが、君子の正体に気づきそうになったときは、ドキドキしたわ』
「正体バレるとガチョウになっちゃうもんね」
『そうそう。本当、よかったー。っていうか、高嶋くんのことで君子を脅すなんて本当サイテー! 人の一番痛いところ、弱みに付け込むなんて!』
「悪いよねー」
『でも、高嶋くんと君子の関係はいつ進むのかなぁ』
「んーどうだろうね」
『君子は地球を守ることで忙しいから、恋愛どころじゃないんでしょうね。……でも、どうして君子がいる地域しか襲われないのかな』
「不思議だねー」
『君子がいない場所を狙えば一発なのに。なんていうか、あかさかよね』
「あさはかだね」
『んー、それにしても、君子ってあと何話分ぐらいあるだろう。富子短かったし』
「富子は半分の二十五話しかないからね。でも君子はその分長いから、七十話分ぐらいあるんじゃない?」
『じゃあ、まだまだあるのね!』
「基本、月曜から木曜の週四での再放送だからあと……、ごめん、計算できないけど、まだまだ終わらないよ」
『よかった! 君子まで終わったら寂しいもの』
 マオと京介が今日の君子の感想を言い合う。主にマオの発言に、京介が微笑みながら相槌をうつ。隆二は黙ってそれを見ていた。会話の節々につっこみたい部分が多々あったが、さすがに野暮なのときりがないので自重する。
「っと、こんな時間か。夕飯の買い出し行ってくるねー」
『今日のご飯はー?』
 時計を見て立ち上がった京介に、自分は食べないくせにマオが問う。
「今日は、サクサク衣のジャガイモ揚げ、トマトを添えて、だよ」
 大げさに言っているが、それ、コロッケとかだろ。そう思いながら、隆二は出て行く京介を見送る。
『隆二?』
 テレビも終わり、京介もいなくなり、暇になったマオが隆二の方へ向かってくる。そうして、隆二の顔を覗き込みながら、
『難しい顔してどうしたの?』
 こーんな顔だよ、とぐぐっと眉間に皺を寄せた。
『あ、もしかして、ヤマトいやなの?』
 ひらめいた、とでも言いたげな顔をするマオに、
「トマトな」
 冷静につっこんだ。それ、食い物じゃないだろ。
 京介が神山家に居着いて、数ヶ月が経過していた。七転八倒富子が終わり、七転びヤオ君子がはじまってもまだ、京介はこの家に居た。再放送のあと、マオと楽しそうに今日の君子談義をするのも、いつものことになっていた。別にそれ事態が不満なわけではない。ただ、
「あいつ、何しに来たんだか……」
 気味が悪いのだ。自分で全部お金を払いながら、家政夫のようなことをする。一体、京介になんのメリットがあるというのだ。
『隆二に会いにきたんでしょ?』
「会いに来てこんだけ長い間、ここに居る意味ってあるか? そもそも、なんで会いに来たのかもよくわからんし」
『訊けばいいじゃん』
「訊いてあいつがちゃんと答えると思うか?」
『ううん』
 さすがのマオもそこまで楽天的ではなかったようだ。首を横に振る。
『んー』
 マオはしばらく悩んでから、ぽんっと両手を打ち合わせ、
『あたし、探って来てあげる! スパイ大作戦! テレビで見た!』
 嬉しそうに言うと、隆二の返事もまたずに、すぃっと壁を抜けて行った。
「……大丈夫だろうな?」
 マオが消えた壁を見ながら、隆二は小さく呟いた。
 心配しか残らない。

 

『きょーすけさーん』
 背中に声をかけられた声に、京介は振り返ると小さく笑った。
「マオちゃん、どうしたの」
『お買い物、一緒にいい?』
「いいよ」
 マオは京介の隣をふよふよと浮きながら、その横顔をちらちらと見る。その視線に、
「どうかしたの?」
 問いかけると、マオは慌てたように視線を逸らし、
『べ、別に!』
 と、あからさまになにかありそうな返答をした。
 しばらくその状態が続いていたが、マオは、
『あのね!』
 意を決したように尋ねた。
『京介さん、何しに隆二の家来たの?』
 放たれたのは、まぎれもないストレートだった。
 京介は少しきょとんとマオを見つめてから小さく唇の端をあげる。
「隆二に聞いて来いって言われたの?」
『ええっ、ち、違うよっ』
 マオは慌てて両手をばたばたさせながら、
『あたし! あたしが気になったからっ』
 早口で告げる。
 嘘のつけない彼女の挙動に、京介は一度笑うと、
「俺はね」
 表情を引き締めて、告げた。
「約束を破るために来たんだ」
『ん? よくわかんないけど、約束は守らなくちゃだめよ?』
「まあそうだね」
 真顔で諭された言葉に苦笑する。そんなことは、わかっている。
『それで、約束ってなぁに?』
「それはいくらマオちゃんにでも教えられないな」
『えー』
 マオが頬を膨らませる。
「そうだなぁ、それだけで帰すのも悪いかな。マオちゃん、隆二に怒られちゃうもんね」
『そうだよ! この役立たずって隆二に』
 そこまで言ってマオは、はっと何かに気づいたかのように口を両手で押さえ、
『隆二は関係ないんだけどねっ!』
 強い口調で言い切った。
「うん、そうだね。ごめんごめん」
 あんまりいじめるのも可哀想になってそうフォローすると、マオが途端に安心したような顔をした。
『そうそう、隆二は関係ないの』
「隆二が関係ないのはいいんだけど」
 少しぐらいなら、何かを教えてあげてもいいだろう。隆二が京介の行動を訝しんでいるのは重々承知しているのだから、ヒントぐらいは出してあげよう。
「そうだな、これは言っておこうかな。俺はね、隆二が心配なわけ」
『心配?』
「そう、あとの二人のことは心配してないんだ」
『あとの二人?』
「仲間の。あの二人は不死者であることを受け入れているから。英輔は死なないってことは甘いもの食べ放題じゃん! とか言ってたし、颯太はなんか宇宙の研究を長いスパンで出来るとか張り切ってたし」
 マオは、甘いもの、宇宙、と言われた言葉を覚えるように小さな声で唱えている。だから、少し油断していた。
「……俺と、隆二だけなんだよ、受け入れられていないの」
 そんな言葉が思わず溢れ落ちた。
『俺と、隆二だけ……。ん?』
 京介の油断を嘲笑うかのように、マオはその言葉を聞き取り、なおかつその意味もしっかり理解した。
『……京介さんも受け入れられないの?』
 言いながら顔を覗き込むようなマオを、
「それよりマオちゃん、隆二ひとりだと寂しいから帰った方がいいんじゃないかな」
 笑いながら言うことで牽制した。
『え? 別に、隆二が寂しいなんて可愛いこと思うわけ……』
 言いかけたところで、はたと気づいたように、
『寂しいね、寂しいよね! 寂しいのはよくないよね! あたし、帰るね!』
 うんうんと何度も頷く。その顔には、はやく伝えなくちゃ、と書いてある。
『京介さん、お買い物付き合えなくてごめんね!』
「ううん、隆二によろしくね」
『うん、ちゃんと伝える。……じゃなくて、隆二は関係ないけどね!』
 などと言いながら急いで戻って行く背中を見送って、小さく微笑む。
 ああ、彼女は、なんて素直なんだろう。
 幽霊であるマオは他人には見えない。一人で空気と会話しているような京介に、周囲が微妙な視線を向けてくる。
 そんなもの、今更気にしない。今更そんなもの、どうでもいい。
「約束を破りに来たんだ」
 自分の言葉を反芻する。
 口にしてみれば、改めて胸に刺さった。ああ、そうだ、約束を破りに来たんだ。
「……ごめん」
 ズボンの後ろのポケットに手を伸ばし、そこに収まっているものを確認すると、小さく呟いた。

 

「約束を破るねぇ」
 マオから報告を聞いた隆二は小さく呟いた。約束を、破る?
『一応ね、約束は破っちゃだめよって教えてあげたけど』
 要らん世話だろ、それ。
『隆二、京介さんと何か約束したの?』
「いいや。俺、基本的に約束とかしないから。めんどうだから」
 契約ならたまにエミリ達と交わすが。それ以外に約束だなんて、せいぜい茜とした約束ぐらいではないだろうか。
 そんなことを思いながらマオを見ると、
「……待て、お前なにそんなににやけてる?」
 だらしなく相好を崩したマオがそこには居た。やや気味が悪い。
『え、だって、隆二あたしとは約束してくれたじゃない? それって、特別ってことでしょう?』
 当たり前のように、弾んだ声でマオが答える。ふふ、っと嬉しそうに笑う。
 ああそうか、一緒に学んでいこうというあれは、考えてみれば約束だった。
「……そうだな」
 隆二は小さく微笑むと頷いた。
 考えてみないとわかんないのかよ、とつっこむような人間はここには居ない。
『あ、あとね』
 思い出した、とマオは両手を叩き、
『京介さんは隆二が心配なんだって』
「は?」
 心配?
『えっとね、京介さんと隆二だけが、不死者になったことを受け入れられていないから、だっけな』
「いや、別に今更、受け入れられていないわけじゃ……っていうか、あいつも?」
『うん、京介さんも、って言ってた。あ! なんかはぐらかされた! 聞いたのに』
 膨れるマオ。
 それにしても、ここまで聞き出して来るとは思わなかった。適当に京介にあしらわれて終わりだろうと思っていた。
 ということは、京介はこのことを隆二に伝えてもいいと思っているということか。マオに、相手が話す気がないのに聞き出してくる能力があるとも思えないし。
「それで?」
『ん、えっとね。えーすけさん? は、死なないってことば甘いもの食べ放題! って言ってて、そーたさん? は宇宙の研究が出来るとか言ってたって』
「……何をしているんだ、あの二人は」
 うんざりして溜息。ああ、でも目に浮かぶ。
 甘いものを愛し過ぎている甘党の英輔は、甘い物さえあれば満足なのだろう。それはそれで、幸せなことだと思う。
 最年長で一番賢い颯太が、この永遠の時間を使って何かの研究をするということも、考えられないこともない。
 それに比べて自分はどうだ。毎日毎日だらだらとテレビをつけて、本を読んで、コーヒーを飲んで、居候猫をからかって遊んで。非生産的な生き方だ。
 確かに、その二人に比べたら、心配されても仕方がない。
「……なるほどねぇ」
 小さく呟く。
 なんとなく、あの二人のあとに自分のところに来た理由は納得できた。心配の種は最後にじっくりと、ということだろう。
 特に、仲間内で唯一、茜に会ったことがあるのが京介だ。茜が亡くなってから、京介がそのことを気にかけてくれていたのはわかっている。この前の墓参りの一件だって、あいつの差し金の部分が大きい。さぞかし心配かけていたことだろう。
 でも、茜の一件が解決してもなお、京介がここに居座る理由はなんだ?
「わけわからんな」
 結局、謎は何も解決していない。そのとこに溜息をつく。溜息をつきながらも、
「まあでも、マオ、ありがとな」
 思ったよりも上手く諜報の役割をしてきた居候猫の頭を撫でた。
 マオは心底嬉しそうに微笑んだ。


間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる

「私と恋仲になって、そして心中して」
 初対面で、彼女は、こともあろうかそう言った。
 正直、バカなんだと思った。
 ただ、その時の彼は、疲れ切っていた。住む場所も、仕事も、人間として暮らしていく肩書きも、全て失い、疲れ切っていた。
 だから,とりあえず彼女の話に乗ることにした。彼女の家で、衣食住の提供を受ける代わりに、家政夫のようなことをして過ごした。
 深入りするつもりはなかった。
 深入りしてはいけないと思っていた。
 それで失敗した友人を見ていたから。
 そもそも、今までも、まったく人とかかわらずにきたわけではなかった。それなりに人間社会に溶け込むようにして過ごして来た。恋人的なポジションで、付き合ってきた女性だっていなかったわけではない。
 ただ、本気になるのはどこかでおさえていただけで。
 そして、大体の場合は相手の方から別れを切り出して来た。本音が見えないとか、何か隠しているんじゃないのとか、そんな理由で。
 言えるわけがない。化け物だなんて。そんなことわかっていたから、彼だって割り切ってそこで別れてきた。最初から、割り切った付き合いだった。少なくとも彼にとっては。

 でも、今回は違った。殆ど自分の身の上は話していないのに、彼女はそのことを追及してこなかった。その場所に居る彼だけをありのままに受け入れた。
 子どもの戯れのように、
「キョースケは優しいね」
 と微笑み、
「だから大好き」
 とはしゃいだ声をあげる。もっとも、そのすぐあとに、
「だから心中して」
 なんて続けていたけれども。
 最初は、死にたがる彼女が放っておけないだけだった。だからずっと見ていた。
 そして、その過程で知ってしまった。ありのままの自分を肯定されることが、過去を追及されないことが、心地よいことなのを。
 深入りするつもりはなかった。
 深入りしてはいけないと思っていた。
 それで失敗した友人を見ていたから。
 なのに、何故だろうか。
 気づいた時には抜けられなくなっていた。深みにはまっていた。
 人間を愛してしまった。
 人間になりたい、と思ってしまった。
 そんなこと、できるわけないのに。ずっと一緒にいるなんてそんなこと、できるわけないのに。

 このまま一緒に居てはお互い駄目になる。そう思って、その場所から去ることを決意した。
 彼があの家から出る時、彼女は言った。
「絶対に帰って来てね」
 帰るつもりはなかった。帰れなかった。そんなこと、できるわけなかった。
 だから、旧友を尋ねることにした。彼ならどうにかしてくれるだろう。
 リュウジ、の名前を持つ彼ならば。
 同じ約束を受けた彼ならば。


第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない

『ころんでもぉー、またたちあがるぅー、そうよぉーわたしはぁぁぁ、ななころび、ヤオ! きみこぉぉぉ』
「……なんだその歌は」
 気持ち良さそうに歌うマオに、隆二は思わずつっこんだ。
 ソファーに座り本を読む隆二の膝の上に、寝転んだマオが両手で頬杖をついている。マオが来て最初のころは膝にのると邪魔だのなんだの言っていたが、言って聞かせても無駄なので最近は黙認している。
 仲がいいよねぇとかからかってくる京介も、今はどこかに出かけているし。
『ん? 君子の主題歌だよ』
 顔をあげたマオが、知らないのぉ? 不思議そうな顔をする。
「いや、それは薄々わかってたんだが」
 七転びヤオ君子とか言ってたしな。訊きたいのはそういうことではなくてだな。
『隆二も一緒に歌う? 教えてあげるよ?』
「いや、遠慮しておく」
『そう? 楽しいのに』
 などと言いながらも、マオはまた歌に戻る。
 今日も今日とて、神山家の日常はどこまでも怠惰で非生産的であった。
 京介がここに来た目的も、未だにわからないままだが、面倒なのであれから追及はしていない。今だって、「ちょっと出かける」と行き先も告げずにいなくなって、数時間経っているが、どこで何をしているかさっぱりわからない。だからといって、訊くつもりもない。どうせ答えないだろうし、面倒だし。
 神山隆二の性根は、とことん怠惰であった。
 マオのリサイタルはしばらく続き、隆二もしばらくそれをBGMに本を読んでいたが、
「コーヒー飲みたい」
 ぼそりと呟いた。思いついたら、今すぐにでもあの茶色の液体を摂取したい気分になった。彼はどこまでも思いつきだけで生きている。
 そうと決まれば、
「マオ、どけ」
 膝の上の、立ち上がるのに邪魔な居候猫をどかさなければ。
『えー』
 歌を邪魔されたマオが不満そうな顔をする。
「いいから」
『はーい』
 それでも素直に、ごろごろと寝返りをうつ要領でソファーから離れる。ソファーから三歩程離れた宙で、仰向けに浮かんでいる。
「どーも」
 一応礼を言ってから、台所に向かう。薬缶に水を入れ、火にかけ、インスタントコーヒーの瓶をあけ、
「……あ」
 そこに何もないことを確認し、固まった。
『どうしたの?』
「コーヒー切れてた」
『ありゃりゃ、残念』
「買いに行って来る」
 テーブルの上に放り出していた財布を掴む。
『京介さん、帰って来てないけどいいの? 隆二お出かけしちゃったら、京介さん入れないじゃん』
 未だに合鍵を作っておらず、隆二が出かけてしまえば鍵を持たない京介は部屋に入れない。そして、盗られて困るようなものはないとはいえ、京介のために留守宅の鍵を開けっ放しにしておくつもりなんて隆二には無かった。
「どこに行ってるんだか知らないが、あいつが遅いのが悪い。コンビニだし」
『じゃあ、あたしも行く!』
 上半身を起こしたマオに、
「お前は留守番」
 冷たく返した。
『えー』
「京介が帰って来たら待つように言っといて」
『コンビニでしょう? 近いでしょう? 大丈夫だよぉ、京介さんだって鍵開いてなかったら待ってるよぉー』
「何も言わないで出かけたら、いくらなんでも、あいつうるさいだろ」
 この数ヶ月でどれだけの小言を聞いたことか。うんざりとため息をつく。
 それからふくれっつらしたマオに、宥めるように微笑みかけた。
「すぐ帰って来るから。それで、京介戻って来たら、京介に留守番させて散歩でも行こう。お前、そろそろ食事摂った方がいいだろ?」
 マオはしばらく膨れっ面したまま隆二の顔を見ていたが、やがてしぶしぶ頷いた。
『約束ね?』
「ああ、約束する」
 隆二の言葉に、少しだけ口元を緩めてマオは頷き、
『じゃあ、待ってる。はやく帰って来てね』
「ああ」
 マオのためにテレビをつけてやると、隆二はコンビニに向かう。
『約束ね』
 マオはがちゃりと閉まるドアに向かって小さく呟いた。
 その口から、ふふっと笑みが溢れる。
『約束ね、約束』
 基本的に約束をしないという隆二との約束。小さな約束だけれども、これはやっぱり特別だということだろう。
 すっかり機嫌を良くして、鼻歌なんて歌いながらマオはテレビに向き直った。

 

 思ったよりも遅くなってしまった。
 京介は足早に、隆二の家に向かう。
 あまり遅くなると、何を言われるかわからない。怪しまれるかもしれない。
「この前、マオちゃんに探りいれられちゃったしなぁ」
 ぼやく。
 約束を破るためにここに来た。それは嘘じゃない。けれども、それを実行に移す決心がなかなかつかず、長いことかかってしまった。本当は、こんなに長いこと、ここにいるつもりはなかったのに。
 流されやすくて情にもろくて、日和見主義なのは昔からだ。平和な生活は心地よくて、ずるずるとこのままでいいかと思ってしまう。それで失敗したというのに。
 でもそれも、今日で終わりだ。
 ソレを入れたトートバッグを、ぐっと握る。
 ここまできたら引き返せない。実行に移すならすぐに。はやくしないと止められてしまうかもしれない。
 覚悟なんてあの場所で決めてきた。もう迷わない。
 それでも隆二の家まで戻り、そのドアを開けようとしたときには手が震えた。
 一つ深呼吸。
 落ち着こう。動揺しているところを見せちゃいけない。
「よしっ」
 平常心を取り戻し、いつものような笑顔を浮かべて、ドアノブをひっぱり、
「あれ?」
 ドアは開かなかった。
 合鍵なんてものを持っていないから、隆二か京介、どちらかが必ず家にいて、家にいるときは鍵を開けっ放しにしていることが多いのに。
 仕方なしにチャイムに指を伸ばす。そこから、腹立ち紛れに連打した。
 せっかく覚悟を決めたのに、なんというか、出鼻をくじかれた気分だ。なんでこう、いちいち人の神経を逆撫でするようなことするかね、あいつは。
 返事はない。テレビの音はするから、いるとは思うんだが、居留守か。
『京介さん』
 そう思っていると、ひょいっとマオがドアから顔を生やした。
「マオちゃん」
『ごめんね、隆二、今お出かけしてるの』
 本当にすまなさそうな顔をマオはする。
『コンビニだからすぐ帰ってくると思うんだけど』
「あーそう。そっか」
 コンビニ行くのに律儀に鍵かけていくなよ。どうせ盗まれるようなもの持ってないくせに。
 仕方ない、帰って来るまで待つか、とドアに背を預ける。
『ごめんねー』
「マオちゃんが悪いんじゃないよ」
 そう言って微笑みかけ、
「あ、そっか」
 気づいてしまった。
 何もここで隆二を待つ必要はないじゃないか。隆二が居ない、それは好都合じゃないか。
『京介さん?』
 不思議そうなマオの声。
 握った鞄。
 今ここで、実行に移そう。それが一番、賢いやり方だ。
「マオちゃん」
 上半身だけドアから生やした、マオの手を掴む。
『……京介さん?』
 訝しげなマオの声。
 怯えさせてしまうことは本意ではない。それでも、どこか顔が強張ってしまう。
「ちょっと付き合って欲しいんだけど。外行こう?」
『えっと。でも、あたし、お留守番してないと。隆二と約束したから』
 マオが困ったような顔をする。本能的に何かを感じとったのか。軽く身を引き、京介から距離をとろうとするのを、
「なんで俺がここに来たのか、説明するよ」
 ずるい言葉で引き止めた。
「俺がここに来た理由、隆二知りたがってるんじゃない?」
 これじゃあまるで、君子に出てくる悪人だ。マオにとって一番魅力的に聞こえる言葉で誘惑する。
「教えたら、隆二が褒めてくれるかもよ?」
 マオは少し躊躇ったあと、
『ちょっとなら、いいよ』
 頷いた。

 

 コンビニの袋片手に、足早に隆二は家を目指していた。
 まさか家から一番近いコンビニが改装工事中だとは思わなかった。そして、足を伸ばして遠いコンビニまで行ったら、久しぶりにあのオカルトマニアの店員に会うし。
 話なげえよ。あんたが新しく買った吸血鬼小説が面白かった話なんかどうでもいいんだよ。っていうか、オカルトマニアだとしてもなんか、どっかずれてるんだよ。なんで本物の吸血鬼、と思っている人間相手に吸血鬼小説の話をつらつらとできるんだよ。もっと他に話すことあるだろ。
 などと、脳内で怒濤のツッコミを繰り広げていると、
「神山さん!」
 背後から声をかけられて振り返る。予想どおりの赤い色にうんざりする。道ばたで話しかけるな、赤くて恥ずかしいから。
「よかった、今からお宅に伺うところで」
「何? 嬢ちゃんってば、またなんか逃がしたの?」
 からかうように言っても、意外なことにエミリは抗議の言葉を述べなかった。お決まりの名前の訂正もない。
「神野さん、まだ、いらっしゃいます?」
 慌てたように放たれた言葉に、少し面喰らう。
「あー、帰ってるかな? でかけてたけど。何、京介に用?」
 エミリは一度息を整え、その青い瞳でじっと隆二の顔を見つめる。
「落ち着いて聞いてください」
「なに?」
 何を言い出すのか。少し身構えると、エミリは慎重に言葉を発した。
「エクスカリバーが盗まれました。恐らく、神野さんの仕業です」
 その言葉の意味を認識するまで、少しの時間を要した。
 エクスカリバーが盗まれた?
 理解すると同時に、振り向き、家に向かって駆け出した。
「神山さんっ」
 エミリが叫び、後をついてくる気配がする。
 エクスカリバーは実験体の抹消に使われていた武器の通称だ。
 実験体、つまり、隆二や京介や、マオを。
「昼間に! 研究所にいらっしゃって!」
 背後からエミリの声がする。少しだけ速度を緩めて、その言葉に耳を貸した。
「京介がか?」
「はいっ。それで、様子が変で。うまく、言えないんですけど。帰られたあと、保管室の人間が倒れているのを発見して、それで」
「中を見たらなかったってことか」
「はい」
 息を切らしながらエミリが頷く。
「……なにに使うつもりだと思う?」
「わかりません。わかりませんけれども、でも」
 エミリがそこで言葉を切った。
「そうだよな」
 今ここらにいる実験体に該当するのは、隆二とマオだ。
「……マオにも、勿論?」
「効果があります。あるはず、です」
「先に行く」
 それだけ聞けば十分だった。それ以上は聞けなかった。
 エミリを残し、全速力で駆け抜ける。本気で走ったら周りの人間から不審がられる。そんなこと、今はどうだっていい。
 ぎしぎしとうるさいアパートの階段を三段飛ばしで駆け上がり、乱暴に鍵をあけ、
「マオっ!」
 叫びながら部屋に入る。
「マオっ」
 靴を脱ぐのがもどかしくて、そのままあがった。
 つけっぱなしのテレビから、能天気な音楽が流れる。
「マオ!」
 狭い家の中に、居候猫の姿は見えない。
 焦燥感が募る。
 隆二が遅いから勝手に出かけたのかもしれない。でも、帰って来たら出かける約束をしていた。マオがそれを待たずに出かけるわけがない。
 マオは自分と違う。約束はきっちりと守るタイプだ。
「っち」
 舌打ちすると、持っていたままだったコンビニ袋を腹立ち紛れに投げつける。
 外を探さないと。
 振り返り、ドアに向かったところで、
「神山さんっ」
 息を切らしながらエミリが現れた。邪魔だったのか、赤いベレー帽は片手に握られている。
「マオさんはっ」
「いない。京介も」
「……探すの、手伝いますっ」
「頼む」
 背に腹はかえられない。素直に頷くと、部屋から出る。ドアを後ろ手で閉める。
「神山さん」
 そこでエミリに袖をひっぱられた。
「なに?」
「これ」
 エミリが指差す先、ドアの新聞受けに、一枚の紙が挟まっていた。見覚えのないそれを、慌てて引き抜く。
 少し神経質そうな文字が踊っていた。
「隆二へ。ごめん、マオちゃんを預かりました。返して欲しかったら、夜九時、公園まで来てください。ごめん。追伸、ごめん、エクスカリバーもっています」
 そこに書かれていたのは、謝罪にまみれた誘拐犯からの手紙。
「あんの、馬鹿野郎っ」
 くしゃり、とメモを握りつぶした。



読者登録

小高まあなさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について