目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第一幕 猫の飼い主に小判

 ピーンポーン。
 昼下がり、珍しく神山家のチャイムがなった。
「マオ。誰が来たか見てくれないか?」
 隆二は本から目をそらさずにそう言う。
 ここに尋ねてくるなんて研究所絡みか、なんかの勧誘か。どっちにしろあんまりかかわりたくない。居留守使うかどうか、マオに見て来てもらってから判断しよう。
「マオ?」
 返事はない。
 顔を上げると、居候猫はテレビの前で丸まって眠っていた。これじゃぁ本当に猫だなぁと少し苦笑しながら、諦めて玄関へ向かった。
「はい?」
「あ、こんにちは」
 ドアをあけた先にあったのは、赤だった。
「ああ、嬢ちゃん」
「エミリです」
 勧誘ではなく、研究所絡みの方だった。だが、まあ、マシな方だろう。エミリか、エミリの父親以外の研究所の人間が訪れたら、それはもう、地獄への入り口だ。もっとも、そいつらがチャイムを鳴らすなんていう大人しい真似するとは思えないが。
「あの、マオさんは?」
 中をうかがうようにしてエミリが問いかけてくる。
「寝てるけど?」
「えっ。えっと、それはなぜですか?」
「なぜって」
 睡眠とるのになんでもへったくれもないだろ。
「眠いからじゃないか? なんだっけ、今ほら、あれやってるだろ。二十四時間だか二十七時間だったか、続けて生放送やるっていう、番組」
「ああ。……そんな季節ですか」
「嬢ちゃんでもそういうのに季節感じたりするんだな」
「エミリです。それが?」
「ああ。で、あいつはそれを通しで見たいからって、ずっと起きてたんだよ」
 結局寝ているけど。起きたらきっと、うるさいんだろうなぁ。なんで起こしてくれないの! とか。そんなもん、寝てしまうような番組構成をしたテレビ局に言えよ。
「そうですか」
 エミリは何故か安心したように息を吐いた。
「なに?」
「いえ、とってもマオさんらしい理由だなと思いまして」
 それは否定しないけど。
「そうじゃなくて。何の用?」
「……少し、いいですか?」
 言って手招きされる。
「中で話せばいいじゃん」
「……マオさん聞かれたくないんです」
 だから寝てるってば、とは思いながらもしぶしぶドアの外にでる。後ろ手でドアを閉める。
「で?」
「一週間ほど前から、G009、G010、G012、と立て続けに消滅しています」
 Gから始まる実験体ナンバーには聞き覚えがある。
「……マオは、G016だったな?」
「はい」
 なるほど、それはマオに聞かせられない。
 溜息のような吐息を吐くと、腕を組んでドアに寄りかかる。本当、碌な話を持ってきやしない。
「016よりも若い番号っていうことは、マオの前か」
「そうです。ちなみに、成功した、と言えるのは008からです。が、008は別の理由ですでにありません」
 G008がない理由がどうせろくでもないことだろうと思えて、深く追及しなかった。抹消、か。
「G011は無事だと?」
「今のところは」
「原因は?」
「調査中です」
「……そうか」
 役に立たないなぁ。
「兆候としては、過睡眠があげられます」
 だから、心配したのか。
「……わかった、気をつけてみる」
「はい。なにかわかりしだい、お伝えします」
 そこでエミリは、彼女にしては珍しく一瞬口ごもり、心持ち小さな声で続けた。
「……あと、これは、言うか迷ったのですが。先日の、あの一件のあと」
「……ああ」
 少しエミリから視線を逸らす。神野京介の、一件か。
「彼女のところ、行ってきました」
「……そうか」
 ココナという名前の、京介の恋人。写真でしか知らないその顔を思い浮かべる。
「特になにも、できませんでしたが」
「ああ。……しないほうがいい」
 かかわっちゃいけない。普通の人の人生に、自分たちは、かかわらないほうがいい。巻き込んではいけない。それが今守るべき最低限の礼儀で、せめてもの罪滅ぼしだ。
「はい。……とりあえず、お元気そうでした」
「そうか。……うん、わかった」
 エミリに視線を戻す。
「ありがとう」
 本来ならば、自分がやるべきことだったとも思う。
「いえ」
 エミリは小さく首を横にふった。
「あ、あと、これもお渡ししておきます」
 言って何か小さな機械を渡される。
「この前のこととか、今回のこととか、色々考えた結果、対面でしか連絡手段がないというのも、と思いまして」
 渡されたそれは、携帯電話、というやつだった。思わず渋い顔になる。
「あ、通信料などはこちらでもちますから、ご安心を」
 隆二の顔をどう判断したのか、エミリがフォローしてくる。
「心配しているのはそこじゃない」
 エミリを見る。
「嬢ちゃん」
「エミリです」
「俺がこれを使えると思うのか?」
 神山隆二は、機械類にめっぽう弱かった。
「説明書もついてますよ、これどうぞ。神山さん、頭は悪くないんですから、それぐらい覚えてください」
 さっきまでの大人しい態度はどこへやら。呆れたように、バカにしたように、エミリが答えた。
「理解と実践は違うんだよ。年寄りに無理させんなよ」
「年寄り年寄りって言いながら、若者言葉もしばしば使っていらっしゃるじゃないですか。もしかすると、わたし以上に」
「それはそれ、これはこれ」
「やってみなければわかりません」
 そんな不毛なやりとりを繰り広げていると、
『隆二?』
 ぴょこんっとドアにマオの首が生える。
「お、起きたか」
『うん。寝ちゃったの悔しいっ! あ、エミリさん……』
 エミリに気づくと、少し隆二の後ろにかくれた。
「こんにちは」
『こんにちは……』
 どうにも距離感は縮まらない。まあ、仕方有るまい。だって殺されかけたわけだし。幽霊に対してその表現が正しいかは別として。
 そんなことを思っていると、
『あれ! それ、ケータイ!』
 隆二の手の中にあるものを見たのか、マオのテンションがあがる。
『え、どうしたの? 買ったの? ついに?』
「嬢ちゃんにもらった」
「エミリです」
『えーいいなー! よかったね! ……でも、隆二に使えるの?』
「丁度それを議論してたところだよ」
 どいつもこいつもバカにしやがって。そのとおりだけど。
「嬢ちゃん」
「エミリです」
「時間あるなら、レクチャーしてってくれよ」
 言ってドアをあける。
「レクチャーっていう単語は使えるんですね」
 エミリが真顔で言った。

 


『ププ、よくみたらこれ、おじーちゃん用のやつだよね? やだー、エミリさんったらナイスチョイス!』
 台所で湯を沸かしていると、マオのはずんだ声が聞こえる。
『エミリさんのは?』
「これ、ですが」
『わっ、スマートフォンじゃん! いいなー、アプリとかなにいれてるの? ツイッターやってる? フェイスブックは? ラインは?』
「なんでお前そんなに詳しいんだよ」
 持ってないくせに。
 コーヒーをいれて戻って来ると、マオは机の上に座り、置かれたケータイをじろじろと眺めていた。
 エミリが若干ひきながらそれを見ている。
「つーかお前、距離感急につめすぎだろ。嬢ちゃんひいてるじゃないか」
「エミリです」
「あとほら、テーブルに座るな。行儀が悪い」
 言って椅子をひいてやる。
『はーい』
 マオは大人しく隣に座った。
 エミリの前にもコーヒーを差し出しすと、問題の機械を見る。
「とりあえず充電してありますから、使えるはずですよ。電源いれてください」
 エミリがさらりと言う。
「……電源」
 ケータイを凝視したまま固まった隆二を見て、
「……その電話のマークのところを長押ししてください」
 エミリがどこか呆れたように言う。
 わからないんだから仕方ないじゃないか。
「これ?」
「こっちです」
「ああ、これね。……つかないけど」
「長押しです。数秒押したままにしてください」
 言われたとおりに、ボタンを押しっぱなしにすると、ぱっと画面がついた。
「おおっ」
 思わず声が漏れる。なんだかちょっと嬉しい。
 そんな隆二とは対照的に、
「まさか、電源をいれるのにも一苦労だとは思いませんでした」
『前途多難、ってやつね』
 若者二人はつまらなさそうに言う。
 ほっとけ。
「はい、じゃあとりあえず電話とメールぐらいはマスターしましょう。どうせネットとか使わないでしょうし」
『使えない、だね。正しくは』
「とりあえず、わたしの連絡先を赤外線で……。どうせ神山さんが番号交換する相手なんていないでしょうから、覚えなくていいですね。わたしがいれますね。貸してください」
「どうせどうせって失礼だな」
 そのとおりだけど。
 なに言っているんだかわからないまま、エミリにケータイを奪い取られる。エミリが隆二のと、自分のとをなにやら操作して、
「はい」
 すぐに返された。受け取るとそこには、進藤エミリの文字と、電話番号と思われる数字と、なにやらアルファベットの羅列が並んでいる。
「わたしの番号とメアドです」
『エミリさんって、進藤っていうんだねー、知らなかったー』
 それを横から覗き込んでいたマオが驚いたような声をあげる。
「ああ、そういえば名乗ったことありませんね」
『うん』
「進藤エミリです。どうぞよろしく、マオさん」
 エミリがマオに微笑みかける。
『マオです!』
 マオも戯けて挨拶をする。
 それを見ながら少し意外な気がする。エミリがこんな風に巫山戯るところ、初めてみたかもしれない。
 ぼんやりそれを見ていた隆二に、エミリが鋭い視線を向ける。
「ぼぉっとしてないで、次は電話かけますよ」
 そのまま鋭い口調で言われる。あ、やっぱりいつもどおりかも。
 その後、電話の取り方やかけ方を呆れられながらも教えられ、現在、
「とりあえず、メール打ってください。こんにちは、お元気ですか、ぐらいでいいので文面」
 と放置されているところだ。
 メールアドレスは面倒だから、とエミリに勝手に決められた。それにしても、神山だから、god_mountainって、酷いセンスじゃないか、これ?
 慣れない操作に四苦八苦している隆二を尻目に、エミリとマオはなんだか楽しそうに話をしている。
『へー、じゃああの研究所って、国が作った秘密の研究所ってこと? それだけ聞くとかっこいいねー、なんか! ミチコの敵とかいそう! それか、事件が起きて刑事さんが調べに来そう!』
 マオが目を輝かせて言うのを、
「あくまでも敵役、なんですね」
 エミリが苦笑いでうける。
『エミリさんは子どもの時から研究所にいるの?』
「ええ。住居はずっとあの敷地内なので。祖母の代から。だからここからですと、ちょっと遠いですね」
『隆二ともずぅっと知り合い?』
「そうですね、父がもともと神山さん達の担当だったので」
『ああ、あの似てない……』
「よく言われます。ですので、実務につく前から何度か面識は。ちゃんと仕事はじめたのは、中学のときですね」
『へー、すごいね』
 それにしても、話題がなんだか物騒だろう。楽しそうだからいいけどさ。
 などと思うものの、つっこむ余裕は隆二にはない。
『でも中学生働かせるなんて、人いないの?』
「……いないんですよ」
 マオの屈託のない質問に、エミリの顔がひきつる。
「研究班は、そこそこいるんですけれども。あの人達は研究にしか興味がないので、後始末をするわたしみたいな人は、数が少ないんです」
『ふーん、そのままいなくなっちゃえばいいのに』
 ストレートな物言いに、さすがにぎょっとして隆二は顔をあげた。思わなくないが、それをよくまあエミリに言えたものだ。
 エミリは苦笑いしながら、
「まあ、マオさんからしたらそうなりますよね」
 と呟いた。それから、自分を見ている隆二に気がつくと、
「神山さん、余所見しないでください」
 冷たく一言。隆二は慌ててケータイに向き直った。ええっと、次はどうしたら。
「あっ」
「……はい?」
「全部消えた」
 ここまで打った文面が、何を間違えたのか消えてしまった。あとちょっとだったのに!
「……やりなおしてください」
 エミリが溜息まじりに言葉を吐いた。
『隆二は本当機械駄目ねぇー』
 マオもおちょくるように言う。
 うるさいな、お前だってできないくせに。まあきっと、触れたらあっという間に使いこなしてしまうんだろうけれども。
 そう思いながらも、再び仕方なしにケータイに向き直った。


第二幕 少女の心は猫の眼

 結局、隆二にメールを一通送らせるまでに二時間程かかってしまった。最後の方はこちらも意地になって付き合ってしまったが、時間の無駄なような気もしてくる。
 溜息をつきながら、エミリは研究所の廊下を歩いていた。戻って来たらすっかり日も暮れてしまった。
 外観は製薬所の研究施設のフリをしている。その廊下には、白衣の人間が沢山歩いている。白衣を着ているのは研究班だ。その中で、エミリの姿は浮いている。もっとも、彼女の場合、どこを歩いていても浮くことになる外見なのだが。
「進藤」
 すれ違う白衣二人組に声をかけられる。下品な笑い方をしたそいつは言った。
「もう失敗しないようにな」
 バカにしたように言われた。それだけの言葉だったが、何をさしているのかはすぐにわかった。わかったから、エミリは軽く一度頭を下げると、何も言わずに足早に彼らから距離をとる。
 失敗したことは、わかっている。あれは失敗だった。神野京介の件。だけど、何を失敗ととらえているか、エミリと彼らでは違う。
「現存している貴重なUナンバーをみすみす消滅させるなんて! なんのための派遣執行官なんだっ!」
「役立たず!」
「これだから小娘に任せるのは不安だったんだ。親の七光りだな」
 彼らはあのとき、そうエミリを罵った。
 それでなくても研究班は、研究の成果を理解できないからと派遣執行官をバカにしている。
 その中でも最年少のエミリのことは、こんな小娘に何がわかる、たまたま祖母や親が研究所の人間だっただけじゃないか、と底辺として扱っている。そんなエミリの失策で、古い実験体を失うことになった、と苛立つ彼らの気持ちは理解している。
 だけど、エミリは決して、貴重な実験体を失うことになったことが失敗だと思っていない。
 失敗したと思っているのは、神野京介にあの選択肢を選ばせてしまったことだ。自分に何が出来たのかはわからない。けれども、間違っていたことだけはわかる。
 あれは誰も幸せにしない選択だった。
 ココナに会ってきたけれども、なにもできなかった。そう、先ほど神山隆二に告げた。
 それはある意味正しくて、ある意味嘘だ。
 金銭を渡した。忘れ物のフリをして。研究所の規定に従って。
 そんなこと、神山隆二には言えなかった。
「それはそれは、素敵な弁償方式だな」
 なんて皮肉って笑う彼の顔が目に浮かぶ。
 金銭で解決できないことだって、あるのだ、ということを最近理解した。
 今日の報告書を仕上げると、足早に研究所を後にする。とはいえ、自宅も研究所の敷地内、寮だ。
 父の二人暮らしの部屋に戻る。
「ただいま」
 言いながらドアを開ける。玄関には既に父の靴があった。
「お帰り」
「ただいま、ダディ」
 リビングで新聞を読んでいた父親に微笑みかける。父親はいつもと変わらない和服姿だった。
 そのまま自室に入る。机の上の写真に微笑みかけた。
「ただいま、マミィ」
 殆ど記憶のない母親が、写真の中で微笑んでいる。
 荷物をベッドに放り投げると、その上に自分も倒れ込む。
 先ほどの、マオとの会話を思い出す。
 ケータイがきっかけになったのか、今日のマオは普通に話してくれた。そのことが、ほんの少し嬉しい、気がする。ただ、会話の流れがなぜ研究所のことだったのか。もっと他に話題がなかったのか。思い返して、自分にうんざりする。
 ないのだ。
 自分には、マオを喜ばせるような話題が思いつかない。彼女はなんだか興味深げに聞いてくれていたが、本当はマオにするような話じゃなかった。
「なくなっちゃえばいいのに、か」
 それはきっと、神山隆二も思っていることだろう。研究所の話なんて、わざわざ彼らにすることじゃない。
 だけれども、エミリには他に話題がない。今日改めて思い知らされた。自分の世界は、この研究所の中で完結している。狭い世界で。産まれてからずっと、ここの常識が世界の常識だった。
 それを、おかしいと思ったことは今までない。寧ろ、誇りに思っている。
 確かに、マオや隆二には迷惑をかけている。それでも、この研究所は社会に役立つ研究もたくさんしている。最近解禁になったある難病の特効薬だって、この研究所の研究成果だ。
 決して表舞台に立つことはないけれども、世界を裏から支えている。何万人も救えることになるのだから、多少の犠牲は仕方がない。
 それは本心だし、プライドだし、ずっとそう思っていた。
 でも、本当に?
 何万人も救えるのならば、数人を犠牲にしてもいいの? 本当に?
 最近なぜだろうか、このことを考えると心のどこかで疑問が沸き上がる。こんなこと、初めてだ。疑うことなんて、今までなかった。
 だって、研究所は正義だから。
 それがわたしの世界だから。
 ぐるぐるまわる思考回路に引きずり込まれそうになったとき、体に振動を感じる。下敷きにした鞄の中、ケータイが震えていた。
 とりだすと、隆二からのメールだった。おお、意外。使おうと努力している。
 開いてみる。
 タイトルが入ってないのはご愛嬌。本文、「ずつとききたかった。なんで赤い服きてんの。あと今度、ちいさいつのだしかたおしえて」
 平仮名が多いが、まあ彼にしてはなかなかだろう。このメールをうつのに何時間かかったか知らないが。
 返信をしようと思って気づく。まだ、続きがある。
 少しスクロールすると、何度かの改行のあと書かれていた。
「あときようすけのことは、気にしなくていいから。ほんとうに」
 どこかで、ひゅっと音がした。
 しばらくしてから、それは自分が息を吸った音だと気づいた。
 なんで、そんなことを。慣れないメールで、無駄な改行をいれるなんていう手間をしてまで、なんでそんなことを。わざわざ言ってくれるのだろうか。
 気にするに決まっているじゃないか。
 なんだかよくわからない感情が胸中を支配する。
 しばらくその文面を眺めていたが、一つ大きく息を吐くと、そのメールを保護した。戒めだ、これは。忘れないように。
 机の引き出しをあける。小さな箱の中に入れた、彼のプリクラ。捨てられないで大事にとってある。捨てられるわけがない。
 忘れないように。
 今はまだ結論が出ていないけれども、この前から胸を過るこの気持ちを大事にできるように。この前の、G016が脱走した事件から胸を過るこの気持ち。
 わたしは、正しいのだろうか?
 ふっと小さく笑った。自嘲気味に。
 悩んでばかりいて、最近のわたしはどうにも変だ。
 とりあえず今は、このメールに返事を打とう。そう決めると、ケータイに向き直った。

 

 ぴろろん、と音を立ててケータイが鳴った。
『隆二! ケータイ!』
 新しい玩具を与えてもらった子どものように、ケータイをじっと眺めていたマオが焦ったような声をあげた。
「ん」
 なんでもないように頷いて、それを手に取る。手が震えそうになる。
『メールね!』
 横から覗き込んだマオが言う。新着メール一件と出ている。
「えっと」
『その真ん中のボタン押せばいいんだよ』
「わかってるよ」
 本当にわかっていたってば。今押そうと思っていたってば。
 そう思いながら、真ん中のボタンを押す。
 エミリからの返事だった。開くとそこには長文がずらりと並んでいる。
 え、さっきメールしたばっかりなのに、もうこの量の返信を打ってきたの? そのことに愕然とする。
 若者、怖い。
 メールの内容は、小さいつの出し方を懇切丁寧に教えてくれていた。ただ、ところどころバカにしたような言い回しも確認できたけれども。
 そして、最後に書かれている。
「お尋ねの件ですが、赤いと三倍速いんですよ?」
 三倍速い?
『赤い彗星だったのか……』
 横からそれを見ていたマオが、驚いたように呟く。
 え、なんで伝わってんの?
 全く意味のわからない隆二をほったらかして、マオはなるほどね、なんて呟いている。だから何が? なにこれ、ジェネレーションギャップ?
 困惑している隆二の顔をどう判断したのか、
『お返事しといた方がいいよ』
 マオがくすり、と笑って言う。
『わかった、だけでも。小さいつ、使うしね』
 戯けたように付け足す。まったく、余計なお世話だ。
 そう思いながらも、なんとか苦労して、わかっただけのメールを打つ。
 ああ、なんだろうこの達成感に疲労感。頼むから、嬢ちゃん、これ以上今日はメールしてこないでくれ。対応しきれない。
『おつかれさま』
 マオが笑ったまま、隆二の頭を撫でる。なんだかバカにされている気しかしないが、今回は本当、バカにされても仕方がない気がするので何も言わない。代わりに、目の前のマオをじっと見つめる。
『なに?』
 見られていることに気づいたのか、マオが小首を傾げる。
『今日もマオは可愛いよって? 知ってるー』
「言ってない、一言も」
 両手を頬にあてて、巫山戯て笑うマオは、いつもどおりのマオだ。
 Gナンバーの消失。それはマオとはきっと関係ないのだろう。きっとそうだ。
 だって、マオはすでに規格外なのだ。こんなに自由気ままに動くのはGナンバーとしてはイレギュラーなのだと、最初の時にエミリが言っていたじゃない。
 だから消えるなんてこと、あり得ない。
 そう自分に言い聞かせる。
 それでも、
「……なあ、体調とかどうだ? 妙に眠いとか、そういうこと、ないか?」
 一応聞いてみる。
 マオは、急に変な質問をされた、とでも言いたげな不思議そうな顔をしながら、
『女の子はそういうときがあるってテレビでみたよ』
 とんちんかんな回答をかえしてくる。
 ……また、そういうことばっかり覚えて。
 うんざりため息をつく。
 テレビに教育を投げっぱなしな俺がいけないんだよな、きっと。ちょっとだけ反省。
『眠くはないけど、ねー、隆二。お腹空いたぁー』
 甘えたように喉を鳴らして、マオが隆二の右腕を軽く揺する。
「この前食べてなかったか?」
『でも空いたのぉ! だから、行ってくるね?』
 軽く唇を尖らせてそう言うと、隆二から離れようとするマオを、
「あー、ちょっと待て」
 引き止める。
 なにもないとは思うけれども、万が一なにかがあったら困るから。心配だから。という理由は隠して、
「俺も行く。コンビニ行く、ついでに」
 言い訳を付け足しながら立ち上がると、
『本当っ!? 一緒に来てくれるの? やったぁ!』
 マオの顔がぱぁぁっと華やいだ。


第三幕 愛猫フォトコンテスト

 エミリが報告にきてから二週間が経ったが、マオに特別変化は見られない。というか、マオの変化がよくわからない。
 過睡眠が兆候としてあげられる、と言われても、もともとよく寝ていたしなあ、だらだらと。
 そうまるで、猫みたいに。
 それは自分もだが。
 マオがテレビを見て、隆二が本を読んで、マオが飽きて隆二にちょっかいをだして、それを隆二が適当にあしらって。膨れっ面をしたマオがいつの間にか寝ていたり、気づいたら隆二も寝落ちしていたり、起きて気が向いてコーヒー飲んだり、マオが散歩に行ったり、コーヒーが切れて仕方なくコンビニに行ったり。それがいつもの、神山家の日常だった。
 神山家の日常は、いつだって怠惰で非生産的で、心地よい。
 いつだって眠り過ぎといえば眠り過ぎなのだ。だから違いなんて、わからない。わからないということは、きっと無い、ということだ。兆候なんて、無い。消えたりしない。
 最近の隆二は、ことあるごとにそう自分に言い聞かせて安心させている。安心、ということはつまり自分は心配しているのだ。不安に思っているのだ。そしてその度に、その事実にぶちあたる。
 脳裏をよぎるのは、あの言葉。
「理解してろよ、意識してろよ。目を逸らすなよ。ちゃんと考えてないとお前、後悔するぞ」
 呪いのように自分にまとわりつく、京介の言葉。
 いつだって見ないフリをしてきた。茜のことだって、京介のことだって、きちんと見ていたらもっと別の選択肢があったはずだ。
 だけれども、突きつけられる現実が怖くて、いつだって目を逸らしてきた。目先の快楽を選んで、未来の不幸を呼び寄せてきた。そんなこと、自分でよくわかっている。
 だからって、
「……じゃあどうすればいいんだよ」
 見ているだけじゃ駄目なのに、どうしたらいいのかわからない。
 口からこぼれ落ちた弱音に、自分で思わず嘲るような笑みを浮かべてしまう。
『んー? なんかいったー?』
 こちらを振り返ることなく、マオが尋ねて来る。視線はテレビに固定されている。
 マオの大好きな四字熟語シリーズとやらは、七転びヤオ君子まで無事放送が終了した。ただ、特撮版が終わったことにより、今度はアニメ版の再放送が、少し放送時間を変えて行われている。今だってマオは、アニメ版疑心暗鬼ミチコに釘付けだ。
「独り言。気にすんな」
『そー。ああっ、危ないっ』
 隆二の返答よりも、画面の中で背後から襲われたミチコの心配をする。思わず中腰になっている。
 その平和な姿に、思わず口元が緩む。大丈夫。ちゃんと見ている。ちゃんと見ている結果、判断している。マオは大丈夫だ。
 きゃぁっ! と悲鳴なんだか歓声なんだかわからない声をあげるマオは、ちゃんとここにいる。
 たっぷり三十分、わいわい騒ぎながら視聴を終えると、ふわりとスカートの裾を翻して隆二のところにやってきた。
 終わった途端、すぐこれだ。暇になった途端、構ってもらいにくる。気まぐれだ。
『ねー隆二ー』
 甘えるように、ソファーに座った隆二の膝に顎をのせて、上目遣いで告げる。
『お腹空いたー』
「また? テレビ見ていただけなのに、燃費悪いなお前」
 呆れて笑う。テレビを見ていただけなのに、すぐに空腹を訴えてくる。まあ、毎回毎回あんなに高いテンションでテレビを見ていたら、そりゃあエネルギーも消費しやすくなるだろう。
『だぁって、空いたんだもん』
「はいはい」
 マオはぷぅっとふくれたまま、隆二の膝から動かない。いつもならさらっと、行ってくるね! なんて言うのに、何か言いたげじっと隆二の顔を見ている。
「……なに」
 その視線の意味をおおよそ理解しながら尋ねると、
『……一緒に行こう?』
 小声で誘われる。そうだと思ったよ。
「……仕方ないな」
 しぶしぶそう言うと、マオの顔が一気に華やいだ。
 なんとなく、心配なことは心配だし。
『やった! お散歩!』
 浮かれたように宙を舞うマオの、すらっとした体つきを眺める。
 しかしまあ、よく寝て良く食べているのに、なんで育たないかなぁ。胸が。
 心底どうでもいいことを思った。

 

 最近の隆二の懸案事項はもう一つある。それがこの、手のひらの中にある小さな機械、携帯電話だ。
『慣れたー?』
 ソファーに座り、渋い顔でそれを睨む隆二の横で、マオがのんびりとした声で尋ねて来た。それに、無言を持って返事とする。くすり、とマオが笑った気がした。
『大丈夫だよー。メールもだいぶ、まあそれなりに、隆二にしてはちゃんとしてきたじゃん。打つのにすっごく時間かかってるけど』
「世間的には全然及第点じゃないってことだよな、それ」
『きゅーだいてん?』
「不合格だよな、ってこと」
『それはそうだね』
 しれっと答えられて、さらに渋い顔つきになる。
 隆二にしては珍しく、努力というものをしているのに、この有様だ。大体そもそも、この怠惰な性根を有する不死者は、頑張るとか努力とかそういうことが大の苦手だった。出来れば一生だらだらだけしていたい。
『たまの努力もスパイだよー』
 他人事だと思ってか、マオが楽しそうに笑う。
「スパイスな」
 なんで諜報員になるんだよ。
『ああ、それそれ』
「にしたって、効き過ぎだろ……」
 辛くて喰えたもんじゃない。
『ねー、それよりさ』
 初日からずっと、ケータイに興味津々のマオが横から覗き込みながら、
『そろそろ電話とメール以外のこともしてみようよ!』
「できるわけないだろ」
 そもそも、電話とメール以外になにができるのかもわからないのに。
『写真! 写真とろう!』
 マオがはしゃいだ声をあげる。まったく、どれだけケータイに興味津々なんだ。
「写真ー?」
 そもそもこれでとれるのか。あ、確かに良く見たらカメラのレンズみたいなのついているけど。
「やり方わかんないし」
『あたしがわかるから大丈夫!』
「なんでわかるんだよ」
『テレビとか見てたら大体わかるよ』
 どんだけテレビっ子なんだよだから。
「壊れたらどうするんだよ」
『大丈夫だよ、最近の電化製品はそう簡単には壊れないから』
「……昔の電化製品を知っているというのか」
 産まれたばかりのひよっこのくせして。
『えっと、あのね、その真ん中を押してメニューだして』
「無視か」
 言いながらも素直に言われたとおりにする。
『ほら、そこのカメラってやつ選択してー』
 マオがすらすらと述べていくとおりに操作していく。
「あ、本当だ」
 本当にカメラが起動した。
『真ん中押すとシャッターだから。ほらほら、とって』
 言いながら笑顔でピースサインするマオの方にレンズを向ける。案の定、ケータイの画面にはマオの姿は写らない。が、そのままシャッターを押してみる。かしゃっという音の後、保存しました、の文字。
『そこでもどって、ほらそれ、そのデータフォルダーってやつにはいっているから』
 さっきとった画像をひらく。写っていたのは、見慣れた赤いソファー、だけだ。
『……むぅ、写ってない』
 マオが不満そうに呟く。
「幽霊だからなー」
『心霊写真はぁー? ねー、心霊写真にはならないのー?』
「知るかよ、そこまで。マオ以外に幽霊の知り合いなんていないんだから」
『むぅ』
 心霊写真でなかったことがそんなに不満なのか。マオが頬をふくらませる。
『心霊写真とって、テレビに投稿したかったのに』
「……どんだけテレビっ子だよ、本当」
 生活の基軸がテレビなことに呆れて少し笑う。
『だってー、全国ネットぉー。テレビにでたかったー!』
「仮に心霊写真がとれていても、送り方わかんないし」
『エミリさんにやってもらうもん』
「……そんなことで嬢ちゃん頼るなよ」
 見返りが怖いじゃないか。
「それに、あんなピースで笑顔の心霊写真なんて怖くないだろ」
『だって可愛く写りたいもん!』
「なにがしたいの、お前」
 唇を尖らせるマオに、呆れたように言葉を返すと、
『……もういいっ! ちょっとやってみたかっただけだもん、隆二の意地悪っ!』
 何かが癇に障ったのか、ぷぅっとマオはむくれた。そのまま、ふぃっと壁を抜けて、隣の部屋へ消えてしまう。
「……なんなんだかねぇ」
 小さく呟く。よくわからないが、どうやら何か会話の仕方を失敗したようだ。今ひとつマオの考えていることや機嫌のスイッチがわからないのは性別の差か、年齢の差か。勝手に機嫌直しておいてくれるといいけどなー、機嫌とるの面倒だし、とひとでなしな事を思いながら、ソファーに座り直す。
 こういうやりとり、拗ねたマオのご機嫌をとる行為はとてつもなく面倒だが、でも僅かにどこか楽しい。それがまあつまり、一人じゃない、ということなんだろうな、と思う。
 ふっと小さく笑みが溢れる。
 認めたくないが、マオがきてから、種類や程度に差はあれど、笑うことが多くなった、と我ながら思う。一人じゃないから。
 ぼんやりとつけっぱなしのテレビを眺めていると、手の中でケータイが震える。ここに連絡してくる人なんて一人しかいなくて、案の定、表示は進藤エミリになっていた。
 ほんの少し、まだ緊張する指先で電話にでる。
「嬢ちゃん?」
「エミリです。今、良いですか? マオさんは?」
 言われて視線を動かすが、見えるところにはいない。隣の部屋で拗ねているんだろう。
「大丈夫」
「そうですか。ご報告があります」
「ああ」
「G011、それからG013が消えました」
「……そうか」
 ある程度予想していた用件に、溜息が溢れる。事態はどこかで動いている。
「G014もこの前から眠ったままで。おそらくは……」
 G014の次は、G015。では、その次は?
「……そうか」
「マオさんは、大丈夫ですか?」
「ああ」
「なら、いいんですけど。一応、ここまでのデータがでているらしいのに、なかなかこちに寄越さないからせっついています」
 忌々しげにエミリが告げる。研究班と仲が悪いとか言っていたな。その影響か。
「すみません。なにかわかりましたら、すぐに連絡しますので」
「ああ」
 今ひとつ頼りにならないが、頼るべきところはそこしかない。
「なにかあったら、いつでもいいので、連絡してくださいね」
 そのためのケータイですからね、携帯していてくださいね、と少し戯けて告げられる。それに少し微笑む。
「そういう冗談めいたことも、言うようになったんだな」
 ちょっと前には考えられないことだ。冗談を言うなんて。
 思ったままを告げたら、電話の向こうは急に沈黙した。
「嬢ちゃん?」
 奇妙に思って名前を呼ぶと、
「……エミリです」
 少し長い間のあと、そう返事がかえってきた。それからなんだか、忌々しげにエミリは続ける。
「わたしだって、多少は変わるんです」
「……別に悪いとは言ってないだろ」
 何をそんなに嫌そうに言うんだろうか。エミリはそれに答えず、ただ苛立のような溜息が一瞬聞こえた。
「ともかく、そういうわけですので」
 強い口調で言われる。
「ああ、わかった」
 まったくこっちの少女も、なにが地雷なのかわかったもんじゃない。軽く肩を竦めながら返事をする。
「それじゃあ失礼します」
「ああ……、ってもう切れてるし」
 早口で言ったエミリはそうそうに通話を終えたようだ。まったくどいつもこいつも自分勝手なんだから、と全力で自分を棚上げしたことを思いながら、隆二はケータイをソファーに置くと、軽く息を吐く。
 事態は動いているが、まったくもって何もわからん。
『エミリさんー?』
 唐突に左手からかけられた声に、驚いて視線をそちらに向ける。いつの間にか、マオがテレビの前に座っていた。まったく、いつの間に機嫌を直したのやら。
『ん、違うの?』
「……いや、そうだけど」
 自分で機嫌を直してくれたのはいいが、急過ぎるだろう。こっちの部屋にはいないものだと思って、安心し過ぎていた。
 マオにGナンバー消失のことを言うつもりはなかった。余計な心配をさせたくないから。言ったところで何かが変わるとも思えないし。
 なにかバレるようなこと言っただろうか。さっきの会話を思い返していると、
『隆二って、殆ど、ああとかうんとかしかいわないんだねー』
 おかしそうにマオが笑った。
 それを聞いて安心する。余計なことはマオの耳には入っていないようだ。
「ほっとけ」
 いつものように嫌そうに呟くと、マオがますます楽しそうに笑った。


第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.

『今さっきね! テレビで見たんだけどね!』
 いつものようにソファーで本を読みながら、気がついたら寝ていた隆二が、目覚めて最初に言われた言葉はそれだった。
 言ったのは当然、居候猫。
「……うん、またテレビの話な」
 っていうか、人の腹の上に乗るなよ。
 キラキラした瞳の近過ぎる顔をさりげなく片手で遠ざけながら、適当な相槌を打つ。
『心霊写真って、怨念とか思いの強さでできるらしいよ!』
 まだ諦めてなかったのかよ、心霊写真。
 喉まででかかった言葉を、なんとか飲み込む。先日、この話でマオの機嫌を損ねたばかりだ。地雷がそこに埋まっていることを知っているのに、わざわざ踏みに行くほど悪趣味ではない。
 にしても、幽霊が幽霊のことをテレビで学ぶなよ……。
『強い思いを抱くから、写真とって!』
 期待に満ちた顔でマオが告げる。
 とりあえず降りろ、と跨がったままのマオをどかすと、ソファーに座り直す。
「えっと、悪いけど一旦整理するな」
 起き抜けの頭をフル稼働させ、
「心霊写真を撮りたいと」
『そう!』
 隆二の正面にまわりこんで、マオが何度も頷く。
「で、テレビに出すんだっけ?」
『そう! 深夜の番組でね、募集しているの!』
「あー、そう。……採用されなくても文句言わないな?」
 どうにか上手いこと心霊写真がとれたところで、放送に使われなかったら使われなかったで、ぶーたれるマオの様子が手にとるようにわかる。自分の想像にげんなりしながら問いかけると、
『へ?』
 採用されない、ということはちっとも考えていなかったらしい。マオが間抜けな顔をする。それでも、隆二の呆れたような視線に気がついたのか、
『言わない! 約束する!』
 慌てたように告げてくる。
「約束なー。約束は守らなくちゃいけないからなー」
『大丈夫、守る!』
 念を押すと、力強く頷いた。ここまで言っておけば、いざそのときになっても、「約束」と一言呟くだけで静かになってくれるだろう。
「……わかったよ」
 しぶしぶ、テーブルの上においてあったケータイを持ってくる。まあ、どうせ暇なのだ、付き合ってやっても罰はあたらないだろう。
『いいの!? やった!』
 マオが本当に嬉しそうに笑うから、悪い気はしないし。
 ええっと、それでどうしたら。
 あれ以来カメラの起動なんてさせていないから固まっていると、
『ふぅ、あのねー、そこを押してー』
 マオがわざとらしくため息をついてから説明してくれる。悪かったな、覚えてなくて。
 なんとかカメラの画面を出すと、マオに向ける。
『待ってね、今集中するから』
 眉間に人差し指をあてて、むむむむっと難しい顔をしながらマオが唸る。
「……何やってんの?」
『強い思い!』
 強い口調で言われた。心霊写真に写るような強い思いって、そういうことだったっけな? もっと現世への執着心とか、そういうことなんじゃないだろうか。別に詳しく知っているわけでもないけど。
 ケータイ片手にそんなマオを見ていると、きっとマオが顔をあげた。
『今っ!』
 叫ばれて、慌ててシャッターボタンを押す。あ、ちょっとぶれたかも。
『どう? どう?』
 叫ぶと同時にしていたピースサインを降ろすと、マオが駆け寄ってくる。なんとかさっきとった画像を出すと、
「あ」
『おおっ!』
 かすかに手ぶれが感じられる赤いソファーの写真。その真ん中に、うっすらと、浮かれた顔でピースサインしているマオの姿があった。うっすらとしていて、透けていて、体を通して奥の景色が見える。しかもよく見たら、上半身しかなかった。下半身がぷつり、と切れている。マオのその、心底楽しそうな笑顔をのぞけば、怖い心霊写真といっても差し支えない、気がする。いや、考えようによってはこの満面の笑みは怖いか。
『やったね! 大成功っ! ありがと隆二っ!』
 歌うように言いながら、浮かれたマオがぎゅっと隆二の首筋に抱きつく。
「あー、まあ、よかったな。成功して」
『うんっ!』
 顔を離して、満面の笑みでマオが頷く。
 それから隆二からは慣れると、
『やっぱり強い思いを抱いているといいのねー!』
 くるくると楽しそうに宙を回転しながら言う。まあ、喜んでいるならなんでもいいんだが、ピースサインの心霊写真って、なんだよ。幽霊のスナップ写真か。
「強い思いって、なに考えてたんだ?」
 うっかり消してマオに怒られたりしないように、それ以上その画像をいじらないように気をつけながら、ふっと気になって尋ねてみる。
『賞金一万円っ!』
 マオが弾んだ声を出す。
「……賞金?」
『そー。採用されると一万円でねー。隆二にはいろいろよくしてもらってるし、あたしただの居候だし、バイトも出来ないからなにかないかなーってずっと思ってて。手に入ったら、隆二の生活にちょっとぐらい足しになるんじゃ』
 そこで、弾んだ声がぴたりと止んだ。くるくるまわっていた動きも止まる。後ろ姿のマオがゆっくりと振り返る。
『……聞いてた?』
 恐る恐ると言った感じで尋ねて来る。
「聞いてた」
 素直に一つ頷く。
 正直、驚いた。居候だからなにかしなくちゃ、とか、そんなこと考えていたのか。別に気にしなくてよかったのに。
 ちょっと意外で、どういう顔をしていいのかわからなくて真顔になってしまう。
 それをどう受け取ったのか、瞬時にマオの顔が真っ赤になった。
『違うのっ! テレビにでたかったの! それだけなのっ! 賞金とかついでなのっ! 別に隆二のためとかじゃないのっ!』
 あわあわと両手を彷徨わせながら、早口でマオが言う。
「え、あ、うん」
 こっちも事態の処理が追いつかなくて、適当な相槌になってしまう。それがますます、マオを慌てさせたようだ。
『本当っ! 違うんだからねっ!』
 恥ずかしいのかなんなのか。むきになって否定すると、
『お腹空いたからご飯食べてくるっ! エミリさんに写真の送り方聞いといてよねっ!』
 吐きすてるようにそう言って、ふいっと壁を抜けて消えていった。
 お腹空いたって昨日食べたばかりじゃないか。まったく、嘘が下手なんだから。
 思いながらも、気づいたら、知らずに口元が緩んでいた。それに自分でも驚きながら、片手で隠す。
 ああ、なんだ、可愛いじゃないか。
「ふーん、賞金ね」
 そんな風に役に立とうとか無理に考えなくてもよかったのに、と思う。だけれども、なにかしようと考えていてくれたことが、何故だろ、なんだか嬉しい。
「バカだなぁ、あいつ」
 ふふっと、らしくない笑いが溢れる。顔がにやけているのが自分でもわかって、我ながら気味が悪い。こんな緩んだ顔は絶対に見せられない。だから、気持ちが落ち着くまで帰って来るなよ、と居候猫に対して念を送った。

 

 マオが帰ってきたのは、たっぷり一時間後。Gナンバーのこともあるし、さすがに隆二が探しに行こうかと思った頃だった。
「遅かったな」
 心配していたことなんてちっとも見せずにそういうと、
『なんかお腹いっぱいにならなくてー』
 のんびり言われた。その設定、まだ守っているのか。
『あ、エミリさんに聞いてくれたー?』
「ああ」
 頷く。ちゃんとメールしてみたのだ。忘れているとマオうるさそうだし。
「次来たら、やってくれるってよ」
 メールで説明するのが面倒なので、と書いてあったことは忘れることにする。
『本当? やった、ありがと!』
 軽く手を叩き、マオが笑う。
「なぁ」
 その嬉しそうな顔に問いかける。
『ん?』
「もう平気なのか、嬢ちゃんのこと」
 ついこの前まであんなに怖がっていたのに。あの嬢ちゃんは研究所の中では、比較的、どちらかといえばまともな部類ではあるが、だからといって急に距離感を縮めすぎだろう、エミリさんエミリさんって。ちょっと前まで名前を聞くのも嫌がっていたのに。
『んー』
 マオはほんの少し表情を曇らせる。
『たまにやっぱりちょっと怖いけど。今、エミリさんがあたしに何もしないのは、そういうお仕事がないからであって、もしそうしろって命令されたら、エミリさんまた何かしてくるのかもしれないな、って思うことはあるけど』
「……ああ」
 それは否定できない。そして、命令に背けということを、エミリに願ってはいけない。それは踏み込んではいけない領域だと、弁えている。それが彼女の生き方なのだから。まあ、口八丁で説得もどきぐらいはするけど。
 それもマオは、恐らくなんとなくわかっているのだろう。決して賢い部類ではないが、勘が鈍いわけでもないのだ。
『だけど、でも、エミリさん、良い人だから。あたしと普通に話してくれるし、ケータイくれるし』
 ああ、やっぱりケータイのくだりは、影響力大きいんだな。幽霊にも使えるケータイあげるよ、とか言われたら、あっさり誘拐されるんじゃないだろうか、こいつ。
『あたし、研究所のことは大嫌いだしなくなっちゃえってずっと思ってるけど。エミリさんのことは嫌いじゃないよ』
 ほんの少しだけ、マオは微笑んだ。少し強張った笑みだけれども。
『隆二とね、テレビとね、このソファーと』
 一つずつ、指折り数えながら列挙していく。
『あと、それから京介さんの次ぐらいに、エミリさんのこと好き』
「……そうか」
 屈託なく言われた京介の名前に、一瞬どきりとした。現在進行形で京介のことを好きだと言う、マオの屈託のなさになんだか心が揺さぶられる。そうか、別に無理に過去の話にしなくてもいいのか。そんなことを思う。
 あと、テレビとソファーの順位高過ぎだろ。知っていたけれども。
『研究所は嫌いだけど、それとエミリさんは関係ないから、今は平気』
 マオは微笑んだまま締めくくる。
「そっか」
 変なこと訊いて悪かったな、と言いながらその頭を撫でる。くすぐったそうにマオが笑い、それでも素直に撫でられるままになっていたのが、
『ああっ!』
 突然くわっと顔をあげて大声をだした。
「うわっ」
 それに驚いて手を離す。
『大変っ! ミチコはじまっちゃうっ! 隆二、テレビ! チャンネル!』
 大慌ててテレビの前に座るマオに呆れながら、チャンネルを合わせる。
 なあ、さっきの好きランキング、やっぱり俺の上にミチコがいるだろ? そう問いかけたい衝動にかられる。ばかばかしいし恥ずかしいし、口にはしないが。自分の上には何もいないのが当たり前だ、と言っているみたいで、なんだか自意識過剰にもとれる。
 オープニングテーマを一緒に熱唱しているマオを呆れて見ながら、ソファーに腰をおろす。しばらくマオを眺めていると、ソファーに置いていたケータイが震えた。着信、進藤エミリの文字。電話ということは、さっきの無駄な質問とは関係ない、重要な用件ということだろう。
「嬢ちゃん?」
「エミリです。今いいですか?」
「ああ」
 さりげなさを装って、マオから離れ、キッチンの方に向かう。
「研究班から資料を奪いとったのでお伝えします」
 奪い取ったのかよ。
「ああ」
 冷蔵庫と棚の隙間に身を隠すように背中を預ける。こんなことしなくても、テレビを見ているときのマオが、隆二の会話に気をとめるとは思えないが。
「Gナンバーが消滅している原因ですが、原動力の回路に異常が発生したことです」
 エミリは淡々と言葉を重ねて行く。その冷静さが、今はなんだか安心できる。頭が冷える。
「Gナンバーの原動力はご存知のとおり、人の精気です。摂取したそれを存在維持に使う回が経年劣化といいますか。うまく処理できなくなってきたんです。人間でいうと、そうですね、消化器官に病気が見つかったようなものだと思っていただければ」
「ああ」
「もともと無理矢理作り出しているものですから、多少の齟齬がでてしまうのはしょうがないこと、だと研究班が言い訳していました」
「……しょうがないですますなよ、バカが」
「まったくです」
 本当に仲が悪いのだろう。身内のことでありながら、エミリが冷たく吐きすてた。
「原動力が上手く処理されない。エネルギーが上手く消費できなくなるんです。燃費が悪くなる、といいますか。だから眠って行動を抑制することになるんです。エネルギーの消費が最小限で済むように、と。あとは、食事の量が増えたり」
「……待て、今なんて言った?」
 聞き捨てならないことを言われた。
「食事の量が増える、と。……心当たりが?」
「……大ありだ」
 衝動に任せて舌打ちする。
 最近、こころなしか増えた気がする食事の回数。燃費悪いな、と揶揄したことを思い出す。さっきなかなかお腹いっぱいにならなくて、とか言っていたのも、家を出て行く言い訳じゃなくて本当のことだったのかもしれない。
「はやく言えよ」
 もう一度舌打ち。
「すみません」
「止めていたのは研究班だろう?」
 あっさり謝るエミリに、それはそれで拍子抜けしながら続ける。
 それに、気づかなかったのは自分の落ち度だ。ヒントに気づいていたのに、それを結びつけて考えることが出来なかった。
「ちょっとマオの様子見てくる」
 急に持ち上がった不安に、背中を離し、テレビの方を向く。
「……マオ?」
 そこに居候猫の姿はなかった。
「マオっ」
 鋭く名前を呼び、そちらに足を踏み出したところで、
『なぁにー。今テレビ見ているんだけれどー』
 マオの面倒そうな声がして、次の瞬間には、さっきと変わらない場所に座っているマオの後ろ姿が視界に入ってきた。
 突然現れた姿に、足が止まる。
「神山さん?」
 電話の向こうでエミリの怪訝そうな声。
 そこにいるはずのマオが、今、見えなかった。
 視認、できなかった。一瞬消えた。
 視界から。
 ぞっと肌が粟立った。
 存在が、揺らいでいる?
 視認出来なくなるほどまでに、存在が揺らいでいる。消えかかっている?
「マオ!」
 そのことに行き当たると、慌てて駆け寄り、その手を掴む。
 マオが驚いたような顔をしてこちらを振り向いた。
『え、どうしたの?』
「大丈夫か?」
『なにが?』
 不思議そうな顔をするマオに、どこか強張った笑みでなんでもないと告げると、少しだけ距離をとる。そして放置していたケータイを耳に当てる。
「どうかしましたか?」
 エミリの声がどこか焦ったように聞こえる。
「頼む、すぐに来てくれ」
 思ったよりもあっさりと、頼る言葉が口から出た。そのことに自分で驚く。ああ、自分が誰かをこんな風に頼るなんて。それも研究所の人間を頼るなんて。
「もうこの際だ、研究班も連れてこい」
 背に腹は代えられない。例え代償にどんな無理難題をふっかけられても、ここでマオを失うことに比べたら安いものだ。それだけはあってはいけない。
「何がありましたか?」
「一瞬、視認できなかった」
 一拍の間のあと、
「すぐに行きます」
 エミリがそう返事して、すぐに通話が切れた。
 エミリがきて、研究班もきて、それをどうマオに説明したらいいものか。ふっとそんなことが頭をよぎる。
 これ以上、起こっていることを隠し通すのは無理だろうか。
 腹立ち紛れに片手で髪をかきむしると、マオの方をふりかえった。
「……マオ?」
 こぼれ落ちた声が掠れる。
 さっきと同じ場所に彼女は居た。ただ、さっきまでと違うのは。
「マオっ」
 慌ててかけよる。
 いつの間にか、少し目を話した隙に、マオは丸まって眠っていた。
「マオ、マオ」
 揺さぶる。なんで起こすの! と怒鳴られてもいい。とにかく一度、目を覚まして欲しかった。
 テレビでは、疑心暗鬼ミチコがやっている。丁度、変身して戦闘の真っ最中だ。
 だって、ありえない。マオが疑心暗鬼ミチコの途中で眠るなんて、こんな一番盛り上がる場面で眠るなんて、そんなこと。あってはならない。
「マオっ!」



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