目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状

 てれっててーと軽快なメロディが部屋に流れる。テレビ画面に流れるスタッフロール。
『はー、今日も君子かっこよかったぁ』
 興奮のあまり浮かし気味になっていた腰をすとん、っとおろしながらマオが呟いた。
 ダイニングテーブルに頬杖をつきながら、隆二はそれを見ていた。
 三十分間のマオのお楽しみタイム、七転びヤオ君子が終わり、
『高嶋くんが、君子の正体に気づきそうになったときは、ドキドキしたわ』
「正体バレるとガチョウになっちゃうもんね」
『そうそう。本当、よかったー。っていうか、高嶋くんのことで君子を脅すなんて本当サイテー! 人の一番痛いところ、弱みに付け込むなんて!』
「悪いよねー」
『でも、高嶋くんと君子の関係はいつ進むのかなぁ』
「んーどうだろうね」
『君子は地球を守ることで忙しいから、恋愛どころじゃないんでしょうね。……でも、どうして君子がいる地域しか襲われないのかな』
「不思議だねー」
『君子がいない場所を狙えば一発なのに。なんていうか、あかさかよね』
「あさはかだね」
『んー、それにしても、君子ってあと何話分ぐらいあるだろう。富子短かったし』
「富子は半分の二十五話しかないからね。でも君子はその分長いから、七十話分ぐらいあるんじゃない?」
『じゃあ、まだまだあるのね!』
「基本、月曜から木曜の週四での再放送だからあと……、ごめん、計算できないけど、まだまだ終わらないよ」
『よかった! 君子まで終わったら寂しいもの』
 マオと京介が今日の君子の感想を言い合う。主にマオの発言に、京介が微笑みながら相槌をうつ。隆二は黙ってそれを見ていた。会話の節々につっこみたい部分が多々あったが、さすがに野暮なのときりがないので自重する。
「っと、こんな時間か。夕飯の買い出し行ってくるねー」
『今日のご飯はー?』
 時計を見て立ち上がった京介に、自分は食べないくせにマオが問う。
「今日は、サクサク衣のジャガイモ揚げ、トマトを添えて、だよ」
 大げさに言っているが、それ、コロッケとかだろ。そう思いながら、隆二は出て行く京介を見送る。
『隆二?』
 テレビも終わり、京介もいなくなり、暇になったマオが隆二の方へ向かってくる。そうして、隆二の顔を覗き込みながら、
『難しい顔してどうしたの?』
 こーんな顔だよ、とぐぐっと眉間に皺を寄せた。
『あ、もしかして、ヤマトいやなの?』
 ひらめいた、とでも言いたげな顔をするマオに、
「トマトな」
 冷静につっこんだ。それ、食い物じゃないだろ。
 京介が神山家に居着いて、数ヶ月が経過していた。七転八倒富子が終わり、七転びヤオ君子がはじまってもまだ、京介はこの家に居た。再放送のあと、マオと楽しそうに今日の君子談義をするのも、いつものことになっていた。別にそれ事態が不満なわけではない。ただ、
「あいつ、何しに来たんだか……」
 気味が悪いのだ。自分で全部お金を払いながら、家政夫のようなことをする。一体、京介になんのメリットがあるというのだ。
『隆二に会いにきたんでしょ?』
「会いに来てこんだけ長い間、ここに居る意味ってあるか? そもそも、なんで会いに来たのかもよくわからんし」
『訊けばいいじゃん』
「訊いてあいつがちゃんと答えると思うか?」
『ううん』
 さすがのマオもそこまで楽天的ではなかったようだ。首を横に振る。
『んー』
 マオはしばらく悩んでから、ぽんっと両手を打ち合わせ、
『あたし、探って来てあげる! スパイ大作戦! テレビで見た!』
 嬉しそうに言うと、隆二の返事もまたずに、すぃっと壁を抜けて行った。
「……大丈夫だろうな?」
 マオが消えた壁を見ながら、隆二は小さく呟いた。
 心配しか残らない。

 

『きょーすけさーん』
 背中に声をかけられた声に、京介は振り返ると小さく笑った。
「マオちゃん、どうしたの」
『お買い物、一緒にいい?』
「いいよ」
 マオは京介の隣をふよふよと浮きながら、その横顔をちらちらと見る。その視線に、
「どうかしたの?」
 問いかけると、マオは慌てたように視線を逸らし、
『べ、別に!』
 と、あからさまになにかありそうな返答をした。
 しばらくその状態が続いていたが、マオは、
『あのね!』
 意を決したように尋ねた。
『京介さん、何しに隆二の家来たの?』
 放たれたのは、まぎれもないストレートだった。
 京介は少しきょとんとマオを見つめてから小さく唇の端をあげる。
「隆二に聞いて来いって言われたの?」
『ええっ、ち、違うよっ』
 マオは慌てて両手をばたばたさせながら、
『あたし! あたしが気になったからっ』
 早口で告げる。
 嘘のつけない彼女の挙動に、京介は一度笑うと、
「俺はね」
 表情を引き締めて、告げた。
「約束を破るために来たんだ」
『ん? よくわかんないけど、約束は守らなくちゃだめよ?』
「まあそうだね」
 真顔で諭された言葉に苦笑する。そんなことは、わかっている。
『それで、約束ってなぁに?』
「それはいくらマオちゃんにでも教えられないな」
『えー』
 マオが頬を膨らませる。
「そうだなぁ、それだけで帰すのも悪いかな。マオちゃん、隆二に怒られちゃうもんね」
『そうだよ! この役立たずって隆二に』
 そこまで言ってマオは、はっと何かに気づいたかのように口を両手で押さえ、
『隆二は関係ないんだけどねっ!』
 強い口調で言い切った。
「うん、そうだね。ごめんごめん」
 あんまりいじめるのも可哀想になってそうフォローすると、マオが途端に安心したような顔をした。
『そうそう、隆二は関係ないの』
「隆二が関係ないのはいいんだけど」
 少しぐらいなら、何かを教えてあげてもいいだろう。隆二が京介の行動を訝しんでいるのは重々承知しているのだから、ヒントぐらいは出してあげよう。
「そうだな、これは言っておこうかな。俺はね、隆二が心配なわけ」
『心配?』
「そう、あとの二人のことは心配してないんだ」
『あとの二人?』
「仲間の。あの二人は不死者であることを受け入れているから。英輔は死なないってことは甘いもの食べ放題じゃん! とか言ってたし、颯太はなんか宇宙の研究を長いスパンで出来るとか張り切ってたし」
 マオは、甘いもの、宇宙、と言われた言葉を覚えるように小さな声で唱えている。だから、少し油断していた。
「……俺と、隆二だけなんだよ、受け入れられていないの」
 そんな言葉が思わず溢れ落ちた。
『俺と、隆二だけ……。ん?』
 京介の油断を嘲笑うかのように、マオはその言葉を聞き取り、なおかつその意味もしっかり理解した。
『……京介さんも受け入れられないの?』
 言いながら顔を覗き込むようなマオを、
「それよりマオちゃん、隆二ひとりだと寂しいから帰った方がいいんじゃないかな」
 笑いながら言うことで牽制した。
『え? 別に、隆二が寂しいなんて可愛いこと思うわけ……』
 言いかけたところで、はたと気づいたように、
『寂しいね、寂しいよね! 寂しいのはよくないよね! あたし、帰るね!』
 うんうんと何度も頷く。その顔には、はやく伝えなくちゃ、と書いてある。
『京介さん、お買い物付き合えなくてごめんね!』
「ううん、隆二によろしくね」
『うん、ちゃんと伝える。……じゃなくて、隆二は関係ないけどね!』
 などと言いながら急いで戻って行く背中を見送って、小さく微笑む。
 ああ、彼女は、なんて素直なんだろう。
 幽霊であるマオは他人には見えない。一人で空気と会話しているような京介に、周囲が微妙な視線を向けてくる。
 そんなもの、今更気にしない。今更そんなもの、どうでもいい。
「約束を破りに来たんだ」
 自分の言葉を反芻する。
 口にしてみれば、改めて胸に刺さった。ああ、そうだ、約束を破りに来たんだ。
「……ごめん」
 ズボンの後ろのポケットに手を伸ばし、そこに収まっているものを確認すると、小さく呟いた。

 

「約束を破るねぇ」
 マオから報告を聞いた隆二は小さく呟いた。約束を、破る?
『一応ね、約束は破っちゃだめよって教えてあげたけど』
 要らん世話だろ、それ。
『隆二、京介さんと何か約束したの?』
「いいや。俺、基本的に約束とかしないから。めんどうだから」
 契約ならたまにエミリ達と交わすが。それ以外に約束だなんて、せいぜい茜とした約束ぐらいではないだろうか。
 そんなことを思いながらマオを見ると、
「……待て、お前なにそんなににやけてる?」
 だらしなく相好を崩したマオがそこには居た。やや気味が悪い。
『え、だって、隆二あたしとは約束してくれたじゃない? それって、特別ってことでしょう?』
 当たり前のように、弾んだ声でマオが答える。ふふ、っと嬉しそうに笑う。
 ああそうか、一緒に学んでいこうというあれは、考えてみれば約束だった。
「……そうだな」
 隆二は小さく微笑むと頷いた。
 考えてみないとわかんないのかよ、とつっこむような人間はここには居ない。
『あ、あとね』
 思い出した、とマオは両手を叩き、
『京介さんは隆二が心配なんだって』
「は?」
 心配?
『えっとね、京介さんと隆二だけが、不死者になったことを受け入れられていないから、だっけな』
「いや、別に今更、受け入れられていないわけじゃ……っていうか、あいつも?」
『うん、京介さんも、って言ってた。あ! なんかはぐらかされた! 聞いたのに』
 膨れるマオ。
 それにしても、ここまで聞き出して来るとは思わなかった。適当に京介にあしらわれて終わりだろうと思っていた。
 ということは、京介はこのことを隆二に伝えてもいいと思っているということか。マオに、相手が話す気がないのに聞き出してくる能力があるとも思えないし。
「それで?」
『ん、えっとね。えーすけさん? は、死なないってことば甘いもの食べ放題! って言ってて、そーたさん? は宇宙の研究が出来るとか言ってたって』
「……何をしているんだ、あの二人は」
 うんざりして溜息。ああ、でも目に浮かぶ。
 甘いものを愛し過ぎている甘党の英輔は、甘い物さえあれば満足なのだろう。それはそれで、幸せなことだと思う。
 最年長で一番賢い颯太が、この永遠の時間を使って何かの研究をするということも、考えられないこともない。
 それに比べて自分はどうだ。毎日毎日だらだらとテレビをつけて、本を読んで、コーヒーを飲んで、居候猫をからかって遊んで。非生産的な生き方だ。
 確かに、その二人に比べたら、心配されても仕方がない。
「……なるほどねぇ」
 小さく呟く。
 なんとなく、あの二人のあとに自分のところに来た理由は納得できた。心配の種は最後にじっくりと、ということだろう。
 特に、仲間内で唯一、茜に会ったことがあるのが京介だ。茜が亡くなってから、京介がそのことを気にかけてくれていたのはわかっている。この前の墓参りの一件だって、あいつの差し金の部分が大きい。さぞかし心配かけていたことだろう。
 でも、茜の一件が解決してもなお、京介がここに居座る理由はなんだ?
「わけわからんな」
 結局、謎は何も解決していない。そのとこに溜息をつく。溜息をつきながらも、
「まあでも、マオ、ありがとな」
 思ったよりも上手く諜報の役割をしてきた居候猫の頭を撫でた。
 マオは心底嬉しそうに微笑んだ。


間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる

「私と恋仲になって、そして心中して」
 初対面で、彼女は、こともあろうかそう言った。
 正直、バカなんだと思った。
 ただ、その時の彼は、疲れ切っていた。住む場所も、仕事も、人間として暮らしていく肩書きも、全て失い、疲れ切っていた。
 だから,とりあえず彼女の話に乗ることにした。彼女の家で、衣食住の提供を受ける代わりに、家政夫のようなことをして過ごした。
 深入りするつもりはなかった。
 深入りしてはいけないと思っていた。
 それで失敗した友人を見ていたから。
 そもそも、今までも、まったく人とかかわらずにきたわけではなかった。それなりに人間社会に溶け込むようにして過ごして来た。恋人的なポジションで、付き合ってきた女性だっていなかったわけではない。
 ただ、本気になるのはどこかでおさえていただけで。
 そして、大体の場合は相手の方から別れを切り出して来た。本音が見えないとか、何か隠しているんじゃないのとか、そんな理由で。
 言えるわけがない。化け物だなんて。そんなことわかっていたから、彼だって割り切ってそこで別れてきた。最初から、割り切った付き合いだった。少なくとも彼にとっては。

 でも、今回は違った。殆ど自分の身の上は話していないのに、彼女はそのことを追及してこなかった。その場所に居る彼だけをありのままに受け入れた。
 子どもの戯れのように、
「キョースケは優しいね」
 と微笑み、
「だから大好き」
 とはしゃいだ声をあげる。もっとも、そのすぐあとに、
「だから心中して」
 なんて続けていたけれども。
 最初は、死にたがる彼女が放っておけないだけだった。だからずっと見ていた。
 そして、その過程で知ってしまった。ありのままの自分を肯定されることが、過去を追及されないことが、心地よいことなのを。
 深入りするつもりはなかった。
 深入りしてはいけないと思っていた。
 それで失敗した友人を見ていたから。
 なのに、何故だろうか。
 気づいた時には抜けられなくなっていた。深みにはまっていた。
 人間を愛してしまった。
 人間になりたい、と思ってしまった。
 そんなこと、できるわけないのに。ずっと一緒にいるなんてそんなこと、できるわけないのに。

 このまま一緒に居てはお互い駄目になる。そう思って、その場所から去ることを決意した。
 彼があの家から出る時、彼女は言った。
「絶対に帰って来てね」
 帰るつもりはなかった。帰れなかった。そんなこと、できるわけなかった。
 だから、旧友を尋ねることにした。彼ならどうにかしてくれるだろう。
 リュウジ、の名前を持つ彼ならば。
 同じ約束を受けた彼ならば。


第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない

『ころんでもぉー、またたちあがるぅー、そうよぉーわたしはぁぁぁ、ななころび、ヤオ! きみこぉぉぉ』
「……なんだその歌は」
 気持ち良さそうに歌うマオに、隆二は思わずつっこんだ。
 ソファーに座り本を読む隆二の膝の上に、寝転んだマオが両手で頬杖をついている。マオが来て最初のころは膝にのると邪魔だのなんだの言っていたが、言って聞かせても無駄なので最近は黙認している。
 仲がいいよねぇとかからかってくる京介も、今はどこかに出かけているし。
『ん? 君子の主題歌だよ』
 顔をあげたマオが、知らないのぉ? 不思議そうな顔をする。
「いや、それは薄々わかってたんだが」
 七転びヤオ君子とか言ってたしな。訊きたいのはそういうことではなくてだな。
『隆二も一緒に歌う? 教えてあげるよ?』
「いや、遠慮しておく」
『そう? 楽しいのに』
 などと言いながらも、マオはまた歌に戻る。
 今日も今日とて、神山家の日常はどこまでも怠惰で非生産的であった。
 京介がここに来た目的も、未だにわからないままだが、面倒なのであれから追及はしていない。今だって、「ちょっと出かける」と行き先も告げずにいなくなって、数時間経っているが、どこで何をしているかさっぱりわからない。だからといって、訊くつもりもない。どうせ答えないだろうし、面倒だし。
 神山隆二の性根は、とことん怠惰であった。
 マオのリサイタルはしばらく続き、隆二もしばらくそれをBGMに本を読んでいたが、
「コーヒー飲みたい」
 ぼそりと呟いた。思いついたら、今すぐにでもあの茶色の液体を摂取したい気分になった。彼はどこまでも思いつきだけで生きている。
 そうと決まれば、
「マオ、どけ」
 膝の上の、立ち上がるのに邪魔な居候猫をどかさなければ。
『えー』
 歌を邪魔されたマオが不満そうな顔をする。
「いいから」
『はーい』
 それでも素直に、ごろごろと寝返りをうつ要領でソファーから離れる。ソファーから三歩程離れた宙で、仰向けに浮かんでいる。
「どーも」
 一応礼を言ってから、台所に向かう。薬缶に水を入れ、火にかけ、インスタントコーヒーの瓶をあけ、
「……あ」
 そこに何もないことを確認し、固まった。
『どうしたの?』
「コーヒー切れてた」
『ありゃりゃ、残念』
「買いに行って来る」
 テーブルの上に放り出していた財布を掴む。
『京介さん、帰って来てないけどいいの? 隆二お出かけしちゃったら、京介さん入れないじゃん』
 未だに合鍵を作っておらず、隆二が出かけてしまえば鍵を持たない京介は部屋に入れない。そして、盗られて困るようなものはないとはいえ、京介のために留守宅の鍵を開けっ放しにしておくつもりなんて隆二には無かった。
「どこに行ってるんだか知らないが、あいつが遅いのが悪い。コンビニだし」
『じゃあ、あたしも行く!』
 上半身を起こしたマオに、
「お前は留守番」
 冷たく返した。
『えー』
「京介が帰って来たら待つように言っといて」
『コンビニでしょう? 近いでしょう? 大丈夫だよぉ、京介さんだって鍵開いてなかったら待ってるよぉー』
「何も言わないで出かけたら、いくらなんでも、あいつうるさいだろ」
 この数ヶ月でどれだけの小言を聞いたことか。うんざりとため息をつく。
 それからふくれっつらしたマオに、宥めるように微笑みかけた。
「すぐ帰って来るから。それで、京介戻って来たら、京介に留守番させて散歩でも行こう。お前、そろそろ食事摂った方がいいだろ?」
 マオはしばらく膨れっ面したまま隆二の顔を見ていたが、やがてしぶしぶ頷いた。
『約束ね?』
「ああ、約束する」
 隆二の言葉に、少しだけ口元を緩めてマオは頷き、
『じゃあ、待ってる。はやく帰って来てね』
「ああ」
 マオのためにテレビをつけてやると、隆二はコンビニに向かう。
『約束ね』
 マオはがちゃりと閉まるドアに向かって小さく呟いた。
 その口から、ふふっと笑みが溢れる。
『約束ね、約束』
 基本的に約束をしないという隆二との約束。小さな約束だけれども、これはやっぱり特別だということだろう。
 すっかり機嫌を良くして、鼻歌なんて歌いながらマオはテレビに向き直った。

 

 思ったよりも遅くなってしまった。
 京介は足早に、隆二の家に向かう。
 あまり遅くなると、何を言われるかわからない。怪しまれるかもしれない。
「この前、マオちゃんに探りいれられちゃったしなぁ」
 ぼやく。
 約束を破るためにここに来た。それは嘘じゃない。けれども、それを実行に移す決心がなかなかつかず、長いことかかってしまった。本当は、こんなに長いこと、ここにいるつもりはなかったのに。
 流されやすくて情にもろくて、日和見主義なのは昔からだ。平和な生活は心地よくて、ずるずるとこのままでいいかと思ってしまう。それで失敗したというのに。
 でもそれも、今日で終わりだ。
 ソレを入れたトートバッグを、ぐっと握る。
 ここまできたら引き返せない。実行に移すならすぐに。はやくしないと止められてしまうかもしれない。
 覚悟なんてあの場所で決めてきた。もう迷わない。
 それでも隆二の家まで戻り、そのドアを開けようとしたときには手が震えた。
 一つ深呼吸。
 落ち着こう。動揺しているところを見せちゃいけない。
「よしっ」
 平常心を取り戻し、いつものような笑顔を浮かべて、ドアノブをひっぱり、
「あれ?」
 ドアは開かなかった。
 合鍵なんてものを持っていないから、隆二か京介、どちらかが必ず家にいて、家にいるときは鍵を開けっ放しにしていることが多いのに。
 仕方なしにチャイムに指を伸ばす。そこから、腹立ち紛れに連打した。
 せっかく覚悟を決めたのに、なんというか、出鼻をくじかれた気分だ。なんでこう、いちいち人の神経を逆撫でするようなことするかね、あいつは。
 返事はない。テレビの音はするから、いるとは思うんだが、居留守か。
『京介さん』
 そう思っていると、ひょいっとマオがドアから顔を生やした。
「マオちゃん」
『ごめんね、隆二、今お出かけしてるの』
 本当にすまなさそうな顔をマオはする。
『コンビニだからすぐ帰ってくると思うんだけど』
「あーそう。そっか」
 コンビニ行くのに律儀に鍵かけていくなよ。どうせ盗まれるようなもの持ってないくせに。
 仕方ない、帰って来るまで待つか、とドアに背を預ける。
『ごめんねー』
「マオちゃんが悪いんじゃないよ」
 そう言って微笑みかけ、
「あ、そっか」
 気づいてしまった。
 何もここで隆二を待つ必要はないじゃないか。隆二が居ない、それは好都合じゃないか。
『京介さん?』
 不思議そうなマオの声。
 握った鞄。
 今ここで、実行に移そう。それが一番、賢いやり方だ。
「マオちゃん」
 上半身だけドアから生やした、マオの手を掴む。
『……京介さん?』
 訝しげなマオの声。
 怯えさせてしまうことは本意ではない。それでも、どこか顔が強張ってしまう。
「ちょっと付き合って欲しいんだけど。外行こう?」
『えっと。でも、あたし、お留守番してないと。隆二と約束したから』
 マオが困ったような顔をする。本能的に何かを感じとったのか。軽く身を引き、京介から距離をとろうとするのを、
「なんで俺がここに来たのか、説明するよ」
 ずるい言葉で引き止めた。
「俺がここに来た理由、隆二知りたがってるんじゃない?」
 これじゃあまるで、君子に出てくる悪人だ。マオにとって一番魅力的に聞こえる言葉で誘惑する。
「教えたら、隆二が褒めてくれるかもよ?」
 マオは少し躊躇ったあと、
『ちょっとなら、いいよ』
 頷いた。

 

 コンビニの袋片手に、足早に隆二は家を目指していた。
 まさか家から一番近いコンビニが改装工事中だとは思わなかった。そして、足を伸ばして遠いコンビニまで行ったら、久しぶりにあのオカルトマニアの店員に会うし。
 話なげえよ。あんたが新しく買った吸血鬼小説が面白かった話なんかどうでもいいんだよ。っていうか、オカルトマニアだとしてもなんか、どっかずれてるんだよ。なんで本物の吸血鬼、と思っている人間相手に吸血鬼小説の話をつらつらとできるんだよ。もっと他に話すことあるだろ。
 などと、脳内で怒濤のツッコミを繰り広げていると、
「神山さん!」
 背後から声をかけられて振り返る。予想どおりの赤い色にうんざりする。道ばたで話しかけるな、赤くて恥ずかしいから。
「よかった、今からお宅に伺うところで」
「何? 嬢ちゃんってば、またなんか逃がしたの?」
 からかうように言っても、意外なことにエミリは抗議の言葉を述べなかった。お決まりの名前の訂正もない。
「神野さん、まだ、いらっしゃいます?」
 慌てたように放たれた言葉に、少し面喰らう。
「あー、帰ってるかな? でかけてたけど。何、京介に用?」
 エミリは一度息を整え、その青い瞳でじっと隆二の顔を見つめる。
「落ち着いて聞いてください」
「なに?」
 何を言い出すのか。少し身構えると、エミリは慎重に言葉を発した。
「エクスカリバーが盗まれました。恐らく、神野さんの仕業です」
 その言葉の意味を認識するまで、少しの時間を要した。
 エクスカリバーが盗まれた?
 理解すると同時に、振り向き、家に向かって駆け出した。
「神山さんっ」
 エミリが叫び、後をついてくる気配がする。
 エクスカリバーは実験体の抹消に使われていた武器の通称だ。
 実験体、つまり、隆二や京介や、マオを。
「昼間に! 研究所にいらっしゃって!」
 背後からエミリの声がする。少しだけ速度を緩めて、その言葉に耳を貸した。
「京介がか?」
「はいっ。それで、様子が変で。うまく、言えないんですけど。帰られたあと、保管室の人間が倒れているのを発見して、それで」
「中を見たらなかったってことか」
「はい」
 息を切らしながらエミリが頷く。
「……なにに使うつもりだと思う?」
「わかりません。わかりませんけれども、でも」
 エミリがそこで言葉を切った。
「そうだよな」
 今ここらにいる実験体に該当するのは、隆二とマオだ。
「……マオにも、勿論?」
「効果があります。あるはず、です」
「先に行く」
 それだけ聞けば十分だった。それ以上は聞けなかった。
 エミリを残し、全速力で駆け抜ける。本気で走ったら周りの人間から不審がられる。そんなこと、今はどうだっていい。
 ぎしぎしとうるさいアパートの階段を三段飛ばしで駆け上がり、乱暴に鍵をあけ、
「マオっ!」
 叫びながら部屋に入る。
「マオっ」
 靴を脱ぐのがもどかしくて、そのままあがった。
 つけっぱなしのテレビから、能天気な音楽が流れる。
「マオ!」
 狭い家の中に、居候猫の姿は見えない。
 焦燥感が募る。
 隆二が遅いから勝手に出かけたのかもしれない。でも、帰って来たら出かける約束をしていた。マオがそれを待たずに出かけるわけがない。
 マオは自分と違う。約束はきっちりと守るタイプだ。
「っち」
 舌打ちすると、持っていたままだったコンビニ袋を腹立ち紛れに投げつける。
 外を探さないと。
 振り返り、ドアに向かったところで、
「神山さんっ」
 息を切らしながらエミリが現れた。邪魔だったのか、赤いベレー帽は片手に握られている。
「マオさんはっ」
「いない。京介も」
「……探すの、手伝いますっ」
「頼む」
 背に腹はかえられない。素直に頷くと、部屋から出る。ドアを後ろ手で閉める。
「神山さん」
 そこでエミリに袖をひっぱられた。
「なに?」
「これ」
 エミリが指差す先、ドアの新聞受けに、一枚の紙が挟まっていた。見覚えのないそれを、慌てて引き抜く。
 少し神経質そうな文字が踊っていた。
「隆二へ。ごめん、マオちゃんを預かりました。返して欲しかったら、夜九時、公園まで来てください。ごめん。追伸、ごめん、エクスカリバーもっています」
 そこに書かれていたのは、謝罪にまみれた誘拐犯からの手紙。
「あんの、馬鹿野郎っ」
 くしゃり、とメモを握りつぶした。


間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず

 彼は自分の同類だと思っていた。
 恋人に帰って来ることを要求され、その約束を果たせない。果たさない。
 自分達は同類だと思っていた。
 ここから先の永遠の時間、お互いに、その約束にとらわれ、縛り付けられ、生きていくのだと思った。思っていた。
 でも、違った。あの人は待っていた。約束どおり、待っていた。
 あの二人の絆は、決して切れていなかった。
 彼が化け物でも、逃げ出しても、帰ってこなくても、自身の命が消えても、あの人はそんなことじゃ揺らがなかった。それすらも受け止めて、待っていた。
 揺らいだのは自分の心だった。価値観だった。人と化け物との間に生まれた絆もちゃんとあるのだと、知ってしまった。
 そして彼には、新しい同居人。それなりに、うまくやっているようだった。新しい同居人は、あの人よりも強いから、彼がまた道を誤ることはないのだろう。彼が一人になることは、きっともうないのだろう。そう思えた。

 同類だと思っていた。自分と同じだと思っていた。
 でも違った。
 過去に縛られているのは、今や自分だけ。彼は、先に進んでいる。進もうとしている。
 そんな彼を見ていると思ってしまう。自分もうまく出来るんじゃないかと。自分だってあの場所に帰ったら、もう一度上手く、生活出来るんじゃないかと。期待してしまう。夢を見てしまう。
 でも、泣いていた彼女の顔がちらつく。
 戻れない。
 約束してしまった。帰って来たら一緒に死ぬと。でも、彼女には生きていて欲しい。
 それに自分は、彼とは違う。化け物であることを、打ち明けられない。今までも、これからも。
 だから、約束は守れない。
 だから、帰れない。
 だから。

 だから、頼む。リュウジ。



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