目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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間幕劇 Has the cat got your tongue?

「約束を、して」
 彼女は言った。
 彼は腕を組み、彼女ではない方向を見ながら聞いていた。
 彼女はそんな彼に構わず、続ける。
「人は簡単に『もの』になってしまう。だから貴方は、誰も殺さないと、自分も殺されないと約束をして」
 彼女の言葉が耳に痛い。耳をふさぎたい衝動に、寧ろ耳を千切り取りたい衝動にかられる。その衝動を必死で押さえつけ、それでも彼女を見ることは出来なかった。
「決して生きた屍にならないで。貴方は生きていて。どんなにめちゃくちゃでもかっこわるくても構わないから、生きていて」
 それはなんだか、一生の別れのようにも聞こえた。
 それは彼女も覚悟をしていると言うことなのだろうか。このまま二度と逢えないことを。
「それから、」
 彼女は微笑んだ。
「私は此処で待っています。ずっとずっと。だから……」
 彼女は彼の頬を両手で挟むと、無理矢理自分の方を向かせる。彼は体勢を崩し、片手を畳の上についた。
「だから、絶対に帰ってきなさい。いつになっても構わないから」
 彼が何も言えないでいると、彼女は額を彼の額に押しつけた。
「……約束ぐらい、しなさいよ」
 その声がかすれたようなことに気づく。彼女がそんな風に物を言うときは、泣くのを我慢しているときだと言うことを彼はよく知っていた。
 いつもいつも、彼女にはそんな気持ちばかり抱かせている。
 また泣かせてしまうのは忍びなくて、こちらも少し押し殺した声で返した。
「……ああ」
 彼が小さく呟くと、彼女はそっと彼の額に唇でふれた。
「約束、だからね」
 そのまま、自分よりも頭一つ分は高い彼の頭を抱える。彼は抵抗しない。軽く目を閉じる。
「……ああ」
「帰って、きなさいよ。待っているから」
「……ああ」
「本当に、わかっているの?」
「……わかっては、いる」
 彼の言葉に含まれた意味合いに彼女が気づかなかったはずがない。
 彼女は今までだって、彼の言葉の裏を簡単に読んでいたのだから。けれども、彼女は何もそれについては触れなかった。
 ただ、またかすれた声で言った。
「……ずっとずっと、待っているからね。ずっとずっと……。ねぇ、――」
 そうして、彼女だけには教えた彼の本当の名前を呼んだ。
 その懐かしい響きに、彼は小さく唇を噛んだ。本当に今生の別れだと思ったから。
「待っているから……」
 そして、彼女は歌った。頭の上から聞こえてくる、心地よい歌声に彼は目を閉じた。
「指切り拳万、嘘吐いたら針千本飲ます」
 いつまで経ってもどこか子どもっぽいところのある彼女は、何か約束事をするときに必ず指切りをした。
 最初に指切りを求められたときは、どうしたらいいかわからずにどこかくすぐたかったが、いつの間にかそれにもなれて、どこか心地よさを感じるまでになっていた。
 けれども今は、断罪の言葉に聞こえる。
 彼女は人を責めたりしないと知っているのに、そう聞こえる。
 そして、決して指を絡めることなく彼女は歌い終りを告げた。

「指きった」
 

 結局、彼女には二度と会えなかった。
 否、逢おうとはしなかった。
 自分は嘘吐きだ。針を千本飲まされても文句は言えない。
 いや、もし今彼女が目の前に現れて、針を飲ませようとしたならば、拒みはしない。
 むしろ、喜んでそれを飲み込もう。
 彼女に会えるならば、針を飲み込むぐらいなんでもない。
 決してかなわぬ夢であることは重々承知である。


第七幕 居座り続ける居候猫

 さよなら、と自分は言った。
 そうやっていった自分を、彼はひきとめてくれた。彼はそのとき、怒っていた。
 あんな風に怒ってもらったのも初めてだなぁ、と思う。
 怒ってまで自分を引き留めてくれただなんて、考えてみればとても嬉しいことじゃないか。
 そう、だからあたしは彼のところに帰らなくちゃ。
 そうして、恩返しとお詫びをしなくちゃならないんだもの。恩返しとお詫びが出来るなんて、なんて素敵なことなんだろう。
 彼はそうやって、あたしに居場所を提供してくれる。

 ……でも、どうして、どうして、急に体が動かなくなってしまったんだろう。この先で隆二が待っていてくれているのに、
 はやく帰らなくちゃ……。
 だから、ねぇ、隆二。
 行かないで。
 待っていて。
 お願いだから、あたしを置いていかないで!


 マオがうっすらと目を開けたとき、最初にうつったのは、あの赤いソファーにもたれてとてもつまらなさそうな顔で本を読む隆二だった。
『……隆二?』
 夢かも知れないと思って声をかける。
 だって、どうして彼が自分の目の前にいるのだろうか?
 隆二は目を開けたマオに気づくと、つまらなさそうな顔はそのままで言った。
「おはよう、マオ。いや、もうおはようじゃないか?」
 時計に視線を移した隆二はどうでもよさそうな声でそういう。
 視線をそれに移したら、午後一時をさしていた。
「大丈夫か? なんかお嬢ちゃんに変な銃で撃たれていたが」
 隆二はまたつまらなさそうな顔のまま、マオに尋ねる。
 その顔がわずかに心配そうにゆがめられているなんていうのは、自分の都合のいい思いこみだろうか?
 自分の置かれた状況を確認する。視界に入る赤。マオの大好きな、隆二の家の、赤いソファー。
 少し混乱している記憶を整理する。
 そうだ、あのとき自分は撃たれて……、そして、どうして今、隆二の家にいるんだろう? その間に一体何があったのだろう?
『……隆二、あれから何があったの?』
「死闘の末、全員を無事気絶させて、とりあえず知り合いに丸投げしてきた」
 始終一貫してつまらなさそうにそこまで言うと、隆二は再び視線を本に移す。
 ゆっくりと時間をかけてその言葉を理解し、呟いた。
『それじゃぁ……、あたしは』

 言ってしまうとそれはまるで消えてしまうかのように、マオはゆっくりと慎重に、問う。
「マオ?」
 隆二が本を閉じて、マオを見る。
『あたしは、まだここに居ていいの?』
「ん? ああ」
 その台詞に多少面食らったように、隆二が頷く。
「だからなんで駄目だって思う」
 隆二はそこまで言って、言葉を切った。
 マオの顔が何故か泣きそうなぐらい歪んでいたから。
 どうしたのだろうか?
 また自分は何か、まずいことを言ってしまったのだろうか?
 また何か、彼女を泣かせるようなことを言ってしまったのだろうか?
 そう思った次の瞬間には、隆二はマオに抱きつかれていた。

『ありがとう』

 ほとんどすすり泣くかのような声でマオは言う。
『ありがとう。守ってくれて、助けてくれて、待っていてくれて』
 小さな声で、何度も何度もマオは呟く。
「……別に」
 そういうものの、自分はなんだか酷く優しそうな声をしていると思った。無意識のうちに、マオの頭を撫でていた。
『だけど、ありがとう。もう、迷ったりしないから。もう二度と、消えることを選択したりしないから。存在を維持していくためならば、どんなことでもする覚悟だから』
 隆二の肩に顔をおしつけるようにしているからマオがどんな顔をしているのかわからない。少し顔を動かせば分かることではあるが、何故か隆二はそうする気が起きなかった。
『だから、ずっと、ずっとここに置いていて。あたしが、何か出来ることがみつかるまで。……できれば、見つかってからも。お願い……』
「ああ。むしろ、それは俺のほうからもお願いしたいな。きっと、人生が愉快そうだ」
 少し笑いながらそういうと、マオも顔をあげて小さく笑った。
 それから、隆二の姿を見る。あちらこちらに傷痕があり、包帯の巻かれた体。
『……痛い?』
「いいや。……すぐに治るさ」
 安心させるように微笑む。自然とそう答えていた。
『……あの人、また、来るかな?』
「いや、それについてはまた別の」
 ピーンポーン。
 隆二の言葉を遮るようにチャイムがなる。
 マオがおびえたように隆二を見る。慌てるマオを片手で制す。
「大丈夫。多分、解決編のはじまりだから」
 そうして笑ってみせると、玄関に向かう。
 ドアをあけ、そこに立っている人を見ると口元に笑みを浮かべた。ほらやっぱり。
「昨日はどうも」
「いいえ、こちらこそ」
 昨日、倉庫に来た男性が笑っていた。

 

 隆二は来客をダイニングに通す。
 突然現れた和服を着た男性に事態が把握できず、しばらくマオはその人を見ていたが、男性が彼女の方を見て会釈したところ、慌てた。
『隆二、もしかして、その人!』
「あ~、大丈夫だから落ち着け」
 意味もなく手足をばたばたさせるマオの手をひっぱって、自分の隣に座らせると、来客を目で示しながら言う。
「確かにこの人は研究所の人間だが、研究所の人間には珍しくとても話のわかってくれる人だから大丈夫だ。昨日も助けてもらったし。なぁ、おっちゃん?」
 そういうと正面に座った来客は苦笑した。
「相変わらず辛辣ですね。それから、そちらのお嬢さん、マオさんでしたか? 今のお名前は。心配しないでください。わたしは別に争いに来たわけではありません。ただ、昨日の娘の不作法な行いのお詫びと、それからこちらの今後の方針を話しに来ただけなので」
 ゆっくりと相手の言葉を理解し、
『ええっ!?』
 マオは大声をあげて来客を指さした。
『え、娘って娘って、あの人の父親っ!? 赤いのの!?』
「お前、結構失礼だぞ」
 隆二が横目でマオを睨んでたしなめる。
『え、でも、だって、似てないっ! 顔とか髪の色とかもあるけど、なんていうか性格が! 空気が似ていないっ!』
「ああ、それは俺も思う。どうしたら、おっちゃんの娘があんな破天荒な性格になるのか、不思議でしょうがない」
 隆二とマオでよってたかってそういうと、エミリの父親、和広は困ったように笑った。
「そういわれましても……。恵美理はどちらかというと母親似ですし、外見はわたしの父似なんですよ。無鉄砲な性格は、わたしの母譲りですしね」
 そういってから、顔を引き締める。
「それよりも、昨日はうちの娘が本当に失礼なことを致しました」
「いいって、いいって」
 隆二は手をひらひらと顔の前で振った。
「結局、俺らの勝ちなわけだし、そんなにたいした被害もなかったから」
 マオが何かを言いたそうな目で見てくるのを無視する。
「ですが、けがもされたようですし」
「別にすぐ治るって。っていうか、おっちゃんに謝られてもねぇ。おっちゃんは責任感強すぎ」
 昔からそうなのだが、隆二には和広に責任を押しつけると言うことが出来なかった。
『隆二は責任感がなさすぎだわ』
 マオが横でぼそりと呟く。
「お前が言うな」
 マオの頭をはたく。
 文句を言ってくるマオを無視して、和広に向き直る。
「昨日は悪かった。急に呼びだして」
「いえいえ。寧ろよかったです。恵美理はどうにも暴走するところがありますし」
「祖母にそっくりの、なー」
『呼び出したの?』
「あーほら。コンビニの人に電話借りただろ? あの時」
 菊の家から電話をかけたのが和広だった。研究所の人間で唯一信頼出来る人間。寧ろ、神山隆二が唯一信頼出来る人間といっても過言ではない。
「本当はマオさんがいる先が神山さんのところだとわかった段階で、恵美理は研究所に一度連絡をいれるべきだったんです。それをあの子は、逃げられたことに腹をたてて一人で暴走して」
「途中で増えたしなー」
「増援に呼ばれた彼らは新人だったので、適当に言いくるめられたのでしょう。まったく、男親は駄目ですね。特にあの子は妻の忘れ形見ですし、ついついわたしも甘やかしてしまって……」
 そこでマオが説明を求めるように隆二を見た。
 おそらく、彼女が考えていることは当たっているだろう。隆二は一つ頷いて見せた。
 和広の妻、つまりはエミリの母親は、エミリが小さい頃に他界したと聞いた。
 もし生きていたなら、また話は違ったかもしれないのに、と時々思う。
「いずれにしてもけが一つ無く、恵美理を諫めてくださってありがとうございました」
 頭を下げる。
「あんまり人にけがをさせるなって、言われているんでな」
 なんとなく居心地が悪くて、ぶっきらぼうにそう答えた。
「……そうですか」
 和広は一瞬何か言いたげに口を開いたが、すぐに当たり障りのない言葉を言った。
 ふと、この人はどこまで知っているのだろうか? と思った。直接は知らなくても祖母から、あの死神から、過去の話を聞いたことでもあるのだろうか。
「そういえば、嬢ちゃんが増援で呼んだのがおっちゃんじゃなかったのはちょっと意外だったな」
 そうしたらもっと早く話が解決しただろうに。
「今はこうやって事後処理をするのが仕事なんです。もう、走り回れるような体力は残っていませんし」
 台詞の後半で和広は苦笑した。
 その笑い方と台詞に、和広が老いた事を実感し、隆二はまた置いていかれたような気分になった。誰かが年をとったことに気づくといつもなる、あの気分。
 それを悟られないように勤めて明るい声で言う。
「へぇ、それはおっちゃんにぴったりだな。まさに天職?」
「…… そうですね。わたしがこういうことを言うのも問題だとは思うのですが、わたしたちの研究所には血の気の多い人が多すぎます。わたしはあまり争いごとは好きではありません。話し合いで解決できるのがやはり一番だと思います。そういう意味ではこういう仕事はぴったりですね」
「あの研究所にもおっちゃんみたいな人が増えてくれたらおれは非常にやりやすいんだが」
 小さくため息。
「それで、事後処理は無事に終わった?」
 隆二の言葉を聞き、マオも心持ち体をこわばらせて和広の顔を見つめる。
「ええ、そうですね。どちらかというとこちらが本題です」
 和広はそういうと、居住まいを正し二人を見る。
「昨日のことを一通り報告しました。まあ、多少、神山さんに有利になるように情報を操作したことは否めませんが」
「いやいや、ありがたい」
「結果、今後のこちらの方針と致しましては、神山さんというかつての……こういう言い方をしてしまうことをお許しください。かつての実験体と現在研究している実験体のマオさんとが出会うと言うことは極めて稀であります。また、マオさんは……、こういう言い方をしてしまうことは非常に失礼なのですが、こちらから見ればかなり異質な存在です」
『異質?』
 マオは不愉快そうな顔をする。
「らしいぞ」
 その言葉に隆二が答える。
「お前ほど自我が確立していて、また感情が豊かなのは、嬢ちゃんに言わせれば失敗作らしい」
『……失敗作、かー』
 自嘲気味にマオは言う。
「あの子はそんなことを言いましたか……」
 和広は眉をひそめる。
「すみません。マオさん、そんなに気にしないでください。わたしたちに貴女を失敗作だという資格はありません。……そもそも、本当は神山さんにもマオさんにも謝らなければならないのですから」
 和広は頭を下げる。
 しばらく沈黙を流れたが、マオがそれを破った。
『でも、あたしは作ってもらえて嬉しいわ。それから、こういう事をいうと自分勝手に聞こえるかも知れないけれども、隆二が不死者でよかった。そうじゃなかったら、例えあたしが作られていてもここにこうしていられなかったんだもの。……そうなよ、あたしがここに今いるのは凄い偶然の連続だと思わない!?』
 急に思いついたのか、マオが大きな声で嬉しそうに仮定の話をはじめる。
 一つ事例を挙げるたびに、一つ指をたてながら。
『もし、あたしが作られなかったら、根本的にあたしは存在しなかった。もし、あたしに感情が無かったら逃げ出さなかった。もし、隆二が居なかったら、もし、隆二に幽霊が見えなかったら、もし、隆二に会わなかったら、あたしはとっくの昔に捕まって消されていた。もし、隆二がただの人間だったら、あたしを助けてなんてくれなかった。他にもきっといろんなことがあって、あたしは今ここにいるのよ! ねぇ、これってすっごい偶然の重なりだと思わないっ!』
 自分のその発見が嬉しいのか、頬に手をあてて、とても楽しそうにそういう。
 和広は少し驚いたように目を見張って、隆二はあまりに“マオらしい”態度に微笑んだ。
「そうだな。確かに、マオの言う通りだ。もし、マオの存在が生み出されることがなければ、俺は未だに独りでだらだらと存在しつづけていただろうな。それを悪いとは言わないが、だが、今の方が楽しいことに違いはない」
「ですが」
 何か言いかけた和広を遮り、
「ま、だからな、おっちゃんがそんなに気にすることはない。それに、俺が咎めたいのは俺らをつくったじいさん達であっておっちゃんではない。そして、じいさん達はもう逝っちまったんだろ?」
 軽く肩をすくめる。そして、まるで聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるように続けた。
「つまりおっちゃんが気に病む必要はない。違うか? もっと言うならば、気に病む必要性の無い人間に謝られることほど、不愉快なことは無い」
 沈黙。
「……そうですか」
 和広はゆっくりと顔をあげて、二人を見ると微笑んだ。
「お二人にそう言っていただけると、非常に気が楽です」
 小さく息を吐く。
「それで、先ほどの続きですが、そういうお二人がこうして一緒にいると言うことは、今後……こちらとしても何か役に立つことがあるかもしれません。ですから、わたしたちはこれからはマオさんのことを追うことは致しません」
 マオが目を見開いて和広を見る。隆二は表情を全く変えず、腕を組んだ。
「ですから、……安心してください」
 言い終わると同時に、マオは顔をぎりぎりまで和広に突きつける。
 和広はわずかに身を引き、隆二がそれを咎めた。
「おまえ、それ失礼だって」
 けれどもマオは、そんな言葉は耳に入らないかのように、和広の顔をみて言った。
『それ、本当? 本当に、本当に、あたしはここにいていいの?』
「え、ええ……。もしかしたら、何かご協力をお願いすることがあるかもしれません。そのときに、協力さえしていただけたならば……」
 たじろぎながら和広が答えると、マオは顔中を笑みにして和広に抱きついた。触れていないが。
『ありがとうっ! 本当に本当にありがとう! 貴方、大好きだわっ!』
「え、えっと……」
 救いを求めるように自分を見る和広と、それから自分の中に生まれたいらだちに背を押されて、隆二はマオの後ろ襟首を捕まえて自分の隣に再び座らせた。
「少し落ち着け」
 けれどもマオはおちついたりせずに、今度は隆二に抱きつく。
『だって、嬉しいじゃない!』
 そのまま、猫のように体をすり寄せてくるマオに閉口する。
 それをみて、和広は笑った。
「……なんだよ、おっちゃん。助けてやったのに」
 笑われていることに気づき、情けないぐらい恨みがましい気持ちで言う。
「すみません」
 まだ笑いながら和広は首を横に振る。そして、ただ……と続ける。
「神山さんは変わったと思いまして」
「はぁ?」
「恵美理に聞いてはいたのですが、神山さんがそうやって楽しそうに笑っているところをみるのは、もしかしたら初めてかもしれませんから」
 慌てて口元に手をやると、確かに口は笑みの形になっていた。
 なんだか悔しくて、無表情を装う。
 けれどもそれは、自分にひっついたまま大はしゃぎするマオによって、簡単に崩された。
 小さく舌打ちをして、苦笑と微笑が入り交じった笑みを浮かべる。
 それを見ながら和広は続けた。
「やはり、マオさんと神山さんが一緒にいることはいいことだと思います」
「なんでだよ」
 これのどこが? 顔にそう浮かべて、隆二はマオを指さす。
「そうですね……、手負いの獣が治療を施してくれる者にあったみたいですよ」
 それだけいうと、口をつぐむ。
 それは一体どちらがどちらなのだろうか? それとも、二人とも両方にあてはまるということなのだろうか?
 説明を求めて和広を見ても、和広はゆっくりと首を左右に振るだけだった。
 自分で考えろと言うことだろうか? それとも、言った和広自身もわかっていないのだろうか?
 いずれにしても、やけに饒舌な和広に少しばかり閉口して肩をすくめる。
 和広はそれに気づき、笑った。
「しゃべりすぎましたね。それから、お邪魔のようですし、今日はもう失礼いたします」
 そういって立ち上がる。
「え、ああ。別に邪魔じゃないが……」
 その言葉の真意を測りかねて、隆二はしどろもどろに言った。それからテーブルの上がやけに寂しいという事実に気づく。
「そういえば、お茶も出さないで悪かった」
「いいえ。わたしたちがかけた迷惑を思えば、お茶をだして頂くなんて厚かましいです」
 和広はそういうと、やけにゆったりとした動作で出ていった。穏やかな、まるで自分の子どもを見るような笑みを残して。

 和広を見送り、まだひっついたままのマオに視線を落とす。
「いい加減離れろ」
 無理矢理引きはがすと、マオは不機嫌そうな顔をしたが、やがて微笑んだ。
『ねぇ、隆二。お願いがあるの』
 上目遣いで頬を染めて、伺うように、言ってくる。
「お願い?」
 客人が帰ってから、というのも変な話だが、コーヒーが欲しくなり立ち上がりかける。
 マオはそんな隆二の手を掴み、引き留めた。
『ちゃんと聞いて』
 その手を振り払うだけの理由も思いつかず、隆二は黙って再び腰を下ろした。
 それを見届けてからマオは続ける。
『あのね、あたし、まだ、存在して少ししか経っていないじゃない?』
「ああ」
『だからね、あたし、まだまだ知らないことたくさんあると思うの……』
「だろうなー、マオはバカだから」
『む……、否定出来ない』
 揶揄するように言うと、マオは少しだけ不満そうに呟いた。
『だから、否定出来ないから。あたしはまだ、何も知らないから。だからね』
 小首を傾げて、隆二の顔を見つめる。
『あたしに、世の中の事を教えて欲しいの。この偏った知識を、足りない部分を補って欲しいの』
 隆二の顔を見つめてまっすぐにそう言い、
『……頼んでも、いいかしら?』
 最後は少し臆病に、付け加える。
 そういうところが、本当に猫のようで愛らしい。
「残念だが、教えられるほど生きてはいない」
 隆二はそっけなくかえす。
 マオが視線を落とした。あからさまに。
『そう、だよね、図々しいよね、ごめ』
「だがな、」
 マオの言葉を遮り、笑った。
「一緒に学んでやってもいい」
『え?』
 ゆっくりと、微笑んでみせる。
「一緒に学んで行こう、色々と。知らないこととか、わからないこととか。それなら、付き合うよ。ひとでなし同士、仲良くやって行こう」」
 マオはしばらくぽかんっと間抜けに口をあけて隆二を見ていた。
 それから隆二の言葉を理解したのか、じわじわと微笑んでいく。笑顔が顔を、徐々に浸食してく。
『そうね!』
 マオが顔上げ嬉しそうに笑った。
 そう思ったら、隆二は再び抱きつかれた。
『そうね、そうしましょう』
 喉を鳴らしそうな勢いでそういうと、神山家の居候猫は微笑んだ。
『そうね、あたしたちひとでなしね! 人間じゃないもの同士、仲良くやっていこうね! 隆二性格悪いからそういう意味でもひとでなしだよね!』
 さりげなく罵倒された。よし、とりあえず礼儀というものを教えるところから始めよう。
 敢えてこの場ではつっこまず、心の中でだけそう決意する。
『約束よ、絶対に約束よ』
 そして、また楽しそうに笑う。
『ゆびきりげんまんよ! うそついたらはりせんぼんのますんだからね!』
 頬と頬をすりよせながら、マオが笑う。
「……ああ、約束な」
 隆二も小さく、笑んだ。

 風がカーテンをゆらした。


第一幕 居候猫と新たなる居候

 その日、マオはいつものように夕方の散歩を楽しんでいた。
 人並みに紛れるようにしてふよふよと浮きながら、道行く人を眺める。楽しそうな人、悲しそうな人、急ぎ足の人、のんびりと歩いている人。皆それぞれ違っていて、見ていて飽きない。直接はかかわれないものの、そうやって周りの人々を眺めることが、マオは好きだった。
 でも、そろそろ戻らなければ。好きな番組が始まってしまう。公園の時計を見てそう思うと、隆二の家に戻ろうとし、
「ちょっと、そこの幽霊のお嬢ちゃん」
 丁度その時、右手からそんな声が飛んで来た。
 穏当ではない声のかけられ方に勢いよく振り返ると、一人の青年がそこにいて、
「そうそう、お嬢ちゃん」
 マオを指差しながら、にっこりと微笑むと続けた。
「神山隆二っていう名前の不死者、知らない?」
『いっ』
 マオはその言葉を理解すると、咄嗟に叫んでいた。
『いやぁぁぁぁっ!! 不審者ぁぁぁぁ!』


 神山隆二は、いつものようにコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
 元々彼にとって本を読むのは、暇つぶし程度の意味合いしか持たなかった。しかし、ここ最近、居候猫が居着いてからはどたばたしていて潰す暇が存在しない。そうなると、時間を作って意地でも本を読みたくなるから不思議である。居候猫の散歩の時間に、一人静かに本を読むのが、今の彼の密かな楽しみであった。
『りゅぅぅぅじぃぃぃぃ』
 遠くから、居候猫の鳴き声が聞こえる。
 時計に視線を動かすと、午後五時半になろうとしていた。居候猫は午後五時半から始まる、特撮ヒロイン物、疑心暗鬼ミチコの再放送をとても楽しみにしている。
 毎回毎回、よく丁度の時間に戻ってくるよなぁ。そんなことを思いながら、片手を伸ばしリモコンを手に取る。スイッチをいれる。再び本に視線を落とす。もうちょっとで読み終わりそうだから、邪魔しないで欲しいなぁ。
『りゅーじぃー!! たぁいへんー!』
 窓からぴょこっと居候猫の顔が生える。
「テレビならつけたぞ」
 本に視線をやったままそう告げると、
『そんなこと! どうでもいいよぉ!』
 マオが隆二の目の前で両手をばたばたさせながら叫んだ。
「は?」
 思わず本から顔をあげる。
 どうでもいい? マオが疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと? 彼女の中でひょっとしたら隆二よりも格上の、疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと?
「……どうした?」
 知らず、低い声になる。一体何があったというのだ。
『大変なの! あのね、あのね! さっきね、そこでね! 知らない人に声をかけられたのっ!!』
 それで? と流しそうになって、
「は?」
 慌ててマオを見る。彼女の向こう側に、テレビが透けて見える。今日も今日とて、安定して、どっからどう見ても、完璧な幽霊だ。
「声をかけてきた?」
 完璧な幽霊に声をかけてくるなんて、普通の人間じゃない。幽霊が見える人がいても、スルーするのが通常だし。
『うん! でね、その人に言われたの! 神山隆二っていう、不死者を知らないかって!』
「神山隆二っていう、不死者を知らないか?」
『うん!』
 マオが頷く。
「神山隆二っていう不死者、か」
 そこまで知っているっていうことは……、何だ?
『どうしよう! 一応ね、まいてきたけどね!』
 マオはあせったように両手を無意味に動かす。
 ぴんぽーん、チャイムの音が部屋に響く。
『うひゃっ』
 驚いたようにマオが声を上げ、隆二の背中に隠れるようにする。壁にめり込んでいるが。
「隆二、いるんだろー」
 ドアをがんがん叩きながら、来訪者は声を張り上げる。
「お嬢ちゃんのあと、つけさせてもらったから、ここだろー」
「まけてないじゃないか」
 思わず背後のマオにつっこむ。
「俺だよー、俺俺」
『やだっ、オレオレ詐欺だわっ』
 いつのまにオレオレ詐欺は対面方式になったのか。
「エミリちゃんにさー、住所訊いたのに教えてくんねーの、個人情報とか言ってー」
 外の声は返事がないことを気にした様子もなく、続ける。
『……エミリ』
 隆二の背後でマオが小さく呟いた。ぎゅっと隆二の腕を握る。それに気づくと、隆二は振り返って、一度マオの頭を撫でた。
 先日の一件後、改めてエミリが謝罪に来たものの、マオはエミリのことは苦手のようだった。まあ、仕方ないよな、殺されかけたわけだし。幽霊だけど。
 などと思っている間にも、
「りゅーじーあーけーろー」
 ドアをガンガンたたきながら、声がする。
「……すっげー、無視してぇ」
「開けないとないことないことご近所に吹聴すんぞー」
 聞いていたようなタイミングで外の声が言う。というか、
「聞こえてるんだろうなぁ」
 小さくため息をつくと立ち上がる。
『隆二ぃ、大丈夫なの……?』
 怯えたような顔をするマオに笑いかける。
「知り合いだから」
 言って仕方なしにドアをあけた。
 黒髪の男が、楽しそうな顔をして立っていた。
「お前さ、もうちょっと普通に来いよ。チャイム鳴らしたなら出るまで待てよ」
「待ったってどうせ隆二出る気なかっただろう」
「当たり前だろうが」
「じゃあ、こうするしかないじゃないか」
 男は悪びれずに笑う。
「うちの居候猫が怖がるじゃないか」
 そうして一度言葉を切り、
「京介」
 相手の名前を呼んだ。

 

 男は神野京介と名乗った。
「まあ、あれだ、俺の同族だ」
『りゅーじの』
 マオは京介を上から下まで眺めて、
『そっか、隆二の』
 安心したように呟いた。
「うん、隆二の仲間ー。さっきは怖がらせたみたいでごめんねー、マオちゃん」
 京介が笑いながらいうから、マオは首を横にふった。
「っていうかさ」
 隆二は京介を見て、
「くつろぎ過ぎじゃね?」
「まあまあ、気にしないで」
「するって」
 ダイニングテーブルに座る隆二の視界にうつるのは、赤いソファーにだらりと腰掛けた京介だった。お前の家かよ。
 隆二の向かいに座ったマオは、ちらちらとテレビに視線を送っている。事態が落ち着いたらテレビが気になるようだ。
「……マオ、気になるならあっちでゆっくり座って見ろ」
 テレビの方を指差すと、
『でも』
 困ったように隆二とテレビと京介に視線を動かす。
「いいから。京介、お前こっち座れ」
「はーい。マオちゃん、どうぞ」
 京介は素直に立ち上がると、隆二の向かい側に座る。それを確認すると、マオはソファーに移動した。
「で?」
 頬杖をついて隆二は問う。
「何に来たわけ、お前」
 仲間同士で今までまったく連絡をとらなかったわけじゃない。だが、なんとなく連絡を取り合わないようにしよう、という不文律が出来ていたはずだ。それがこうやって会いにくるなんて。
「色々あってさ! しばらく置いてよ」
「帰れよ」
 即答した。
「なんで俺がお前を家に置かなきゃいけないんだ」
「色々あったんだって」
「じゃあせめてその色々を話せ。いや、やっぱり話さなくていい。かかわりたくない」
「懸命だね」
 京介が笑う。
「住む場所がないなら嬢ちゃんに声かければどうにかしてくれるだろ」
「エミリちゃんに借りを作りたくないのは、隆二だって一緒だろ?」
「まあ、それはそうだけどな」
 代わりにどんな面倒なことを頼まれるか。
「家賃なら払うよ。なんなら全額。光熱費も払ってもいい。ついでに、俺持ちで食事を作ってもいい」
 楽しそうに、そして少し嫌味っぽく京介は笑うと、
「寂しいんでしょ、懐」
 言葉につまった。
 確かに、マオに正体を隠すために食べる必要もない食事をとっていたことが予想外の出費となって、貯金額が目減りしている。京介の提案は、とても魅力的だった。
「俺、普通にバイトしてたから金あるよ?」
 駄目押しの一言。
「……わかった」
 しぶしぶ頷くと、
「金の力に惑わされましたねっ!」
 テレビに言われた。空気読み過ぎだろ。
「あ、富子」
 テレビに視線を移した京介が呟く。
 とみこ?
「……ミチコじゃないのか?」
 尋ねると、
『違うよー、ミチコはこの前終わったよー!』
 テレビの前で拳を握ったままテレビを見ていたマオが、振り向かずに答える。
「美少女四字熟語シリーズっていうシリーズ物なんだよ」
「四字熟語……」
「一作目が疑心暗鬼ミチコ。これは二作目の七転八倒富子」
「七転八倒……」
 ヒーローとしてはどうかと思うネーミングだ。
 見れば、確かに画面上で戦う少女は肘宛てやヘルメットなどをしている。あ、転んだ。
『富子はねー、強いんだけどよく転んじゃうのー』
「毎回十五回は転ぶんだよ」
「転び過ぎだろ」
 毎回七転八倒か。
『でも、強いんだよー』
 それが一番重要だ、とでも言うようにマオが念押しする。強ければ転ぶのも許されるのか、ヒーローも。
「ちなみにこれ、富子役の子が撮影中に骨折しちゃって、途中で主役が交替するんだ。当時の雑誌には、七転八倒富子、本当に転倒! って出ててさ」
「なんでお前、詳しいんだよ」
「ちょっと調べたことがあって」
「なんでそんなもん調べるんだよ」
「ミチコのお面をお祭りで見かけたんだよ。これ、なんのキャラなのかなーって思って」
「お祭り、ねぇ」
 そんなものにどうして京介が行ったのかの方が気になる。
『あなた! 詳しいのねっ!』
 マオが目を輝かせながらテーブルに飛びついて来た。
 テレビはエンディング曲を流していた。なるほど、終わったからこっちに来たのか。
「そのうち富子の代わりに、七転びヤオ君子がやるはずだよ」
 京介は笑いながらマオに告げる。
「七転び八起き……」
 ようやく起き上がるようになったか。
「あとあれは特撮物だけど、アニメ版もあるんだ」
『へー』
「そっちには四苦八苦久美子っていうのもあるよ」
「四苦八苦……」
 ようやく起き上がったのに。
『すごいね! 隆二!! 京介さん、詳しいのねっ!』
 はしゃいだようにマオが両手を叩く。
「あー、まあなー」
 詳しいには同意するが、それがすごいのかどうかはわからない。
 京介はにこにこと笑っている。
『本当、すごいっ』
 マオが楽しそうで、なんとなくそれが癇に障る。さっきまであんなに怯えていたくせに。そんなことを思ってしまう。怯えているよりは、楽しそうにしていてくれる方がいいのだが。
「マオ、おまえ、ちょっとは落ち着け」
 言いながら自分の隣を指差す。
『はーい』
 マオは素直に隣に座った。それに少し安堵する。
「事後承諾で悪いが、しばらくこいつも一緒に住むことになった」
「よろしくねマオちゃん」
 言われてマオは少し困ったような顔をしたが、
『うん、わかった』
 小さい声で頷いた。
『家主が言うなら仕方ないもんね』
「……いつの間に家主とか覚えたんだ?」
 元々妙なことは知っていたが、なんだか感慨深いものがある。小さい子どもの成長を見守る親のような気分になった。小さい子どもを持つ親になったことなんてないけど。
『テレビでやってたよ。夕方のニュースのね、特集。激闘! 家賃の取立合戦? とかで。あれね、面白いの。万引きGメンと夜回りおばちゃんのシリーズが好き! あ、あと警察に密着するやつ!』
「……そうか」
 ただ、知識の仕入れどころが偏っているので、今ひとつ安心できないが。
 二人のやりとりを楽しそうに見ていた京介は、話が終わったことを見届けると、
「ごめんね、よろしくね」
 微笑みながら右手を差し出す。
 マオはしばらく躊躇った後、その手を握った。
 握れた。
『……触れるんだ』
 握手した手を離してから、マオが小さく呟く。
「あー、同族だからな」
「同族だしね」
『……同族。不死者ってことだよね?』
「ああ」
『……研究所の?』
 こちらの顔色を伺うようにして問うマオに、小さく頷いてみせる。
『京介さんは、隆二とは仲いいの?』
「よくはないな」
「いいよ」
 二人で顔を見合わせる。
「いつ、俺とお前の仲がよくなったんだよ」
「酷いな隆二。俺はお前のこと、他の二人よりは仲いいと思ってるぞ」
「……まあ確かに、小言の五月蝿いコーヒー狂いと味覚音痴の甘党と比べりゃあ京介とは仲がいい部類だけどな」
「年も同じだしな。颯太となんかは五歳も違うし」
「こんだけ生きてりゃ誤差の範囲だろ」
 ぽんぽんと隆二と京介二人が会話するのを、
『むー、ちょっとっ』
 膨れっ面したマオが遮った。
『わかんないっ、何の話してるのかぜーんぜんわかんないっ』
 こちらを睨んでくる。
「そうだぞ隆二。ちゃんとマオちゃんにもわかるように話をしないと。仲間はずれにしたら可哀想じゃないか」
『そうよそうよ!』
「俺一人のせいかよ……」
 一つ溜息。
「だって俺、お前がどこまでマオちゃんに話したか知らないし」
「あー。ま、そうだろうな」
 少し躊躇った後、
「ほら、成功した実験体が俺をいれて四人だっていうのは、話したよな?」
 隆二の言葉にマオは頷く。
『聞いた』
「それの一人がこれなわけ」
『京介さんね?』
「で、残った二人のうち一人が、俺等の中で最年長で、小言が五月蝿くて、コーヒーにこだわりがあり過ぎてひくレベルのやつ。神崎颯太」
『かんざきそーた』
「颯太はね、インスタントコーヒー飲んでるやつを見つけると、片っ端から説教かますから、気をつけた方がいいよ」
 京介が付け足す。
「あれ、なんなんだろうな。こだわりが強過ぎて本当ひくんだが」
 インスタントしか飲まない隆二としては、二度と会いたくない人物の一人だ。殺されかねない。
『隆二はこだわり無さ過ぎだと思うけどな』
 マオが呟く。
「……そうか?」
『うん。無趣味っていうか』
「誰かさんのせいで退屈してないから趣味とかいらないんだ」
『ああ、あたしのおかげで毎日楽しいってことね』
 頬に手を当ててマオが嬉しそうに笑う。よくまあ、瞬時に前向きに解釈出来るよなあ、この無駄ポジティブめ。そうは思うものの、マオが言っていることもあながち間違いじゃないので否定もできない。
「俺の趣味の話はどうでもよくて。最後の一人。俺等の中で最年少。味覚音痴の甘党、神坂英輔」
『かんざかえーすけ?』
「そう」
『甘党って?』
「甘いものがそれはそれは好きなんだ。あいつ」
 隆二は少し眉間に皺を寄せる。
「俺はあいつが一番怖い。甘いもののためならあいつは何でもするんだろうな、って思うから。俺か甘いものか選べって言われたら、あいつは間違いなく甘いものをとる」
「全世界を敵にまわしても、甘いものを食べ続けるんだろうな」
 京介も嫌そうに呟いた。
 マオはふーんっと少し悩んでから、
『変な人ばっかりねー』
 しみじみと呟いた。
「そういう意味では、京介は割とまともだよな」
「え、何その上から目線。隆二、自分のことまともだと思ってるわけ?」
「あの二人に比べたらまともだろ」
「まあねー」
『……よっぽど変人なんだねー』
 くすり、とマオが笑った。
『ちょっと会ってみたいなー』
「それは勘弁してくれ」
 マオがその二人と会うならば、必然的に隆二も会うことになるのだろう。それはちょっと嫌だった。
「最後にあったのいつか、ってレベルだしな」
『あんまり会わないの?』
「用もないし」
 それに、会うとどうしても過去のことを思い出して憂鬱になる。何年経っても何十年経っても変わらない自分達は時間軸から取り残されていることを、改めて認識することになる。だからなんとなく、お互いに積極的にあうのは避けるようになっていた。たまに、研究所絡みの依頼で会うことはあっても。
「俺、会って来たよ、二人に。ここに来る前」
「は?」
 さらりと告げられた京介の言葉が、理解出来ない。
「は? 何、お前、わざわざ颯太と英輔にも会って来たわけ?」
「うん」
「なんでだよ」
 そして何故最後をここにして、居着こうとしているのか。
「ちょっとみんなの顔が見たい気分だったんだ」
 微笑む。そんな京介に、隆二は得体の知れないものを見つめる目を向ける。
「……大丈夫か、つかれてるのか?」
「どっちの」
「憑依の」
「憑かれてねーよ」
 だって、お互いに会わないという暗黙の了解を破って、わざわざ会いに行くなんて、正気の沙汰とは思えない。
「色々と自分を振り返りたいことって、あるだろ?」
「いい年して自分探しってことか」
「うん、そんな感じ」
 そんな感じなのか。
「……まあ、なんでもいいんだけどな」
 お互い過度にかかわりたくないし。
「相変わらずだったか、あの二人」
「相変わらず、コーヒーと甘いものを愛してたよ」
「なら、いいんだ」
 お互いがお互いの場所で、それなりにやっていてくれるのならば。たった四人の仲間だから、それなりに彼らの平穏を祈っている。
「っと、マオ悪い」
 また話から爪弾きにしてしまった。少しむくれたマオに謝る。
『いいよー』
 むくれたものの、隆二の方から謝ったからか、すぐに笑った。
「じゃあ、マオちゃん問題」
「お前はお前で急に何を言い出す」
「神山隆二、神野京介、神坂英輔、神崎颯太。この四人に共通することって何だと思う?」
『同族なんでしょ?』
「あー、ごめん名前で」
『……名前?』
 マオが眉根を寄せながら、四人の名前を呟く。
 ああ、その話ね。隆二は理解すると、
「音じゃ、わかんないだろ」
 マオ、バカだし。
「あー、そっか。紙とペン」
 京介は納得したように頷くと、右手を無造作に出してくる。なんで借りる側が偉そうなんだよ。
 仕方なしに立ち上がると、部屋の片隅で放置されていたバイト情報誌とボールペンを手渡す。京介はその余白に四人の名前を書き込んだ。
『あ! わかった、神様!』
 マオが嬉しそうに声をあげる。
「正解」
 京介が微笑むと、
『わーい、あたったー』
 嬉しそうに両手を叩いてから、隆二に抱きついた。
「この問題、間違える方が凄いだろ」
 思わず小さく呟いたが、幸いマオの耳には届かなかったようだった。
『んー、でもなんでみんな神様なの?』
 隆二の右腕に張り付いたまま、マオが尋ねる。
「希望が欲しかったんだよ」
 それに端的に答えた。
 あの時、研究所から逃げ出した時、四人で過去に決別することを決心した。だから、人間だった時の名前を、改めて捨てた。識別番号なんて、勿論捨てた。
「神って名字につけとけば、なんとなく報われる気がしたんだよな、あの時」
 京介が言いながら苦笑する。
「若かったよなぁ、あの時」
「ああ」
 神がつく名字をそれぞれ考えて、
「下の名前は、それぞれ交換したんだよな。音だけ採用して、漢字は変えて」
 京介が続けた。
「……ああ」
 隆二は一つ頷くと、ひっついたままのマオを伺うように見る。
『へー』
 マオはぽかんと口を開けて、そう相槌を打った。ほんの少し、予想外の反応だった。
『なに?』
 そんな隆二の視線に気づいたのか、マオが首を傾げる。
「……いや」
 訊かれるかと思ったのだ。隆二の本当の名前は、きょうすけ、えいすけ、そうた、のどれなのか、と。
 けれどもマオは、そんなことには興味がないようだった。
『でも、結局今は神山隆二なんでしょ? そうやって、呼べばいいのよね?』
 ただそれだけを念押しするように確認してくる。
「ああ」
『うん、わかった』
 そしてぱっと花が咲くように笑う。
『りゅーじ』
 楽しそうに隆二の名前を呼ぶ。それから、隆二の右腕から離れる。
『あのね、あたし、お腹すいちゃったの』
「あー、そっか」
 この前の食事から日があいている。
「手伝う?」
 意識のない人間から精気を奪うことを食事とする幽霊に問いかけると、
『ううん、色々お話あるだろうし、、あとは二人でごゆっくり』
 微笑みながら断られた。
『それじゃあ、行ってきます』
 マオは笑って、壁の向こうへ消えて行く。
 もしかしたら、マオはマオなりに、気を使ったのかもしれない。
「良い子だねー、マオちゃん」
 その姿を見送ると、京介が呟いた。
「……それで、本当はお前、何しに来たんだよ?」
 マオがいなくなったことで、幾分語気を強めて尋ねる。
「言ったじゃん、色々あったんだって。それで皆に会おうと思って」
 京介は笑ったまま答える。
「あ、でも」
 そして笑ったまま続けた。
「隆二のところを一番最後にしたのも、泊めてくれっていったのも、隆二が心配だったからだよ」
「なんで」
 なんでお前に心配されなきゃいけないんだ。
「エミリちゃんに聞いてさ。また女の子と住んでるって。また、傷つくんじゃないかって隆二が」
 気づいたら、にこにこ笑ったままの京介の胸ぐらを掴んでいた。
「乱暴だなー」
 あっけらかんと京介が呟く。
「余計なお世話だ。京介には関係ないだろ」
 それだけ告げると、手を離す。少しよろけたものの、京介は小さく微笑んでいた。
「関係あるんだなぁ、これが」
「何がだ」
「茜ちゃんのこと、隆二がどう思って」
「いい加減にしろっ!」
 声が大きくなる。
 ここにマオがいなくてよかった。激昂した頭のどこかで、冷静にそんなことを思った。
「次に茜のこと口にしたら追い出す」
「はいはい」
 おどけたように京介は両手を軽く上にあげた。
「悪かったって。とりあえずさ、なんか飯食おうよ」
「別に俺は食べる習慣ない」
 まだむしゃくしゃしたまま、斬り捨てる。
「でも、食べること嫌いじゃないだろ? しばらく料理人のまねごとしてたから、なかなか上手いよ、俺」
 そうして京介は冷蔵庫を開ける。
「うん、思ったとおりなんにもないね」
「……悪かったな」
「なんか適当に作るよ。あ、ちゃんと俺が出すからさ、材料費。食えないものとか、ないよな」
 いつもの調子で問われた言葉に、小さく頷く。
「うん、じゃあ、そういうことで」
 言うと、さっさと京介は部屋から出て行った。当たり前のように。
 ドアが閉まる音を聞きながら、椅子に腰を下ろす。
「……なんだっていうんだよ」
 呟いた言葉は、誰もいない部屋に溶けていった。

 

『わぁ……』
 テーブルの上に並べられた料理を見て、マオが感嘆の声をあげた。
『すごぉーい、テレビみたいっ』
 テレビっ子のマオにとって、それは最大級の褒め言葉だ。
「あはは、ありがとう」
 料理人である京介がそれを受けて笑った。
「海鮮とほうれん草のジェノベーゼパスタに、ただのサラダだよ」
『でもすごぉい、あたし、コンビニのおにぎり以外見たの初めて!』
「……子どもにちゃんとした食事与えてない家庭みたいになるからやめろ」
 なんだか恥ずかしいじゃないか。事実だけど。
「まあ、この家、皿すらろくにねーんだもん、びびるよな」
「使わないし」
 っていうか、皿も買って来たのか。道理で見たことない皿だと思った。
「隆二、知ってるか。最近の百均って」
「ひゃっきん?」
「おおぅ、そこからから」
 露骨にバカにしたような言い方で、
「百円均一。店内の商品が全部百円なんだよ。あ、別途消費税かかるし、たまに百円じゃないものもあるんだけどな。あれ、罠だよなー」
『知ってる! テレビでみた! 色々な便利グッズが売っててね、それを何に使うか当てるので見た!』
 だからどれだけテレビっ子なんだ。
「このお皿も百均だ」
「……へー」
 見た感じ、普通に家にある他の皿に見える。
「最近は、すごいんだなぁー」
 呟くと、
『……隆二、そういうの、年寄りっぽいからやめた方がいいよ』
 マオに真顔で諭された。ほっといてくれ、実際年寄りなんだから。
 この場の平均年齢をぐぐっと下げている出来たてほやほやの幽霊少女は、うっとりした目でテーブルを眺めてから、
『ああっ、あたし、今までで一番幽霊なことを悔しいと思ったっ』
 両手で顔を覆って、盛大に嘆いた。もっと他に悔しがる場面なかったのだろうか、平和でいいけど。
 これで不味かったら大笑いだ。
 席に着くと、なんとなくぎこちない動作でフォークを手に取る。だって、久しぶりだし、コンビニおにぎり以外って。
『あ、いただきます言わなきゃ駄目よっ?』
 隣の椅子に腰掛けるようにして浮きながら、こっちをじっと見つめるマオにつっこまれた。
「……はい、いただきます」
 素直に両手を合わせて呟く。
 向かいで京介が楽しそうに笑ったのが、これまたむかつく。また尻に敷かれている、とか思っているんじゃないよな?
 ちょっとパスタを巻くのに苦労した後、口へ。咀嚼。
 わくわくしたようなマオの視線と、勝ち誇ったような京介の視線を感じる。ああ、癪に触る。
「……うまいよ」
 しぶしぶ答えた。
 今までの隆二の食生活には、あまりなじみのない味だが、嫌いじゃなかった。美味しいと思った。麺の固さも丁度いいし。なんだか悔しいけど。
 京介がにやりと笑った。
「だから言ったろ? 料理人してたって」
「あー、はいはい」
 なんか本当むかつく。別に料理作る能力なんて自分に必要だとは思わないけれども、それでも。
 隣でマオが尊敬の二文字を瞳に浮かべて京介を見ている。
『いいなぁー』
 食事を続ける二人を見て、頬を膨らませる。
『あたし、仲間外れー、お腹空いたー』
「それは嘘だな」
 さっき食べてきたばっかりだろう。
『むー』
 ますます不満そうな顔になった。
「マオちゃんって人の精気食べるんだっけー?」
「それも嬢ちゃんから聞いたのか?」
「うん」
 なんでもぺらぺら喋るな、あいつ。それでよくうちの住所を喋らなかったもんだ。
『そうだよー』
 言ってからマオは、ほんの少し身を引き、隆二の方に寄る。
「どうした?」
『……怒る?』
 うかがうように京介を見ながら尋ねる。
 ああ、それ、まだ気にしていたのか。でも多分、京介なら、
「なんでー?」
 あっけらかんと京介は答えた。予想どおりの言葉に、隆二は少し笑う。
 フォークを置き、マオの頭を撫でた。
「俺たちの誰も、マオのこと責めたりしないから」
「うんうん、英輔とか颯太とかに会うことがあっても、それ聞かなくていいよ。怒るわけないから」
『……本当?』
 上目遣いでおそるおそる聞いてくる彼女に笑う。
「同じ穴の狢、なんだろ?」
 いつだったかマオが言っていたことを言ってみると、小さく顎を引いた。
『んっ』
 だってみんな、化物なんだから。
 それは言わずに飲み込む。わざわざ改めてこんな場所で、ここにいる者の心を抉る必要はない。?
「んー、じゃあさ、マオちゃん」
 京介は軽薄そうな笑みを浮かべて、
「次、お腹空いたら俺の精気あげようか?」
「何を言っているんだお前は」
 即、つっこんだ。
「なんだよー、やきもち?」
「バカか。不死者に精気なんつーもんが、あると思うのか」
 半分死んでいて半分生きていて、そしてそのどちらでもないのに。
「なにかあったらどうする」
「なんだ、マオちゃんが心配なんだ」
 そしてまた、にっこりと笑う。
「だからっ」
 それに思わず声をあらげて、
『え、違うの?』
 マオのちょっと不満そうな声に、勢いを失う。
「……いや、心配してないわけじゃなくて」
 なんで京介がそんないちいち勝ち誇った顔をするのかが気になるのだ。笑った顔の裏に、また心配しているんだ? という文字が見えるのは、穿ち過ぎだろうか。
『心配?』
 未だに隆二に近づいたままのマオが、顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「……ああ」
 仕方なしに頷く。心配しているかしてないかと言えばしているし。
 マオはそれを聞いて、心底嬉しそうに笑った。
『うん、だから、せっかくだけど駄目だねー、京介さん』
 やたらと嬉しそうに告げる。
「そっかー、残念だー」
 対して残念でもなさそうに京介が答えた。
『それに、隆二が止めなくても、京介さんが人間でも、いらなぁい』
「なんで?」
『だって、男の人ってまずいもの』
 当たり前のように告げる。そしてそのままの口調で、
『男の人は、隆二以外いらなぁい』
 爆弾を放った。
「マオっ」
 咄嗟に大きな声が出る。びくっとマオが体を強張らせて失態に気づく。
『え……、ごめんなさ……』
「あ、違う、怒ったわけじゃなくてだな」
 その発言自体はもう聞いたことがあるし、マオにとって自分が特別な存在であることは理解している。鳥の雛における、刷り込みに似たような感覚。社会でふれあった初めての存在で、親のようなものだということは。
『でも……』
「怒ってない。嫌なわけじゃない。だからそういう、泣きそうな顔するな」
 瞳を潤ませたマオの頭を撫でながら、左頬に突き刺さる視線にうんざりする。
 マオの発言それ自体は、なんの問題もない。如何せん、言った場所が悪かった。
 見なくてもわかる。にやにや笑った京介の顔が。
「へぇー」
 案の定、からかうような京介の声がする。
「仲いいんだねぇー」
 それを素直に受け取れない。
『……あたし、隆二のこと好きだもん、隆二は特別だもん』
 さすがのマオも、京介の言い方になにか思うところがあったのか、挑むようにして告げる。
 うん、気持ちは嬉しいが、あんまり今そういうこと言うな。そいつに言うな。
「隆二も満更でもなさそうだもんねー」
「まあ」
 曖昧に頷く。何言っても泥沼になりそうな気がする。
『隆二の、まあ、は割と好きなんだからっ』
 マオが威嚇するように吠えた。
「……まて、それはどういう」
『え、違うの』
 威嚇の表情を改めて、きょとんとした顔をする。
『だって、前、梅のおにぎり好き? テレビより本の方が好き? って聞いた時、まあ嫌いじゃないって言ったじゃん』
「……そうだっけ?」
 よく覚えているなぁ。こっちは、そんな会話をしたことすら覚えてないのに。
『でも、隆二、梅のおにぎりも、本も、好きでしょう?』
 頷く。
『だから隆二の、まあ、は割と好きの意味だよ』
 そうしてマオは屈託なく笑った。
「……そっか」
 なんとなくその笑みに気圧されて頷いた。そんなこと、考えたこともなかった。
「好きじゃなきゃ一緒に暮らさないもんな」
 黙って見ていた京介が口を挟む。
『そうでしょう?』
 今度はマオが勝ち誇ったような顔をする。
『羨ましいでしょ』
 何がだ。
 京介は一度目を細め、小さくなにかを呟いた。それから、
「さて、それはともかく、食事を再開しよう」
『本当、はやく食べないともったいないもんね!』
 京介の言葉にマオも従う。そっと隆二から距離をとり、隣の席に座った。
 京介が食事の続きを始めて、
「おまえも喰えよ」
 黙って見ていた隆二を促す。隆二も再びフォークを手に取った。
 マオと京介が二言三言楽しそうに会話する。
 さっき、京介が呟いた言葉。
「繰り返すなよ」
 そう、聞こえた。それは気のせいだったのかもしれない。被害妄想かもしれない。
 それでも、
「余計なお世話だ」


間幕劇 再び拾った猫の名は

「くそっ」
 彼が呟いた言葉は茜色の空へと吸い込まれた。土手に寝転がった状態で見る、それはとても眩しい。
 車に轢かれそうになった子どもを見たら、咄嗟に体が動いた。結果、代わりに轢かれたなんて、お粗末な展開もいいところだ。子どもには悲鳴をあげて逃げられるし。
 怖いのでちゃんとは確認していないが、額は縫う必要がありそうなぐらい切れている気がする。肋骨も折れた気がするし、足の骨も心配だ。痛覚はとっくの昔に切ったから痛むということはないし、ニ、三日すれば歩けるぐらいには傷も回復するだろう。しかし、そのニ、三日ずっとこの川原で寝転んでいるわけにはいかない。下手すると警察なり医者なりを呼ばれかねない。だからと言って、根無し草の自分に行く当てなどあるわけもなく、
「やってられん」
 ため息をついた。もう諦めて寝てしまおうとかと目を閉じかけると、
「だから車! 轢かれてね! 男の人がっ」
 どこからか、子どもの声がした。
 常人離れした彼の耳には、まだ遠くのその声がはっきりと聞こえる。
 ぱたぱたと、走るいくつかの足音と共に。
「隆二兄ちゃんっ、みたいに!」
「で、俺の時みたいに悲鳴をあげて逃げたわけだ」
「だって! 怒られると思ってっ」
「わかってるなら気をつけろよ。そそっかしいんだよ、太郎は。いつか本当に轢かれるぞ」
 走っているから呼吸が乱れている子どもの声とは対照的に、一緒に聞こえてくる男の声は平坦なままだ。乱れがない。
「でもっ、大丈夫なのかしらっ」
 こちらも乱れた女性の声。
「隆二は、ともかくっ、心配」
「俺はどっちかっていうと茜の方が心配だ」
 咎めるような声色。
「いいから歩いてゆっくりついてこい。走るな」
「でもっ」
「太郎、土手だよな」
「そうだよっ、隆二兄ちゃんと一緒」
「だって。走るな、歩け。まだ距離がある。お前まで倒れたらどうする」
「……はい」
 足音が一つ、歩きになる。
「先に行ってる。俺一人の方が速いし。太郎、茜が走らないようにちゃんと見とけ」
「うんっ」
 そして、男のものと思われる足音が、はやくなった。
 その走り方とか、名前とか、声とかに、彼はなんとなく不穏なものを感じる。知り合いな気が、ひしひしとする。
 面倒だなーと思う反面、もし本人ならば厄介ごとは軽減するよなぁ、なんて思っていると、
「……京介?」
 名前を呼ばれた。
「さすが、おはやいお越しで」
 常人離れした脚力でやってきた、知り合いに片手をあげて挨拶する。
「なんだ、お前か」
 呆れたように笑って、男は彼の隣に腰を下ろした。手当をする気とかは、まったくないらしい。彼としても、手当されても気持ち悪いだけだからいいのだが。
「俺が助けた子どもが、隆二を呼んだわけ?」
 尋ねるというよりも、確認するように呟く。
「聞いてたのか?」
「ああ」
「そっか、お前は特に耳がいいもんな」
 彼は、仲間の中でも特に聴力に優れていた。
「女の声もしたけど」
「……ああ」
 男は言葉を濁す。
「うわぁ、隆二が女連れだぁー!」
 それに思わずからかうような声をあげると、
「黙れ」
 脇腹を叩かれた。
「……怪我人相手にひでぇ」
「痛覚切ってるくせによく言う」
 図星だったので小さく笑うに止めた。
 二人でなんとなく空を見上げる。
「知り合いの医者」
 男が空を見上げたまま、呟く。
「腕もいいし、口も堅いから、京介のことも手当してくれるはずだ」
「それはよかった」
「だから」
 そこで男は言葉を切り、彼に視線を向けると、
「治ったらさっさとここから出て行けよ」
 低い声で告げた。
「……わかってる」
 彼も同じような声で答えた。
 こんなところで、自分達は出会うべきではなかった。できるだけ会わないように暮らしていたのに。後から来た方は、さっさと出て行くべきだ。お互いの暮らしを守るために。
「……京介」
「なんだ」
「お前のところにも来たか?」
「……死神さんのことか?」
 男が頷く。
「……来たよ」
 答えると、男はそうか、と小さく呟いた。
「人間として暮らすなんて、やっぱり無理なのかな」
 そうして男は小さく小さく、消え入りそうな声で呟いた。
 彼の常人離れした聴力は、その言葉もきっちり聞き取ってしまった。ああ、聞こえなければよかったのに。男と一緒に、自分の傷まで抉られた。
 人間として暮らすなんて、諦める以外、何ができるというのだ。期待したい気持ちは、わかるけれども。
「隆二っ」
 女の声がして、彼は視線をそちらに向けた。
「だから走るなって」
 小走りで現れた女を、男がたしなめた。
「でもっ」
「これ、知り合い」
 つまらなさそうに男が彼を指差す。
「え?」
「仲間」
「……ああ」
 女は得心が行ったとでも言いたげに頷いたあと、少しだけ痛そうな顔をした。
「……だからなんでお前がそういう顔するかねぇ」
 その顔を見て、男が呆れたように呟く。
 男女の間に流れる、その特有の空気に彼は溜息をついた。これは深い仲にある男女の空気だ。居たたまれない。
 まったくどうして、なるほど、男が人間になりたがるわけだ。
「あの……」
 女の影に隠れるようにして、少年が顔を出す。
「太郎、大丈夫。こいつも俺と同じようにしぶといから、生きてる」
 男のその言葉に、少年はほっとしたような顔をした。
 そのまま彼の脇まできて、
「ありがとうございました。ごめんなさい」
 頭を下げた。
「……いいよ」
 その素直な言葉から、逃げるように彼は視線をそらした。
「先生のとこ連れてく。二人は先、帰っててくれ」
 男が言う。
「でも」
「大丈夫」
 心配そうな女に、優しげに笑いかける。
 ああ、こいつ、まだそんな風に笑えるんだ。そう思った。
「本当?」
「ああ」
「……じゃあ、わかった」
 女はまだ少し、心配そうな顔をしたものの、引き下がった。
「太郎、茜送ってやってくれ」
「うん!」
「車には気をつけろよ」
「わかってるよ!」
「茜、待ってなくていいから。遅くなったら先に寝てろよ」
「……うん」
 そんな会話のあと、少年と女が去って行く。それを見てから、
「よいしょっと」
 男は彼を荷物のように肩に担いだ。
「怪我人に対する扱いかたじゃないよな?」
「じゃあ自分で歩けよ」
「いますぐは無理」
「だろ?」
 男が笑う。
「先生っていうのが、その口の堅い医者?」
「そう。茜の主治医」
「……さっきの女の子?」
「ああ」
「一緒に住んでるわけ?」
「……ああ」
「そっか」
 彼の視線の先で、地面が揺れる。それを見ながら彼はしばらくためらったあと、
「あのさ、言われたくないと思うけど」
「じゃあ言うなよ」
 恐らく何を言われるのかわかったのであろう男が、棘のある口調で言う。けれども彼は、それを無視した。
「入れ込むなよ。そんなこと言っても、もう遅いかもしれないけど。無理だよ、人間となんて」
 男は答えない。心持ち、早足になる。
「俺らじゃ無理だ。だって」
 化物なのだから。その言葉は、口にはしなかった。言わなくても伝わるだろう。
「彼女はどんどん歳をとって、死んでしまうのに、俺らはそれについていけないんだ。傷つくだけだよ、お互いに。隆二」
 夢なんて見るな。無理なものは無理なんだ。
「俺らは人間としては暮らせない」
 少しの沈黙のあと、
「……わかってるよ」
 押し殺したような返事が聞こえた。彼がそれに言葉を返す前に、
「ついた」
 男が言い、その小さな診療所の扉を開けた。
「先生ー、急患でもないけど、急患」
「なんだそりゃ」
 男の言葉に、老医者が出てくる。
 そうしてうやむやのうちに、その話は終わりになった。

 怪我が治った彼は、約束どおりさっさとその場所を後にした。
 これ以上その場所にいて、あの二人の関係を間近で見ることに耐えられなかった。どうして、お互い傷つくことがわかっているのに、夢を見て、求めあうのだろう。
 心配で心配で、だけれどもどこか羨ましくて、自分も夢が見たくなる。あの場所には、いるべきではない。

 数年後、男が女の元を離れ、別の場所に言ったと人伝に聞いた。ほどなくして、女が亡くなったことも。
 その後、再びあった男は何でもないような顔をしていた。それでも、あの時みたような笑みを見ることはなかった。
「お前の忠告を、ちゃんと聞いておけばよかった。もう、何かにかかわったりしない」
 代わりに男は小さく呟いた。
 その言葉に彼は物悲しい気分になった。
 ああ、そんな風になんでもないような顔をしているけれども、お前はしっかり傷ついているじゃないか。
 もっと真剣に、無理矢理にでも、止めておけばよかった。ほんの僅かに、彼は二人の関係に憧れていたのだ。彼らには奇跡が起きて、今後も人間として暮らしていけるんじゃないか、そう思ってしまったのだ。だから、止める手は鈍った。
 彼はひっそりと後悔した。



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