目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第六幕 上手の猫は爪を隠す

 エミリは憤慨していた。
 G016に逃げられただけじゃない。
 探していたら、見知らぬ大学生ぐらいの男性に声をかけられた。いつものことだと無視しようとしたら、
「あの、神山って人からの伝言なんですけど」
 その男性はこともあろうか、そう言ったのだ。
 曰く、廃工場に来い、と。
 一体何様のつもりなのか。
 どうせ先回りして何か仕掛けるつもりなのだろう。こっちだってそれぐらいわかる。いつまでもお嬢ちゃん、じゃないのだ。
 荒々しく足音を立てながらエミリは廃工場に向かった。

「G016!!!」
 これ見よがしにシャッターが開けられた廃工場。
 無人のように見える中に向かって、エミリは叫んだ。
「いるんでしょうっ、出て来なさいっ!」
 返事はない。
 気配もない。
 もとより、居るのは不死者と幽霊だ。気配なんて感じられなくて当たり前だ。
 銃を構えたまま、中に入って行く。
 薄暗い。
 ゆっくりと、進む。
 中の物はすべて撤去されたあとらしい。がらん、としている。
 部屋の真ん中まで来た。
「神山隆二っ!」
 吠えるように名前を呼ぶと、
「はいはーい」
 かるーく返事が返って来た。
 声がした方を見る。見上げる。上。
 落下してくる影。
 高い天井に掴まっていたのか、と思った時には遅かった。
 真上から降りて来た隆二に組み敷かれた。
「ぐっ」
「駄目ー」
 銃を持った右手も軽々と捻られる。掌から転がり落ちた銃は、隆二のズボン、尻ポケットに入れられた。
「暴発すればいいのに」
 苦し紛れに呟くと、
「ここで暴発したところで嬢ちゃんの不利に変わりはない」
 隆二が笑った、ような気がした。
 顔が見えない。
「……頭を撃てばしばらくは動けないでしょう、と言ったのは私でしたね」
 フルフェイスのヘルメット。
「どこで手に入れたんですか? 盗品?」
「失礼な。借りたんだよ。知らない人に。未承諾だけど」
「それを盗品というのです」
 吐き捨てるように告げる。
 何度か脱出を試みるが、常人離れした力には勝てない。
 視界に、ふよふよと上空を浮かぶマオの姿。なんでそんなに眉根を寄せているのか。泣きそうな顔をしているのか。泣きたいのは、こちらだ。
「降参、してくんない?」
 隆二の声。
 泣きたいのはこちらだ。でも、泣かない。
「嫌です」
 エミリはきっぱりとそう告げると、少しだけ口角をあげた。
 そして、
「今です!」
 叫んだ。

 ほぼ同時に、隆二はエミリから飛び退く。不穏なものを感じて。
 マオの手を掴むと、そのまま頭を抱え込んだ。
 いくつかの銃声。
 それから衝撃。
 隆二は小さくうめく。
 何か高い音が響く。とても近くから。
 五月蝿いな、なんだこれ。そんなに騒ぐな。
『隆二っ、隆二ぃ!』
「……へーき」
 腕の中、悲鳴のように名前を呼ぶマオの頭を撫でる。
『りゅーじっ』
 マオの頭をすり抜けて、赤い雫が落ちる。
 赤い水たまりが出来る。
 なんだこれ、雨漏り? なんて、一瞬、脳が事態を理解するのを拒否する。
 これまた無様に、喰らったものだ。
『隆二っ』
「だいじょうぶ」
 喋ると同時にこみ上げて来た塊を飲み込む。
「ヘルメットは英断でしたね」
 エミリの言葉に振り返る。
 エミリの後ろ、入り口に立つ三つの人影。
「……増援部隊、ってやつ?」
 かすれた声で尋ねると、エミリは頷いた。
 乾いた笑いが漏れる。
「……やばいなぁ、平和ボケ?」
 エミリはいつも一人で行動しているから忘れていた。彼らは組織なのだと。
 エミリが近づいてくる。後ろの影は構えたまま。 
 被っていたヘルメットを脱ぐと、エミリに向かって投げつける。常人離れした力で投げられたソレは、エミリの足元に叩き付けられ、その形を歪ませた。借り物だけど、ごめん持ち主。
 そのままなんとか後退し、距離をとる。増援部隊が撃った弾が足に当たったのはご愛嬌だ。今更足に一発当たったところで、何かが変わる訳じゃない。マオの悲鳴があがるだけだ。
 エミリから奪った銃を構えてみせる。
『隆二ぃ』
 クリアになった視界に、マオの泣き顔がうつる。
「……泣かなくて、いいから」
 安心させるように微笑んでみせる。
 でもマオの表情は変わらない。
 被害状況を確認するのが憂鬱になる。
 治って来た箇所もあるが、さっきまで居た場所にできた赤いみずたまり。あんまりきちんと見たくはない。
 それにしても、ヘルメット、やっぱり被ったままにしとけばよかったかな。銃を構えたままの人影を見て思う。
 マオを背中に隠すようにして、エミリと対峙する。
「銃、撃ったことありませんよね? 降参、しますか?」
 エミリが尋ねてくる。
 体の処理が追いつかない。それでも笑ってみせる。
「誰がそんなこと」
『待って!』
 マオが叫んだ。隆二の言葉を遮るように。
 隆二は視線を背後に動かす。
 エミリは黙って動かない。
 マオは隆二を庇うように両手を広げて彼の前に立つ。
『あたし、行くから。だからもうやめて』
「……マオ?」
 血と一緒に、言葉がこぼれ落ちる。
 何を、言っている?
『いいよ、もう』
 マオは振り返ると小さく微笑んだ。口元は笑みをかたどっているが、目元はまったくその反対で、その顔はやけに頭にきた。
 それは神山隆二の大嫌いな表情だった。

 もう、どうでもいいと全てを諦めた者の顔。
 昔、自分と仲間達が嫌というほどした顔。
 なんで、そんな顔をしている?
 なにがそんな顔をさせている?
 どうしてそんな顔をしている?
 そして、マオのその顔は嘗て愛した、今でも一番大切な女性の唯一認められなかった表情に似ていて、
「しょうがないよ、双子は忌み嫌われるものだから」
 一瞬、だぶった。
 そんな顔は見たくなかったから、必死に道化を演じてきた。
 そんな顔は見たくなかったから、例え黒い茨の道でも突き進んできた。
 そんな顔は見たくなかったから、犠牲の羊になることだって厭わなかった。
 そんな顔は見たくなかったから。
 今だって、見たくない。

 

『ありがとう。楽しかったから、もういいや』
 マオは早口で告げる。
『そんなけがまでして、守ってくれなくてもいいよ。拾った猫がまた、元の飼い主のところへ戻っただけだと思って』
 エミリの方を見る。
『あたし、行くから。帰るから。だから、もう隆二のこと傷つけないで』
「……もう、逃げませんね?」
 ゆっくり吐き出したエミリの言葉に、マオは小さく一つ頷き自嘲気味に嗤った。
『何処に逃げたらいいのかわからないから』
 それから再びやけに無表情で自分を見る隆二の方を振り返る。
『隆二、怒ってる? その、ごめんね。散々巻き込んで置いて。どうせなら、もっとはやく、あたしがこうしていればよかったよね。そうしたら、隆二がけがするなんてことなかったのに……。ごめんね』
 隆二の頬に手を添えた。
『ありがとう。楽しかった』
 そういって隆二の唇に自分の唇を重ねる。食事の意味を持たない、初めての行為。
 隆二が、ほんの少し驚いたような顔をした。それがおかしくて少しだけ笑う。
 そのまま、隆二の頭を抱えるようにして抱きついた。
『あのね、隆二。最初にね、会ったとき、本当はとても怖かったの。最初は、あたしのことを見える人がいるんだ! って素直に嬉しかった。でも、すぐに怖くなってしまった。気づかれるんじゃないか、あたしがまだ存在して少ししか経たない未熟者だと、本当は存在していてはいけない者だと』
 隆二の耳元で、囁くようにして語る。隆二からの返事はない。
 それで、構わなかった。
『そして、……これが一番怖かったんだけれども、また名前をもらえないんじゃないかと思って凄く怖かった。あの人達は、あたしのことを、それとかあれとか認識番号で呼んでいたの。だから、貴方が名前を付けてくれたとき凄く凄く安心して嬉しかった。あたしは「マオ」という存在にはじめてなれた。嬉しかった、ありがとう』
 そう言って、少し黙る。あと他に、言いたいこと、なんだっけ?
『あたし、隆二の事、大好き。大好きだから、触れないのわかってても腕組んでみたかったし、手を繋いでみたかったし。大好きだから、もし、隆二がいいよって言ってくれたら、隆二を、食べたかった。男の人、美味しくないの、知ってたけど』
 楔だった。
 神山隆二という存在は、マオにとって世界とつながる楔だった。離れてしまえば、もう戻れない。そんなこと、わかっている。でも、
『その、後でちゃんとけがの治療してよね』
 でも、だからこそ、彼を犠牲にするわけにはいかない。
 あの水槽の中で本当は終わるはずだった。
 たまたま逃げ出せたけれども、そのあともあのままだったら、きっとすぐに捕まっていただろう。
 それを、少しの間だけれども、楽しい日々を過ごせた。隆二が知らないものを沢山教えてくれた。
 それだけで、満足だ。
『それじゃあ、ね』
 隆二の返事を待たず、隆二と視線を合わせないまま、手を離すとエミリの方へと移動する。
 エミリの前に降りる。
『逃げて、ごめんなさい』
「そうですね。研究班はかんかんです。覚悟して置いた方がいいですよ」
 そういって歩き出す。その後をマオはゆっくりと追う。

「待てよ」
 それを隆二は引き留めた。
 自分が思ったよりも大きな声だった。いつもよりかすれていたのは、大目にみて欲しい。
 振り向いたエミリと振り向かないマオ。
 銃を構えたままの三人組。
「ふざけるな」
 ゆっくりと息を吐く。
 足に力をいれて、立ち上がる。
 三人組が撃とうとしたのを、エミリが片手で制した。
 大丈夫。まだ立てる。
「見くびるな。拾った猫を犠牲にする程、落ちぶれていない。俺は欲ばりだから全部手に入れたがるし、事実、それだけの力もあると思うぞ、なぁ、嬢ちゃん?」
 決して気は抜かず、それでも傍観者に徹していたエミリに話をふる。
 エミリは軽く目を見開き、
「……そうですね、おそらくそうなのでしょう」
 単純に、それだけ言った。
 それを聞いてにやりと笑うと続ける。
「ほら、嬢ちゃんだってこういってるさ。疑心暗鬼ミチコよりも、俺の方が強いさ」
 おどけてみせる。
「けがさせて悪いと本当に思っているなら、迷惑かけてしまったと思っているのならば、そうやって消えるんじゃだめだろ。本当にそう思っているのならば、俺にお詫びと恩返しをしろ」
 自分でも段々何を言っているか、わからなくなってきた。
 ただ一つだけいえるのは、今、この居候猫を見放すことができないということ。
『でもっ!』
 マオが振り返る。また、泣きそうな顔をしているな。そう思って目を細める。
 なんだか酷く不愉快だ。
 何が? そういう顔をしているマオが? そういう顔をさせてしまっている自分が?
 マオはそのまま、叫ぶように言葉を投げつける。
『でも、あたしは何も出来ないもの! 隆二がけがしているのに何も出来なかったし、恩返しもお詫びもきっと出来ない』
「そのうち肉体がもてるかもしれないぞ? そのうち霊体であるからこそ出来ることがあるかもしれないぞ? 半永久的に生きられるんだからな。そういうチャンスにいつか恵まれるさ。それがいつのことかわからないが、きっと研究所に行けば得られないことだと思う」
 そういってやわらかく微笑んだ。
 エミリが驚いたような顔をしたのを、視界の端に捕らえる。それはまるで自分が笑うのは気味が悪いみたいじゃないか、失礼な。
「マオが来てから、言わなかったけど、十分楽しかったんだ。それだけで本当は十分だったんだ。一人の、生活が長かったから」
 こころなしか視界が揺らいできた。血の生成が追いつていない。
 がんばれ、常人離れした俺の体。
 あやまちを、繰り返すな。
「あの赤いソファーに座って、二人でだらだらとテレビでも見よう。あのソファー、やっぱり一人には大きすぎるんだ」
 マオの瞳が揺らいだ。
「だから、なあ、マオ」
 一呼吸置く。

「一緒に帰ろう」

 そういって両手を広げてみせる。
 マオが一度きつく目を閉じる。
 何かを振り切るような動作だったが、それはほんの一秒足らずで、隆二の方へ向かって動き出した。

 銃声。

 マオが一瞬驚いたかのように目を見開き、それからすぐにゆっくりと目を閉じ、崩れるようにして倒れていく。
 それを視界に捕らえた瞬間、走り出す。体が悲鳴をあげるのを無視する。
 が、位置的に有利だったエミリが先に彼女を捕らえた。
 舌打ちすると隆二は、再びエミリとの間合いを取り直す。
「それは?」
 彼女が持っている先ほどとは、別の銃について尋ねる。
「なんでも研究班が開発した霊体にも効く銃だそうで、原理はわからないので省きますが。試作品ですし換えの弾もないので不安だったのですが、効いて良かったです。ついでに、今G016に触れるのも研究班が作ったこの手袋のおかげです」
 そういってから隆二を見て、少し呆れたように笑う。
「安心してください。麻酔銃のようなもので眠っているだけです」
 それでも隆二は彼女を睨むのをやめない。
「そんなこと言われて納得すると思っているのか?」
「いいえ。思っていません。ですが、その怖い顔はやめてください。さっき、貴方が微笑んでいるのを見てわたしはとても驚いたのですよ」
「失礼だな」
 鼻で笑う。
 エミリはそんな隆二を見るとため息をついた。
 三人組が銃を構えたまま近づいてくる。
「どうして、そんなにG016に執着するのですか?」
 エミリに抱えられたマオにちらりと視線をうつし、隆二は訥々と騙り始めた。
「ウサギは寂しいと死ぬらしい。小鳥も構ってやらないと死ぬらしい。そいつはもう、コトリとな」
 自分で言った、然して面白くもない冗談に、意味もなく喉をふるわせる。
 エミリが眉をひそめた。あるいは隆二を哀れむように、あるいは理解しがたいと言いたげに。
「それとこれにどういう関係があるのですか?」
「黙って聞け。だがな、マオは言った。人間はつまらないと死んでしまうんだ、ってな。そういうことは今の俺にはいまいちよく分からないが、ここしばらく一人で居た俺にはマオがいた期間がやけに新鮮に感じられてな」
 一度言葉を切り、軽く目を閉じる。
「もっとも、ほとんど振り回されていたんだがな」
 苦笑しながら付け加える。
「だが、不思議なことに、一人で今までどうやって過ごしてきたのか思い出せない。笑えるだろう? 一人で居た時間の方が長いはずなのに。だから、マオがいないと俺はつまらなくて死んでしまうかも知れない」
 エミリの軽く眉間にしわを寄せた表情が、何を意味するのか隆二にはわからなかった。
「……嬢ちゃん、猫を飼ったことは?」
「いいえ。ありませんが……」
「そうか。俺の知り合いで猫が大好きなやつがいてな。どれぐらい好きかというと、毎日毎日飽きもせずに野良に餌をやりに行くぐらい好きなやつだった。それで、その関係で何度か世話をしたこともあるんだが、猫っていうのは人になつかないで家になつく、とも言われている。それぐらいそっけないんだ」
 話の流れが見えない、とでも言いたげにエミリが首を傾げる。それに構わず話を続ける。
「いつも冷静で冷淡で、こちらが気を引こうと一生懸命になっても向こうは冷めた目で見てくるだけだ。だがな、時々、向こうの都合でしかないんだが甘えてくるんだ。不思議なものでな。ちっとも懐かないから嫌いだ、って思っていた猫も一度甘えられると手放せなくなるんだ。まぁ、この辺は人それぞれかも知れないし、俺も実際に世話をしてみるまでそんなの嘘だと思っていたんだがな。……そうだ、嘘だと思うなら、嬢ちゃんも一度猫を飼ってみればいい」
 つまり、なにが言いたいかというと、
「俺にとってマオはそういうもんだ。わかるか?」
 エミリは心持ち頷く。
「同族意識でも哀れみでもなんでもない。ただ居てくれるとありがたい、っていうだけなんだ」
 自分で言ってから、それが自分の台詞だとは到底思えなかった。
 かつて自分が愛した女性を看取る勇気がなかったそのときに。別れ際、彼女の前で自分は決めていたはずなのだ。
 もう二度と何かに深く関わらないと。
 マオが人ではないとはいえ、居てくれてありがたいという台詞が、まさか自分の口からでるなんて。
 でも、マオとなら永遠だってありえる、死ぬわけないのだから。そんなことを、思っている。
 全く一体、どういう心境の変化なのだろうか?
 この変化を彼女は喜んでいるのだろうか? 恨んでいるのだろうか? 悲しんでいる?
 どことなく後ろめたさを感じて、少し軽めの口調で隆二は付け加えた。
「そうだな、俺とあんたらの関係に少し似ているな。利用しあっている。ただ、決定的に違うと言えるのは、あんた達とはいつ寝首をかこうかタイミングを狙っているが、マオとはそんなことがないところだ。理解してもらえたか?」
 エミリは首を横に振った。
「言いたいことは理解できます。ですが、それがどうして、けがを負ってまでG016に執着する理由になるのかが分かりません。ただの、実験体でしかないのに」
「考え方の違いだな。まず、根本的なところが俺とあんた達とでは違っているな。あんたらはあいつのことを実験体として扱っているが、俺にとっては最初から、そうだな、これからもただの居候猫でしかない。そもそも、それを言うならば俺だって実験体なんだしな」
 そこまで言って、そういえば肝心なことを聞いていないことを思い出した。
「ところで、あんた達はどういう目的でマオを造ったんだ?」
「不老不死です」
「不老不死?」
 眉をひそめる。
「なんだ、まだやってたのか、あんたら。いい加減懲りろよ」
 死なない、老いない体の持ち主、かつての実験体は呆れて言う。
「……怒っていらっしゃいますか?」
 エミリが少しだけ、怯えたような顔をした。
「いいや」
 怒ってはいない。ばかにしているというべきであろう。
 人間ってなんて進歩が無いんだろう。まだ、それを望んでいるなんて。
 年もとらずに死ねないということがどういうことだか、実際に不老不死になってみないとわからないだろうか。だが、想像することぐらい出来るだろ? 自分の友人や恋人がどんどん年をとっていき死んでいくのをただ見ていることしか出来ない。
 きっと、それを望んでいる連中はなってから後悔するだろう。
 不死者はそう思ったが、口には出さなかった。
 今更言ったって無意味だから。別にそれを自ら望んだ赤の他人が、後から後悔しても彼にとっては株価が昨日よりも上がったのと同じ程度のことだ。
 代わりに再び質問をする。
「なんたって、未だにそれを?」
「今、それなりに日本は平和だと思いませんか? 医学も発展して、平均寿命というのものびています。それは、日本以外の多くの大国にも当てはまります」
「ああ」
「財産というのも、平均して暮らすのに困らない程度あります。聞いた話によると、贅沢を望まなければアルバイトでもそれなりに食べていけるそうですね?」
 自分の方を見るのは、同意を求めているからだと気づくのに少し時間がかかった。
 確かに隆二はたまにアルバイトするだけのフリーターだ。食べていく、という概念が薄いので失念していた。
「そうだな。とりあえず、家賃と光熱費は払えている」
「一部の多くの財産を持つ者は、お金を払って買えるものはほとんど手に入れてしまい、別の新しい何かを願っています」
「それが不老不死?」
「ええ」
「なるほどね。一生遊んで暮らせる以上の金があるやつなんかはもったいないと思うわけだ。一生遊んで暮らしても余ってしまうわけだし、実際一生遊んで暮らすのもなかなか難しいというか、辛いしな」
「みたいですね。よくわかりませんが」
「それで、不老不死と幽霊にどんな関係があるんだ? 不老不死になりたければ、俺みたいになればいいだけだろう? それとも、研究所にはもう、俺たちを造ったときの資料は残っていないのか?」
「資料は残ってはいるのですが、不完全なものです。それに、その『お金持ち達』は自分達の肉体が改造されることは拒んでいます。不老不死にはなりたいが、もしかしたら途中で死にたくなるかも知れない。そのときに死ねないというのは嫌だ」
「わがまま」
 小さく呟いた。
「それに、貴方のような飛び抜けた身体能力が欲しいというわけでもありません。ですから、私たちは新しく何かを考える必要に迫られたのです」
「別にわざわざそんなわがままな連中の言うことを聞いてやらなくても、他にやることはあるだろう?」
 エミリは隆二を見て小さく嗤った。
「もし私たちが拒絶すれば国際問題に発展しかねませんよ? 一応、研究所は日本にありますが、今は世界各国との共同研究所扱いになっていますから。それに、莫大な研究資金をあなたの言う『わがままな連中』が投資してくださっているので、ご機嫌を損ねるわけにはいきません。他にも色々と、『社会の役に立ちそうな』研究を抱えていますから」
「……面倒だな」
「幽霊を造っているのは、不老不死の研究の一環です。というか、最初は幽霊を作るつもりじゃなかったんですよ」
 一度こちらに視線を向け、問いかける。
「愚問かもしれませんが、ホムンクルスってご存知ですか?」
「ん、ああ。あれだろ? 錬金術にでてくる人造人間」
 人間の精液を、馬糞と共にフラスコに密閉し、四十日間経過すると、この精液は生命を生じる。人間に姿は似ているものの、まだ透明で真の物質ではない。さらに四十週間、人の生き血で養い、一定の温度を保つと、人間の子供と同じように成長する。身体は、女性から生まれた子供よりもずっと小さい。
 なんていう作り方を、記憶の中からひっぱりだしてきて考える。
「それで、ホムンクルスがどうしたって?」
「その、ホムンクルスは自然とあらゆる知識を身につけているが、フラスコの外で生きることはできないっていうのはご存知ですか?」
「そういえば、そんなのだったかも」
「そんなのだったんです。そこで研究班の人間は考えたんです」
「『あらゆる知識を身に付けているならば不老不死についても知っているのではないか?』って?」
「……はい」
 相変わらず、わかりやすい思考をしている人々だ。隆二は少しばかり苦笑する。
「ですが、やはり実験は失敗した。研究班は肩を落として、もう一度挑戦するかどうか話し合おうとしていた、そのときに気づいたんです。フラスコの近くに幽霊がいることに」
「……変な風に作用したってことか?」
「おそらく。もし幽霊が死んだ人間の魂だという説を信じるならば、死んだホムンクルスの霊だったんだと思います。そして、一応それで落ち着いています。ただ、これでも我々は一応科学者なので、科学的に証明できないことは信じていないのですが」
「……ふーん」
 まぁ、確かに、科学者か否かと聞かれたら科学者だろう。人の脳や内臓に手を加えて不死者をつくるぐらいなんだから。
 それに、病気の特効薬の発明とか新しい機械の製造とかに、実はこの研究所は関わっている。非人道的なことも行っているので、決して表沙汰にはならないが。
「なんか、失礼なこと考えていません?」
 顔に出ていたらしい。不機嫌そうな顔をされた。
「いやいやまさかそんなことないよ」
 答える自分も白々しい。エミリは信じていなそうな顔をしてこちらを見た。
「話の続きですが、幽霊というのは不老不死です。肉体がないのだから当たり前なのですが。それでホムンクルスの研究を進める一方で、幽霊についての研究もはじめました。それがG016達です。人がものを認識するのは、ものが光を反射するからなのは当然ご存知ですよね?」
 一つ頷く。
「ならば、その光の反射をあやつることが出来たならば、存在しないものをさも存在しているようにみせかけることも、逆に存在しているものを見えなくすることも可能なわけです。理論上は。G016達はその光をあやつって作ったとされています」
「そういうものかね?」
 それで、あんな幽霊が出来るものだろうか。
「が……、正直私は嘘だと思っています」
 重要なことをやけにさらりとあっけらかんと言われて、一瞬聞き逃しそうになった。
「え?」
「実は派遣執行官であるわたしには詳しいことは説明されていませんし、詳しい理論やなにやらはまったくといっていいほどわかりません。説明されても、正直、理解できるかどうかさえも怪しいですし……。研究班もそれを理解しているのでしょう、余計なことまでこちらに語ってきません。ですから、平気で研究班は嘘をつくんです。秘密保持のために」
 そういってエミリは肩をすくめた。
「……あんた、今随分なことを言ったな」
「そうですか? まぁ、組織なんてそんなものです」
 まさか十六歳の小娘に組織について語られるとは思っても見なかった。
「まあ、そんなこんなで出来たのがマオ、と」
「ええ。ただ、G016の製造工程には何かしらミスがあったようなのです。失敗作というか」
「ミス?」
「本来ならば、あんなに確立した自我は持たないはずなのです。霊というのは精神体ですから、あまり不安定なのはよくありません。多少の感情は埋め込みますがG016の場合は違います。ころころとよく感情が変わり、不安定で……」
 まあ、確かによくわからない感情の発露をする幽霊だ。
「ましてや逃げ出すはずなど、自意識をもつはずなど、ありえないはずなんです」
 エミリがそうやって言い切る。
 この少女は気づいているのだろうか?
 自分が如何に自然の道理に反したことを行っているのかを。感情を持っていることをミスと言い切ってしまうことの残虐性を。
 自分達が行っていることが、どういうことになるのかを。本当に理解しているのだろうか?
「若気の至り」
「はい?」
 思わず呟いた言葉に、エミリは眉をひそめて隆二を見てきた。
 そう言う表情のある顔をしていれば年相応に見えるのになといつも思う。もったいない。せっかく、祖母譲りの綺麗な顔立ちをしているのに。
「……なるほど、マオが作られた経緯についてはよくわかった」
「そうですか」
 エミリが頷く。
「ただ、納得はできない」
 エミリが少しだけ眉をひそめた。
「まぁ、それがつまり何を意味するかというと……」
 少し体に力を入れる。
「今更だが、俺たちの間に話し合いの余地はないってことだ。話し合いをしても構わないが、一晩かかっても終わらないだろう。一度植え付けられた価値観というのはなかなか払拭できないしな。まぁ、俺があんたらと話し合いで何かを解決したことはないし、ここ最近は敵対してすらいなかったからな」
「……そうですね」
 エミリは一瞬の躊躇の後、ため息をついた。味方から新たに受け取った銃を隆二に向ける。
 黒い三人も同じようにした。隆二を囲むように並んでいる。
「でも、最後にもう一つ聞いてもいいですか?」
「人にものを尋ねるときに銃口を向けろと、研究所では教育しているのか?」
 そいつは愉快な教育方針だ、そう言ってやると、エミリは不愉快そうに眉をひそめたものの大人しく銃を降ろす。
「それで?」
「もし、仮に、貴方のところに行ってG016が存在していけると思っているのですか? 聞いたとは思いますが、まだ試作段階なので定期的に人の精気を摂取する必要性があります。貴方はそれをちゃんと、得ることが出来ますか? 貴方に幽霊のために自分の精気を分けてくれる人間の知り合いがいるとは、とてもじゃないが思えません。ならば、無理矢理奪うことになるでしょう。そうなれば、いずれそれは、他者にばれるかもしれません。そうしたらどうするおつもりなのですか?」
 確かにその危険性はある。今だって問題視しているし、未だに答えは出ていない。それについては、いや、その他の問題についても考えればきりがない。
 それでも、そのリスクを犯さざるを得ないのは……、
「だが、戻ればマオは消去されるだけだろう?」
 そんな事態は避けたいから。
 エミリは少し、眉を上げた。
「言ってたよな。マオは失敗作だ、って」
 エミリが頷くのを確認するよりも早く、隆二は続ける。
「あいつらが失敗作を残しておくなんて考えられない。俺たちを造っていた頃はばんばん失敗作を棄てていったんだしな。消されると分かっているところに連れて行かせられるか」
 エミリは何も言わない。
 沈黙は何よりも雄弁な肯定。
 思い出すのは、あの失敗作と言われて消されていった自分と同年代の子どもの顔。そして、いつ自分の番になるのかといった恐れ。
 自分は成功作として扱われていると気づいたときにも、それらは忘れることが出来なかった。
 あのころは、ずっと悪夢にうなされていた。後ろめたさと罪悪感で。
 そんな気持ちに知り合いを、それも居候猫をさせることなど、隆二には出来なかった。
「それに俺たちがとる精気だって食物連鎖だと考えればいいだろう? 人間っていうのは不思議だよな。豚やら鶏やらいつも平気で殺して食べているくせに、普段食べない犬や兎を食べることを異端とする。どちらも生き物の命を奪っているという事実は変わらないのに。それならば、命を奪ったりしない程度の精気をとることはまだかわいい方だろう?」
 隆二はじっとエミリを見る。
「それは詭弁にしか過ぎません」
 少し沈黙が続き、エミリは絞り出すようにして言った。
「そうだな。詭弁かも知れない。だけど、本当のことだろう?」
 笑う。皮肉っぽく。
「あいにくと俺は、神様を信じちゃいねぇんだ。あんたら造物主を崇めるつもりは毛頭ない」
 そして、小さく息を吐いた。喉に渇きを覚える。
「まったく、今日で一年分は動いたし、しゃべったぞ。これで残り一年は動かずにしゃべらずにいても誰からも怒られないな」
 ついでに血も十年分は確実に流したな、と思う。
 軽口をたたく。口元には笑みが浮かんでいるが、しかし目元は笑っていない。見据えるようにエミリを見ている。
 それをみてエミリは一つため息をついた。
「やはり、素直に譲り渡してくれる気はないのですね?」
「根本的にマオは物じゃないしな。あいつが心の底から戻る気があるならば話は別だが。……マオにそういう感情を抱かせる自信はあるか?」
「わかりました」
 エミリは銃を構える。足下にマオを横たえた状態で。
「貴方のような協力者が居なくなるなんて、残念です」

 銃声。

 

 今度はきちんと避け切れた。
 引き金がひかれる直前に跳び上がる。
 そのまま黒い三人の一人の背後に。首筋に手刀を叩き付けて、一人昏倒。
 隣の一人が慌ててこちらに銃口を向けてくる。昏倒したばかりの味方を投げつけてやる。とっさに力ない体を受け取り、バランスを崩したところに横から薙ぐような蹴りを。これで二人昏倒。
 最後の一人が駆けてくる。激情に駆られたように。
「ばっ! 無茶ですっ!」
 エミリが叫ぶ。
 一発左手に弾をうけるが、それは一旦忘れることにする。駆け寄って来た相手の拳を、その左手で受ける。結構痛かった。
 そのまま相手の手を捻り、ついでに腹部に一発蹴りを。
「っと、お仲間がどうなってもいいわけ?」
 エミリが銃口を向けてくるから、そいつの首を左手で拘束し、そのこめかみに奪った銃を当てる。
 拘束された本人がうめきながらも小さく舌打ちした。
「随分、動けるんですね。そのけがで」
 エミリの言葉に思わず笑う。
「動けるようになるための時間稼ぎ手伝ってくれてありがとう」
 どうしてマオを作ったのか。それに興味がなかったといえば嘘になる。だが、わざわざ今このタイミングで訊いたのは、血の生成を間に合わせための、傷口を少しでも治すための、時間稼ぎに他ならなかった。
 ひっかけられたことを知り、エミリがくしゃりと表情を歪める。
「まあ、怒るなって」
 こっちがけがを治したことだって時間稼ぎにしかなってないんだから。まだ少し、くらくらする。
 エミリが一歩二歩、近づいてくる。
「撃つよ?」
 右手の銃を軽く動かしてみせる。
「撃てませんよ」
 エミリがバカにしたように笑う。
「撃てるって」
 そりゃあ、良心がとがめないわけじゃないけど。
「メンタリティの問題じゃありません」
「は?」
「セーフティがかかったままだ、バカ」
 答えたのは拘束されている本人だった。
 言われて隆二は手の中の銃を見つめ、
「……そうなんだ?」
 一体どこがどうなっているのかわからないまま、それを遠くの方へ力一杯投げた。
「……あ、はったりだった?」
 投げてからエミリに尋ねる。マオがこの間見ていたドラマにそんなシーンがあった。セーフティがかかってるぜ? とかはったりかました後にグーパンチしていたが。
「教えません」
 エミリはにこりともせずに答える。
「丸腰ですし、観念してください」
「うーん、あのさ」
 首筋に回した腕を見る。
「このまま俺が腕に力こめたら、あっさり首の骨って折れると思うんだ。だからごめん、彼が人質なのに変わりはない」
 エミリの眉が吊り上がる。
「俺の、ことは、かまいませんっ」
 人質がかすれた声をあげる。
 エミリの眉がますます吊り上がる。
「俺に殴りかかってくるとことか、そういうこと言っちゃうとことか、この人新入り?」
「……わかりますか」
「そんな気がした。嬢ちゃんよりは年上っぽいのになー」
「バカに、するなっ!」
「バカをバカにして何が悪いのさ」
 呆れて笑う。
「命あっての物種だ。そういうこと言うなって。がんばれ世に憚れそれじゃあまた」
 流れるように告げると、きゅっと首をしめた。頸動脈を圧迫。
 かくっと、気を失う人質。彼自身が着ていた上着で両手を縛っておいた。なんとなく、おまけ的な気持ちで。それから持っていたナイフも頂いた。
「……役に立ちませんね」
 立ち上がった隆二に、エミリが呆れたように告げる。
「こんなのしか来ないなんて、嬢ちゃん人望ないの?」
「慢性的に人員不足なんです。あと、エミリです」
「そっか、がんばれ」
 気を取り直したようにエミリが銃を構え直す。
「降参しましょう?」
「この状況でも降参を持ちかけられる嬢ちゃんが俺は結構好きだよ」
「エミリです」
「でも、俺をどうにかしたいならエクスカリバーぐらい持って来ないと」
 実験体の抹消に使われていた武器の愛称をおどけて言ってみせると、
「許可が下りなかったんです」
 真顔でそう言われた。
「って、許可申請したのかよ。マジでやる気だったのかよ……。もうやだ、若者こえぇ。ゲーム脳ってやつだな」
 思わず嘆く。エミリは大げさに嘆く隆二を観察するような目で見ていたが、小さく息を吐くと銃を構えた。狙いを定める。
 その瞬間を見逃さず、隆二はエミリの懐へと飛び込む。
 エミリが慌てて、狙いを定めなおす。
 だが、遅い。
 隆二の卓越された身体能力は、目で追うのが精一杯の速さでエミリの懐へとその体をもぐりこませた。
 それでも、隆二がマオを抱えてエミリの喉元に先ほどのナイフを突きつけるのと、エミリが隆二の額に銃口を押しつけるのは同時だった。
「おとなしくG016を渡してくれませんか?」
「お嬢ちゃんこそ、今日はもう帰ってくれないか。それにしても不意打ちとは酷いなぁ」
「このタイミングを狙っていたくせによく言いますね」
 喉元のナイフを忌々しそうに見ながら、エミリは言葉を吐き出す。
「別に演技でもなんでもないぞ。俺は至って真剣かつ深刻に嘆いていたからな」
 ナイフをさらに近づける。エミリは反射的に、少しだけ体を反らした。特にそれを気にとめたりせずに、隆二は続ける。
「さて、別に引き金を引いて俺の頭を打ち抜いてもらってもいいんだが。そうした場合お嬢ちゃんはマオを連れて帰れない。お嬢ちゃんが引き金を引く前に、俺は刺す。よくて相打ちだ」
「だから、降参しろ、と?」
「なんか不満?」
「父が言っていました。あなたは本気になれば研究所をつぶすほどの力を持っていると。でも先ほどから見ている限り、手を抜いていらっしゃいますよね? その結果のけがではありませんか?」
「ずいぶんと俺はおっちゃんに買いかぶられていたみたいだな。そんなに凄くはない」
「でもあなたなら、このままわたしたちを殲滅するぐらい造作もないのでは? 大体、貴方自身が先ほどおっしゃっていたではありませんか。『全部手に入れる力がある』と……」
「そりゃぁ、まあ。嬢ちゃんを殺すなんて赤子の手をひねるようなもんだけど、」
 そこで一度言葉を切って、言葉を探す。
 色々と物騒な言葉が思いついたが、あえてそれは却下し、なるべく穏便に聞こえそうな言葉を選ぶ。
「……ほら俺あっちこっち痛いし。それに、お嬢ちゃんをここで殺しちゃったら次はもっと手強い祓い屋が、」
「派遣執行官です」
「それがくることになるんだろ? それだと面倒だからな。研究所と敵対すると身分証明書とか偽造してもらえなくなるし。そうなると割と困るんでな。部屋借りたり、アルバイトしたり、そういうのできなくなるし」
「それはわたしが弱いと?」
 うめくようなエミリの言葉に、眉を片方あげる。
 まさか、そう返されるとは思わなかった。
「普通の女の子としては驚くべき強さだと思うから気に悩む必要はきっとないぞ。いや、気にした方がいいのか? そのままじゃ、彼氏も出来ないからな」
 腕に抱えているマオに思い出したように視線をやる。堅く目を閉じたまま、動かない。
 少しばかり不安になる。
「なぁ、こいつ、いつになったら起きるんだ?」
 エミリは一瞬、何のことを言われたかわからずにまじまじと隆二の顔を見てしまった。見てしまってから彼の視線の先に気づく。
「G016ですか?」
「あ~、言おうと思ってたんだが、それじゃぁ味気ないからマオ、な。せっかく俺が無い知恵しぼって考えたんだし。ほら、嬢ちゃんも祓い屋っていうと怒るだろ? それと同じだ」
 エミリは眉をひそめて何かを思案した後、不本意そうに言い直した。
「マオ……さん、でしたら、明日のお昼ぐらいには」
「そうか」
「でも、聞いても無駄ですよ。わたしが連れて帰りますから」
 隆二は肩をすくめた。
「さっきの新人君じゃないが、研究所の人間は命とかいうやつを粗末に扱いすぎる。俺がとやかく言えた立場じゃないんだがな。人っていうのは簡単に物に成り下がる。まぁ、生きることを放棄して、ただ『存在する』ことにした人間もいるがな。生きる屍っていうか」
 言ってから、ある意味それは自分にもあてはまるのではないかと思った。生きることをせずに、ただ存在することにした不死者。
 生きているから死ぬのであって、死なないものは生きていない。そんな理屈を並べ立てたって、結局他人には生きる屍にしか見えないのかも知れない。
 そこまで考えてから首を左右に振った。いずれにしても、今はまだ問題視する場面ではない。そういうことは、無事に助かってから考えるべきだ。
「だから、簡単に殲滅できるとか言うなよ」
 エミリは酷く不可解そうな顔をした。
 それが自分の言葉によるものではなく、表情による物だと気づくのに少し時間がかかった。意識してみれば、自分は酷く弱々しい笑みを浮かべていた。
 それにしても、笑みを浮かべるたびにそんな顔をされてしまっては、まるでいつも自分が仏頂面のようではないか。それは事実だが。
「もっとも、これはある人の受け売りなんだがな」
 そういって肩をすくめる。
 誰のか、とはエミリは聞いてこなかった。聞いても無駄だと思ったのかも知れない。なんせ自分の知り合いはほとんどもう死んでいるから。
 そう結論付けて次の台詞に行こうとした隆二は、エミリが隆二をじっと見つめていることに気づいた。先ほどまでの鋭い視線とは違う、どこか哀れむような目で隆二を見ていた。
 それからエミリは何度か言葉を選ぶように口を動かし、小さな声で言った。
「……大切な人だったのですね」
「は?」
 何故エミリがそういったことを聞いてくるのか、わからずに隆二は間の抜けた顔をする。確かに、それを言った彼女は、とても大切な人だった。いや、大切な人だが。
 エミリはわずかにうつむいていた顔を上げ、隆二を見つめる。
「とても懐かしそうで優しそうな顔をなさっているからです。自分の宝物を見るような……」
 隆二はエミリを数秒見て、額に手を当てて嘆息した。
「どうして嬢ちゃんは、面と向かってそういうことをいうかな。恥ずかしいじゃないか。そんな冷静に人の顔を分析しないでくれ」
 そう言って、手を額から離す。
 意識的に先ほどとは違う、真剣な顔をつくる。
 エミリが身構えたのが分かった。
「だから、」
 そういって、隆二は笑みを浮かべた。今度は、酷く楽しそうな笑みを。
「だから、俺は殺されるわけにも殺すわけにもいかないんだ。大切な人との約束だからな」
 そういって、持っていたナイフを半回転させ、刃の部分を握り直し、柄の部分でエミリの喉をついた。
「っ」
 瞬間、エミリが焦ったような顔をして、でもすぐに瞳を閉じた。
 気を失い倒れそうになったエミリを、マオを抱えているのとは逆の手で受け止める。
「……やりすぎてない、よな? 大丈夫だよな?」
 動かないエミリの顔の前に掌をかざし、息をしているのを確かめる。
 ナイフで切った掌をぼんやり眺める。満身創痍すぎて、これぐらいなんでもない。
 マオをちゃんと抱え直し、その頭をなんとなく撫でようとして、血まみれの掌に気づきやめる。代わりにマオを抱えたまま、地面に倒れ込んだ。
 このまま眠りたい。目が覚めたら全部どうにかなってないかな。
 投げやりなことを考えていると、
「……もしかして、全部終わりましたか?」
 穏やかな声がかけられる。
 視線を向けると、入り口に和服姿の男性が立っていた。
「おー、おっちゃん。呼び出して悪い」
 マオを抱えているのと反対の手をあげると、男性はつかつかと寄って来た。
「いえ、遅れてすみません。非番で自宅にいたもので」
「ああ、家、遠いんだっけ」
 中年のその男性は温和そうな顔を、痛ましそうにひそめた。
「だいぶ、お怪我をされているようで」
「まあ、ぼちぼち?」
「すみません」
「気にしなくていいって」
 ゆっくりと上体を起こす。
「悪い。色々あるんだけど、とりあえず今は家に戻りたい」
「はい。お送りします。その格好じゃ、外歩けませんしね」
 言われて改めて自分の全身を見下ろす。真っ赤だった。
「職質物件だなこりゃ」
 苦笑いする。それから倒れている黒服三名と赤服一名を指差す。
「これらの後片付けも」
「はい、引き受けます」
「本当、申し訳ない」
「いえ、こちらの不手際ですので」
 右手を出されたので素直に掴まる。そうして立ち上がると、車のキーを渡された。
「すぐそこに止めてあります。とりあえず乗っていてください。こっちをどうにかしたらすぐにお送りします」
「頼む」
 素直にそれを受けると、マオを抱えて倉庫から外にでる。
 今は一体何時ぐらいなんだろう。もうよくわからない。
 出てすぐに止めてあった黒塗りの車に乗り込む。
 倒れ込むようにして後部座席に座ると、目を閉じた。
 あとのことは、あとで考えよう。
 今はとりあえず、マオと一緒に帰れることを喜ぼう。
 眠ったままのマオの顔を見て、少しだけ笑った。


間幕劇 Has the cat got your tongue?

「約束を、して」
 彼女は言った。
 彼は腕を組み、彼女ではない方向を見ながら聞いていた。
 彼女はそんな彼に構わず、続ける。
「人は簡単に『もの』になってしまう。だから貴方は、誰も殺さないと、自分も殺されないと約束をして」
 彼女の言葉が耳に痛い。耳をふさぎたい衝動に、寧ろ耳を千切り取りたい衝動にかられる。その衝動を必死で押さえつけ、それでも彼女を見ることは出来なかった。
「決して生きた屍にならないで。貴方は生きていて。どんなにめちゃくちゃでもかっこわるくても構わないから、生きていて」
 それはなんだか、一生の別れのようにも聞こえた。
 それは彼女も覚悟をしていると言うことなのだろうか。このまま二度と逢えないことを。
「それから、」
 彼女は微笑んだ。
「私は此処で待っています。ずっとずっと。だから……」
 彼女は彼の頬を両手で挟むと、無理矢理自分の方を向かせる。彼は体勢を崩し、片手を畳の上についた。
「だから、絶対に帰ってきなさい。いつになっても構わないから」
 彼が何も言えないでいると、彼女は額を彼の額に押しつけた。
「……約束ぐらい、しなさいよ」
 その声がかすれたようなことに気づく。彼女がそんな風に物を言うときは、泣くのを我慢しているときだと言うことを彼はよく知っていた。
 いつもいつも、彼女にはそんな気持ちばかり抱かせている。
 また泣かせてしまうのは忍びなくて、こちらも少し押し殺した声で返した。
「……ああ」
 彼が小さく呟くと、彼女はそっと彼の額に唇でふれた。
「約束、だからね」
 そのまま、自分よりも頭一つ分は高い彼の頭を抱える。彼は抵抗しない。軽く目を閉じる。
「……ああ」
「帰って、きなさいよ。待っているから」
「……ああ」
「本当に、わかっているの?」
「……わかっては、いる」
 彼の言葉に含まれた意味合いに彼女が気づかなかったはずがない。
 彼女は今までだって、彼の言葉の裏を簡単に読んでいたのだから。けれども、彼女は何もそれについては触れなかった。
 ただ、またかすれた声で言った。
「……ずっとずっと、待っているからね。ずっとずっと……。ねぇ、――」
 そうして、彼女だけには教えた彼の本当の名前を呼んだ。
 その懐かしい響きに、彼は小さく唇を噛んだ。本当に今生の別れだと思ったから。
「待っているから……」
 そして、彼女は歌った。頭の上から聞こえてくる、心地よい歌声に彼は目を閉じた。
「指切り拳万、嘘吐いたら針千本飲ます」
 いつまで経ってもどこか子どもっぽいところのある彼女は、何か約束事をするときに必ず指切りをした。
 最初に指切りを求められたときは、どうしたらいいかわからずにどこかくすぐたかったが、いつの間にかそれにもなれて、どこか心地よさを感じるまでになっていた。
 けれども今は、断罪の言葉に聞こえる。
 彼女は人を責めたりしないと知っているのに、そう聞こえる。
 そして、決して指を絡めることなく彼女は歌い終りを告げた。

「指きった」
 

 結局、彼女には二度と会えなかった。
 否、逢おうとはしなかった。
 自分は嘘吐きだ。針を千本飲まされても文句は言えない。
 いや、もし今彼女が目の前に現れて、針を飲ませようとしたならば、拒みはしない。
 むしろ、喜んでそれを飲み込もう。
 彼女に会えるならば、針を飲み込むぐらいなんでもない。
 決してかなわぬ夢であることは重々承知である。


第七幕 居座り続ける居候猫

 さよなら、と自分は言った。
 そうやっていった自分を、彼はひきとめてくれた。彼はそのとき、怒っていた。
 あんな風に怒ってもらったのも初めてだなぁ、と思う。
 怒ってまで自分を引き留めてくれただなんて、考えてみればとても嬉しいことじゃないか。
 そう、だからあたしは彼のところに帰らなくちゃ。
 そうして、恩返しとお詫びをしなくちゃならないんだもの。恩返しとお詫びが出来るなんて、なんて素敵なことなんだろう。
 彼はそうやって、あたしに居場所を提供してくれる。

 ……でも、どうして、どうして、急に体が動かなくなってしまったんだろう。この先で隆二が待っていてくれているのに、
 はやく帰らなくちゃ……。
 だから、ねぇ、隆二。
 行かないで。
 待っていて。
 お願いだから、あたしを置いていかないで!


 マオがうっすらと目を開けたとき、最初にうつったのは、あの赤いソファーにもたれてとてもつまらなさそうな顔で本を読む隆二だった。
『……隆二?』
 夢かも知れないと思って声をかける。
 だって、どうして彼が自分の目の前にいるのだろうか?
 隆二は目を開けたマオに気づくと、つまらなさそうな顔はそのままで言った。
「おはよう、マオ。いや、もうおはようじゃないか?」
 時計に視線を移した隆二はどうでもよさそうな声でそういう。
 視線をそれに移したら、午後一時をさしていた。
「大丈夫か? なんかお嬢ちゃんに変な銃で撃たれていたが」
 隆二はまたつまらなさそうな顔のまま、マオに尋ねる。
 その顔がわずかに心配そうにゆがめられているなんていうのは、自分の都合のいい思いこみだろうか?
 自分の置かれた状況を確認する。視界に入る赤。マオの大好きな、隆二の家の、赤いソファー。
 少し混乱している記憶を整理する。
 そうだ、あのとき自分は撃たれて……、そして、どうして今、隆二の家にいるんだろう? その間に一体何があったのだろう?
『……隆二、あれから何があったの?』
「死闘の末、全員を無事気絶させて、とりあえず知り合いに丸投げしてきた」
 始終一貫してつまらなさそうにそこまで言うと、隆二は再び視線を本に移す。
 ゆっくりと時間をかけてその言葉を理解し、呟いた。
『それじゃぁ……、あたしは』

 言ってしまうとそれはまるで消えてしまうかのように、マオはゆっくりと慎重に、問う。
「マオ?」
 隆二が本を閉じて、マオを見る。
『あたしは、まだここに居ていいの?』
「ん? ああ」
 その台詞に多少面食らったように、隆二が頷く。
「だからなんで駄目だって思う」
 隆二はそこまで言って、言葉を切った。
 マオの顔が何故か泣きそうなぐらい歪んでいたから。
 どうしたのだろうか?
 また自分は何か、まずいことを言ってしまったのだろうか?
 また何か、彼女を泣かせるようなことを言ってしまったのだろうか?
 そう思った次の瞬間には、隆二はマオに抱きつかれていた。

『ありがとう』

 ほとんどすすり泣くかのような声でマオは言う。
『ありがとう。守ってくれて、助けてくれて、待っていてくれて』
 小さな声で、何度も何度もマオは呟く。
「……別に」
 そういうものの、自分はなんだか酷く優しそうな声をしていると思った。無意識のうちに、マオの頭を撫でていた。
『だけど、ありがとう。もう、迷ったりしないから。もう二度と、消えることを選択したりしないから。存在を維持していくためならば、どんなことでもする覚悟だから』
 隆二の肩に顔をおしつけるようにしているからマオがどんな顔をしているのかわからない。少し顔を動かせば分かることではあるが、何故か隆二はそうする気が起きなかった。
『だから、ずっと、ずっとここに置いていて。あたしが、何か出来ることがみつかるまで。……できれば、見つかってからも。お願い……』
「ああ。むしろ、それは俺のほうからもお願いしたいな。きっと、人生が愉快そうだ」
 少し笑いながらそういうと、マオも顔をあげて小さく笑った。
 それから、隆二の姿を見る。あちらこちらに傷痕があり、包帯の巻かれた体。
『……痛い?』
「いいや。……すぐに治るさ」
 安心させるように微笑む。自然とそう答えていた。
『……あの人、また、来るかな?』
「いや、それについてはまた別の」
 ピーンポーン。
 隆二の言葉を遮るようにチャイムがなる。
 マオがおびえたように隆二を見る。慌てるマオを片手で制す。
「大丈夫。多分、解決編のはじまりだから」
 そうして笑ってみせると、玄関に向かう。
 ドアをあけ、そこに立っている人を見ると口元に笑みを浮かべた。ほらやっぱり。
「昨日はどうも」
「いいえ、こちらこそ」
 昨日、倉庫に来た男性が笑っていた。

 

 隆二は来客をダイニングに通す。
 突然現れた和服を着た男性に事態が把握できず、しばらくマオはその人を見ていたが、男性が彼女の方を見て会釈したところ、慌てた。
『隆二、もしかして、その人!』
「あ~、大丈夫だから落ち着け」
 意味もなく手足をばたばたさせるマオの手をひっぱって、自分の隣に座らせると、来客を目で示しながら言う。
「確かにこの人は研究所の人間だが、研究所の人間には珍しくとても話のわかってくれる人だから大丈夫だ。昨日も助けてもらったし。なぁ、おっちゃん?」
 そういうと正面に座った来客は苦笑した。
「相変わらず辛辣ですね。それから、そちらのお嬢さん、マオさんでしたか? 今のお名前は。心配しないでください。わたしは別に争いに来たわけではありません。ただ、昨日の娘の不作法な行いのお詫びと、それからこちらの今後の方針を話しに来ただけなので」
 ゆっくりと相手の言葉を理解し、
『ええっ!?』
 マオは大声をあげて来客を指さした。
『え、娘って娘って、あの人の父親っ!? 赤いのの!?』
「お前、結構失礼だぞ」
 隆二が横目でマオを睨んでたしなめる。
『え、でも、だって、似てないっ! 顔とか髪の色とかもあるけど、なんていうか性格が! 空気が似ていないっ!』
「ああ、それは俺も思う。どうしたら、おっちゃんの娘があんな破天荒な性格になるのか、不思議でしょうがない」
 隆二とマオでよってたかってそういうと、エミリの父親、和広は困ったように笑った。
「そういわれましても……。恵美理はどちらかというと母親似ですし、外見はわたしの父似なんですよ。無鉄砲な性格は、わたしの母譲りですしね」
 そういってから、顔を引き締める。
「それよりも、昨日はうちの娘が本当に失礼なことを致しました」
「いいって、いいって」
 隆二は手をひらひらと顔の前で振った。
「結局、俺らの勝ちなわけだし、そんなにたいした被害もなかったから」
 マオが何かを言いたそうな目で見てくるのを無視する。
「ですが、けがもされたようですし」
「別にすぐ治るって。っていうか、おっちゃんに謝られてもねぇ。おっちゃんは責任感強すぎ」
 昔からそうなのだが、隆二には和広に責任を押しつけると言うことが出来なかった。
『隆二は責任感がなさすぎだわ』
 マオが横でぼそりと呟く。
「お前が言うな」
 マオの頭をはたく。
 文句を言ってくるマオを無視して、和広に向き直る。
「昨日は悪かった。急に呼びだして」
「いえいえ。寧ろよかったです。恵美理はどうにも暴走するところがありますし」
「祖母にそっくりの、なー」
『呼び出したの?』
「あーほら。コンビニの人に電話借りただろ? あの時」
 菊の家から電話をかけたのが和広だった。研究所の人間で唯一信頼出来る人間。寧ろ、神山隆二が唯一信頼出来る人間といっても過言ではない。
「本当はマオさんがいる先が神山さんのところだとわかった段階で、恵美理は研究所に一度連絡をいれるべきだったんです。それをあの子は、逃げられたことに腹をたてて一人で暴走して」
「途中で増えたしなー」
「増援に呼ばれた彼らは新人だったので、適当に言いくるめられたのでしょう。まったく、男親は駄目ですね。特にあの子は妻の忘れ形見ですし、ついついわたしも甘やかしてしまって……」
 そこでマオが説明を求めるように隆二を見た。
 おそらく、彼女が考えていることは当たっているだろう。隆二は一つ頷いて見せた。
 和広の妻、つまりはエミリの母親は、エミリが小さい頃に他界したと聞いた。
 もし生きていたなら、また話は違ったかもしれないのに、と時々思う。
「いずれにしてもけが一つ無く、恵美理を諫めてくださってありがとうございました」
 頭を下げる。
「あんまり人にけがをさせるなって、言われているんでな」
 なんとなく居心地が悪くて、ぶっきらぼうにそう答えた。
「……そうですか」
 和広は一瞬何か言いたげに口を開いたが、すぐに当たり障りのない言葉を言った。
 ふと、この人はどこまで知っているのだろうか? と思った。直接は知らなくても祖母から、あの死神から、過去の話を聞いたことでもあるのだろうか。
「そういえば、嬢ちゃんが増援で呼んだのがおっちゃんじゃなかったのはちょっと意外だったな」
 そうしたらもっと早く話が解決しただろうに。
「今はこうやって事後処理をするのが仕事なんです。もう、走り回れるような体力は残っていませんし」
 台詞の後半で和広は苦笑した。
 その笑い方と台詞に、和広が老いた事を実感し、隆二はまた置いていかれたような気分になった。誰かが年をとったことに気づくといつもなる、あの気分。
 それを悟られないように勤めて明るい声で言う。
「へぇ、それはおっちゃんにぴったりだな。まさに天職?」
「…… そうですね。わたしがこういうことを言うのも問題だとは思うのですが、わたしたちの研究所には血の気の多い人が多すぎます。わたしはあまり争いごとは好きではありません。話し合いで解決できるのがやはり一番だと思います。そういう意味ではこういう仕事はぴったりですね」
「あの研究所にもおっちゃんみたいな人が増えてくれたらおれは非常にやりやすいんだが」
 小さくため息。
「それで、事後処理は無事に終わった?」
 隆二の言葉を聞き、マオも心持ち体をこわばらせて和広の顔を見つめる。
「ええ、そうですね。どちらかというとこちらが本題です」
 和広はそういうと、居住まいを正し二人を見る。
「昨日のことを一通り報告しました。まあ、多少、神山さんに有利になるように情報を操作したことは否めませんが」
「いやいや、ありがたい」
「結果、今後のこちらの方針と致しましては、神山さんというかつての……こういう言い方をしてしまうことをお許しください。かつての実験体と現在研究している実験体のマオさんとが出会うと言うことは極めて稀であります。また、マオさんは……、こういう言い方をしてしまうことは非常に失礼なのですが、こちらから見ればかなり異質な存在です」
『異質?』
 マオは不愉快そうな顔をする。
「らしいぞ」
 その言葉に隆二が答える。
「お前ほど自我が確立していて、また感情が豊かなのは、嬢ちゃんに言わせれば失敗作らしい」
『……失敗作、かー』
 自嘲気味にマオは言う。
「あの子はそんなことを言いましたか……」
 和広は眉をひそめる。
「すみません。マオさん、そんなに気にしないでください。わたしたちに貴女を失敗作だという資格はありません。……そもそも、本当は神山さんにもマオさんにも謝らなければならないのですから」
 和広は頭を下げる。
 しばらく沈黙を流れたが、マオがそれを破った。
『でも、あたしは作ってもらえて嬉しいわ。それから、こういう事をいうと自分勝手に聞こえるかも知れないけれども、隆二が不死者でよかった。そうじゃなかったら、例えあたしが作られていてもここにこうしていられなかったんだもの。……そうなよ、あたしがここに今いるのは凄い偶然の連続だと思わない!?』
 急に思いついたのか、マオが大きな声で嬉しそうに仮定の話をはじめる。
 一つ事例を挙げるたびに、一つ指をたてながら。
『もし、あたしが作られなかったら、根本的にあたしは存在しなかった。もし、あたしに感情が無かったら逃げ出さなかった。もし、隆二が居なかったら、もし、隆二に幽霊が見えなかったら、もし、隆二に会わなかったら、あたしはとっくの昔に捕まって消されていた。もし、隆二がただの人間だったら、あたしを助けてなんてくれなかった。他にもきっといろんなことがあって、あたしは今ここにいるのよ! ねぇ、これってすっごい偶然の重なりだと思わないっ!』
 自分のその発見が嬉しいのか、頬に手をあてて、とても楽しそうにそういう。
 和広は少し驚いたように目を見張って、隆二はあまりに“マオらしい”態度に微笑んだ。
「そうだな。確かに、マオの言う通りだ。もし、マオの存在が生み出されることがなければ、俺は未だに独りでだらだらと存在しつづけていただろうな。それを悪いとは言わないが、だが、今の方が楽しいことに違いはない」
「ですが」
 何か言いかけた和広を遮り、
「ま、だからな、おっちゃんがそんなに気にすることはない。それに、俺が咎めたいのは俺らをつくったじいさん達であっておっちゃんではない。そして、じいさん達はもう逝っちまったんだろ?」
 軽く肩をすくめる。そして、まるで聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるように続けた。
「つまりおっちゃんが気に病む必要はない。違うか? もっと言うならば、気に病む必要性の無い人間に謝られることほど、不愉快なことは無い」
 沈黙。
「……そうですか」
 和広はゆっくりと顔をあげて、二人を見ると微笑んだ。
「お二人にそう言っていただけると、非常に気が楽です」
 小さく息を吐く。
「それで、先ほどの続きですが、そういうお二人がこうして一緒にいると言うことは、今後……こちらとしても何か役に立つことがあるかもしれません。ですから、わたしたちはこれからはマオさんのことを追うことは致しません」
 マオが目を見開いて和広を見る。隆二は表情を全く変えず、腕を組んだ。
「ですから、……安心してください」
 言い終わると同時に、マオは顔をぎりぎりまで和広に突きつける。
 和広はわずかに身を引き、隆二がそれを咎めた。
「おまえ、それ失礼だって」
 けれどもマオは、そんな言葉は耳に入らないかのように、和広の顔をみて言った。
『それ、本当? 本当に、本当に、あたしはここにいていいの?』
「え、ええ……。もしかしたら、何かご協力をお願いすることがあるかもしれません。そのときに、協力さえしていただけたならば……」
 たじろぎながら和広が答えると、マオは顔中を笑みにして和広に抱きついた。触れていないが。
『ありがとうっ! 本当に本当にありがとう! 貴方、大好きだわっ!』
「え、えっと……」
 救いを求めるように自分を見る和広と、それから自分の中に生まれたいらだちに背を押されて、隆二はマオの後ろ襟首を捕まえて自分の隣に再び座らせた。
「少し落ち着け」
 けれどもマオはおちついたりせずに、今度は隆二に抱きつく。
『だって、嬉しいじゃない!』
 そのまま、猫のように体をすり寄せてくるマオに閉口する。
 それをみて、和広は笑った。
「……なんだよ、おっちゃん。助けてやったのに」
 笑われていることに気づき、情けないぐらい恨みがましい気持ちで言う。
「すみません」
 まだ笑いながら和広は首を横に振る。そして、ただ……と続ける。
「神山さんは変わったと思いまして」
「はぁ?」
「恵美理に聞いてはいたのですが、神山さんがそうやって楽しそうに笑っているところをみるのは、もしかしたら初めてかもしれませんから」
 慌てて口元に手をやると、確かに口は笑みの形になっていた。
 なんだか悔しくて、無表情を装う。
 けれどもそれは、自分にひっついたまま大はしゃぎするマオによって、簡単に崩された。
 小さく舌打ちをして、苦笑と微笑が入り交じった笑みを浮かべる。
 それを見ながら和広は続けた。
「やはり、マオさんと神山さんが一緒にいることはいいことだと思います」
「なんでだよ」
 これのどこが? 顔にそう浮かべて、隆二はマオを指さす。
「そうですね……、手負いの獣が治療を施してくれる者にあったみたいですよ」
 それだけいうと、口をつぐむ。
 それは一体どちらがどちらなのだろうか? それとも、二人とも両方にあてはまるということなのだろうか?
 説明を求めて和広を見ても、和広はゆっくりと首を左右に振るだけだった。
 自分で考えろと言うことだろうか? それとも、言った和広自身もわかっていないのだろうか?
 いずれにしても、やけに饒舌な和広に少しばかり閉口して肩をすくめる。
 和広はそれに気づき、笑った。
「しゃべりすぎましたね。それから、お邪魔のようですし、今日はもう失礼いたします」
 そういって立ち上がる。
「え、ああ。別に邪魔じゃないが……」
 その言葉の真意を測りかねて、隆二はしどろもどろに言った。それからテーブルの上がやけに寂しいという事実に気づく。
「そういえば、お茶も出さないで悪かった」
「いいえ。わたしたちがかけた迷惑を思えば、お茶をだして頂くなんて厚かましいです」
 和広はそういうと、やけにゆったりとした動作で出ていった。穏やかな、まるで自分の子どもを見るような笑みを残して。

 和広を見送り、まだひっついたままのマオに視線を落とす。
「いい加減離れろ」
 無理矢理引きはがすと、マオは不機嫌そうな顔をしたが、やがて微笑んだ。
『ねぇ、隆二。お願いがあるの』
 上目遣いで頬を染めて、伺うように、言ってくる。
「お願い?」
 客人が帰ってから、というのも変な話だが、コーヒーが欲しくなり立ち上がりかける。
 マオはそんな隆二の手を掴み、引き留めた。
『ちゃんと聞いて』
 その手を振り払うだけの理由も思いつかず、隆二は黙って再び腰を下ろした。
 それを見届けてからマオは続ける。
『あのね、あたし、まだ、存在して少ししか経っていないじゃない?』
「ああ」
『だからね、あたし、まだまだ知らないことたくさんあると思うの……』
「だろうなー、マオはバカだから」
『む……、否定出来ない』
 揶揄するように言うと、マオは少しだけ不満そうに呟いた。
『だから、否定出来ないから。あたしはまだ、何も知らないから。だからね』
 小首を傾げて、隆二の顔を見つめる。
『あたしに、世の中の事を教えて欲しいの。この偏った知識を、足りない部分を補って欲しいの』
 隆二の顔を見つめてまっすぐにそう言い、
『……頼んでも、いいかしら?』
 最後は少し臆病に、付け加える。
 そういうところが、本当に猫のようで愛らしい。
「残念だが、教えられるほど生きてはいない」
 隆二はそっけなくかえす。
 マオが視線を落とした。あからさまに。
『そう、だよね、図々しいよね、ごめ』
「だがな、」
 マオの言葉を遮り、笑った。
「一緒に学んでやってもいい」
『え?』
 ゆっくりと、微笑んでみせる。
「一緒に学んで行こう、色々と。知らないこととか、わからないこととか。それなら、付き合うよ。ひとでなし同士、仲良くやって行こう」」
 マオはしばらくぽかんっと間抜けに口をあけて隆二を見ていた。
 それから隆二の言葉を理解したのか、じわじわと微笑んでいく。笑顔が顔を、徐々に浸食してく。
『そうね!』
 マオが顔上げ嬉しそうに笑った。
 そう思ったら、隆二は再び抱きつかれた。
『そうね、そうしましょう』
 喉を鳴らしそうな勢いでそういうと、神山家の居候猫は微笑んだ。
『そうね、あたしたちひとでなしね! 人間じゃないもの同士、仲良くやっていこうね! 隆二性格悪いからそういう意味でもひとでなしだよね!』
 さりげなく罵倒された。よし、とりあえず礼儀というものを教えるところから始めよう。
 敢えてこの場ではつっこまず、心の中でだけそう決意する。
『約束よ、絶対に約束よ』
 そして、また楽しそうに笑う。
『ゆびきりげんまんよ! うそついたらはりせんぼんのますんだからね!』
 頬と頬をすりよせながら、マオが笑う。
「……ああ、約束な」
 隆二も小さく、笑んだ。

 風がカーテンをゆらした。


第一幕 居候猫と新たなる居候

 その日、マオはいつものように夕方の散歩を楽しんでいた。
 人並みに紛れるようにしてふよふよと浮きながら、道行く人を眺める。楽しそうな人、悲しそうな人、急ぎ足の人、のんびりと歩いている人。皆それぞれ違っていて、見ていて飽きない。直接はかかわれないものの、そうやって周りの人々を眺めることが、マオは好きだった。
 でも、そろそろ戻らなければ。好きな番組が始まってしまう。公園の時計を見てそう思うと、隆二の家に戻ろうとし、
「ちょっと、そこの幽霊のお嬢ちゃん」
 丁度その時、右手からそんな声が飛んで来た。
 穏当ではない声のかけられ方に勢いよく振り返ると、一人の青年がそこにいて、
「そうそう、お嬢ちゃん」
 マオを指差しながら、にっこりと微笑むと続けた。
「神山隆二っていう名前の不死者、知らない?」
『いっ』
 マオはその言葉を理解すると、咄嗟に叫んでいた。
『いやぁぁぁぁっ!! 不審者ぁぁぁぁ!』


 神山隆二は、いつものようにコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
 元々彼にとって本を読むのは、暇つぶし程度の意味合いしか持たなかった。しかし、ここ最近、居候猫が居着いてからはどたばたしていて潰す暇が存在しない。そうなると、時間を作って意地でも本を読みたくなるから不思議である。居候猫の散歩の時間に、一人静かに本を読むのが、今の彼の密かな楽しみであった。
『りゅぅぅぅじぃぃぃぃ』
 遠くから、居候猫の鳴き声が聞こえる。
 時計に視線を動かすと、午後五時半になろうとしていた。居候猫は午後五時半から始まる、特撮ヒロイン物、疑心暗鬼ミチコの再放送をとても楽しみにしている。
 毎回毎回、よく丁度の時間に戻ってくるよなぁ。そんなことを思いながら、片手を伸ばしリモコンを手に取る。スイッチをいれる。再び本に視線を落とす。もうちょっとで読み終わりそうだから、邪魔しないで欲しいなぁ。
『りゅーじぃー!! たぁいへんー!』
 窓からぴょこっと居候猫の顔が生える。
「テレビならつけたぞ」
 本に視線をやったままそう告げると、
『そんなこと! どうでもいいよぉ!』
 マオが隆二の目の前で両手をばたばたさせながら叫んだ。
「は?」
 思わず本から顔をあげる。
 どうでもいい? マオが疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと? 彼女の中でひょっとしたら隆二よりも格上の、疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと?
「……どうした?」
 知らず、低い声になる。一体何があったというのだ。
『大変なの! あのね、あのね! さっきね、そこでね! 知らない人に声をかけられたのっ!!』
 それで? と流しそうになって、
「は?」
 慌ててマオを見る。彼女の向こう側に、テレビが透けて見える。今日も今日とて、安定して、どっからどう見ても、完璧な幽霊だ。
「声をかけてきた?」
 完璧な幽霊に声をかけてくるなんて、普通の人間じゃない。幽霊が見える人がいても、スルーするのが通常だし。
『うん! でね、その人に言われたの! 神山隆二っていう、不死者を知らないかって!』
「神山隆二っていう、不死者を知らないか?」
『うん!』
 マオが頷く。
「神山隆二っていう不死者、か」
 そこまで知っているっていうことは……、何だ?
『どうしよう! 一応ね、まいてきたけどね!』
 マオはあせったように両手を無意味に動かす。
 ぴんぽーん、チャイムの音が部屋に響く。
『うひゃっ』
 驚いたようにマオが声を上げ、隆二の背中に隠れるようにする。壁にめり込んでいるが。
「隆二、いるんだろー」
 ドアをがんがん叩きながら、来訪者は声を張り上げる。
「お嬢ちゃんのあと、つけさせてもらったから、ここだろー」
「まけてないじゃないか」
 思わず背後のマオにつっこむ。
「俺だよー、俺俺」
『やだっ、オレオレ詐欺だわっ』
 いつのまにオレオレ詐欺は対面方式になったのか。
「エミリちゃんにさー、住所訊いたのに教えてくんねーの、個人情報とか言ってー」
 外の声は返事がないことを気にした様子もなく、続ける。
『……エミリ』
 隆二の背後でマオが小さく呟いた。ぎゅっと隆二の腕を握る。それに気づくと、隆二は振り返って、一度マオの頭を撫でた。
 先日の一件後、改めてエミリが謝罪に来たものの、マオはエミリのことは苦手のようだった。まあ、仕方ないよな、殺されかけたわけだし。幽霊だけど。
 などと思っている間にも、
「りゅーじーあーけーろー」
 ドアをガンガンたたきながら、声がする。
「……すっげー、無視してぇ」
「開けないとないことないことご近所に吹聴すんぞー」
 聞いていたようなタイミングで外の声が言う。というか、
「聞こえてるんだろうなぁ」
 小さくため息をつくと立ち上がる。
『隆二ぃ、大丈夫なの……?』
 怯えたような顔をするマオに笑いかける。
「知り合いだから」
 言って仕方なしにドアをあけた。
 黒髪の男が、楽しそうな顔をして立っていた。
「お前さ、もうちょっと普通に来いよ。チャイム鳴らしたなら出るまで待てよ」
「待ったってどうせ隆二出る気なかっただろう」
「当たり前だろうが」
「じゃあ、こうするしかないじゃないか」
 男は悪びれずに笑う。
「うちの居候猫が怖がるじゃないか」
 そうして一度言葉を切り、
「京介」
 相手の名前を呼んだ。

 

 男は神野京介と名乗った。
「まあ、あれだ、俺の同族だ」
『りゅーじの』
 マオは京介を上から下まで眺めて、
『そっか、隆二の』
 安心したように呟いた。
「うん、隆二の仲間ー。さっきは怖がらせたみたいでごめんねー、マオちゃん」
 京介が笑いながらいうから、マオは首を横にふった。
「っていうかさ」
 隆二は京介を見て、
「くつろぎ過ぎじゃね?」
「まあまあ、気にしないで」
「するって」
 ダイニングテーブルに座る隆二の視界にうつるのは、赤いソファーにだらりと腰掛けた京介だった。お前の家かよ。
 隆二の向かいに座ったマオは、ちらちらとテレビに視線を送っている。事態が落ち着いたらテレビが気になるようだ。
「……マオ、気になるならあっちでゆっくり座って見ろ」
 テレビの方を指差すと、
『でも』
 困ったように隆二とテレビと京介に視線を動かす。
「いいから。京介、お前こっち座れ」
「はーい。マオちゃん、どうぞ」
 京介は素直に立ち上がると、隆二の向かい側に座る。それを確認すると、マオはソファーに移動した。
「で?」
 頬杖をついて隆二は問う。
「何に来たわけ、お前」
 仲間同士で今までまったく連絡をとらなかったわけじゃない。だが、なんとなく連絡を取り合わないようにしよう、という不文律が出来ていたはずだ。それがこうやって会いにくるなんて。
「色々あってさ! しばらく置いてよ」
「帰れよ」
 即答した。
「なんで俺がお前を家に置かなきゃいけないんだ」
「色々あったんだって」
「じゃあせめてその色々を話せ。いや、やっぱり話さなくていい。かかわりたくない」
「懸命だね」
 京介が笑う。
「住む場所がないなら嬢ちゃんに声かければどうにかしてくれるだろ」
「エミリちゃんに借りを作りたくないのは、隆二だって一緒だろ?」
「まあ、それはそうだけどな」
 代わりにどんな面倒なことを頼まれるか。
「家賃なら払うよ。なんなら全額。光熱費も払ってもいい。ついでに、俺持ちで食事を作ってもいい」
 楽しそうに、そして少し嫌味っぽく京介は笑うと、
「寂しいんでしょ、懐」
 言葉につまった。
 確かに、マオに正体を隠すために食べる必要もない食事をとっていたことが予想外の出費となって、貯金額が目減りしている。京介の提案は、とても魅力的だった。
「俺、普通にバイトしてたから金あるよ?」
 駄目押しの一言。
「……わかった」
 しぶしぶ頷くと、
「金の力に惑わされましたねっ!」
 テレビに言われた。空気読み過ぎだろ。
「あ、富子」
 テレビに視線を移した京介が呟く。
 とみこ?
「……ミチコじゃないのか?」
 尋ねると、
『違うよー、ミチコはこの前終わったよー!』
 テレビの前で拳を握ったままテレビを見ていたマオが、振り向かずに答える。
「美少女四字熟語シリーズっていうシリーズ物なんだよ」
「四字熟語……」
「一作目が疑心暗鬼ミチコ。これは二作目の七転八倒富子」
「七転八倒……」
 ヒーローとしてはどうかと思うネーミングだ。
 見れば、確かに画面上で戦う少女は肘宛てやヘルメットなどをしている。あ、転んだ。
『富子はねー、強いんだけどよく転んじゃうのー』
「毎回十五回は転ぶんだよ」
「転び過ぎだろ」
 毎回七転八倒か。
『でも、強いんだよー』
 それが一番重要だ、とでも言うようにマオが念押しする。強ければ転ぶのも許されるのか、ヒーローも。
「ちなみにこれ、富子役の子が撮影中に骨折しちゃって、途中で主役が交替するんだ。当時の雑誌には、七転八倒富子、本当に転倒! って出ててさ」
「なんでお前、詳しいんだよ」
「ちょっと調べたことがあって」
「なんでそんなもん調べるんだよ」
「ミチコのお面をお祭りで見かけたんだよ。これ、なんのキャラなのかなーって思って」
「お祭り、ねぇ」
 そんなものにどうして京介が行ったのかの方が気になる。
『あなた! 詳しいのねっ!』
 マオが目を輝かせながらテーブルに飛びついて来た。
 テレビはエンディング曲を流していた。なるほど、終わったからこっちに来たのか。
「そのうち富子の代わりに、七転びヤオ君子がやるはずだよ」
 京介は笑いながらマオに告げる。
「七転び八起き……」
 ようやく起き上がるようになったか。
「あとあれは特撮物だけど、アニメ版もあるんだ」
『へー』
「そっちには四苦八苦久美子っていうのもあるよ」
「四苦八苦……」
 ようやく起き上がったのに。
『すごいね! 隆二!! 京介さん、詳しいのねっ!』
 はしゃいだようにマオが両手を叩く。
「あー、まあなー」
 詳しいには同意するが、それがすごいのかどうかはわからない。
 京介はにこにこと笑っている。
『本当、すごいっ』
 マオが楽しそうで、なんとなくそれが癇に障る。さっきまであんなに怯えていたくせに。そんなことを思ってしまう。怯えているよりは、楽しそうにしていてくれる方がいいのだが。
「マオ、おまえ、ちょっとは落ち着け」
 言いながら自分の隣を指差す。
『はーい』
 マオは素直に隣に座った。それに少し安堵する。
「事後承諾で悪いが、しばらくこいつも一緒に住むことになった」
「よろしくねマオちゃん」
 言われてマオは少し困ったような顔をしたが、
『うん、わかった』
 小さい声で頷いた。
『家主が言うなら仕方ないもんね』
「……いつの間に家主とか覚えたんだ?」
 元々妙なことは知っていたが、なんだか感慨深いものがある。小さい子どもの成長を見守る親のような気分になった。小さい子どもを持つ親になったことなんてないけど。
『テレビでやってたよ。夕方のニュースのね、特集。激闘! 家賃の取立合戦? とかで。あれね、面白いの。万引きGメンと夜回りおばちゃんのシリーズが好き! あ、あと警察に密着するやつ!』
「……そうか」
 ただ、知識の仕入れどころが偏っているので、今ひとつ安心できないが。
 二人のやりとりを楽しそうに見ていた京介は、話が終わったことを見届けると、
「ごめんね、よろしくね」
 微笑みながら右手を差し出す。
 マオはしばらく躊躇った後、その手を握った。
 握れた。
『……触れるんだ』
 握手した手を離してから、マオが小さく呟く。
「あー、同族だからな」
「同族だしね」
『……同族。不死者ってことだよね?』
「ああ」
『……研究所の?』
 こちらの顔色を伺うようにして問うマオに、小さく頷いてみせる。
『京介さんは、隆二とは仲いいの?』
「よくはないな」
「いいよ」
 二人で顔を見合わせる。
「いつ、俺とお前の仲がよくなったんだよ」
「酷いな隆二。俺はお前のこと、他の二人よりは仲いいと思ってるぞ」
「……まあ確かに、小言の五月蝿いコーヒー狂いと味覚音痴の甘党と比べりゃあ京介とは仲がいい部類だけどな」
「年も同じだしな。颯太となんかは五歳も違うし」
「こんだけ生きてりゃ誤差の範囲だろ」
 ぽんぽんと隆二と京介二人が会話するのを、
『むー、ちょっとっ』
 膨れっ面したマオが遮った。
『わかんないっ、何の話してるのかぜーんぜんわかんないっ』
 こちらを睨んでくる。
「そうだぞ隆二。ちゃんとマオちゃんにもわかるように話をしないと。仲間はずれにしたら可哀想じゃないか」
『そうよそうよ!』
「俺一人のせいかよ……」
 一つ溜息。
「だって俺、お前がどこまでマオちゃんに話したか知らないし」
「あー。ま、そうだろうな」
 少し躊躇った後、
「ほら、成功した実験体が俺をいれて四人だっていうのは、話したよな?」
 隆二の言葉にマオは頷く。
『聞いた』
「それの一人がこれなわけ」
『京介さんね?』
「で、残った二人のうち一人が、俺等の中で最年長で、小言が五月蝿くて、コーヒーにこだわりがあり過ぎてひくレベルのやつ。神崎颯太」
『かんざきそーた』
「颯太はね、インスタントコーヒー飲んでるやつを見つけると、片っ端から説教かますから、気をつけた方がいいよ」
 京介が付け足す。
「あれ、なんなんだろうな。こだわりが強過ぎて本当ひくんだが」
 インスタントしか飲まない隆二としては、二度と会いたくない人物の一人だ。殺されかねない。
『隆二はこだわり無さ過ぎだと思うけどな』
 マオが呟く。
「……そうか?」
『うん。無趣味っていうか』
「誰かさんのせいで退屈してないから趣味とかいらないんだ」
『ああ、あたしのおかげで毎日楽しいってことね』
 頬に手を当ててマオが嬉しそうに笑う。よくまあ、瞬時に前向きに解釈出来るよなあ、この無駄ポジティブめ。そうは思うものの、マオが言っていることもあながち間違いじゃないので否定もできない。
「俺の趣味の話はどうでもよくて。最後の一人。俺等の中で最年少。味覚音痴の甘党、神坂英輔」
『かんざかえーすけ?』
「そう」
『甘党って?』
「甘いものがそれはそれは好きなんだ。あいつ」
 隆二は少し眉間に皺を寄せる。
「俺はあいつが一番怖い。甘いもののためならあいつは何でもするんだろうな、って思うから。俺か甘いものか選べって言われたら、あいつは間違いなく甘いものをとる」
「全世界を敵にまわしても、甘いものを食べ続けるんだろうな」
 京介も嫌そうに呟いた。
 マオはふーんっと少し悩んでから、
『変な人ばっかりねー』
 しみじみと呟いた。
「そういう意味では、京介は割とまともだよな」
「え、何その上から目線。隆二、自分のことまともだと思ってるわけ?」
「あの二人に比べたらまともだろ」
「まあねー」
『……よっぽど変人なんだねー』
 くすり、とマオが笑った。
『ちょっと会ってみたいなー』
「それは勘弁してくれ」
 マオがその二人と会うならば、必然的に隆二も会うことになるのだろう。それはちょっと嫌だった。
「最後にあったのいつか、ってレベルだしな」
『あんまり会わないの?』
「用もないし」
 それに、会うとどうしても過去のことを思い出して憂鬱になる。何年経っても何十年経っても変わらない自分達は時間軸から取り残されていることを、改めて認識することになる。だからなんとなく、お互いに積極的にあうのは避けるようになっていた。たまに、研究所絡みの依頼で会うことはあっても。
「俺、会って来たよ、二人に。ここに来る前」
「は?」
 さらりと告げられた京介の言葉が、理解出来ない。
「は? 何、お前、わざわざ颯太と英輔にも会って来たわけ?」
「うん」
「なんでだよ」
 そして何故最後をここにして、居着こうとしているのか。
「ちょっとみんなの顔が見たい気分だったんだ」
 微笑む。そんな京介に、隆二は得体の知れないものを見つめる目を向ける。
「……大丈夫か、つかれてるのか?」
「どっちの」
「憑依の」
「憑かれてねーよ」
 だって、お互いに会わないという暗黙の了解を破って、わざわざ会いに行くなんて、正気の沙汰とは思えない。
「色々と自分を振り返りたいことって、あるだろ?」
「いい年して自分探しってことか」
「うん、そんな感じ」
 そんな感じなのか。
「……まあ、なんでもいいんだけどな」
 お互い過度にかかわりたくないし。
「相変わらずだったか、あの二人」
「相変わらず、コーヒーと甘いものを愛してたよ」
「なら、いいんだ」
 お互いがお互いの場所で、それなりにやっていてくれるのならば。たった四人の仲間だから、それなりに彼らの平穏を祈っている。
「っと、マオ悪い」
 また話から爪弾きにしてしまった。少しむくれたマオに謝る。
『いいよー』
 むくれたものの、隆二の方から謝ったからか、すぐに笑った。
「じゃあ、マオちゃん問題」
「お前はお前で急に何を言い出す」
「神山隆二、神野京介、神坂英輔、神崎颯太。この四人に共通することって何だと思う?」
『同族なんでしょ?』
「あー、ごめん名前で」
『……名前?』
 マオが眉根を寄せながら、四人の名前を呟く。
 ああ、その話ね。隆二は理解すると、
「音じゃ、わかんないだろ」
 マオ、バカだし。
「あー、そっか。紙とペン」
 京介は納得したように頷くと、右手を無造作に出してくる。なんで借りる側が偉そうなんだよ。
 仕方なしに立ち上がると、部屋の片隅で放置されていたバイト情報誌とボールペンを手渡す。京介はその余白に四人の名前を書き込んだ。
『あ! わかった、神様!』
 マオが嬉しそうに声をあげる。
「正解」
 京介が微笑むと、
『わーい、あたったー』
 嬉しそうに両手を叩いてから、隆二に抱きついた。
「この問題、間違える方が凄いだろ」
 思わず小さく呟いたが、幸いマオの耳には届かなかったようだった。
『んー、でもなんでみんな神様なの?』
 隆二の右腕に張り付いたまま、マオが尋ねる。
「希望が欲しかったんだよ」
 それに端的に答えた。
 あの時、研究所から逃げ出した時、四人で過去に決別することを決心した。だから、人間だった時の名前を、改めて捨てた。識別番号なんて、勿論捨てた。
「神って名字につけとけば、なんとなく報われる気がしたんだよな、あの時」
 京介が言いながら苦笑する。
「若かったよなぁ、あの時」
「ああ」
 神がつく名字をそれぞれ考えて、
「下の名前は、それぞれ交換したんだよな。音だけ採用して、漢字は変えて」
 京介が続けた。
「……ああ」
 隆二は一つ頷くと、ひっついたままのマオを伺うように見る。
『へー』
 マオはぽかんと口を開けて、そう相槌を打った。ほんの少し、予想外の反応だった。
『なに?』
 そんな隆二の視線に気づいたのか、マオが首を傾げる。
「……いや」
 訊かれるかと思ったのだ。隆二の本当の名前は、きょうすけ、えいすけ、そうた、のどれなのか、と。
 けれどもマオは、そんなことには興味がないようだった。
『でも、結局今は神山隆二なんでしょ? そうやって、呼べばいいのよね?』
 ただそれだけを念押しするように確認してくる。
「ああ」
『うん、わかった』
 そしてぱっと花が咲くように笑う。
『りゅーじ』
 楽しそうに隆二の名前を呼ぶ。それから、隆二の右腕から離れる。
『あのね、あたし、お腹すいちゃったの』
「あー、そっか」
 この前の食事から日があいている。
「手伝う?」
 意識のない人間から精気を奪うことを食事とする幽霊に問いかけると、
『ううん、色々お話あるだろうし、、あとは二人でごゆっくり』
 微笑みながら断られた。
『それじゃあ、行ってきます』
 マオは笑って、壁の向こうへ消えて行く。
 もしかしたら、マオはマオなりに、気を使ったのかもしれない。
「良い子だねー、マオちゃん」
 その姿を見送ると、京介が呟いた。
「……それで、本当はお前、何しに来たんだよ?」
 マオがいなくなったことで、幾分語気を強めて尋ねる。
「言ったじゃん、色々あったんだって。それで皆に会おうと思って」
 京介は笑ったまま答える。
「あ、でも」
 そして笑ったまま続けた。
「隆二のところを一番最後にしたのも、泊めてくれっていったのも、隆二が心配だったからだよ」
「なんで」
 なんでお前に心配されなきゃいけないんだ。
「エミリちゃんに聞いてさ。また女の子と住んでるって。また、傷つくんじゃないかって隆二が」
 気づいたら、にこにこ笑ったままの京介の胸ぐらを掴んでいた。
「乱暴だなー」
 あっけらかんと京介が呟く。
「余計なお世話だ。京介には関係ないだろ」
 それだけ告げると、手を離す。少しよろけたものの、京介は小さく微笑んでいた。
「関係あるんだなぁ、これが」
「何がだ」
「茜ちゃんのこと、隆二がどう思って」
「いい加減にしろっ!」
 声が大きくなる。
 ここにマオがいなくてよかった。激昂した頭のどこかで、冷静にそんなことを思った。
「次に茜のこと口にしたら追い出す」
「はいはい」
 おどけたように京介は両手を軽く上にあげた。
「悪かったって。とりあえずさ、なんか飯食おうよ」
「別に俺は食べる習慣ない」
 まだむしゃくしゃしたまま、斬り捨てる。
「でも、食べること嫌いじゃないだろ? しばらく料理人のまねごとしてたから、なかなか上手いよ、俺」
 そうして京介は冷蔵庫を開ける。
「うん、思ったとおりなんにもないね」
「……悪かったな」
「なんか適当に作るよ。あ、ちゃんと俺が出すからさ、材料費。食えないものとか、ないよな」
 いつもの調子で問われた言葉に、小さく頷く。
「うん、じゃあ、そういうことで」
 言うと、さっさと京介は部屋から出て行った。当たり前のように。
 ドアが閉まる音を聞きながら、椅子に腰を下ろす。
「……なんだっていうんだよ」
 呟いた言葉は、誰もいない部屋に溶けていった。

 

『わぁ……』
 テーブルの上に並べられた料理を見て、マオが感嘆の声をあげた。
『すごぉーい、テレビみたいっ』
 テレビっ子のマオにとって、それは最大級の褒め言葉だ。
「あはは、ありがとう」
 料理人である京介がそれを受けて笑った。
「海鮮とほうれん草のジェノベーゼパスタに、ただのサラダだよ」
『でもすごぉい、あたし、コンビニのおにぎり以外見たの初めて!』
「……子どもにちゃんとした食事与えてない家庭みたいになるからやめろ」
 なんだか恥ずかしいじゃないか。事実だけど。
「まあ、この家、皿すらろくにねーんだもん、びびるよな」
「使わないし」
 っていうか、皿も買って来たのか。道理で見たことない皿だと思った。
「隆二、知ってるか。最近の百均って」
「ひゃっきん?」
「おおぅ、そこからから」
 露骨にバカにしたような言い方で、
「百円均一。店内の商品が全部百円なんだよ。あ、別途消費税かかるし、たまに百円じゃないものもあるんだけどな。あれ、罠だよなー」
『知ってる! テレビでみた! 色々な便利グッズが売っててね、それを何に使うか当てるので見た!』
 だからどれだけテレビっ子なんだ。
「このお皿も百均だ」
「……へー」
 見た感じ、普通に家にある他の皿に見える。
「最近は、すごいんだなぁー」
 呟くと、
『……隆二、そういうの、年寄りっぽいからやめた方がいいよ』
 マオに真顔で諭された。ほっといてくれ、実際年寄りなんだから。
 この場の平均年齢をぐぐっと下げている出来たてほやほやの幽霊少女は、うっとりした目でテーブルを眺めてから、
『ああっ、あたし、今までで一番幽霊なことを悔しいと思ったっ』
 両手で顔を覆って、盛大に嘆いた。もっと他に悔しがる場面なかったのだろうか、平和でいいけど。
 これで不味かったら大笑いだ。
 席に着くと、なんとなくぎこちない動作でフォークを手に取る。だって、久しぶりだし、コンビニおにぎり以外って。
『あ、いただきます言わなきゃ駄目よっ?』
 隣の椅子に腰掛けるようにして浮きながら、こっちをじっと見つめるマオにつっこまれた。
「……はい、いただきます」
 素直に両手を合わせて呟く。
 向かいで京介が楽しそうに笑ったのが、これまたむかつく。また尻に敷かれている、とか思っているんじゃないよな?
 ちょっとパスタを巻くのに苦労した後、口へ。咀嚼。
 わくわくしたようなマオの視線と、勝ち誇ったような京介の視線を感じる。ああ、癪に触る。
「……うまいよ」
 しぶしぶ答えた。
 今までの隆二の食生活には、あまりなじみのない味だが、嫌いじゃなかった。美味しいと思った。麺の固さも丁度いいし。なんだか悔しいけど。
 京介がにやりと笑った。
「だから言ったろ? 料理人してたって」
「あー、はいはい」
 なんか本当むかつく。別に料理作る能力なんて自分に必要だとは思わないけれども、それでも。
 隣でマオが尊敬の二文字を瞳に浮かべて京介を見ている。
『いいなぁー』
 食事を続ける二人を見て、頬を膨らませる。
『あたし、仲間外れー、お腹空いたー』
「それは嘘だな」
 さっき食べてきたばっかりだろう。
『むー』
 ますます不満そうな顔になった。
「マオちゃんって人の精気食べるんだっけー?」
「それも嬢ちゃんから聞いたのか?」
「うん」
 なんでもぺらぺら喋るな、あいつ。それでよくうちの住所を喋らなかったもんだ。
『そうだよー』
 言ってからマオは、ほんの少し身を引き、隆二の方に寄る。
「どうした?」
『……怒る?』
 うかがうように京介を見ながら尋ねる。
 ああ、それ、まだ気にしていたのか。でも多分、京介なら、
「なんでー?」
 あっけらかんと京介は答えた。予想どおりの言葉に、隆二は少し笑う。
 フォークを置き、マオの頭を撫でた。
「俺たちの誰も、マオのこと責めたりしないから」
「うんうん、英輔とか颯太とかに会うことがあっても、それ聞かなくていいよ。怒るわけないから」
『……本当?』
 上目遣いでおそるおそる聞いてくる彼女に笑う。
「同じ穴の狢、なんだろ?」
 いつだったかマオが言っていたことを言ってみると、小さく顎を引いた。
『んっ』
 だってみんな、化物なんだから。
 それは言わずに飲み込む。わざわざ改めてこんな場所で、ここにいる者の心を抉る必要はない。?
「んー、じゃあさ、マオちゃん」
 京介は軽薄そうな笑みを浮かべて、
「次、お腹空いたら俺の精気あげようか?」
「何を言っているんだお前は」
 即、つっこんだ。
「なんだよー、やきもち?」
「バカか。不死者に精気なんつーもんが、あると思うのか」
 半分死んでいて半分生きていて、そしてそのどちらでもないのに。
「なにかあったらどうする」
「なんだ、マオちゃんが心配なんだ」
 そしてまた、にっこりと笑う。
「だからっ」
 それに思わず声をあらげて、
『え、違うの?』
 マオのちょっと不満そうな声に、勢いを失う。
「……いや、心配してないわけじゃなくて」
 なんで京介がそんないちいち勝ち誇った顔をするのかが気になるのだ。笑った顔の裏に、また心配しているんだ? という文字が見えるのは、穿ち過ぎだろうか。
『心配?』
 未だに隆二に近づいたままのマオが、顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「……ああ」
 仕方なしに頷く。心配しているかしてないかと言えばしているし。
 マオはそれを聞いて、心底嬉しそうに笑った。
『うん、だから、せっかくだけど駄目だねー、京介さん』
 やたらと嬉しそうに告げる。
「そっかー、残念だー」
 対して残念でもなさそうに京介が答えた。
『それに、隆二が止めなくても、京介さんが人間でも、いらなぁい』
「なんで?」
『だって、男の人ってまずいもの』
 当たり前のように告げる。そしてそのままの口調で、
『男の人は、隆二以外いらなぁい』
 爆弾を放った。
「マオっ」
 咄嗟に大きな声が出る。びくっとマオが体を強張らせて失態に気づく。
『え……、ごめんなさ……』
「あ、違う、怒ったわけじゃなくてだな」
 その発言自体はもう聞いたことがあるし、マオにとって自分が特別な存在であることは理解している。鳥の雛における、刷り込みに似たような感覚。社会でふれあった初めての存在で、親のようなものだということは。
『でも……』
「怒ってない。嫌なわけじゃない。だからそういう、泣きそうな顔するな」
 瞳を潤ませたマオの頭を撫でながら、左頬に突き刺さる視線にうんざりする。
 マオの発言それ自体は、なんの問題もない。如何せん、言った場所が悪かった。
 見なくてもわかる。にやにや笑った京介の顔が。
「へぇー」
 案の定、からかうような京介の声がする。
「仲いいんだねぇー」
 それを素直に受け取れない。
『……あたし、隆二のこと好きだもん、隆二は特別だもん』
 さすがのマオも、京介の言い方になにか思うところがあったのか、挑むようにして告げる。
 うん、気持ちは嬉しいが、あんまり今そういうこと言うな。そいつに言うな。
「隆二も満更でもなさそうだもんねー」
「まあ」
 曖昧に頷く。何言っても泥沼になりそうな気がする。
『隆二の、まあ、は割と好きなんだからっ』
 マオが威嚇するように吠えた。
「……まて、それはどういう」
『え、違うの』
 威嚇の表情を改めて、きょとんとした顔をする。
『だって、前、梅のおにぎり好き? テレビより本の方が好き? って聞いた時、まあ嫌いじゃないって言ったじゃん』
「……そうだっけ?」
 よく覚えているなぁ。こっちは、そんな会話をしたことすら覚えてないのに。
『でも、隆二、梅のおにぎりも、本も、好きでしょう?』
 頷く。
『だから隆二の、まあ、は割と好きの意味だよ』
 そうしてマオは屈託なく笑った。
「……そっか」
 なんとなくその笑みに気圧されて頷いた。そんなこと、考えたこともなかった。
「好きじゃなきゃ一緒に暮らさないもんな」
 黙って見ていた京介が口を挟む。
『そうでしょう?』
 今度はマオが勝ち誇ったような顔をする。
『羨ましいでしょ』
 何がだ。
 京介は一度目を細め、小さくなにかを呟いた。それから、
「さて、それはともかく、食事を再開しよう」
『本当、はやく食べないともったいないもんね!』
 京介の言葉にマオも従う。そっと隆二から距離をとり、隣の席に座った。
 京介が食事の続きを始めて、
「おまえも喰えよ」
 黙って見ていた隆二を促す。隆二も再びフォークを手に取った。
 マオと京介が二言三言楽しそうに会話する。
 さっき、京介が呟いた言葉。
「繰り返すなよ」
 そう、聞こえた。それは気のせいだったのかもしれない。被害妄想かもしれない。
 それでも、
「余計なお世話だ」



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