目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第二幕 猫への餌のやり方

 少女は呼びだされた。そして大変無責任な指令をうけとった。
 どこに逃げたのかもわからない実験体を探せと言われた。
 組織の末端である少女に拒否権はなく、しぶしぶと立ち上がった。
 幸い、目撃情報は沢山あった。
 とりあえず、その最後の目撃情報の場所に向かう事にした。


 工藤菊はいつものようにコンビニでバイト中だった。
 この今時「菊」なんていう名前をもっている十九歳の少女は大のオカルト好きである。彼女曰く、「累の怪談」で憑依される少女とか、「四谷怪談」の伊右衛門の末娘とか、「番町皿屋敷」の下女とかに共通して見られる「お菊」という名前には「死者の声を聞く」という意味があって、「菊という名前をもつ私は死者の声を聞かなければ」ということらしい。
 見た目は、完全に今時ギャルなのに。
 ちなみに、オカルトは好きなものの彼女に霊感は皆無である。未だに死者の声を聞いたことはない。
 そんな彼女が最近ニュースで話題になっているミイラ事件に興味をしめさないわけはなかった。
 ミイラ事件。二カ月程前から、発見される屍体。最初の屍体の身元はまだ若い女性だったが、肌はかさかさに乾燥し、というか、体全体が乾燥し、まるでミイラのような状態で路上にて発見された。
 その後も、一週間に一度のペースで、計七人が被害に遭っている。全員がミイラのような状態で発見されている。
「猟奇的よねー」
 と、菊は呟いた。店内には今、客がいない。
「被害者が若い女性が多いっていうのも、なんかねー」
「これはきっと人間の仕業じゃないわ!」
「吸血鬼とか?」
「チュパカブラかも!」
 オカルト、都市伝説、全般が彼女の守備範囲である。
「チュパ……?」
「それとも新種のなにかかしら? だって血は抜かれていなかったのだもの、チュパカブラではないわよね」
「ね、ちゅぱかぶら? って何?」
 同僚バイトと盛り上がる。主に菊一人で盛り上がる。
 ドアの開閉に伴う音楽が流れる。車の音が店内に流れ込んでくる。
「っと、いらっしゃいませー」
 入って来たのは常連の青年だった。男性にしては少し小柄で、イマイチ愛想のない人だった。今日もグレーのシャツとジーンズという極めてラフな格好だ。
 ひょろっとしていて不健康そうで、何をしている人なのか気になっている。
 定期的に来て、インスタントコーヒーと煙草を買って行く。煙草はいつもマルボロを三箱。菊はそそくさとマルボロを三箱用意した。
 レジにやってきた青年はいつもと違って、おにぎり二つとサラダを持っていた。
 そのまま何も言わない。
「……あれ、あの、煙草は?」
 思わず聞いてしまう。
 青年は一瞬右肩の辺りを鬱陶しそうに見てから
「今日はいい、です」
 そう言った。
 そのまま、おにぎりとサラダを買って店を出て行った。
「珍しい、煙草買わないなんて……」
「ねー? 禁煙かなー、カノジョに怒られたとか?」
 同僚が小さく呟いた。
「え、カノジョいんの?」
「いや、知らないけど」
「いるなら見てみたいわー」
「なんかでも、面食いっぽいよねー」
「あー、なんかわかるー。超美人な人とか連れてそうー」
「で、尻に敷かれてそうー」
「えー、それはわかりかねるー」
 そのまま、あの人の恋人はどんな人間か、ということで盛り上がりだした。

 

 

『偉いじゃない! ちゃんと禁煙して! 見直したわ!』
 おにぎり二つとサラダが入ったコンビニ袋を下げてあるく隆二の背後でマオが言った。
「んー」
 適当な相槌をうつ。だから外で話かけんなって。
 マオが居着いて一週間が過ぎた。
 最初は割と、今から思うと比較的、大人しくしていたが、しばらくしたら慣れたのか煙草を吸っている隆二の目の前で、
『煙草は体に悪いのよ!』
 と突然言い出してきた。
『あなた、死ぬわよ!』
「インチキ霊能力者かなんかか、お前は。死ぬわよ! とか言って壷でも売りつけんのか」
『れっきとした科学的事実! 煙草は体に悪いのよ! 禁煙しなさい!』
 居候の分際で偉そうに。大体幽霊が科学的とかって言葉を使うのはどうなんだ。
 無視してもよかったが毎日のように同じ事を言われると、さすがに精神的にしんどかった。相手をするのが。
 増税で値上がりしたし、多少節約してもいいだろうとそれに従っている。
 事なかれ主義、万歳。

 自宅に戻り、バイト情報誌を見ながら、買って来たおにぎりを咀嚼する。
 ぱりぱりの海苔も、少し堅いお米も、久しぶりに食べるとそう悪いものでもないような気がした。
 ぱらぱらと、バイト情報誌の短期バイトの辺りを見る。
 貯金はまだまだ余裕があるが、最近予想外の出費が続いている。金銭に余裕があるにこしたことはない。何か適当なものはないかと思っていると、
『りゅーじー、テレビ』
 襖をあけっぱなしにしている部屋から、マオの声がする。そっちを見ずにリコモンをいじった。
 正午からはじまるサングラスの司会者の番組がマオはどうやら好きらしい。今はまだお昼のニュースをやっていた。
 2DKの部屋。一部屋が寝室、もう一部屋にはテレビと赤いソファーだけを置いていた。ソファーは以前、もらったものだ。
 マオはその赤いソファーが気に入っているようで、よくそこに寝転がり、テレビを見ている。どうやらテレビもやたらと好きらしい。隆二一人だとそんなに見ることがなかったテレビが、マオが来てからフル稼働だ。
「ミイラ事件の続報です」
 テレビが告げる。
 ああ、あの事件、まだ解決してなかったのか。
 ふっとマオをみると何故か真っ青な顔をしていた。隆二が見ているのに気づくと
『あ、あたあたあたし、さ、散歩行ってくるね』
 慌てて立ち上がろうとしてこける。幽霊もこけるんだなーとか思いつつも
「マオ」
 ひとこと呼ぶと、びくっと動きをとめた。
「ここに座れ」
 テーブルの向かいの椅子を指差す。マオはしばらくおどおどと視線をさまよわせたあと、ゆっくりと腰掛けた。律儀に正座している。
 怒られる気、満々だな。
「お前の仕業か」
 テレビを指差す。話題はとっくに、どこぞの国で世界一大きいピザのギネス記録に挑戦したとか、そんな緩いものになっていたが。
『……はい』
 マオはおどおどと視線をさまよわせ、小さい声で呟いた。
 ミイラ事件、まるでミイラのようになって発見される屍体。
 それはつまり、
「精気を抜いたな?」
 尋ねると、マオは小さく何かを言って、俯いた。
「それは、どういう意図で?」
『……いと?』
 目線だけあげて、マオが首を傾げる。
 伝わらなかったか、バカだから。
「理由」
『……その、あたし、それがないと、消えちゃうから』
 今にも消え入りそうな声で言われた。
「……なるほど」
 人の精気を喰らい、存在する幽霊。
 まったくもって何者かわからない。
「お前は本当、わけのわからない幽霊だなー」
 呆れて呟く。
 テレビは、マオの好きなお昼の番組のオープニング曲を流しはじめた。
「あ、テレビ、始まったぞ」
『……え』
 マオは上目遣いで伺うようにこちらを見て来た。
「なんだ?」
『……お話、終わり?』
「ん? ああ。確認したかっただけだし。まだなんかあるのか?」
『……そうじゃなくて』
 もじもじとスカートの裾を両手でいじりながら、
『……怒ってないの?』
「怒る? 何故?」
 本気でわからなくてそう聞いた。
『だって、あたし……、人、殺しちゃったし……』
「だって、食事だろ?」
『……それは、そうだけど。でも……』
「人間が豚や魚を食べるのとなにが違うんだ?」
 マオは上目遣いでこちらを見たまま、首を傾げる。
「無益な殺生だったらやめておけ、と言うが。別に、生きていく、存在していくための殺生ならば構わないだろう。まあ、いただきます、ぐらいは言った方がいいと思うが」
 そこまで言って、片手にもったままのおにぎりを思い出す。
「……うん、いただきます」
 なんとなく呟いて、咀嚼した。
 マオは黙ったまま、そんな隆二を見つめ、
『……本当に、怒ってないの?』
「ん? ああ。別に、赤の他人の生き死にとかどうでもいいし」
 死んで困るような知り合いも、いないし。
 言いながら、サラダの蓋を開ける。
『……ありがとう』
 小さく小さく、マオが呟いた。
「ん?」
『ううん』
 マオが顔を上げる。何故か、すこぅしだけ、微笑んでいた。
「まあ、殺さないで済むならそっちの方がいいんだろうけどな」
 フォークをサラダにつきたてる。
「死者が出たから、今はこうやってニュースになってしまっているけれども。殺さずに済むのならば、ニュースにはならないだろうし。健康な人間から死なない程度に精気とったら目眩とか、ちょっと体調崩すぐらいで済むはずだろう」
 多分、と小さく付け加える。そんな詳しい事なんてわからないが。
『……うん』
「そういうことはできないのか? 一人から少しずつとか」
『……出来なくは、ないんだけど』
 俯きはしないものの、スカートの裾をいじりながら、
『寝てる人とか、意識のない人からとるなら、ちょっとずつっていうのも出来るんだけど。……普通に、活動している人からとっちゃうと、死んじゃう、みたい』
「なるほど。……っていうか、今まで普通に活動している人からとってたのか、お前は」
 どうやって精気を喰らうのかは知らないが、それはなかなかに、シュールな光景のような気がする。
『うん。お腹が空いた時に、近くにいた人から……。あ、でも、物陰でだよ?』
「白昼堂々と通行人がミイラ化したらもっと大事になるだろうな」
 そんな面倒なことになっていなくてよかった、と心底思う。
「っていうか、寝ている人間からとればいいだろ、そんなの。お前なら家の壁すーっと抜けて入れるだろうし」
『あ、でもね。寝ている時も、とれる時ととれない時があって』
「ん?」
『ええっと、なんだっけ。れ、れもん?』
「レモン?」
 なぜ、ここにきて果物。それとも、梶井基次郎?
『レモンじゃない。ええっと、のんけ……? のんれ……? すいみん……』
「……レム睡眠とノンレム睡眠?」
『そう、それ!』
 助け舟を出すと、マオは嬉しそうに両手を叩いた。
 レモンは絶対違う。
『ええっと、それで、……どっちがどっちか忘れちゃったけど、とれない時があって。確か、深い眠りのとき? でも、まあ、それで、……面倒になっちゃったの』
 てへ、っと舌を出して笑う。
「面倒になっちゃったって」
 そんな理由で活動中の人間から精気を奪っていたのか。
『あ、でも、でも』
 呆れたように隆二が呟くと、マオは慌てた様子で、
『隆二が駄目っていうなら、ちゃんと寝てる人からとるよ?』
 隆二の顔色を伺うようにして、首を傾げる。
「あー、出来るなら是非、そうしてくれ」
『はーい』
 元気よく、右手を挙げてマオは返事した。
『……でもね、その、最近ずっと、食べてなくて、あの……』
 胸の前で指を組み、上目遣いで小首を傾げて、可愛らしく一言。
『お腹、空いちゃった』
「……それを俺に言ってどうしろと」
『だからね、その……』
 何故か少しだけ頬を赤く染めて、
『食べても、いい?』
「それは普通嫌だろう」
 即答した。
『……だよね』
 あからさまにマオは落胆した。しゅーんっと肩を落とす。
「大体、今までの被害者は若い女性ばかりだったろ。それがお前の好みじゃないのか。食の」
『え、うん。若い女の人が美味しい……。でも』
 目線だけ隆二に向け、少しはにかみながら、
『隆二なら、いいかなぁって』
「なんだそれは」
 意味がわからない。
『……なんでもない』
 マオは一瞬泣きそうな顔をしてから、俯いた。
 なんだかよくわからないが、落ち込ませたことだけはわかった。
「あー、まあなんだ。手伝うぐらいなら」
 慰める意味も込めて、そう言う。
『……手伝う?』
「意識がなければいいんだろ? あんまり穏便な方法じゃないが、道行く人にこうちょっと、意識を失って頂くぐらいならば」
 あんまり穏便じゃないというか、立派に犯罪な気もするが。
『いいの?』
 ぱぁっとマオの顔が華やいだ気がした。
「目立たない方がいいからな、お互い。今は平気でも、あんまりニュースになると、どこからかマオの存在が漏れるかもしれないし。うっかり俺がけしかけたとか言われても嫌だし」
 自分を納得させるように呟く。
 マオはちょっとだけ顔をしかめてから、
『うん、ありがと!』
 嬉しそうに笑った。
「……まあ、俺が飯喰ってからな」
 その笑顔に少しだけ圧倒されながら、言う。
『うん、待ってる!』
 ぴんっと右手を挙げる。そのまま、すぃーっと移動して、テレビの前を陣取った。
 マオの感情の流れについていけない。
 楽しそうに笑いながらテレビを見るマオを見ながら、残りのサラダにとりかかった。

 

「おつかれさまでーす、お先でーす」
 工藤菊は、バイトを終えるとコンビニを出た。今日は大学は休みなので、このまま帰って家で漫画でも読もう。大好きなオカルト漫画の続編、今日にでも宅配便で届いているはずだ。
 うきうきしながら、足取り軽くコンビニの横を曲がる。裏道を通り抜ける。
 今日の夕飯はなんだろう。実家暮らしなので母親が作ってくれているはずだ。昨日は魚だったから、今日は肉がいいなー、そんなことを考える。
 ふいに、どんっと背中に衝撃を感じた。
「えっ?」
 何が起きたのか。
 振り返ろうとしたところを、今度は首筋に衝撃。
 視界が暗くなる。
 意識を手放す直前、常連の青年の姿を、見たような気がした。

「……やべ、顔見られたかも」
 倒れかけた菊を片手で支えながら、隆二はぼやいた。
『えー、大丈夫? ドジねー』
 非難するようなマオの口調に、誰のためにやってんだ、と思う。まあ、ドジなことは否定しないけれども。
 首筋に手刀を叩き込み、気絶させた菊を、そっとアスファルトの上に寝かせる。
『でもすごいねー、あっさり気絶させて。なんかやってたの? 剣道とか』
 感心したように言いながら、両手の拳を合わせ、振り回すマオ。
 剣道はおそらく関係ないだろうし、その素振りはどちらかというとバッドを振り回しているようだ。
「そんなとこ。いいから、はやく」
 促す。
 マオは、はーいと返事して、菊の横に座り込んだ。
『いただきます』
 両手を合わせて呟く。
 これまたご丁寧に。
 そう思ったところで、そう言えば「いただきます」とでも言えばいいんじゃないか、と自分が言ったことを思い出した。どれだけ素直なんだ。
 どうやって食事をとるのだろうと思いながら見ていると、マオはかがみ込み、倒れた菊の唇に自分の唇を重ねた。
 隆二はしばらくあっけにとられてそれを見ていたが、慌てて後ろを向く。
 少女二人のキスシーンなんて、見るもんじゃない。
 食事って、精気を喰らうって、文字通り喰らうんだな。口から。
 屍体で発見された女性達は、普通に活動しているところを、この謎の幽霊にキスされていたわけか。その光景を想像し、なんとも言えない気分になる。

『りゅーじ』
 しばらくして、若干舌足らずな声で呼ばれ、振り返る。
『ごちそうさまでした』
 立ち上がったマオが、両手を合わせて少し頭を下げた。
「あー、うん」
『……生きてるよね?』
 足元の菊を見る。
 近づいて確認する。
「大丈夫」
『ん』
 マオは満足そうに頷いた。
「いいのか?」
『うん』
 マオは頷き、それから何故か、しゃがみこんだ隆二の背中におぶさろうとする。
「やめろ」
 それを、身をかわして避けた。
『酷い』
「酷くない」
『馴れ馴れしいって最初言ってたけど、まだ駄目なの? もう十分仲いいじゃない! あたしたち、共犯者じゃないっ! 同じ穴の狢じゃない!』
「あー、どっからつっこめばいいかわからないけど、だからって馴れ馴れしいことには変わりないだろ」
 ため息をつきながら、隆二は立ち上がる。
『でも、少しぐらい、……触らせてくれたって、いいじゃない』
 少し頬を膨らませて、マオが言う。
「触れないだろ、幽霊さん」
 呆れて言うと、ますます頬を膨らませた。
『……意地悪』
「意地悪くねーよ、事実だよ」
 足元の菊を見る。
 起こすかどうしようか少し悩み、起こしたってどこにもプラスになる要素はないな、と判断する。
 先ほど顔を見られていたら不審者決定だし、例え顔を見られていなくても、いきなり自分のバイト先の常連客に起こされたら不審だろう。
 自分が捕まったら元も子もない。
「ほら、帰るぞ」
 言って、菊に背を向けて歩き出す。
『あ、待って』
 慌ててマオが隣に並ぶ。
「はー、顔見られたかも知れないし、もうあのコンビニ行けねーな」
『もー、間抜けなんだからー』 
 だめでしょ、と窘めるようにマオが言う。
「誰のためだと思ってるんだよ、誰の」
 些か呆れて言葉を返す。
『んー、あたしの? えへへ、ありがとう』
 隆二の正面に回り込み、屈託なく笑う。
「どーいたしまして」
 マオは照れたように笑い、くるくると、隆二の周りを回る。
「……うぜ」
『んー?』
「隣。視界塞がれて邪魔だから」
 言うと、何故かとっても嬉しそうに笑い、隆二の隣に移る。そのまま、宙に浮くのをやめ、歩くように移動する。
 そして右手を伸ばし、隆二の左手を掴もうとして、
「だからやめろって」
『むー』
 空振りに終わった手を見て、マオがふくれる。
『ケチ』
「ケチじゃない」
 路地裏を出る。
『酷い、ケチ! 意地悪っ!』
 マオが隣で騒ぐ。
 が、人通りの多いところに出た以上、隆二はもう反応しない。
『うわっ、また無視する。さーみーしーいー。ねー、寂しいと兎は死んじゃうんだよぉー』
 お前は兎じゃないだろう。そもそも、もう死んでいるだろ。
『さみしいさみしいさみしいさみしいしんじゃうー』
 ぐるぐると、また隆二の周りを回る。鬱陶しい。
『はう、胸の辺りが苦しい。これはきっと、寂しいからだわ。死因は孤独死ね!』
 孤独死って、そういうことじゃないような。
『ねーねーねー、りゅーじぃー、かなしいよぉー、むししないでよぉー、りゅーじぃーねーねーってばぁー』
「……はぁ」
 小さくため息。
「そのうち、頭ぐらいは撫でてやるよ、そのうち」
 ぐるぐる回るマオの耳が、顔に近づいた時を見計らい、小さい声で呟く。
『えっ!』
 マオが動きを止める。
 それにあわせて、立ち止まりそうになるのを慌てて耐える。少しマオを避けて、先に進む。
『え? え? 頭撫でてくれるの? そのうち? そのうちっていつ? ねえねえねえ、明日? 明後日? 明々後日? 来週? 来月? 来年? 地球が何回まわったとき? ねー、いつ?』
 慌てて追いつき、隣に並んだマオは、うるさくて鬱陶しいことに代わりはなかった。
 そのうちはそのうちだって。
 言葉は返さず、家に向かって歩く。
 それでも、何かに満足したのか、
『まあ、今はそういうことでもいいけどねー』
 それだけ言って、マオは大人しくなった。
 なんでこっちが譲歩された形になっているのか。
『しっかし、隆二は、優しいのか冷たいのか、わかんないわねー』
 楽しそうにくすくす笑いながらマオが言う。
 答えずに、小さく肩だけ竦めた。
『ねー、兎は寂しいと死んじゃうっていうじゃない? 人間はどう思う?』
 隆二の隣をふよふよと浮かびながら、唐突にマオがそんなことを言う。
 返事がないのを気にすることなく、マオは続ける。
『あたしね、思ったの。人間は、寂しくても死なないの。きっとね、つまらないと死んじゃうの』
 隆二は横目で、マオを見た。
『人間はね、寂しいなんていう高等な感情は持ち合わせいないの。人間のいう寂しいはつまらないってことなのよ』
 一体どこで仕入れてきた知識なのか、急にそんなことを言い出す。
 いずれにしても、隆二にしては、理解しきれていなかった。
『誰かがいなくて寂しいとしても、何かよりどころ、すなわち「楽しいこと」があれば平気なのよ。本とか音楽を好むのはそれが理由』
 そして、マオはぽつりと呟いた。
『だから、あたしは貴方がいなくなると死んじゃうのよ?』
 聞き流すつもりでいたのに、頭がそれを理解した瞬間、心臓が止まるかと思った。
「なにを言ってるんだ、おまえは」
 外であるにもかかわらず、思わず横を向いて尋ねてしまった。
 すれ違った女性が変な顔をした。
 いくら不意打ちだったからとはいえ、動揺している自分が情けない。
『だって貴方以外にあたしが見えて、あたしによくしてくれる人、あたしは知らないもの。貴方がいなくなったら、あたしはつまらなくて死んじゃうわ』
 マオはなんでもないことのようにそう言うと、微笑んだ。
『だから、これからも、あたしの傍にいてね?』
 隆二は何かを言おうとして、結局コメントを控えた。

「あの、大丈夫ですか?」
 菊は何度かかけられた声に、ゆっくり目を開けた。
「あ、あれ?」
 背中が痛い。頭も痛い。
 自分の状態を視線を動かし、確認する。
 地面に、倒れている……?
「んー?」
 首を傾げながら、ゆっくり上体を起こす。
「大丈夫ですか?」
 声をかけてくれた少女が、慌てて背中を支えてくれた。
「あ、はい。すみません」
「通りかかったら、人が倒れていたのでびっくりして」
「倒れて……」
 バイトを終わって、家に帰ろうとして、それから……、
「んー、覚えてない」
 頭を振る。
「あ、でも、常連さん……?」 
 意識を失う直前に、バイト先の常連の姿を見たような気がした。が、まあ多分気のせいだろう。夢か何かだ。
「常連さん?」
 少女が首を傾げる。
「いいえ、なんでもないです」
「病院、行きますか?」
 心配そうな少女に、
「あ、大丈夫です、多分」
「でも」
「家、近いので。あの五分もかかんなので」
 少女に手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
 二、三歩あるいてみるが、やはり特に異常はないようだった。
「大丈夫なら、いいんですけれども」
 それでも少女は心配そうな顔をしているから、菊は笑ってみせた。
「大丈夫です。家帰って、様子見て病院行きますから、必要なら」
「……そうですか?」
「ええ」
 もしかしたら、なんらかの妖怪の仕業かもしれない、と思っていたがそれは黙っていた。のっぺらぼうにびっくりしたとか、そういう展開を期待している。
 別の意味で病院に連れて行かれそうだから、言わないけど。
「ありがとうございました」
 少女に頭を下げ、家路を急ぐ。
 少し体が疲れているような気はしたが、それ以外には特に問題がないように感じた。
 家に帰ったら、ちょっと寝よう、と心に決める。
 それにしても。
 振り返る。
 さきほどの少女の姿は、もうそこにはなかった。
「なんであの子、あんな赤い服を……」
 全身真っ赤な服を着た少女の姿を思い出し、首を傾げた。
「は! まさか、あの子自身が何かの妖怪!? こうしちゃいられないわ! 帰って、調べなきゃ! 赤い服を着た少女の妖怪を!」
 急に生き生きと、趣味全開で、精気に満ちた発言をすると、足取り軽く家へと向かった。


間幕劇 猫と彼女のその後

「子猫だから、抵抗力が弱かったんだ」
「……うん」
「だから、茜が悪かった訳じゃない」
「……うん」
「今度はきっと、元気に生まれてくるさ」
「……うん」
「だから、……もう泣くなよ」
 今度は、彼女は答えなかった。子猫を埋めたその土の山の前に座り込み、彼女は泣いていた。
 彼はどうすればいいのかわからずに、彼女の後ろに立っていた。
「……茜」
「……わかっているけど、でも。でも、やっぱりもっと他に何かが出来たのじゃないかと思うから。それにまだ、……まだ、名前すら付けてあげていないのに」
 そのまま膝を抱える。
「……生き物は、いつか死して逝くものだ。自然の理なんだ」
「だから、諦めろというの!!」
 彼女は振り返り、彼に向かって怒鳴る。
 彼はいつもよりも眉を少し下げ、小さく諦めたように微笑んだ。ゆっくりと首を横に振る。
「違う。だから、黙って送ってやれって言いたいんだ。……それは、自然なことなんだから」
 彼が言外に含んだ意味に気づき、彼女は結局、口を閉じた。
 そして、すすり泣きだけが響く。

 少し経ってから、彼は言った。ためらって、言葉を選びながら
「なぁ、茜。……少しだけわかったぞ。懐かれるとかわいいっていう意味が」
「……うん」
「もっと勉強して、今度は救えるようにしような」
「……うん」
「……ほら、風邪引くから戻るぞ」
 そういうと片手を差し出す。彼女は素直にそれにつかまり、立ち上がる。彼女の手を引きながら、彼はゆっくり歩き出す。

「……隆二」
「なんだ?」
 振り返ることなく彼は返事をする。彼女は少しためらいながら、けれどもしっかりとした口調で言った。
「……もし、私があの子みたいになったときは、黙って見送ってね」
 彼は黙っていた。
 そして、しばらく経ってから一つだけ呟いた。
「二度と、そんなこと言うな」
 体の奥から吐き出したような声でそれだけ言うと、あとは黙って歩く。
 彼女は微笑み、彼の背中に額を押しつけた。


 そして、彼は嘘をついた。少し、行きたいところがあるんだ。
 そう言った彼に、彼女は言った。
「待っています。私はずっと此処で待っています」
 彼は帰ると約束した。けれど、帰らなかった。

 彼が、たった一度だけその土地に戻ったときには、彼女はもう土の中だった。 


第三幕 猫がいる生活

 少女は正直、途方に暮れていた。
 少女が追っている実験体の情報が、ぷつりと途絶えてしまった。
 ただ、それに関係すると思われる女性は見つけた。もしかしたら偶然かもしれないけれども、多分、少女が探しているものと関係している。
 それは、目撃情報の最後の場所とも一致していた。
 なので、あの辺りに住んでいる知り合いに聞く事にしよう。そうすれば、何かあるだろう。
 少女はそう思った。


 静寂は嫌いではない。
 聞こえてくるのはただ風が動く音と自分が歩く音。後は他に、聞こえてくる音がない。
 そんな状態は、嫌いではない。
 真夜中、道の真ん中に立って、隆二はそんなことを思う。
 いつも隣にいるマオは、眠っていたのでおいてきた。
 突然コーヒーが飲みたくなって、でもあいにく切らしていた。
 今は便利だよなぁ、コンビニなんてあって。そんな年寄りみたいなことを考えながら、コーヒーと思いつきで買ったチョコの入った袋を振り回すようにして持ちながら歩く。
 かさかさと、袋の音がする。
 静寂は嫌いではない。
 寧ろ、心地よいとも思う。

 家の鍵を出して、開ける。
『隆二っ!』
「うわっ!」
 開けたと同時にマオが飛び出て来た。
『もぉ、どこ行ってたのよぉっ!』
 半分泣きそうな顔をして、マオは言った。
「コーヒーを買いに」
 そういって袋をかかげてみせると、マオは頬を膨らませた。
『起きたら一人ぼっちで寂しかったんだからぁ! 起こしてよ、誘ってよ。このカフェイン中毒!』
 言いたいだけ言うと、マオは部屋の奥に引っ込んだ。
 多分、ソファーの上でふて寝している。うつぶせになって、こちらが声をかけても反応しない。それでも、横目だけでちらっとこちらを見てくることだろう。
 すっかり慣れたマオとのやりとりを思い、少しだけ笑う。
 そう、静寂は嫌いではない。
 寧ろ、心地よいとも思う。
 ずっと一人で居たから。長い事、一人で暮らしていたから。
 
 昔、一緒に暮らしていた女性がいた。
 体の弱い女性だった。
 ずっと一緒にいたいと思っていた。
 でも、自分は彼女を見捨てた。
 彼女が自分より先に死んでしまうことが怖くて、彼女の元から姿を消した。
 一度、様子を見に戻った。もう一度、やり直せないか、とも思っていた。
 けれども、彼女は既に亡くなっていた。
 あの時、誓った。
 もう、人とは深く関わらないと。亡くしてしまうのが、怖いから。
 それなのに、と少しだけ自嘲気味に唇を歪める。

「マオー、機嫌直せー」
 それなのに今、ソファーの上で拗ねたマオを、居候猫を宥めている。
「マオ、ごめんな」
 ちょっとだけ、マオが身じろぎした。
『起きたら一人で、寂しかったの』
 半分だけ顔をあげて、こちらを見る。膨らんだ頬。
「ごめん」
 もう一度謝る。
『隆二の唐変木』
「ごめんって」
『いいよ、もう。どーせ、隆二だもん』
 そういって、マオは再び顔を枕に押し付けるけど。ちょっと笑っていたからこれでもう大丈夫。
 隆二は少しだけ微笑んだ。

 マオは人じゃない。だから、あの時の誓いを破った事にはならない。
 幽霊は自分より先に死んだりしない。
 だから、大丈夫。
 そんなことを思う。

 

『もう、あたしのことおいてったらやぁよ?』
 うつぶせのまま、マオが言う。
「うん、わかったわかった」
『もー、てきとー』
 言いながらもマオが顔をあげて、笑う。
 それに満足すると、コーヒーをいれに台所に向かう。
『りゅーじー』
「んー」
『てれびー』 
「ちょっと待て」
 マオの声に適当に返事して、ゆっくりコーヒーをいれてから戻る。
 マオはソファーに寝転んだまま、足をばたばたさせて、待っていた。
『おそーい』
 赤い唇を尖らせて言う。
 そのまま甘えるように両手を隆二の方に伸ばす。のを、隆二はさりげなく避けて、
「何チャン?」
 リモコン片手に尋ねる。
『んー、とりあえずなんでもいいやぁー』
「はいはい」
 適当に電源を付ける。
 派手な音楽が流れる。
『あたしねー、最初、この小さい箱の中に人が住んでるのかと思ってたわー。なんかこう、薄っぺらくてちいぃさい人が』
「へー、バカだなお前」
 ソファーに寄りかかるようにしながら、床に座る。
 コーヒーは畳の上に直接置いた。もう既に何度か汚しているので、今更なにやっても一緒だろう。さらば敷金。
『むー、あたし、バカじゃないもん。バカって言う人がバカなんですぅー。隆二のばーかばーか』
「ああ、お前いまバカって何度も言ったな。バカって言ったマオがバカだな」
『っ!!』
 マオは驚いたように息を飲み、
『……そうね、そうなってしまうわね。なんてこと、あたし、バカだったの……? バカって言ってしまったから』
 何故だか深刻そうに呟いた。
 やっぱりバカだ。
 バカは放置して、立ち上がる。
『りゅーじー、どこ行くのー?』
「本」
 寝室に置いてある本棚から、適当に本をひっぱりだす。
 そのまま元の位置に戻る。
『何読むのー?』
「人でなしの恋」
『ひとでなし? ああ、あたしのことねー!』
「……まあ、人じゃないけどな、お前」
 そういうことじゃないだろう。
 マオがソファーの上から、肩越しに本をのぞいてくる。
『うげっ、字、いっぱい。いやー』
 悲鳴をあげるようにマオが言った。
『隆二は、本、好きなのー?』
 ソファーにぱたりと横になったマオが尋ねてくる。
「まあ、嫌いではないな」
『なんでー? テレビよりも好きなのー?』
「テレビは、あんまり見ないから」
 なんとなく、家には置いてあるが、殆どつけていなかった。
『なんでー?』
「本の方が、自分の好きなときに読めるだろ」
『んー?』
 テレビから笑い声がする。
「まあ、どちらにしろ、暇つぶしの意味しかないけれども」
『暇つぶしー』
 なんとなく字を目で追いながら、なんとなくページを追いかける。この本だってもう何度か読んでいる、あらすじは頭に入っている。
『隆二、暇なの?』
「忙しそうに見えるか」
『んーん』
 視線を向けると、マオは首を横に振った。
『ずぅっと、おうちにいるもんね。でかけるのはコンビニに行く時ぐらい? ねー、ずっと気になってたんだけど、隆二ってお仕事何してるの?』
「してないよ」
『してないのー?』
「してるように見えるか?」
『見えなぁーい』
「だろ?」
『じゃあ、お金どうしてるのぉー?』
「どうって」
 マオが横から何度も話しかけてくるから、仕方なく本を閉じ、
「貯金?」
『貯金!』
「前にちょっと仕事したときの残り」
『それで大丈夫なのー?』
「んー、まあ、そろそろ危ないからまたちょっとバイトでも探さなきゃなーって思ってるけれども」
『ふーん』
 マオはわかったのかわかってないのかそういうと、
『あ!』
 ぽんっと、手を打ち鳴らし、
『あたし、知ってる! 隆二みたいな人のこと、クソニートって言うんだよね!』
「クソは余計じゃないか、それ」
 否定はしないが。
 最初のバンバンジーの一件からも思っていたが、どうやらこの幽霊はバカだ。
『そーなの?』
 マオが不思議そうに首を傾げた。
「そーなの」
『んー、そっか』
 そっかそっか、ニートか、なんて小声で呟いている。本当にわかっているのだろうか。
『あ、でも、あたしもニート! やった、おそろい!』
 それから、やけに嬉しそうな声でそう言った。
「ニートがお揃いって……、駄目だなー俺等」
 呆れて笑う。
 マオもくすくすと笑い出す。
 テレビから派手な笑い声がして、マオがそちらに視線を移した。
『あ! この芸人さん好きー!』
 そのまま、体を動かしてテレビを見る。
 やっと大人しくなる、と思い読書を続ける。
『面白いのー、この人?』
 と思ったら、やっぱり話しかけて来た。
「そーかい」
 適当に相槌を打つ。
『テレビは凄いよねー、楽しいー。大好きー』
 ソファーに寝転がり、頬杖をついてテレビを見つめながら、マオが言う。
『隆二はー、テレビは好きじゃないのね? 本の方が好きー』
「あー、まあ」
『ふーむ』
 マオは一瞬何かを考えるように黙ってから、
『……あと、隆二は梅干しのおにぎりが好き?』
「え?」
 本から顔を上げ、マオの方を見る。
『よく買ってるからー』
 マオはテレビをみたまま言う。
 そう言えば、そうかもしれない。
「まあ、嫌いじゃないけれども」
『やっぱりねー』
 嬉しそうに足をぱたぱたと動かす。スカートの裾がめくれそうになる。
「マオ、スカート」
『ちょっといまいいとこなのー、黙ってー』
 テレビに釘付けになっている。
 直してやることもできないし、見なかったことにした。
 もうすこし、恥じらいというものを身につけて欲しい気もする。いや、どうこうなるわけじゃないけれども。
 マオはテレビを見て、楽しそうに笑っている。何がそんなに楽しいのかよくわからない。
『はー』
 テレビがCMテレビがCMになると、マオはまた隆二の方に顔を向けた。
『でねー、隆二はー、あとコーヒーが好き』
 床に置いたままのマグカップを指差す。
「まあな」
 思い出して、一口飲む。
『で、あたしのことは、好き?』
「ぶっ」
 飲んだばかりのコーヒーを吹き出しそうになった。
 慌てて口を抑え、堪える。
『うわ、やだー、きったなーい』
 マオが本当に嫌そうにそう言うと、汚物を見るような目で見てくる。
「ちょっ、おまえっ」
 ティッシュで拭きながら、マオを睨む。
『なによぉー、あたしが悪いの?』
 形の良い唇を尖らせる。
「いいとか悪いとかじゃなくてだな」
『なぁにー? それとも、りゅーじは、あたしのこと、嫌いなの?』
 桃色の頬を膨らませて、不満そうに。
「いや、あのなぁ」
『あたしは、隆二のこと、好きだよぉー?』
 緑色の瞳が、上目遣いで見てくる。
 思わず、言葉につまる。
「マオ、あの」
『あとねー、テレビも好きだしー、このソファーも好きぃー』
 隆二の返事を待たず、マオは楽しそうに続けた。
「……あー」
 そういう好き、ね。
 なんとなく、動揺した自分を恥ずかしく思いながら、
「そりゃどーも」
 呟く。
 ふんっとマオが少し勝ち誇ったように笑う。
 それから、すぅっと隆二の肩の辺りに移動すると、
『で、隆二はあたしのこと、好き? どう思ってるの?』
 耳元で囁くようにして、尋ねた。
 一瞬息を飲む。
 それを気取られないように、ゆっくり息を吐き出すと、
「ちょっと粗相の多い、居候猫だと思ってる」
『む、なによそれー』
 また膨れた。
 さっきは少しだけ、色っぽかったのに。
「でもまあ、猫は可愛いよな」
 それだけ付け加える。
 それが今言える、精一杯だと思った。
 マオはしばらく吟味にするように隆二の横顔を見ながら黙っていたが、
『うん』
 何かに納得したかのように一つ頷き、
『あたし可愛い!』
 両手を頬にあて、笑み崩れた。
 そういう顔をすると、本当に可愛いから困る。
「あー、テレビ、CM終わったぞ」
 かろうじてそう言うと、
『あ! 本当だ!』
 ひょいっと身見を翻し、テレビに向き直った。
 気まぐれで、わがままな、それでいて少し甘えん坊の仔猫のようだ、と思う。


 静寂は嫌いではない。
 でも今は、騒がしいのも嫌いではない。
 猫がいる生活も、一人ではない生活も、悪いものではない。
 そう、思った。


第四幕 捨て猫の元の飼い主

 ソレはU078と呼ばれていた。
 U078は、早い段階で自分が何かの実験体であることを悟った。
 他の実験体が、「失敗作」と呼ばれ、ゴミのように捨てられていくのを見ながら、いつか自分も消えるのではないかと思っていた。
 だから、U078は逃げ出した。
 そしてU078は、一人の人間とであった。
 その人は、化け物であるU078に優しくしてくれた。
 U078という実験体ナンバーではなく、名前で呼んでくれた。
 このまま、その人と生きていけるのではないか。そう思っていた。
 そんな時、少女があらわれた。


 マオが隆二の家に居座りバタバタとした、それでもおおむね平和な日々を過ごして数ヶ月ほど経った。
 マオの食事問題も、夜間に寝ている人を片っ端からマオが探したり、たまに菊の時のようなことをしたりしながら、死者を出すこともなく、穏便に済ませていた。新たな死者が出なくなったことから、ミイラ事件についての報道は減っていて、今では週刊誌ぐらいしか報じていない。
 行きつけだったコンビニは、菊の件から出入り出来なくなったが、幸いにして別の場所に新しくコンビニが出来た。そこは家から二分と近い。
 今日もサンドイッチとコーヒーを買い、コンビニから戻るところだった。
 マオも誘ったのだが、この時間にやっている特撮ヒロインの再放送が気に入っているらしく、断られた。誘わなかったら誘わなかったで怒るくせに、誘っても無視するときたもんだ。
『疑心暗鬼ミチコ見なきゃいけないからダメー!』
「……なんだよ、それ」
『疑心暗鬼ミチコ知らないの? 普段は普通の女子高生でー、変身すると着物姿になるのー。ちょー強いんだよ! 電信柱の影に落ちてるスーパーの袋ですら、敵だと思ってはっちゃめちゃの、ぼっこぼこの、びっりびりにしちゃうんだからぁ!』
「あー、疑心暗鬼?」
『あなた鬼ね! 退治してやる! って言って倒すの。まあ大体いつも、ミチコの本当の敵じゃなくて、ただの悪い人なんだけど』
「ただの悪い人って……」
『でも悪い人は悪い人だから周りからは感謝されるの! でね!』
 そのあと熱心にマオは疑心暗鬼ミチコとやらについて語ってくれたが、正直、なにが面白いのはか隆二にはわからなかった。
 それにしても、その特撮ヒロインは今から二十年ぐらい前に放送してたもののはずだ。もしも、生前から好きだったのだとしたら、マオは今より少し前の人間なのかもしれない。そんなことも考えている。
 マオ本人は、自身の出生や死因などに興味はなさそうだが、隆二としてはマオの生前の素性をいつかは調べてあげたいと思っている。そうすれば、無事に成仏できるだろう。幽霊はきっと、成仏した方がいい。仮にマオが成仏するつもりがなくても、出来ないのとしないのとでは天と地ほどの差がある。可能性はあった方がいい。
 ただ、それを積極的に行わないのは生来の怠け者であることと、それからほんの少し、すこぅしだけもうちょっとこのままでもいいかなと思うからだ。

 そんなことを思いながら歩いていると、アパートの前に見慣れた人物を見つけた。人物というか、服を。というか、色を。
 面倒くさいやつが来た。そう思いながら近づく。
 向こうも隆二に気づいたらしく、顔をあげると軽く頭を下げた。
「よう、相変わらず、目立つなー、祓い屋の嬢ちゃん」
 声をかけると、
「派遣執行官です。何度言えばわかるのですか?」
 冷たく言われた。金髪碧眼の美少女が、にこりともしないまま。
「ところで、わたし、目立ちますか?」
「ああ」
 頷く。
 真っ白い肌、すっと通った鼻筋、光を浴びて光る金色の長い髪の毛。長い手足に、高めの腰の位置。
 どこからどうみても完全なる美少女。それでなくても、道行く人が振り返って見る程の、美貌ではあると思う。
 ただ、欠点はその壊滅的な服装センス。
「そうですか。さっきから道行く人にちらちら見られている気はしたのですが。そんなに外国人が珍しいんですかね。わたし、国籍は日本なんですが」
 ひょうひょうとそう言う。
 お前がそんな赤い服着ているからだよ、と心の中でつっこんだ。その美貌も、日本人離れした体型も、服装の前にはかすんで見える。
 このイギリス人を祖父の持つ、クォータの少女は、何故かいつも赤い服を着ていた。赤いジャケットに、かろうじてオレンジ色っぽいスカート。赤いブーツ、赤いベレー帽。
 隆二はひそかに、この格好を鼓笛隊のようだと思っている。
「で、嬢ちゃん」
「エミリです。せめて名前で呼んでください」
「はいはい。で、どうした? 今度は何を逃がした? 人面犬か? のっぺらぼうか? テケテケか?」
「いつも何かを逃がすような言い方、しないで頂けますか?」
 少しだけ、不愉快そうに少女が言う。
「じゃあ、違う用事なのか?」
「いえ、そうですけど」
 少しだけ不服そうに、少女が答えた。

 この些か怪しげな少女エミリは、これまた怪しげな研究所の人間だった。オカルト現象を研究する研究所。縁あって、何度かエミリの仕事を手助けしている。
 例えば、逃げた口裂け女を探したり、人面犬を探したり。
 今ある貯金額のほとんどは、この研究所の仕事を手助けしたことによって得たものだった。
 都市伝説の幾つかは、この研究所が作り出したものだ。逃げ出したり実験のために外に放したり、理由は様々だけれども。
 そしてエミリは、本人曰く、研究所の派遣執行官。「要は外回りの祓い屋だろ?」と以前言ったら、酷く怒られた。無駄なプライドがそこにはあるらしい。

「まあ、こんな立ち話もなんだし」
 その赤い格好、すごく目立つし、
「古いけど、うちで話そうぜ」
 言って、エミリの返事は待たずに階段をあがる。古い二階建てのアパート。
「本当に古いですね」
 ついてきたエミリが容赦なく言った。
「遠慮とかないのな、嬢ちゃん」
「エミリです」
「まあ、なかなかに住めば快適だぞ。駅からも近くて、2DKって部屋は広いのに家賃安いし」
「訳あり物件なんですか?」
「……そこですぐに訳あり物件に行くのがすごいな。そのとおりだけど。前の住人が自殺したとかなんとか、まあ、幽霊が出るとか言われてたんだけど、出なかったし」
「まあ、出ても神山さんなら困りませんよね」
「あー、まあ」
 今は本当に幽霊が住んでるしなー、とも思い、苦笑する。
 意図的に居候させている以上、家賃の値下げ交渉には使えないだろう。
 二階に上がる。二階の一番奥が、隆二の部屋だ。
 廊下を歩く。
「コンビニに行っていたんですか?」
 隆二が持っているビニール袋を指差し、エミリが尋ねる。
「ああ」
「珍しいですね、神山さんがサンドイッチなんて買うなんて。コーヒーはともかくとして。正直、初めて見ました」
「まあ、色々あって」
 肩をすくめる。
「ところで、せっかく遠路はるばる嬢ちゃんが来たところ悪いが、今回は何も聞いてないぞ? そういう怪しい噂」
 部屋の前で、ポケットから鍵を取り出しながら言う。
「まあ、俺のコミュニティなんてあってないようなものだが」
 なにせ、ニートのひきこもりだし。
「いえ、ここらにいるはずなんです。最近、消息不明ですが。それでも、被害者というか、それっぽい痕跡はこの街で見つけましたし」
 鍵穴に鍵をさす。
「それに、今回、知覚は難しいものですし」
「知覚が難しい?」
 鍵を開ける。
「ええ、幽霊なんです」
 ドアノブに手をかけて、まわし、ドアを開け、
「ミイラ事件、ご存知ですよね」
 開けかけたドアを、慌てて閉めた。
 ばたんっ、と派手な音がした。
「神山さん?」
 エミリの不思議そうな声。
 一つ、ゆっくりと息を吐く。落ち着け。まだ、大丈夫だ。
「悪い。部屋、すっげーちからってるんだった。模様替えしようと思って、だからちょっと外で話そう?」
 赤い少女と外で話すのはさぞかし目立つだろうが、今回は気にしていられない。
「わたしは構いませんが?」
「俺が構うの」
 だからほら、と隆二がエミリを来た道を戻るように促したところで、
『隆二ー? 帰って来たのー?』
 のんびりしたマオの声がする。
「今の……?」
 エミリがドアに視線を向ける。
『疑心暗鬼ミチコ終わっちゃったのー、つまんなーい』
 マオの暢気な声。
 出てくるなっ。
 心の中で叫ぶ。
 祈りは通じず、マオがドアから顔を覗かせる。すぽんっとドアから首が生える。
 マオは見知らぬ赤い少女を見つめ首を傾げ、エミリはドアの生首を見つめ、
「マオ逃げろっ!」
「G016!」
 同時に叫んだ。
 勢いに呑まれてマオが顔をひっこめる。
 エミリが隆二を突き飛ばす様にしてドアをあけ、その背中を隆二が蹴飛ばした。エミリが備え付けの靴箱に激突する。
「悪いっ」
 一応謝っておく。
「っ」
 エミリはうめきながらも鞄から拳銃をとりだし、
「うわ、何物騒なもの持ってる!?」
 慌てて隆二はそれを叩き落とすと、部屋の隅に蹴飛ばした。
 駆け出そうとしたエミリを出来るだけ死なないようには手加減して突き飛ばし、部屋の真ん中でおろおろしているマオのもとに駆け寄る。
 ダイニングのテーブルを蹴飛ばすと、玄関を塞いだ。
「マオ!」
 斬りつけるように名前を呼ぶと、立ったままの彼女の右手をつかんで走り出す。
『えっ?』
 マオの声を無視して、ベランダへの扉をあける。
 そのまま、跳躍。
『隆二っ、ここ二階っ!!』
 マオの悲鳴だか、叫びだかを聞きながら、隣の少し低い一軒家の屋根に着地。
 そのまま、屋根伝いに走り出す。
「待ちなさいっ! G016!」
 背後でエミリが叫んだ。

 

「とりあえず、ここなら、平気だろ」
 ラブホテルの屋上。派手な看板と看板の影に隠れて、隆二が言った。
 家からはだいぶ、離れたところに来ている。
「ったく、いつだって急なんだよ、あの嬢ちゃんは。人の家に来るならアポぐらいいれろっつーの」
 舌打ちする。
『あの……』
 マオがおどおどと、小さく声をかけてくる。
「ん、どうした?」
 振り返り、出来るだけ優しく見えるように微笑む。
『……手』
「あ、悪い」
 掴んでいた手を離す。
 マオは掴まれていた右手首を胸の辺りで左手で抱え込んだ。
 その手をしばらく見つめ、
『隆二、あの……』
 そこまで言って、マオは足元の辺りを探るように見る。まるで、足元に答えが書いてあるかのように。
 それを見て、隆二は、
「U078」
 先に言葉を切り出した。
『え?』
 マオが顔をあげる。
「それが俺の実験体ナンバーだ」
 言って笑った。


 神山隆二がU078という実験体ナンバーで呼ばれるさらに前、彼はごくごく普通の少年だった。
 彼は貧しい家の三男坊として生まれた。
 毎日遅くまで仕事をする父親の背中と、それを手伝う上の兄。
 母親の後をついて回り、家事の手伝いをする妹。
 余所で働き始めた姉と下の兄。
 お腹がすいたと泣く二人の小さな弟。
 生まれた時から体が弱く、病気で寝込む彼を、困惑と憎悪と心配をごちゃまぜにした顔で見る母親。
 何も手伝えない彼を、心配しながらも、邪魔者を見るような目で見る兄弟。
 そんな時、村に流れた噂。
 ある金持ちが、子どもを欲しがっていると。謝礼は高額。ただ、それは、ある種の人体実験だと。
 その話に乗ることにしたのは、親が言い出したのが先か、彼自身が言い出したのが先かは覚えていない。
 覚えているのは、彼を連れにきた数人の男。
 覚悟はしていたものの、いざとなると怖くなって、泣き叫ぶ自分から視線を逸らし、さっさと家の中に入ってしまった父親。
 一言だけ呟いて父親の後を追った母親。
 月明かりの下、遠ざかっていく家。
 たどり着いたのは、埃っぽい部屋。
 そこから先は覚えていない。
 眠らされ、次に目が覚めた時には全てが終わっていた。
 U078の実験は成功した。人体兵器。死なない兵隊。来たる戦争に向けて、作り出された化け物。
 家族を失って彼が手に入れたのは永遠の命と不死身の体だった。そして彼は、人間であることも失った。


「まあ、そんなわけだ」
 足を投げ出して座り、シニカルに笑う。
「だから、戸籍上は神山隆二なんて人間、本当はいないんだ」
『だって、そんな、ならどうしてっ』
「どうしてここにいるかって?」
 聞かれてマオは頷いた。
「逃げ出したからだよ」
 マオと同じように。続けるとマオは痛そうな顔をした。


 逃げようと言ったのはリーダー格の少年だった。たった四人の成功した実験体。
 自分と他の一人は賛成し、残りの一人は最後まで反対していた。見つかったら何をされるかわからないんだぞ!! と。
 それでも結局逃げ出したのは、このまま研究所にいれば、未来などないことがわかっていたからに他ならない。
 逃げて離ればなれになった。
 逃げて逃げて逃げて逃げて。
 ぼろぼろになった彼を助けたのは、一人の人間だった。どこか影のある、和服の似合う、猫が大好きな女の子だった。
 彼女は彼が化け物だと知っても変わらずに側にいてくれた。
 彼女とならば普通の人として生きて行ける、そう思った。
 そんなとき、少女は現れた。


「嬢ちゃんのばーさんだよ」
『おばあさん?』
「イヤー、しかし、久しぶりに嬢ちゃんにあったけど、ますます似て来たよなー本当」
 嫌な部分までそっくりだ、とため息をついた。
 哀しくなるぐらいの無表情で自分の前に現れたその人の顔は今でも思い出せる。
 死神は無表情を崩さずに宣告した。一字一句間違えずに、その宣告を覚えている。多くが消えていく記憶の中で、それは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「私たちはもう貴方達を兵器としては必要とはしていません。そこで選んでいただきたい。ここで、証拠隠滅のためにおとなしく消え去るか、または必要に応じて我々の力になるかを」
 死刑宣告を暗唱し、そこでマオに視線を合わせる。
「勝手な話だと思わないか?」
 マオはぐっと唇をかみしめていた。泣きそうな顔。
 その表情があまりに痛々しくて、見るのに耐えかねて、隆二は思わず言っていた。
「過去の話。あまり気にするな」
 そして、自分の隣の床を叩く。
 マオは大人しく隣に座った。
 手をあげる。マオの頭を撫でる。ゴム手袋を何枚か重ねているかのようだったけれども、しっかり触れた。
 さらさらと、細い髪の毛が流れる。
『どうして……』
 マオが目を見開く。こぼれおちそうになる緑色の瞳をみて、少し微笑んだ。
「さあ? 俺も理屈はわからないが。霊体にも触ることが出来るんだ。副作用、みたいなものかな。実験の」
 肩を竦め、それでもまたマオの頭を撫でる。
「約束だったもんな」
 微笑んで見せる。
 マオはまたさらに泣きそうな顔をした。
『だから、嫌がってたの……? あたしが触るの』
「ああ。人間じゃないことが、ばれたら困ると思ってな」
 苦笑する。
 そのまま腕をおろす。
 今度は、隆二の右手におずおずとマオが手を伸ばした。隆二は避けなかった。
 そっと触れる。そのまま手を繋ぐ。
 繋ぐことが出来た手を見て、マオは一瞬くしゃりと顔を歪めた。泣きそうとも、笑い出しそうともとれる顔。
『あのね、あたしね』
 俯いて、その手を見るようにしながら、マオが言葉を吐き出す。
「うん」
 隆二は優しく微笑みながら頷いた。
『実験体ナンバーG016』
「うん」
『人工的に造られた幽霊』
「うん」
『……今まで、黙ってて、ごめんなさい』
 俯いたマオの頭を、空いている左手で撫でた。
「お互いさまだろ」
 隆二だって黙っていたのだから。
『……でもあたし、黙ってただけじゃなくて、嘘、ついてたから』
 下を向いたまま、ぼそぼそと呟く。
「じゃあ、やっぱり記憶喪失、っていうのは」
『うん、嘘……。そうやって言えば、詳しいこと、聞いて来ないかなって思って』
「そっか」
『本当は、ちゃんと覚えてる。変な水槽みたいなのの中で、目を覚ましたときのことも。外に出る実験とかっていうときに、逃げ出したことも』
「うん」
『本当のあたしは、まだ、作られてちょっとしか経ってないの』
 だから、妙に偏った知識や子どもっぽい仕草があったのか、と思う。
 人工的に無理矢理詰め込まれた知識ならば偏りも出るし、仕草も子どもっぽくなることもあるだろう。
『ごめんなさい、言わなくて』
「いいってば」
 また謝り出したマオの額を軽く小突く。
「黙っていたかったマオの気持ち、良くわかるから。……誰かにこういうこと話すのってためらうよな、嫌われそうで」
 マオは泣きそうな顔で一つ頷いた。
『それなのに……、ありがとう。先に話してくれて』
「どういたしまして。まぁ、年上の威厳というものを見せようと思ってな」
 ふざけていうと、マオは少しだけ微笑んだ。
「さて。嬢ちゃんがこれからどうするか。さっぱり検討がつかないが」
 無表情で色々と恐ろしいことをやる少女だ。
「でもまあ、とりあえずここなら大丈夫だろう」
『……うん』
「走り回って疲れた、ちょっと休む」
 一度大きく伸びをすると、看板にもたれて隆二は目を閉じた。
 マオはその横顔をしばらく見ていたが、やがて隆二の肩に頭を乗せると、同じように目を閉じた。
 つないだ手はそのままに。


間幕劇 彼女が拾った猫の名は

「くそったれ」
 彼が呟いた言葉は茜色の空へと吸い込まれた。土手に寝転がった状態で、見るそれはとても眩しい。
「くそ、あのガキ。せっかく助けてやったのに、人の顔を見た途端逃げやがって」
 まぁ確かに、自分をかばって車に轢かれた男が、額から血を流しながら、それでも平気そうな顔をして、「大丈夫か?」なんて聞いてきたら、怖いけれども。
 それでも礼の一つぐらい言っても罰はあたらないんじゃないだろうか? あんな悲鳴をあげて逃げなくても。
「俺は化け物か、っていうんだ。いや、化け物だけど」
 自分で言った言葉に自分で傷ついて、ため息をつく。
 怖いのでちゃんとは確認していないが、額は縫う必要がありそうなぐらい切れている気がする。肋骨も数本折れた気がするし、足の骨も心配だ。
 痛覚はとっくの昔に切ったから痛むということはないし、ニ、三日すれば歩けるぐらいには傷も回復するだろう。
 しかし、そのニ、三日ずっとこの川原で寝転んでいるわけにはいかない。下手すると警察なり医者なりを呼ばれかねない。
 だからと言って、根無し草の自分に行く当てなどあるわけもなく……
「やってらんねぇ」
 ため息をついた。
 まだ秋になったばかりだというのに、風がひどく冷たい。
 もう一つ、ため息を。
 そもそも、こんな車の「く」の字も見当たらないような小さな村の狭い道を、猛スピードで走り抜ける自動車がいけない。しかも、轢き逃げしやがって。これだから金持ちは嫌いなんだ。もし、轢かれたのが俺じゃなかったらどうするつもりなんだ。
 ぶつぶつと口の中で呟きながら、とりあえず今はもう、諦めて寝てしまおうかと目を閉じかけて、

「大丈夫ですか?」

 頭上でかけられた声に再び目を開ける。
 そこには心配そうな顔をした少女が一人。
「あの、大丈夫ですか?」
「……あんたは、これが大丈夫そうに見えるわけ?」
 腕を持ち上げて額から流れる血を拭いながら逆に聞くと、彼女は途端に大きく顔をゆがめた。まるで彼女の方がけがをしたみたいな顔だった。
「そ、そうですよね。……でもよかった、しゃべれるならば見た目よりもひどくないみたいですね」
 多分見た目よりもひどいと思う。俺じゃなかったら多分死んでいる。心の中で思いながら、彼は一つ息を吐く。
 結局、見つかってしまった。
 これからの自分の運命を思うと、ため息しか出ない。
 化け物として見せ物小屋に売られるか、警察に連れていかけるか、それとも、また研究所に戻されるのか。

 彼女は持っていた日傘を傍らに置くと、彼の傍にしゃがみこんだ。そのまま彼に異を唱える隙を与えず、自分のハンカチで彼の額を抑える。
 ハンカチが血を吸い込んで赤く染まっていく。
「うわっ、あんた何やってるんだ!?」
 いきなりのことで驚いた彼に、彼女は
「え、一応止血を……」
 逆に何を聞いているのだろうこの人は? という口調で言い返した。
「別に、そんなのいいって……」
 彼女の白いハンカチと同じぐらい白いその手が、自分の血で汚れているのが何故だか許せなかった。
 振り払おうと動かした手を、彼女は片手でつかむとゆっくりと下に下ろさせる。
「おとなしくしていてください。大丈夫、悪いようにはしませんから。それより、動くと傷口が開いてしまいます」
「……あー」
 薄倖そうな彼女の意外と力強い口ぶりに驚いて、そしてそれが正論であることは認めなければいけない事実で、結局何も言えずに再び空を見る。

「……この近所に」
 彼女がぽつりと言った言葉に、顔をそちらに向ける。
「私の主治医の先生がいらっしゃいます。今からそこに行くつもりだったので、一緒に行きましょう。……あ、でも、そのけがじゃ動かないほうがいいですし、動けませんよね。先生を呼んできますので、待っていてください。いいですか、絶対に動かないでくださいね」
 そういって彼女は立ち上がる。
 額においたハンカチはそのままに。
「おい、あんた」
「大丈夫、私も先生も口は堅いですから」
「……そこじゃない」
 それにしても鋭い女だと思う。何も言わないうちからこちらがわけありだと気づくなんて。正解には、決してたどり着かないだろうが。
 化け物だ、なんて。
「名前」
「え?」
「あんた、名前は」
 その言葉を口にしてから、俺は何を言っているのだろうかと思った。そんな「人間」の名前を聞いてどうする。
 彼女は、驚いたような顔をしてから、すぐに微笑んだ。
「茜。一条茜です」
 そういって、先ほどから彼が眺めている空の名前を持った彼女は、微笑んだ。

 なんだか、眩しい笑い方だった。 



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