目次
迷い仔猫の居候
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第一幕 捨て猫の拾い方
間幕劇 猫と彼女
第二幕 猫への餌のやり方
間幕劇 猫と彼女のその後
第三幕 猫がいる生活
第四幕 捨て猫の元の飼い主
間幕劇 彼女が拾った猫の名は
第五幕 好奇心、猫を殺す
第六幕 上手の猫は爪を隠す
間幕劇 Has the cat got your tongue?
第七幕 居座り続ける居候猫
居候と猫の彼女
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第一幕 居候猫と新たなる居候
間幕劇 再び拾った猫の名は
第二幕 Who's she? The cat's mother?
第三幕 彼女が拾った猫との生活
第四幕 逃走猫の帰巣本能
第五幕 猫叱るより猫を囲え
居候と猫の飼い主
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第一幕 居候猫と新たなる居候の現状
間幕劇 猫は三年の恩を三日で忘れる
第二幕 猫にはまだ鈴をつけていない
間幕劇 犬猫も三日飼えば恩を忘れず
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
第四幕 放浪猫の後始末
Gナンバーの居候猫
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第一幕 猫の飼い主に小判
第二幕 少女の心は猫の眼
第三幕 愛猫フォトコンテスト
第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.
第五幕 猫眠、暁を覚えず
第六幕 猫の毛並みを確認すると。
居候猫の父の気がかり
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第一幕 居候猫の現状
第二幕 愛猫フォトコンテスト結果発表
第三幕 猫には首輪を。
第四幕 少女の心は、今も猫の眼
第五幕 居候猫の恩返し
第六幕 The cat is in the cream pot.
第七幕 猫の手だって厭わない
第八幕 迷い仔猫の素性
第九幕 迷い仔猫の同居人
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第一幕 捨て猫の拾い方

 女は、足下を見下ろした。
 人が豆粒のような小ささで歩いているのが見える。
 スカートの裾が、風でふわりと揺れる。
 一つ息を吸う。
 そして女は、ビルの屋上から飛び降りた。


 それは三日間続いた雨が止み、憎らしいぐらい快晴の日だった。
 神山隆二は、切れた珈琲と煙草を買いに普段蟄居している自宅からしぶしぶ出てきた。
 日差しがまぶしい。
 ほどほどに人通りのある道をだらだらと歩く。家から一番近いコンビニが徒歩十分というのはやっぱりよくない。家から二分のところにあったコンビニは昨年末閉店した。たかだか珈琲と煙草を買うのに五倍も歩くなんて非生産的だ。
 などと堕落しまくったことを思いながら、のばしっぱなしの茶色い髪を右手でかきあげる。
 ジーンズのポケットに両手を突っ込んでだらだらと歩く。
『やー』
 上から何かかけ声のようなものが聞こえた気がして、上を見る。
 ぎょっとする、とはこのことだ。
 ビルの上から女が一人ふってきた。
 え、何自殺?
 思わず立ち止まる。急に立ち止まった隆二の背中に真後ろを歩いていたサラリーマンがぶつかった。スーツ姿の彼はちっと舌打ちする。
 すみません、ともごもごと呟いて頭を下げる。
 その間に、女は隆二の鼻先を通り過ぎて地面に落下した。
 アスファルトに頭をのめり込ませて、足だけが二本飛び出ている。なんかで見た事ある光景にしばし考え、
「すけきよかよ」
 有名な小説の一場面を思い出し、口の中で言葉を転がすようにしてつっこむと、その足を通り抜けてコンビニを目指した。
 こうも暑いと変な輩が増えるな。
『って、ちょっとまったー!』
 後ろから声が聞こえる。女の声にしては高すぎず、耳に心地いい程度の高さで、隆二は少し感心する。声量はともかく。
『ちょっとあんた! そこの茶髪にギンガムチェックのシャツきた、むっつりしたそこのあんた! あんた、あたしのこと見えてるんでしょう? うら若き乙女がビルから飛び降りてきたっていうのに無視するなんて一体どういう了見よっ! ひとでなし!』
 ギャギャー騒ぎつつ、近づいてくる。
『聞いてるんでしょう! 逃がしはしないわよっ!』
 女は隆二の前に両手を広げて立ちふさがる。しかし、それは丁度コンビニの前。隆二は女の鼻先で曲がり、すっと店内に入った。
 入ってすぐの角を曲がる。窓際、雑誌のラックの前を通り過ぎる。週刊誌には毒々しい字で「怪奇! ミイラの謎!」という文字が踊っていた。
 いつも飲んでいるインスタントコーヒーを手に取り、レジにむかい、
「マルボロ」
 すっかり顔なじみになった店員にそう声をかける。店員はいつも通り三箱用意してくれた。
『ちょっとちょっとちょっとちょっと!! 何無視してくれちゃってんのよ!』
 慌てて店内に入ってきた女が耳元でぎゃーぎゃー騒ぐ。
 相変わらず愛想のない店員に代金を支払う。
 もっと愛想のいい可愛い女の子もいるのに。なんでこいつはこんなに愛想がないんだか、同じ店なのに。
 黙ったまま金銭の授受が行われる。
『ちょっと、聞いてるの!? 聞いてるでしょう!? なんとかいいなさいよ! あ、だからって「なんとか」ってだけいう、そんなお約束な展開は許さないんだからね! 無視しないでよー!』
 乱暴にビニールに入れられたコーヒーと煙草を持ち、コンビニを後にする。ついでに入り口のところにあったバイト情報誌をとると、袋の中に押し込んだ。そろそろなにか仕事を探さないと。
『あんた、あたしのことをなんだと思ってるのよ? 馬鹿にしてるの!?』
 ぎゃーぎゃー騒ぐ女を通り抜ける。
「なにってそりゃぁ」
 小さく口の中だけで呟く。
「頭湧いた幽霊だろ」
 あっついなー、と空を睨み、家路を急いだ。

 

『ほんっとむかつく、聞こえてるのに無視するとか最低、どういう育て方されたの? お母さんが泣いてるわよ』
 喚いたまま、結局家までついてきた幽霊が、わざとらしく右手を目元にあてて泣きまねをする。芸が細かい。
 出かける前に湧かしておいたお湯をカップに注ぎ、念願のコーヒーを一口すする。昔の知り合いはインスタントなんて邪道だ! なんて言っていたけれども、世の中楽が一番だろう。
『もう、なによ、ティータイム? あ、コーヒーか。コーヒーブレイク? 可愛い女の子放り出してコーヒーブレイク? あたしのハートがブレイクしちゃうわよ、まったく!』
 意味がわからない。
「あんたさ」
 ダイニングの椅子に腰をかけると、両手を体の真横で握りしめて叫び続けていた女を見る。
「そんなに喋っててよく疲れないよね?」
 心底感嘆して呟く。喋るのって疲れるし。
 女は何故かぽかん、っと大きく口をあけてこっちをみる。
「……何?」
 そんな顔をされる理由が思いつかず、問いかけると、
『あなた、あたしが見えるのっ!?』
 勢いよくこちらに身を乗り出してくる。テーブルの上に手をついて、結局勢い余ってめり込んだ。
「は?」
 驚いたかのように見開かれた、アーモンド形の瞳をみつめる。
「あんた、散々喋ってたのに。気づいてたんじゃないわけ?」
『え……、最初は見えてるのかと思ったけど、あまりに無視するから違うのかと思ってた……』
 もっと無視しとけばよかった。
「じゃあ、なに家までついてきてるわけ?」
 呆れて問うと、
『暇だったから』
 何故か女は自信満々に答えた。
「ああ、そう」
 変な幽霊。思いながらコーヒーをもう一口。
『ちょ、じゃあ、なんで無視してたのよっ!』
「道ばたで会話したら、空気と会話している怪しい人だろ」
 肩をすくめる。
『あなた、自分が空気と会話する怪しい人になりたくないなんて緩い理由で、あたしみたいにかわいくて、チャーミングで、美しくて、うら若き乙女の呼び声を無視したの!? 最低だわ』
「いや、ふつう無視するだろ」
 自分で可愛いとかチャーミングとかいうのもどうかと思うし。
「で、あんたなんだよ。こんなとこまでついてきて」
『暇だって言ったでしょう?』
 女は、ついさっき言ったのにもう忘れちゃったの? と小馬鹿にした顔をする。なんとなく腹が立ったが、ぐっと堪えた。
 いちいち怒っていたら、多分、話が先に進まない。話を先に進める必要性があるのかも、甚だ疑問だが。
「暇ってなあ。っていうか、幽霊ってそういうものなのか? 本来なら怨念とか未練とかそういうものがあるんじゃないのか?」
 忙しいかはともかく、こんな風にぷらぷらはしていられないはずだろう。
『だって』
 と、幽霊の女は不満そうに唇をとがらせると、
『あたし、自分がなんだったかわからないんだもの。記憶喪失、っていうの?』
 一瞬の沈黙。
 時間をかけて女が言った意味を飲み込むと、
「……幽霊って、記憶喪失だったりするんだ」
 へー、驚いたと言うと、
『ん? 今のはバカにしてたわね?』
 にらまれた。そりゃあ、バカにしたくもなる。
「じゃあ、生前の記憶とかまったくなし? 自分が誰だったか、とか」
『うん』
 それは困った。お引き取りを願おうにも、未練はもとより、なにもわからないならば成仏していただくのも困難だ。
「ビルから落下したってことは、飛び降り自殺とかだったのかな」
 唯一の手がかりをもとに、死因の特定に走るが、
『あ、あれ? あれは単に暇だったから遊んでただけ』
 はたはたと片手をふる。こいつうぜー。ちょっと思った。
「遊んでたって」
『なんていうか、バンバンジー感覚?』
「バンバンジー……?」
『……あれ、違う?』
 首を傾げる。
「……多分だが、バンジージャンプ?」
『そーそれ!』
 あなた物知りねーと笑う。お前がばかなだけだろ。
『最初はね、ビルの上から道行く人を見てたりして、そういうのが楽しかったんだけど。段々飽きて来ちゃって。そしたら電気屋さんのテレビでバンジージャンプ? やってて.楽しそうで。それで、試しに飛び降りてみたらすっごい爽快感で!』
「あー、そう」
『でも、みんな気づいてくれないからつまんなかったんだけど。そしたら、あなた、立ち止まるじゃない? だからこれは見えてるな!! って思ったの』
 満足そうに女は微笑む。
 それから、
『まあ、ともかく。そんなわけであたし自分がどうしたらいいかわかんないし、一人だと暇だし、幸いあなたあたしがみえるみたいだし!』
 腰に手をあててなぜか上から目線で幽霊女は言った。
『ここにおいて頂戴』
「ご自由に」
 ある程度予想できた言葉に、さらりと返事した。
『え、そんなあっさり!!』
 逆に女が焦ったような声を出す。
『言い出しておいてなんだけど、あなた、そんなに簡単に他人を家においていいの? そんな不用心でいいの? 大都会は危ないのよ? 大都会の闇! 家出少女達を待ち受けるものとは一体! みたいな』
 なんだろうか、そのやすっぽい特集番組みたいなあおりは。そもそも、家出少女に該当しそうなのはそちらだし。
「いいの? とか言われたって。一般の防犯対策効かないんだから追い出したって意味ないだろ。追い出せないし」
 でていけ! と言ったところで、幽霊ならば居座ることは簡単だ。ドアだって窓だって壁だってすり抜けられるのだから。
『え、じゃあ本当にいいの?』
「あー、まあ」
『嬉しい! あなたいい人ね!』
 言いながら両手を広げてこちらに向かってくる。
 半身をかわして避けた。
 女はそのまま、壁にめり込む。
 足がびよんっと壁から生えた。裸足の足。
『何よ!』
 すぽんっと顔を引き抜いて、女が睨む。
「なれなれしいだろ」
 言うと、
『もう、照れ屋さんなんだからぁ』
 しょうがないわね、といった体で返された。
 今からでも遅くないから、放り出そうか。ちょっとだけ思った。
「……勝手にしろ」
 でも、色々諦めてそう言う。
 ずっと一人でやってきたのだ、幽霊の一人ぐらい家に置いても問題ないだろう。人間じゃなくて、幽霊なのだから、間違いが起きる訳もないし。
「まあ、しかしあれだ。名前ないと呼びにくいな」
『じゃあつけて頂戴』
 優雅に微笑むと、女は言った。
 なんで偉そうなんだろうこいつ。
 幽霊女の頭の上からつまさきまでゆっくりと見る。
 眉の上で切りそろえられた前髪の下から、つりめがちの瞳がのぞく。よく見ると瞳は緑色だった。
 鎖骨の下でゆるくカールしている髪も緑色がかっている。
 白いワンピースからすらりとした手足が伸びている。ふわふわ浮かんでいるからわかりにくいが、女子の平均身長以上はあるかもしれない。
 全体的に上手く配置された形のいいパーツ達。なかなか人間だったころは、美人でモテたことだろう。
 惜しむべきはなんの起伏もない胸か。ぺったんこにもほどがあるだろ。見た目十代後半ぐらい、これから成長する……予定だったのか。これは無理そうだな。
 女は、自分で言ったくせにつまらなさそうに髪の毛を指先に巻き付けている。毛先をじっと見つめている。幽霊にも枝毛ってあんのかな。
 なんだか猫みたいだなー、と思う。気まぐれで自由気ままで。
 そういえば以前、少しだけ猫の面倒をみていたことがある。一緒に住んでいた人間が飼っていただけだが。あの猫はもうちょっと大人しかったぞ。
 少し昔を思い出してため息。その話は忘れよう。
 もう一度、上から下まで眺め、
「マオ」
 一言告げた。
 沈黙。
『あ、それ、あたしの名前?』
 一拍置いてから女が言った。人差し指で自分の鼻を指差す。
「ああ」
 忘れかけていたコーヒーを一口。
『マオ、マオ』
 女は小さく呟く。
『ねっ、ねっ、どういう意味?』
 下から顔を覗き込んでくる、小首を傾げて。それはさながら、テーブルから生える、女の生首。
「猫、中国語で」
『猫!』
「猫っぽいから」
『猫っぽい!』
 何故復唱する。
「気に入らないなら自分で考えろ」
 めんどうになってそういうと、女の視線から逃れるようにそっぽを向いた。
『いい、いい! 気に入った』
 隆二の視界にぐるっとまわりこむ。
『ありがとう! ええっと……』
 言って首を傾げるので、
「あー。神山隆二」
 名乗った。
『隆二ね!』
「呼び捨てかよ」
『あたしのことも呼び捨てでいいのよ? その、マオ……って』
 何故か視線を床に向け、少しだけ頬を染めて言う。
「あー」
『よろしくね、隆二!』
 顔をあげてにこやかに微笑む女を見て、
「あー、よろしく」
 ため息まじりに苦笑しながらも、隆二は頷いた。
「マオ」
 名前を呼ぶと、ぱっと花が開いたように、嬉しそうに、マオは笑った。 


間幕劇 猫と彼女

「ほらほら、おいで」
 彼女は、片方の手を伸ばしながらそう言った。
 何度かそれを繰り返すうちに、相手は警戒しながらも少し近づいて来た。
 そして……、
「痛い!」
 彼女は伸ばしていた方の掌をひっこめると、押さえ、小さく悲鳴をあげた。
 その隙に彼女をひっかいた猫は逃げていく。
 その後ろ姿を見送ったあと、彼は彼女の掌をとる。
「血は出てない、な。とりあえず、あとで消毒しておけよ」
「はい」
 彼女は素直に返事をすると、掌を見つめため息をついた。
「これで今週入ってから三日目だ……」
「……今日は火曜日だったと記憶しているが?」
 彼は唇を皮肉っぽく歪めてそういうと、彼女はふくれた。
「どうせ、毎日毎日ひっかかれていますよーだ!」
 そのまま、べぇっと舌を突き出す。彼はそれを呆れたように見ていたが、少し経つとそれをひっこめ、真剣な顔をして言った。
「……茜、やっぱり野良は警戒心が強いから気をつけた方がいいんじゃないか? 傷口から何か病原菌に感染してしまってから嘆いても遅い」 
「隆二、そうは言うけれども、」
 不服そうに頬をふくらませる彼女を遮る。
「というか、人に平気で近づいていくような野良は駄目だろう。生き残れない」
 そういうと彼女は少しうつむいた。
「そっか、そうだよね……」
 そのとても残念そうな様子が見るに耐えなくて、彼は続けた。
「だから、餌を与えたいならばここに置いておけばいいんじゃないか?」
 そういってほらっと、物陰からこちらを見ている猫を指さす。
「あ、そっか」
 彼女は嬉しそうに笑うと、煮干しの入った袋を取り出し、地面にばらまく。それから、猫の方に手を振った。
「それじゃ、私たちは行くからゆっくり食べて大きくなるのよ」
 どこか間の抜けたその言葉に苦笑しながら、彼は歩き出した彼女の後をついていく。

 夕暮れ時の土手を二人で歩く。
「そんなに猫が好きならば、飼えばいいだろう」
「う~ん、でもねぇ」
 彼女は彼の言葉に首を傾ける。
「それはそれで色々と問題があるからな。餌代とか躾とか。飼いたいのはやまやまだけど。それに、先生は私が猫と触れ合うのあまりいい顔しないから」
「だろうな。おまえ、ただでさえ体弱いのにその自覚ないから」
「何よ、その言い方」
「あまり無茶をするな、と言っているんだ」
 冷たい言い方ではあるが、それが口下手な彼にとって「ものすごく心配だから無茶はしないでくれ」を表す言葉だと気づき、彼女は少しくすぐったそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
「うん、気をつける。ありがとう。……あれ、でも、飼ってもいいの? 前は嫌そうにしていたのに」
「毎日毎日、野良に餌をやりに行くのにつき合わされるよりは幾分ましだ」
「……そう」
 彼女は小さくため息をついた。それから、あ~あと大げさに嘆く。
「なんだ、てっきり隆二もついに猫の可愛さに気づいたのかと思ったのに」
「俺は未だに思うぞ。あんな懐かない生き物のどこがいいのか、と」
 彼女はわかってないなぁと人差し指を顔の前で数回振り、続ける。
「確かに猫って、こちらが気を引こうと一生懸命になっても向こうは冷めた目で見てくるだけよね。だけど、時々、本当に向こうの都合でしかないのだけど、気が向くと甘えてくるのよ。不思議なものでね。ちっとも懐かないから嫌いだ、って思っていた猫も一度甘えられると手放せなくなるのよねぇ」
 まるで恋する乙女のような目をして猫について語る彼女を見ながら、彼は小さく肩をすくめた。彼女はそれを見咎め、あ~と叫ぶ。
「何よ、今の態度は!」
「思ったことをありのままに表現しただけだ」
「もう、隆二はいつもそうなんだからっ! そういうときは嘘でも、『そうだね』とか言ってくれればいいじゃない!」
「そうだね」
「白々しい!」
「嘘でもいいと言っていただろう?」
 むきになる彼女が愛らしく、彼は楽しそうに笑う。めったに笑わない彼の笑みを見て、彼女も結局それ以上言及するのはやめた。
 代わりに違うことを呟く。
「……そういえば、隆二って猫に似ているわね」
 そういうと、彼は不愉快そうに片方の眉を上げた。
「俺が、猫に?」
「そうよ、似ているわよ。だって、最初はあんなにつけどんどんで、人がせっかく助けてあげたのに、全力で嫌がるし、すぐにふらりとどこかに行っちゃうところし、気まぐれだし、でも優しいし、そっくりじゃない」
「似てない」
 何もそこまで否定することはないだろうと、我ながら思うのだが何故かむきになって言い返すと
「似ている!」
 彼女の方もむきになって言い返してきた。
「似てない」
「似ている!」
「似てない」
「似ているっ!」
「似てないったら似てない」
「似ているっていったら、似ているの!」
 途中で子どもの喧嘩みたいな状態になったことにお互い気づき、黙る。自分達はいま、一体何をしていたのだろうか。
「……なんでそんなに否定するのよ」
「そっちこそ、なんでそんなにむきになるんだよ。似ていると茜が思うなら俺が何と言おうと似ていると思いつづければいいじゃないか。思うだけなら自由だぞ」
「私ね、猫が好きなの」
 脈絡の無い言葉に眉をひそめる。
「それは十分すぎるほどよく知っているが、何で今それを?」
「私、隆二のことも好きよ」
 いきなりのまっすぐな言葉に、歩いていた足を思わず止める。
 彼女はまっすぐに彼を見つめて言った。
「勿論、それは隆二が猫に似ているから好き、なんている理由じゃない。隆二に対する想いと猫に対する思いが同じ訳でもない。でもね、私は隆二も猫も好きだから、私の好きな隆二が私の好きな猫のことを好いてくれたら嬉しい。そうすれば、隆二も猫ももっと好きになれると思うの。だから……、」
 段々、彼女は自分が何を言いたかったのかわからなくなり、言葉が尻すぼみになる。
 少しの沈黙。
「……わかった」
 彼は口元に微苦笑を浮かべながら、ぽんぽんと彼女の頭を撫でて、でも恥ずかしいので視線は合わせないで言う。
「まあ、善処するよ。猫を好きになれるように」
 そういうと彼女はくすぐったそうに笑った。
 そして、彼女は最後に照れ隠しの意味もこめて言った。
「隆二も、猫を飼ってみればいいのよ。そうすれば、絶対そのかわいさに気づくから」

 にゃ~

 彼女が言い終わったと同時に、鳴き声がした。
 彼女は意中の人に会いに行く乙女のように顔を輝かせ、視線をさまよわせる。
 既に、大好きなはずの彼のことなど視界に入っていないようだった。
 それを見ながら彼はため息をついた。彼女が仕組んだのではないかと思わせるぐらい、絶妙のタイミングだったと思って。
 それから、もしかしたら自分が猫が好きになれないのは、柄にもなくヤキモチを妬いているからかもしれないと思った。猫にヤキモチを妬いているなんて、みっともなくて彼女にはいえないが。
 でも、もしヤキモチを妬いていると言ったら彼女は少しは喜んでくれるのだろうか。それならば、いつか機会があるときになら言ってみてもいいもしれない。
 彼がそんなことをつらつらと考えている間にも、彼女はダンボールを見つけだす。慌ててそちらにかけていき、中を確認すると、腕を組んで傍観者に徹していた彼を手招きする。
「ちょっと、隆二来て」
 その声にせかされて、いささか早歩きでそこまでいった彼に、彼女はダンボールを抱えさせる。中をのぞいてみたら、予想通り子猫が震えていた。
 黒い子猫だった。黒猫は不吉だといわれるが、薄汚れているがそれでもわかるような、綺麗な毛並みをしていた。黒というよりも、漆黒。
 緑の瞳でじっとこちらを見てくる。
「……茜?」
「けがしているみたい、捨て猫かしら? かわいそうに、まだこんなに小さいのに」
 不可解そうに彼女の名を呼ぶ彼を、彼女はまったく相手にしない。
「茜?」
 もう一度、先ほどよりも強く名を呼ぶ。
「ねぇ、隆二」
 彼女は再び彼を遮り、彼の前に回り込み言った。
「助けてあげなきゃね」
 彼は数秒、何を言おうか悩んだが、結局何も言わずに歩き出した。
 彼女が一度言い出すときかない性格なのはよく知っているし、大体さっき自分で飼えばいいじゃないかと言ったばかりだ。
 それ以前に、こんな嬉しそうな彼女に駄目といえるわけが無い。
 もし、神様とやらがいるのならばずいぶんと卑怯だと思う。
 彼女は彼の隣を歩きながら、幾分嬉しそうに、そして少し哀しそうに猫の鼻先をつっつく。それから、顔をあげて言った。
「これで、隆二も猫のかわいさがわかるわね」
 彼は何も言わず、呆れたようなため息で返した。
 にゃ~
 嬉しそうに鳴く「恋敵」が恨めしかった。 


第二幕 猫への餌のやり方

 少女は呼びだされた。そして大変無責任な指令をうけとった。
 どこに逃げたのかもわからない実験体を探せと言われた。
 組織の末端である少女に拒否権はなく、しぶしぶと立ち上がった。
 幸い、目撃情報は沢山あった。
 とりあえず、その最後の目撃情報の場所に向かう事にした。


 工藤菊はいつものようにコンビニでバイト中だった。
 この今時「菊」なんていう名前をもっている十九歳の少女は大のオカルト好きである。彼女曰く、「累の怪談」で憑依される少女とか、「四谷怪談」の伊右衛門の末娘とか、「番町皿屋敷」の下女とかに共通して見られる「お菊」という名前には「死者の声を聞く」という意味があって、「菊という名前をもつ私は死者の声を聞かなければ」ということらしい。
 見た目は、完全に今時ギャルなのに。
 ちなみに、オカルトは好きなものの彼女に霊感は皆無である。未だに死者の声を聞いたことはない。
 そんな彼女が最近ニュースで話題になっているミイラ事件に興味をしめさないわけはなかった。
 ミイラ事件。二カ月程前から、発見される屍体。最初の屍体の身元はまだ若い女性だったが、肌はかさかさに乾燥し、というか、体全体が乾燥し、まるでミイラのような状態で路上にて発見された。
 その後も、一週間に一度のペースで、計七人が被害に遭っている。全員がミイラのような状態で発見されている。
「猟奇的よねー」
 と、菊は呟いた。店内には今、客がいない。
「被害者が若い女性が多いっていうのも、なんかねー」
「これはきっと人間の仕業じゃないわ!」
「吸血鬼とか?」
「チュパカブラかも!」
 オカルト、都市伝説、全般が彼女の守備範囲である。
「チュパ……?」
「それとも新種のなにかかしら? だって血は抜かれていなかったのだもの、チュパカブラではないわよね」
「ね、ちゅぱかぶら? って何?」
 同僚バイトと盛り上がる。主に菊一人で盛り上がる。
 ドアの開閉に伴う音楽が流れる。車の音が店内に流れ込んでくる。
「っと、いらっしゃいませー」
 入って来たのは常連の青年だった。男性にしては少し小柄で、イマイチ愛想のない人だった。今日もグレーのシャツとジーンズという極めてラフな格好だ。
 ひょろっとしていて不健康そうで、何をしている人なのか気になっている。
 定期的に来て、インスタントコーヒーと煙草を買って行く。煙草はいつもマルボロを三箱。菊はそそくさとマルボロを三箱用意した。
 レジにやってきた青年はいつもと違って、おにぎり二つとサラダを持っていた。
 そのまま何も言わない。
「……あれ、あの、煙草は?」
 思わず聞いてしまう。
 青年は一瞬右肩の辺りを鬱陶しそうに見てから
「今日はいい、です」
 そう言った。
 そのまま、おにぎりとサラダを買って店を出て行った。
「珍しい、煙草買わないなんて……」
「ねー? 禁煙かなー、カノジョに怒られたとか?」
 同僚が小さく呟いた。
「え、カノジョいんの?」
「いや、知らないけど」
「いるなら見てみたいわー」
「なんかでも、面食いっぽいよねー」
「あー、なんかわかるー。超美人な人とか連れてそうー」
「で、尻に敷かれてそうー」
「えー、それはわかりかねるー」
 そのまま、あの人の恋人はどんな人間か、ということで盛り上がりだした。

 

 

『偉いじゃない! ちゃんと禁煙して! 見直したわ!』
 おにぎり二つとサラダが入ったコンビニ袋を下げてあるく隆二の背後でマオが言った。
「んー」
 適当な相槌をうつ。だから外で話かけんなって。
 マオが居着いて一週間が過ぎた。
 最初は割と、今から思うと比較的、大人しくしていたが、しばらくしたら慣れたのか煙草を吸っている隆二の目の前で、
『煙草は体に悪いのよ!』
 と突然言い出してきた。
『あなた、死ぬわよ!』
「インチキ霊能力者かなんかか、お前は。死ぬわよ! とか言って壷でも売りつけんのか」
『れっきとした科学的事実! 煙草は体に悪いのよ! 禁煙しなさい!』
 居候の分際で偉そうに。大体幽霊が科学的とかって言葉を使うのはどうなんだ。
 無視してもよかったが毎日のように同じ事を言われると、さすがに精神的にしんどかった。相手をするのが。
 増税で値上がりしたし、多少節約してもいいだろうとそれに従っている。
 事なかれ主義、万歳。

 自宅に戻り、バイト情報誌を見ながら、買って来たおにぎりを咀嚼する。
 ぱりぱりの海苔も、少し堅いお米も、久しぶりに食べるとそう悪いものでもないような気がした。
 ぱらぱらと、バイト情報誌の短期バイトの辺りを見る。
 貯金はまだまだ余裕があるが、最近予想外の出費が続いている。金銭に余裕があるにこしたことはない。何か適当なものはないかと思っていると、
『りゅーじー、テレビ』
 襖をあけっぱなしにしている部屋から、マオの声がする。そっちを見ずにリコモンをいじった。
 正午からはじまるサングラスの司会者の番組がマオはどうやら好きらしい。今はまだお昼のニュースをやっていた。
 2DKの部屋。一部屋が寝室、もう一部屋にはテレビと赤いソファーだけを置いていた。ソファーは以前、もらったものだ。
 マオはその赤いソファーが気に入っているようで、よくそこに寝転がり、テレビを見ている。どうやらテレビもやたらと好きらしい。隆二一人だとそんなに見ることがなかったテレビが、マオが来てからフル稼働だ。
「ミイラ事件の続報です」
 テレビが告げる。
 ああ、あの事件、まだ解決してなかったのか。
 ふっとマオをみると何故か真っ青な顔をしていた。隆二が見ているのに気づくと
『あ、あたあたあたし、さ、散歩行ってくるね』
 慌てて立ち上がろうとしてこける。幽霊もこけるんだなーとか思いつつも
「マオ」
 ひとこと呼ぶと、びくっと動きをとめた。
「ここに座れ」
 テーブルの向かいの椅子を指差す。マオはしばらくおどおどと視線をさまよわせたあと、ゆっくりと腰掛けた。律儀に正座している。
 怒られる気、満々だな。
「お前の仕業か」
 テレビを指差す。話題はとっくに、どこぞの国で世界一大きいピザのギネス記録に挑戦したとか、そんな緩いものになっていたが。
『……はい』
 マオはおどおどと視線をさまよわせ、小さい声で呟いた。
 ミイラ事件、まるでミイラのようになって発見される屍体。
 それはつまり、
「精気を抜いたな?」
 尋ねると、マオは小さく何かを言って、俯いた。
「それは、どういう意図で?」
『……いと?』
 目線だけあげて、マオが首を傾げる。
 伝わらなかったか、バカだから。
「理由」
『……その、あたし、それがないと、消えちゃうから』
 今にも消え入りそうな声で言われた。
「……なるほど」
 人の精気を喰らい、存在する幽霊。
 まったくもって何者かわからない。
「お前は本当、わけのわからない幽霊だなー」
 呆れて呟く。
 テレビは、マオの好きなお昼の番組のオープニング曲を流しはじめた。
「あ、テレビ、始まったぞ」
『……え』
 マオは上目遣いで伺うようにこちらを見て来た。
「なんだ?」
『……お話、終わり?』
「ん? ああ。確認したかっただけだし。まだなんかあるのか?」
『……そうじゃなくて』
 もじもじとスカートの裾を両手でいじりながら、
『……怒ってないの?』
「怒る? 何故?」
 本気でわからなくてそう聞いた。
『だって、あたし……、人、殺しちゃったし……』
「だって、食事だろ?」
『……それは、そうだけど。でも……』
「人間が豚や魚を食べるのとなにが違うんだ?」
 マオは上目遣いでこちらを見たまま、首を傾げる。
「無益な殺生だったらやめておけ、と言うが。別に、生きていく、存在していくための殺生ならば構わないだろう。まあ、いただきます、ぐらいは言った方がいいと思うが」
 そこまで言って、片手にもったままのおにぎりを思い出す。
「……うん、いただきます」
 なんとなく呟いて、咀嚼した。
 マオは黙ったまま、そんな隆二を見つめ、
『……本当に、怒ってないの?』
「ん? ああ。別に、赤の他人の生き死にとかどうでもいいし」
 死んで困るような知り合いも、いないし。
 言いながら、サラダの蓋を開ける。
『……ありがとう』
 小さく小さく、マオが呟いた。
「ん?」
『ううん』
 マオが顔を上げる。何故か、すこぅしだけ、微笑んでいた。
「まあ、殺さないで済むならそっちの方がいいんだろうけどな」
 フォークをサラダにつきたてる。
「死者が出たから、今はこうやってニュースになってしまっているけれども。殺さずに済むのならば、ニュースにはならないだろうし。健康な人間から死なない程度に精気とったら目眩とか、ちょっと体調崩すぐらいで済むはずだろう」
 多分、と小さく付け加える。そんな詳しい事なんてわからないが。
『……うん』
「そういうことはできないのか? 一人から少しずつとか」
『……出来なくは、ないんだけど』
 俯きはしないものの、スカートの裾をいじりながら、
『寝てる人とか、意識のない人からとるなら、ちょっとずつっていうのも出来るんだけど。……普通に、活動している人からとっちゃうと、死んじゃう、みたい』
「なるほど。……っていうか、今まで普通に活動している人からとってたのか、お前は」
 どうやって精気を喰らうのかは知らないが、それはなかなかに、シュールな光景のような気がする。
『うん。お腹が空いた時に、近くにいた人から……。あ、でも、物陰でだよ?』
「白昼堂々と通行人がミイラ化したらもっと大事になるだろうな」
 そんな面倒なことになっていなくてよかった、と心底思う。
「っていうか、寝ている人間からとればいいだろ、そんなの。お前なら家の壁すーっと抜けて入れるだろうし」
『あ、でもね。寝ている時も、とれる時ととれない時があって』
「ん?」
『ええっと、なんだっけ。れ、れもん?』
「レモン?」
 なぜ、ここにきて果物。それとも、梶井基次郎?
『レモンじゃない。ええっと、のんけ……? のんれ……? すいみん……』
「……レム睡眠とノンレム睡眠?」
『そう、それ!』
 助け舟を出すと、マオは嬉しそうに両手を叩いた。
 レモンは絶対違う。
『ええっと、それで、……どっちがどっちか忘れちゃったけど、とれない時があって。確か、深い眠りのとき? でも、まあ、それで、……面倒になっちゃったの』
 てへ、っと舌を出して笑う。
「面倒になっちゃったって」
 そんな理由で活動中の人間から精気を奪っていたのか。
『あ、でも、でも』
 呆れたように隆二が呟くと、マオは慌てた様子で、
『隆二が駄目っていうなら、ちゃんと寝てる人からとるよ?』
 隆二の顔色を伺うようにして、首を傾げる。
「あー、出来るなら是非、そうしてくれ」
『はーい』
 元気よく、右手を挙げてマオは返事した。
『……でもね、その、最近ずっと、食べてなくて、あの……』
 胸の前で指を組み、上目遣いで小首を傾げて、可愛らしく一言。
『お腹、空いちゃった』
「……それを俺に言ってどうしろと」
『だからね、その……』
 何故か少しだけ頬を赤く染めて、
『食べても、いい?』
「それは普通嫌だろう」
 即答した。
『……だよね』
 あからさまにマオは落胆した。しゅーんっと肩を落とす。
「大体、今までの被害者は若い女性ばかりだったろ。それがお前の好みじゃないのか。食の」
『え、うん。若い女の人が美味しい……。でも』
 目線だけ隆二に向け、少しはにかみながら、
『隆二なら、いいかなぁって』
「なんだそれは」
 意味がわからない。
『……なんでもない』
 マオは一瞬泣きそうな顔をしてから、俯いた。
 なんだかよくわからないが、落ち込ませたことだけはわかった。
「あー、まあなんだ。手伝うぐらいなら」
 慰める意味も込めて、そう言う。
『……手伝う?』
「意識がなければいいんだろ? あんまり穏便な方法じゃないが、道行く人にこうちょっと、意識を失って頂くぐらいならば」
 あんまり穏便じゃないというか、立派に犯罪な気もするが。
『いいの?』
 ぱぁっとマオの顔が華やいだ気がした。
「目立たない方がいいからな、お互い。今は平気でも、あんまりニュースになると、どこからかマオの存在が漏れるかもしれないし。うっかり俺がけしかけたとか言われても嫌だし」
 自分を納得させるように呟く。
 マオはちょっとだけ顔をしかめてから、
『うん、ありがと!』
 嬉しそうに笑った。
「……まあ、俺が飯喰ってからな」
 その笑顔に少しだけ圧倒されながら、言う。
『うん、待ってる!』
 ぴんっと右手を挙げる。そのまま、すぃーっと移動して、テレビの前を陣取った。
 マオの感情の流れについていけない。
 楽しそうに笑いながらテレビを見るマオを見ながら、残りのサラダにとりかかった。

 

「おつかれさまでーす、お先でーす」
 工藤菊は、バイトを終えるとコンビニを出た。今日は大学は休みなので、このまま帰って家で漫画でも読もう。大好きなオカルト漫画の続編、今日にでも宅配便で届いているはずだ。
 うきうきしながら、足取り軽くコンビニの横を曲がる。裏道を通り抜ける。
 今日の夕飯はなんだろう。実家暮らしなので母親が作ってくれているはずだ。昨日は魚だったから、今日は肉がいいなー、そんなことを考える。
 ふいに、どんっと背中に衝撃を感じた。
「えっ?」
 何が起きたのか。
 振り返ろうとしたところを、今度は首筋に衝撃。
 視界が暗くなる。
 意識を手放す直前、常連の青年の姿を、見たような気がした。

「……やべ、顔見られたかも」
 倒れかけた菊を片手で支えながら、隆二はぼやいた。
『えー、大丈夫? ドジねー』
 非難するようなマオの口調に、誰のためにやってんだ、と思う。まあ、ドジなことは否定しないけれども。
 首筋に手刀を叩き込み、気絶させた菊を、そっとアスファルトの上に寝かせる。
『でもすごいねー、あっさり気絶させて。なんかやってたの? 剣道とか』
 感心したように言いながら、両手の拳を合わせ、振り回すマオ。
 剣道はおそらく関係ないだろうし、その素振りはどちらかというとバッドを振り回しているようだ。
「そんなとこ。いいから、はやく」
 促す。
 マオは、はーいと返事して、菊の横に座り込んだ。
『いただきます』
 両手を合わせて呟く。
 これまたご丁寧に。
 そう思ったところで、そう言えば「いただきます」とでも言えばいいんじゃないか、と自分が言ったことを思い出した。どれだけ素直なんだ。
 どうやって食事をとるのだろうと思いながら見ていると、マオはかがみ込み、倒れた菊の唇に自分の唇を重ねた。
 隆二はしばらくあっけにとられてそれを見ていたが、慌てて後ろを向く。
 少女二人のキスシーンなんて、見るもんじゃない。
 食事って、精気を喰らうって、文字通り喰らうんだな。口から。
 屍体で発見された女性達は、普通に活動しているところを、この謎の幽霊にキスされていたわけか。その光景を想像し、なんとも言えない気分になる。

『りゅーじ』
 しばらくして、若干舌足らずな声で呼ばれ、振り返る。
『ごちそうさまでした』
 立ち上がったマオが、両手を合わせて少し頭を下げた。
「あー、うん」
『……生きてるよね?』
 足元の菊を見る。
 近づいて確認する。
「大丈夫」
『ん』
 マオは満足そうに頷いた。
「いいのか?」
『うん』
 マオは頷き、それから何故か、しゃがみこんだ隆二の背中におぶさろうとする。
「やめろ」
 それを、身をかわして避けた。
『酷い』
「酷くない」
『馴れ馴れしいって最初言ってたけど、まだ駄目なの? もう十分仲いいじゃない! あたしたち、共犯者じゃないっ! 同じ穴の狢じゃない!』
「あー、どっからつっこめばいいかわからないけど、だからって馴れ馴れしいことには変わりないだろ」
 ため息をつきながら、隆二は立ち上がる。
『でも、少しぐらい、……触らせてくれたって、いいじゃない』
 少し頬を膨らませて、マオが言う。
「触れないだろ、幽霊さん」
 呆れて言うと、ますます頬を膨らませた。
『……意地悪』
「意地悪くねーよ、事実だよ」
 足元の菊を見る。
 起こすかどうしようか少し悩み、起こしたってどこにもプラスになる要素はないな、と判断する。
 先ほど顔を見られていたら不審者決定だし、例え顔を見られていなくても、いきなり自分のバイト先の常連客に起こされたら不審だろう。
 自分が捕まったら元も子もない。
「ほら、帰るぞ」
 言って、菊に背を向けて歩き出す。
『あ、待って』
 慌ててマオが隣に並ぶ。
「はー、顔見られたかも知れないし、もうあのコンビニ行けねーな」
『もー、間抜けなんだからー』 
 だめでしょ、と窘めるようにマオが言う。
「誰のためだと思ってるんだよ、誰の」
 些か呆れて言葉を返す。
『んー、あたしの? えへへ、ありがとう』
 隆二の正面に回り込み、屈託なく笑う。
「どーいたしまして」
 マオは照れたように笑い、くるくると、隆二の周りを回る。
「……うぜ」
『んー?』
「隣。視界塞がれて邪魔だから」
 言うと、何故かとっても嬉しそうに笑い、隆二の隣に移る。そのまま、宙に浮くのをやめ、歩くように移動する。
 そして右手を伸ばし、隆二の左手を掴もうとして、
「だからやめろって」
『むー』
 空振りに終わった手を見て、マオがふくれる。
『ケチ』
「ケチじゃない」
 路地裏を出る。
『酷い、ケチ! 意地悪っ!』
 マオが隣で騒ぐ。
 が、人通りの多いところに出た以上、隆二はもう反応しない。
『うわっ、また無視する。さーみーしーいー。ねー、寂しいと兎は死んじゃうんだよぉー』
 お前は兎じゃないだろう。そもそも、もう死んでいるだろ。
『さみしいさみしいさみしいさみしいしんじゃうー』
 ぐるぐると、また隆二の周りを回る。鬱陶しい。
『はう、胸の辺りが苦しい。これはきっと、寂しいからだわ。死因は孤独死ね!』
 孤独死って、そういうことじゃないような。
『ねーねーねー、りゅーじぃー、かなしいよぉー、むししないでよぉー、りゅーじぃーねーねーってばぁー』
「……はぁ」
 小さくため息。
「そのうち、頭ぐらいは撫でてやるよ、そのうち」
 ぐるぐる回るマオの耳が、顔に近づいた時を見計らい、小さい声で呟く。
『えっ!』
 マオが動きを止める。
 それにあわせて、立ち止まりそうになるのを慌てて耐える。少しマオを避けて、先に進む。
『え? え? 頭撫でてくれるの? そのうち? そのうちっていつ? ねえねえねえ、明日? 明後日? 明々後日? 来週? 来月? 来年? 地球が何回まわったとき? ねー、いつ?』
 慌てて追いつき、隣に並んだマオは、うるさくて鬱陶しいことに代わりはなかった。
 そのうちはそのうちだって。
 言葉は返さず、家に向かって歩く。
 それでも、何かに満足したのか、
『まあ、今はそういうことでもいいけどねー』
 それだけ言って、マオは大人しくなった。
 なんでこっちが譲歩された形になっているのか。
『しっかし、隆二は、優しいのか冷たいのか、わかんないわねー』
 楽しそうにくすくす笑いながらマオが言う。
 答えずに、小さく肩だけ竦めた。
『ねー、兎は寂しいと死んじゃうっていうじゃない? 人間はどう思う?』
 隆二の隣をふよふよと浮かびながら、唐突にマオがそんなことを言う。
 返事がないのを気にすることなく、マオは続ける。
『あたしね、思ったの。人間は、寂しくても死なないの。きっとね、つまらないと死んじゃうの』
 隆二は横目で、マオを見た。
『人間はね、寂しいなんていう高等な感情は持ち合わせいないの。人間のいう寂しいはつまらないってことなのよ』
 一体どこで仕入れてきた知識なのか、急にそんなことを言い出す。
 いずれにしても、隆二にしては、理解しきれていなかった。
『誰かがいなくて寂しいとしても、何かよりどころ、すなわち「楽しいこと」があれば平気なのよ。本とか音楽を好むのはそれが理由』
 そして、マオはぽつりと呟いた。
『だから、あたしは貴方がいなくなると死んじゃうのよ?』
 聞き流すつもりでいたのに、頭がそれを理解した瞬間、心臓が止まるかと思った。
「なにを言ってるんだ、おまえは」
 外であるにもかかわらず、思わず横を向いて尋ねてしまった。
 すれ違った女性が変な顔をした。
 いくら不意打ちだったからとはいえ、動揺している自分が情けない。
『だって貴方以外にあたしが見えて、あたしによくしてくれる人、あたしは知らないもの。貴方がいなくなったら、あたしはつまらなくて死んじゃうわ』
 マオはなんでもないことのようにそう言うと、微笑んだ。
『だから、これからも、あたしの傍にいてね?』
 隆二は何かを言おうとして、結局コメントを控えた。

「あの、大丈夫ですか?」
 菊は何度かかけられた声に、ゆっくり目を開けた。
「あ、あれ?」
 背中が痛い。頭も痛い。
 自分の状態を視線を動かし、確認する。
 地面に、倒れている……?
「んー?」
 首を傾げながら、ゆっくり上体を起こす。
「大丈夫ですか?」
 声をかけてくれた少女が、慌てて背中を支えてくれた。
「あ、はい。すみません」
「通りかかったら、人が倒れていたのでびっくりして」
「倒れて……」
 バイトを終わって、家に帰ろうとして、それから……、
「んー、覚えてない」
 頭を振る。
「あ、でも、常連さん……?」 
 意識を失う直前に、バイト先の常連の姿を見たような気がした。が、まあ多分気のせいだろう。夢か何かだ。
「常連さん?」
 少女が首を傾げる。
「いいえ、なんでもないです」
「病院、行きますか?」
 心配そうな少女に、
「あ、大丈夫です、多分」
「でも」
「家、近いので。あの五分もかかんなので」
 少女に手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
 二、三歩あるいてみるが、やはり特に異常はないようだった。
「大丈夫なら、いいんですけれども」
 それでも少女は心配そうな顔をしているから、菊は笑ってみせた。
「大丈夫です。家帰って、様子見て病院行きますから、必要なら」
「……そうですか?」
「ええ」
 もしかしたら、なんらかの妖怪の仕業かもしれない、と思っていたがそれは黙っていた。のっぺらぼうにびっくりしたとか、そういう展開を期待している。
 別の意味で病院に連れて行かれそうだから、言わないけど。
「ありがとうございました」
 少女に頭を下げ、家路を急ぐ。
 少し体が疲れているような気はしたが、それ以外には特に問題がないように感じた。
 家に帰ったら、ちょっと寝よう、と心に決める。
 それにしても。
 振り返る。
 さきほどの少女の姿は、もうそこにはなかった。
「なんであの子、あんな赤い服を……」
 全身真っ赤な服を着た少女の姿を思い出し、首を傾げた。
「は! まさか、あの子自身が何かの妖怪!? こうしちゃいられないわ! 帰って、調べなきゃ! 赤い服を着た少女の妖怪を!」
 急に生き生きと、趣味全開で、精気に満ちた発言をすると、足取り軽く家へと向かった。


間幕劇 猫と彼女のその後

「子猫だから、抵抗力が弱かったんだ」
「……うん」
「だから、茜が悪かった訳じゃない」
「……うん」
「今度はきっと、元気に生まれてくるさ」
「……うん」
「だから、……もう泣くなよ」
 今度は、彼女は答えなかった。子猫を埋めたその土の山の前に座り込み、彼女は泣いていた。
 彼はどうすればいいのかわからずに、彼女の後ろに立っていた。
「……茜」
「……わかっているけど、でも。でも、やっぱりもっと他に何かが出来たのじゃないかと思うから。それにまだ、……まだ、名前すら付けてあげていないのに」
 そのまま膝を抱える。
「……生き物は、いつか死して逝くものだ。自然の理なんだ」
「だから、諦めろというの!!」
 彼女は振り返り、彼に向かって怒鳴る。
 彼はいつもよりも眉を少し下げ、小さく諦めたように微笑んだ。ゆっくりと首を横に振る。
「違う。だから、黙って送ってやれって言いたいんだ。……それは、自然なことなんだから」
 彼が言外に含んだ意味に気づき、彼女は結局、口を閉じた。
 そして、すすり泣きだけが響く。

 少し経ってから、彼は言った。ためらって、言葉を選びながら
「なぁ、茜。……少しだけわかったぞ。懐かれるとかわいいっていう意味が」
「……うん」
「もっと勉強して、今度は救えるようにしような」
「……うん」
「……ほら、風邪引くから戻るぞ」
 そういうと片手を差し出す。彼女は素直にそれにつかまり、立ち上がる。彼女の手を引きながら、彼はゆっくり歩き出す。

「……隆二」
「なんだ?」
 振り返ることなく彼は返事をする。彼女は少しためらいながら、けれどもしっかりとした口調で言った。
「……もし、私があの子みたいになったときは、黙って見送ってね」
 彼は黙っていた。
 そして、しばらく経ってから一つだけ呟いた。
「二度と、そんなこと言うな」
 体の奥から吐き出したような声でそれだけ言うと、あとは黙って歩く。
 彼女は微笑み、彼の背中に額を押しつけた。


 そして、彼は嘘をついた。少し、行きたいところがあるんだ。
 そう言った彼に、彼女は言った。
「待っています。私はずっと此処で待っています」
 彼は帰ると約束した。けれど、帰らなかった。

 彼が、たった一度だけその土地に戻ったときには、彼女はもう土の中だった。 


第三幕 猫がいる生活

 少女は正直、途方に暮れていた。
 少女が追っている実験体の情報が、ぷつりと途絶えてしまった。
 ただ、それに関係すると思われる女性は見つけた。もしかしたら偶然かもしれないけれども、多分、少女が探しているものと関係している。
 それは、目撃情報の最後の場所とも一致していた。
 なので、あの辺りに住んでいる知り合いに聞く事にしよう。そうすれば、何かあるだろう。
 少女はそう思った。


 静寂は嫌いではない。
 聞こえてくるのはただ風が動く音と自分が歩く音。後は他に、聞こえてくる音がない。
 そんな状態は、嫌いではない。
 真夜中、道の真ん中に立って、隆二はそんなことを思う。
 いつも隣にいるマオは、眠っていたのでおいてきた。
 突然コーヒーが飲みたくなって、でもあいにく切らしていた。
 今は便利だよなぁ、コンビニなんてあって。そんな年寄りみたいなことを考えながら、コーヒーと思いつきで買ったチョコの入った袋を振り回すようにして持ちながら歩く。
 かさかさと、袋の音がする。
 静寂は嫌いではない。
 寧ろ、心地よいとも思う。

 家の鍵を出して、開ける。
『隆二っ!』
「うわっ!」
 開けたと同時にマオが飛び出て来た。
『もぉ、どこ行ってたのよぉっ!』
 半分泣きそうな顔をして、マオは言った。
「コーヒーを買いに」
 そういって袋をかかげてみせると、マオは頬を膨らませた。
『起きたら一人ぼっちで寂しかったんだからぁ! 起こしてよ、誘ってよ。このカフェイン中毒!』
 言いたいだけ言うと、マオは部屋の奥に引っ込んだ。
 多分、ソファーの上でふて寝している。うつぶせになって、こちらが声をかけても反応しない。それでも、横目だけでちらっとこちらを見てくることだろう。
 すっかり慣れたマオとのやりとりを思い、少しだけ笑う。
 そう、静寂は嫌いではない。
 寧ろ、心地よいとも思う。
 ずっと一人で居たから。長い事、一人で暮らしていたから。
 
 昔、一緒に暮らしていた女性がいた。
 体の弱い女性だった。
 ずっと一緒にいたいと思っていた。
 でも、自分は彼女を見捨てた。
 彼女が自分より先に死んでしまうことが怖くて、彼女の元から姿を消した。
 一度、様子を見に戻った。もう一度、やり直せないか、とも思っていた。
 けれども、彼女は既に亡くなっていた。
 あの時、誓った。
 もう、人とは深く関わらないと。亡くしてしまうのが、怖いから。
 それなのに、と少しだけ自嘲気味に唇を歪める。

「マオー、機嫌直せー」
 それなのに今、ソファーの上で拗ねたマオを、居候猫を宥めている。
「マオ、ごめんな」
 ちょっとだけ、マオが身じろぎした。
『起きたら一人で、寂しかったの』
 半分だけ顔をあげて、こちらを見る。膨らんだ頬。
「ごめん」
 もう一度謝る。
『隆二の唐変木』
「ごめんって」
『いいよ、もう。どーせ、隆二だもん』
 そういって、マオは再び顔を枕に押し付けるけど。ちょっと笑っていたからこれでもう大丈夫。
 隆二は少しだけ微笑んだ。

 マオは人じゃない。だから、あの時の誓いを破った事にはならない。
 幽霊は自分より先に死んだりしない。
 だから、大丈夫。
 そんなことを思う。

 

『もう、あたしのことおいてったらやぁよ?』
 うつぶせのまま、マオが言う。
「うん、わかったわかった」
『もー、てきとー』
 言いながらもマオが顔をあげて、笑う。
 それに満足すると、コーヒーをいれに台所に向かう。
『りゅーじー』
「んー」
『てれびー』 
「ちょっと待て」
 マオの声に適当に返事して、ゆっくりコーヒーをいれてから戻る。
 マオはソファーに寝転んだまま、足をばたばたさせて、待っていた。
『おそーい』
 赤い唇を尖らせて言う。
 そのまま甘えるように両手を隆二の方に伸ばす。のを、隆二はさりげなく避けて、
「何チャン?」
 リモコン片手に尋ねる。
『んー、とりあえずなんでもいいやぁー』
「はいはい」
 適当に電源を付ける。
 派手な音楽が流れる。
『あたしねー、最初、この小さい箱の中に人が住んでるのかと思ってたわー。なんかこう、薄っぺらくてちいぃさい人が』
「へー、バカだなお前」
 ソファーに寄りかかるようにしながら、床に座る。
 コーヒーは畳の上に直接置いた。もう既に何度か汚しているので、今更なにやっても一緒だろう。さらば敷金。
『むー、あたし、バカじゃないもん。バカって言う人がバカなんですぅー。隆二のばーかばーか』
「ああ、お前いまバカって何度も言ったな。バカって言ったマオがバカだな」
『っ!!』
 マオは驚いたように息を飲み、
『……そうね、そうなってしまうわね。なんてこと、あたし、バカだったの……? バカって言ってしまったから』
 何故だか深刻そうに呟いた。
 やっぱりバカだ。
 バカは放置して、立ち上がる。
『りゅーじー、どこ行くのー?』
「本」
 寝室に置いてある本棚から、適当に本をひっぱりだす。
 そのまま元の位置に戻る。
『何読むのー?』
「人でなしの恋」
『ひとでなし? ああ、あたしのことねー!』
「……まあ、人じゃないけどな、お前」
 そういうことじゃないだろう。
 マオがソファーの上から、肩越しに本をのぞいてくる。
『うげっ、字、いっぱい。いやー』
 悲鳴をあげるようにマオが言った。
『隆二は、本、好きなのー?』
 ソファーにぱたりと横になったマオが尋ねてくる。
「まあ、嫌いではないな」
『なんでー? テレビよりも好きなのー?』
「テレビは、あんまり見ないから」
 なんとなく、家には置いてあるが、殆どつけていなかった。
『なんでー?』
「本の方が、自分の好きなときに読めるだろ」
『んー?』
 テレビから笑い声がする。
「まあ、どちらにしろ、暇つぶしの意味しかないけれども」
『暇つぶしー』
 なんとなく字を目で追いながら、なんとなくページを追いかける。この本だってもう何度か読んでいる、あらすじは頭に入っている。
『隆二、暇なの?』
「忙しそうに見えるか」
『んーん』
 視線を向けると、マオは首を横に振った。
『ずぅっと、おうちにいるもんね。でかけるのはコンビニに行く時ぐらい? ねー、ずっと気になってたんだけど、隆二ってお仕事何してるの?』
「してないよ」
『してないのー?』
「してるように見えるか?」
『見えなぁーい』
「だろ?」
『じゃあ、お金どうしてるのぉー?』
「どうって」
 マオが横から何度も話しかけてくるから、仕方なく本を閉じ、
「貯金?」
『貯金!』
「前にちょっと仕事したときの残り」
『それで大丈夫なのー?』
「んー、まあ、そろそろ危ないからまたちょっとバイトでも探さなきゃなーって思ってるけれども」
『ふーん』
 マオはわかったのかわかってないのかそういうと、
『あ!』
 ぽんっと、手を打ち鳴らし、
『あたし、知ってる! 隆二みたいな人のこと、クソニートって言うんだよね!』
「クソは余計じゃないか、それ」
 否定はしないが。
 最初のバンバンジーの一件からも思っていたが、どうやらこの幽霊はバカだ。
『そーなの?』
 マオが不思議そうに首を傾げた。
「そーなの」
『んー、そっか』
 そっかそっか、ニートか、なんて小声で呟いている。本当にわかっているのだろうか。
『あ、でも、あたしもニート! やった、おそろい!』
 それから、やけに嬉しそうな声でそう言った。
「ニートがお揃いって……、駄目だなー俺等」
 呆れて笑う。
 マオもくすくすと笑い出す。
 テレビから派手な笑い声がして、マオがそちらに視線を移した。
『あ! この芸人さん好きー!』
 そのまま、体を動かしてテレビを見る。
 やっと大人しくなる、と思い読書を続ける。
『面白いのー、この人?』
 と思ったら、やっぱり話しかけて来た。
「そーかい」
 適当に相槌を打つ。
『テレビは凄いよねー、楽しいー。大好きー』
 ソファーに寝転がり、頬杖をついてテレビを見つめながら、マオが言う。
『隆二はー、テレビは好きじゃないのね? 本の方が好きー』
「あー、まあ」
『ふーむ』
 マオは一瞬何かを考えるように黙ってから、
『……あと、隆二は梅干しのおにぎりが好き?』
「え?」
 本から顔を上げ、マオの方を見る。
『よく買ってるからー』
 マオはテレビをみたまま言う。
 そう言えば、そうかもしれない。
「まあ、嫌いじゃないけれども」
『やっぱりねー』
 嬉しそうに足をぱたぱたと動かす。スカートの裾がめくれそうになる。
「マオ、スカート」
『ちょっといまいいとこなのー、黙ってー』
 テレビに釘付けになっている。
 直してやることもできないし、見なかったことにした。
 もうすこし、恥じらいというものを身につけて欲しい気もする。いや、どうこうなるわけじゃないけれども。
 マオはテレビを見て、楽しそうに笑っている。何がそんなに楽しいのかよくわからない。
『はー』
 テレビがCMテレビがCMになると、マオはまた隆二の方に顔を向けた。
『でねー、隆二はー、あとコーヒーが好き』
 床に置いたままのマグカップを指差す。
「まあな」
 思い出して、一口飲む。
『で、あたしのことは、好き?』
「ぶっ」
 飲んだばかりのコーヒーを吹き出しそうになった。
 慌てて口を抑え、堪える。
『うわ、やだー、きったなーい』
 マオが本当に嫌そうにそう言うと、汚物を見るような目で見てくる。
「ちょっ、おまえっ」
 ティッシュで拭きながら、マオを睨む。
『なによぉー、あたしが悪いの?』
 形の良い唇を尖らせる。
「いいとか悪いとかじゃなくてだな」
『なぁにー? それとも、りゅーじは、あたしのこと、嫌いなの?』
 桃色の頬を膨らませて、不満そうに。
「いや、あのなぁ」
『あたしは、隆二のこと、好きだよぉー?』
 緑色の瞳が、上目遣いで見てくる。
 思わず、言葉につまる。
「マオ、あの」
『あとねー、テレビも好きだしー、このソファーも好きぃー』
 隆二の返事を待たず、マオは楽しそうに続けた。
「……あー」
 そういう好き、ね。
 なんとなく、動揺した自分を恥ずかしく思いながら、
「そりゃどーも」
 呟く。
 ふんっとマオが少し勝ち誇ったように笑う。
 それから、すぅっと隆二の肩の辺りに移動すると、
『で、隆二はあたしのこと、好き? どう思ってるの?』
 耳元で囁くようにして、尋ねた。
 一瞬息を飲む。
 それを気取られないように、ゆっくり息を吐き出すと、
「ちょっと粗相の多い、居候猫だと思ってる」
『む、なによそれー』
 また膨れた。
 さっきは少しだけ、色っぽかったのに。
「でもまあ、猫は可愛いよな」
 それだけ付け加える。
 それが今言える、精一杯だと思った。
 マオはしばらく吟味にするように隆二の横顔を見ながら黙っていたが、
『うん』
 何かに納得したかのように一つ頷き、
『あたし可愛い!』
 両手を頬にあて、笑み崩れた。
 そういう顔をすると、本当に可愛いから困る。
「あー、テレビ、CM終わったぞ」
 かろうじてそう言うと、
『あ! 本当だ!』
 ひょいっと身見を翻し、テレビに向き直った。
 気まぐれで、わがままな、それでいて少し甘えん坊の仔猫のようだ、と思う。


 静寂は嫌いではない。
 でも今は、騒がしいのも嫌いではない。
 猫がいる生活も、一人ではない生活も、悪いものではない。
 そう、思った。



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