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新     ツナマヨ

 

 

春から始まる

新しい生活

 

新しいものを

買いそろえる

 

新しく始まる

新しい生活を

新しい気持ちで

新しく迎える

 

ワクワク感

 

始めて教室に入る

その瞬間

ある気持ちが

自分の脳裏を横切る

 

―トモダチ デキルカナ―

 

不安と―

不安と―

 

ドキドキ感

気持ちがいっぱいの中

 

続いてやってくるのは

センセイ

優しいセンセイ

怖いセンセイ

面白いセンセイ

はたまた

大きいセンセイ

男のセンセイ

 

どんなセンセイが

やってくるのか

 

心配で―

心配で―

 

心の中は

 

ドッキンドッキン

バックンバックン

 

高鳴りしている

 

ガラガラッガララッッ

 

ドア開いて

新しいセンセイがやってきた

 

見た目は怖い―

 

けれど

 

だんだん話していくと

心は落ちついてくる

 

なんだか

優しいセンセイに

思えてくる

 

 

朝が過ぎ

期待と不安が入り混じった

昼がやってきた

 

 

なぜかって…

給食だからさ

またある気持ちが

自分の脳裏を横切る

 

―キライナモノ デルカナ―

ふと見た空は

雲でいっぱいだった

 

 

給食の時がやってきた

 

 

危うく

キライナモノは

無かった

 

少し

ホッとした感に

おおわれた

 

あたたかい

あたたかい

やわらかな

陽射しで

 

ドギマギしたまま

生活してたら

 

続いて帰るときが

やってきた

 

そしてまたまた

ある気持ちが

自分の脳裏を横切る

 

―ヒトリデ カエルノカナ―

 

もう一つの気持ちも

自分の脳裏を横切る

 

―トモダチト カエリタイケド

                トモダチ イナイシナ―

 

不安

不安

不安の

気持ちだ

 

 

センセイの声が鳴り響く

 

―サヨナラ―

 

普通の挨拶だが

突き放されるように聞こえる

 

―トモダチト カエルンダヨ―

(ト、トモダチッ!?)

 

僕はトモダチなんていません

 

そう言ってやりたかった

 

でも

言えなかった

 

空がまた曇り

太陽が雲に負けていた

 

その瞬間

 

―ネェ イッショニ カエロ?―

 

言葉が出なかった

なんと言い返そうか

というより

自分に向けて

言われた言葉なのか

 

口が勝手に開いた

 

―イイヨ―

 

自分でも訳がわからない

さっぱりわからない

 

なぜ言ったのか

なぜ口が開いてしまったのか

 

トモダチではないのに

トモダチ扱いされたのは

 

初めてだった

 

 

楽しい時間が過ぎ

家へたどり着いた

 

母がいた

 

いつもとは違う

優しい目をしていた

 

今日の出来事を

隅から隅まで伝えた

 

伝え残すことなく

伝えた

 

夕方

外へ出た

 

みんなが歌っていた

 

新しい草が

新しい森が

新しい川が

新しい山が

新しい風が

新しい海が

 

そして

 

真っ赤な

真っ赤な

新しい夕陽が

 

僕のために

歌っていた

 

僕は

新しい月と星が

歌うのを待っていた

 


被害者のアリバイ

被害者のアリバイ     星野徹

 

 

 1・アリバイの作成

 酒井俊二は目の前にそびえたつマンションを見上げ、小さくため息をついた。ここはX川で有名なS県K市郊外に位置する、再開発計画がばっちり頓挫した街角。まわりには見るからに安そうなボロマンションや、わりと高そうなボロマンションが並んでいる。香川晴美の安マンションは、その中間といったところだ。

 時刻は夜中の1時ちょうど。俊二は周りに人がいないのを確かめ、晴美のマンションの向かいに立つほとんど壊れかけた家の影に隠れた。晴美によるとこの家は何年も前から空き家で、茂みが生い茂っているため隠れるのにもってこいだ。しかもマンションに出入りする人間がよく見える。

 時間が時間なので人通りはほとんど無かったが、目的の人物は意外とすぐに現れた。

 1時16分、まっ黒なスーツに身を包んだ晴美が、同じく黒いハイヒールの音を響かせながらこちらへ歩いてきた。

 晴美は俊二が空き家に隠れているとはつゆ知らず、そのままマンションの自動ドアをくぐった。

 とその時、晴美が振り向いて俊二の隠れる方を見た。

「ば、ば、ばれた!」

 俊二はあからさまに動揺し、全力で頭を下げて茂みに体を隠した。しかしそこは頭隠して尻隠さず。頭を下げた分、下半身がばっちり茂みの上に出てしまった。俊二は急いで地面に這いつくばり、マンションの方を伺う。

 といっても、あせっていたのは俊二の方だけ。晴美は俊二に気付いたようには見えず、ロビーの奥へ歩いて行った。

「まあ、これくらい想定内さ……」

 別に誰も見ていないのに、俊二は先ほどの動揺をごまかすために精一杯胸を張り歩きだした。

 

 人通りのない道を急いで横切り、マンションの正面に立つ。そして、自動ドアをくぐると俊二は忍び足で右側の壁に体を押し付け、ゆっくりと動き出した。

 壁に張り付くように歩く俊二の真上には、一台のまっ黒い機械、防犯カメラ。二年前に管理人が取り付けたというカメラだが、ここの管理人はよっぽど適当な人だったらしい。実はこのカメラ、設置する時に角度を間違えたらしくロビーの左側しか映っていないのだ。

 これは晴美が言っていた話だが、管理人は七、八〇歳のおじいちゃんで、色々と不器用な人なのだ。機械いじりが苦手でよくぶっ壊すらしい。まあ、そのおかげで俊二は今回の計画を思いついたのだが。

 とにかく、俊二は防犯カメラに映ることなく五メートルほど進んで体を壁から離した。

 そして廊下をまっすぐ進み、右側にある銀色のドアが晴美の部屋だ。ドアにはローマ字でHARUMI KAGAWAとピンク色で書かれている。

 俊二は少しのためらいを振り捨て、急いでドアノブに手をかけた。ここで時間がかかっては計画が台無しだ。

 部屋に入り、廊下の先の正面にあるドアを開ける。

 晴美はリビングのソファに座ってテレビを見ていたが、俊二がドアを開けるとすぐにこちらを振り向いた。いきなり人が入ってきて一瞬驚いたような顔をしたが、俊二だとわかると安心したようだ。

「あれ、俊ちゃんどうしたの?」

 満面の笑みで聞いてきた。俊二には、その笑顔がなぜか不気味に思えた。テレビではどこか見たことのある芸人がバカみたいに笑っている。

 色々晴美に言いたいことはあったが、なにせ時間がない。

「ごめんな、晴美」

 そう言うと俊二はズボンのポケットからロープを取り出し、晴美に襲いかかった。晴美は何が起こっているのか理解できないのか抵抗してこない。

 ソファに座る晴美の首の後ろからロープを回し、全身全霊の力を込めて引っ張る。晴美はやっと身の危険を感じ暴れ出したが、小柄な晴美を抑え込むくらい俊二には余裕だった。

 そして数秒後、驚くほどあっけなく晴美は動かなくなった。

「やっぱり殺しは絞殺が一番だったな」

 俊二は微動だにしない晴美の死体を見おろし、そうつぶやいた。以前、俊二が推理小説を読んでいたときに晴美が言ったのだ。

「撲殺とか刺殺とかって血がでるから嫌だよね。もしやるなら絞殺が一番だよ」

 それを笑顔で言われたときは不気味に思った。しかし、実際にやってみると確かに絞殺は実に簡単で、むしろ人を殺した、という感覚もあまり感じないくらいだ。

 ただ、計画はここからが重要だ。俊二は晴美を殺したが、もちろん俊二は捕まりたくない。そこで必要なのが、アリバイ作りだ。アリバイさえあれば、どれだけ怪しくても逮捕されることはない。

 俊二は急いでロープを回収し、晴美の部屋から出た。腕時計を見ると時刻は1時22分。良いペースだ。マンションの廊下をダッシュして、ロビーもさっきと同じように壁に張り付いてすりぬける。

 そしてマンションを出ると、向かいの空き家のとなり、工事中と書かれた空き地の中へと入って行った。ここも空き家と同じように、何年も前から「工事中」なのだそうだ。この奥には俊二のまっ黒い愛車が停めてある。闇の中で、黒い車は全く目立たない。

 車に乗り込んだ俊二はすぐにエンジンをかけてゆっくりと発車した。もっとスピードを出したいが、この空き地は地面が滅茶苦茶に荒れているので下手すると車が壊れる。

 途中トランクの方からドン、と音が聞こえた気がしたが、車は無事に空き地を出た。

 そのとたん車は猛スピードで動き出し、道をM市の方向へと走っていった。

 

 M市はK市のとなりに位置しており、俊二の住むアパートがある。

 ただ、K市のとなりといっても実は行き来にかなり時間がかかる。K市とM市の間には有名なX川が流れており、しかも橋が2本しか架かっていないのだ。もちろん橋を増やす計画はあったのだが、最近の不況で頓挫したらしい。実に不便だ。

 よって晴美のマンションから俊二のアパートへと行くには橋のある道へと大きく迂回しなければならず、車で少なくとも50分はかかってしまうのだ。直線距離にすれば車で30分くらいの距離なのだが。

 さて俊二の車はというと、橋のある方ではなく、まっすぐアパートの方へと向かっていた。もちろんそのままではX川にぶつかってしまう。

 10分ほどすると、俊二の前にはやはりX川が見えてきた。当然車はストップする。と思いきや、何とスピードを上げ始めたではないか!

 X川に向かって全力疾走する車。と、車の前方に見えたのは二つのゆるい滑り台だった。もちろん俊二が先ほど、晴美のマンションに向かう前に設置したものだ。木でできた二つの台の幅は車のタイヤの幅と同じにしっかりと固定してある。

 それから何が起きたかはもうおわかりだろう。

 俊二の黒い車はジャンプ台に猛スピードで突っ込み、華麗に夜の闇を舞ったのだった。

 

 数分後、俊二の車はM市の道を無事に走っていた。計画の最も重要な、そして最も無茶な部分が成功し、俊二は胸をなでおろしていた。

 車でX川を飛び越えられるのではないか、と言い出したのは実は晴美で、俊二は初めて聞いた時は絶対に不可能だと思っていた。しかし晴美に何度も言われて車の重さやスピード、川幅等を計算してみたところ、川幅が5メートルと最も狭くなる一か所では、それが理論上可能だとわかったのだ。

 今回の計画を思いついたのはそれから間もないころだ。

 

 俊二がアパートの駐車場に到着したのは1時50分のことだった。俊二は車を降り、駐車場の入口に設置された防犯カメラの前をさりげなく通る。これで、計画はすべて成功だった。

 晴美は1時16分にマンションの防犯カメラに映っている。つまり晴美が殺されたのは16分より後だということになり、その時犯人はK市のマンションにいたということになる。

 警察は晴美の恋人だった俊二を疑うだろうが、1時50分にM市の駐車場の防犯カメラに映っている俊二には犯行は不可能なのだ。なぜならマンションから駐車場には50分はかかるのだから。

 俊二はとてつもない達成感を感じていた。あとはジャンプ台を回収しに行くだけだ。

 その時、後ろから足音が聞こえた。振り向いた直後、俊二は腹に鈍い痛みを感じた。見ると腹にはナイフが刺さっている。俊二の正面には一人の女が立っていた。

「どうして……」

 俊二にナイフを突き刺した女は、なんとついさっき俊二が殺したはずの晴美だった! 俊二は晴美に詰め寄ろうとしたが、少し歩いただけで力尽き、地面に倒れこんだ。

 俊二がこと切れる様子を、駐車場の防犯カメラは黙々と映し続けていた。

 

 2・アリバイの利用

 香川晴美は、俊二が目の前で力尽きる様子を見てほくそ笑んだ。これで、計画はすべて上手くいったことになる。

 俊二は今回の私を殺す計画を自分で思いついたと考えているだろうが、本当は私がすべて操っていたのだ。

 空き家の存在を教え、防犯カメラの死角について教え、絞殺をするように仕向け、そしてX川を車で飛び越えられることに気付かせる。

 それだけすれば、俊二が今回の計画を思いつくだろう、とは簡単に予想できた。俊二は良い人ではあるが、それぐらい単純な人だ。

 俊二がいつ計画を実行するかはわからなかったが、今日仕事から帰ってマンションに着いた時、振り向くと向かいの空き家で俊二がのたうちまわっているのが見えたのだ。私はそれで計画の実行が今日だと察した。

 私は何も気づかなかったふりをして部屋に入り、俊二がやって来るのを待った。すると俊二はすぐに現れてくれた。

 死んだふりは難しかったけれど、俊二が簡単にだまされてくれて助かった。そもそも絞殺をするように仕向けたのは、死んだふりがしやすいからに他ならない。

 俊二が部屋を出ていくと、私はナイフを手に取り急いであとを追った。防犯カメラに映らないようロビーを抜けると、俊二がはす向かいの空き地へ入って行くのが見えた。

 俊二が車に入ったのを確認して、私は茂みに隠れながら車の後ろへと駆け寄る。幸運なことに俊二は運転に集中していて、私がトランクに忍び込んでも全く気がつかなかった。別に気づかれても、私はまだ何も悪いことはしていないのだから問題はなかったが。

 トランクの中は真っ暗だったが、そのあとの30分はジェットコースターに乗っているようでとても楽しかった。特に車がX川を飛び越えたときは、体がふわりと浮いてかなり気持ちよかった。

 しばらくして車が止まったとき、私は少し待ってトランクを出て、ナイフをしっかりと構えた。俊二は丁度駐車場の防犯カメラのところだった。すぐに私は駆け足でそちらへ向かい、防犯カメラに映らないようにして、そして俊二の腹へとナイフを突き立てたのだった。

 1時51分、俊二は上手く防犯カメラの目の前で息絶えてくれた。

 私は1時16分にマンションの防犯カメラに映っている。よって1時51分に駐車場で俊二を殺すことは不可能なのだ。アリバイさえあれば、私は逮捕されることはない。

 晴美は高らかな笑い声を上げ、ジャンプ台を探して回収するために歩きだしたのだった。


夏の終わりの話

夏の終わりの話     鈴木健一郎

 

 

 その日は午前中に部活があった。午後は特に予定もなく、暇な一日になるはずだった。

 部活が終わった後、着替えながら少々雑談をする。大したことは話さない。せいぜいスマホのゲームについて喋るとか、夏休みの宿題がどこまで終わっただとか、それくらい。俺はスマホを持っていないので、スマホの話はよく分からないし、夏休みの宿題の話はとても耳が痛い。部の同期の中で、数学が終わってないの俺ぐらいだし。大体他の奴らが早すぎる。かといって家に帰ってから宿題をする気力なんてものは起こらない。宿題はしないと夏休みというものはとても暇なもので、たっぷりと無為に過ごすことが出来る。それもいいのだが、あんまり続くと退屈だ。

 だからといって、俺が、人を遊びに誘うことなんて滅多にない。それは一人でいるのが好きだからとか、そういう前向きな理由ではなく、遊びに誘うほどの度胸がないだけだ。遊びに誘って断られるのが嫌だったりとか、なんか無理矢理に付き合ってもらってるみたいな心配をしてしまうとか、そういった客観的に見ると大したことのない理由だ。といっても、勘違いしないでほしいのは、どうしても遊びに誘うことが怖いとか、それが絶対に無理だとか、そこまでコミュ障ではないということだ。別に全然問題ないけれど、ただちょっと億劫だなっていう感じなだけなんだ。これは、リアルが充実している方々にはよく分からない感覚かもしれない。でも、きっと分かってくれる人もいるだろう。そう信じたい。共感してくれる人がいるということは、俺にみたいな人間にとってとても嬉しいことだから。

 

 さて、今日はこれから何をしよう。もちろん宿題以外で。そうだ。

 この夏、映画を見ていない。

 それに気付いた瞬間

「この後、映画見に行かない?」なんて口走ってしまった。

やってしまった。何をやってしまったのかは分からない。分かりたくもない。ただ、それと同時にこの言葉が誰にも気付かれずに、スルーされることをかすかに、本当にかすかに願う。はっきりと願うほどではない。自分でも願ったかどうか分からないくらいかすかにだ。顔に出るほど動揺したわけでもない。そこまでコミュ障ではない。でも、少しでもそう思ってしまった俺はとても弱い人間だ。

 俺のかすかな願いは残念ながらかなわなかった。けれども、それが決して悪い方向に転ぶとは限らない。

「いいよ」と至極自然に、実際それはとても自然なことなのだろうが、あっさりと黒崎に言い放たれた。その言葉は、否定の「いいよ」ではない。肯定の「いいよ」だ。

「俺も午後暇だし行きたい」

「行ってもいいよー」

「◯◯行こうぜ」

「俺〇〇興味ないからパスで」

 なんて黒崎の言葉にみんなが反応する。いつの間にかノリで「〇〇」という映画に決まったようだ。やはり主体性は俺にはない。それはしょうがないことだ。そんな俺にとって、最後みたいなマイペースな反応は嫌いじゃない。むしろ好きだ。憧れと言ってもいい。俺は絶対に流れに逆らってマイペースでいることはできないから。俺みたいな他人に合わせるタイプはきっと、早死にしやすいだろう。

 結局行くことになったメンバーは、俺、矢田、黒崎、東原、山海、あと石沢だ。

 矢田がスマホを使って、上映時間を調べた。渋谷の映画館だ。どうやら一時半から上映されているらしい。昼食を食う時間は少ない。なるべく急いでいくことになった。

 

 しかし、忘れていたことがあった。部活の後片付けが完全に終わっていということだ。よって、当たり前のことだが、片付けなければいけない。しかし、矢田たちはそれを無視して下駄箱へ直行しようとする。「おいこら、お前ら待てよ」黒崎と俺の抗議の声も無視され、結果二人で片付けることになった。

「あいつらなんなんだよ、片付けもしないで。部長権限で退部させようかな」と黒崎が苦笑している。俺も同意見だ。でも、こういうことで腹が立つことは、よほどムカついていない限りありえない。なんというか、悪くないのだ。大した量でもないので、30秒で終わるからということでもあるが。

 

 片付けを終え、スポーツドリンクを飲み干した。まだ少し飲み足りない。空になった水筒をリュックに押し込み、準備を整える。黒崎を待ってから歩き出す。

 

 下駄箱にシューズと上履きを突っ込み、普通の靴に履き替えてから、近くにある給水器で水を飲んだ。今日は暑い日だ。水筒に水を入れておこうかと思ったが、やめておく。やはり、こういう日はコーラとかを飲みたい。仮にも運動部として、そういうのってどうなんだろうとは思うけど、部活ガチ勢じゃない俺にとっては、コーラを一リットル飲もうがマックでポテトLを2つたべようが関係ない、とも思う。まあ多分太るだけだし。

 

 矢田たちを追いかけて、校門を小走りで目指す。奴らは学校を出てすぐにある横断歩道の、信号待ちで止まっている。ザマアミロ。しかし、あっさり追いついたので拍子抜けだ。

「なんだよ、お前ら片付けサボりやがって」と、笑いながら黒崎が文句を言う。

「どうせすぐ終わるんだし別にいいだろ」

「いや、よくない。めんどくさい。すぐ終わるんだったらお前もやれ」

「はいはい、次からはちゃんとやりますよー」

「何様だこいつ」

「副部長様です」とか、矢田と黒崎がコントをしているうちに信号が青になった。こいつらいい馬鹿だ。

 横断歩道を横断しながら

「昼どうする?」と矢田が全員に問いかける。

「マックとかでいいんじゃない?」と適当に石沢が答えたが、スルーされた。

「時間ないしなー」

「そうだなー」

「まあ、マックか。」結局その結論に落ち着いた。石沢が不憫だ。日頃の行いがアレなのでしょうがないことではあるが。

 その後、しばらく雑談しながらあるく。一列横隊で行進しているので、他の歩行者には大変めいわくだろう。だが、男子中学二年生6名が、そんなことを気にして歩くわけがない。大体、世の中にいる9割の大人は子供の頃、横並びで歩いた経験があるだろう。いい年してそういうふうな人もいるくらいだし。しかし、俺達が現在迷惑をかけながら歩いているのも事実だ。

 この辺りの道は、いい。住宅地だが、ほどよく自然の欠片が見られる。トンボも飛んでいる。アキアカネだ。まだ、夏休みは終わらないと思っていたが、そんなことはなかったようだ。14歳の夏がもうすぐ終わろうとしている。もっと分かりやすく輝いているはずだった俺のそれは、今はあまり綺麗なものに思えない。いずれ美しいものになるのかもしれないし、ならないかもしれない。ただ俺は、現在進行形で美しさを自覚する青春など信じたくはない。

 

 くだらないことを考えているうちに、黒崎&矢田がカオスな会話を繰り広げていた。東原は石沢をいじっている。というか蹴っている。愛故の行動だろうか。蹴るものは他にあるだろう。山海はなんというか、いつも通りだ。仙人にでもなりそうなオーラを出している。なんか黙ってるのも寂しいので、声をかけるか。

「なあ」

「ん?」

「お前って何考えてるか分からない」

「俺に言うな」

 すこし間があって、山海が山海から口を開いた。

「トンボ」

「トンボ?」

「そう、トンボ」

「なんだそれ」

 意味がわからない。やっぱり山海は難しい。

「今見るとトンボってキモいよな?」

 山海が続けて言う。

「まあ、分からなくもないけど」

「昔は、そんなことなかった。トンボ好きだった。」

 まだ、中学生のくせに、昔とか口走ってやがる。こいつ本当に仙人なんじゃないか。

「お前やっぱ変だな」トンボをボーッと見てたら口を滑らせてしまった。

「お前が言うな」え?なんだその返しは。

「俺って変なやつなの?」

「もちろん」

「どこが?」

「全体的に」

 なんかこいつに変って言われるのもムカつくな。

 

 学校を出てから十分強で、マックにつく。割と空いてる。入口近くにあった席を6人分確保してから、レジに向かう。レジに行く前に席取りするのはマナー違反とか聞いたことがあるけれど、空いているので問題はないだろう。混んでいたら混んでいたで席がないと困るから、席取りをするのだけれども、まあ、その時はその時だ。

 レジに向かいながら気づいたのだが、バイトと思われる店員の一人がやけに元気がいい。言葉のイントネーションが微妙に変わっているから、ひょっとしたら留学生なのかもしれない。どちらにしても、ああいうのは見てていい気持ちになる。中学生のくせに上から目線の気がするけれど、気にしない。

 レジで、ハンバーガの種類の一つである何かと、ポテトと、ドリンクを受け取り、さきほど確保した席に戻る。席への帰還が完了し、いつでも食べられる状態なのは俺と石沢の二人だけ。こういうときって、あとの人々を待ってから食べたほうがいいんじゃないだろうか、とか変なふうに気を回してしまう。だけど、今回は、石沢がなんの躊躇もなく食べ始めていたので、バカらしくなって食べ始める。ポテト冷ましたくないし。

 特に会話もなく、もくもくと食べて、食べて、食べて、食べ終わる。食べ終わったら、みんな携帯だのスマホだのタブレットだのいじりだす。こんなんで大丈夫なのか?とも思わないわけでもない。だけど、これはこれでしょうがないことだろう。

 

 ふと、時計を見たら、だいぶ時間が迫ってきていた。映画の時間だ。急いだほうがいいかもしれない。

「もうこんな時間だよ」時計を見ながら言う。

「え?本当だ。もう出たほうがいいな」

 黒崎の言葉に、みんなが反応し、トレーを片付けてマックを出た。

 

 駅はマックのすぐそばにある。30秒もかからず、ついた。地下へ向かう、階段を通ろうとしたその時に、矢田が脇の側溝に近寄り、止まった。

「なにしてるんだ?」と黒崎が聞く。

「セミがいる」

「うわっキモ。それもう死んでるだろ」

 黒崎はセミが嫌いなようだ。

「いや、まだこいつ生きてるよ」と、矢田はおもむろにセミを掴みあげ、先ほどのマックから捨てずに持ってきていたらしい紙コップに放り込んだ。

「どうすんだよそれ」笑いながら東原が矢田に言う。

「いや、こんなところに落ちてたんじゃ可哀想だし、渋谷まで持っててやろうかと」矢田が、紙コップの上に手で蓋をしながらしゃべる。

「じゃあ、それ電車に持ち込むのかよ。やめろよ。もし電車の中で逃げ出したらどうすんだよ」黒崎ちょっとビビり過ぎじゃあないか。

「まあ大丈夫だろ。羽破れてるし。ほら」と、矢田はセミをつまみ上げ、黒崎の方に押し付けた。

「見せなくていいから」

 

 電車が来たので乗り込む。矢田は本当に渋谷までセミを持っていくようだ。キチガイだ。渋谷の汚い空気に触れさせるほうが可哀想じゃないのか、とかちょっと愉快な気分で考えた。

 確かにセミはおとなしくしているようだった。時々ガサゴソと音がする以外はセミの存在を特に感じるようなことはなかった。メスなのかもしれない。セミがどんな顔をして電車に乗っているか見てみたかったので、矢田に

「セミが見たい」と言ったが、

「逃げ出したらどうするんだよ」と黒崎に黙らされた。

 ほとんどのセミは電車にのることなんてないだろう。そんな中こいつは今まさに一生で一度の電車に乗っているわけだ。死にかけたこのセミの歴史的瞬間に立ち会っているのだと思うと、少しばかりワクワクした。変なことを考えるものだ。やっぱり俺は山海の言うとおり変人なのかもしれない。

 

 もし、電車の中にセミが大量にいたらどうなるのだろう。あんまり、いい気持ちではないことは確かだ。まず、うるさいだろう。じゃあ、セミが一匹だけ電車の中を飛んでいたら?それはそれで悪くない気がする。もちろん嫌な人は多いだろうが、俺は悪く無いと思える気がした。

 

 突然、電車が大きく揺れた。つり革に捕まっていなかった矢田は少々よろけてしまい、結果セミが逃げ出した。つまり電車の中をセミが飛んだ。あまりよくないことだ。とてもよくないことかもしれない。俺達にとっても、セミにとっても。5秒ほど電車を飛んだセミは、近くにいた黒崎の背中に止まった。よくないことだ。

 黒崎がそれに気づく前に、矢田がさっとセミを捕まえ紙コップの中に戻した。早業だ。ついつい矢田を讃えたい気持ちになったが、そもそもこういうことになった原因はヤツにあることを思い出して、やめた。その時に、視界の隅でチラッと見ることのできたセミは、思ったよりもボロボロで、飛ぶことはできるとは考えられないような、酷い有様だった。こんなセミでも電車の中を飛べるのだ。

 

 幸い他の乗客に怒られるようなこともなく、俺達は渋谷についた。矢田は、映画館の目の前にある、大きくも小さくもない街路樹にセミをとまらせてきた。やっぱりそいつの羽はぼろぼろだった。俺達が映画を見終わる頃には踏み潰されてたとしてもおかしくないと思えるほどに。そんなセミをこんなところまで運んできてよかったのだろうか、とも思った。だけどセミは木の上に向かってトコトコと登っていったから、これでよかったのかもしれない。

 

 その後、俺達は映画を見た。多分、面白かったのだと思う。


ルーレット

ルーレット     ざびえる

 

 

「ノーモアベット」

 静かな広い部屋に良く響くディーラーの声は、ルーレットの終わりを知らせる。結果に一喜一憂する者はいない。いや、いてはならないのだ。そう、ここは豪華客船ティティス号のカジノルームだ。

 この船に乗れるのはごく限られた金持ちしかいない。この船のキャプテンであり、同時にこの船を所有する長谷川英二の意向だった。ゆったりとクルーズを満喫しながら、カジノを楽しむ。そんな場を提供する英二はその方面では名の知れた者であった。

 

 英二はデッキを歩いていた。もちろん客と話すためだ。船は自動操舵システムにより安全に動いているし、優秀な乗員がたくさんいる。そしてなにより七〇歳になる英二には、船の操縦は心身ともに負担のかかるものになっていた。

「この海、この風、そしてキャプテンとのお話も、もう二度と味わえないなんてさびしいわね」

 肩までかかるきれいな黒髪をなびかせながら女性がいった。

「まあまあ、そう悲しまんでくれ。涼子さん。私だって好きでこの船を手放すわけじゃないんだ。それに、あなたにピッタリの最後のイベントも用意したんだからの」

 英二がそう言うと涼子は、それもそうねと笑った。天性の勝負強さと人を見る目と多少の強引さによって起業家を支援する会社を経営し成功してきたのが彼女だった。

「でもいいのかしら?チップにその額と同等の価値のあるダイヤを埋め込んで、最後に一番チップを持っていた人に船を譲るだなんて」

 英二の言うイベントとはこの事であった。英二は今までの恩返しの意味も込めて、客の誰かに船を譲ろうと考えた。どうせ譲るのであればカジノで決めよう。それも一番勝負強かった人にと。

 

 

 きらきらと海を光らせていた太陽も沈みはじめ、うっすらと青白く輝く満月が東の海から昇ろうとしている。参加者が集まったカジノルームの窓から紅い夕陽の光が差し込んでいた

「これより我が、いや我らがティティス号の最後を飾るイベントを開催致します。ご存じの通りルーレットにて一番勝った人にこの船をお譲りすることに決めました。今回のための特別なチップとともにこの船との別れを最後まで楽しんで頂ければ本望です」

 英二がそう締めくくると参加者からたくさんの拍手が起こった。もちろん涼子もそのうちの一人だ。

 初めのうち、涼子は氷の浮いたカクテルを飲みながら他の参加者が賭けるのを眺めていたが、二杯目を飲み終えると自分も席に着いた。

「ネクストゲーム」

 ディーラーの澄んだ声に参加者は思い思いのところへチップを置いていく。涼子も積極的に賭けていく。涼子の勝負強さは全員が知っているので涼子と同じように賭ける者もいた。

 さて、ルーレットというものは運任せに無責任なゲームに見えて実際はそうでもないものだ。ディーラーは37個あるポケットのうち狙ったところへ落とすことができるし客もそれを知っている。だからディーラーがボールを投げてからベットするのだ。さらにルーレットには特別なルールがある。緑色に塗られた0のポケットにボールが入るとディーラーの総取りになるのだ。優秀なディーラーはうまいタイミングで0へボールを落とす。

 ここ、ティティス号のルーレットのディーラーを長く務める袖山も優秀なディーラーの一人であった。だからこそ英二に気に入られずっとここで働いているのだが。

 袖山は涼子の積極的な賭けの姿勢とそれにおされる周りの参加者を見て、そろそろ0に落とそうと考えた。もちろん顔に出してはいけない。普段とは違い熱気を帯びている参加者の視線の先にあるルーレットへ、袖山は加減してボールを転がした。その瞬間、袖山はやられた!と感じた。涼子がベットしないのだ。先ほどまでの積極的な姿勢はフェイクであった。さいわい他の参加者はあまり気にしていないようだ。袖山はまたも顔に出さないように気をつける。落胆する参加者を見ながら、テーブルの上にチップをかき集めると「ネクストゲーム」と落ちついた声で言った。

「次はちゃんと参加するわ。まさか二回連続で0が出ることはないと思うからね」と言ってから少し考え

「レッド!」

と叫び、先ほどまでに増やしたチップを全て賭けてしまった。

 勢いを失い、ころころと転がるボールはやがて赤の21へ落ちた。参加者から感嘆の声が漏れる。涼子の前には二倍のきらきらと光るチップが置かれた。

「ネクストゲーム」

 優秀なディーラーである袖山は、落ち着きを失わない。他の参加者の盛り上がりをよそにゲームを続行する。

「レッド!」

 またも涼子がそう叫ぶと、周りの参加者もみなレッドに賭けていく。ころん。ボールが落ちたのは赤の14。涼子の前には最高額のチップ、一億円のダイヤが埋め込まれたチップが置かれる。参加者の盛り上がりは最高潮に達していた。

「今日はついてるわね。しかし、ルーレットは緊張するわ」そう言いながら涼子は5杯目のカクテルを飲み干した。

「ネクストゲーム」

 袖山は焦りを必死に隠そうと精一杯落ちついた声で言う。

「次もレッドよ」

 涼子はそう言うと、最高額のチップに熱いキスをして持っているチップを全て赤に賭けると6杯目のカクテルに口をつけた。英二は楽しそうに後ろからその様子を見ている。ボールは赤の7へ吸い込まれるように落ちて行った。参加者は最高に興奮している。袖山は驚きを隠せなかったが、ディーラーとして、無表情で涼子の手元へ二倍のチップを置いた。

「ネクストゲーム」

 袖山が声を響かせる。しかし涼子の反応がない。何があったのかと前を向いた袖山の目に映ったものは、先ほどまで見せていた落ちついた顔とは違い、驚きを隠せない様子の涼子だった。

「ダイヤがなくなってるわ!」

 袖山は事態を把握できず茫然と立ち尽くしてしまった。周りの参加者も唖然としている。先ほどまで輝いていたダイヤがすっぽりとなくなっているのだ。気付けば、今までの騒ぎは違った騒ぎに変わっていた。しかし選ばれたお金持ちがダイヤを盗むとは考えられない。混乱するカジノルームに、ティティス号キャプテン長谷川英二の声が響いた。

「みなさん、落ちついてください。ダイヤはなくなってなんかいませんよ。私が今からお見せしましょう」

 そう言うと英二は参加者全員のグラスの中身を、一つの大きなガラス容器に入れかき混ぜ始めた。参加者は困惑の目で英二をじっと見つめる。そして英二はその容器を天井のシャンデリアに掲げた。

 すると誰からともなく驚きの声が上がった。氷に混ざってきらきらと輝くダイヤが見つかったからだ。

「御覧の通り、無事にダイヤは見つかりました。みなさんどうぞお楽しみください」

というと英二はデッキへと出て行った。参加者は元の熱を取り戻しまたルーレットへと興味を移した。

 

 英二がデッキでくつろいでいると、涼子がカジノルームから出てきた。

「キャプテン。なぜわかったの?私がダイヤをグラスに移したこと」

「逆に私が聞きたいな。なぜ君はあんなことをしたんだい?」

 キャプテンの問いに涼子は答えた。

「決まってるじゃない。ダイヤがなくなればこのイベントが流れて、キャプテンにまだ船を動かしてもらえるかもしれないと思ったからよ」

 そんな涼子に英二はいった。

「ははは。私はそんなことになってももう船は動かすつもりはなかったよ。楽しいことは楽しいことのまま終わりたい主義なんでな。でも涼子さん。あなたのその気持ちはとてもうれしいよ」

 まだ何かを言おうとする涼子に英二は言った。

「涼子さん。あなたがこのイベントに勝ってこの船を譲り受けてくれないか?だからカジノルームに戻って、またさっきみたいに頑張ってくれ」

 昼にしゃべった時のように、涼子は、それもそうねと笑った。まるで何もなかったかのように。

 

 いつの間にか天高くあがった青白い満月は、一人デッキでたそがれる、ティティス号キャプテン長谷川英二の姿をしっとりと照らしていた。


なんとかの島のはなし

なんとかの島のはなし     てきとう

 

 

 これは、だいたい六十年くらい前、つまりきみのお父さんお母さんのそのまたお父さんお母さんがきみくらいの年ごろの少年少女だったときのお話です。

 

  ◆

 

 太平洋、もしくは大西洋の真ん中から少し東に外れたくらいのところに、その島はありました。

 その島は、ただただ美しい島でした。エメラルドグリーンの海とふみ心地の柔らかな遠浅の白浜には、小さな魚やカニ、ヤドカリの類が顔をだし、美しい釣鐘型をした立派な火山の頂上からは、あでやかな緑の芝生に映える石造りの家々と、果てしない水平線を一挙に望むことができました。

 そしてそこにはかつて王様がいました。そんな美しい島の王様など、なりたくても簡単にはなれません。彼はさぞ幸せだったことでしょう。しかしながら、彼はすぐに王様を辞めてしまいました。なぜでしょうか。その理由は今もわかっていません。なぜなら彼は王様を辞めてすぐに、おんぼろの手漕ぎ船に乗って、どこかへ行ってしまったからです。しかし少なくとも島から二百マイルまでは岩ひとつさえ顔をださない海原であることはわかっていましたし、そのころはサメも多く泳いでいましたから、最初から死んでしまう気だったのでしょう。

 その後、いくら時が過ぎても、次に王様になろうとする者は現れませんでした。

 

  ◆

 

 美しい芝生におおわれた丘の上に、一人の少女が三角座りをして海のほうをぼんやりと見つめています。

 たった今、背後から図体の大きな男がゆっくりと少女に近づいていきます。しかし、少女はそんなことなど知らずに、いまだずっと海の方を見つめています。

 そうこうしているあいだに、大男は少女のところまでたどり着いてしまいました。しかし少女はまだ気づきません。

 大男は上から少女を見下ろして、つむじのあたりをじっと見つめています。しかし少女はまだ気づきません。

 ずっと大男は見つめますが、少女は気づきません。

 ずっとずっと大男は見つめますが、少女は気づきそうにありません。

 何分経っても、少女は男に気づかず、大男は少女を見つめたままでした。

 時がたって、また時がたって、太陽が海を赤く染めはじめたころ、少女は何の前触れもなしに突然振り返りました。いや、振り返ろうとしたと言う方が正しいかもしれません。なぜなら、男は少女が振り返りきる前に右足をいきおいよく天に向かって振り上げたからです。

 少女はうつぶせに倒れてほほをさすります。

 大男は腰を落として少女を抱えようとしますが、少女は男の手からこぼれて、丘を転げ落ちてゆきます。

 少女は草を掴んで止まろうとしますが、いくら掴んでも、それらは簡単に地面を離れるか、あっけなくちぎれてしまいます。それどころか、いきおいはどんどん速くなっていきます。このままでは丘裾を流れる川に落ちて流されてしまうかもしれません。

 少女は祈ります

 しかし、だからといって止まってくれるわけもありません。もちろん少女は加速し続けます。川はもう、すぐそばです。そして少女はあきらめかけて、目をつぶろうとしたそのとき、少女の上半身はたまたまあったたんこぶのような地面のふくらみに引っかかり、体の向きが一周の半分の半分だけ回転しました。それに気づいた少女が、おもいきり足を踏ん張ると、少女の靴は激しく芝生を削り、徐々にスピードは落ちて川のそばぎりぎりのところで止まりました。

 

 少女はよろこんだことでしょう。

 

 しかしそれはまだ早かったのです。丘の上からは、大男が重力に身をまかせてものすごい勢いで駆け下りてきます。

 少女は逃げようとしますが、体中の打ち身がそうはさせません。

 少女はあきらめかけました。もうなにもかもが終わりになってもおかしくありませんでした。

 しかしそこへ運よく大荷物を抱えた女の人がやってきました。

 少女の母でした。

 母は、傷だらけの少女と駆け下りる大男の姿をみておおまかのことを察しました。そして母は左手を天に向かって振り上げました。すると、どこから来たのか突然白いジープが姿を現しました。母は荷物を積み込んだ後に少女を抱えてジープに乗りこみました。鍵を差し込んでエンジンをかけた瞬間、ジープは大きな音を鳴らしながら走り始めました。その音は、ちょうどすずめの断末魔をいっぱいに拡声したような音でした。

 丘の上の方を見ると、大男はすでにそれに気づいて、集落の方へと必死に走りはじめていました。

 少女の母はアクセルをおもいきり踏みました。ジープはどんどんと丘を登っていきます。そのあいだも、大きな音は鳴りつづけています。ジープはまたたくまに丘のてっぺんまでたどり着きました。集落の方を見下ろすと、大男が頭と足を抱えて丘を凄いスピードで転がり落ちていくのが見えます。

 母は再びアクセルをおもいきり踏みました。ジープは、丘を滑り落ちてきます。まるでジェットコースターのようです。そしてちょうど集落についたころ、ジープは大男に追いつきました。

 大きな音のせいで、ほとんどの住民たちが家から出てきていました。母はジープを降りると、わたしを担ぎ下ろして座らせた後にバックドアをひらいて鎌を取り出してきました。そしてうずくまる大男の前に立ちはだかりました。大男は母の方を見つめて、「女は台所に閉じこもってさえいればいいんだよ」と言おうとしましたが、言い切る前に母は首を掻っ切ってしまいました。

 

 大男は少女の父でした。

 

 少女は三角座りをして、右手で草をむしりながら口の中にたまった血を吐いて、母をにらんでいました。しばらくにらみ続けた後に、今度は海のほうをじっと見つめていました。しかし、そこからは海が見えることはありません。

 少女は、夜が来るのをじっと待つことにしました。

 



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