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指定なし4

赤牛

赤牛     石田

 

 

大晦日の午後から降り始めた雪は、いまだ博多の街の交通網を麻痺させている。まるで一年を締めくくるような大雪は、止む気配をいっこうに見せない。いつ到着するか予想すらできないほどの大渋滞の中、大分に向かうタクシーの窓から見える風景に、はて、これはどこかで見たような景色だと思った。

 

一〇歳の頃から、年末年始に、父は私を阿蘇山に旅行に連れて行くようになった。自然と触れ合うのが好きだった私にとって、年に一度の阿蘇旅行は特別なものだった。日常を忘れさせてくれるだけでなく、新しい年へと向かう希望にも似た気持ちを与えてくれた。

 

それなのに、私はあの日から阿蘇を避けるようになってしまった。父は何度も誘ってくれたが、私はがんとして首を縦には振らなかった。

 

三〇年前の大晦日、確かに自分の中で何かが変わってしまったのだ。

 

十五歳の私は阿蘇の山中にある休憩所で、絶景を楽しんでいた。それは休憩所といっても正式な休憩所ではなく、父のお気に入りだった土産物屋の前にある見晴らしの良い広場の事だった。くじゅう連山が一望でき、毎年違った美しさを私に見せてくれるのだった。展望台の真後ろは広い牧草地帯になっていて、これもまた筆舌しがたい風景が広がっている。普段はまるでゴッホが描きそうなのどかな風景は、降り積もる雪により一面水墨画の世界を呈していた。

 

どれ位の時間歩いたのだろう。土産物屋が五円玉の穴ほどの大きさに見えたとき、私は一頭の赤牛と出会った。体の半分ほどが雪に埋まっているせいか、その牛は全く動こうとせず、じっと私を見つめているだけであった。

 

なんと惨めな牛だろう。そして、なんと恐ろしい光景なのだろう。私はその牛と対峙したまま動けなくなった。それは決して牛が怖かったわけではなく、その牛に襲いかかる自然の厳しさに足がすくんだのだ。

大自然は、神様は、この惨めな赤牛の命を奪おうとしている。今日という一日がこの牛にとって生きている最後の日になるのだ。私は直感的にそう感じていた。そして時間が経つにつれ、なぜ自分がこの場所に居合わせなければならないのかを考えていた。

 

確かに牛は泣いていた。だがその眼に湛えられた涙は、決して溢れることなく、凍てつくばかりの冷気にわずかに粘性を帯びているようだった。そしていつまでもいつまでも私を見つめていた。

 

「私は泣いたのだ。自分を殺そうとする自然の厳しさに。

私は泣いたのだ。自分を助けようともしない人間の薄情さに。

私は泣いたのだ。人間に情をかけられる惨めさに。」

旅館で年越しそばをいただき、ゆっくりと温泉に浸かり、布団に入ってから、私は夕刻の赤牛を思い出していた。本当なら楽しい気持ちでいっぱいなはずの私に、そんな牛の声が聞こえてきた。

 

私は罪の意識にさいなまれた。

牛は生きているのだろうか。私が今こうして温かい部屋で柔らかい布団にくるまれている間に凍え死にはしないだろうか。

ただ、それは自然がそうさせているのであって、むしろ神様の意志なのではないか。そんな思いが頭の中で何度も繰り返され、結局私は一睡も出来なかった。

 

朝になるのを待って私はあの牛のところへ急いだ。急がなければならないと思った。私にできる唯一の事は、あの惨めな赤牛の亡骸を確認する事なのだと信じて疑わなかった。父は何事かとしきりに私に尋ねたが、答えられるはずもなかった。話せば今までの思いを何もかもぶちまけてしまいそうだった。

 

果てしない雪原にわずかに茶色の点が見える。もちろん見るのは怖いが見届けなくてはならないという思いが私を前へ前へと突き動かした。

 

茶色の点がだんだんと輪郭を形成し始める。昨日の牛が昨日の場所に四足で立っている。

「ああ、生きてる。」

 

赤牛は、後悔にさいなまれた私を、自然という神の意志をまだ理解できていない私をあざ笑うかの様に、雪の上でただ遠くを見つめていた。


童話集(四季)

童話集(四季)     やくると

 

 

     ◯

 

 その公園にある一本の桜の木の根元近くには、乳母車がとまっています。あたりには人っ子ひとり見当たらず、ただ陽の光が桜の木と乳母車とを包んでいるのです。

 いま、枝からはなれた桜の花びらが、かすかな風にただよいながら、地面へむかってゆっくりと舞い降りていきました。そのうちのいく枚かは、灰色をした乳母車のシートの上にひっそりととまります。そう、その乳母車のなかに子どもはいません。ただ、とてもちいさな、ボタンの目のとれかけた布人形がひとつ、よこたわっているだけです。

 かるく浮いたボタンの目と布でできた顔のすきまに、やがて落ちてきた花びらがひとひらはさまります。白い花びらのうえで、黒くたいらなボタンの傷一つない表面に、空と木と花びらとがはっきり映りこんでいます。

 その像が上空を横ぎる雲の影とともに薄れていく、それと同じころ、どこか遠くのほうから、かすかな口笛がきこえてくるでしょう。明るいような悲しいような音色です。それをききながら、布人形ははじめから終わりまで表情をかえず、ただ静かに笑っているのです。

 

     ◯

 

 窓辺に頬杖ついて外を見やれば、草木豊かな河原のむこうに中くらいなる川がある。夜であるからぼんやり見えるばかりだが、暑さにうだる我が身にはかすかな水音が心地よい。

 後ろでたあ坊が「ああアメンボだ」と声をあげたので、ふり返って「たあ坊川面がみえるのか」と応える。

「そこに光っている。ほらまた」

 光るアメンボとはなんであろう。闇に目を凝らしてまもなく、宙に描かれた光の軌跡に気がついた。「あああれか。あれは蛍だ」

「アメンボだよ」

「アメンボは水に浮いているものだし、光ったりはしない。あれは蛍という」

「アメンボだよ」

 子供の戯れであろうと聞き流す。もちろん私も子供には違いない。たかだか十年も前にはかように意味の通らぬ駄々をこねていたであろうことは想像に難くない。

 ふと首筋がひんやりした。

 妙なと思うと同時に髪がふわりと広がる感覚がある。ちゃぷんと音がしたかと思うと耳がなにかに覆われて、静かになった部屋の中で、ただ小さな低音だけがごおと続いている。身体が軽くなったような浮遊感。動作のたび受ける抵抗に動きが緩慢になる。あたりを見廻そうとして、半開きの口からまろび出る泡に気がついた。耳元でぼこりと音を立ててそのまま上へ登っていく。ここはどうやら水のなか。

 水流が乱れて何かと思えば、口から大きな泡をあげながら笑っているらしいたあ坊が、窓を指し示そうと腕をうごかしている。そちらへ向き直ってみると、当然ながら部屋の外も水中に沈んでいた。部屋とひとつながりの水のせいか、少しばかり闇が薄まったようにも感じられる。横に出てきたたあ坊はさらに上方を指さした。つられて見上げれば、わりあい近いところに水面がある。

 そのうえを発光したアメンボが泳いでいる。

 対象が小さく点のようだからこの距離でも遠目になるが、外面はたしかにアメンボである。面のうえをつういつういとやたらあちこち漂っている。発光した体の残す軌跡はさきほどの虫のものである。動き回る光点を目で追ううち、いつのまにか窓枠に足をかけ、身を乗り出した格好で片腕をのばしていた。

 あとわずかで触れる、と思ったそのとき、不意に身体の重みが戻る。水が引いた。

 服のすそを引っ張るたあ坊をしばし見つめて、それからゆっくり足を下ろした。あぐらをかいて向き直れば相手は満面の笑みを浮かべている。

「あれはアメンボだったかもしれない」

 認めた私にたあ坊はキャッキャと声をあげ、子供を侮るものではないと笑ってみせる。私も子供であるのになあと嘆息して膝にのせてやる。二人して顔を向けた窓の外には、光が線を描いている。

 

     ◯

 

 広大な森のなか、行き交う人も消えて久しい道をたどればやがて石の古城に出くわす。かつては栄華をきわめた城もいまでは蔦葛が表面を覆い、外壁には崩落した箇所も目立つ。こののち二百年の時をかけ、城はゆっくりとケヤキやブナに呑みこまれていくこととなる。

 秋の夜その城をひとりの青年が歩いていた。城内を巡りやがて庭に出た彼は、中央の礼拝堂へ向かおうとして戸口から漏れる光に足を止めた。扉に嵌め込まれた色付きの磨りガラス、その表面に茫と光が漂っている。二三数えるあいだ眉をひそめ、それから礼拝堂に入った青年は、祭壇のまえにひざまずいて頭を垂れる人影を目にした。金色の髪が祭壇の発する光に仄かに煌めいている。青年はその場に立ちすくみ、しばしの間堂内の何物も動きを見せなかった。

 やがて立ち上がって彼のほうに向きなおったのは、肩ほどの高さの少女だった。逆光を受けながら血の気がないのか顔が白く浮きあがって見える。

「あなたはここでずっと待っていたの」

「待つ気はなかったんですが」青年はかすれた声で呟いた。「ただ気づいたらずっと居ただけで」

 澄んだ笑い声が小さく響く。「そのまま百年。大したのんびり屋さん」言いながら一足一足、ゆっくりと青年の方へ進んでいく。北風に吹き溜まった落ち葉が床の上で乾いた音を立てた。「百年前もそうだった」不意に少女の背後の光が火焔のように真っ赤に膨れあがって見え、青年は目をしばたたいた。少女が首を傾げる。「ねえ、なぜ黙っているの」

「ああ」光はふたたび白く穏やかに堂内を満たしていた。「しゃべるのがひさしぶりで」

「あなた以外にはだれも残らなかったみたいだから」青年から視線を外すと、少女は壁画を見渡した。「天使もすっかり居なくなってしまった」

「ずいぶん頑張ってはいたんですが。一人ずつ消えていきました」そう答えて青年は天井を振り仰いだ。「昨日見たときはあそこに一人、残っていたのだけれど」

 少女の笑みは深くなる。

 瞬間少女が浮いた。巻き起こる風に落ち葉が舞い上がって幕となり、眩い白光に目を覆いつつ反射的に突き出された青年の右手から少女を隔てる。わずかな隙間にひらめく笑顔は舞い狂う葉に掻き消され、的を失い彷徨う腕へ葉は渦を巻いて襲い来る。腕が見えなくなると同時に、青年の頭がザアッと音を立てて枯葉となり床に落ちる。頭から足へ枯葉に変貌し刻々と散り敷いていく青年の身体のうえへ、かつて礼拝堂だった落ち葉がゆっくりと降り積もっていく。

 

     ◯

 

 魔女は夏がすきでした。わずかに木が生えているだけの荒涼とした大地も、夏のあいだは花に覆われ、ひばりがさえずります。少しばかりある美しくないものも、窓からなら目にはいりません。魔女にとって、夏のあいだ窓の外の景色を眺めるのが数少ない娯楽なのでした。

 魔女が荒野に館をかまえるのは、人々とかかわるのを避けるためでした。魔女の魔法を、人々は受け入れなかったのです。おまえのやっていることは、自然の法をねじまげることだ。人々はそういうのでした。

 魔女には人々の言っていることが分かりませんでした。自然のままの状態が一番美しいとは、魔女には思えなかったのです。だからこそ、美しくないものを覆い隠すために、魔女は魔女になったのでした。いくたびもの衝突をくりかえし、やがて人々のもとを去った魔女は、人の近づかない荒野のまんなかに館をたて、そこに住まうようになりました。

 いかな魔女といえども、館のまわりの広大な原野を魔法で覆い尽くすことはできませんから、魔女は館に閉じこもることになります。夏には窓から外を眺めるのですが、冬となると外には見向きもせず、館のすべてを美しく制御することに精力をかたむけるのでした。

 

 その年の冬は、いつもよりもさらに厳しいものでした。窓の外では寒風が吹きすさび、空にたれこめる雲のせいか、荒野は昼でも暗澹たる雰囲気におおわれています。魔女は日がな一日暖炉のそばに腰かけ、美しくおどる炎をながめるばかりでした。魔女は寒さにたいしてはいかなる感想ももちませんでしたが、たえず変化しながらも美しくあり続けるその炎は、魔女に夏の景色とはまたちがった感興を呼びおこすのです。

 ある朝魔女がめざめると、窓からあかるい光がさしていました。冬がきてからこのかた、外があかるくなったことなど一度たりとてなかったのに……魔女はいぶかりながら窓に近づき、外の世界がみえたそのとき、おもわずすべての動きをとめました。

 大地はどこまでも、どこまでも真っ白でした。

 

 魔女はとびらを開け放ちました。館に住まうようになってから、冬はもちろん、夏にだって外へでたことなどありませんでした。しかし魔女は、白のなかへその足をふみだしました。からだのなかからなにかがほとばしろうとして、熱いような苦しいような気持ちで、そうせずにはいられませんでした。

 踏み出した足のしたの地面が、かすかに音をたてました。やわらかいような、しかし硬いようにも聞こえる音でした。魔女はさらに一歩踏み出しました。ほおのうえを、冷たくそしてどこまでも純粋な透明な風が流れていきます。

 魔女はすすんでいきました。なんの跡もない平らな白のなかを、まっすぐ、朝の空気を切り裂くようにすすんでいきました。美しい直線を描くその歩調に迷いはありません。

 歩みにつれてどんどんちいさくなっていくその姿は、やがて点になり、一瞬白に滲んで、すぐに消えました。


おわりに

おわりに

 

 ぼくにとって、これが四回目の文化祭となります。ふと思いついて、手持ちの文藝部誌をとりだしてみました。

一年目:67ページ

二年目:56ページ

三年目:54ページ

 一年目が多めなのは先輩方がいらっしゃったためでしょう。昨年の部誌のページ数が最少というのは意外でした。詩作品が複数入ったため作品数に比してページ数が少なくなったのかも。そして今年は、

四年目:86ページ

なにがどうして。

 

 今年は中学部員の大幅な増加にともなって、とうとう部員数が二十の大台に乗りました。現在中学文藝部を引っぱっている65期の積極的な活動のおかげです。ほとんど部員数に変化のなかったぼくの中学三年間とはなんだったのでしょう。その意気軒昂な姿を目にし、また入学以来中学主体で活動してきたこともあって、今年の文化祭ではデコ責(参加団体の責任者)は65期に任せ、自分は部誌の編集など裏方に専念することにしました。

 集まった作品をみて、またも驚かされました。まず中学部員がほとんど提出している。また、高校からの入学者など、約十万字、原稿用紙三百枚にせまる大長編を提出してきました(第一章しか載せられなかった)。結果、部誌は過去に例をみない厚さになり、印刷費用との兼ね合いから自分の書いた読書感想文を削除するという体験までしました。読書感想文は来年に回します。……載るかなあ。来年はますます増えて載せる余地ないんじゃないかなあ。そうなれば嬉しいです。夢の見過ぎか。

 

 もちろん、量と質はかならずしも比例しません。その量に相応しい愉しみを、読者に差し出せたのか……あたう限りの力を尽くしたつもりですが、その出来は、読んでくださった皆様が決めることです。なにかひとつでも心に残るものがあればいい、そう願ってやみません。

 

 最後に、ご迷惑をおかけした顧問の先生方、他文藝部員、部外からの投稿者、印刷場所を提供してくださった方、そして本誌を手にとって下さった皆さまに深く感謝して、このあとがきを終えさせて頂きます。ありがとうございました。

 

                     やくると

 

                                2013年10月13日   

発行者・発行所 筑波大学駒場中・高等学校文藝部

印刷所   筑波大学駒場中・高等学校印刷室・他


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