目次
大事なお話
鏡の法則
男と女
男と女 ここがちがう
究極の浮気防止法
エッチの回数
ブスの25箇条
夫を早死にさせる10か条
お笑い
オチが秀逸なお話
幸福のメール(お笑い編)
大人の会話 
心理テスト『窓』
心理テスト『森と林』
読み物日記
占いで運勢が悪いといわれて落ち込んでる人へ
クリスマスの思い出
かっこいいオッちゃん
落としたサイフが戻ってくる確率を5倍も高める方法
四次元の世界
新しい使い方を提案
最後の授業
藤田隆志さんの講演会
カジノはv( ̄ー ̄)v
仁義
雲の消し方
心が温かくなるお話
赤ちゃんの詩
この気持ち伝えたい
子犬と男の子
子供を教える真の教師
喜ばれるお金の使い方
1番大切な10円玉
りんごの木と男の子の物語
天国からのビデオレター
『詐欺』『金庫破り』『暖かいスープ』
新しいウサギとカメの物語
二人の天使
自分らしく生きるために
イチローの作文
イチローの姿勢
イチロー名言集
マジックジョンソンの言葉
メキシコのジョーク(夢の先取り)
勝者と敗者
答えは全て自分の中にある
勝利者は常に諦めない
もう一度人生をやりなおせるのなら
極楽と地獄の岐れ路
自分の意志で選択した人生
お勧めの本
イヌが教えるお金持ちになるための知恵
マーフィーの黄金律
楽しく生きよう♪笑顔が一番
天使の指輪
奥付
奥付

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心が温かくなるお話

赤ちゃんの詩


最近、エンジェルカズキの周りでベビーラッシュが起こっています。
「もうすぐ赤ちゃんが出来るんですよ」
「赤ちゃんが産まれました」という報告をよく受けます。
そこで今日は妊婦さんや小さいお子さん、赤ちゃんがいる人、
大きく言えばお母さんに『 赤ちゃんの詩 』という詩を紹介したいとおもいます。

優しいお母さんになってくださいね☆☆☆


 


『 赤ちゃんの詩 』    

 


お母さん 私を愛してください。

私は泣くことしかできません。

 

お母さん 私を愛してください。

温かいお腹の中が恋しくて

時々懐かしくなってしまうのです。

 

長いこと丸くなって過ごしていたから

お布団に寝かされるとびっくりするのです。

 

お母さん 私を愛してください。

目を閉じて眠るのも怖いのです。

 

深い闇はあなたから引き離されそうだから

あなたの側に居たくて泣いてしまうのです。

 

深い海を渡り広い空を越えて

宇宙の果てからあなたを見てました。

 

私はあなたと巡り会う為、

その瞬間を待ち望んでいました。

 

決してあなたの自由を奪う為に

やってきたのではないのです。

 

あなたが困っている顔をする度に

私も途方に暮れてしまうのです。

 

どうか私の存在を拒まないでください。

 

言葉を発しない私ですが、あなたの気持ちは

誰よりも感じることができるのです。

 


お母さん 私を愛してください。

私のことをわかってくれるのは

あなたしかいないのです。

 

あなたに抱かれ、あなたの鼓動を感じ、

私はこれ以上幸せな事はないと知っています。

 

お母さん 私を愛してください。

私はあなたの事を誰よりも愛しています。

 

あなたと歩く未来が

どんなに素晴らしいものかを信じています。

 


この気持ち伝えたい


伊藤守さんという方の「この気持ち 伝えたい」という素晴らしいお話を

多くの人に読んでいただきたくてご紹介します。

本当のコミュニケーションとは何か?

コミュニケーションについて、とってもわかりやすくお話されています。
このお話からコミュニケーシュンについて、何かを感じてもらえればうれしいです。

 

 

 

 

「この気持ち 伝えたい」


それがコミュニケーションのはじまりでした.。

コミュニケーションはキャッチボール。

ぼくが投げると、きみが受けとる。

こんどは、きみが投げて、僕が受けとる。

それから、また、ぼくが投げて…。


キャッチボールにはボールが必要なように、

コミュニケーションには、あなたの気もちが必要です。


キャッチボールは、近すぎても、遠すぎても、むずかしい。

コミュニケーションも同じです。

恋人や友だちや子どもは両親にあんまり同化しすぎては、

コミュニケーションはとれません。


コミュニケーションがいっしょにはじめるものであるというのは、幻想です。

はじめるのは、いつも、どちらか一方。

あなたがボールを投げることからはじまります。


でも、じぶんから投げるより、むこうからくるのを待っていたい。

なぜって、じぶんから投げて、無視されると、悲しいから。


いきなり、拒絶されたこともあるし。

その人とキャッチボールがしたくて投げたボールを、

別の人にわたされてしまったこともある。


わたしたちは、幼いころから、聞かれないことになれてきました。


「忙しいから、後でね」

「そんなこと、言ってないで!」


だから、つい、どうせ、自分が言ったって、と思ってしまう。

だから、自分からボールを投げるには、勇気がいります。

勇気をだして、ようやく投げたボールをポイと捨てられてしまった…。

そんな経験はありませんか。


心をこめて、やさしいボールを投げたのに、相手がけり返してきた…。

そんな経験はありませんか。


直径30センチのボールを投げたのに、

直径5センチのボールが返ってきた…。

そんな経験はありませんか。


じぶんからボールを投げて、悲しい思いをするくらいだったら、

最初からボールを投げないで、

だれかが投げてくれるのを、待っていたほうがいいや。

でも、誰も投げてくれなかったら…。

いきなり拒絶されたり、けり返されたりして、

悲しい思いをしているのはあなただけじゃない。

あなただって、知らないうちに、そういうボールを投げてない?


だれもが、じぶんのボールを受けとめてほしいと思っています。

だれもが、じぶんのことを聞いてほしいと思っています。

だれもが、じぶんがここにいることを認めてほしいと思っています。


では、受け入れられたがっている幾多の人をいったい、

だれが受け入れるというのでしょう。


もし、あなたの投げたボールを相手がちゃんと受けとめてくれたら、

もし、あなたが、相手の投げたボールをちゃんと受けとめれば、

そこで、コミュニケーションはひとつ、完了します。


でも、

「ちゃんと受けとめてもらえなかった」

「とうてい受け取れないボールを投げつけられた」

そんな未完了なコミュニケーションを、

私たちはたくさんかかえているのです。


未完了なコミュニケーションがたまると、

わたしたちの情緒は不安定になります。

いつも、いらいらしたり、疑い深くなったり、

怒りっぽくなったり、ひがみっぽくなったり、無愛想になったり。


ときどき、それが爆発して…。

それから、だんだん何も感じなくなり…。

そうやって、ひとりぼっちになっていきます。


あなたが投げたボールを相手が上手に受けとめてくれなかった

としても、その人を責めてはいけません。


ひょっとしたら、その人は、ただ、

キャッチボールがへたなだけかもしれませんから。

緊張して、つい、手がすべってしまっただけなのかもしれませんから。

あなたのボールが、重すぎただけなのかもしれませんから。


もし、上から、

一方的に言われてしまったら、どんな気持ちがしますか?

一度に、3つも4つもボールを投げつけられたら、どんな気もちがしますか?

あなたがいま受けとっている相手の反応が、

あなたがとっているコミュニケーションそのものです。


たとえ、あなたがそれを、認めなくても。

コミュニケーションには、良いコミュニケーションと、悪いコミュニケーションがあります。

良いコミュニケーションは、コミュニケーションが交わされていること。

悪いコミュニケーションは、コミュニケーションが交わされていない、

あるいは、コミュニケーションのようなものが、交わされていること。


コミュニケーションのようなもの。

それは、社交辞令だけ話すこと。

役割だけから話すこと。

つまり、上司として、先生として、後輩として、夫として,妻としてだけから話すこと。


コミュニケーションのようなものを続けていれば、

さびしい思いやつらい思いをする危険もありません。

思いもかけない感情がでてきてしまったり、

喧嘩になってしまったりする危険もありません。


でも、思いもかけない喜びや、

生きていることの実感を体験することもないでしょう。

もし、相手に行動が起こらないのであれば、

そこにコミュニケーションがなかったのです。

あったのは、ただの社交辞令。

ほんとうのコミュニケーションには、いつも新しい行動が伴います。


コミュニケーションと人間関係は違います。

人間関係は、固定化したひとつの状態。

コミュニケーションは、それを変えていくものです。

あなたは、どういう関係をもとうとしているのでしょうか。


コミュニケーションの「問題」は、あなたが口では、一体感を持ちたいと言いながら、

実際には、少しでも「違い」をつくろうと、夢中になってしまっていることにあります。


たいせつなのは、あなたがどうしたいのかということ。

いま、目の前にいる人と、どういう関係をつくりたいのかということ。


あなたがつくりたかったのは、こういうことですか?

「少しでも相手に勝っていたい!」

コミュニケーションは、いつのまにか、わたしたちの競争の舞台になっています。

でも、忘れないで。

コミュニケーションは、いつも「受け入れ」によって完了します。

人は、「受け入れ」によって動きます。


「受け入れ」とは、相手を好きになることとは違います。


もし、どうしても好きになれない人がいるとしたら、

まず、その人を好きになれないじぶん自身を受け入れること。


あなたが相手の人を受け入れている度合いは、

あなたがじぶんのことを受け入れている度合いに、完全に一致します。


相手を受け入れるには、相手をよく聴くこと。

「この気もち、伝えたい」

「でも、じぶんの言うことなんて聞かれない」

そう思ってしまっているのは、あなただけではないのですから。


コミュニケーションの能力を、話す能力だと思っている限り、

相手との間に、一体感をもつことはできないでしょう。


コミュニケーションの能力は、相手に話させる能力です。

相手に話させて、それを聴く能力です。


相手の話を最後まで、口でも頭の中でも、批判したり、否定したり、

自分と比較したりしないで、聴いていく能力です。


聴いてくれる人の前では、受け入れる準備のある人の前では、

だれでも少しずつ、話し出すものです。

たとえ、とりにくいボールでも、どんなに弱いボールでも、

あなたが、一生懸命拾っていけば…。


待っているだけでは、ボールはうまく受けとれない。

コミュニケーションも同じです。


もし、あなたが,ほんとうに受け入れていこうと思うのなら、

何か受け入れられるものはないかと、一歩踏みだし、からだの全部をつかって、

じぶんから手をさしのべていくことです。

どんなにむずかしいボールも、しずかになめらかに、

受けとめることができるでしょう。


相手を受け入れることを、なんでも相手の言うとおりにすること、

相手に賛成することだと思っているとしたら、受け入れることはむずかしい。

よーく聴いて、相手の言いたいことをそのまんまに理解すること。

それが、「受け入れ」です。


お互いの中に、同じ意味とイメージを共有すること、

それが、「受け入れ」です。

「受け入れ」があれば、違う考え、違う趣味、違う感じ方をもっていたとしても、いっしょにいれます。


ひとつ、受け入れが起こると、ひとつ、コミュニケーションが完了します。

ひとつ、コミュニケーションが完了すると、少し安心します。

そうやって、安心感が深まるたびに、わたしたちは、行動的になります。

受け入れられることや人が、ひろがります。


最初はだれでも緊張します。

人が向かい合えば、必ず緊張が生まれます。


それは問題ではありません。

問題は、あなたがそれを隠そうとすること。


ほんとうは、うまく投げられるか心配なのに、平気なふりをしていること。

ほんとうは、うまく受けとめられるか心配なのに、平気なふりをしていること。

ほんとうは、運動神経がにぶいのがばれたらどうしようと思っているのに、平気なふりをしていること。


平気なふりをやめたとき、あなたはじぶんを受け入れたことになります。

平気なふりをやめたとき、ほんとうのコミュニケーションがはじまります。


「この気持ち、伝えたい」


あなたがそう思ったなら、できるだけ、受けとりやすいボールを投げること。

受け入れの準備のない人もじゅうぶん受けとれるボールを投げること。

ボール投げになれない人には、速球や変化球は受けとりたくても無理なのだから。


わたしたちは、コミュニケーションによって生きています。

あなたのいま目の前にいる人とのコミュニケーションが変わっていくとき、

まわりの人すべて

―先生も、お母さんも、お父さんも、親友も、恋人も、親戚のおばさんも、上司も、部下も―

とのかかわりかたが変わっていくでしょう。


仕事へのかかわりも、人生へのかかわりも、変わっていくでしょう。

そして、あなた自身とのかかわりも、変わっていくことでしょう。


 
  きみの気持ち、聞いてみたい。


それがコミュニケーションのはじまりです。

 

伊藤守 

 


 


子犬と男の子


今回は『こころのチキンスープ』から
「子犬と男の子」という素敵なお話をご紹介させていただきます。
 

「子犬と男の子」
 
あるペットショップの店頭に「子犬セール中」の札がかけられました。
 
子犬と聞くと、子供はたいそう心をそそられるものです。
 
しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。
 
「おじさん、子犬っていくらするの?」
 
「そうだな、30ドルから50ドルってところだね。」
 
男の子は、ポケットから小銭を取り出して言いました。
 
「ぼく、2ドルと30セントしかないんだ。でも見せてくれる?」
 
店のオーナーは思わずほほえむと、奥に向かってピーッと口笛を吹きました。
 
すると、毛がフカフカで丸々と太った子犬が5匹、店員のあとをころがるように出てきたのです。
 
ところが1匹だけ、足を引きずりながら、一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。
 
「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。
 
「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、多分一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。
 
ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。
 
「ぼく、この子犬がいい。この子犬をちょうだい!」
 
「坊や、よしたほうがいいよ。そりゃあ、もしどうしてもこの子犬がほしいって言うなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。
 
「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬のどこがほかの犬と違うって言うの?ほかの犬と同じ値段で買うよ。
 
今2ドル37セントはらって残りは毎月50セントずつはらうから」
 
その言葉をさえぎるように店のオーナーは言いました。
 
「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ」
 
これを聞くと、男の子は黙ってズボンのすそをまくり上げました。
 
ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。
 
男の子は、オーナーを見上げて優しい声で言いました。
 
「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達がほしいと思うんだ!」
 

ダン・クラーク『こころのチキンスープ』より
 

エンジェルカズキはこのお話を読んで、
この男の子のような優しさをもちたいと強く思いました。

 

 


子供を教える真の教師


最近講演会などでよく聞く話で、
高校生の英語の教科書などにも登場するお話をご紹介します。

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1976年にアメリカの雑誌に掲載された実話。

トンプソンという小学校教師と、テディーという男の子の話です。

 

トンプソン先生は、当時4年生の担任をしていました。

「すべての生徒を公平に愛しなさい」
という教師のスローガンはまやかし・・・

そうトンプソン先生は心の中で呟きました。
その理由?・・・

実は・・・
受け持っていたクラスに、どうしても好きになれない生徒がいたのです。

彼の名はテディー。
成績はいつもクラスで最低。
無口で授業に対しても一切興味を示さず、友達もいない。
それで、いつも服装は乱れて不潔。

トンプソン先生は、テディーのテストの解答用紙に、0点と大きくつけることや、
成績表にF(最低のレベル)をつけることにある種の快感まで覚えるほどになっていました。

そんなある日、学校の指令で、生徒1人1人の過去の履歴を見直して、
再度生徒の総合評価をつけることになったのです。

当然その生徒の中にはテディーもいました。

トンプソン先生は、嫌いなテディーの評価を一番最後にまわしました。

テディー以外のすべての生徒の評価が終わった後、
トンプソン先生は嫌々、テディーの1年生からの評価に目を通し始めました。

その評価を見てトンプソン先生は愕然とします・・・

なんと当時の担任のテディーの評価は、
トンプソン先生の知るテディーとは全く別人だったのです。

「テディーはクラスで最も活発で人気者。成績もトップで、
クラスの雰囲気を明るくするには欠かせない子」

驚きを隠せないトンプソン先生は、続けて2年生の評価を見ます。

「テディーに最近明るさがなくなってきた。
お母さんが重い病で、そのことが影響している様子。
授業でもボーっとすることが多くなってきている。」

3年生の評価になると・・・
「テディーは、お母さんが亡くなって以来、
授業に全く興味を示さなくなっている。
お父さんも彼のことをかまわないみたいで、
友達もなくなってしまった。」

ここまで読んだトンプソン先生は、雷に打たれたかのようにショックを受け
ました。

次の日、クリスマスの時期だったので、
生徒たちがトンプソン先生にプレゼントを持ってきました。

華やかなラッピングのプレゼントの中に、
1つだけ、みすぼらしいスーパーの袋に入った薄汚れたプレゼントがありました。

それはテディーからのプレゼントだったのです。

トンプソン先生はその袋からプレゼントを出すと、
そこには糸の切れたネックレスと、半分使った香水の瓶が入っていました。

それを見た他の生徒たちは、馬鹿にして笑い始めましたが、
トンプソン先生は言いました。

「何を笑ってるの!
きれいなネックレスじゃない。良い香りの香水もあるわ!」

そう言って香水を手につけたのです。

その日、テディーはトンプソン先生のところにやってきてこう一言だけ言ったのです。

「トンプソン先生。先生の匂いは、ぼくのお母さんの匂いといっしょだったよ。」

テディーのプレゼントは、死んだお母さんの形見だったのです。
全員の生徒が去った後、トンプソン先生は1人教室に残り、泣き崩れました。

今までテディーに対して持っていた感情を反省し、
この瞬間から、トンプソン先生は初めて・・・

見せかけでなく・・・

子供たちを、心から教える先生になったのです。

それ以来、トンプソン先生はテディーを一生懸命勇気づけ、
授業についていけるように教えました。

スポンジが水を吸収するように、
テディーもトンプソン先生の教えをどんどん吸収していき、そ
の年が終わるころには、テディーの成績はクラスでもトップになりました。

小学校を卒業してから何年か後、
トンプソン先生はテディーからの手紙を受け取ります。
そこには・・・

「トンプソン先生、先生のおかげで、
高校を3番の成績で卒業することができました。
先生は、私の人生で出会った最高で大好きな先生です。
ありがとうございます。」

と書かれてありました。

それから4年、またテディーから手紙が届きます。

「トンプソン先生、なかなか大変でしたけど、
なんとか大学を首席で卒業できました。
これもトンプソン先生のおかげです。
先生は私の人生で出会った最高で一番大好きな先生です。
ありがとうございます。」

そしてまた何年か後に、新しい手紙が届きました。

「トンプソン先生、大学で出会った女性と結婚することになりました。
新郎の母親の席に、ぜひトンプソン先生に座ってほしいのです。
お願いできますか?
先生は私の人生で出会った最高で一番大好きな先生です。」

この手紙には、テディーの名前に称号がついていました。

MD
Medical Doctor
なんと彼は、医学博士になったのです。

トンプソン先生は、糸が切れたネックレスと、
半分しか残っていなかった香水を身につけ、テディーの結婚式に出ました。

壇上で、テディーはトンプソン先生にこうささやきます。

「トンプソン先生、
こんな私でも、社会に何か貢献できることを教えてくださって、
本当にありがとうございました。」

それを聞いたトンプソン先生は涙ぐみながら、テディーにこう言います。

「あなたは間違っているわ・・・
あなたこそが・・・
私に・・・
何か社会に貢献できることを教えてくれたのよ。

あなたに出会うまで、私は子供を教える資格はなかったの。
でもあなたに出会ってから、あなたに教わったから・・・

子供を教える、真の教師になれたのよ。
テディー、ありがとう。」


c(*゚ー^)ノ*・'゚☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'゚:*:・'゚☆キラキラ

 


エンジェルカズキはこのお話を読んで、一つの側面(情報)だけで判断したり捕らわれていては真実や本当のことはわからない。
色々な視点から総合的にみる視野を持つことが大事なんだなぁと思いました。
そして視点(印象)を変えるだけで人は大きく変化するんだと改めて思いました。

人に対する印象で、コミニュケーションのとり方が変わります。

たとえばAさんから「Bさんは嘘つきだ。」という噂を聞いていて、
Bさんに対してそういう印象をもっていればBさんが何を言っても嘘をついてるように聞こえてしまいます。

Cさんから「Bさんはすごく正直者だ。」という噂を聞いていて、
Bさんに対してそういう印象をもっていればBさんが何を言っても正直に話してるように聞こえてしまいます。

嘘つきも、正直者も、自分が創りだした印象であって自分の鏡です。

面白いことは相手に対する印象(鏡)を変えると、その印象どおりに相手が見えてくるし、そうなってきます。

あいつはダメなやつだと思って接してるとダメに育つ。
あいつはできるやつだと思って接してるとできるように育つ。

嫌いだと思ってたら、どんどん嫌いなことされてたけど
好きだと思ったら、とどんどん好きなことをされる。

結局、自分が描いた印象は結局自分を映し出している鏡です。

人は一つの出会いで人生が変わることがあります。

人は一つの出来事で人生が変わることがあります。

人は一つの言葉で人生が変わることがあります。

人に与えること = 人から受け取ること 

旅先で写真を撮ってほしかったら先に写真を撮る。

愛してほしければ、先に愛する。

自分が楽しみたければ、誰かを楽しませてみる。

感動したかったら、誰かを感動させてみる。

お金が欲しかったらお金を寄付してみる。


「欲しかったら与える」

 
これは世界最強の法則です。

これを、成功者の世界では

ゴールデンルールと呼んで実践しているそうです。

この本を読んでいただいてるあなたも
「欲しかったら与える」
このゴールデンルールをぜひ実践してくださいね。

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今回のメーセージ

欲しかったら与える

自分が描いた印象とは結局自分を映し出している鏡です。

人との出逢いが、人を変える。

出逢う全ての人に感謝します(*^人^*)♪。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 


喜ばれるお金の使い方


エンジェル仲間の梵ちゃんが

以前、mixi日記に書かれてたお話を紹介します。


---------- ここから -------------------------------

 

こんにちは、梵ちゃんです(*^_^*)

今日はちょっぴり良いお話しをしますね♪

今日は『お金は応援するように使ってあげな』って話しです(*^_^*)

どういうことですかって言うと、

例えば、スーパーとか行くじゃない。

その時に牛乳が欲しいなって思ったとするよね。

例えば、今日なら、奥に10日のがあって手前に9日のがあるとかね。

そんな時は、手前のを取ってあげると良いんだよ。

わざわざ、奥のが新しいからって取っちゃダメだよ。

牛乳とかの場合、賞味期限が1日くらいずれててもそんなに味は変らないんだよね。

でも、お店としては期日が来たら、売る事は出来ないんだよ。

そうしたら、もしかしたら捨てられる事になるかもしれないんだよね。

牛乳だって捨てられるために、うまれてきた訳じゃないんだよ。

みんなに元気になってもらいたくて、きたんだよね。

なのに、期限だから残念だねじゃ可哀相じゃない。

もし牛乳に気持ちがあるとしてさ。

もうすこしで捨てられるかもしれないって時に、

わざわざ期日をみた上で9日のを取ってくれたとしたらさ、

こりゃー喜ぶよ。

みんな、よけてく中でわざわざ選んでくれたとなるとさ、牛乳だって嬉しがるよ。

普通よりも、カルシウムの吸収率をあげちゃおうかなとか、

サービスだってしたくなるよ。

その上、その場面をお金くんは見てるんだよね。

金額は同じで、捨てられてしまう確率の高い方をわざわざ選んだってのを見てるんだよね。

牛乳くんを応援してあげた、もっと言えば、救ってあげたのを見てるんだよ。

そんなお金くんがレジに入って仲間にあってごらん。

自慢したくなるよ~

自分は良い主人の元から来たって自慢したくなるに決まってるよ。

そうなったら、仲間のお金くんだって、

どうせ誰かを主人にする事になるのなら、

良い主人のもとに行きたくなるのが人情じゃない。

噂ってのはすごい勢いで広がるからね。

そうなったらもう、バンバン来るよ。

だから、お金は人だけじゃないよ、物だってそう。

少しでも多く喜ばれるように使ってあげな。

 

『 梵語録 』

お金を使う事になるのなら、少しでも多く喜ばれるように使ってあげな。

お金はそれを見てくれてるし、噂として広まるよ。

良い主人って有名になれば、

喜ばれるように使って欲しいお金くんの方から自然と来るよ。


---------- ここまで -------------------------------


エンジェルカズキは2年ぐらい前まではスーパーで買い物をするときは、
わざわざ賞味期限をチェックして
賞味期限が一番長い(新鮮な)ものを選んでました。…( ̄▽ ̄ i)

それは、新しい方が長持ちするし、新鮮だし、美味しいだろうと。
買い物を頼まれる時も、いつもそういわれてましたので
それが普通だとおもってました。

でも斎藤一人さんのお弟子さんのみっちゃん先生の本
「斎藤一人とみっちゃん先生が行く」を読んで反省しました。

みっちゃん先生は生鮮食品を買う時は製造年月日の古いものから
順番に選ぶクセがあると書いてました。
普通の人は新しいものから選ぶのに、みっちゃん先生は・・・・

みっちゃん先生は本の中で、
「私は、売り場のすみっこで置いてけぼりになってる生鮮食料品が、
自分だったら嫌だなと思っただけでなんです。」と言っています。

食べ物って生き物なんです。
賞味期限が切れてしまって、
まだ生命のあるものを捨てるのは食べ物に申し訳ないしお店の人も困ります。
それを古いほうからもってきてあげるって
みっちゃん先生ってすごくやさしい人なんだと思いました。

この事を知ってから、エンジェルカズキは
賞味期限は見らずに手前のものから買うようにしています。
(古いものからじゃないんかい!!と今、自分につっこみ、いれときます。)

でも、梵ちゃんの日記を読んで、また反省しました。
これからは賞味期限をチエックして、一番古いものから選ぶようにします。

それはなぜか? 
梵ちゃんの日記にも書いてますけれど
お金さんに、エンジェルカズキの手元を離れていく時に
自分は良い主人の元から来たって胸をはって自慢してもらいたいからです。


生鮮食品に限らず、お金を使う時は
お金さんに、自分は良い主人の元から来たぞって
自慢してもらえるような使い方をしていきましょうね。

そうするとお金さんが、沢山のお友達を連れて帰ってきてくれますよ♪

 


1番大切な10円玉

 

『 一番大切な10円玉 』

知的障害がある女の子が
両親と暮らしていましたが、お母さんが病気で亡くなってしまいました。
 
本当は親子で一緒に暮らしたかったのですが、
周りの人の勧めもあり女の子は施設にあずけられて、
お父さんと別々に暮らすことになりました。
 
施設では、社会に出ても通用するようにお金の訓練を行います。
 
女の子も一円から五百円までの硬貨を順番に並べて
お金の価値を勉強していました。
 
試験の時先生が、
「一番大切なお金はどれですか」と女の子に聞くと、
女の子は笑いながら十円をさしました。
 
何回も先生が、
「五百円が一番大事だよ」と教えても、女の子は繰り返し十円をさしました。
 
困り果てた先生は、
「どうして十円が大事なの?」と聞くと、女の子は、
 
「だって、この十円をあの公衆電話に入れたら、
 大好きなお父さんの声を聞けるから……」
 
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

エンジェルカズキも自分でも気づかないうちに、
お金の大きさで物事全ての価値を考えてしまうことがあります。
でも本当に大切なものはお金の大きさではないです。
 
お金は使う金額ではなく、
使う中身にこそ、幸せの価値があるんだということに
このお話を読んで気付かされました。
価値のあるお金の使い方をしていきたいですね(*^^*)
 


りんごの木と男の子の物語


りんごの木と男の子の物語というお話をご紹介します。
ちゃんとした本にもなってるお話です。
本の題名は 『おおきな木』 (シェル・シルヴァスタイン/篠崎書林)
この物語からあなたは何を感じるでしょうか?

 

 

『 りんごの木と男の子の物語 』

 


ちびっこは きのみきに よじのぼり
えだに ぶらさがり りんごをたべる。

木とちびっこは かくれんぼう。
あそびつかれて 木陰で おひるね。

ちびっこは 木が大好き・・・そう とても 大好き。
だから 木もうれしかった。

けれども ときは ながれてゆく。

ちびっこは すこし 大人になり 木は たいてい一人ぼっち。 

ところが ある日 その子が ひょっこりきたので 木は言った。
「さあ 坊や 私の幹に おのぼりよ。 私の枝に ぶらさがり
りんごをお食べ。 こかげで遊び 
楽しくすごして おゆきよ 坊や。」

すると その子は
「ぼくは もう おおきいんだよ きのぼりなんて おかしくて。
かいものがしてみたい。
だから おかねがほしいんだ。おこづかいを くれるかい。」
木は言った。
「こまったねえ。わたしにお金はないのだよ。
 あるのは はっぱとりんごだけ。
それじゃあ 坊や 私のりんごをもぎとって 
町で売ったらどうだろう。そうすれば
おかねもできて たのしくやれるよ。」

そこで その子は 木によじのぼり 
りんごをもぎとり みんな持っていってしまった。

木は それで うれしかった。

だが それから その子は ながいあいだ こなかった・・・
木はかなしかった。
ところが ある日 その子がひょっこり 
もどってきたので うれしさいっぱい
からだをふるわせ 木は言った。
「さあ 坊や 私の幹におのぼりよ。
わたしのえだに ぶらさがりたのしくすごしておゆきよ 坊や。」

「きのぼりしている ひまはない。」
おとなになった その子は 言った。
「あたたかな いえが ほしい。およめさんがほしい こどもがほしい。
だから家がいる。ぼくに 家をくれるかい。」

木が言った。
「わたしには 家はないのだよ。この森が わたしの いえだから。
だけど、私の枝を切り 家をたてることは できるはず。
それで たのしく やれるでしょう。」

そこで おとこは
枝をきりはらい 自分の家をたてるため みんな持っていってしまった。

木は それでうれしかった。

だが おとこは
また ながいあいだこなかった。
そして おとこがひょっこり もどってくると 木はうれしくて 
ものも いえないほどだった。
「さあ 坊や」 木はささやいた。
「さあ ここで おあそびよ。」 

おとこは言った。「としはとるし かなしいことばかりで いまさら 
あそぶきもちに なれないよ。
ふねにのって ここからはなれ どこか とおくへ いきたい。
おまえ ふねを くれるかい。」

木は言った。
「私の幹を きりたおし ふねを おつくり。 それで とおくに いけるでしょう・・・
そして たのしく やっておくれ。」

そこで おとこは 木の幹をきりたおし
ふねを つくって いってしまった。

木はそれで うれしかった
だけど それは ほんとかな。

長い としつきが すぎさって おとこが また 帰ってきた。
木は言った。
「すまないねえ。 坊や わたしには なんにもない 
あげるものは なんにもない。 りんごも ないし・・・」

「私の歯は よわくなって とても りんごは かじれんよ。」
「ぶらさがって 遊ぶ枝もないしねえ・・・」
「としよりだから えだにぶらさがるなんて むりなことだよ。」
「みきも ないから のぼれないしねえ・・・」
「とても つかれて きのぼりなんて!」
木はふっとためいきついて
「すまないねえ なにかあげられたら いいんだが。 わたしにはなんにもない。
いまの わたしは ただの ふるぼけた きりかぶだから・・・」

いまや よぼよぼの そのおとこは
「わしは いま たいして ほしいものはない。 
すわって やすむ しずかな ばしょが ありさえすれば
わしは もう つかれはてた。」
「ああ それなら」
と 木はせいいっぱい せすじを のばし
「このふるぼけた きりかぶが
こしかけて やすむのに いちばんいい。
さあ 坊や こしかけて。 こしかけて やすみなさい。」

おとこは それに したがった。

木は それで うれしかった。


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この物語が読者に訴えかけたいのはなんなんだろうか?


男の子 = 人間のエゴ?

木   = 無償の愛? 寛大な心?


最後に男の子はりんごの木の元に帰ってきた。
最後の最後になって男の子は気づいたんだと思う。
木はそれでうれしかったんじゃないかなってエンジェルカズキは思います。

この物語には、もっとなにか深い意味?が隠されてるんじゃないのか?
あなたはどうおもいますか?

 

 


天国からのビデオレター


とっも素敵なお話しがありましたのでご紹介します。


天国からのビデオレター  

 

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         「ある家族のはなし」


サキちゃんのママは 重い病気と闘っていました。

 

死期を悟って パパを枕元に呼んだ。

 

その時 サキちゃんはまだ2歳。

 

「あなた サキの為にビデオを3本残します。
 
 1本目はサキの3歳の誕生日に。
 
 2本目は小学校入学式に。
 
 そして3本目は・・・・・の日に見せてあげて下さい」

 

まもなくサキちゃんのママは 三本のビデオを残し天国へ旅立ちました。

 

サキちゃんの3歳の誕生日。

 

1本目のビデオが かけられました。

 

テレビ画面に 病室のママが映し出されました。

 

「サキちゃん お誕生日おめでとう。

 

 ママ うれしいなぁ。

 

 でもママはね テレビの中に引っ越したの。
  
 だから こうやってしか会えないの。

 

 パパの言うことをよく聞いて おりこうさんでいてね。

 

 だったら ママ また会いにいくからね。」

 

サキちゃんの小学校入学の日 2本目のビデオがかけられました。

 

「サキちゃん 大きくなったネ。

 

 おめでとう・・・。

 

 ママ うれしいな。

 

 どんなに この日を待っていたか。

 

 サキちゃん ちゃんと聞いてね。

 

 ママが住んでいる所は、天国なの。

 

 だから、もう会えない。

 

 パパのお手伝いがちゃんと出来たらママは もう1回だけ会いにきます。 
 


 じゃあ 魔法かけるよ。

 

 エイッ!

 

 ほうら サキちゃんは お料理やお洗濯が出来るようになりました。」

 

そんなある日 パパに義母がお見合いの話をもってきました。

 

パパは 再婚する気はなかったのですが 

 

サキちゃんの将来を考えて お見合いする事にしました。

 

パパが結婚の話をサキにした時 サキちゃんは自分の部屋に走って行き

 

「サキのママはママしかいないのに」とママの写真を見て泣きました。

 

サキちゃんが 結婚を受け入れないまま

 

新しい母親を 迎える日がやってきました。

 

この日が 3本目のビデオを見る日でした。

 

タイトルには こう書いてあったのです。

 

「新しいママが来た日にサキちゃんに」

 

それは サキちゃんが10歳の時でした。

 

「サキちゃん お家の仕事がんばったね。

 

 えらいね。

 

 でも、もう大丈夫よ。

 

 新しいママがきたんだから。

 

 ・・・サキちゃん。

 

 今日で 本当にお別れです。

 

 ・・・サキちゃん。

 

 今、身長はどれくらい?

 

 ママには 見えない・・・・・・。

 

 (ママの泣き崩れ カメラを抱え込む姿が映る) 

 

 ママ もっと生きたい・・・。

 

 あなたの為に 美味しいものをいっぱい作ってあげたい・・・。

 

 あなたの成長を 見つめていたい・・・。

 

 本当は サキちゃんと友達の話をしたり

 

 ボーイフレンドの話をしたかった・・・。

 

 ひと目でいいから、サキちゃんの花嫁姿を この目で見たかった・・。

 

 ・・・・・サキちゃん これがママの最後の魔法です。

 

 それは{ママを忘れる魔法}です。

 

 ママを忘れて パパと新しいママと新しい暮らしを作って下さい。

 

 では、魔法をかけます。

 

 1・2・3・ハイッ!!」

 

そこで ビデオは終わった。

 

サキちゃんは魔法の通りに、3人で仲良く暮らしました。

 

しかし最後の「ママを忘れる魔法」だけは 

 

サキちゃんにも パパと新しいママにも効かなかった。

 

ママは どんな事があっても忘れる事のない

 

“心の宝石箱”として ちゃんと残っていました。

 

 

 


『詐欺』『金庫破り』『暖かいスープ』


『詐欺』『金庫破り』『暖かいスープ』


3つの素敵なお話をシェアします。

 

 

「詐欺」

 

アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォはあるトーナメントで優勝し、
賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。
彼女は彼の勝利をたたえた後、
自分の子供は重い病気にかかって死に掛けているが
お金がないために、医者に見せることもできないのだ
と彼に伝えた。
それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」といって、
獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。
 翌週、彼がカントリークラブで食事をしていると
テーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが、君がトーナメントで勝った後、
そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。
「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。
結婚すらしていないんだよ。君はだまされたんだ」
「すると、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。
「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」と。

 

 

 

「金庫破り」

 

あるところに、開けられない金庫はないと言われる金庫破りがいた。
男の仕事はすばやく、都会の金持ちや警察に噂される人間だった。
男の名前はジミーバレンタイン。
 ある日、ジミーは田舎へ仕事に出かけた。それとなく街の様子を伺
いながら、銀行へ立ち寄ったとき、彼は出てきた女性に目を奪われた。
彼女は銀行の経営者の娘だった。
 その美しさに見せられたが最後、彼は仕事をすっぱり辞めた。
街の靴屋になった彼は、周囲にラルフ・スペンサーと名乗ることにした。
1年後、ラルフは彼女と婚約し、前途ある美しいカップルとして羨ましが
られた。
 結婚が迫ったある日、彼女の銀行に最新式の金庫が届けられた。
それを見に集まった人の後ろに、笑みを浮かべた一人の男が立っていた。
ジミーを追い、彼を捜し続けた探偵だった。
その時事件は起こった。
 大人達が金庫の前でナンヤカンヤと話している隙に、少女が金庫の中に
閉じこめられてしまったのだ。
泣き叫ぶ子供の声が響き、パニックになる母親。
「隣町まで行かないと、カギは開かない」
「その間にこの子は窒息してしまうわ!」
その時、若く美しい婚約者が彼をじっと見つめた。どうにかならないの?
その瞬間、彼の心は決まった。
彼は彼女の髪につけられていた薔薇のピンと取ると、友人に渡すはずだった
七つ道具のアタッシュケースを開けた。
唖然としてる周りを無視して、彼はいつものように金庫に向かい始めた。
5分ほどすると、金庫はいとも簡単に開いて、ドアが開いた。
歓喜の声が上がる中、彼はそっと銀行を出た…
その後ろ姿に探偵が声をかけた。
「どちらへ行かれるんです」
「やあ…あなたでしたか。丁度警察へ行こうと思っていたんですよ」
「…何のことを言っているんですか?末永くお幸せに、ラルフ・スペンサーさん」

 

 

 

「暖かいスープ」

 

フランスに、一人の日本の留学生がいた。
彼が渡仏したのは、第二次世界大戦が終結して間もなく、日本がオリンピックに
参加することもままならなかった頃のこと。
 彼が最初に訪れた下宿先では、彼が日本人と分かるや否や断られた。
「夫の弟がベトナムで日本人に虐殺された。あなたには何の恨みもないが
この家に日本人をいれたくないのです」
 その後住居は定まったが、貧しい学生生活を送ることになった。
彼は大学から少し離れたレストランで毎週土曜は夕食をとった。
そこは若い娘と母親が営む小さな店で、パリの雰囲気を漂わせていた。
彼は「今日は食欲がないから」などと言いながら、いつも一番安いオムレツを注文
した。
 ある夜のこと。通い慣れたそのレストランで、娘さんが黙ってパンを二つ出した。
パンは安いので、会計の時にそのまま支払うことにした。食事がすみ、レジの前で二
つ分のパンの料金を払おうとすると、他の客に分からないように人差し指を口にあて、
目で笑いながら静かに首を振り、一人分の料金しか受け取らなかった。彼は、かすれ
た声で「ありがとう」と言った。それ以降、いつも半額の二人前のパンが出た。
 何ヶ月か経った冬の寒いある晩。彼は無理に明るく笑いながら、オムレツだけ
注文した。店には他に二組客がいたが、どちらも暖かそうな肉料理を食べていた。
その時、店のお母さんの方が湯気の立つスープを持って近寄ってきて、
震える声でそれを差し出し、小声でこう言った。
「お客様の注文を取り間違えて、余ってしまいました。よろしかったら
召し上がってください」
小さい店だから、注文を取り間違えたのではないことくらい、よく分かる。
目の前に置かれたどっしりとしたオニオンスープは、ひもじい彼にとって
どんなにありがたかったことか。涙がスープに落ちるのを気づかれぬよう、
彼は一さじ一さじ噛むようにして味わった。

仏でも辛い目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、
私が仏を嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない。
人類に絶望することはないと思う。

 

 


エンジェルカズキは3つ目のお話のような出来事を、昔、リアルで体験しました。
このお話をよんで当時の記憶がよみがえってきました。
自分がしてもらったように、さりげない親切を人に、
たとえ見ず知らずの人にでも、これからしていきたいです。
そうすることが、自分がしてもらった親切にたいする、1番の恩返しだと今おもいました。
このことを、これからの生きる指針にしていきます。

 

 


新しいウサギとカメの物語


小林正観さんの本の中からお気に入りの物語を載せさせていただきます。


『 ウサギとカメ  』

 

もしもしカメよカメさんよ
世界のうちでおまえほど
あゆみののろいものはない
どうしてそんなにのろいのか

という歌詞で始まるウサギとカメの物語があります。


カメはこう答えました。

なんとおっしゃるウサギさん
そんんあらお前と駆けくらべ
むこうのお山のふもとまで
どちらが先に行き着くか

ウサギはこう考えます。

どんなにカメが急いでも
どうせ晩までかかるだろう
ここらでちょっとひと眠り
グー グー グー グー
グー グー グー

と、ウサギさんは寝込んでしまうのです。


その結果として、

これは寝すぎた しくじった
ピョン ピョン ピョン ピョン 
ピョン ピョン ピョン 

と追いかけて行ったのですが、すでにカメさんはゴールインしていました。

 

あんまり遅いウサギさん
さっきの自慢はどうしたの

と言ってカメはニッコリ笑うのです。

 

カメはウサギと駆けくらべをして勝利者となったのでした。


これがウサギとカメの物語です。
ここまでは良く知られた話。
ここから先は小林正観さんの創作話。

 

さて、月曜日にその競走をしたウサギとカメなのですが、
ウサギが「火曜日にもう一度競争をし直そう」と提案します。
カメさんは「ああ、いいよ」と言って、翌日また同じスタートラインに立つことになりました。
ウサギさんは、「よーい、ドン」の掛け声とともに
「今度は絶対に寝ないぞ」と覚悟を決めて、ピョン、ピョン、ピョン、ピョン、ピョン、ピョン、
全く寝ないでまさにあっという間にゴールインしてしまいました。
カメはゆっくりと、でも一生懸命走り、ウサギのあとに何時間もたってからやっとゴールインしました。
ウサギは「どんなもんだ。まともに走ればやっぱり俺の方が速いだろう」と自慢します。
カメは頭をかきながら「やっぱりウサギさんにはかなわないね。」と、こちらも微笑み返しました。

 

この物語はこれでは終わりません。

 

今度は、負けたカメがこういう提案をするのです。
「明日もう一回走らないか」
絶対に負けることがないであろうと完全に自信を取り戻した
ウサギさんは、
「いいよ、何回でも何十回でも挑戦を受けてやる」
といって、水曜日に3回目の競争にのぞむことになりました。
水曜日、2人は「よーいドン」でスタートします。
気を抜かないでちゃんと走ったウサギさんは、やはりあっという間にゴールインしました。
カメさんはそれから何時間もかかって、やっとゴールインするのです。
ところが、昨日は少しガッカリしたような顔をしていたカメさんが、
なぜかとても嬉しそうに、楽しそうにゴールインするではありませんか。
何時間も待ちくたびれていたウサギさんでしたが、
カメさんのこの上機嫌な顔を見てとても不思議に思いました。
そして聞くのです。
「なんで君は昨日に比べてそんなに楽しそうな顔をしているんだ」
カメは答えます。
「いやあ、昨日走った時間よりも、今日のほうがずっと速く走ることができたんだ。
 自己の最高記録を更新したと言うことなんだ。」
ウサギさんはこの言葉に衝撃を受けました。
そして、勝った方でありながら、ウサギさんは「明日の木曜日、もう1回走ろう」と提案するのです。
カメさんは快く引き受け、4回目の競争が木曜日に行われることになりました。
「よーいドン」
ウサギさんは、ただひたすら走り続けました。
カメさんはまただいぶ遅くなったのですが、ウサギさんはとても満足そうに、
ニコニコしてゴールのところで待っていました。
カメさんが汗をかきながら(カメが実際に汗をかくかは定かでありませんが)たどり着くと、
ウサギさんはニコニコしていて上機嫌な様子です。カメさんが聞きました。
「今日はずいぶん機嫌が良いのだね。なんでそんなに楽しそうなんだい」
ウサギはこう答えました。
「うん、昨日君に教えてもらったように、今日ぼくは一生懸命走って自己記録を更新したのさ。
 今まで出一番速くこの距離を走ることができたよ。ありがとう。」
「ああ、それはよかったね。」
と、この日は2人ともいい笑顔で終わりました。
さらにカメさんは、「明日も走らないか」と提案するのです。
「きっとカメさんは何か考えているのだろう」と思い、ウサギさんも快く承諾し、
またまた金曜日に2人で走ることになりました。
金曜日、スタートラインに立とうとしたウサギさんは見張りました。
カメさんが仲間をたくさん連れてスタートラインに並んでいたのです。
「みんなで楽しく走ろうと思ってね。ウサギさんといくら争っても勝てるわけはないから、
 ぼくの仲間を呼んできて、みんなで走ろうと思ったんだ。」とカメさんは言いました。
「ああ、それは面白い考えだ」とウサギさんは思いました。
もちろんウサギさんは全力疾走をして先にゴールしたのですが
一人で先に待っているウサギさんは、寂しさを感じずにいられませんでした。
それから何時間もたって、多くのカメさんたちがぞろぞろとゴールインしてきたのです。
みんな笑顔でおしゃべりをしながら、とても楽しそうに、ゆっくりゆっくりとゴールインしてきました。
 同じ競争をするのでも、こんなに楽しい競争の仕方があるのだ。
同じような仲間と走ったら楽しいのではないか?ウサギさんはそう考え、今度はカメさんにこう提案します。
「明日も、もう1回走ってくれないかい」
カメさんはもちろん「いいよ」と答えました。
そして土曜日。6回目のかけっこになります。
なんとこの日はウサギさんが仲間をたくさん連れてきました。
カメさんも仲間をたくさん連れてきたので、
二つのグループがそれぞれのグループで楽しみながら走ることになりました。
ウサギさんたちも速いのは速いのですが、全力疾走ではなく、
ジョギング程度の速さで、皆で談笑しながら走るのです。
もちろんカメさんたちも、話をしながら、途中で景色を見たり、
お弁当を食べたりしながら、ゆっくりと走り続けたのでした。
土曜日の夕方、レースが終わってウサギさんとカメさんはこう言うのです。
「明日の日曜日、もう一回みんなで集まらないかい」
「うん、ぼくもそう考えていたところだ。明日もう一度集まろう」
日曜日がやってきました。いよいよ7回目のレースです。
朝、顔を合わせた2人は、全く同じことを言い出しました。それはこういうことでした。
「よく考えてみたら、競い合って、比べあって、争いあって走り続けるのって、意味がないのではないか?
 ウサギはウサギ同士で、カメはカメ同士で楽しく走ると言うことに喜びや幸せを感じてしまったのだけれども、
 そういうふうにみんなが集まって楽しい時間を過ごすためには、
 何も競争というかたちを取らなくてもいいような気がする。
 みんなでお弁当を食べたり、景色を楽しんだり、咲いている花を愛でて、
 楽しい会話をし、助け合いながら何かをする。
 そういう時間がとても楽しいのではないだろうか?競争することに何か意味があるのだろうか」
結局2人はそういうことに気が付いたのでした。
「確かに僕たちは、最初に競争して走るということをしなければ、このことに気づかなかったかもしれない。
 でも、毎日競争しているうちに、こんな簡単なことに気が付いたのだね。」
そしてウサギさんとカメさんはニッコリと笑い、お互いに固くがっちりと握手をして別れたのでした。

 

新しいウサギとカメの物語が、21世紀初頭のこれから、始まるのです。


二人の天使

二人の天使

ステキなお話しがありましたのでシェアしたいと思います。
 
 
みんながちょっと動けば・・・大きく変わる!!
みんなを動かす、その最初の一歩は
一人のちょっとした行動からなんだと思いました。
 
このお話しを読んだあと、
自分の背中に翼があることに気づける人でありたいです。
 
 
 
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「無力と微力の二人の天使」
 
 
 

その街に二人の天使が舞い降りた。
 
その街に降りてから天使は十月十日眠り続けた。
 
目を覚ますと、天使は自分が天使であることを忘れていた。
 
天使が舞い降りたその街はゴミだらけの街だった。
 
あまりにものゴミの多さや、人の心に天使は悲しくなった。
 
 
 
 
 
一人の天使は自分を「無力」と呼び始めた。
 
一人の天使は自分を「微力」と呼び始めた。
 
 
 
 
 
無力の天使の口癖は
 
「私だけがゴミを拾ってもしょうがない」
 
微力の天使の口癖は
 
「私は私が出来ることをやってみるわ」
 
 
 
 
 
無力の天使はゴミだらけの街を見て絶望を感じて
 
街から目をそらして、毎日空をながめていた。
 
微力の天使は一度は絶望を感じたものの
 
一日一個、ゴミを拾い始めた。
 
 
 
 
 
一年後、無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。
 
朝日の美しさ、夕日の美しさ、虹がかかった時の素晴らしさ。
 
一年後、微力の天使は微笑んだ。
 
街から365個のゴミが無くなった。
 
 
 
 
 
それから一年、
 
さらに無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。
 
空や雲の変化を面白いなと見つめていた。
 
その頃、微力の天使は
 
毎日「ありがとう」って言いながら毎日を過ごしていた。
 
 
 
 
 
それは、微力の仲間がいっぱい増えたから。
 
「一緒に拾うよ、私の力も微力だけど」
 
10人の微力達が一緒に拾った。
 
一年たったら3650個のゴミが無くなった。
 
 
 
 
 
それから、一年、無力の天使は空の美しさだけでなく、
 
街の美しさにも気づき始めた。
 
街がピカピカになっていた。
 
なんと、街では1000人がゴミを拾っていて、
 
一年間で365000個のゴミが無くなって
 
大変の意味が変わっていたのです。
 
 
 
 
 
微力の天使は言いました。
 
「始めはゴミを拾うのは大変でした。」
 
「でも、今は拾うゴミを見つけるのが大変です。」
 
この街はある日から、ゴミを拾う人も増えたけど、
 
ゴミを捨てない人も増えたのです。
 
 
 
 
 
あの人が拾っているゴミは私が捨てたゴミ。
 
私はゴミを拾うことは出来ないけれど、
 
ゴミを捨てるのをやめよう。
 
微力の天使は誰も否定をしませんでした。
 
微力の天使は自分が出来ることをやっただけなのです。
 
 
 
 
 
無力の天使の心に変化が生まれました。
 
無力の天使の心から絶望が消えていったのです。
 
そして、無力の天使も「ありがとう」を言いました。
 
ゴミを拾ってくれてありがとう。
 
お礼に無力の天使は
 
微力の天使に空の美しさを教えてあげました。
 
 
 
 
 
次の日、二人の天使はゴミを拾いました。
 
正式には、ゴミを探すために歩きました。
 
しかし、ゴミは見つかりませんでした。
 
夕方になると、空がピンク色になりました。
 
素敵な空を見ながら、二人の天使は幸せを感じました。
 
 
 
 
 
ぴかぴかの街と、美しい空を見ながら
 
二人の天使は二つのことを学びました。
 
自分を無力という天使は言いました。
 
「あなたが動いてくれたから、この街は天国になったんだ
 
 天国は動いたら創れるんだね」
 
 
 
 
 
自分を微力という天使も言いました。
 
「私は下ばかり見ていたから空の美しさを知らなかった。
 
 でもあなたが空の美しさを教えてくれたから
 
 気づけたことがあるよ。
 
 それはすでにここは天国だということ」
 
 
 
 
 
今はすでに天国
 
そして、動けばさらに天国が増える。
 
二人の天使は少しだけ
 
自分の背中に翼があることに気づけました。
 
あなたは天使だよ。
 
あなたこそ天使だよ。
 
みんな天使だね。
 
この言葉を読んでいるあなたも天使。
 
そう、みんな天使。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
読んでいただいて、ありがとうございます♪
 
ステキな日本にしたいですね☆
 

※この詩は著者のてんつくまんさんから
 自由に転載引用してもらってもいいと許可をもらっていますので
 あなたの素敵な仲間にも広げていってください。