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第1話 殺しの依頼

 クルトの今回の依頼は人殺しだった。

  戦争とはまったく関係のない暗殺など、傭兵の仕事としては下の下だ。だがぜいたくはいえない。このところ仕事がなくて、安宿に泊まる金さえ尽きかけていたのだ。

  相手は、裏通りに安い部屋を借りて暮らしている男だった。ほんの七日前まで、ロベルトという大商人の館で下働きをしていたが、主人の不興を買ってクビになった若者だ。

  殺しの依頼をしたのはそのロベルトだった。

 標的となったアロンという若者は、ぼうっとしていてあまり仕事ができないのでクビになったとされていたが、それは表向きの話。ほんとうは主人になにか不都合なことを偶然知ってしまったのだ。

  それが何かは、クルトは知らない。知る必要もないことだ。

  ともあれ、主人だった商人は、その若者が他の使用人たちによけいなことをしゃべらないうちにとクビにしたものの、それだけでは心配でクルトを雇ったのだ。

  戦争で敵を殺すとか、護衛の仕事で暗殺者や強盗の類を殺すのならともかく、武器も持たない者を暗殺するのは、あまりいい気分ではない。仕事がなくて金に困っているときでなければ、まず引き受けないだろう。

  とはいえ、いままで金に困って何回か引き受けた殺しの仕事に比べれば、今回は気がラクだ。

  標的は、身寄りもなければ恋人もいない。友だちと呼べるほど親しい者もいない。とりたてて人に嫌われていたわけではないが、べつに好かれてもおらず、要するに影の薄い男だという。

 クビにする口実が「ぼうっとしていてあまり仕事ができない」だけあって、その通りの男らしいから、すぐに次の仕事を見つけるのも難しかろう。

  ほとんど金も持たずに職を失い、生きていく才覚に乏しい人間に未来はない。

 この若者がこの世から消え去っても、前途を惜しむ者も、悲しむ者もいない。食いつめる前にラクにしてやると思えば、それほど後味の悪い思いをしなくてもすみそうだ。

 そう思いながら、クルトはアロンの住まいを訪ねた。

 

 通行人がやっとすれ違うことができるていどの細い路地をはさんで古びた建物が並ぶ裏通り。その一角にアロンの住まいがあった。建物の横手の通廊にドアが並んだ形式の貸し部屋ばかりの建物である。

  教えられたとおり、一階の三番目のドアをノックすると、聞いたとおりの人相風体の若者が姿を現した。

「アロンさんだね」

 若者がうなずくと、クルトは彼の主人だった商人の名を告げた。

「解雇はしたが、七年も働いたのだから、慰労金を支払いたいということでな。届けにきたんだ」

 あやしむかと思ったが、アロンはすんなりクルトを部屋に入れた。「慰労金」を「口止め料」と解釈したのかとも思ったが、どうもそういうわけでもないような気がした。

 「よかった。給金とかほとんど貯めてなくて、これからどうしようかと思ってたんです」

 アロンは単純に元主人が善意で金を届けてくれたと思っているようだ。

 クルトはムカムカし、この若者を蔑んだ。

 クルトは生き延びるために人を殺しもしたし、だましもした。彼だけでなく、多くの者が人を蹴落とすことによって生きているのだ。そうする必要もないほど生まれつき恵まれている者は別として。

 だから、人を蹴落とすことができずに蹴落とされたり、疑うことを知らずにだまされるやつは、自分が悪いのだ。こいつにもっと才覚があれば、主人をゆすって金を出させ、刺客がくるまえに逃げることもできたろうに。そうできなかったのは、こいつが悪いのだと、彼は思った。

 クルトは、アロンに当て身をくらわして気絶させ、寝台に横たえて、持参した短剣を彼の右手ににぎらせて頚動脈を切った。

 ふつうに剣で刺し殺したほうがてっとり早いのだが、こんな裏通りの住民とはいえ、いちおう平和な町で人が殺されれば役人が調べる。だから自殺に見せかけろというのが、依頼人の注文だった。

 帰ろうとして、彼は半開きになった別室へのドアに気がついた。

 どうしてドアの向こうを確かめてみようなどという気を起こしたのだろうか。

 ドアの向こうは小部屋だった。ふつうならこの部屋に寝台を置いて寝室とし、こちらの部屋を居間にするところだろう。

 だが、アロンは、居間にすべき部屋に寝台を置き、小部屋には多数の絵を置いていた。ほとんどは幻想的な風景画だったが、数点だけ、同一人物と思われる美しい女を描いた絵もあった。

 絵の具もあったから、自分で描いた絵だとわかる。少ない給金を絵の具代に注ぎこんでいたのではなかろうか。

 絵を描くのは上層階級の趣味だ。芸術家を保護している国では、平民が工房に入って勉強して画家になり、領主に厚く遇されたりしているところもあるらしいが、この国ではまずありえない。

 いましがた殺したばかりのこの若者は、画家になる望みもなく絵を描き、かといって芸術家を保護している国に出向いて自分を売りこもうとする度胸も才覚もなかったのだ。

 それは自分が悪いのだ。

 いつもの彼ならそう思うところだが……。

 クルトはその部屋にあった絵に魅了された。風景画にも、人物画にも。

 とはいっても、そこにある絵が芸術的なのかどうか、もしも死んだ若者がしかるべき国にいって売りこめば認められたかどうか、クルトにはわからない。

 芸術なんてものは、彼にはとんと縁がなかったのだ。目の前にある絵の芸術的価値が高いのか低いのかなど、判別がつくはずがない。

 ただ、クルトはそこにあった絵に魅せられた。幻想的で美しい絵だったからか、それともずっとむかし、故郷の村に住んでいたころのことを思い出したからか。

 故郷の村には、五つほど年下で絵の好きな少年がいた。いつもぼうっとしていたし、体も小さくて力も弱かったので、同じ年ごろの少年たちによくいじめられ、村人たちにも見くびられていた。

 クルトもそいつをバカにしていたのだが、あるとき、その少年をからかってやろうとして、描きかけの絵をのぞいて目が釘付けになった。

 絵の具など買えず、草や花の汁で色を使って、いらなくなった板に描いた絵だった。

 とはいっても、じつはどんな絵だったか、それほどはっきり覚えているわけではない。ただ、きれいで幻想的で、見たこともない場所の絵だったのは覚えている。たぶん、もういちど見れば、あのとき見た絵だと気がつくだろう。

「それはどこを描いたんだ?」

 たずねると、少年は絵を奪われないように抱きかかえて答えた。何という名前だったか忘れたが、聞いたこともない国の名前だった。

「そんな国は知らないぞ。おまえだって、この村の生まれなんだから、そんな国に行ったことはないだろう?」

「目をつぶると見える。おいらの空想の国だ。どんなひどいことがあったって、だれがどんなことをしたって、おいらからこの国を取り上げることはできないんだ」

 いつもいじめられている気弱な少年が、このときにはとても強く見えた。

 いましがた殺した若者は、あの少年だったのだろうか?

 そんな考えがちらりと起こり、クルトは首を振って打ち消した。

 いや、まさか。偶然にしてはできすぎだ。郷里の村を遠く離れたこの都で殺した人間が、たまたま同郷の者だったなど。たぶん、よく似た性質の人間というのは、どこにでもいるのだろう。

 だいいち、ここにある絵のなかには、あの少年が描いていた絵は見当たらない。確信はないが、べつだん似ているわけではないと思う。それに、あの少年の名も忘れてしまったが、アロンではなかったと思う。

 幻想的な光景を描いた多数の絵と、ただひとりだけを描いた人物画。つややかな生成りの絹糸を思わせる髪と、たそがれどきの空を思わせる菫色の瞳の若く美しい女だ。どこかで似た人物を見たような気もするが、思い出せない。

 これらの絵は、郷里の少年が描いていた絵とは別人の手で描かれたものだという気がする。確証を持って言い切ることはできないが。

 それなのに、あの少年の絵を見たときの思い出がよみがえった。

 クルトが殺した若者があの少年と同一人物かどうかは関係ない。

 アロンというあの若者は、あの少年と同じように、だれがどんなことをしても取り上げられない世界を持っていた。だが、その世界は失われたのだ。クルトが彼を殺したために。

 クルトは、殺したばかりの若者のところに戻った。確実に仕留めたのはわかっていたが、もしやまだ息がないかと確かめずにはいられなかったのだ。

 むろん、若者はとっくに亡骸となっており、クルトは、仕事を難なく終えたというのに、やりきれない気分になりながらその家を後にした。 


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