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目次

 

田舎の星空    農民

 

コーラはじける    逢坂このみ

 

Trip Break 1    逢坂このみ

 

移り気    小楽

 

Trip Break 2    小宮理沙子

 

清く正しく    岡田朋之

 

土の中    きぬあさこ

 

Trip Break 3    藤谷りほ

 

秋風ゆれる    なかの空き地

 

Trip Break 4    岡田朋之

 

日々器晶とその畢生    七星黒乃


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最終更新日 : 2013-11-03 22:35:21

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎の星空


農民


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最終更新日 : 2013-10-25 14:19:42

少しだけ、聞いてほしい。

少しで済むわけがないんだけれども。

テーマは……そうだな、百姓、でいいかな。

 

春、まず最初に稲作を行うために行うのはなんなのか知ってるかな?

勿論、いきなり田植えからじゃない。水を入れることも違う。最初に田を起こさなきゃいけない。冬の間固まってしまった土をほぐすんだ。

そんなことは知ってるから早くしろって? まあまあ、そういわずに……ものには順序ってものが……。

とにかく、まずは田起こし。次に、水を入れると。それから起こした土を平らにするんだ。そうしてようやく田植えだね。

最近の技術だったら楽なもんだけども、これが江戸時代にはそうはいかなかった。ひたすら手作業なんだからね。田に足を突っ込んで腰を折り曲げ続ける。足を細かく動かせないから、その代わりに横着に体を動かしちゃってどんどん腰が痛くなる訳ですよ。

どうにかこうにか田植えを終えると、続いてはひたすら守る作業に入ります。まずは田に水をたくさん入れる。寒さから守り根を強く張らせ、雑草が増えないようにもできる。さらに水をあえて抜いて根を強くしたり。

後は肥料をまいたり、それでも生える雑草をとったりを繰り返しながら収穫を待つことになります。

そうして稲穂がつく季節、十分暑くなってくれることを祈って見守り、十分実ったところで稲刈りをすることになります。

ここも田植えの時と同じように、昔はひたすらに手間な作業でした。稲刈り、天日干し、脱穀まで人の手で運んで行わなければならないという信じられないような手間。それがコンバインを使ってしまえば脱穀までついでにやってくれるだなんていいもんです。

とまあここまでざっくりとお米ができるまでの解説をしたわけです、聞いてましたかね。正直内容はそんな重要じゃないんですけどね。大変だってわかってくれたらいいんですよ。馬鹿みたいに手間ばっかりかかって、人手も必要で、それでも作らなきゃならなかった作物なのが米です。

理論的なところを言えばきりがなかったりします。雨が降らなきゃ作れないとか貯蔵しやすいとか……。

で歴史的に言えば、年貢でしかなかったころから日常的に作られるようになるまで幅はあるけれども、一つ言えることがあるんです。ひたすらにコメ作りに専念してきた人たちが確かにいて、ひょっとしたら今もそうだし、これからも作り続けていくんじゃないかということです。

 

 

春。

田にはまだ前年に刈られた稲が残っている。雑草が寂しくまばらにしか生えていない。植物が乱雑に散らかっていて、およそ生命にあふれる瑞々しさはない。しかし畦道には対照的に力強く野草が生える。踏み込んで遊ぶことだってできる。走り回るには十分広大であるから子供の活気に包まれる。

そう思っていると田が掘り起こされている。日常の中に融けて主張していないので、本当に気付いたら強く濃く土の色が変わっているということになる。やがて水が張られて走り回れなくなり、田植えが済んで沢山の緑の点線が引かれる。普通は初夏になっているはず。

夏。

田植えの時期の苗は本当に小さくて細い。触る時には気を遣う。しかしその気遣いはなんだったろうかと思われるほどに早く、すくすくと、成長する。気付けば片手で握れないほどに、気付けば近くで立つには頭の方が広がりすぎて邪魔になるほどに。

水辺の生き物がどんどんと切り替わっていく。初めのうちは小さなオタマジャクシだとかを眺められる。アイガモが必要になるような育て方をしているなら多くの虫も共に観察できるのだろう。オタマジャクシだって成長は早い。気付けば足が生え、気付けば手も生え、それを見たときには既にカエルの合唱の中。熱帯夜のようであっても涼しいような気分になる。気分だけ。

秋。

力強く色濃い緑をひたすらに作り上げていた稲の様子は変わっている。稲穂をつけて、緑の田は黄金色にも染まる。そうした過程を経てきた稲はもう実りに実って倒れんばかりである。なんとなく心が躍るものだ。

蝉の種類がクマゼミからツクツクボウシに変わり、夕方なら外出しても苦にならなくなるころにはアカトンボが飛び始めるようになる。何か無性に寂しくなったりもする。目に刻もうと注意を向けるたびに、どこか稲刈りが済んだ所が増えていき、力強さの余韻ばかり胸に浮かんでくる。そうして、確かに主役を張っていた景色は終わる。変わる。

冬。

ここばかりは人によって思い浮かべる景色がまるで違うんじゃないかと思う。

季節がら外で走り回ろうとはまるで思わない。せいぜい異様な活力に振り回されて連れ出される程度。そうしていざ外に出ても、今までのように生命あふれる情景とはいかない。どうにもくすんだ灰色としか捉えられないような憎々しいまでの空の青さだけがある。

刈られた茎が地面に敷かれて、まだ希望はあったというのに、わずかな月日はそれをただの枯れた植物に変えてしまう。そして刈って残った茎から新しい稲が出てきて、気持ち青さは残る。先のない青さが。

ここまで、山脈を越えた先の話じゃないかと思う人もいるはずだ。さすがにあちらの側まで想像することはできないし、美化された雪景色しか見出すことはできない。

年に一度か二度だけ、強烈な寒気が流れてくることがある。それがきたときは皮膚ではっきりと痛いほどの寒さを感じ取れる。明らかに厚くて重い雲が頭上に来るのを知っている。その日の夜はどこか静かなことが多い。風の吹きすさぶ音がしない。しないことに気が付かないくらいに心地よく過ごすことができる。そして寝られる。

幼いころは期待だった。少しずつお約束としか感じられなくなった。最後には諦念と同情しか沸かなくなっている。ある意味では都市機能の停止こそ期待することだってある。

そんな朝、どこまでもだなんてスケールでなく、見渡せる大きさの白い絨毯があらわれる。そこは、遊び場だ。

どんどんと童心のままに行動することは減ってきた。それでもあそこは、自分の心に呼応して幾らでも楽しみ方を提供してくれる、最高の非日常であったように思う。

雪が敵でしかない生き方は、実感できない。

 

日常の中にだけでもこの繰り返しはどこか安心させられるものを感じていた。冷夏、とか酷暑、とか身をもってのみならず視覚でも感じられて、普通の春夏秋冬がむしろ喜びでもって迎えられた。

私は農家にはならないので、思いを馳せることでしか彼らを体験できない。

でもきっと、美しい星空と変わらない日常こそが喜びだっていう生き方が確かに広がっているんだろうな。

日々の変化にはできる限り合わせようとするんだ。だけど合わせている限りは限界が来る。そして自然のままに育つものでもないから、どうにも限界を見つめながら変わらない日々の為に命を削らなきゃならない。

そこで生きる人々は革新を求めない。多くを負いすぎていて守るしかない。このままでもいいと思っている。ここで生き続けて、ここで朽ちていくように思っている。

そうして長い月日の中に自身を混ぜてしまうことが、彼らにとってはただ、苦痛でなく幸福だった。

カレンダーの予定欄に載せられるような未来と、予想したってしょうがないような無力で突発的な未来しかない。私はそこから飛び出した。飛び出せない人もいる。でも、飛び出そうとしない人たちの力で日々は回り続けているんだから、ずっと無変化を繰り返してく。

耐えられないのは程度問題で有って、私も、同じように芯からの変化なんて望まないっていう思考を核心としてる。

だから、何時見ても素晴らしく思えるものを何度も見返しながら生きる。過ぎたものは振り返らないのではなく、踵を返して見つめて懐かしんで愛でる。

 時の流れは悲しむものでも惜しむものでも焦るものでもなく、ただ受け入れるものでしかない。


3
最終更新日 : 2013-11-03 20:44:34

「……とまあ、こんなところでしょう。御静聴、ありがとうございました、っと」

ひたすらどうしようもなく長い大演説、もっと言えば大・演説をぶちあげた。自信はない。しかしやりきったはずだ。軽くどころか大いに満足だ。

しかしこいつのリアクションは……。もうちょっとなんかあるだろうが。待機か。待機なのか。

「で」

 で、とは。

「それが、どういう、」

ちょっと待ってどこにその感情を隠してた。

「この夏休みにな、なんっにもせずにひったっすっらグダグダしていた、どういう言い訳になるってんだっ」

 怠惰をなじられ続けて何とか反論できないかと捻り出したこの大作を、一つの要素も拾わずに怒気にまかせて切り捨てられた。旅行してきたと嘘をつくために家でこんがり日焼けした昔の風流人だって切り裂くにちがいない。

 そういうことではない。

 と言おうとしてさらに飛んでくる怒りにまみれたなじり。

過ぎた時間は戻ってこないからこれから云々。

 そういうことではない。

 懺悔である。

 自身の罪に至る論理を、ひたすらにものに例えてみたに過ぎない。

 生産性の無さは、変わらないこととは何も関連が無くて、もうほんとうになんかごめんなさい。

 変化を望んで、歩き出して、疲れて、立ち止まっていたらそこから動けなくなって、それがどこか心地よくて。

なじりは聞く気はない。わかってる。

 

 口だけの叱責だったのが鉄拳制裁に移り変わりそうだったのでモード変更。お話を聞かなきゃならない。こんなことでも、やっぱり楽しい。



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最終更新日 : 2013-11-03 09:20:10

 

 

  

 

コーラはじける


逢坂このみ


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最終更新日 : 2013-11-03 09:28:22


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