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大統領の料理人

2013年9月13日鑑賞
シェフ殿、レシピが間違ってますよ。

これはちょっと珍品と言えるでしょうね。
ネタはものすごくいいんです。
なにせフランス大統領のお抱え料理人のお話。
舞台は大統領が普段執務するエリゼ宮、宮殿ですよ。
舞台装置は最高。
それにこの料理人、女性シェフであり、後に「南極料理人」

になってしまうわけですから。こんなドラマチックな経歴を持った料理人はいないわけです。
それをモデルに映画を撮る。
面白くないわけが無い、と誰もが思いますね。
ところが、料理に例えると、最高の材料を最悪のレシピで料理しちゃった、ということなんです。
たとえば、寿司ネタの上にチョコレートソースがかかったものを食べられますか?
どんな後味になると思いますか?
想像してみて下さい。この映画まさにそれをやっちゃったんですね。
 

この作品、まずは南極料理人の務めを終えて、そろそろフランスへ帰ろうかという、主人公オルタンスの描写から始まります。なにせ、元は大統領の料理人です。マスコミが南極まで取材にやってくる。最初は取材を嫌がっていた彼女ですが、やがて、エリゼ宮でのめまぐるしい日々を回想し始めるのです。
本作は回想シーンがあるため、時間軸が現在と過去をしょっちゅう行き来します。編集がイマイチなんですねぇ。ストーリーの流れがぶつ切りになってしまう。
もし僕が監督なら、冒頭と終盤に、南極でのエピソードをまとめて、中盤にエリゼ宮での大統領料理人としての、エピソードを集中させたいですね。
たぶん、ミッテラン大統領の頃のお話だと思うのですが、本作の大統領を演じた役者さん。この人は実にいい味出してます。誠実なんです。ちっとも偉ぶらない。本物のミッテラン大統領は、確か在任中は、「カエルのミッテラン」
と風刺されるぐらい、なかなかの「たぬき親父」だったと記憶してます。むしろこの役者さんのほうが、よほどの人格者のように感じましたね。大きな懐で、この作品を救った立役者だと僕は感じました。
肝心の料理の方なんですが、大統領のお好みはちょっと田舎風の、シンプルな「おふくろの味わい」が大好き。でも、公式晩餐会では、とてもそんな料理は出せない。
本作で始めて知りましたが、エリゼ宮には厨房がいくつかあり、メインの厨房では一流のシェフ達が腕を振るっています。もちろん外国の賓客にお出しする「よそ行きの」料理なわけですね。大統領は、そんな料理にうんざりしてました。そこで、プライベートな食事については、家庭料理を楽しみたいということで、主人公オルタンスが大抜擢されたわけです。しかし、メインの厨房からは、当然ながら猛反発がある。彼らは一流のシェフなのです。自分たちの領分を、フランスのド田舎に住んでいた、元いち主婦の料理人に明け渡してたまるか、という自負があるわけです。さらには、彼女が使う材料のコストにも、お役人サイドから文句が出ます。一人の女性料理人を巡って、エリゼ宮内は徐々に内紛状態に陥っていきます。どんどん居場所がなくなる主人公。やがて、四面楚歌となった彼女はエリゼ宮と、大統領に別れを告げるのです。
彼女にしてみれば、よほど、地球の最果ての地、南極で、自分の料理を喜んでくれる、むさ苦しい男達の中で働く方が、心楽しい日々だったのかもしれません。
いずれにせよ、映画作品として、せっかくの最高級の素材、いやぁ~、実にもったいない料理のレシピでした。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   クリスチャン・バンサン
主演   カトリーヌ・フロ、
                  ジャン・ドルメッソン
製作   2012年 フランス
上映時間 95分

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
 
 
 
http://www.youtube.com/watch?v=GQdYgriw-n8

夏の終り

2013年9月12日鑑賞
まるでバルテュスの劇的瞬間

原作未読で鑑賞したが、まさかここまで抽象的な性格の映画に仕上がっているとは知らなかった。
主演の満島ひかり。スクリーンに映し出される、美しい顔の陰影。共演の小林薫、綾野剛も同様に、ややセピア色の陰影を伴って登場する。


この作品を鑑賞しながら、僕はまるで「バルテュス」の絵画を観ているような錯覚を覚えていた。
ご存知の方も多いと思うが、バルテュスの絵画は、ある劇的な瞬間、或いは「超現実的」な瞬間を、キャンバスの中に閉じ込めたような印象がある。
また、バルテュスの絵画には、未成熟な少女が「オンナ」へ脱皮しようとするスリリングな瞬間や、その空間を客観視しているような猫が登場したりもする。
本作の「夏の終わり」では、「劇的な瞬間」も「艶かしい少女」も「猫」も登場する。まるでバルテュスの絵画そのものだ。

満島ひかり演じる主人公は、恋多き女である。
彼女は夫と子供を捨て、妻子ある小説家の愛人となった。生活を共にし、それと同時に、小説家の知人の若者にも恋をしてしまい、関係を持ってしまう。

印象的なシーンがある。落ちた果物。果肉も果汁も飛び散っている。それに群がる無数の蟻の群れ。
彼女は正にこの蟻達である。どこまでも果肉を、果汁を貪欲に求める。
「だって好きなのよ!!」と愛を叫んでしまう。


彼女は自分自身が「禁断の果実」をむさぼり喰らう「原罪」の塊であることをよく理解している。だが、理性で抑えようとしても、抑えられない情念とでも言えるものがある。
なにより、自分の内面から発する情念に、あまりにも正直で素直なのだ。世の中と折り合いをつけて、自分にうまい嘘と言い訳を付けて、日々の生活をやり過ごす、なんて言う、一般人が持つ、ある種の「毒」の部分がまるでない。
あまりにも純粋に愛を求める。
彼女は、そんな一般人からは「悪女」にしか見えない。
そこが彼女の不幸であり「業」(ごう)ともいえるのである。
その「業」を映像で表現しよう、というのが本作の狙いであると読み取った。
「女は子宮で考える」という言葉があるが、この映画で表現されるのは「肌」の感覚である。
肌と肌が触れあう、その質感と陰影。肌と肌が伝える愛情や言葉以上のもの。それこそが、劇的瞬間をキャンバスに閉じ込めることに成功した、バルテュスの絵画のようだと、僕には思えた。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   熊切和嘉
主演   満島ひかり、小林薫、綾野剛
製作   2012年
上映時間 114分

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。


http://www.youtube.com/watch?v=Za1ZbnGZUZA


許されざる者

2013年9月19日鑑賞
李監督はハリウッドに押し切られたのか?

李監督とハリウッドがタッグを組んだこの作品。スクリーンに映る画のタッチが、今までの李監督作品と違うように感じました。
ワーナーブラザーズというネームバリューにふさわしい作品を、という配給側の意向があったのかもしれませんね。制作総指揮には、ちゃんとハリウッドの人物が入ってます。
そのせいなんでしょうかね。
とにかく「大作が作りたかった」と言う感じがひしひしと伝わって来ます。
それに伴い、演出がやや過剰である感じが否めないのです。
今までの李監督なら、こんな饒舌でドラマチックな絵は撮らなかったと思います。音楽も同様に冗長ですね。
「フラガール」にしろ、「悪人」にしろ、ちょっと作中人物を突き放すような、客観的な視点を持つ事によって、むしろ作品に深みが増しているように感じられました。
本作は何もかもが大袈裟で大層で大掛かりな雰囲気があります。しかも主観的な絵作り。


主演はハリウッドで活躍する「世界のKen Watanabe」(渡辺謙)なわけですし、広大なロケ地に、オープンセットを作り、北海道の開拓村を丸ごと一つ作ってしまったわけです。
美術スタッフは本当にいい仕事をしています。
女郎屋を兼ねる旅籠、居酒屋のセット。二階に上がる階段のその磨り減り具合に僕は注目しました。階段の踏み板の真ん中が下に湾曲しています。いかにも使い込んだ感じ。こういう丁寧な仕事、いいですねぇ。 かつての黒澤組を彷彿とさせる美術スタッフの頑張りが、ちゃんとスクリーンに映画の魂を吹き込みました。
そしてトドメは、今やハリウッドの巨匠、クリント・イーストウッド監督の「許されざる者」のリメイク。まあ、作品を撮る方としては、肩に力が入って当然と言えます。
本作は、日本の少数民族アイヌの視点を取り上げているのが印象的です。
これは、少数派の弱いもの達を、多数派が寄ってたかっていじめる、という図式のデフォルメ。言ってみれば、いくら文句を言っても聞く耳を持たない、日本政府と沖縄という関係に置き換えが可能なわけですし、穿った見方をすれば、李監督自身の出自と、日本での立ち位置という、デリケートな問題を作品に投影させたと言えなくもないのです。
物語の主人公、十兵衛(渡辺謙)は罪深い男です。人を何人も殺してきました。しかし、殺さなければ、自分が殺されたのです。やがて世間は、彼を「人斬り十兵衛」と呼ぶようになりました。
最果ての地、北海道の、荒れて痩せた土地にしがみつくようにして、土に向かい、畑を耕す十兵衛と彼の子供たち。
広いスクリーンいっぱいに広がる、荒涼とした大地。沈みゆく夕陽。そこにポツリと建てられた「家」と呼ぶには余りにも粗末な堀立小屋。
妻に先立たれた十兵衛。幼い子供達をなんとか食わせてゆけないものか……。
そんな時に現れたのが、かつての仲間、金吾(柄本明)でした。
「いい話がある、賞金稼ぎをしないか」
女郎を切りつけた男二人を殺せば金が出るというのです。
「お前さんなら、簡単な仕事さ」と金吾は誘います.
せっかく植えた芋は、痩せていて食べる事もできない。子供を飢え死にさせるわけにはいかない。やむなく十兵衛は、金吾と共に人を殺すための旅に出るのです。
女郎達が住んでいる村。そこを牛耳る権力者、警察署長。これを佐藤浩市が実に憎たらしく演じています。
この作品、登場人物のほとんどが、悪人であったり、スネに傷持つ人物ばかりです。
明治初期の北海道開拓、蝦夷地。それは、まるでアメリカの西部劇のように、アウトロー達を登場させるにふさわしい状況と言えるのでしょう。
村の治安維持は警察署長のやりたい放題。
武器を持ったならず者、と見なされた金吾は、警察に捕まり、なぶり殺しにされてしまいます。
仲間を理不尽に殺された十兵衛は、ラストシーンで彼ら警察に殴り込みをかけます。
それこそ「バカを承知の殴り込み」です。この辺りのタッチ、まるで高倉健さんの任侠映画のようです。


十兵衛は、自分はもう生きて帰れない、と覚悟を決めています。その覚悟を決めた時の表情。これぞ「人斬り十兵衛」の目付きです。
まさに人を何人も、何人も殺して来た殺人鬼の目付きです。渡辺謙の眼力の凄さに、改めてすごい役者さんだなぁ~と感心してしまいます。
こういうゾクッとするような演技を演れる役者さん達の熱気。狂気。それにつられて思わず李監督も、演出上「行っちゃう」んでしょうね。
怒りを溜めて溜めて溜め込んで、最後に爆発させる。その姿は西部劇の名作「シェーン」を思い起こさせます。自分が世話になったひとつの家族、一人の父親を、人殺しにさせるわけにはいかないと、決闘に向かった伝説のガンマン、シェーンの背中と、渡辺謙の姿が僕にはダブって見えました。
北海道の広大な風景をバックに、重い十字架を背負った人間達のドラマを、渡辺謙、柄本明、佐藤浩市といった、日本を代表する役者達の渾身の演技で味わい尽くす。骨太で重厚な味わいの作品なのでありました。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆☆
配役 ☆☆☆☆☆
演出 ☆☆☆
美術 ☆☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆
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作品データ

監督   李相日
主演   渡辺謙、柄本明、佐藤浩市
製作   2013年
上映時間 135分

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。


http://www.youtube.com/watch?v=O3hHMSqHgpw


そして父になる

2013年9月24日鑑賞
より善く生きようとする家族のために


カンヌ映画祭で絶賛された本作。先行上映会で鑑賞した。映画の作り方、やっぱり是枝監督うまいなぁ、というのが率直な感想。
たとえば、これってちょっと思わせぶりなカットじゃないの、と思うシーンがいくつかあった。ぼくは、そういう、映画作家の作為が露骨に表に現れた作品は大嫌いだ。
だけど本作は「これはちょっと……」と思った正にその瞬間、次のシーンに移っている。まるで、観客である僕の心を読まれているかのようだった。それはもう、絶妙のタイミングであり、お見事な編集としか言い様がない。

 


なお、映画作家としての主張ある絵作りと、映画作品の完成度は決して比例しない。どんな芸術作品でもそうである様に、熱っぽく伝えようとすればするほど、その監督の意思表示は、観客を置き去りにした、ただの独りよがりとなる。
この作品では、それが全く破綻しない形で、監督の意思表示がなされているのだ。
物語は子供を病院で取り違えられた、ふた家族の話である。
片方の父親(福山雅治)はエリートサラリーマンだ。6歳になる一人息子と奥さん(尾野真千子)の三人家族。都心の一等地の高級マンション住まい。情操教育のためだろう、子供をピアノ教室にも通わせている。だが、我が子はあんまりピアノが上手くない。
父親は仕事が生きがいだ。息子と一緒に風呂に入ることもない。
「自分の事は自分で出来る子供に育てる」が父親のモットーだ。しかし、実のところは、家庭よりも、仕事にウエイトを置いた生き方をしていたい、という本音もチラリと見えるのだ。
もうひとつの家族は対象的に、庶民的な田舎の電気屋である。子供は三人いる。家計は苦しいようだ。奥さん(真木よう子)は弁当屋のパートの仕事をしている。父親(リリー・フランキー)は子煩悩で、子供と一緒に風呂に入るのが楽しそうだ。手先が器用なのだろう。子供が壊れたおもちゃを持って来ても、嫌な顔もせず、自分も楽しそうに直してみせる。
このふた家族に病院から知らせが入る。
「六年前、お子様を取り違えていました」と。
いまさら……なんで……
いまどき、そんな初歩的なミスが起きるなんてと、彼らは耳を疑う。
家族はDNA鑑定を受けた。
発達した最先端科学は冷酷な現実を突きつける。
「生物学的に、あなたのご子息ではありません」
やがて、ふた家族は弁護士を立て、病院と裁判沙汰になる。その間にも、ふた家族の交流がギクシャクしながら続けられてゆく。
厳しい現実を前に、ふた家族は一歩前へ踏み出そうとする。
お互いの子供を週一回交換して、将来のため、新しい生活に慣れさせようというのである。


この作品で最も印象的なのは、子供達の実に自然な姿である。
是枝監督こだわりの演出術なのだろう。
子供達はとても演技しているとは思えない。自然な表情がスクリーンに映える。
無邪気に遊んでいる子供達。この子達にはなんの罪も無いのだ。
この子達のために何ができるのだろう。
この子 達に向かって、厳しい現実を、一体、どう伝えたらいいのだろう?
 自分だったらどうするのだろう? と、いつの間にか、つい自分に降り掛かって来た災難の様に感じてしまう。
しかし、これは紛れもなく映画である。映画とは嘘っぱちの作り物なのだ。
しかし、観客である僕達は、この嘘っぱちの世界に見事に引きずりこまれる。
是枝監督の演出は、一見、何も作り込んでいないように見える。しかし、出来上がった作品は、こんなにも観客の心を捉えてしまう。
これぞ「是枝マジック」と言っていいと思う。
当初は対立していた両家族。ダンナ達はそれぞれ、仕事や、ステータスや、示談金にこだわったりする。
それに比べ、お互いの奥さんは、やがて、心を通わせてゆく。
自分がお腹を痛めて産んだ、紛れもない我が子を、六年間育ててくれた人。
それはお互い、今、目の前にいるこの女性(ひと)なのだ。
この辺りの、父親、母親の皮膚感覚の違い、温度差。子を産んだ女と、その夫と呼ばれる男の間にある、深くて暗い溝を是枝監督はさりげなく描いてみせる。
「家族」というのは一見、大人たちによって作られている様に見える。
だが、実は家族は、子供の成長と共に「家族という共同体」そのものが成長してゆくのだ、と改めて感じさせられる。
是枝監督は、その家族の成長をじっと見つめている。そこに感じるのは、人間の悪意を見つめるのではなく、善性を見つめる姿勢である。
この作品が、見終わったあと、なにかスッキリとした心地よい余韻が残るのはそのためだ。


この作品を一言で語るなら
「より善い家族になろうとする人々」
のお話なのだ、と僕は思う。
アニメ界の巨匠、宮崎駿監督は言う。
「子供達に、この世界は生きるに値するんだ、と伝えたい」
本作の是枝監督は、宮崎駿監督と同じような、強い覚悟を持って、人間の善性を圧倒的に肯定している。
人間の悪意を描く作品は多くある。しかし、人間の善性を固く信じて作り上げた映画は、今やそれだけで貴重な作品なのだ、と僕は固く信じたい。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆
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作品データ

監督   是枝裕和
主演   福山雅治、尾野真千子、
     真木よう子、リリー・フランキー
製作   2013年
上映時間 120分

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。


http://www.youtube.com/watch?v=sRGhEzALb4w


劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日

2013年9月27日鑑賞
歴史を生き抜いた、名も無き人びと


いわゆる企画ものなんですね、この映画。こう言う類いの映画は、普通僕は敬遠します。だけど、テレビシリーズの「タイムスクープハンター」は毎回楽しみに見てました。それが映画になる。これは劇場で見る価値あり、と思いました。
「タイムスクープハンター」を初めてテレビで見た時
「んんっ!!」と目が釘付けになりました。
「おおっ、このチョンマゲは?!」
今までの時代劇の時代考証と明らかに違う。これはリアルだ、と感激しました。あの黒澤明監督は「七人の侍」を撮るときに、戦国時代にふさわしい特注のカツラをわざわざ作らせるほど、時代考証を大切にしていた監督さんでした。そのこだわりが平成のテレビの世界で受け継がれている。これはなんとも嬉しかった。と同時に、映画界は何をやってるんだ! と思った次第です。
さて本作は、様々な時空にワープして取材し、時代の真実の姿をスクープする「時空ジャーナリスト」沢嶋(要潤)の目線で描かれるお話です。

 


なによりうれしいのは、この主人公が取材対象とするのは、歴史に埋れてしまいがちな、庶民たちの姿である事です。
僕は興味があって平安時代のことを調べています。源氏物語や、貴族の資料、文献はそれこそ、掃いて捨てるぐらいある。ところが、平安期の庶民の記録は皆無に近いのです。
なんでだろう? いろんな文献を当たり、絵巻を見たりしました。無い頭を絞って、う~んと唸って考えていると、ふと気がつきました。
「文字」です。
「庶民は、読み書きができなかった」
実にアホみたいに、簡単な事でした。
だから記録が残っていないのです。
おそらく庶民たちが読み書きを習える様になったのは、江戸時代頃からなのでしょう。
本作は安土城最後の一日に迫ります。なぜ安土城は燃えてしまったのか?
織田信長が本能寺の変で、歴史の舞台から姿を消した直後の京の街。
そこは無法地帯になっていました。
本能寺の変の前日、信長は茶会を催していました。そこに招待されていた博多の豪商(上島竜平) 彼は本能寺の変のまさに真っ只中にいた、歴史の生き証人でした。彼の懐には、戦火をくぐり抜けた大事なお宝がありました。それは信長が愛した茶壺です。
「これひとつで国が一つ買える」とまで言われた名品です。
タイムスクープハンターは彼に密着取材を試みます。旧織田家側の武士(時任三郎)と合流した彼らは、武士の警護のもと、博多の豪商と「一国が買える茶壺」を明智軍や、野武士、盗人がいたるところ出没する中、敵中突破を図ります。彼らは豪商を無事、博多まで送り届けられるのでしょうか? そして、安土城焼失の謎は?

 


時代考証というのは、本当に重箱の隅を顕微鏡で探る様な作業です。しかも、重箱の隅の砂粒一つの位置が違えば、周りから文句を言われる、そんな分野です。
ただ、時代考証の面白さは、やはり、「その時代、人はどう生き抜いたのか?」という人間への興味なのです。それは人間そのものを見つめる作業なのです。いわば人間という「本丸」へ迫る為に、「時代考証」という「外堀」をコツコツ手作業で埋めてゆく作業なのだと思うのです。
「タイムスクープハンター」テレビシリーズの面白さの秘密は、正にその時代に生きた、名も無き人々の息づかい、ため息までも、資料の行間から読み解こうとする姿勢にあるのです。
彼らはどんな服をきて、何を食べ、どんなところに住んでいたのでしょう?
そして、彼らは何を祈ったのでしょう? 心の拠り所はなんであったのでしょう?
どんな時代にも言えることだと思いますが、人の生き方に、正解はないのだろうと思います。
人間は多面体です。ある光線を当てれば善人に見え、その影の部分では悪人でもあります。
古えの人の生き方を、謙虚に見つめ、学び、より善い生き方を学びたいものです。それが歴史を学ぶ大きな醍醐味だと思います。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆
演出 ☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆
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作品データ

監督   中尾浩之
主演   要潤、時任三郎、上島竜兵、杏、夏帆
製作   2013年
上映時間 102分

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。


http://www.youtube.com/watch?v=YveUHqxYUZs



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