閉じる


<<最初から読む

5 / 19ページ

試し読みできます

新入社員の秋元美織Two years before

  秋本美織は、一ヶ月の研修期間を終えて、小林株式会社の経営企画室に五月に配属された。六ヶ月間は見習い期間だが、臆することなく着々と先輩について業務内容を学んでいった。経営企画室は、唐沢浩二社長の経営に関する打ち出しをサポートし、その経営方針や理念を的確に会社組織や社会に向かって周知徹底し、実行指揮をとる部門である。人間で言えば、頭脳の部分にあたると言えるであろう。豊のいる広報室はその中枢部門から社内、社外に向かってわかりやすく情報を知らせる部門である。人間で言えば口で語ることであり、身振り手振りの振る舞いであり、手で書くことであり、キーを打ちメールを発信し、フィードバックしてくる貴重な現場の声を咀嚼する部門である。つまり経営企画室と広報室は、非常に似通ったエリアの中で仕事を持ち、経営者と一体にならなければならない重要部署であった。そして八階のフロアは、唐沢浩二社長を中心に、揺れる戦艦のようであった。

  豊は時々経営企画室の部屋に入ることがある。あの時、ファインダー越しに見て美しいと思った新入社員の秋本美織が、一生懸命にパソコンに向かっている姿を見ると心が弾んだ。睦子に似た大きな瞳と、その上品な顔立ち、仕草、声の響きに、心が洗われるような気がした。睦子を失ってから、一年半以上過ぎても傷は癒えなかったが、美織はその傷口を優しく包むような力があった。

  ある日、豊は小林株式会社のホームページに入った株主からのメールを、IR担当の美織に転送した。その時、事務的な言葉の他に、一言副えた。豊の美織に逢えた嬉しさが文章からにじみ出ていた。

 

  尊敬する美しい秋本様

 

  今日はまた笑顔の貴女を拝見できてうれしく思いました。

  広報室の片山さんも貴女の笑顔は素晴らしいと話をしておりました。

 

  今日の新聞のコラムに六秒と六分という話がありました。人間は出会った瞬間の六秒で相手を判断するといわれているそうです。

  警戒する人か良い人かを判断します。中でもその時の笑顔が一番相手の心を溶かすそうです。

  良く笑顔でも目が笑っていないとかありますが、顔の筋肉四十四本を総動員して素直に笑うと相手を感動させますね。

  六分というのは色々やり取りをする時間ですが、この時間でほぼ相手を特定してしまいます。

  このときに飾らない素直な笑顔が相手を魅了するのは自明の理でしょう。つまり心根の美しい人は自然にそれができるのでしょうね。

  まさに秋本さんはそんな素晴らしい人です。

  ――といつも思っている大ファンの竹内でした。

 

  夕方、外出先から帰った豊が、パソコンの着信メールの表示があったので、少しドキドキしながら開くと、思いがけない優しい言葉が心を揺さぶった。

 

  尊敬する竹内様
 

  ありがとうございます。 どうこの喜びを伝えられるのか・・・・・・。 感謝してもしきれないくらい、すごく嬉しかったです。 竹内さんからのメール、とっても感動しました。 元気が湧き出てきました。
  最近は、見習の美織にも、いろいろな仕事が入り、ばたばたと忙しくなってきました。ですから少し精神的に煮詰まるとふっと気を許し、癒されることを期待して広報室に行くのですが、冗談を交わす竹内さんがいないと、寂しく思ったりすることもあるんです。
  でも豊さんのメールに本当に元気付けられました! ありがとうございます。 やっぱり『笑う』って大切なことですね。 竹内さんの文章には、人の心をほぐす力があります。 私は竹内さんから勇気と元気をいただいている一人です。 これからもずっとずっとお付き合い下さいね♪
  竹内さんからのメール、大切に保存しておきます。 めげそうになったとき、メールを読んで、また元気いっぱいに仕事ができるようにしますね☆
                                                                                                          秋本


  豊は彼女の飾らないストレートな感謝の言葉、思いがけない尊敬を含んだ言葉に心が震えた。睦子と別れてからの日々の苦しみが、少し記憶の彼方に押しやられるような気がした。 

  数日して、豊はまたホームページに入ったIR関係の顧客メールを、美織に転送する際、私信も添えた。  

 

  いつもすがすがしいお美しい美織さま

 

  最近考えていること書きます。

  心配性のA型気質の呟きです。

 

  ●将来起こる不安にさいなまれる日々に対抗するため

  ――生きていることへの感謝、幸せな気持ちを先送りしないために――

  そのためにはほんの少しの練習で済みます。

 

  一 感謝の気持ちを思い出す

  今まで会った人たちへの感謝を思い出す訓練をしましょう

 

  二 楽観的な生きかた

  楽しい理想の生活をたくさん思い浮かべてみましょう

 

  三 自分の長所を伸ばす

  美織さまの優しいところ、へこたれないところ、明るいところなどをイメージしましょう

 

  四 幸福を感じた出来事を数える

  家族や友人や恋人との楽しい時間や何かに成功した瞬間を心によみがえらせましょう

  

  五 一番大事なこと、他人のために尽くす自分

  周りの人たちが喜ぶことをしてあげることや、大きく言えば社会に貢献することによる充実感を味わいましょう

 

  以上、ここ一年ほど豊が鬱の状況でしたから、それから抜け出すために考えたことです。

  ※複数の大学の研究機関のデータや、色々な本も参考にしましたけどね(笑)

                              美織ちゃんの大ファンのユタカでした。

 

  次の日、美織から返信メールが入っていた。

 

  ユタカさま
  ユタカさまの文章は、やっぱり思わず人の目を留めさせ、 ひきつける、そんなパワーがありますね。

  近頃は忙しくてついつい血走っている(?)私の目も思わずユタカさまの温かいメールにひきつけられました。

  そしていつものように元気というか、気力がみなぎってきました☆ やっぱり、このメールもちゃんと保存しますね。 この間もらった笑顔のお話も、実はちょくちょく読んでいますよ! 心から癒されるメールに、本当に感謝しています。 いま、この瞬間から、ほんの少しずつ、ユタカさまの言われたことを練習し、実行していきたいと思います。
                                                           美織より

  追伸

  尊敬する竹内さんへ

  ホームページへのお問い合わせの件、メールで返事をしておきました。 前にもお問い合わせをくれた人でした。
  今日は残業をしてはいけない日ですね! そろそろパソコンをOFFにします。 おつかれさまでした!


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格200円(税込)

読者登録

三輪たかしさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について