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算命学余話 #U19 (page 1)

 毎度「算命学余話」をご購読の皆様、ありがとうございます。

 前回は算命学理論における平和と戦争についてちらっと触れましたが、数世代の家系鑑定技術を発達させた算命学では、数十年や百年単位で量る戦争や自然災害の到来予測なども理論的には可能です。しかし内容が物騒になるのと、近代以降の人類が行う戦争や環境破壊が近代以前とは比較にならないほど凄惨なため、予測が難しくなっているのもまた事実です。

 たった半世紀ほどしか歴史のないコンピューターの発達は、あと30年もすると人間の能力を超えると言われています。今はまだ人間の方が優れているので、コンピューターにエラーが出ると人間が調べて原因を発見できるのですが、30年後には人間がその原因を見つけられないレベルにまでコンピューターが進化してしまうそうです。そうなった時、人類は「想定外の事態」に囲まれて防護策を打てなくなり、やがてはSF小説のようにコンピューターに支配される社会が来ないとも限りません。

 

 算命学は紀元前に確立した思想理論です。当時はコンピューターはもちろん、自動車も飛行機も電話もない時代でしたが、人間の営み、つまり生まれて育って、食って寝て、生業をして子孫を残し、老いて病んで死ぬ、というスタイルは現在と変わりません。

 例えば、通信といったら当時は手紙や口頭伝承、狼煙のことだったかもしれませんが、現代では携帯電話やインターネットが主流です。しかしどちらの時代も通信手段には変わりなく、時代によって使う道具が異なったところで、人間が必要に応じて行う行為は同じなわけです。

 

 算命学は論語と同じで、伝わっている内容はシンプルです。論語はたった1行でも何倍もの解釈が可能であり、それはあたかも時代による社会様式の変遷を見越してわざと簡略化した表現にとどめたかのようです。それでいてその1行には確かに真実が込められている。

 算命学も同様に、生年月日から導き出す宿命がその人の人生の細部まで隈なく語っているわけではありません。鑑定結果は抽象的・象徴的なものが多く、現代に生きる我々は、それを数千年前の社会ではなく現代社会に置き換え、類推して判断する能力が問われているのです。

 そういう意味で、算命学は確かに習得するのに何年もかかる分厚い学問ではありますが、基礎的な構造を正しく把握してさえいれば、類推によってより高度な鑑定・判断を成し得る類のものです。奇しくも当ブログでは中沢新一や内田樹といった現代が必要とする思想家を採り上げることが多いですが、彼らはよくアナロジー(類推)という言葉を使います。応用力もこの類推の中に含まれますが、情報溢れる現代に生きる我々がどの情報が有益で正しいかを判断するのは、まさにこの類推力に懸かっているのです。そして平和と戦争の形もまた、現代に置き換えて類推して算命学を駆使することが可能なのです。

 

 戦争についての算命学の見解は物騒なので、そのうち購読料を上げて公開に踏み切るかもしれませんが、今回は身近な話題に戻して、人間の努力がテーマです。

 私はどの鑑定依頼人にも一律に「努力して下さい」と助言しますが、努力のない人に幸運は開けません。しかし少ない努力で済む人とそうでない人がいるのもまた確かで、ここではその差をどうやって見分けるか、算命学の技法をご紹介します。これもまた安易に読んだ人が「私は努力しなくていいタイプだ」などと誤解して努力を辞めてしまう懸念があるため、購読料を若干上げております。ご了承下さい。


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最終更新日 : 2013-08-04 12:55:53

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