閉じる


試し読みできます

舞緋蓮  太刀の壱  第拾壱回

 そう遠くない距離に東西境界線地帯、宿場町の明かりがある。

  しばしの沈黙のあと、信斗がぽつり、と告げる。

 「千夏……、勇人が何故お前に何も告げずに決刀に赴いたか、わかるか。それ

はお前が先刻言っていた通りかもしれねぇ。勇人はあの決刀、生きて帰る算段

もつけて挑んでいたんだろう」

「……あの日に言っていましたね。決刀が勇人さんの勝利に終わるなら、あな

たが他の四聖達に連絡を取って、クーデターを完遂させるというながれにする

と」  

 と左馬ノ介。それは一年前の江戸城での決刀で対峙した、左馬ノ介と信斗の

間にあった会話だった。

「ああ。けどよ、そんな血なまぐさい事態を、堅気として暮らしている千夏に

前もって、それとなくでも口にしたら、それこそクーデターがお前の為になら

ねぇと考えたんだろうよ。こう言っていたぜ。「兄妹だからこそ口にすべきこ

とではない事もあるし、今は尚更そういう場合だ。あいつにはいつも、あいつ

らしくいて欲しい」ってな」  

 そこで信斗は「あ~~~っ」と何かを謂い出し辛そうに言葉を溜める。

「千夏。これは一年前のあの日、道場でお前に言おうと思っていた事の本当の

ところなんだけどよ……、勇人は自分の決刀がどんな結果であろうと、お前に

人を恨まず、優しいお前のままでいてくれと、それがお前らしい幸せなんだと

思いそれを望む、と俺に話していたんだ。けどすまねぇ。あの日、あんなお前

を目の前にしてよ、俺はお前にそれが言えなかった。あんな死にそうな瞳をし

たお前に、「幸せになってくれ」なんて無理強いさせるみたいな言葉がかけら

れなかった。だから、俺は……」

「いいんです、信斗さん……」   

 信斗の贖罪ともとれる言葉をさえぎる千夏。その声音はとても優しげだった。

「信斗さんの気持ちも分かります。実際あの時、私はそんな言葉を与えられて

も余計に哀しいだけで、どうしたらいいか解からなくなるだけだったと思いま

す。けど信斗さんの先の決刀に際してお兄ちゃんと雪絵さんの二人の間にあっ

た真意を知れ、と言ってくれたことが私には力になりました。この一年間で、

心の内はごちゃごちゃしたりもしたけれど、でもお蔭で今はすっきりしていま


試し読みできます

舞緋蓮  太刀の壱  第拾壱回

す」  

 その事について、改めて「ありがとうございました」と信斗に返す千夏。そ

れに対して「……いや……」と言って頭をかく前方の彼は、顔こそ見えないが

もしかすると照れているのかもしれなかった。  

 その様子を見てとり、そういえばこのひとは千夏さんに対して、実の妹のよ

うに接している節がある、と感じる左馬ノ介。そのことから信斗も信斗で色々

と心を砕いていたんだな、という事を今更のように呑み込めた。  

 そんな左馬ノ介の隣で、月を瞳に映し独白のように千夏は漏らす。

「人が人に対して幸せになってほしいと願うことは、優しいだけではなく易し

くもない。その通りなんですよね。私は色んな人に想われて、それだけで本当

は幸せな筈なのに、失ったひとかけらが大きすぎると云うだけで、沢山の人た

ちのその想いに気付くことが出来なくなっていたみたいです。けどずるいな。

私が思う私の幸せには誰も気付いても、見てもくれていないんじゃないかな」  

千夏のその言葉に、二人の男は応えに窮する。

「雪絵さんにも言っていたけれど、私はお兄ちゃんが居てさえくれれば、それ

が一番だったのにな……」

「……それは、間違ってはいないですね」  

 と左馬ノ介が切り返した。今のながれを放置してしまうと、千夏が自分を責

めだしかねない、と配慮しての素早い対応だった。信斗が息を吐くのが左馬ノ

介にはわかった。

「……幸せを願うのは、お互いに募っていくものですからね。でも千夏さん、

厳しいことを言うようですが、亡くなった方への想いを持ち続けることはよく

ても、それに縛られてはいけません。勇人さんへの気持ちを否定しろというの

ではないのです。ただ……、そうですね……」  

 そこで少し考えるように黙する左馬ノ介。  

 これは他人の幸福というモノに対して意見するということで、それは相手と、

その相手の状態によっては、時に大きな影響を与えかねないデリケート極まる

種類の話だ。左馬ノ介ほどに他人の気持ちを尊重し理解しようというメンタリ

ティの持ち主ならば、ここで慎重になるのも当然といえよう。  

 左馬ノ介が黙考にはいってしまったのを受けて、信斗が千夏に語りかける。

「そういえば勇人はよ、先代を、親父さんを斬ることを俺達四聖に告げたとき


試し読みできます

舞緋蓮  太刀の壱  第拾壱回

に言っていたな。獅士堂との戦いの決着がどんなカタチになろうと、……つま

り自分が死ぬ結果になったとしたら、お前の身を何とかして護り抜いて欲しい

ってな。千夏、一つはっきりさせときてぇんだが……とどの詰まりはそれも含

めて本当のところでは、あれはあいつの我侭なんだよ。俺達、付き合いの長い

者だからこそ、また相対したのが坂本雪絵だったからこそ聞き入れられたよう

なものだ。あいつは単に自分の望みに対して純粋っていえる程に、欲張りだっ

ただけなのかもしれねぇって話を、頭の隅にいれときな」  

 それは思いれ過ぎて、堅く難しく考えすぎるなという信斗の気遣いであった

が、言っている本人は冗談のつもりのない実際上の内容でもあった。―――そ

してまた同時に、高杉勇人という人物を語るうえで核心的な事柄では実はある

のだ。  

 そうしてこういうモノ言い、というか千夏の慕う人間に対する扱い方に座り

の悪さも感じたのだろう、信斗は付け加える。

「けど、ま。欲張りな願いのひとつは確かに千夏、お前に生き延びて幸せにな

って欲しいってモノだったのは確かだぜ。お前は自分のこころの赴くままに、

そのあいつの想いを受け入れるハラを決めりゃそれでいいんだ……。済んだこ

とに囚われすぎるなよ」  

 そこで左馬ノ介が考えがまとまった、というふうに挙手する。

「……俺が言える範囲のことでは、やはり“ないものはない”という現実と向

き合って、どこかで折り合いをつけていかなければいけないという事ですね。

それには時間をかけて、故人の想いに対する自分のこころの整理と落ち着きを

得ることが大事です。自分が傷心しているということを無理に押さえつけずに、

です」  

 大切な何かを失った者は、それが大きな存在の人間なら尚のこと、そのこと

を絶対に忘れない。時間が経つことによって哀しみが薄まることはあっても、

紛れる時があってもである。真実からその傷が消えることはない。傷は癒える

ことはあっても、同時に残ることも生には往々にしてあることからもそれは知

れる。

「だけどそれでも、時間が人のこころを良い方向に運ぶというのも、また確か

です。つまり、時間をかけてもいいということですよ千夏さん。あなたはこの

一年を遮二無二駆けてきたのなら、今は尚のことその心を静めることが肝要で


試し読みできます

舞緋蓮  太刀の壱  第拾壱回

す。勇人さんから望まれたとはいえ、自分の幸せのカタチについて考えるのは

それからでも遅くはないんですよ。人によってはそうした時間を費やさなけれ

ば前に踏み出せない事はありますから」

「……はい。ありがとうございます……」

「ったく、話がなげぇヤツだな、左ノ字よ。つまりは焦らなくていいってこっ

たろ」  

 話口が小難しかったのか、千夏が内容を深刻に捉えないようにとの、信斗の

これも配慮だ。  

 しかし千夏はそんな気遣いなどしなくても大丈夫だ、と言わんばかりに会話

の反響を返す。

「織田さん……、その、時間を必要としないと前に歩みだせないというの。ど

こかあなたに近しい人のことを言っている様に感じました。

それって……もしかして、雪絵さんのことだったりするんですか?」  

 千夏の直観力が発揮されたのに対して、左馬ノ介は少し言葉に詰まる。

「織田さん。もしよければ、あのひとのこと、聞かせてもらえませんか。私は

時間をもつべきだと諭してくれるのは有り難いですけれど、西方に戻ってしま

えばこうして今日の件に関わった人達とお話をすることも出来ません。だから、

あなたが居てくれる今の時間に知れる事だけでも、私はこの胸におさめておき

たいです。それが今日の件のやり残しであると思いますから。……お願いしま

す」  

 千夏の真摯さのこもった申し出に、左馬ノ介は憚られる思いに見切りをつけ

口を開く。

「……信斗さん。あなたは先代、獅士堂緋蓮がどういう最期を辿ったか、聞き

及んでいませんか? それは姐さんの義母でもあった人が亡くなった話です」

「……いや、知らねぇな……。何年前の話だよ、そりゃ」  

 信斗の返答に対して、しかし懐疑的に思う左馬ノ介。あの事件はこの刀郷の、

こと侠客の世界ではかなりの大きな波紋をよんだ一件だった。確かにあれから

数年の時がながれ、雪絵自身のなかでも幾分過去の出来事といえなくもない程

に、また郷にとっても鎮静化した出来事ではあるが、まったく知らないという

事はない筈だと考えられるからだ。  

 しかし千夏は堅気として暮らしてきたために、そんな事情にも疎かったのは


試し読みできます

舞緋蓮  太刀の壱  第拾壱回

うなずける。実際彼女は今話題にのぼった事件に関して、過去の出来事として

の一事件そのものよりも、雪絵が母というものを亡くしていたという事柄に焦

点を合わせた意見を漏らす。

「……そっか……。雪絵さんも大切な人を失っていたんですね……。だから、

なのかな。あんなにもう逢えない人の想いを大切にするんでしょうね」

「まぁ、大切だったんなら、そんなのはおかしなことでもねぇだろ。ごく普通

だよ」  

 しかし信斗に半畳を入れる千夏。

「あの人は……、雪絵さんは全然普通には感じられないですよ。雪絵さんは、

本当になんであんなに心強く在れるんだろう……。」  

 銃弾で撃ち抜かれた雪絵の右手を思い出す千夏。雪絵はその傷つき血を流す

手で、なおも刀を手にした。そこに 「痛み」 がともなわない訳がないこと

は、誰にでも容易に想像がつく。  

 坂本雪絵は、否―――獅士堂緋蓮は、血を流して痛みにかられようとも、そ

れでも刀を以って歩いて行く。

(それがあのひとの生き方……。刀に対する想い……)  

 でも、と千夏はその思いを抑えることなく吐き出す。

「雪絵さんだって、何の痛みも感じないままじゃない筈なのに、……なのに何

であんなに強いんだろう。あのひとだって、きっといっぱい痛くて、とても辛

い思いをしていると思う。けれど、すごく、ずっと毅然として。弱さや甘さを

拒んで跳ね除けて居続けるのって、それだけで心を痛ませるのに」  

 それに対しては左馬ノ介が応える。

「千夏さん。姐さんは決して完全無欠に誰の目から見ても一分の隙もなく強い

わけではないんですよ。刀郷最強という風にいわれていても、ですよ。無論そ

う呼ばれるからこそでもあり、また反面では必ずしもそこからではないのです

が、姐さんは在り方として“強い自分になるよりも、常に強く在ろうと心がけ

る”ひとなのですよ。このこころが解かりますか?」  

 それは違うモノであるのか、と疑問そうな表情をする千夏。

「強くなる―――強さを得ることと、強く在ろうとし続ける事の違いか……。

そこにある差異は望まれて受け取ったモノによると見るね、俺は。すなわちそ

れが獅士堂がそう在ろうとする理由か」と信斗。



読者登録

刀史郎さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について