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待機

 メンバーの心にやや不安がある。量子コンピューターのシュミレーションの上では要求性能に達してはいる。しかし、何もかも新しいといってもよい。その一つはこの船のモノコック構造に由来する外観である。この構造一つとっても、彼らに気付かなかったどこかに重大な綻びがあって、根本から破綻しそうな予感にも襲われるのである。
 ただ、イマムラはメンバーのように、この船体に盛り込まれた斬新さについては、疑問を抱いては居ない。開発の現場にいて、この船に盛り込んだ機能の必然性については熟知していた。開発状況を密かにモニターしているらしい保安局は、彼らの意向に反する方針で開発に臨んでいれば、その途上で何かの警告を発してくるだろう。保安局から何の警告もないまま開発が進んでいると言うことは、おおむね、彼らの意向に沿う船体になっていると見てよいのではないかと考えているのである。
 しかし、そのイマムラでさえ、『君たちの感性を信じている』と言った恩師の言葉を何度反芻しても、MSB─Xの最後が心の中に蘇ってくる。不思議なことに、自分自身の能力に対する不安ではない、もしも、今回失敗したら、自分たちのために犠牲になったMSB─Xに申し訳がないという不安なのである。MSB-Xは彼らの中で血や肉や意志を持った一個の生命体のようになっていた。
 既にMSC─Xはその柔らかなフォルムをメンバーの前に現しつつある。美しいかもしれないが、スピカを見慣れた人々の目には、見るほどに奇異な形状の様にも思えるし、俗に言う流線型の外観は、何世紀も前の画家が空想で描いた宇宙船のようで、古くささを感じさせる。不安は日を重ねるにつれ、濃霧のように漠然と広がっていくのである。

(そろそろ、MSC-Xの試験の日程についてシルチス大学と交渉を始めなければならない)
 イマムラやドノバンがそう考えていた矢先のこと。突然の連絡が保安局から彼らの業務に割り込んだ。新型船の試験を保安局が所有する施設で実施するというのである。ネヤガワ工業にとっては莫大な経費が掛かる作業を肩代わりしてもらうのはありがたい。しかし、何か一方的な通知で高圧的な感じがし、やや不愉快にもなるのである。セキュリティーの面で信頼されていないのかもしれない。推測ではなく、間違いなくそうだった。開発の進展と保安局の連絡のタイミングが絶妙で、保安局が開発経過を見守り続けている様子が推測できた。イマムラは協力メーカー間の調整を図り、最後の艤装を急がせた。艤装を終了し、機器の細部の調整を追えたネヤガワ工業の元に協力工場から完成を祝う通信が寄せられた。
「ほらっ、シンの顔を」
 アサハリがウィリアムスに、協力メーカーから通信を受けるシンの様子を見ろと促した。
「本当、ちょっとは成長したようね」
 ウィリアムスが笑顔で頷いた。彼女の視線の先のシンは、戸惑いながらも相手の笑顔に、彼自身も笑顔で応じている。以前の彼なら、開発経験者だというプライドを振りかざして、協力工場の仲間を見下すように言い放っていたに違いない。
「甘いな。お前たち素人は、これで完成したとでも思っているのか」と。
 しかし、今のシンには、開発に携わった者全員で完成の喜びを分かち合いたいという気持ちが、素直に表れているのである。技術開発課のメンバーは、社外の笑顔の通信に丁寧に応対しつつも、MSC-Xが未だ、ただの機械の塊に過ぎないという経験をしていた。
 確かにMSC-Xはその外形を現した。しかし、顧客の保安局の手で試験が実施されて要求性能に達していなければそれで終わる。要求性能に達していても、その後に、運輸本部による認可を得る複雑な手続きを要する。手続きに不備があれば宇宙空間を航行しすることは出来ない。更に、宇宙空間での試験航行では未だ経験したことがないトラブルが幾つも待ち受けているだろう。保安局の試験は、機械の塊に過ぎないMSC-Xが宇宙船として認められるかどうかの最初の関門なのである。

 船体を保安局に運搬する日、メンバーがなるほど、と思ったのは、保安局の職員が手際よくトレーラーの荷台の四隅に支柱を立て、シートを張った点だった。バレは彼らが犯罪捜査の面で慣れているせいだろうと評した。ネヤガワ工業の社員がMSB─Xの運搬にシートをそのままかけただけだというのと扱いに大差がある。以前の試作機は、そんな彼らの不手際によって、ウォーデンのような素人にも運搬中のものが小型船だと見破られていたのである。
 このシートによってMSC─Xはその外形さえメンバーの目からも隠されてしまった。
(縁起でもない)
 イマムラがそう思ったのは、彼らがトレーラーを見送る姿に、MSB─Xの姿が重なったせいである。MSB─Xは随分多くのものを彼らに教えてくれたが、その別れの姿を彼らの心にトラウマとして残しているのである。保安局の試験には3週間を要するとされていたが、その内容は深いベールで閉ざされて、彼らにはハッキリ明かされていない。
 イマムラたちは遠ざかるトレーラーを見送りながらラベルが彼らに残した言葉を唱えていた。
「火星市民は信念に祈る」
 自らの手で運命を切り開く。その信念の象徴が、トレーラーの上のMSC-Xと言えた。

 MSC-Xが彼らの前から姿を消したとはいえ、仕事は山積みで、彼らは忙しく時を過ごし3週間が過ぎた。ただ、その間片時もMSC-Xのことは忘れては居ない。手元を離れてみると、設計時の自信が徐々に薄れて不安が高まってくるような気がするのである。
 昨日が保安局における試験の最終日で、メンバーは昨日の内に採用通知の第一報が有るのではないかと期待していたが、途中経過の連絡はない。期待した連絡がなかったということが不安を煽る。彼らに残されているのは悪い知らせだけかもしれないと思うのである。
「手が止まっているわよ」
 ウォルヒが、シンやアサハリに非難じみた口調で注意した。試験の結果が気になって、仕事が手に付かないに違いない。試験を保安局の係官にまかせているとはいえ、彼女たちの手が空いているわけではなかった。開発作業は常に幾つかの作業が平行して行われていて、彼女たちがこの段階にやっておかなければならないことを抱えている。マニュアル造りもその作業の1つである。
 1つの船体を製造運用するために、工場における製造マニュアルやユーザーで使用する整備マニュアル、搭乗者たちが使用する航行マニュアルなどが存在する。製造マニュアルはすでに原案が出来上がっていて、MSC─Xを組み立てる際に使われている。しかし、製造部からその内容に、幾つもの矛盾点を指摘されて、改訂箇所は800カ所を越え、その製造マニュアルも書籍のページ数に換算すれば実に3万ページを越えるだろう。メンバーの中で文章を書き慣れているはずのアサハリでさえ、机の傍らに『初心者のための作文技術』とか『サラリーマンのための文章表現』という表題の書籍を積み上げており、メンバーはその書籍のお世話になっていた。
 彼女たちの思考を、誰にでも正しく伝えるために、文章の表現、図や表の使い方、ページのレイアウトづくりなど様々なテクニックを要する。メンバーは文章表現や単語の使い方を、学生に戻って学び直さなければならなかったのである。
(船体の強度計算の方が、よほど単純で楽ちんだ)
 ガーヤンはそう呟いていた。
 思考ロボットに任せてしまいたい作業だが、彼女たち自身が未経験で、マニュアルづくりの手順や方法を指示できないまま、自ら文章づくりに頭を悩ませているのである。
 ウォルヒの役割は、「監修」と言えば耳に心地よく響く。仲間が作り上げた個々のページの内容の妥当性をチェックし、キーワードを抜き出す。目次に添ってマニュアルに挿入して、キーワードをもとに索引を作って行く。ウォルヒはふと手を止めて目次をながめた。
(私たちの歴史ね)と思ったのである。
 目次の1項目毎に、泣きたくなるほどの思い出がある。最初からこれほど気苦労が多いと分かっていたら、とっくの昔に投げ出していたかもしれない。
 モニター上でマニュアルのページを繰って行くと、冒頭の部分にMSC─Xの三面図があり、各部の説明が添えられている。
 多目的レーダーや光通信の送信機を収納した船首から、核融合エンジンを包み込む船尾までの柔らかく滑らかな曲線は、船体の軽量化に困り果てた彼女の夢の産物だ。大空を飛翔する鳥の夢を見た。彼女はその事を胸にしまい込んで内緒にしている。その夢を現実に結びつけ、鳥のような姿に結実させたのは、ガーヤンの強度計算と共に、タイペイ建材という予想外の業界の技術者だった。
 居住モジュールが船体の上に大きく張り出して、透明な突起部分は、まるで大昔のジェット戦闘機のキャノピーを思わせる。MSC─Xの外形を構成する曲線の中で、レーダーを包み込む船首部分が嘴なら、このモジュールの外観は鳥の頭部を想像させるのに一役買っていた。キャノピーが随分すっきりしているのは、やはり軽量化に頭を悩ませたドノバンが、搭乗者を1名に削った結果である。本来、モジュールの中で搭乗者を包みこんで動きを制限する計器類の一部はキャノピーに形を変えて、搭乗者の前方上方に移動している。航行状況、船体の姿勢状況、推進剤の残量などのデーターは、コックピット内部に配置した計測器に表示するのではなく、キャノピーをスクリーンにして投影されるのである。キリキア計測機器の技術者の技術が投入されていた。搭乗者はモジュールの中で空間に余裕を感じるはずだ。
 頭部から続く曲線にも無駄はなく、その内側はインテグラルタンクとして使われ、汚水処理タンクやウルド特殊車両が提供した緩衝装置の特殊ガスのタンクとして使用されている。更にその内側には内蔵のように頑丈な2基の推進剤のタンクがある。その後方、大きく膨らんだ腹部は言うまでもない、ダロス社の「銀河特急」が搭載されているのである。上面図でながめてみると、この鳥は大きく翼を広げている。この翼によって体内の余分な熱を放出し、外部の情報を受け止めるのである。
「ウォルヒ」
 アサハリとシンが非難じみた口調で、何度も彼女の名を呼んでいた。
(手が止まっている、空想に耽っていないで仕事に精を出せ)というのである。
 この作業を進めながら彼女たちは共通の不安を抱いている。時間を掛けたマニュアル造りも、MSC─Xの成否にかかっている。保安局における試験に合格しない限り、マニュアルも彼女たちの思い出もMSC─Xと共に無に帰すのである。
 ネヤガワ工業が窓口になっているために、保安局からの連絡の第一報は彼女たちが受けるはずだった。協力メーカーから再三、結果について問い合わせがある。彼女たちは、協力メーカーの仲間に対する返事を、(合否はともかく)間もなく連絡があるだろうと言う希望的観測から、結果が分かればすぐに連絡するという返事に代えなければならなかった。試験終了予定日から2日を経ても連絡を受けなかったからである。
(仲間の中に不安が高まって動揺し始めている)とウォルヒは思った。
 彼女たちは彼女たちに与えられた物で性能を得ようとして、随分と無茶な背伸びをしている。大きな事例で言えば、複座や三座が常識のパトロール艇を単座にしている。船体の構造は信頼性のあるフレームではなく、使用者が見慣れないモノコック構造である。奇抜といえる程の変化をもたらしたのである。
「その事なんだけれど、」
 ウィリアムスが、いつもの陽気な彼女と雰囲気を変えて、多少しんみりとした口調で語りはじめた。少し考え込み戸惑う感じだが、話しておかなければならないような気がしたのである。多少、今の話題から少しずれてしまうかもしれないと戸惑いつつ、彼女は言葉を続けた。
「食事の時にね。工場のジェニファーさん達に同じテーブルに誘われたの」
 ジェニファーさん。ウォルヒたちも名前や顔は知っている。製造部で働いているパート社員だが、仕事のキャリアーは長く、下手な新入社員より上司から信頼され、存在感がある。パートさん達の親分格という存在である。ウィリアムスはその性格で、気が付けばいつの間にか自然に心を通わせて対等の友達づきあいをするという羨ましい長所を持っていた。60歳を越えるというジェニファーさんも、彼女の歳の離れた親友の一人なのだろう。
 その食事の時に、隣のテーブルにいた試作課の男達が、今、まさしくメンバーが危惧している、MSC─Xの奇抜さを指摘したというのである。開発に携わったメンバー自身が危惧しているくらいだから、彼らの指摘には説得力がある。明らかにテーブルにいたウィリアムスに対する当てつけである。
 その時にジェニファーさんの向かいにいたおばちゃんが言った。怒り出すと言うより、あきれて静かにたしなめる口調であったという。
「くやしかったら、あんたらが作ってみたらええねん。出けへんくせに大きな口を叩いてほしないわ」
 訛りがあるが、きっぱりと歯切れの良い口調だったらしい。ジェニファーさんが補足し、ジェニファーさんを囲む仲間が頷いたという。
「あのMSC─Xはね、私たちの手で造ったんだ。勝手なことを言ってもらっちゃ困るね」
 メンバーの前で、その話をしたウィリアムスが穏やかな笑顔のまま、華奢な指先で目尻の涙を拭った。MSC─Xの組立に携わった人々が、その船体を『私たちの手で造った、私たちの船体だ』と表現してくれた。それが嬉しいというのである。メンバーは黙って彼女の話を聞いていた。しっとり暖かな雰囲気が心の底に染み込んできて、ウォルヒは不安をため息に変えて吐き出した。メンバーは黙って、しばらく語りだす者がいなかった。

 保安局からの最初の連絡は、思いもかけないルートでもたらされた。スピカの販売を担当するネヤガワ工業の営業一課にもたらされた。
「スピカの増産は可能だろうか?」というのである。
 不可解な問い合わせだった。新型船導入を検討している中で、今更、スピカのような旧型機の追加購入を検討しているのだろうか。メンバーが待ち望んでいたMSC─Xの試験結果については、素っ気ない回答である。
「試験の予定が延びている。終了まであと2週間ばかりかかるだろう」
 彼らは協力メーカーの仲間にそのまま伝えざるを得ない。結果の連絡を待っていた協力メーカーの仲間も、その連絡を聞くと、張りつめていた気が抜けたように言葉がない。
 突然に思いもかけず、2週間の間が空いた。イマムラは部下に休暇を勧めた。気の抜けた状態で仕事をしていても、作業効率は上がるまいと考えたのである。たとえ数日であっても、休日らしい休日を取っていない部下を休ませてやりたかったのである。

「シンは?」
 バレが聞いた。
「一度、気密服でオリンポス山に登ってみたいけれど、今回は無理だね」
 太陽系最大の火山に歩いて登りたいと言う夢を語るのである。東側と南側を主流にして、いくつかの登山ルートがあり、ルート沿いに避難小屋がある。また、避難小屋のいくつかは小規模なエアーポートも備えていて。このシンカンサイ市と結ばれているのである。その交通機関を利用して登山を楽しむ人は少なくない。
 そのオリンポスの中腹からでさえ、火星の丸みが実感でき、頂上から見える光景は、暗い宇宙空間の中にぽっかりと赤い惑星が浮かんでいると実感できるのだという。何より、大地に足を着けているという感覚が、衛星軌道上から見る火星の光景とは全く違った感慨を生むらしい。彼はその噂に聞いた景色を自分の目で眺めたいと思ったのである。ただ、完全装備の気密服で歩いて登るとすれば、1ヶ月はかかるに違いない。今回は登山を諦めなければならないようだ。
 シンはそんな夢を見ながら、目の回るような忙しさに耐え続けていたらしい。この仕事が一段落着いたら、という仮定で語り出したのはシンばかりではなかった。
「で?、ドノバンはカティアと遊園地。バレは彼氏とデート。ウィリアムスはペーネミュンデ市の観光。さあ、君たちの夢は分かったから、さっさと休暇届を出せ」
 部下達は、イマムラがそう声を掛けなければ、(休暇があれば、、、)と想像を口にするだけに終わってしまうだろう。
「課長は?」
 ウォルヒは首を傾げてそう聞いた。
「帰りに旅行会社に寄って、パンフレットを選んで帰るよ」
 会社に留守番が要る。イマムラは休みを取れないようだが、パンフレットの写真を見ながら、妻のアマリアと共に楽しく話をすることぐらいは出来るだろう。そして、男同士では機密扱いのMSC-Xの開発が障壁になって会話しづらいが、セリーヌとアマリアという女性を介すれば、通常通信でラベル夫妻とのお喋りが楽しめるかも知れない。そう考えるイマムラの表情には休みが取れない不満感はない。

(私にはみんなのような帰るべき故郷や、頼るべき親戚がない)
 ウォルヒは寂しく思った。彼女はこのシンカンサイ市で生まれ育っている。しかし、この都市で父母や弟を失ったという想い出が、無意識のうちに、この都市を故郷という認識から切り離してしまっている。イマムラが提示した1週間の休暇を彼女は5日に値切っていた。その5日間の内、既に4日間を、新しく迎えた家族と自宅で無為に過ごした。
「ねえ。ハム。あなたの故郷はここなの?」
 ウォルヒは新しい家族を手の平に乗せて尋ねた。一匹のシャンガリアン・ハムスターが、ケージの枠を囓って、出してくれと催促していたのである。ハムスターなので、彼女はその名を「ハム」と名付けていた。単純で不慣れな命名の仕方だった。手の平に乗せると、この小さな生き物の腹の温く味を感じることができた。
 数年前に、ドノバンが幼い娘を連れて来た時に、そのカティアを抱くことが出来なかった。子供の柔らかさや温かさが、彼女の腕の中で死んだ幼い弟を思い起こさせるのである。女性として、子供を見るのは好きだが、触れることが出来ない。自分は女として大きな欠陥を持っていると、生真面目に自覚していた。彼女はその自分の欠陥を、この小さく自分勝手に動き回る生き物で補おうとしているのである。子供をハムスターと同列に置くというのは、世の中の母親から見れば笑い出したくなるほどの馬鹿馬鹿しさだが、彼女は大まじめである。以前の彼女なら、その欠陥を自覚はしていても気にもとめなかったろうが、笑い出したくなるほどの愚かさでも、彼女は自分に足りないものを無意識のうちに補おうとしているのである。
 もしも、コロンに感情があれば、彼女がハムと交わす返事のない会話の中に、彼女の成長を嬉しく見守っていたかもしれない。彼女の表情が明らかに穏やかな優しい女性の笑顔に変わっている。
(そう。明日は北公園に行こう)
 休日の最後の日、彼女は指先で碑の中に父母の名を求めながら思った。
(私は、何故、)
 その言葉が続かない。ただ、何かをやり遂げつつある満足感があって、指で辿る父母の名に自慢したいほど誇らしいのである。

 自宅で妻と過ごすイマムラは、「スピカの増産が可能か」という保安局の奇妙な問い合わせの疑問が、やや解けてきた。ウルド特殊車両の連中が、彼らがモニターしていた地球の報道番組を録画して、イマムラの自宅に転送してくれたのである。
 アマリアは夫がため息を付くのに気付いた。またしても、技術供与制限法である。植民市での高速艇開発を禁止すると言うのである。「植民市」と対象をぼかしているが、高速艇を開発する設備や技術は、月を除けば火星以外に無く、事実上は、彼ら火星市民をターゲットにしているのである。さすがに法律で開発の禁止を強制することは出来ないらしいが、そういう風に指導するという。火星行政府の権力は、地球で考えるより遥かに幅広く強大である。行政側から「高速艇開発は好ましくない」と言われれば、事実上禁止すると言うほどの強制力を持っているのである。
 仮に、保安局が今すぐに、MSC-Xの性能を認めたとしても、その後の宇宙空間を航行するための許認可を求める審査には通常一ヶ月はかかる。先の通達は審査前に出されるに違いないと思われた。
「開発が望ましくない」
 そういう通達が出されれば、認可が下りることはあるまい。
 保安局は新型船採用を放棄して、スピカを使用し続けることを選択したに違いなかった。試験結果の通達がずるずる長引いているのはその混乱の結果に違いないのである。運命の分岐点で、彼らに選択肢が与えられないという閉塞感がのしかかっている。
 その報道番組は、後半をテロ事件に費やしていた。数日前、フォボス宙港でおきたテロ事件で、イマムラも日常のニュースで知っていた。比較的、警備が手薄だった、軍関係者の居住区画を狙った爆破テロ事件だったらしい。この録画は地球のメディアのニュースであるために地球市民のニュースキャスターが、火星の報道関係者が踏み込むことがない爆破現場に、深く踏み込んで取材しているのである。アマリアが眉をひそめて顔を背けた。
 爆発によって火傷を負った子供や、瓦礫の下からのぞく女の死体の上半身、手足を吹き飛ばされて治療を受ける人々が映し出されている。アマリアはイマムラの胸に顔を埋めた。
「あれは、私たちがやったの?」
 もちろん彼ら自身が手を下したわけではないが、彼らと同じ火星市民の行為に違いない。地球市民との関係で、彼らは被害者と言って差し支えない状況に遭遇する。しかし、目に見えないもう一方で、加害者でもあるらしい。
「私たちは、宇宙船を造り、運命を自分で切り開きたいたいだけなのに」
 宇宙船の自主開発という夢が、閉ざされていくように思われるのである。イマムラは保安局から、明日、船体を返還するというメールを受け取っていた。試験の結果について触れられていない。イマムラは傍らの妻をそっと抱いて、この妻に恥じないような態度を保ちたいと思った。
 

解放

「取り乱すなよ」
という端的な言葉が、イマムラが検査技官の応対をするウォルヒに与えた指示だった。保安局の検査技官が試験の終わったMSC─Xを返還するために来社したのである。もちろん、試験の結果を聞く。
 性能が要求に達しなかった。あるいは技術供与制限法によって新型船開発から手を引く。さまざまな可能性があった。メンバーは既に小型船開発が禁止されると言う報道を知っていた。自分たちの命運が個々で尽きたと考えているのである。
「結果はどうあれ、取り乱さずに受け入れる」
 火星市民の最後の意地のようなものだ。MSB-XとMSC-Xがその誇りを彼らに植え付けた。
 戻ってきたMSC─Xは既にシートを外されて、その鳥のような姿を現していた。人に見せるつもりでシートを外したのではない。工場の敷地が狭い。MSC─Xをこんな所に放置すれば、物資を納品するトレーラーが入れなくなるのである。彼らはMSC─Xを作業の邪魔にならないように移動させなければならなかったのである。不吉な予感がするのだが、ドノバンたち技術開発課のメンバーは、MSC─Xを工場の片隅、以前に破壊したMSB─Xを放置していた区画に運んだ。
「こいつも、もう終わりか?」
 シンが呟いた。反論する者がいない。この後、火星市民に国産機開発を継続する底力は残っていないとメンバーは考えている。それほど、全ての関係者がこのMSC─Xにのめりこんでいた。彼らの最後の船体なのである。
『船体の構造が奇抜すぎる』
『技術供与制限法に従って、新型船導入から手を引く』
 この船体が不採用になった理由は、人に指摘されなくとも、ドノバンたちにいくらでも思い浮かぶのである。
 
 ウォルヒはイマムラに先立ってメンバーの所へ向かった。心の中が落ち着かず、足下がおぼつかない。表情は以前の彼女のように硬く、MSC─Xに向かって歩を進めながらも、考え、戸惑うように、うつむき加減に視線を動かしていた。仲間に、その状況をどう説明し、納得させればよいか分からないのである。
 MSC─Xを取り囲んで黙っていたメンバーは建物の出口にウォルヒの姿を見つけた。ウォルヒも彼らの存在に気付いたようだが、うつむき加減で戸惑う様子だ。
 ひょっとしたらという虫の良い可能性を考えなかったわけではなかった。しかし、うつむいて言葉を失っているウォルヒの姿は、メンバーに最後の希望を棄てさせたようだ。メンバーは皆、黙りこくってMSC─Xの滑らかな姿を見上げた。
 
 しかし、ウォルヒの様子がおかしい。肩が震え、拳を握りしめて、むずむずと湧き上がってくるものをおさえるようだ。やがて、ウォルヒが重荷から一挙に解放されたように叫んだ。
「私たちは、やったのよぉ」
 一瞬、メンバーにはウォルヒの言葉の意味がよく分からない。ただ、このウォルヒ・パクが、突然に叫び出すほど衝動的で、目から涙を溢れさせる程に人間くさい笑顔を浮かべ、地面を蹴って飛び上がって、手に持っていたファイルを無造作に投げ上げてしまうほど、全身で感情を表すような激しい女だったのかと、ウォルヒという女のイメージの変貌ぶりに驚いたのである。投げ上げたファイルが上空で散って、紙吹雪のように彼女を包んだ。
「えっ?」
「あれっ?」
 ドノバンやムハマドは自分の勘違いを確認するように、MSC─Xを見上げたり、撫でたりした。MSC─Xがスピカに変わる新型船として承認された。その喜びを、ゆっくりと確実に伝えるすべを知らず、ウォルヒがメンバーの前でその喜びを爆発させているのである。
「本当なの?」
 叫び返すバレ。ただ、信じられないと言うようにMSC─Xをなで回すシン。アサハリの手をとって踊り出すウィリアムス。
「うほぉっ。うほぉっ」
 ガーヤンは意味のない叫びをあげて、満面の笑顔を浮かべながらゴリラのように厚い胸板を両手で叩いた。メンバーたちの怪訝な表情が、喜びに変わるのに時間は要さなかった。
 
 火星歴71年19月21日。66年3月に彼らがラベルと出会った日から、実に5年18ヶ月を経過している。地球の時間に換算すれば、火星の子供たちがラベルの意志を遂げるのに11年間と言う月日を要したのである。
 先に応接室に案内されていた2人の保安局の検査技官は、開発責任者のイマムラと主任設計者のウォルヒを見て、戸惑うように2人で顔を見合わせた。話をどう切り出してよいものか戸惑っていたのかもしれない。自分たちの報告は随分遅れて、予定より2週間もずれていた。やや気まずい沈黙があり、ウォルヒは食い入るように検査技官を見つめた。ごくりと、つばを飲み込む喉の動きが分かるほど緊張している。
 二人の検査技官はイマムラに握手を求め、ウォルヒの手を握って短く礼を言った。
「ありがとう」
 MSC─Xを作り上げたことに対する、感謝と敬意のこもった礼である。ずんっと、重みを感じる笑顔だった。あとの態度は役人らしい、冷静に事実を淡々と述べた。
「細かな数値については、改めてご報告することになりますが、MSC─Xは私たちが要求した能力を大きく上回っていました」
 
 事務員の女性がコーヒーを運んできた。
「どうぞ」
 飲み物を勧めながら、イマムラの手が震えていた。検査技官の言葉が、信じられないのである。検査技官はコーヒーをすすってから、イマムラとウォルヒに詫びた。
「検査は思いの外、手間取ってしまいました」
 船体の構造が違うという問題もあったが、試験で得られたデーターが信じられないほど良かった。そのデーターを素直に信じることが出来ずに、再試験をしていたというのである。イマムラは気になっていた点をメンバーに代わって尋ねた。
「船体の構造が、在来機種と随分異なっていますが、問題はありませんか?」
 検査技官はイマムラの言葉を一笑に付した。
「性能に満足出来るのなら、使いこなして行くのは、私たちの側の問題です」
「単座機だという点では?」
 スピカでは2人の搭乗者が乗る、MSC─Xの場合は操縦者1名である。ウォルヒはその点については問題はないのだろうかという不安をぶつけたのである。
「今、治安の悪化という問題を抱えていて、パトロール艇の絶対数が足りないんです。それ以上に、パトロール艇の搭乗員も不足しています」
 もしも、パトロール艇が1名の搭乗員で運航できるのなら、搭乗員の不足という問題や、彼らの過密な搭乗スケジュールを緩和することも出来るだろうと推測するのである。彼は締めくくりの説明を付け加えた。
「この船が、火星市民が出した結論なら、我々はそれを支持します」
 火星市民として彼ら開発チームを信じるというのである。彼は苦笑いをして続けた。
「予算の獲得に時間がかかりますから、正式な発注は後日になりますが、当初、2隻を先行発注すると考えて下さい。今回、お返ししたMSC-Xで試験航行を始めたいと考えています」
 その言葉にイマムラは慌てて説明を加えた。
「まだ、運輸本部の認可の手続きが終わっていません。直ぐに申請しても審査が終わるまでに1ヶ月は掛かると思います」
 イマムラたちが心に秘めていた難関の一つである。審査中に連邦政府から出された高速艇開発制限が自治州において通達されれば、認可が下りる可能性はないのである。しかし、検査技官はイマムラたちにとって意外なことを言った。
「既に保安局が認可手続きを代行して、申請は承認済みです。この船は宇宙に運べば、自由に飛び回れますよ」
 検査技官はそう言って時間を確認し、慌てて飲み残しのコーヒーをあおった。
「旨いコーヒーだった。あの事務員さんにもお礼を」
 2人の検査技官はそれだけ言い残して去ってしまった。仕事のスケジュールに追われているのだろうが、やって来たときと同じ素早さだった。
 部屋に取り残されたイマムラとウォルヒは黙って顔を見合わせた。信じられない。しかし、二人の目の前に空のコーヒーカップがあって、二人の検査技官が居たことは間違いがないのである。
「ウォルヒ。他のメンバーにも知らせてやってくれ」
 ストヤンやウルマノフが知れば怒るかもしれないが、この時、イマムラにとって上司は些細な人物にすぎなかった。まず、この事実を仲間に知らせてやりたかったのである。そして、その役目は、ウォルヒにさせてやりたかった。開発期間中、彼らは当初からハンディを背負い、メンバーは様々な矛盾と直面し続けた。しかし、その矛盾は全て、最後に主任設計者の役割を果たした彼女に背負わせていたのである。
(他の者なら出来なかっただろう)
 そう思うのである。全体を取り仕切ってまとめて行くという点では、ドノバンは人望もある。しかし、問題の調整能力があるだけに、彼は何処かで現実と妥協してしまっただろう。彼女はその小柄な肩で、わがままで独善的にも見える判断を下してメンバーの反感を背負いながら、仲間の努力をMSC─Xの中に結実させることに成功したのである。
「さあ、些細なことは、」
 ストヤンやウルマノフのことを指している。イマムラは続けた。
「私が済ませておくから、君はメンバーの所へ。それから、手分けをして協力工場の連中にも報告とお礼を」
 イマムラはそうやって戸惑いを見せるウォルヒを部屋の外に押し出したのだった。
 
 

アスカ誕生

 取りあえず、この物語の第一幕を締めくくる情景が広げられている。ネヤガワ工業の応接室にはウルマノフの他、協力メーカーの社長の姿がある。一人、また一人と加わって狭いと感じるほどになった。社内の技術屋から試作船が期待以上の性能を示したという報告をきいて駆けつけてきたのである。互いに笑顔で肩をたたき合ってはいるが、大騒ぎをすると言うより、コーヒーを飲みながらわき上がってくる喜びを噛みしめているのである。
「この男は、」
 クルーガー社長はウルド特殊車両のモーリス社長にウルマノフを指さして言った。
「前から、ひねた奴だった」
 ウルマノフに対して、もう少し素直に嬉しそうに喜んだらどうだと言っているのである。
 ウルマノフはにやりと笑って返事を帰した。
「これからだよ。まだ、これからだ」
 みな、ウルマノフの言葉に頷いた。経営者として現実的な目を持っている。しかし、慎重な言葉と裏腹に、その言葉の語感は先の見通しが付いた明るさを感じさせる。ウルマノフは、ふと思い出したように言った。
「よし、あの女にも知らせておいてやろう」
 ロイドの元に連絡を入れる事にしたのである。ウルマノフはオスマイルを通じてロイドを呼び出して、彼女の映像に向かって言った。
「私たちの新型船MSC─Xは『アスカ』と名付けることに決めました」
 名称が付けられたと言うことは、正式に製造に移ると言うことを示していた。経営者達にとって、こぼれ聞こえた『アスカ』という名は初耳だが、新型船の名称ぐらいはネヤガワ工業に優先権があるだろうと笑ってみていた。
 『アスカ』というのは地球の古い言葉だった。地名を表すこともあるが、もともと「飛翔する鳥」という意味だと、ウルマノフはニシダから聞いていた。ニシダが自分たちの手で開発した船体につけるつもりだった名称である。火星市民の自主開発を振り返ってみれば、ニシダという頑固な小男に行き着いてしまうような気がする。名称だけでも引き継いでやってもいいと考えたのである。なにより、MSC─Xの鳥のように滑らかな外観は、その名にぴったりだった。
 
 運輸交通部本部の部長室で、ロイドの傍らにオスマイルが居る。ウルマノフからの連絡をロイドに引き継いだ。
(開発が成功した。)
 ウルマノフの用件はそういう連絡に違いなかった。オスマイルは電話口から漏れ聞こえる会話からそう判断して、髭を撫でつけた。満足したときのオスマイルの癖である。
 ウルマノフの声が一段と大きくなって、ロイドに語る言葉の内容がはっきり、オスマイルにも聞き取れた。
「ロイドさん。最後に年長者のアドバイスとして聞いてくれ」
 ロイドは突然の提案に面食らったようだ。ウルマノフは続けてロイドに語りかけた。しみじみとした口調で年輩者らしい落ち着きと説得力がある。
「頑固はいけないよ。人間、素直が一番だ」
 ロイドの反論を待つまでもなく、ウルマノフは電話を切ってしまったらしい。ロイドは苦笑いを浮かべるしかない。突然に会話を終えたロイドは、オスマイルに命じて言った。
「たしか、技術供与制限法の追加の通達が来てたんじゃなかった?」
 オスマイルにとって、たしか、どころではない。
「毎日、実施はどうなっているとつきあげられてますが、、」
「あら、大変ね。至急検討するから、私に回してちょうだい」
 新型船について、その開発すら制限しようとする通達を、彼女は今まで、アスカの完成まで握りつぶしていたのである。通達は開発計画途上の船体を対象にしたものだから、試作機が完成して製品になってしまえば規制の対象から外れるのは間違いがないのである。
 オスマイルは思った。
(ホンマ、怖いおばはんやで)
 
 ロイドが立ち上がって窓の外を見ると、人々が見えた。この区画は行政の中心地だった。独立を求める人々のデモ隊と警官隊が衝突していた。道路が封鎖されて火炎瓶が燃え上がり、警官が催涙弾で応射するという激しさである。
(もう、避けられないのかもしれない)
と、独立闘争のことを考えたのである。
 
 格納庫ではいよいよアスカが航行試験のために宇宙空間に移送される準備が進んでいた。宇宙を航行する日が近づいているのである。「アスカ」と名付けられた船は、やがて開発メンバーの想像を超えて、火星市民の誇りと運命を託す船体に育って行くのである。もちろん彼らには、この後まだ、いくつかの難関を抱えている。
 
 しかし、今しばらくは、この連中を喜びの中で、そっといておいてやっても良い。
                                   
 
*カティア・ドノバン : この「アスカ誕生」に登場するドノバンの娘です。最終話では成長したカティアが、ウォルヒとともにヒロインとして登場します。

あとがき

 長い作品に最後までおつきあいいただいてありがとうございました。

 ただ、この物語はこれで終わりではありません。人々の夢や期待を紡いで姿を現したアスカは宇宙空間を航行する許可を得て、いよいよ宇宙空間に運ばれ、この物語の途中に少し登場したジーン・フランクリンとサナカ・オボテの2人のテストパイロットに委ねられます。その二人の物語はまた改めて。
 
また、後にレスキュー仕様に改造されたアスカの物語がすでに公開済みです。もし、よろしければお読みください。
「赤い大地のレスキュー」

キャラクターイメージ資料

  私にとって、長い物語を書き上げるとき、小説では文章で表現する人物を、イラストにしてキャラクターのイメージを固めていることがあります。この作品の資料を整理していて、そんなイラストが数枚出てきましたので公開しますね。

興味がある方はご覧ください。皆様が小説から得ていたイメージと違うでしょうか?

 

パク・ウォルヒ

名前からも分かるとおり、朝鮮半島系の血筋の女性ですが、物語りを描き始める段階では中国系のキャラクターでした。現在の韓国人女性でよく見かける目元がぱっちりした感じはなくて、切れ長のイメージでした。

 

エリック・ドノバン

 

イマムラ

 

エレン・ウィリアムス

 

ニシダ社長

ネヤガワ工業の創業者で先代の社長です。頑固な中小企業のオヤジです。

 

ジーン・フランクリン

今回の物語では姿は見せず、新人社員を呼ぶ声だけの出演でした。続編の「アスカ飛翔」では主役の一人としてアスカのテスト航行を行います。

 

 

 

 

 

とりあえず、出てきたイラストはここまで、他のキャラクターのイラストも出てきたらUPするかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 



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