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ウルマノフとロイド

「私では役不足だと考えているのかね」
 シルチスから帰社したイマムラにストヤンは渋い顔をした。最前線の小隊長が、直属の中隊長や大隊長を飛び越して最高司令官に前線に出てこいと主張している。イマムラが要求のはそういうことである。イマムラはストヤンの立場を察して黙って頭を下げ続けている。
 オスマイルの言うとおり、ロイド部長という人物は、繰り返し訪問することで、こちらの熱意に打たれて彼女の信念を変えると言うことはないだろう。次の面会で決着をつけなければならない。次の一度の機会に決着をつけるためにはウルマノフ社長というインパクトが必要なのである。ストヤンと共に社長室に出向いたイマムラにウルマノフが言った。
「事情は、クルーガー社長からも聞いた」
 ウルマノフにシルチス市に出向くのに異論はなかった、むしろ、自分から交渉に出向くつもりだったらしい。

 運輸交通部本部で彼らを迎えたオスマイルの笑顔がイマムラにはありがたかった。ようやくウルマノフとロイドを会わせ直接交渉させる事が出来るのである。
 ところが、ウルマノフとロイドは向き合ったとたんに互いに露骨な嫌悪感を露わにした。
「ほぉ。あんただったのか」
 まずウルマノフはそんな感嘆の声を上げた。初対面ではなかった。お互いに顔は知っている。ロイドの方は技術供与制限法の施行に反対して怒鳴り込んできた中小企業の社長として、ウルマノフはラベルの在留を認可しようとしなかった頑固な役人として、互いに相手の顔を記憶に刻んでいたのである。
「あんたじゃダメだ。まるで分かってない。図面の読める担当者を出せ」
 『図面が読める。』というのはラベルがよく使った比喩で、1枚の図面に込められた作成者の意図を読みとる能力を指している。ウルマノフはロイドに向かって、お前のような素人は交渉の相手にならないと宣言しているに等しい。
「ウルマノフさん。貴方は経営者として、今の状況が読めないの? 貴方は会社の財務状況をみて、事態が改善するとお考えなのかしら」
 ロイドはウルマノフにお前には経営者の資質が無いと言う。
 15分の面会時間に、二人の話は遂に平行線を保ったまま交錯することがない。オスマイルの協力にも関わらず、面会は不調に終わったのである。
「うちの会社に招待してやるから、あんたも一度は、現場をみてみろ」
 ウルマノフはそう言い残してロイドの前から姿を消した。

 ウルマノフが去った後、部屋に戻ったロイドの表情はいつもと変わりなく、彼女の信念に揺るぎがない。
「オスマイル君。中小企業の統合の話は早急に進めなさい。商工労働部との協議も必要でしょう。至急、調整を図ってちょうだい。必要なら私が交渉に出向きます」
 部屋から見える町並みに、その灯が幾つも消えて薄暗い。大気から閉ざされて太陽も見えない空間なのだが、この町にはこうやって昼夜の区別が存在するのである。時間は既に夜の6時を回っている。
(今夜も遅くなりそうだ)
 彼女は自分の帰宅時間を考えた。窓から見える街路に帰宅の人々が連なるように歩いている。
(あの一人一人に家庭があって、帰りを待つ家族が居るのね)
 眼下に人々を見ながら彼女はそう思った。感傷ではない、彼らを守る責務を思ったに過ぎないのである。彼女は夫を失ってから一人暮らしが続いていた。
 このあくる日、娘が孫を連れて彼女のもとに戻って来た。
 

ダニー・ボーイ

 ロイドは几帳面に机の上を整理して立ち上がった。
「部長、今から外出ですか?」
 部下の一人が驚いて声を掛けた。まだ、夕方の5時である。これから日が暮れ始めるところだ。出かけるには遅く、ロイドのいつもの帰宅時間にしては、随分と早いのである。
「娘から孫のお守りを頼まれていてね」
 彼女はそう言って、コートを羽織った。『孫のお守り』という言葉を部下は解しかねた。もちろん彼女は孫がいてもおかしくはない年齢だが、娘や孫という、ひどく人間くさい言葉と彼女の人柄を結びつけて考えることが出来なかったのである。部下は唖然とロイドを見送った。
「まったく、こんな時しか戻って来やしない」
 最後に言い残した言葉は、嫁に行った娘のことを表現しているらしい。

 彼女は今日はムーヴァーを使わずに歩いた。
(たしか、この通りに、、)
 古い記憶で不確かだが、この通りに玩具屋があったことを思い出したのである。彼女の思考ロボットに確認すれば良いのだが、彼女は頭の中の古い記憶に頼りたかった。ほぼ、記憶通りの場所にその店を見つけた。ビジネス街の一角で、この辺りで唯一の玩具屋である。勇気を出して踏み込んだのだが、場違いな場所に来てしまったような気がして戸惑いが隠せない。
「何かお探しでしょうか?」
 品の良い若い店員が彼女に尋ねた。普段、この店では客が自由に商品を選べるように、店員から客に声を掛けないと接客マニュアルで定められている。その規則を破らなければならないほど、ロイドは店内に一人で困り果てていたのである。
「孫にプレゼントしたいんだけれど」
 彼女は的確な商品のカテゴリーを指摘できないでいる。
「女のお子様ですか?」
「いえ、男の子」
「歳はおいくつ?」
「たしか、3歳の誕生日を少し過ぎたところだわ」
「室内で遊ぶような物がいいかしら」
 ロイドは店員の質問に頷くばかりで積極的な答え方が分からないでいる。店員は手慣れた様子で、彼女のために選択する商品を絞り込んで、宇宙船の玩具を選んだ。
「あらっ」
 ロイドは何かに気付いたように、店の隅を指さした。
「ごめんなさいね。やっぱりあれがいいわ。あれをちょうだい」
 人間の赤ちゃんほどの大きさのウサギの縫いぐるみである。店の片隅で時代に取り残されて、埃を被っていた縫いぐるみである。
「包みにはリボンもつけましょうか?」
「ええ。お願い」

 ロイドは託児所の前で、一つ、生真面目な表情のままで深呼吸をした。孫に会うということに勇気がいる。二人はまるで初対面のように向き合って、ぎごちなく手をつないだ。外見はおばあちゃんと孫娘に見える。目が大きい愛らしい顔立ちの子供で、男の子だが、ロイドが買い与えた縫いぐるみを抱いていると、女の子に見えるのである。この子の目の大きな顔立ちは、自分や娘の血を引いているとロイドは思った。孫に夕食のメニューの相談を持ちかける彼女の様子は戸惑うようで、仕事場での面影はない。
「ウィル。何か食べたい物はある?」
 ウィルは少し考え込んだ。
「ハンバーガーとフライドチキン」
 笑顔の孫に、祖母は渋い表情を浮かべた。
「あんた。もっと良い物を食べさせてもらっていなかったのかい?」
「じゃあ、ピザ」
「他には?」
「ドーナツ、ポテトチップも」
「ウィル。そんなものばかり食べてるとアメリカ人になっちゃうよ」
 孫は料理の名を考えあぐねて、困り果てたように首を傾げて祖母を見上げた。
「ねぇ、ウィル。おばあちゃんは、コーンスープやグラタンやニシンのパイ包み焼きなんて得意なんだけどな」
 もちろん、この数十年で腕が鈍っていなければと言う条件が付く。そのやや控えめな提案に、職場でのロイドの面影はない。食べ物の名をいくつか並べている内に、二人は家に付いてしまった。ロイドと孫の帰宅に合わせて明かりをつけ、部屋を暖めて風呂を準備しておくと言うことは容易なことだ。彼女の思考ロボットに命じればいいのである。ロイドは心の底で、空調を先に帰宅しているかもしれない娘に任せていた。娘はまだ帰っていないようだ。家の中はひんやり静まり返っていて、暖かみがない。
 孫を迎えて3日目になっても、彼女の料理をする手つきがおぼつかない。彼女ははるか昔を思い出しながら自分の手で料理をした。彼女はクリームシチューに母親と娘が絡む記憶を持っている。サラ・ロイドは、このシチューの味を母親から習って、娘に作り伝えてやったのである。
 ロイドと孫のウィルは、もくもくと食事をした。共通の話題が見つからない。彼女が買い与えた縫いぐるみは、薄汚れたウサギの縫いぐるみと並べて、ウィルの手を放れてベッドの棚に置いてある。古いウサギは彼女の夫が、昔、娘に買い与えたものだ。いまは、ウィルが母親の代わりに抱きしめて床についていた。洗ってやろうとしたらウィルが抵抗したた、諦めて新しいのを買い与えてやったのである。新しいのを手に入れても、ウィルは古い縫いぐるみを手放そうとしなかった。
「おばあちゃんと一緒に、公園を歩こうか」
 ロイドはそう提案した。その行動力は彼女らしい。もう、そうすると決めて孫にオーバーを着せていた。この時間、公園で孫を連れた年寄りが散歩している。この外出でウィルの友達を見つけることが出来るかもしれない、そんな理由付けしたのである。時間はまだ夜の8時でを少し回ったところで、ウィルを寝かしつけるには早く、ウィルの就寝時間まで会話をするには、二人に共通の話題が足りない。
 外は肌寒い。凍えると言うほどではないが、夜間はエネルギー節約のため、都市内部の温度が低めに抑えられているのである。多少暗く調節した照明と、この気温が、太陽の光が射し込まない都市の中に夜を作り出している。
 ベンチに座って孫を膝に抱き上げると、思いの外、重い。彼女は孫の温みに幼い頃の娘を思い出した。21歳で駆け落ち同然に家出をして音信不通になっていた娘である。きっかけは些細な理由だったような気がする。年頃に育った娘の連れてきた男が、夫や彼女の目から見て気に入らない。風采が上がらず娘を託すには至らないと思ったのである。世間一般から見ても、娘が連れてきた男に密かに反感を抱くのは珍しい事ではないだろう。彼女たちは若者の「愛し合っています」という言葉が信用できなかった。
 彼女の夫は、自分の自慢の娘が学校を退学し法律家への夢を断念するというのもまた、この男の責任であるような気がしたのだろう。強硬に娘の結婚に反対した、彼女も夫を支持した。その夫も5年前に他界した。寂しい葬式だった。口には出さなかったが、彼女は心の何処かで娘の帰宅を待っていたのである。

「『ああ、ウィル・ボーイ。
  パイプの音が、谷という谷に満ちあふれ、
  山の峰をかけ下ってあなたを呼ぶわ。
  夏は過ぎ去って、咲いていたバラは残らない。
  あなたはもう行かなくちゃ。』」
 ダニー・ボーイの詞を孫の名に変えて、彼女は古い民謡を口ずさんだ。このメロディは彼女が幼い頃に父親に抱かれて聞いた覚えがある。彼女にとって意外なことに、ウィルが膝の上で祖母のメロディを引き継いだ。
「『でも、また牧場に夏がめぐって来たら戻っておいで。
  たとえ、谷間が雪で白く静まり返っていても、
  晴れているときも曇っているときも、
  ここでずっとあなたを待っているから。』」
「あらっ、ウィル。この歌を知っているのね」
「うん。ママが歌ってくれるよ」
 娘のアレサがウィルの手を引いて彼女のもとに姿を現したのは3日前の休日のことだ。9年間も音信不通のあと、予告もなく母親のもとを訪れたのである。そして、娘は母親に、昨年、夫と死別したと伝え、彼女が初めて会う孫を紹介したのである。
「これ」
 彼女はマフラーを差し出して続けた。
「もうすぐママの誕生日よね」
 9年間の穴埋めがこの粗末なマフラーらしい。短い単語をいくつか繋いだ会話の後で、娘は彼女にウィルを託した。仕事が見つかるまで、子供を預かって欲しいというのである。
「よければ、あんたもここにいてくれても良いんだよ」
「ここは大きな事務所ばかりでしょ。ちょっと田舎で、小さな所で落ち着いていろんな経験をしたいのよ」
 娘はどこかの法律事務所に職を求めたいと言った。事務をしながら、再び法律家の勉強をしたいというのである。もう、娘は彼女の手を放れてしまったらしい。自分には娘の意志を変えることが出来ない、ロイドは愛する者に裏切られ捨てられたような気がした。では、このウィルを自分は娘を失った心の隙間を埋めるために利用している。そんな罪悪感がちらりとよぎった。

「お孫さんですか?」
 幼い子供の手を引いた老人が彼女に声を掛けた。小さな女の子が老人にまとわりついて、老人の足の向こうから此方をのぞき見ている。ウィルのことが気になるのだろう。
「ええ。娘に孫のお守りを頼まれてね」
「可愛い娘さんだね。目のあたりがおばあちゃん似だ」
「ボク、男の子です」
 ウィルがそう反論した。
「ごめん。ごめん」
 老人が勘違いを詫びつつウィルの頭を撫でた。
(おばあちゃん似?)
 彼女は不思議な感覚を込めて思ったが、言葉はやや愚痴を込めたものになった。
「まったく、こんな時しか帰って来やしないんだから」
「それは娘さんから?」
 老人はロイドの首に掛けたマフラーを指さした。編み目が大きく不揃いで手作りだと言うことが分かるのだろう。ウィルは彼女の膝から下りて、女の子と老人の足下をくるくる回った。
「ええ。子供の頃から、編み物が下手な子でしたわ」
 去って行く女の子に手を振ったウィルは、満足気に大きなあくびをした。もう、寝かしつける時間らしい。

 しかし、子供はこんなに気まぐれなものだったかと思わざるを得ない。眠そうだったはずのウィルは、ベッドの中で大きな丸い目をぱっちり開けてしまった。起きだそうとする孫を、ロイドはもう一度ベッドに押し込んだ。
「おばあちゃん。ご本を読んで」
 ウィルは彼女にねだった。彼女の心の底にじんと響く言葉だ。孫が初めて祖母に甘えたのである。
 絵本が書籍という形のままで、この時代にもある。幼児の枕元で読み聞かせるというコミュニケーションの手段が、ずっと人々に引き継がれている証拠だった。ウィルは縫いぐるみのウサギとともに、お気に入りの絵本を所有している。彼は母親がそうしてくれたように、枕元で聞かせて欲しいというのである。ロイドは孫の枕元で絵本を広げた。
「『ちいさい魔法使いのアトラは魔法の修行が嫌いで、今日もサボって、屋根の上に寝転がって夜空を見上げていました。空にはいくつものお星さまがきらきら光っています。』あらっ。このアトラは勉強が嫌いなのね。ウィル、あなたは?」
 念を押した祖母に、孫は笑った口元を毛布で隠して、自分と同じかもしれないと同意した。
「『ああっ。あの星がボクの友達なら、どんなに楽しいだろう。』と独りぼっちのアトラは思いました」
彼女の声に聞き入る孫の表情は、絵本の主人公より数段可愛い。ロイドはページをめくって読み続けた。
「『ねぇー。お友達になってよー。』アトラは大声で叫んだのですが、空のはるか上の方、お星さまはきらきら光っているばかりで、アトラの声は聞こえません。小さなアトラは独りぼっちのままでした。『ああそうか、ボクは魔法使いだったんだ。自分で作ればいいんだよね。』アトラは友達を自分で作ろうと思いました。でも、いままで、アトラは修行をさぼってばかりでした。あくる日から、まいにち、アトラの小さい家の中から、いろいろな大きな音が響き始めてとてもにぎやかでした。それは爆発の音だったり、アトラが泣いたり怒ったりする叫び声でした」
 ふと、ロイドの言葉が途切れた。この小さな魔法使いの馬鹿馬鹿しい雰囲気に、何故かネヤガワ工業の連中の顔を思いだしたのである。ウィルは祖母の手を引いて、早く先を読めと催促した。
「やっと、お星さまが生まれました。
アトラは友達ができてうれしくて大はしゃぎです。
でも、ちょっと変でした。お星さまに元気がありません。
アトラには良く分かりました。だって、自分がそうだったから。
アトラのお星さまは、この地上で、ほかのお星様から遠く離れて、独りぼっちでした。
また、寂しくなるかもしれないと、アトラはまず自分のことを考えました。
でも、アトラはお星さまを空に送り届けてやろうと思ったのです。
ちいさな魔法使いのアトラは、背伸びをしてみましたが、空に手がとどきません。
あんなにたくさん見えているのに、お星様はみんな空のずっと上でした。
このときでした。誰かがアトラを肩車で持ち上げてくれたのです。
それはアトラの仲間で、いちばんの力持ちのソユーでした。
それでもアトラの手は空の高さに届きません。
『みんなあつまれー。お星さまを空まで持ち上げるぞ。』
ソユーが声をかけたので、ものかげにかくれてアトラとソユーを見守っていた ちいさな魔法使いがいっぱい集まって、空にはしごをかけたり、虹の橋をのぼったり、にぎやかになりました。
みんな、ほんとうは、アトラのことを心配していた、やさしいなかまでした。
それでも、なかまが持ち上げたお星さまは、空にはとどきません。
ちいさな魔法使いたちは、先生の大魔法使いに、相談することに決めました。
『あなたたちも魔法使いでしょう。』
先生の大魔法使いは、そういって、手伝ってくれません。ちいさな魔法使いたちは、自分たちでやるしかなさそうです。
『そうだね。ボクたちは魔法使いだ。しんじることはなんでもやれる。』
『そうよ、魔法を使ってロケット花火が作れるわ。』
と、アリアが思いつきました。いい思いつきだとみんなは思いました。
みんなはお星さまを空に連れて行くのに、小さな魔法でロケット花火を作りました。
その花火は、アトラたち、ちいさな魔法使いの人数分だけあって、お星さまを空に運ぶのにじゅうぶんに思えました。
お星さまを空に運ぶ日がきました。アトラたちはロケット花火に火をつけて、花火につないだ紐にぶら下がったお星さまにお別れの手を振りました。
『あれれ、上手く上がらない、、、。』
空にあがったお星さまは、空のまんなかで宙ぶらりんでした。仲間のお星様の所に届きません。
『もう、あの子たちときたら。』
物陰で、アトラたちを見守っていた大魔法使いは、あきれたようにためいきをつきました。
『がんばれ、がんばれ、もっと、がんばれ。』
やさしい大魔法使いの声が、だんだん大きくなって、アトラたちの耳にも届きました。
『そうだったんだ。』
アトラたちは先生を振り返って思いました。
アトラたちは魔法使いです。魔法にとって大事なことは、お星さまの願いをかなえてやりたいという思いやりでした。
『がんばれ。』
『ぜったい、あがるぞ。』
『なかまのところへ、飛んでいけ。』
アトラのお星さまは、ちいさな魔法使いの声にのって、どんどん空の上に上がっていきました。
やがて、空にのぼってほかのお星さまにまじっていきました。
どのお星さまも幸せそうに輝いていて、とれがアトラのお星さまか区別がつきません。
でも、たくさんの光の中にの中に一つ、まんぞくそうにウインクする星がありました。
『きっと、あれがボクたちの星だね。』
アトラは周りを見回しましてそう言いました。
いまのアトラは、あのお星さまといっしょでした。お星さまと同じように、やさしい仲間に取り囲まれていました」
ロイドは読み終えて、最後のページを閉じた。
「よかったね」
 ロイドは孫の額を撫でて、物語の結末に同意を求めた。しかし、幼児の気まぐれさを思い起こさずにはいられない。孫のウィルの返事は、物語と全く関係がない。
「おばあちゃんのシチューはママのと同じ味がした」
 ウィルはベッドの中でそう言ったのである。
(おばあちゃん似?)
 さっき老人が言ったことを孫の顔の中で思い出した。この孫は私の血を引いている。そして、この子の母親が自分の生き方にこだわるのも、母親である自分の頑固さを引き継いでいるのかもしれない。
 ウサギの縫いぐるみが2つベッドに並んでいる。片方は自分がプレゼントしたものだ。ウィルは喜ぶふりをした。自分を喜ばせようとしたのだろう。孫の幼い演技はおばあちゃんにばれていた。
(でも、私はこの子に何を与えてやれば良いんだろう)
 親である自分の意志に反して、手を離れていった娘に対する、惨めな恨みが失せた。失った娘が残した心の隙間を、この孫で埋めてはならないだろう。この子を笑って送り出す時のために、ロイドはそう考えた。
 彼女は絵本を閉じて、眠りについた孫の枕を優しく直してやった。絵本の裏表紙にはアトラを囲んで大勢の小さな魔法使いが空を見上げる絵があって、彼女は真ん中のアトラを指で撫でた。ウィルのイメージを重ねたのだろう。
 

ロイド来社

「なに?」
 イマムラは受付から連絡を受けて怪訝な表情を浮かべた。その驚きは表情通り、疑問や違和感に満ちていて、それを部下から隠す余裕がない。部屋の中のメンバーも首を傾げ、不思議そうにイマムラをながめた。
 突然に予告もなく、運輸交通部本部の責任者が来社したというのである。肩書きから見て、あのロイドに違いない。部長クラスの役人が中小企業を直接訪問するというのは前例がない。連絡を受けたイマムラがまず考えたのは、社長に連絡をしておくかと言うことだ。しかし、別のルートでウルマノフに連絡が入ったらしい。出張中の社長から、すぐに帰社するという連絡があったという。そのウルマノフからストヤンに指示があった。
『自分が戻るまで、一時間の間、陣地を死守して守り抜け。』
と言い放ったらしい。その任務をストヤンとイマムラが背負った。

「お気になさらないで。仕事の都合でシンカンサイ市に来る機会があったので、ついでにお寄りしただけですから」
 オスマイルを伴ったロイドはさり気なく言った。
「今日はどんなご用件ですか?」
 ストヤンがロイドの迫力に圧倒されているようだ。
「時間がありませんから手短に。まず、工場を見せていただけないかしら」
 時間がないというのは事実だろう。部長というポストに大きな権限が集中している。有能な部下に恵まれているとしても、その忙しさは半端ではないはずだ。ロイドはすでに席を立ち上がっている。ストヤンは慌てて、工場に入るための作業着とヘルメットの準備を命じなければならなかった。既に主導権は彼女に握られている。
 イマムラの案内で、ロイドは工場を巡回した。あまりこういうものを見る機会は無いらしいが、取り立てて彼女の興味を引く物もないらしい。
(雰囲気は悪くない)
 ロイドはそう思った。自分と同じく技術的な素養のないイマムラが、生真面目に製造ラインやライン上の船体について、説明してくれるのだが、技術的なことはどうでもいい。そんなものは部下に任せればいいのである。彼女はイマムラの説明を聞く振りをしながら、工場の中を見回し雰囲気を味わっていた。
 床にはゴミ一つなく、機械部品は名札をつけた棚に整理されている、機械工具は所定の位置にある。設備は新しいとは言えないが、綺麗に磨き上げられていて、そこで働く従業員はちゃんと教育されているようだ。
 全て製造ラインには、船体や船体を構成する部品がのっかっていて、遊んでいるラインがない。この企業が設備を稼働させるだけの仕事を受注しているのは間違いがない。
 製造部長が部下を怒鳴りつける場面に遭遇したが、怒鳴りつけられた部下の様子がはきはきと明るく、内にこもる暗さがない。モノを作ることに誇りと責任を持っている証拠だと思った。
「イマムラさん。もう、これで充分」
 ロイドは工場半ばで見学を打ち切った。全てを見てもらって、今一度、再考してもらいたいというストヤンとイマムラには、ため息が付きたくなるほど残念だった。彼女が判断を変えるつもりでやってきたのかと、都合良く考えないこともなかったのだが、彼らの思惑とは別に、この女には彼らをソロモンドックに吸収させることしか頭に無いらしい。この来社はその為の下見なのだろう。
「次は、あなたの仕事場も見ておきたいわね」
 ロイドは再び主導権を握った。新型船設計の現場も見ておきたいというのである。
 彼女を技術部まで導いたイマムラは、その入り口でガーヤンに遭遇した。ガーヤンは彼らに愛想笑いを残して、ばたばた賑やかな足音をたてて廊下を駆けて姿を消した。
(あの重戦車が偵察か?)
 ストヤンが呆れたような小声で尋ねたので、イマムラはそうかもしれないと小さく頷いた。ウルマノフの接近を知らせる警報システムが、ロイドには適用できない。部下達はガーヤンを技術部の入り口まで偵察に出していたらしい。じっと物陰に身を潜める狙撃兵のシンか、軽快な機動力を持った偵察部隊のバレでもいい、もう少し適任者がいるだろう。ガーヤンという重戦車は目立ちすぎる。人選ミスだろうと非難するストヤンに、イマムラも同意したのである。
 ロイドはガーヤンに気づいているはずだが気にする様子はない。機動部隊が示威行動のために遊弋するように、存在を露わにしておくことが目的のようで、敵方が偵察することすら意味がないのである。技術部内部の部屋を回って行くロイドにそういう存在感がある。職場を見ておきたいという言葉と裏腹に、彼女は工場を巡回したときと同様に、大して興味を引かれるものはないらしい。イマムラやストヤンがオスマイルの質問に答えている内に、ロイドが次の部屋に移っていると言うことがあり、気付かない内に彼らは、ロイドが居なくなった部屋に取り残されていた。彼女は抵抗を受けないまま、この建物の最も奥の技術開発課にたどりついた。
 イマムラが導き入れた技術開発課には、いつものメンバーがそろっている。ロイドは部屋を見回した。孫に読んで聞かせた童話に出てきた小さな魔法使いの家に似て、この部屋は随分小さい。この部屋から溢れるほどの人間がいて、みんな新型船開発という馬鹿馬鹿しい夢を見ている。
(でも、みんな素直でいい目をしているわね。このイマムラという男に似ているのかしら)
 ロイドは技術開発課のメンバーを見回しての感想だった。彼らの目は卑屈でもなく奢ってもいない。ロイドに多少の心理的変化がある。彼女の信念が変化したわけではない、ただ、この連中の顔が微笑ましく見えるのである。
「ストヤン君。ストヤン君。ちょっと用があるんだけど」
 スメタナがストヤンに用があるらしく小声で声をかけた。ストヤンにも心当たりがある。作業報酬の件でスメタナから相談を受けている。会社の規模は小さいながら、彼女は社長で社員の生活を守っているのである。今日、彼女と相談して報酬額と支払い方法について再検討する約束になっていた。しかし、ストヤンは彼女に手を振って見せて、彼女の言葉を無視した。今はそうせざるを得ない。ロイドの相手で手一杯だ。
「こら、寝ションベンたれ。用があるって言ってるのよ」
 スメタナがストヤンをその別名で呼んだので、今度はストヤンはスメタナと向き合わざるを得ない。
「イマムラさん。あのお行儀の悪い方はどなた?」
 ロイドの質問は視線の先のスメタナのことを指しているらしい。ロイドには及ばないが、スメタナも独特の存在感を持っていて、ロイドはこの部屋で初めて興味を引かれるものを見つけたようだ。
「スメタナシステム開発の社長で、いまここで働いてもらっています」
「あら、イマムラさん。あなたたちは、彼女の会社を吸収してしまったというわけかしら。あなた達は弱者を吸収しても、強者に吸収されるのはお嫌?」
「ロイドさん。あれが吸収された様に見えますか?私たちが彼女に吸収されそうだ」
「でも、貴方達に協力して働かされて居るんでしょう?」
「あなたがどう見るか分かりませんが、喰ったり喰われたりする関係じゃない。お互いに敬意を持てる能力があるから、お互いを利用し合ってるだけです」
「吸収とは別の関係という事かな」
 オスマイルがそう結論づけた。普段は気難しいロイドが、この時にはオスマイルの言葉に同意を示し、スメタナの後ろ姿を眺めていた。
「なるほど、興味深い関係ね」
 イマムラはロイドやオスマイルと共に応接室に戻った。成否は分からないが、彼女がこの企業に不満を持っている様子はない。オスマイルは彼女の表情からそう判断して胸をなで下ろした。ウルマノフの帰りを待つ間、途切れた会話をロイドが繋いだ。
「ねえ、イマムラさん。あなたは子供に何を与えてやれるのかしら」
 イマムラはオスマイルと顔を見合わせた。二人ともロイドから発せられた言葉だとは思えなかったのである。
「残念ながら、私は子供に恵まれていません」
「あら、ごめんなさいね。でも子供はいいものよ」
 ロイドの人柄からは信じられない言葉である。この時に、ようやく社に戻ったウルマノフが早足で応接室に現れた。
「敵の寝込みを襲うような、見事な奇襲攻撃だ」
 ウルマノフはそう言った。予告もなく自分が不在の間にやってきた事を指摘しているらしい。ウルマノフが応接室に顔を見せたために、ロイドは会話の相手をウルマノフに代えた。
「いえ、この間お会いしたときに、ご招待いただいたでしょう?」
 そう言えば、前回会ったとき、ウルマノフは彼女に言い捨てた覚えがある。
(一度うちに招待してやるから、現場を見て見ろ)
「だから、一度、現場を見せていただいていたの」
 ロイドの言葉に皮肉が満ちていた。ロイドが来社してくれたと言うことは、事態が好転する兆しかもしれない。イマムラのそんな甘い期待は裏切られた。
「ど素人に分かるもんか」
 ウルマノフは皮肉ではなくストレートに言い、ロイドも応じた。
「あらっ。図面は読めなくても。企業の決算書ぐらいは読めますわよ。なんでしたら、御社の貸借対照表について、御社の悲惨な状況をご説明して差し上げましょうか?」
 もと経理部出身のウルマノフに対する強烈な皮肉である。新型船開発の経費が経営を圧迫して、経営状況は悪化している。たった一枚の表からはっきり読みとれるのである。彼女は言外にあなたにはこの経営危機が自覚出来ないのかと問うているのである。彼女は説得の言葉を続けた。
「会社の規模ではなく、この火星で占める役割について、あなた方を随分評価しているつもりです。それゆえに、私たちは火星市民のために、地場産業が、致命的な打撃を受けることだけは回避しなければなりません」
「そのために、あなた方の提案に従えと、」
「会社を潰さず存続させるために、企業を統合するというのは最も適した方法です」
「統合と言えば聞こえは良いが、要するに弱者が吸収されるって事だ」
「もう少し幅広い視野で見ていただけないかしら」
「ロイドさん。あなたは企業というものを理解していない。私たちは積み木じゃない。あなた方の勝手な都合で組み立てられてはたまらない」
「ウルマノフさん。あなたは、社員を道連れにこの会社を潰すおつもり?」
 場所を変えただけで、二人の会話にはまったく進展がない。オスマイルとイマムラは、互いに疲れた顔を見合わせている。
(強情で頑固な上司を持つと、お互いに苦労する)
と言うのである。
 どちらも譲る気配はない。話は物別れに終わったのである。帰って行くロイドとオスマイルを見送ってストヤンが言った。
「イマムラ。君が交渉の時に直接、社長を呼びだした理由が分かった。あの女はエリ・スメタナ以上だ」
「あら。寝ションベンたれが、何か誉めてくれているの?」
 後ろから現れたのはスメタナである。
「さあ、払うものはちゃんと払ってね」
 スメタナはストヤンの腕を掴んで、報酬の相談をするために会議室に連れ込んだ。彼女は自分がロイドにとって大きなきっかけの1つになったことに気付いていない。
 

アトラとなかま

 早朝、イマムラに社外から連絡が入った、シルチス市のオスマイルから時差を考慮した通信だった。
「イマムラさん。23日にこっちまで来られるか? 無理は承知だが、社長も同行してもらえばありがたい。まだ内容は明かせないが、我々と企業の関係について話し合いたい」
 社長と同行というオスマイルの言葉で、イマムラは連絡の内容をウルマノフの耳に入れざるを得ない。イマムラが恐る恐るウルマノフに伝えると、彼はやる気満々だった。
「なに? まだ、やり足りないって言うのか? 上等だ。あのションベン臭い小娘に言ってやりたいことが山ほどある」
(あのロイド部長がションベン臭い小娘? なんて好戦的な言葉だろう)
 ウルマノフは即座に秘書課に命じて、3日後の予定を全てキャンセルした。そうしてまで、彼女と一戦交える準備を整えて、明くる日の戦闘への意欲に腕を揉みながらシルチス市に旅立った。

 求められた日に、ウルマノフとイマムラは指定された部屋に入って首を傾げた。風格だか人間的な迫力だかわからない。中小企業の社長というのは大企業と違う一種独特の雰囲気がある。その雰囲気が室内に満ちている。事実、ダロス社のクルーガーなど顔見知りの中小企業の社長の姿を見受けることが出来るのである。
 議事進行はオスマイルだった。困ったなぁと髪を掻き上げる癖を連発して今回の説明をした。
「一部の企業の方々には、企業の体質強化についてのご相談を申し上げていたのですが」
(企業の体質強化?素直に吸収合併と言え)
 ウルマノフはそう思った。他の出席者も同感であるらしい。
「今日は新しいご提案について皆さんのご意見を伺いたいと思います」
 この言葉も民間企業から見て、被害者意識にも似た反感を買う。行政の提案というのは揺るぎ無い決定事項だし、ここで出席者が放つ意見は、決定事項に反映されないまま、民間の意見を聞いたという行政の実績になるばかりだと考えるのである。
 そんな聴衆を前に、髪を掻き上げながら語るオスマイルの話はこうである。彼ら行政のの目的は初期の目的と変わりがない、火星の地場産業の体質強化である。つまり行政として従来の主張を譲ったわけではないと言うのである。次に国産機開発という目的で協力する企業を募る。それらの企業を高速通信回線で接続して国産機開発を目的とした巨大企業に育て上げる。
(一種の巨大プロジェクトか)
 イマムラはそう考えた。今回のケースが順調に運べば、資源開発、テラフォーミング事業など他の業種にも拡大する。今回はそのテストケースに当たるため、ネットワークを構築する高速通信回線は運輸交通部本部から無償で貸与する。というのである。
「ウルマノフさん、いかがでしょう?」
 オスマイルは尋ねた。彼の話に、指名されたウルマノフを始め、出席した経営者達の反応が全くない。確かに、経営者として難しい判断を要する問題だろう。しかし、イマムラにとってはありがたい。探査機器、通信機器、電力供給機器など、イマムラがこれから協力を求めて回ろうと考えていた企業がここに一堂に会しているのである。
 参加期限表明に指定された7日後までに、大半の企業が参加を申し出ていた。かれらはロイド達の提案を受け入れたのである。更に行政にとって予想外な企業であったらしく、リストに漏れていたウルド特殊車両など関連企業の参加も認められた。

 ウォルヒたちは開発作業を中断して、ネットワークの再編成に追われていた。ネヤガワ工業の技術開発課を中心に協力工場との間に高速通信回線を確保し、指示連絡網を確立する。関係部門は火星全土17カ所に分散していたが、このネットワークによって、新型船開発を業務目的とした新会社が出来上がったに等しい。17社に渡る企業の関連部所が宇宙船の自主開発という1つの目的で結ばれて動き始めたのである。
 必ずしも、情熱という点でまとまったわけではない。火星の地場産業にとって小型船の自主開発という選択肢しか残されていないことは明白である。この時勢の中でいち早く自主開発に参画すると言うことは、同業他社に抜きんでることになるに違いない。そういう利害関係で繋がった。その自主開発の波の中で、他社に抜きんでてより優位な地位を築きたいと画策するのは企業の持っている本質といえる。このプロジェクトは一面、そんな危うさを秘めている。纏まるか分解するかは新型船の成否と、成功した場合のみの公平さにかかっていると言っても良い。ネヤガワ工業にとっても今後の展望が開けた思いと共に、油断していれば出し抜かれるという危惧を捨てきれないのである。
 ストヤンは1つの決断を迫られた。自分が出るか、と言うことである。新型船開発はもとはネヤガワ工業から始まった。その技術の総責任者である自分がプロジェクトのトップなら、表だった文句は出ないはずだった。新型船開発においてネヤガワ工業が主導権を握れるはずだ。しかし、強引なゴリ押しとも映るだろう。公平さを欠いてプロジェクトが瓦解する危険性もある。
 再び、ストヤンはイマムラを(面白い男だ。)と思った。イマムラが先に主導権を握ったのである。最初のミィーティングの席上、各社は偵察がてら、中堅の技術者を派遣していた。もちろん今回の件に関わりの深い人材ばかりである。セキュリティー保護の意味で、高速回線網ではなく、生身の技術者が、ネヤガワ工業の技術部の会議室に顔を揃えたのである。言葉や雰囲気が直にしみいってくる。イマムラはこの会合を非公開とした。
 イマムラの部下は火星の各地を回っていた。その報告の中で、あるいは彼自身が出会った者も含めれば、出席者の7割方の顔や経歴、癖に至るまで見知っていたし、相手も自分を知って居はずだ。
 その会議の冒頭でイマムラは立場上、ネヤガワ工業がいかに重要な位置を占めているかを宣言する必要があるのだろう。集まった人員も、当然、それを想像していたに違いない。
イマムラは彼らの顔をゆっくりとみわたした後、
「良いものが造りたいなあ」と、言ったのである。
 少年のように夢を見る口調で、やや現実味にかけてはいるが、言葉に体温がこもっていて暖かい。その言葉が人々の感性に響いた。各メンバーは落ち着きのある笑顔で頷いた。ものを造るという手段で、夢を現実化する、各自の企業を離れてただ一点で価値観を共有したのである。ウルマノフが技術者という連中は信用できないと語ったことがある。その言葉が鮮やかに的中した。イマムラが言葉を発した瞬間からメンバーは各社の集まりでありながら、所属する組織の利害から独立してしまっている。
 人々はイマムラの言葉にうなづいていた。この連中は会社の利益という価値観を放り出して、メンバーの夢という価値観で結びついたのである。経営者の目から見れば、緩やかな裏切り行為と言えるかもしれなかった。後年、ウルマノフやクルーガーはこの時のイマムラを評して(あのテディベアーは狐の心を持っていやがった)と笑いあった。
 イマムラが一方では無垢な少年の心を持っていながら、もう一方では、ずる賢くたちまわったのは、この関係を維持するために、ここに集まった技術者の上司の面子が立つような工夫をした点である。イマムラも必死である。善意や夢や情熱だけで繋がっているわけではない。各社の利害で繋がっている。その利害を調整しなければならないのである。
 

データー流出

 開発作業は川の流れのように、細い流れがいつの間にか太くなったり、いくつかの流れが平行線を辿っていたり、合流したりしながらその河口で新型船として集約される。この川に16社もの流れが加わって、MSC─X開発という川は随分太くなった。
 その川が氾濫しないように、かつ、1つの流れに合流させる役割を担っているのがウォルヒである。昔風に言えば主任設計者や設計責任者と呼べるかもしれない。職務の肩書き上はイマムラになるのだろうが、イマムラ自身は技術的なことについては部下に任せて、黒子に徹している。
 そのウォルヒが、幾つか同時に抱え込む作業の中で、現段階でやっておかなければならないことに頭を抱えていた。今回開発するMSC─Xの場合は、保安局への納入の可能性が高い。引き渡しやその後の販売を容易にするために、協力メーカーのジェクト社で、MSC─Xの訓練用のシュミレーターの開発を始めておくのである。先のMSB─Xの時には経験しなかった作業だった。
 現在が火星歴70年20月、彼女たちは船体の完成を71年18月と見込んでいる。火星時間で約1年弱、1ヶ月の期間は地球とほぼ同じだから、22ヶ月先だと考えればいい。保安局への船体の納入をこの時期だと考えて逆算すれば、保安局はこの時期に合わせて搭乗員の訓練を始めなければならない。彼女たちは船体の開発と平行して、搭乗員の操縦訓練用のシュミレーターを開発しておく必要が生じたのである。当然だが、訓練用シュミレーターというのは、MSC─Xの操縦席や操縦性能を再現したものだから、MSC─Xの概略が定まっていなければならないのである。その概略が変更に次ぐ変更でまとまらない。MSC─Xの開発には様々な企業の参画を経て、開発力は増大しているはずだった、しかし、考えてみれば、ダロス社の『銀河特急』は、地球メーカーの競合するエンジンの性能と同等かやや上回る程度なのである。
 当初、ライセンス生産エンジンだあったライン89を搭載していた時に比べると、出力は向上し、なおかつ2トン近い重量軽減になった。ダロス社の努力には敬意を払わざるを得ない。現在の所、船体の本体の重量が約26.7トン、搭載する推進剤が22.6トン、合わせて49.3トンになると見積もられている。
 しかし、ウォルヒは、宗教の信者が教典をそらんじるように保安局が新型船に求めた7つの要求項目の一字一句を記憶していた。最初の項目で加速性が要求されている。要求を満たすために更に重量軽減が求められるのである。航続時間に関わる要求があって、推進剤の搭載量を減らすことは出来ない。ウォルヒたちは船体そのものの重量を26.7トンから、更に2トン近く削るという無茶な必要に迫られている。
 先のMSB─Xの時に、周囲の仲間から反感を買っていたような強引さで、今のウォルヒは、協力メーカーに重量の軽減を求めていた。
 これは『ウォルヒ・パクのダイエット』と揶揄されていた。不要な体重を絞り尽くしたボクサーや長距離ランナーから、更に体力まで奪うように体重を削ると言うことを、痩身のウォルヒがダイエットするという無謀さにたとえ、メンバーは自虐的に笑っているのである。MSC─Xのオプションの装備は任務によって変更するように設計していて、現段階で船体から外せるような余分な搭載機器はない。船体の強度は安全係数3.0、ぎりぎりまで下げていて、これ以上強度を削るのは搭乗員の生命をいたずらに危険に晒すことに他ならない。もともと、やせっぽちに設計されていたMSC─Xの船体から、無駄肉どころか、強度に影響がないと判断された骨まで削りきっているのである。
 ここまで来て、彼らの夢は、周りから寄せられる期待という重圧を加えて、再び行き詰まってしまっている。かといって、全体のスケジュールを遅らせるわけにも行かないまま、イマムラは現段階での船体の能力のデーターを、ジェクト社に転送させた。取りあえず、仮のデーターで訓練用シュミレーター開発を始めておいてもらうほか無いのである。
 MSC-Xはネヤガワ工業やダロス社を始めとする民間企業が主導権をもって推進している。行政の関わりを見れば、ロイド部長の運輸交通本部がプロジェクトの立案推進という点で関わっている。しかし、もともと、MSC─Xの要求性能を提示した保安局は事態を静観していて、船体開発に関与する気配を見せない。自分たちには関わりがないと言わんばかりである。
 その保安局からネヤガワ工業に、突然の警告が入った。通信が外部に漏れているというのである。イマムラがジェクト社に転送させたデーターについて、ジェクト社の技術部員から通常通信で問い合わせがあった。その会話内容が外部に漏れた形跡があるというのである。もちろん会話で触れたMSC─Xの概略に付いても、情報が漏れたと見なければならない。新たに構築した高速回線による、船体のデーターについてのやり取りには、厳重なプロテクトがかかっていて、あのバレやスメタナでさえ解析は無理だと断言するほどである。
 今回の場合は通常通信である。イマムラたちが迂闊だったと言えるだろう。しかし、一般市民の通話も含めて、膨大な通信量に混じった特定の会話が外部に漏れたというのは、首を傾げたくなることだった。ネヤガワ工業を狙って、通信が盗聴されていたと言うことかもしれない。いずれにせよ、誰がどんな目的で通信を盗聴したのかと言うことは現段階では捜査中であるらしい。保安局としては、MSC-Xが要求性能通りに仕上がって運用することになれば、その性能の細部は外部に秘匿しておきたい。その情報の流出を防ぐ意味での警告だった。
 保安局の警告から一歩遅れて、警察本部から今回のデーター流出問題について、捜査員がやってきた。通信が無断で傍受されていたということは、刑事事件として扱われ、彼ら警察組織の捜査対象になる。ウォルヒたちは、やや意外に思った。宇宙空間で捜査を行うと言うことから、保安局を警察本部と同一視していたのである。考えてみれば、行政組織上、両者は互いに独立している。分かりやすく、現代に例えて言えば、保安局は海上保安庁に該当する。宇宙空間での捜査権を持っては居ても警察ではないのである。つまり、彼らは今回の事件の第一報を、管轄外の部局から受け取ったのである。イマムラはやや眉を顰めて聞いた。
「バレ。運輸交通部から貸与された高速回線の盗聴は可能かな?」
「どういうことですか?」
「各社とやりとりをしているMSC-Xのデーターの秘密が、通信を経由して外部に漏れると言うことはあるんだろうか?」
「スピカの運行システムのプロテクトの解析程度ならともかく、運輸交通部から貸与された高速回線は政府のセキュリティの管理下にあります。私たち程度のレベルでは回線に割り込むことすら出来ませんわ」
「情報が漏れる可能性はないと言うことか」
「それに、政府で管理をしているとはいえ、各部局間でもセキュリティのレベルや暗号化の手段に差があります。政府関係者であっても他の部局の情報にアクセスするのは困難だと思います」
「もし、同じ部局なら?」
 そのイマムラの問いに、バレは首を傾げつつ、行政組織を頭に思い描いた。複雑な組織を整理してみれば、バレにも思い当たることがある。
「運輸交通部の中に、回線を貸与してくれた運輸本部と、今回の警告を発した保安局が所属する機動空間部が並列で存在します」
「我々のプロジェクトの情報は、行政側に漏れていると考えても良さそうだね」
「ネットワーク上の情報に、こちらでプロテクトをかけてはどうでしょう」
「いや、情報はオープンに。ただ、この件については部長と社長に報告して処置は任せよう」
 保安局が極めて適切な時期に警告を発してきたと言うことは、盗聴犯のみならず、今までは国産機開発から距離を置いているように見えた保安局が、開発の状況に片時も眼を離さないほど関心を抱いて、監視を続けていると言うことである。なにやら、ややこしい状況の中に組み入れられてしまっているらしい。
「私たちは、いいモノを造るだけだ」
 イマムラは、彼自身がそんなややこしさを振り払うように、部下にそう言った。現場は隠し事をしなくてはならないことは何もない。部下を物作りに専念させたいと思ったのである。行政が密かに彼らの情報をモニターしているというのは、行政サイドのきわめて違法に近い行為である。この弱みは行政との様々な交渉の切り札になるだろう。そういう腹の探り合いは、ロシア者に任せておくに限るだろう。イマムラはウルマノフを信じてこのカードを預けることにした。


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