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試作船MSC─X

 ストヤンは出社後、一杯目のコーヒーも飲み終わらない内に設計課課長のキムの訪問を受けた。
「おはようございます。いま、お時間をいただいてよろしいですか?」
 キムは自分の話を聞けと要求している。断ろうにも、すでに机の前から追い払わなくてはならないほど部屋に入り込んでいる。自信家のこの男らしい。
「朝っぱらから何かトラブルかね」
 ストヤンの言葉には、幾分、皮肉がこもっている。
「ご提案があって来ました」
「いい話ならありがたいが、」
「新型船開発について、話は聞いておられますか?」
「MSB─Xの件だろう? 昨日、破壊試験の最終報告は受け取っている」
「いえ、MSC─Xの件です」
 落ち着いて考えれば推測できたのかもしれないが、この時、ストヤンには新しいコードネームが、ただ耳慣れない響きをもっていて、先のMSB─Xと区別が付かない。ようやくストヤンは怪訝な表情を浮かべた。今一度、新型船開発に取り組むとすれば、その船体のコードネームはMSC─Xと称されるはずだ。
「設計課として、次の新型船開発の仕事を請け負いたいと思います」
 ストヤンは、内々、ウルマノフから打診を受けている。打診と言うより、軽い相談という方が適切かもしれない。技術部として、今後、MSB─Xを上回る性能の船体を開発することが出来るだろうか?と言うのである。彼は返事は保留している。N&B社の品質監査に追われて充分な検討が出来なかった上に、保安局が具体的な要求性能を提示してきたのは昨日のことだ。その話を何処かで聞きつけてきたのだろう。この男の有能さと強引さは、この場に彼らの試作機の原案をデーターにして持参している点だろう。
「このデーターの通りです。MSB─Xを上回る船体を開発する自信があります。私たちにやらせてもらえませんか?」
「まだ、やると決まった話じゃない。関係部署との調整も必要だ」
「製造部のカルロス部長とはすでに話は付けました。営業部を始め、そのほかの部署には副社長から話を付けていただく手はずです。許可を頂ければすぐにプロジェクトの編成に取りかかりたいのですが」
(エバンズ副社長が裏にいるのか?)
 ストヤンはキムの自信の裏付けを推測した。エバンズの直属の部下だった時期があり、彼の人柄については良く知っている。この会社創業当初からの生え抜きで技術者上がりだった。悪人ではないが、技術的な素養より政治的な駆け引きを好む癖があり、今は経営陣に身を置いている。この社の中で副社長派という人脈を形成しているのである。もともと技術者上がりだけに技術部員に顔が利く。ただし、ストヤンという男が極めて中立性を保ちたがる癖があるために、彼を経由すると影響力が失われてしまうのである。そこで、エバンズはキムをはじめとして技術部内に橋頭堡を築いて影響力を拡大しているわけだ。キムは自信に満ちた表情でストヤンの返事を待っていた。あとは、あんたの決断だけだというのだろう。
「キム君。私は君が子供の頃からこの仕事に携わっている。私も肩書きだけじゃない、この仕事については君よりも詳しいつもりだ。決断は私がする。もう下がっていい」
 キムが食い下がった。
「会社の組織から言っても、本来、私たちの仕事だし、私たちがこなす方が効率がいい」
キムの言うとおりだろう。会社の組織という点から見れば、技術部設計課がその任を背負うのが自然だし、日常の仕事と絡めて考えても効率がよい。
「キム君。私の記憶通りなら、新型船開発を設計課から切り離して、独立した部署に任せるというのは君の発案だったはずだ」
 ストヤンには様々な人々の意見を受け入れて熟成させ、自分の判断を生み出して行くという思考癖がある。技術開発課という会社組織から見れば中途半端な部署の設立を命じたのは彼だが、その発案者はキムだった。キムやエバンズの意図は分かる。成果の上がらない仕事から距離を置くのが賢いやり方だ。ただ、MSB─Xの結果を見れば、素人にこの程度のことが出来るのなら、自分達ならもう少しましな物が作れるはずだと考えている。
「俺がこの部署のボスだ。最後の決断は俺自身がする」
 ストヤンはキムに出口を指さした。キムの背を見送りつつ、そのまま設計課には戻るまいと思った。エバンズと次の行動を相談するはずだ。反感ではないが、純粋に技術的な判断に政治色を持ち込まれるのは避けたいと思ったのである。
(政治的なもめ事は俺の判断の後でやってもらいたい。)
 キムが部屋を出ていくのとすれ違いにウルマノフが入ってきた。前もって連絡がない。気の向くままの行動である。
(いつもながら)とストヤンは思った。
 突然に現れるよりも、社長室に呼び出される方が気分が楽なのである。
「新型船の受注の話は?」
 ストヤンはウルマノフが席に座ろうともしないために、やむを得ず席を立って、視線をキムが出ていったばかりのドアに向けて答えた。
「つい先ほど、設計課のキムからも聞きましたが」
 部内の混乱を防ぐために、N&B社の品質監査が終了するまで、部下には何も伝えていない。にも関わらず、キムが試作機のデーターを持ってきたと言うことは、副社長を通じた独自の情報ルートを持っているらしい。優秀な男には違いないのだが、先走る傾向があり、やや不愉快な感じも拭えないのである。
「次の新型船開発を自分に指揮させろというのかね」
「そういったところです」
 キムは設計課で作成したという独自の案をデーターディスクにして持参しており、皮肉にも技術開発課から回ってきたMSB─Xの破壊試験データーと並んでいた。
「あの男ならそう言うだろう」
「それで、具体的な話にまで進んでいるのですか?」
「昨日、提示された要求性能を満たせるかどうかの問題だ」
 それだけ言ったウルマノフは黙りこくった。確かに気楽に決断を下せる問題ではないだろう。MSB─Xで既に多額の回収不可能な損害を出している。次に失敗すれば間違いなく潰れると思った。いや、潰れる以前にエバンズが自分にとって替わるだろう、エバンズやキムは既存の技術力を過信しているらしいが、顧客の要求に取り残された技術力など価値がない。彼の後に残されているのは企業の緩慢だが確実な死である。今は僅かな可能性に賭ける方が良いと思うのである。
「要求性能を満たせば、新型船を導入するという話は本当なのですね」
 ストヤンは再び聞いた。ウルマノフはストヤンにアドバイスを求めて彼に対する返事に代えた。
「君の率直な意見を聞きたい。次の船体は設計課に任せるべきだろうか?」
 今一度、新たな船の開発に挑む、という点でウルマノフの決意は固まっている。しかし、ウルマノフは迷っている。MSB─Xの開発にあたり、各部署から人員を引き抜いて、技術開発課を編成した。しかし、従来の船体に扱い慣れている設計課に任せるかとも思うのである。
 その点、ストヤンも同じである。3日前、MSB─Xの遺産と言っても良い、破壊試験のデーターが技術開発課から回ってきて机の上にあった。莫大な投資をして残ったモノはこのデーターだけなのである。気が重くまだその中身を見る気がしない、イマムラが持参したディスクがそのままの位置に残っている。ストヤンは返事に窮するように黙りこくった。ストヤンはドアに新たな人影を見つけて思った。
(今日はいやに来客の多い日だ)
 製造部長のカルロスである。カルロスはウルマノフの姿を見てやや驚いたようだが、それでも二人を関係づけて尋ねた。
「新型船の内示の話?」
 ストヤンは椅子の背もたれに頭を打ち付けて、やや非難じみた視線をウルマノフに向けた。新型船の話は極秘事項になるはずだ。いったい、この会社のセキュリティはどうなっているのかと問うている。そして椅子を手で示してカルロスに座れと指示した。ストヤンの1年後輩に当たる。ニシダ社長の時代から20年以上もお互いを知り尽くした仲である。
「技術部から、余計なものが回ってきて、生産部が混乱する」
 不満をぶちまけるカルロスの手に、ストヤンの机にあるものと同じデーターディスクがある。ストヤンはこのMSB─Xの破壊試験のデーターの事かと思った。
「高いカネを払ったデーターだ。製造部でも少しくらい有効に使え」
「なんだ、折角持ってきてやったのに。要らないなら棄てるぞ」
 カルロスは手にしたデーターディスクをダスターシュートに投げ込んだ。もとのデーターは技術部のサーバーに残っているので問題はないが、多額の投資をしたデーターをこんな風に廃棄されたら、目の前の社長もいい気分では無かろう。
「うちの課長連中から、今朝方、試作機の試験データーについて相談を受けた」
「製造部の課長連中から?」
 ストヤンはため息をついた。キムという男が製造部長カルロスの頭越しに、自分たちの試作機のデーターを製造部の課長連中に渡して支持を求めたのかと思ったのである。いかにもありそうなことだし、自分の知らない内にそんな相談をされたら、カルロスが腹を立てるのも無理はない。
「キムの話では、新型船の件についてはお前と相談済みだということだったぞ」
「キムの話? 今朝方、俺の所に来たから、もっと現実的な話を持ってこいと伝えておいたんだ。連中にそんな能力があるもんか。奴が持参したデーターを持ってきてやったんだが、いま、お前も要らないって言ったろ」
 カルロスが顎をしゃくってダスターシュートを示した。カルロスが廃棄したのはキムのデーターらしい。
「話をややこしくするな。もっと前向きな話をしよう」
「おいっ。話が噛み合って無いぞ」
 技術開発課が作成したMSB─Xの破壊試験のレポートは極秘にするほどの価値も認められず、ストヤンやカルロスを通じて製造課長や技術部課長にも閲覧可能なのである。カルロスが言う部下の相談事というのは、MSB─Xの破壊試験のレポートのことらしい。
「えらく頑丈な船体だ。これだけの破壊試験をうけて最後まで生きてやがる」
「ラベルさんがいたデメテル社の設計思想が反映されているんだろう。生存性が何より大事なんだ。地球市民の命は火星市民の命より高価だからな」
 別にN&B社のスピカが搭乗員の生命を軽んじているわけではない。ただ、船体を設計するときの重量配分を比較すると、地球や月に販売拠点を置くデメテル社の船体は搭乗員の生命維持にかかわる項目に、その多くの重量を割いているのである。それをストヤンは自虐的に(火星市民の命より高価だ)と称したのである。
「それで、うちの課長連中が言うんだが、もしも、この船体をスピカ並みの船体強度に抑えていたら?」
 カルロスは指摘を続けた。
「エンジンマウント部分の緩衝器だが、今はこんな物を使わなくても、新しい素材があるんだ」
 技術の進歩が早くラベルさえ考えなかった、軽量で、求める用途に適した新素材がある。と言うのである。製造部の担当者のように、日頃、船体に接している人々から見た時に、このMSB─Xという船体や、その設計に携わった連中にも、まだまだ新たな可能性を秘めているというのだった。カルロスは言う。
「親父の言ったことを覚えているか?」
彼らが「親父」という言葉を使う場合は先代のニシダを指した。
「宇宙船っていうのは、頭ん中で造るモンやない。油まみれの腕を使って、こん中で作るモンや」
 カルロスは胸を叩いた。懐かしいニシダの真似をしているらしい。
(まったく、古い技術者って言うのは、)
 ウルマノフはそう思った。中小企業の技術屋の悪い癖から抜け出せない。精神論や根性で経営が成り立つと考えているらしい。
「製造部としては、技術開発課の連中を支持したい。これは製造課長の総意だと考えてもらって良い。俺達はあの連中とやりたい」
 ラテン系の血筋がそうさせるのかもしれないが、カルロスは自分の言葉にわくわくと興奮しているのである。ストヤンはここでラテン音楽でもかけてやれば、彼が踊りだすだろうと思った。
「なんか、こう、久しぶりに胸の中に熱いもんがこみ上がってこないか」
 ウルマノフは二人の会話を聞いていたが、会話の内容に満足したらしい。
「決まったのかね?」
 ウルマノフの問いにストヤンが答えた。
「ええ。もう一度、彼らにやらせましょう」
「では、製造部と技術部は、可能性があると判断するんだな?」
 そんな問いに、二人の部長は頷いて、最後の返答を促すようにウルマノフの顔を眺めた。ウルマノフはため息と共に、決断の言葉を吐き出した。
「ラベルさんによれば、火星市民というのは神ではなく自らの信念に祈るそうだ。火星市民を信じ、自主快活に祈るか」
(早い方が良い)とストヤンは思った。
 時間を置けば、開発反対論者の様々な妨害も入るだろう。
「技術開発課につないでくれ」
 ストヤンはイマムラを呼び出した。
「良かった。責任はお前が取ればいい」
 カルロスはストヤンから見れば無責任なほど大きく笑った。この判断によって、ストヤンは大きく責任を負った。ずっしり彼の背にのし掛かっている。
(ああ、親父の時代は良かった)
 ストヤンはそう思った。ニシダの元で余計な事は何も考えずにモノ造りに専念できたあの時代が懐かしいと思うのである。
 ウルマノフはその表情を見ながらストヤンの胸の内を読みとって、そして、思った。
(お前達のその古き良き時代に、この俺は毎日資金繰りに駆け回っていたことを知っているか?)

 イマムラが部長室に姿を見せたが、入り口で立ち止まってしまった。MSB─Xに関するファイルを持っているところを見れば、3日前、部長に回したデーターの説明を求められているのだと考えていたらしい。それにしては、室内の雰囲気が明るい。その雰囲気の明るさに面食らっているのである。
「これは俺が預かっておいてやる。あとは二人の話を聞け」
カルロスは現場上がりの太い腕でイマムラからファイルを取り上げて部屋の中に押し込んで立ち去った。
「さあ。忙しくなるぞ」
 

新たな任務

(部下がどういう反応を示すだろう)
 イマムラは彼らの反応に不安を抱いている。MSB─Xでの挫折のあと、新たな仕事に拒否反応を示すのではないかと訝ったのである。
 MSC─Xの開発という新たな任務が、技術開発課に回ってきた。イマムラの口からそれを聞いたメンバーは一様に笑顔を浮かべたのだが、ほっとため息をつきながらだったり、指先でペンを弄びながらだったり、ウォルヒなど僅かに口元を歪めただけで、微笑んだことがようやく分かる程度だった。しかし、どの視線にも落ち着きがあり、その視線はイマムラを通してMSC─Xを捕らえて放さないのである。以前の彼らなら、はしゃぎ回って現実と空想が入り交じった気楽な議論をしていたに違いないだろう。知らず知らずの内に随分たくましく成長しているのである。
「世話になったラベルさんの為にも、いいものが造りたいね」
 イマムラはその任務の説明を閉じた。ムハマドが静かに語った。
「課長。俺、正直に白状するけれど、MSB─Xの仕事が終わったときに、ようやくこれで解放されたんだってほっとしたんだ。みんなは怒るかもしれないけど、MSB─Xが失敗だって判定されたときでも、開放感の方が大きかったんだ。もう二度とこんな苦しいことはゴメンだって思った。でも、最近、、、、これでいいのかな?って。だから、そのMSCの話を聞いて本当に嬉しかった」
 アサハリがムハマドの意志を継ぐように語った。
「俺も嬉しい。ただ、もう一つ正直に言うと、ラベルさんの為じゃないんだ、自分のためにやりたい」
 ドノバンが物思いに耽りながら語った。
「ここの連中に聞きたい。うちのカティアが『えむえすびぃえっくす』って言葉をしゃべるんだ。誰が教えたんだ? 俺の顔を見る度に、あの試作機の名前をしゃべるんだ。オレは『パパ』って人並みに呼ばれたことがない」
(ああ、あの子が、、、、)
 メンバーはそう思った。メンバーの手に抱かれて笑っていた子が、今は自分の足で立ち上がって言葉もしゃべっているのである。メンバーの動機は様々だが、MSC─Xを作り上げるという意志は共有しているようだった。イマムラはメンバーを見回して、ラベルの姿を思い起こした。
(よくここまで、、)
 彼らを育ててくれたと思ったのである。

 先のMSB─Xの場合、目標となる要求性能は技術開発課のメンバーが決めた。競合他社のメーカーの船体の性能をもとに設定したのである。今回の場合は、提示された性能を満たすことが要求される。リーの提案を受け入れると言うウルマノフの言葉への返事として、保安局は具体的な要求項目を提示している。

  ①加速性 巡航加速力1.2G、最大加速力6Gの能力を有する
  ②姿勢制御能力  YPRコントロール0.5秒以下
  ③標準装備で72時間の任務に堪えること
  ④搭乗員は3名以下で、緊急時において180時間の生存を保証すること。
  ⑤流動ペイロード450kg
  ⑥極力、火星で入手可能なモジュールと部品を使用すること
  ⑦要求される項目の優先順位は上記の順である。

 メンバーはデーターの検討に入った。
①の巡航加速力というのは核融合エンジンを最も効率よく安定運転する時の出力に左右される。使用するエンジンの選定がポイントになるだろう。
②の項目、YPRコントロールというのは、船の停止状態から船首を逆方向に向けて再び静止させる能力である。この要求値は一般的な小型機から見れば、極めて高い能力を要求されている。おそらく、緊急時に船体が高速で機動しているほんの一瞬に、大容量の画像データーを光通信で司令部に送信するつもりなのだろう。もちろん、搭載する兵器で敵を補足する攻撃機にも必要とされる能力だが、メンバーは攻撃機という言葉を意図して頭の中から消し去った。
③の要求は、平均的な任務に要求される航続時間である。平たく言えば巡航加速で72時間消費する推進剤を搭載しろということだ。
④の180時間の生存というのは経験的に導かれた時間だろう。宇宙空間で漂流状態に陥ったときに、180時間の猶予があれば仲間の船が救援に赴くことが出来るのである。
⑤は、ユーザーで個別に搭載する積載物を流動ペイロードと称している。ロケットブースターか、小型機の牽引装置か、灯台代わりに使用する標識ポッドなどを任務に応じて搭載するつもりなのだろう。その積載物の重量を450kg見込んでおけということである。
⑥、これはMSB─Xの時にも悩まされた点である。何より、社会情勢を鑑みたときに、技術供与制限法以外の規制も強まることも想定しておかなければならないのである。

「ガーヤン。フレームの担当だ。ウィリアムスはパワーモジュール、シン、通信システムを担当してくれ。バレ、君は運航システム」
「まかせなさい」
 バレが自信満々で言った。明るさという点で、常にこの女性が職場をリードする。
「ムハマド。推進剤タンクを担当してくれ。アサハリ。姿勢制御システム。ドノバン。居住モジュール。ウォルヒは全体のとりまとめ。以上、およそ前回と同じ役割分担で構わないかな?」
 まだまだ技術的な素養には欠けているが、イマムラはメンバーの長所や得意分野は飲み込んでいるらしい。すらすらと役割を分担して、部下から苦情は出なかった。
(よくここまで、、)
 メンバーはイマムラを見て、ラベルを感謝の念と共に思いだした。この素人課長を育ててくれたと感謝したのである。
「まず、エンジンを選定した方が良いんだろうか?」
 イマムラは控えめな調子で、部下に相談を持ちかけた。
「現在、小型機用のエンジンとして候補に上げられるのが、リストの通り、火星でライセンス生産しているものが9種ありますが、今後開発する船体の重量はMSB-Xと同等か、それを上回るものになるでしょう。保安庁の計画要求書では加速性が重視されていますから、MSB─Xに搭載したダブルペガサスよりも推力の大きなものが必要になります。推力から絞り込むと、スニム社のユニコーン、タイド重工のライン89,オムニ社のチンギス11、ハリマ社のサカエ77とフジⅤが候補に上がります」
 国産のモジュールを使用するという項目が挙げられているから、輸入品ではなくライセンス生産しているエンジンを使用することになる。
「このうち、オムニ社のチンギス11は単位重量当たりの推力には魅力がありますが、航空宇宙規格基準外の特殊な推進剤を利用しています。出来上がった船体の汎用性を失うでしょう。残るのは、タイド社のライン89とハリマ社のサカエ77のいずれかになります」
ウィリアムスはモニター上のエンジンを初期の9種類から2種類に絞った。その鮮やかな判断力は、彼女自身の能力が向上していることをうかがわせた。
「ライン89は現在スピカに搭載しているライン82の発展改良型です。信頼性はありますが、今以上の発展性は望みが薄いでしょう。サカエ77は現段階の出力はそれほどでもありませんが、構造を考えれば今後出力の向上が見込めると思います。確実さを取るか、将来の発展性を選ぶかによって決まりますが、現段階では判断できません」
 そういう内容を、ウィリアムスはデーターを表示させながらすらすら淀みなく言った。
 このエンジンの選定によってこの後の基本性能が決まってしまうと言っても過言ではない。彼らに幾つかの選択肢はあるようにも見えるが、どれも、火星でライセンス生産されているいわば一世代前のエンジンである。彼らは開発当初からこういうハンディを背負ってしまっている。
 彼らはそれぞれのエンジンを使用した場合についてそれぞれの船体の能力を計算して比較するところから始まった。

            A案      B案
全幅(メートル)     8.4     8.8
全長(メートル)    33.5       36.3
総重量(地球トン)  54     65
エンジン     ライン89  サカエ77
巡航加速力(G)  1.2           1.35
最大加速力(G)  6.2           1.35

航続時間(時間)     86             74

 核融合炉の出力自体はライン89の方が効率が良く、推進剤の噴射速度が早く推進剤の消費効率がよい。推力は劣るものの長時間の加速が可能で補いがつくように思われる。ただし、限界までと思われるほど出力を絞り尽くしており、このエンジンにこれ以上のパワーアップを望むことが出来ない。試作機の能力は彼らが何処まで船体を軽量化できるかという点にかかっている。
 この段階で既に、彼らを愕然とさせたのは、新たに検討を始めているこの船体の能力が、失敗作と評されたMSB─Xと大差ないことである。当然とも言える。MSB─Xに搭載したダブルユニコーンとライン89は推力に於いて大差はない。ただ、設計時期に2年の差があり、ライン89は新しい分、やや勝っているという程度である。彼らより遥かに高出力のエンジンを搭載する、アンドロメダ等の船体に対して分が悪い。
 誤解を恐れずに一言で言えば、とっかかりは非常に単純な計算になる。エンジンの推力が決まっている。その推力によって、要求される加速性能を満たすために船体の重量が決まってしまう。航続時間の要求を満たすために推進剤の搭載量と推進剤を入れるタンクの重量が決まる。船体の全重量からエンジンと推進剤の重量を差し引いた残りの重量をコックピットに何パーセント、、操縦モジュールに何パーセント、探査機器、通信機器に何パーセント、生命維持関係に何パーセント、それらを支えるフレームに何パーセントと、各担当者に割り振るのである。担当者が自分に割り振られた重量の範囲で仕事を成し遂げて、船体が予定した重量の範囲内に収まれば、MSC-Xは予定した性能を発揮するはずだった。ところがそうやって計算をしてみると、ドノバンに割り当てられる重量は5800kgに過ぎない、MSB-Xの時より更に1割少ないのである。MSB-Xの時でさえ、その居住モジュールは小さく窮屈だった。MSC-Xでは更に削るのである。根本的でまともな解決策は高出力のエンジンに換装することだが、開発の前提で、それが不可能になっていた。
 巨大な風車に挑むドンキホーテのように、第三者から見た滑稽さと、当人に自覚のない無謀さに、彼らの努力は似ているのである。しかも、その努力は始まっていて後戻りはできないのである。彼らの二度目の挑戦が始まった。
 
 最初の10日間は瞬く間に過ぎた。
「イマムラ課長」
 ドノバンが慎重に語りかけた。
「提示された項目に『搭乗員は3名以下』とあります。これは『搭乗者は1名でもかまわない』と解釈してよろしいでしょうか」
 数学的な解釈は正しい、しかし、、、
「みんな、すまないが、ちょっと手を止めて聞いてくれ」
 イマムラ課長のいつもの言葉である。イマムラは自分の中途半端な知ったかぶりを避けて、技術的な判断は部下の議論に任せるという姿勢をとっている。設計課のキム課長などが聞けば笑い出すだろうが、イマムラは自分で判断を下すことが出来ないのである。メンバーは各自、部屋の隅のMSB─Xの映像に、椅子の向きを変えた。ドノバンはそのMSB─Xの映像を、彼が担当するコックピットモジュールの映像に切り換えた。その手慣れた行動に、今の彼らの開発姿勢が現れている。もちろん、最終判断は船体を組み上げているウォルヒがする。MSB─Xの時にラベルがそう指示をしたのである。しかし、各パーツについての判断にはこのような合議制のような形態をとっていた。この形態に問題はあるに違いないが、ラベルという指導者を失って、各自の知恵を集めて判断するしかないのである。ドノバンが映像を見ながら切り出した。
「この間から、コックピットモジュールの軽量化のために予備のシートを廃止する形で検討してきたんだが、」
 スピカの場合、操縦者とナビゲーター担当の人員のシートの他、予備の搭乗員の為のシートが設置してあり、この形態が長く続いて、小型機の標準的な座席配置とされていた。ドノバンは軽量化を図るために、MSC─Xでは予備のシートを削って搭乗者を2名に限定していた。更にドノバンが切り替えた画像にムハマドが相づちを打った。
「そうだね。その後、シートをツインからタンデムに変更したんだね」
 先のMSB─Xの場合、操縦者とナビゲーターの席は横に並んでいて、その中央に搭乗者が身を屈すれば席を交代できる程の通路のスペースがある。開発途上、若い女性パイロットがそれを無駄だと称したことを思い出していた。
 ドノバンはその意見を参考に、席をタンデム型、前後に配置したのである。それを知った設計課の連中は例のごとくあざ笑った。慣例的に小型機のシートの配置は横並びなのである。しかし、調べてみると、宇宙空間を航行しているときに搭乗者が席を替わるという事例はなく、搭乗者が間隔を置いて横に並んでいる必然性は見られないのである。一方で、座席を前後に配置したことによって居住モジュールの外寸を縮めながら、その中の座席の幅には余裕が出来たのである。相次ぐ変更によって、ドノバンはコックピットモジュールの重量を初期の7800Kgから6400Kgにまで減らしていた。ただ、目標値には足らない、ウォルヒは納得しないだろう。
「今度はナビゲーター席を廃止したらどうかと思うんだ」
 ドノバンは思い切った提案をした。
(無茶なことを言う)
 メンバーは顔を見合わせた。一方、ドノバンの言い分もよく分かる。
 ラベルが居た頃に「何故、船は人を乗せて飛ぶんだ?」と聞いたことがある。言外に、無人機なら設計者にとってありがたいんだがという意味も込められているのである。有人機の場合、居住モジュール内を与圧し、呼吸のための空気を供給し、モジュール内を適正な温度に維持する。そう言う装備を余分に要するのである。そして、搭乗者の安全を保証するために、船体の強度を無人機に比べて、安全率で3割も頑丈に設計しなければならないと言う法律上の規定がある。更に、忘れがちなのだが、気密服を身につけた完全装備の搭乗者が3人も乗れば、船体は彼らの重さで300kg近い重量増大になるのである。船は人を乗せるために、随分と余分な重量を要するのである。スピカの場合で言えば、実にその総重量の32%が人を乗せるために要する重量だと言われていた。
 ドノバンはその2名の搭乗員を1名にしようというのである。そして、予備の通信機器を操縦席の後方に配置し、ユーザーにとって必要な場合は、その予備通信機を外して、臨時の座席を設置して、予備の搭乗員が搭乗出来るようにと考えていた。ナビゲーターは量子コンピューターで補いが付く。生命維持装置をはじめ随分軽量化出来るはずだ。
 ウォルヒはラベルに大根役者と罵られたことを思い出した。ウォルヒだけではなく他のメンバーもそうだった。ただ、今はちゃんと演技力を身につけているらしい。彼らはドノバンの提案に意外な問題があるのに気付いている。1つは搭乗者の精神的な負担、もう一つは搭乗員の保護である。
 その精神的負担について考えるなら、この船体に乗るのは、保安局や危機管理部で高度な訓練を受けた、肉体的にも精神的にも非常にタフな連中である。しかも、航行中は通信回線で司令室と直結してバックアップを受けている。しかし、さまざまなストレスを受ける環境で、手の届く距離に信頼できる仲間が居るというのは心理的なストレス軽減になっているはずだ。ドノバンの提案はその仲間を省いてしまうのである。
「量子コンピューターの演算速度を上げて、メモリーも3割ほど増やしてもらえれば、システム内に思考ロボットが転送できるよ」
 アサハリがそう提案した。意外かもしれないが、専門的な訓練を受けた人々にとって、任務を果たすために思考ロボットは必要としない。思考ロボットはこの時代の人々にとって日常生活にとって欠くべからざる存在だが、船体を操るために量子コンピューターで充分だと考えられていたのである。
 その量子コンピューターの能力を向上させる。重量は7kgばかり増えるかもしれない。その代わりに自分が日常接している思考ロボットを搭載して、船体そのものが随分と人間臭くなり、ナビゲーターの代わりが勤まるというのである。
 そして、このコックピットモジュールの小型化と軽量化は、フレームにかかる負担を減らして、ガーヤンが担当するフレームの重量も削減できるはずだ。MSC─Xはエンジンの出力と言う点で、開発当初からおおきなハンディを背負っていた。ドノバンやアサハリの提案も採用する以外に方法はない。
「残る問題は、搭乗員の保護の問題だね」
 アサハリがそう首を傾げた。コックピットの軽量化に目を奪われて小さくすればいいと言うものできなかった。体格のよい搭乗員が分厚い宇宙服を着込んで乗り込む。スムースに乗るためには充分な大きさが必要であり、航行中に掛かる様々な加速によって搭乗員の体がコックピット内のあちこちに押しつけられる。その搭乗員を保護する仕組みが必要になる。従来は搭乗員の体を包み込むような形状のシートに体を固定する構造である。頑丈で重い。イマムラがふと思いついたように尋ねた。
「ドノバン。もしも、コックピット内の搭乗員をスポンジのようなものの中に閉じこめられたらどんな効果が出る?」
「かかる荷重を体全体に分散させることが出来ますから、搭乗員の負担も減る他、シートの軽量化も図れるでしょう」
「そうなのか」
 考え込むイマムラにドノバンが尋ねた。
「何か思い当たることでも?」
 イマムラには名前は思い出せなかったが、朗らかな人柄と仕事を熱く語る口調は覚えていた。ラベルの隣人で友人。ラベルの送迎会のホスト役。あの日、飲み慣れない酒で酔った後、ムーヴァーに押し込んでもらった。あの日、イマムラを家に送り返すよう指示された思考ロボットが、その人物の名を記録していた。ウルド特殊車両のダン・ワイズである。
「ドノバン。ウルド特殊車両で開発している緩衝器を、MSC-Xに使えるかどうか君の意見を聞きたいんだ」
「緩衝器というと、四輪ムーヴァーのバンパーか高速鉄道の連結器ですか?」
 ドノバンの言葉にイマムラは苦笑した、ワイズと出合った時の自分と同じ発想をすると思ったのである。イマムラはワイズの表現を思い出して言った。
「いや、エアバッグ。登乗員の体を保護する必要があるね。現在使われるものは、21世紀の頃から変わりない構造だが、搭乗員をスポンジの中に入れておけば、全体を柔らかく保護できるよね」
「面白そうだ。検討してみましょう」
「またまた、設計課の連中が、」
 アサハリがそう言い、メンバーがそろって苦笑いをした。これらの試みを知った設計課の連中が、哄笑するだろうと言うのである。たしかに、従来の常識から考えれば非常識な試みだろう。彼らの哄笑を苦笑いで受け流すほど、メンバーはラベルの指導で自信をつけていた。ただ、この例は、苦しいながらも、対策が見いだせたという非常に幸運な事例である。
 メンバーは各自の担当するモジュールを設計し、ウォルヒが船体に組み込んで行くのだが、データーを受け取ったウォルヒが首を横に振って拒絶することがほとんどである。ただ、その時に困ったようなすまなそうな表情をすることがあり、彼女をやや人間くさく変えていた
 MSC─Xの概略は固まりつつあった。しかし、軽量化という問題を抱えて、要求性能どころか、加速性能などはスクラップになったMSB─Xにも及ばないのである。

 数週間が経過し、その問題の解決策も見いだせないまま、新たな難問が表面化して、彼らは頭を抱え込んでいた。
「これか?」
 イマムラの言葉に船体の運航システムを担当するバレは頷いた。イマムラがつまみ上げたのは長さが約3センチほど、重量にしてたった8gの黒色のメモリーチップである。裏面には小さく警告表示がされている。
『内容を読み出せば、チップは即座に破壊される』
 このチップから40本ほどの金色の端子が出ている。船体の姿勢を感知するジャイロ、エンジンの制御状態を感知するセンサー、機外の危険物を探知するセンサーなど、様々なセンサーの情報や、操縦者の操縦桿やスロットルの情報を、電気信号にしてこのチップの端子に入力する。すると、別の端子から、入力に対応した姿勢制御やエンジン制御の信号が出力されるのである。最高速度で見ると、彼らの新型船は一秒間に数百キロメートルの空間を移動して目的地に向かう、或いは、時に通信のために数千キロメートルも先の受信アンテナに向かって正確に船体の機首方向を制御する。そんな機動を人間の手で直接操作するというのは不可能であり、この小さなチップに収められた運航システムが船体の運航を支えているのである。運航システムを担当していたバレは彼女のシステムの根幹になるチップが入手できないという問題と直面したのである。
 スピカの場合、彼らが製造した船体に合わせて、N&B社からこのチップを提供してもらっている。MSB─Xの場合はスピカ用のチップを強引に流用していたのである。搭載するエンジンや構造の異なる船体に使用したために推進剤のロスや姿勢制御能力の低下などを招いていた。今後、技術供与制限法が強化されたときに真っ先に輸出制限がかかるはずの部品でもある。MSC─Xの場合は、その根本的な解決が要求されているのである。今まで購入して使用していただけに、運航システムという技術は彼らにとって未経験と言っていい分野の技術だった。
 技術開発課で新たな試作機の設計が行き詰まって、打開策が見いだせないという情報が社内に広がっていった。たしかに、更なる軽量化の必要性と船体の運航システムという未経験の問題が彼らの前に立ちふさがって、全く打開策が見いだせない袋小路に陥った。
 

火星祭り

 技術開発課のメンバーが、課長のイマムラを筆頭に、職場に全員が顔を揃えていた。席が6つしかない部屋に、イマムラ、ドノバン、ウォルヒ、バレ、ウィリアムス、シン、アサハリ、ガーヤンがそろっていて、ドノバンなどは机にあぶれて部屋の隅の計測機器を机の変わりにして個人の端末でデーターを整理していた。自宅で出来るはずの仕事だった。出勤時間が決まっているわけではないから、通勤時間を差し引けば、自宅でゆっくりくつろいでデーターを整理すれば良いはずだ。行き詰まった感じが職場に充満してメンバーの体の中に染み込んでいた。何かしなければと思いつつ、努力するほど混乱が深まって行く。そういう悪循環に陥って、データーの整理を自身への口実にして泊まり込みが続いているのである。他のメンバーも同様だった。しかし、同じデーターをどういじくったところで、船体の性能を向上させる発想は浮かんできそうになかった。
 この数週間の間、あの合議制での新たな提案も尽くされてしまったかのように静まり返っている。
 部署を率いるイマムラもこの点では同じだ、技術的な素養に劣っていることは自覚していた、部下に適切な技術的なアドバイスが下せなかった。
「おいっ。みてみろよ。かわいいから」
 突然にガーヤンがそう言った。
 元旦に生まれた新生児たちがディスプレイに映し出されていた。新年の恒例の番組である。額のあたりの金髪の房がマクガイヤー夫妻の赤ちゃんにそっくりだった。火星市民に火星の暦が必要となった時に、彼らは神の誕生や火星に降り立った時間ではなくて、火星で初めて赤ちゃんが誕生した日を元年としたのである。実験居住都市で人口は僅か88人だったという。その実験都市でマクガイヤー夫妻に娘が生まれた。火星元年である。
 バレが叫んだ。
「ああっ。もう新年じゃない。やだっ。なんで、こんな暗い部屋の中に閉じこもってなきゃならないの。みんな、気分直しに踊りに行くよ」
 この女性はストレスを発散させるために大声でわめき散らすと言う迷惑な癖を持っている。しかしながら、バレは言葉と裏腹に一通りわめき散らすと席に腰を落ち着けてしまった。やはり担当するデーターが気になるのだろう。
 イマムラが部屋の中を見回してドノバンの無精髭を指摘した。
「ドノバン。無精髭を剃れ。町の若い娘に嫌われるぞ」
 彼は席を立って立ち上がって提案した。
「さあっ、みなで広場に繰り出すぞ」

 メンバーは思い思いに席を離れた。このきっかけを求めて、今までじっとしていたのかもしれなかった。そんな上司に抗議をしたのはウォルヒだけだ。
「でも、課長。未だこのデーターの整理が出来ていませんし、第一、今後の方針も何も決まっていません」
「みんなで繰り出すんだ」
 その一言にウォルヒを包み込む迫力がある。このまま居続けても良い結果が出るわけではなかった。何かきっかけを与えてメンバーを自宅に帰らせて休ませるきっかけを作ることが必要だと考えたのである。
 ガーヤンが映し出したディスプレイで、新生児が母親の柔らかな腕に抱かれて幸せそうな寝息をたてている。空調機の風が優しく赤ちゃんの髪をなぶっていた。メンバーは全員そろって部屋を出た。無精髭が伸びていたり、服装や髪が乱れていたり、メンバーが新たな展開を迎えることのないまま、無駄に時間を費やした期間の長さを物語っている。ムハマドは不安げに頬から顎を撫でた。9人のメンバーがイマムラを先頭に社内の通路を歩いている。薄汚れた集団は、他の社員の注目を浴びて、ムハマドに自慢の豊かな髭が長期の泊まり込みの間に台無しになっていることを思い起こさせたのである。
 彼のプライドは、メンバーにまず社内のシャワールームへ向かうことを提案させた。30分後、多少こざっぱりした集団が技術部の入り口に集合した。
「お出かけですか?」
 事務の女性がイマムラに聞いた。ただ、首を傾げたくなるのは彼の髪からリンスの香りが漂っていることである。
「うん。市場調査」
 イマムラは返事を返した。開発のためには顧客の事を良く知らねばならないと言うのである。事務の女性は建物を出て行く9人を背後から眺めて、顔を見合わせて笑い会った。イマムラという男の人柄を反映して、彼女たちの笑顔に悪意がない。
「やっと、冬眠から醒めたのかしら?」
 今までほとんど姿を見せなかった生き物が、目覚めたように穴蔵から出てきたと言うことを話しているらしい。

 シンカンサイ市では、1F中央の官公庁前の中央広場が祭りの会場になる。人々は中央公園前駅から2駅離れた市役所前駅で下車して、会場まで祭りの雰囲気に染まりながらゆっくの歩くのが常だった。幅10メートルばかりの道路の左右に対向する人々の流れがある。公園から帰ってくる人々の流れには開放感の余韻があり、公園に向かう人々の流れは期待感に溢れている。
 その流れの土手にこの祭りの間だけの露店が並んで、売り子が商品の名にリズムをつけて、大声で客を引いている。この雰囲気は、地球昔の祭りと何も変わらないのである。
 こういう場合、メンバーの中でガーヤンの頭の切り替えが早い。子供のようにむき出しにした好奇心を、今は露店の商品に向けている。とくにおもちゃに興味が惹かれるらしく、時折、イマムラが襟首を引っ張って仲間に引き戻さないと迷子になるに違いない。シンは既に赤や青のあめ玉の入った小袋を抱えて、その1つを口の中で転がしている。アサハリはそのシンから青いあめ玉をせしめていた。
 ドノバンがふと、ある露店の前で足を止めた。金や銀、象牙色、透明感のある赤や緑に縁取られたきらびやかな雰囲気がある。イヤリングやペンダント、腕飾りなど手作りの小物を売る露店である。店はやや閑散として店員の愛想の悪さを物語っている。ドノバンは仲間の女性を振り返りつつ少し考えていたが、アクセサリーを3つ、手にとって買い求めた。高価なものではない。日々の小遣い程度のものだ。プレゼントする側もされる側も、大して気を遣う必要はない、ドノバンはそういう細やかな気遣いをする。
 ドノバンはバレに銀色のブレスレットを渡した。バレの褐色の肌に良く映えるアクセサリーだった。ウィリアムスには小さな赤い石のお守りを渡した。質素な作りだがそれがウィリアムスの性格によく似合った。ドノバンはこの種のセンスがよい。そして、青い小さな飾り石が付いたペンダントが彼の手に残った。ウィリアムスやバレの見るところ、露店の商品の列びの中で、二人が受け取ったものより1ランク上の価格のものだ。二人は気付かない振りをした。
「これを、君に」
 ドノバンは戸惑いがちに言った。ぼんやり考え事をしていたウォルヒにとって突然の出来事であったらしく驚いていたが、ウィリアムスとバレが受け取ったアクセサリーを掲げて見せたので成り行きに気付いたらしい、堅い笑顔を浮かべて言った。
「ありがとう」
「君の好きな朝焼けの空の色に似ている」
 ドノバンはペンダントの青紫を評した。その気取った言い回しに、むしろ本人が顔を赤らめた。
「ニブちん」
 ウィリアムスが彼女独特の言い回しで小声でウォルヒの人柄をバレの耳元で評した。
「確かに、あの女、鈍いからね。もっとはっきり言ってやんなきゃ」
 バレがドノバンの気合いの不足を嘆いた。
 ガーヤンはお気に入りのおもちゃを手に入れて機嫌が良く、アサハリはシンからからせしめた2つ目のあめ玉をしゃぶっている。メンバーは様々な思いを馳せつつも広場に近づいて行く。音楽、とりわけドラムの音がリズムを奏でて大きくなって行く。バレやガーヤンは既に腰を揺らしてドラムに合わせて小さくステップを踏んでいる。
 イマムラの妻のアマリアが、結婚前に彼の部屋を訪れたときに、イマムラの顔を不思議そうに首を傾げて見たことがある。
「ニューギニアの少数民族」「高砂族の生活」「古代ケルト人の宗教観」「アフリカ 生活と道具」「アボリジニーと精霊」「日本人の民間信仰」得体の知れない題名の書物が並んでいるのを見つけたのである。イマムラは子供の頃からこの種の学問に興味があり、生まれる時と場所が違えば、土地の古老から古い民話を収集したり、土地の人々と生活を共にしたり、そういう生活を送っていたかもしれなかった。
 そのイマムラが首を傾げた妻を思いだしたのは、目の前の様子を見たからである。官公庁の建物の前に噴水がある。その噴水を中心に、祭りの企画者によって設定された二重の踊りの輪がある。空き地のあちこちにも自然発生した小さな踊りの輪がいくつもできている。特設のステージでは賑やかに音楽が奏でられているが、楽器を奏でるのはロボットではない、笛を吹き、ドラムをたたく人々から汗が飛び散っている。普段は行政のニュースを映し出している5面の大型スクリーンが今日は人々の状況を映し出して、人々を輪に誘っている。神懸かりともいえる熱気があった。人類が太陽系内を飛び回る時代にあって、この踊り狂う人々の姿は、古代、豊漁を神に祈ったり、豊作を神に感謝したり、元始の人類の姿に似ている。人類がその歴史の中で、信仰や民族問題等、様々にまとうてしまった余分な衣服を脱ぎ捨てて、本能の赴くまま踊り狂っているのである。
 気が付けば、ウォルヒとイマムラを除いたメンバーは既に彼らを離れて踊りの輪に加わっている。バレなど黒褐色の肌が輝いて、手足の筋肉が目立つほど躍動し、目をつむって高揚感に浸る表情を含めて、全てが美しい。
「課長は?」
 ウォルヒがイマムラは踊りの輪に加わらないのかと問うている。
イマムラの場合は、周りの目が気になって踊ることが気恥ずかしい。周りの目が気になるという事が彼の行動の規範になるあたり、彼の日本者という血筋を現しているのである。輪に加わる必要はなかった。目の前の情景に無垢に感動し手拍子を打って共感を覚えているのである。イマムラは言った。
「こんなにも、この町と、この町の人々が好きだとは思わなかったよ」
 この数年間、挫折の繰り返しで先の見通しが立たない。何度も投げ出したい思いに駆られたが、その都度、様々な人々に救われた。そんな思いが蘇るのである。
 ウォルヒはいうまでもなく、新型船開発の取りまとめをしている。各部の不具合が、取りまとめをする彼女に大きな矛盾としてかかっていた。彼女はその苦労を硬い表情に隠してはいるが、罪悪感を持ちながら内心でメンバーを罵ってもいる。
 間近で見ると、彼女にその苦労を押しつける総元締めのイマムラの髪に、白髪が目立って増えている。よほど苦労をかけているらしい。ウォルヒはその髪を優しく撫でつけたいほどの思いで、踊りの輪に目を戻した。
「いったい、私たちは何者でしょう?」
 地球を離れ、体格を初め価値観に至るまで地球市民とはかけ離れてしまっている。しかし、目の前に広がる人々の姿は、今の地球市民が失った元始の人類の姿に違いないのである。
 イマムラはそう言う光景を見ながら、心にわき上がってきた考えがあった。
(未だ気がつかないまま、何かやり残しているものがある)
 失意の中に、彼らの新たな可能性を見いだせそうな気がするのである。ウルド特殊車両の技術者ダン・ワイズと出合って、彼らの技術をMSC-Xに取り入れた。その彼にネヤガワ工業として話を持ちかけた時の意外そうな表情も覚えていた。当然である。彼らが市場と考えていた四輪ムーヴァーや高速鉄道に比べれば、宇宙船というのは市場は狭く注目することもなかった。また、事故の衝撃から人員を守るという目的に、技術者らしいこだわりを持っていて、宇宙船のコックピットで乗員を加速や減速から保護するという用途に活用できるということにも気づかなかったのである。偶然の出会いだったが、互いに思いも寄らない技術を持ち合わせていたのである。
「もう一度、自分たちを見直してみよう」
 イマムラはそう呟いた。
 奇妙であり、なおかつ自然なことに、彼らは新型船を火星市民の手で自主開発しようとしながら、使用するモジュールは地球メーカーのライセンス品を中心に探し求めている。信頼性があるという、宇宙船の製造に何より必要な要件を満たすためである。とすれば、火星市民が自主開発するMSC─X自体に信頼性がないはすだ。ところが、彼らは自分たちの手で地球メーカーに匹敵する小型機を作り出すのだと信じて疑わない。イマムラは、もっと火星市民という仲間の実力を信じても良いのではないかと思い立ったのである。今までの検索に漏れているメーカーや製品があるかもしれない。
 

ダロス社

 アーシャ・バレが不機嫌な顔でぎごちない動きで部屋に入ってきたのを、ウィリアムスはウォルヒのような硬い表情で黙ってみていた。ガーヤンが大きな荷を抱えてバレの横をすれ違った拍子に、荷がバレに触れたらしい。
「痛い。さわるな」
 バレは半ば本気で怒っている。ガーヤンはぽかんと口を開けた。大きな荷を抱えていた彼を避けようとして、バレがやや不自然な姿勢になった、その瞬間に荷が彼女に少し触れた程度のことである。怒られるという程のことではない。ガーヤンは何かを思いついたように、にやりと悪戯小僧の様な笑みを浮かべて、片手で荷を支え、空いた右手の人差し指でバレの額をついた。
「うりっ」
 ガーヤンの指が軽く触れたという程度にも関わらず、体勢を大きく崩し、体を支えながら全身の筋肉痛を漏らした。
「あんたは、何とも無いのかい?」
「オレ、未だ、若いもん」
 ガーヤンは平気だと言わんばかりに自分の太股の筋肉をぽんぽん叩いてみせた。
「あたしゃ、もうおばさんだって言いたいのかい?」
 ガーヤンがつえを突いて歩く老人の真似をした。
「馬鹿な冗談をいってると殴るよ。あたしゃ気が短いんだ」
 ガーヤンはしかめっ面で、頭を抑えた。
「もう殴ってるじゃないか」
 一昨日、ガーヤンはバレとともに火星祭りのステージの上で、メンバーの誰よりも長く踊り狂っていた。たまっていたストレスを発散させていたのだろうし、もともと踊ると言うことも好きだったに違いない。しかし、運動の後のケアーが不十分だった。昨日当たりからバレは筋肉痛に悩まされていたのである。しかし、自分と同じ運動をしていたガーヤンが平気でいると言うことに何か腹立たしく、彼に絡みたくなるのである。室内にはやや明るさが戻っていた。他のメンバーは二人のやりとりを楽しんだ。本来なら真っ先に話題に加わるウィリアムスだけがじっと黙っていた。
 ウィリアムスはここのところ彼女が独占しているモニターの前に座り込んで頬杖を付いている。真剣にデーターを眺めているわけではない。モニターの文字を指で撫でてみたり、角度をいじって自分の顔をモニターに映したり、要するに仕事に飽きているのである。彼女の担当はエンジンモジュールの選定である。核融合エンジンに関わるメーカーのリストの上から順に24社を当たっていた。ことごとく彼女の求めは断られていた。期待する出力のエンジンがなかったり、部品メーカーでエンジンまでは扱っていなかったりする。承知の上である。部品メーカーだと言うことは元々データーから分かってはいる。しかし、万が一と言う僅かな可能性に賭けて新たなエンジンを探し求めると言うことを始めていた。
 歴史において、時代が人に舞台を整える、と言うことがある。予め定められていたかの様に、定められた結末に至るシナリオがあり、それぞれの役割を演じる人物が配置されているのである。この時は、亡くなった先代のニシダ社長にまつわる細い糸と、ウィリアムス自身の気まぐれがその舞台を整えた。
「アルフォンス。データーを下位から逆に見せて」
 アルフォンスというのは、ウィリアムスの思考ロボットの名である。アルフォンスはリストを逆にソートして表示した。
 ウィリアムスは気分転換のために、データーをひっくり返して見ようと思ったのである。上から3社目にシルチス市にダロス社という名を見つけた。彼女はその行に気を引かれた。このシルチス市という土地にである。シンカンサイ市から見れば、火星のちょうど裏側に位置している。ダロス社はそんなシルチス市の中央にあった。
 彼女は既に、頭の中で都合の良いスケジュールを組み立てている。時間で言えば早朝に此方を発てば、リニアモーター鉄道で16時にはシルチスに着くだろう。くつろいで音楽を聴きながら7時間のゆったりした鉄道旅行である。そこからダロス社に向かえば夕方になってしまう。そんな遅い時間に訪問するのは失礼に違いないから、まずホテルにチェックインして、夕刻からは彼女の自由時間である。シチルス市は有名なファッションブティック、アクセサリー店が立ち並ぶので有名なのである。彼女は旅行雑誌でレストランやケーキ屋まで記憶していた。あくる日は、10時頃にアポイントを取って置いて、ゆっくり朝の朝食を楽しんでから、ダロス社で1時間で要件を済ませれば、また、ゆったりした鉄道旅行で、夜には此方に戻ってこれるだろう。
「課長。14日頃にリストにあるダロス社を訪問してみたいのですが」
「シチルス市か。13日の昼にこっちを出発してくれ。行きはスペースプレーンを利用して構わない。成層圏を行けば1時間半で着くだろう。一泊して14日の朝にデロス社を訪問して、同じシルチス市のクレイヴン社とボル社にも寄って来るといい。帰りは列車の車内で出張の報告書を書いて置いてくれ」
「ちぇっ」
 ウィリアムスは露骨に拗ねるように舌打ちをした。彼女の休暇は潰えたのである。それでも、彼女はダロス社にアポイントの連絡を入れた。
 シンカンサイ市が、もともとエネルギー開発やテラフォーミングを目的として開発された工業都市だとすれば、このシルチス市は交通の要衝としての機能を持った都市である。そして、シルチス市のドームから東南にやや離れて小シルチスと呼ばれる出島があって、シルチス大学を始め研究機関が集中している点を考えれば学術研究都市と呼んでも良い。西南にはフォボス宙港への連絡港もあって、宇宙空間への道も開かれている。なにより、ウィリアムスの目から見れば、このシンカンサイ市のような無骨な田舎の工業都市と違って洗練された都会なのである。
 ウィリアムスは13日の過密スケジュールをこなして、シルチスに到着した。成層圏を飛ぶスペースプレーンは1時間20分で彼女を火星の裏側に運んで、ウィリアムスは個人的なスケジュールを割り込ませる余裕がなかった。1時間20分という時間の短さが信じられないほど景色が変わっている。ウィリアムスが自分のファッション感覚に劣等感を抱きたくなるほど洗練された都市である。ホテルの中で眺めた調査リストによればダロス社はこの町の中心部にある。
 あくる日、彼女がムーヴァーで辿り着いたダロス社の事務所も洗練されていて、事務員の応対も心地よく彼女はこの企業に好感を抱いた。
(85点)
 彼女は心の中でダロス社を採点した。不足分の15点は彼女が想像したより小規模な会社でとても求めるエンジンがあるようには思えなかったからである。応対してくれたデロス社の営業課長に、彼女は勘違いを指摘された。ここは営業事務所なのである。工場は小シルチスの西方にあるという。当然のことだった。核融合エンジンを扱う工場が、ファッションブティックが建ち並ぶ町の中にあるはずはないのである。
 彼女は途中でチャーターした四輪ムーヴァーに彼女の思考ロボットを転送して、ダロス社の工場に向かった。工場では事務所から連絡を受けた社長が待っていてくれるはずだ。彼女は勘違いにも快く対処したこの企業に好感を深めた。なにか昔からの友人のような気がするのである。小シルチスに大学や研究機関があって、確かに大シルチスと雰囲気が違う。その隅にダロス社の工場施設があった。
 彼女のムーヴァーはダロス社の正門を素通りして駐車場に停車した。門を素通りしたということは、彼女の来訪が連絡されて、相手が訪問者にセキュリティを解除して待っていると言うことだ。ウィリアムスは辺りを見回した。敷地はネヤガワ工業より広い。その敷地に建物が幾つかあって、彼女が面会するダロス社の社長が何処で待っていてくれているか分からない。
 ウィリアムスは、人の良さそうな守衛のおじさんを見つけた。白い作業着姿で彼女の行動を観察しているようだ。こういう場合、自分を不審がる警備担当者を避けて通るより、こちらから接近した方が良いと彼女は考えている。彼女はその守衛に工場事務所の位置を尋ねた。彼女が考えたとおりの親切な人物で、彼女を事務所まで案内するという。初対面なのに初めて会った気がしないと思ったら、写真でよく見るネヤガワ工業のニシダ社長に雰囲気が似ているのである。顔立ちは気難しい頑固親父そのものだが、懐の中に飛び込みさえすれば、面倒見の良い人物だったりする。ウィリアムスは素直に相手の懐に飛び込んで行く特技を持っている。この守衛は、既に人の良い笑顔を浮かべてウィリアムスと世間話を始めた。
「シルチスは初めて?」
「ええ」
「ここの雰囲気はどう?」
「うーん。ここより大シルチスの方が素敵です」
 たしかに、大シルチスの方がこんな研究工業区画より、女性が好みそうなファッションブティックやアクセサリー店が多いに違いない。
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」
 守衛のおじさんはウィリアムスの素直さを笑った。そんなおじさんの笑い声は、陰謀を企む魔法使いのジジイのイメージを連想させ、ウィリアムスはやや眉をひそめた。
 おじさんは彼女を事務所に招き入れ、応接室まで案内した。彼女を席に付けて自らも向かい合った席に付き、そして、彼女に挨拶をした。やや得意そうな表情である。
「社長のクルーガーです」
「あぁっ。やっぱり」
 ウィリアムスは、ぽんと手の平を合わせて相づちを打った。クルーガーは正門の所で彼女を出迎えてやるつもりだったのである。ところが、彼女はクルーガーを警備員か何かと勘違いしたらしい。社長のクルーガーに道案内を依頼した。半ば、彼女をびっくりさせるつもりで、名乗りもせずに此処まで案内した。ところが、彼女は何処かで気付いていたらしい。彼女に一本取られたような気がして、多少悔しい。
「ネヤガワ工業のヘレン・ウィリアムスです」
 屈託のない笑顔でウィリアムスはクルーガーに握手を求めた。
(面白い女だ。)
 クルーガーがそう思ったのはこのウィリアムスという女が、ネヤガワ工業とダロスの過去のいきさつを全く知っていないらしい点だった。無警戒であっけらかんとして楽天主義の塊のようだ。クルーガーは試しに質問した。
「MSA─Xは知っていますか?」
「私たちの試作船に似た名前ですけれど」
(お前の所の、一番初めの開発船だよ)
 クルーガーはそう思ったが口にせず、表現を柔らかく変えた。
「ニシダ社長の時代の試作船です。その船体に私たちのエンジンを搭載してもらいました」
「あらっそうだったんですか?」
「『銀河急行』って名付けたエンジンモジュールでね。私も随分張り切ってたもんだ」
「でも、ちっとも売れなかったんですね」
 悪気はないらしいが、彼女の言葉には時折り、奇妙に棘を感じる。
「そう、私たちのエンジンの信頼性の問題でね」
(だから、個人的にニシダには借りがある。)
 クルーガーはそう思った。ただし、経営判断に結びつけて考えるつもりはない。
「『銀河急行』って夢のある名前ですね。今は?」
「ソロモンドックって会社があるでしょう。軌道上で大型艦を建造している企業。今はその企業にエンジンを納品しています」
「大型艦向けのエンジンの製造に転換なさったんですね。だから、最初に私たちのリストから漏れてたんだわ」
「正確に言うとね。大型艦のエンジンも2種類合って、大型の磁気ノズルを1基備えたエンジン自体が大きなものと、小型の高出力エンジンを何基か束ねて大きくしたものだね。うちで製造しているのは小型の方です。それをソロモンドックの方で出力の必要に応じて束ねて使用しています」
「『銀河急行』の図面はありますか?」
「もちろん残っているよ」
「見せていただけません?」
「かまわないよ」
 彼女に先手を取られて、ずっと、彼女のペースで話が進んでいるのだが、悪い気はしない。不安を吹き飛ばすような楽天的な笑顔に、何か救われるような気がするのである。
 経営は順調とは言い難いが、それでも何とかやっている。そんなダロス社にソロモンドックへの吸収話が生じている。業績が安定するのは分かっているのだが、経営者の意地のようなものがあって拒否しているのである。不安や腹立たしい日が続く中で、クルーガーはこの変な女性の来訪を心から楽しんでいるのである。
「やっぱりね」
 彼女はディスプレイ端末で見せられた図面で、彼女の記憶を確認したのである。
「ニシダ社長の時代の試作機のエンジンの構造を見ていて思ってたの。随分と単純な構造にしてあるんですね」
「信頼性の問題でね。単純な構造の方が信頼性が確保しやすいでしょう?」
 ウィリアムスはクルーガーの顔を見つめた。
「構造が単純だと言うことは小型化も容易ですよね。核融合エンジンで最も困難なのは磁気ノズルの設計でしょう?」
「そうだね。プラズマ制御にいろいろなノウハウがあってね」
「ねぇ。クルーガーさん。今、お宅ではプラズマ制御のノウハウをお持ちでしょう。それから『銀河急行』の構造を見ると小型化に向いた単純な構造ですよね」
「そうだね」
「いま、当時に比べて磁気コイルの効率が飛躍的に向上していますよね」
「そうだよ」
 クルーガーは頷き続けるしかないのである。
「理論的には『銀河急行』を小型化して出力向上させられるじゃない。そうでしょう?」
「ただ、元は旧式のエンジンだからね」
 クルーガーはウィリアムスにちょっと逆らってみたい。
「御社がソロモンドックに納品しているのは小型のエンジンなのよね。理論的にじゃなくて、いま、実際に小型のエンジンを造ってるんじゃない?」
 クルーガーは何か悪いことでもやらかして、証拠を突きつけられながら、調書を取られているようだ。彼女は言葉を続けた。
「第一、この会社は、今、仕事が無くて暇でしょ?」
 この女は全く悪意を感じさせない笑顔で、ひどく辛辣な言葉を吐く。ただ、その笑顔と物怖じしない勘の良さに感心して腹立たしさを感じなかった。
「どうしてそんな事が?」
「大シルチスの事務所で、事務員の人が電話対応する様子は見かけなかったし、営業の人も手持ちぶさただったわ」
「だから、顧客からの注文がないと?」
「それだけじゃないの。この事務所に来るまでに見かけた、壁に大きな穴がある建物は、エンジンの試験施設よね。作業している人や、建物の様子を見ると、あまり頻繁に使ってる様子はなかった」
「あれは新型エンジンの試験をする施設だ、現在の我が社が製造している既製のエンジンでは使わないよ」
「やったー。設備が空いてると言うことは、新型エンジンの開発余力があるという事よね」
 彼女は飛び上がって喜んでいる。それから、突然に計算を始めて、計算結果を突きつけた。
「社長。私たちは総重量が6.8トン以下で、最大推力150トンくらいのエンジンが欲しいんです。造って下さい」
 ウイリアムスはここで言葉を途切れさせた。彼女が小首を傾げるそぶりで目の前の交渉相手を観察するように眺めたため、クルーガーはこの女が自分が唐突に強引すぎる要求をしすぎたことに気づいたのかと思ったが、そうではなかった。彼女は相手の能力を見極めるように静かに妥協した。
「その要求が無理なら推力は130トンぐらいでもかまいません」
 彼女はクルーガーたちには推力150トンのエンジンを作るのは無理かも知れないというのである。この場合、彼女の言葉は優しいと言うより、クルーガーたち技術者の誇りを荒々しく逆なでしているのである。ただ、彼女の人なつっこい笑顔には悪気はないらしい。
 この女はエンジンの製造には素人らしいが、エンジンの性能については飲み込んでいるらしい。彼女が掲げた目標は、クルーガーたちが背伸びをすれば手が届くかも知れないという誇りと好奇心の入り交じった目標になる。しかし、クルーガーの経営者としての冷静さが、技術者の高揚感を押さえて言った。
「考えさせてくれないか」
「自信がないんですか?」
「言い換えよう。君の提案は前向きに検討しよう」
「よかった」
 彼女はあっさりとそう言って、更に彼女たちの期待の開発スケジュールから算出して遠慮がちに付け加えた。
「納期は10ヶ月、出来れば9ヶ月くらいでお願いします」
 ダロス社を取り巻く経営環境は、基本的にネヤガワ工業と変わりがない。大資本に飲み込まれるか潰される。クルーガーは過去に夢を見たこと見もある。しかし、経営者らしい冷静な判断で『銀河急行』ととも潰えたと考えていた。
 もちろん、ネヤガワ工業が再び宇宙船の自主開発に挑んだと言うことは、ニュースで知っている。今は、ネヤガワ工業との関係が途絶えてしまっているが、ニシダの時からのつき合いだから、ウルマノフについてもその人柄を知っていた。あのウルマノフが本気で宇宙船開発に取り組むとは思えなかった。事実、結果は人々を失望させただけだ。しかし、失敗の後、今一度取り組むというのなら、今度は信じてやっても良い。
 工場の正門の所まで彼女を見送ってクルーガーは思った。
(こんな形でニシダへの借りを返すことになるとは思わなかった)
 ウィリアムス指摘は間違えてはいない、ただし、彼女が求める数字は、彼ら専門家から見れば非常に厳しい数字である。だが必死で背伸びをすれば手が届くかもしれない。やってみる価値はある。技術屋として胸がわくわく踊るような目標だ。
「『銀河特急』か?」
 クルーガーは呟いた。おの女は9ヶ月後に受け取るはずのエンジンモジュールを、勝手にそう命名して帰ったのである。
「カビラを部屋に呼んでくれ」
 クルーガーは秘書に技術部長の名を告げた。クルーガーと共にニシダを知る古い技術者で、彼なら、やや無謀な試みにもおもしろがって乗ってくるだろうと考えたのである。ただ、営業や経理関係者の不満げな顔を見るのも遠い未来のことでは無さそうだった。
 

エリ・スメタナ

 技術開発課が抱え込んでいる問題を挙げればきりがない、しかし、最も大きな問題を挙げろと言われれば、船体を構成する構造材の中で最も大きなエンジンモジュールと、小さな運航システムが挙げられる。エンジンモジュールについては、ウィリアムスの報告で、進展しそうな気配がある。しかし、バレが抱え込んでいる運航システムの問題は、彼女の努力のかいもなく、行き詰まって進展のきっかけがない。

「ストヤン部長。玄関にご面会の方がいらっしゃっているそうです」
受付の事務員から連絡が入ったのだが、その声の調子が戸惑う声音なので、ストヤンは首を傾げた。
「今日は人に会う予定はなかったはずだぞ」
「昔からの親友だそうですが、」
「映像を回してくれ」
 親友を名乗る人物を見てストヤンは息を飲んだ。長身の者が多い火星市民の中でも、ひときわ長身だというばかりでなく肩幅がある。その女性は受付嬢に豪快な笑いを見せている。
「エリ・スメタナ」
と、ストヤンはぽとりとペンを取り落とすほど表情を固くこわばらせて言った。彼女の名前らしかった。そして、彼は思いを巡らしたあげく、彼女の相手をイマムラに押しつけることにした。
(たしか、あの連中は運航システムの作製で行き詰まっていたはずだ。この女がいい刺激になるだろう。)

「あれがね、」
 スメタナはイマムラに要件より先に自己紹介を切り出した。『あれ』とは、ストヤンの事であるらしい。
「おねしょをしていた頃からのつき合いなんだから」と彼女は笑った。
 しかし、ストヤンは公私を混同することを極めて嫌う。その彼が優秀な人物だと言うからにはそうであるに違いない。イマムラは目の前の人物に
(やっかいな役目を背負わされた。)
と思いつつも
(面白い。)
とも考えた。このスメタナの豪快な人柄もそうだがスメタナの持つ技術が自分たちの知らない部分に埋もれていたのかと感じたのである。まだ、可能性はあると思うのである。
 この日から、彼らに新たな仲間が加わった。ただ、彼女の肩書きが面白い。「スメタナシステム開発社長」である。彼女の会社が倒産してストヤンを頼って仕事を探したらしいが、独立気概に富んだ人物で、ネヤガワ工業に媚びる気はないようだ。彼女のアパートには、夫と25歳になる息子がいてスメタナシステム開発の専務と部長である、それ以外の社員はいない。彼女はこの技術開発課に机を1つ置いて「社長室」と称した。技術開発課は、机一つ分の領土を彼女に奪われてしまったのである。
 関係者との調整は問題がなかった。スメタナとバレは親子ほど歳が離れているのだが、気があって仲がいい。あっけらかんとして朗らかな性格が似ているのと、趣味も一致しているのかもしれない、バレにとって信頼できる助っ人が現れたわけだった。
「運航システム? 何言ってんの、あたしゃ宇宙船には素人だよ」
 スメタナはバレの説明を詳しく聞いて、自分なりに解釈した。
「車を手動で動かすことを考えてごらん。まず、あたしゃ右の車線に移動したい。ハンドルを右に切るわね。ところが慣れないモンだから切りすぎてしまう、慌てて今度はハンドルを左に切りすぎてしまう、結果的にあたしゃ車を大きく蛇行させたあげくスピンして車は大破。あんたが言うのはそういうことだろ」
「そうね。だからそういう事故にならないように、まず安定して車を走らせるアルゴリズムが必要なの。そのアルゴリズムを基本にして人間がシステムに介入した変化を加えて修正するの、事故が起きない範囲で、、、」
しゃべっているバレ自身頭の中が混乱してしまっている。
「難しすぎてよくわかんないけどさぁ」
「私にもわかんないわ」
「でも、あんたはアルゴリズムとかロジックとか難しい事を言い過ぎるよ。もっと人を信用しなきゃ」
「人を?」
「まず、人がハンドルを握って運転すりゃいいのよ。事故がおきたら本人の運転が下手なんだからあきらめもつくでしょ」
 バレは黙って笑いながら聞いている。
「でも、あたしの旦那は優しいから黙ってみてないよ。事故がおきる前にハンドルに手を添えてくれるモン。その旦那に代わるモンがあればいいのよ」
「私みたいな独身者なら、ドライビングスクールの教官を彼氏にして、横に乗せとけばいいのね」
「そうね。論理より運転慣れした彼氏の方が役立つわ」
 バレはふと何かを思いだした様な表情を浮かべた。
「要するに、いままで私は操縦者と機械の間を繋ぐシステムを考えてたんだけど、宇宙船の操縦教官に代わるものを作ればいいのね」
「そう」
「ちょっと調べたいことがあるの。明日まで待ってくれる?」

 そのあくる日、バレはスメタナを捕まえて言った。
「ねえっ。ちょっとこれを見て」
 イマムラものぞき込んだが意味の分からない記号が並んでいるだけだ。しかし、スメタナは何か理解したらしい。
「今、製造部の改装ラインに救助機動隊からオーバーホールに回されてきたスピカ84号機があるでしょう。あの船体の最後の48時間分の運航記録なの」
 突発的な事故に備えて、1機づつ運航状況を自動的に記録している。昔の旅客機のブラックボックスと考えれば、それに用途や目的が近い。そのデーターの使用目的から幾重にもプロテクトがかかっていて、部外者には勝手に閲覧できないはずだが、彼女がそのデーターを表示させていると言うことは、彼女がその最初のプロテクトを外したと言うことだ。イマムラは危機管理部との保守契約を思いだした。守秘義務がある。オーバーホールした船体のデーターについて、社外に漏らしてはいけない。
(ここは、まだ社内だ)
 イマムラはそう思うことにした。各船体がパトロールに出かけて帰ってくる。その状況が記録されているだけだ。事故の解析以外に利用価値がないと思われるデーターである。普通はブラックボックスからこのデーターを手間暇掛けて読み出そうとはしないだろう。しかし、契約違反でなくても、データーを勝手に読み出しているという事実には、危機管理部側はいい顔はしないだろう。
「普通は、勝手に読みだそうとした段階でデーターが破壊される仕組みになっているんだけどね。あんたなら、事故の時にブラックボックスのデーターを偽造できるかもしれないね」
バレはそれに答えず、美味しいご馳走が目の前に並んでいるように、小さく舌なめずりをした。
「読み出せればこっちのものよ」
 彼女達は最も困難なプロテクトは外してしまったと言っているのである。
「でも、まったく意味不明の文字じゃないか?」とアサハリが聞いた。
「当然よ。このデーターは暗号化して圧縮したデーターだもの。でもね、データーの性質から考えれば、この文字の大半は数字のはずよ。たぶん、十進数か十六進数の数字だわ」
 彼女は自信ありげに彼女の思考ロボットに命じた。
「ナウシカ。このデーターを8ビット単位で表示させてみて」
 彼女の思考ロボットはディスプレイにアルファベットと数字が混ぜて表示した。まったく意味を成していない。
「分からないじゃないか?」
と、部外者のシンが口を出した。
「黙っててよ。ここはね、複雑に暗号化をする部分じゃないんだから」
「何故分かるんだ?」
「小型機に搭載する量子コンピューターは意外に処理速度が遅いの。そのコンピューターで変化する船体の状況をコンマ何秒という間隔で記録する必要があるの。複雑な暗号を掛けていたらメモリーに記録するのに間に合わないじゃない?」
 彼女はプロテクトを掛ける側と外す側の関係は、単純な知恵比べではなくて、ポーカーの様な駆け引きなのだと言った。コンピューターと人間の役割分担で言えば、こういう駆け引きは人間の役割だ。彼女の考えによればこの箇所には比較的簡単な処理がされているだけだ。
 イマムラにはこのやりとりが理解できないでいる。理解する必要はないだろう、下手をすれば犯罪行為にもなりかねない。ただし、彼の部下たちはこの危険なパズルに夢中になってしまっている。
 この後の彼らの会話は、物語の進行には全く関係はない。ただ、この部下の会話を聞いていたイマムラの困惑した心中が象徴されている。ただ、理由が分からないながら面白いと思ったのは、パズルを解析しているのは、膨大な情報と処理能力を持った量子コンピューターではなく、バレの直感だと言うことである。
「ナウシカ。データーを1ビットづつシフトさせて一番数字が多くなるようにして」
 イマムラにはよく分からない処理をいくつか施して、バレはデーターを精製してのけた。
「数字だけでよく分からないね」
「データーは一定のフォーマットで記録されているはずよ。その区切りの記号が入っていれば良いんだけれど」
「この記号が小数点を表しているのね。この小数点を見ていけば、同じパターンで繰り返し出てくるはずだわ」
「記録して有るはずのデーターは、船体の三次元座標、運動ベクトル、搭乗員の姿勢制御の操作情報、運動ベクトルの変化量、、、」
「推進剤の消費量も記録して有ればありがたいね」
「そのデーターの項目と、組み合わせと、記録順序を探し出せばいいんだな」
 イマムラは部屋を離れた。彼の立場は複雑である。作業を進める立場にありながら、違法行為すれすれの行為を注意すべき立場である。動機はともあれ、今は部下が仕事に熱心で、サボったり怠けたりする事はあり得ない。その点、信頼して良い。
(任せておこう)
 イマムラはそう思った。難しいことは分からないが、行き詰まっていた船体の運航システム開発が、新たな展開を迎えているらしい。その展開には顧客の船体の運航記録が関わっているらしい。
(しかし、メモリーチップと機密)
 彼は過去を振り返るようにそんな呟きを漏らした。ふと、営業時代の調査ファイルを思い出したのである。
 イマムラは研究棟を離れて、懐かしい営業部に向かった。昔の上司と世間話をするためだ。今後、シンプソン営業部長の力が必要になるかもしれないと考えたのである。抱えていた問題は、部下達がなんとかしそうな予感がある。
 数時間後、イマムラは興奮したバレに技術開発課に戻るよう呼びつけられた。
「課長。どこでサボってたんですかぁ」
 ウィリアムスが不満そうに言った。イマムラはただ、笑っていただけだ。搭乗員が船体にどんな指示を与え、その指示に応じて運航システムが、どんな信号を発しているのか、この運航記録の無機質な数値の並びの中で、搭乗員と船体の運航の関係を探り当てたというのである。理論的な数式から導かれた値ではないが、これ以上の適任者はいないと言うほどのベテラン搭乗員の船体操作が、新たな開発機で再現できる可能性を秘めているのである。ただ、データー数が足りない。このスピカ84号機以外の船体のデーターも必要になるのである。
「それで、その過去のデーターを保安局や危機管理部が持って居るんじゃないかというんだな」
 イマムラは部下に取り囲まれて言った。部下はイマムラにそのデーターを取って来いと要求しているのである。部下はその仕事をやり遂げていた。あとはイマムラの番だ。行政側とかけあって、彼らが運用する船体の運航記録を公式に公開してもらい、彼らのデーターベースへのアクセスを許可してもらう必要があるだろう。しかし、危機管理部にせよ保安局にせよ、一中小企業にこんなデーターを提供するはずがないのである。提供させるとしたら、どんな条件を提示しなければならないだろう?
「今の段階で、既にデーターを解析していると言うことは伏せておいてくれよ」
 イマムラはそう部下に命じた。違法行為に近いことをやらかしていると言うことで、今後の交渉を複雑にすることを避けたいのである。イマムラは上司のストヤンの部屋に向かった。この件でストヤンを共犯に仕立てる必要があるだろう。
 部長室では、目の前のイマムラにストヤンが言った。
「理屈は分かった。船の姿勢制御や操縦桿核に関わるパラメーターを、パイロットたちの操縦経験から割り出そうと言うんだな。しかし、我々の手で運航システムを作り上げる事が可能だとして、我社が作り上げるシステムを全て、他社にも公開するというのかね」
「たぶん、それが行政側として我々にデーターを使用させる最小限の条件になると思います」
「官公庁に誰か交渉のパイプはあるのか」
「営業部のシンプソン部長に中継ぎを頼もうと思います。彼なら危機管理部や保安局に顔が利きますから、」
「公開するという件については社長の許可がいるだろう。私が許可を取って置く。君は準備が出来たら、すぐに役所へ飛べ。どうした、さっさと行け」
 ストヤンはイマムラを部屋から追い出した。そして、彼の背後から付け加えた。
「データーの解析にはシュミレーションセンターの協力が必要になるだろう。この件を最優先に処理するように指示を出しておく」
 ストヤンはデーターを解析したという事実には大して気にとめる様子はない。こいつらは目的のために手段を選ばない、という性癖を持った連中なのかもしれない。
(技術屋ってのは、信用できん連中だ)
 そう言ったウルマノフの言葉が、今のイマムラには納得できそうな気がするのである。ストヤンの早急さは、その日の内にイマムラを危機管理部のあるシルチス市に送り出した。シンカンサイ市から見れば火星の裏側である。イマムラはスピカに使用しているN&B社の運航システムのチップと、営業時代の調査ファイルをカバンに忍ばせている。このチップが交渉の切り札になるかも取れないと考えているのである。

 シルチス市。火星自治州の行政の中心組織が集中している。シンプソンから与えられた情報と、思考ロボットの案内を受けてさえ、迷いそうな様々な部局の案内板を確認しながら、イマムラは危機管理部にたどり着いた。各都市の防災機能を管轄する組織で、その一部で火星近傍の宇宙空間でのレスキュー任務を持っている。ネヤガワ工業にとって、レスキュー仕様のスピカの主要顧客である。

「過去にそう言う例はないが、」
 危機管理部の担当官はそういう言葉で、情報の公開を尻込みした。予め予想できる、極めて役人らしい言葉だ。
「聞いて下さい。今の小型船の運航システムというのは、高加速時の船体制御能力が不十分で多量の推進剤のロスを生じています。姿勢制御能力についても現場の方々自身がご不満を抱いているはずです。私たちが何とかしたいと考えてもまったく手が出ないんです。私たちの手でシステムを作り上げる事ができれば、状況は一変します」
「そういうものが出来れば便利だと言うことは分かる。しかし、今まで無くてもやって来れたんでしょう?」
「この小さな部品が宇宙船の中枢の1つです。今後、技術供与制限法が強化されたときに真っ先に輸出制限されて我々の手に入らなくなる部品なんです。いま、この運行システムのチップを作って置かないと、我々は今後、運行システムどころか新しいパトロール艇を造ることも出来なくなるんです」
「イマムラさん、こう考えてはどうでしょう。今後、耐用年数が過ぎて廃棄するスピカが出てくる。そのスピカからこのチップを外して、あなた方に提供する。あなた方はそのチップを利用すればいい。別に問題はないと思うが、」
(頭の切れる男だ)
 イマムラは呆れるように思った。現体制を維持するための理由が、この男の頭に次々湧いて来るらしい。イマムラは営業時代の調査ファイルを広げた。
「見て下さい。ここに運航システムのメモリーチップの写真があります。地球で実際に使用されていたスピカの運航システムのチップが写っています。この横の位置にロット番号が表示されています」
 イマムラ自身、営業部員時代にひどく不思議に考えていた事実を披露した。彼ら営業部員は、危機管理部や保安局に所属する搭乗員から(ネヤガワ工業のスピカは性能が悪い)という苦情を受けていた。その全てが地球に派遣されてスピカの操縦訓練を受けた人々である。おおかた、その地球技術の信奉者の勘違い、もしくは、モジュールを作る工作精度の微妙な違いが積み重なって、火星で製造したスピカと地球のFW201には、性能に若干の違いが出るのかもしれないと理由付けされていたのである。
 イマムラは、当時まだ販売促進課の課長だったシンプソンのもとで、スピカのパンフレットや営業マニュアル造りをしていた時期がある。(高度な地球の技術を継承した)というセールストーク通り、その言葉を象徴する、運航システムのメモリーチップの写真をパンフレットに用いた。その写真の記憶と、バレから見せられたスピカのメモリーチップの現物の間に違和感を感じたのである。
 もちろんロット記号は1つづつ全て異なっているが、彼らがN&B社から提供されたメモリーチップのロット表記の中に、暗号のように共通して「N」の文字が忍び込んでいる。イマムラの相談を受けたバレとスメタナが、そういう回答を下していた。一方で、地球で製造したFW201のメモリーチップには、全くその気配がない。つまり、FW201とその火星仕様のスピカは同じ船体でありながら、その中枢部に目に見えない違いが現実にある。搭乗員の連中がいう、スピカは推進剤の消費効率が悪いとか、操縦時の応答が遅いという微妙に感覚の違いが説明できるのである。穿った見方をすれば、致命的な欠陥がシステムの中に意図的に埋め込まれていたとしても、火星市民はこのメモリーチップを使い続けるしかないのである。
「これが、私たちが地球から購入して使用する運航システムのチップです。目立ちませんが、よく見ると記号が違うでしょう? この2つは同じものじゃありません」
 イマムラは念を押すように2つのチップの製造記号を指さして比較した。担当官もつられてのぞき込んで納得したように頷いていた。
「私たちはね。知らず知らずの内に、地球市民にとって都合の悪い部分を削除したシステムを使用させられていた可能性も有るんです。それすら、私たちにとって分からないんですよ」
 担当官は黙ったままだ、事情を納得したのかもしれないが、ややこしい事実にあまり関わり合いになりたくもないのだろう。イマムラは情熱を込めて声のトーンを上げた。
「私たち自身の手で、小型船の運航システムを作ることで、今のレスキュー隊が抱える問題も解決できるんですよ。そのデーターをあなた方自身がその価値に気付かないまましまい込んでいるんです。私たちに利用させて下さい」
「何をごちゃごちゃ戸惑ってるんだ」
 ついたて越しに低音だが良く響く声で叱りつける声がした。イマムラに対してではない。目の前の担当官に対して怒っているらしい。その人物がぬっと姿を現した。体格が良く、50を過ぎているのだろうが、歳の割に身のこなしが軽い。柔和な目をしているが、何処かその眼光が鋭くイマムラの本心を刺す。デスクワークをやっている人間には見えない。
 男は部下の頭を拳骨で叩いてイマムラに言った。その声音は優しい。
「悪く思わないでくれ、こいつも悪い男じゃないんだが、」
 イマムラは、この種の部下のかわいがり方というのは、現場上がりの人間のものだろうと判断した。男はフランク・ローズと名乗った。
「で、イマムラさん。何がお望みだ?」
「貴方方の部の運航データーを我々に利用させてもらえませんか?」
「イマムラさん。悪いがデーターは我々の管轄じゃないんだ。データーは船体のメンテナンスの時に運輸交通部本部に転送する。今は、彼らの管轄だ」
「そちらに出向けば利用させていただけるんですか?」
「俺の操縦記録も残っているはずだが、大丈夫だ。俺は交通違反をしたことがないからな」
 フランク・ローズはそう笑った。
「イマムラさん。私は昔、地球でレスキューの訓練を受けたときに、スピカというのはこんなに優れた船体だったのかと驚いたことがある。言葉ではよく言い表せないが、こっちで乗るものと乗り心地が違うんだ。さっきのあなたの話でその理由がよく分かった」 
 ローズは担当官の頭をぐりぐり撫でて言った。
「運輸交通部にオレが許可していると伝えておけ」
 担当官はやや渋い顔をして繰り返した。
「私が連絡するんですか?」
「オレがサラ・ロイドが苦手だって事は知ってるだろう。オレが嫌なことはお前の役目だ」
とローズは笑った。サラ・ロイド。豪快なローズが苦笑いと共に、苦手だと口にした名前をイマムラは何となく記憶した。イマムラはやがて、彼女と出会うことになる。
「まったく、腹立たしい話だ。俺たちはスピカに命を託してるんだ、そのスピカに勝手に手を加えられているのか?イマムラさん。奴らの鼻をあかしてやってくれ」

 イマムラは運輸交通部に赴いて、先に保安局、正式には軌道空間部保安局と称している部署を回って彼らの了解を取り付けた。宇宙船の運航に関わる権限を有する部局である。ここでも危機管理局の担当官にしたのと同じ説明を要した。
 次に赴くのが、この軌道空間部と並列して存在する、運輸交通部本部である。フランク・ローズが言ったサラ・ロイドが取り仕切る部署である。この部署で交通行政を一元化して扱っており、イマムラが必要とするデーターはこの本部の下、航空宇宙局で保管されているはずだった。危機管理部と保安局の許可があったためか、たいした手続きも経ずにデーターの使用はあっさり許可された。もともと、日常の運行状況を記録しているだけだから、担当部局の許可があれば、民間に秘匿する必要もないのである。しかし、たいして重要度のないデーターの閲覧するために、行政はイマムラに丸一日の時間を費やさせたことになる。
 この日、出会うことの無かったサラ・ロイドという名に不安が加わって妄想が膨らんだ。戦車を踏みつぶし、口から炎を吐きそうなイメージである。
(出合う機会があるかもしれない)と、イマムラは思った。
 彼らは運航データーの管理だけではなく、新型船の許認可の権限も持っており、この後、イマムラ達の本業でお世話になる部署だった。
 取りあえず、イマムラは行政からデーターファイルを閲覧する許可をもらって、彼らのサーバーのドアをこじ開けた。あとはバレやスメタナに任せれば、ネヤガワ工業の社内の端末からデーターを利用するはずだ。
 MSC─Xは運航システムと言う点で行き詰まっていたが、これで何とか運航システムの問題は片づくかもしれない。イマムラはその僅かな希望にすがった。
 


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